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「図書館の魔女(4)」高田大介 講談社文庫「キリヒトにはマツリカの脳髄の中に、取るに足りない断片を引き寄せて一つの物語に組み立てていく強力な磁力の力の中心とでも言ったものがあるように思える。マツリカの頭の中に吹き寄せられた知識の断片は、その強力な磁場の中で整序され、それぞれ所を得て配列され、有機的に組織づけられてさらに巨大な知恵に織り上げられてゆく。 それはまさしく図書館の似姿だった。マツリカの中に図書館がある。いやマツリカこそがひとつの図書館なのだ。」最終巻は、全4巻の中で最大長編なのだが、大どんでん返しもなく、これまでの展開を粛々と畳んで行くのに過ぎないように、私には感じられた。確かに幾つか明らかになったことはあるけれども、なくても物語全体には大きな影響はない。1番描きたかったことは、既に描き切れていたからである。それが、冒頭抜き書きしたキリヒトのマツリカに対する評価である。一見すると、ここで描かれているマツリカは現代のAIのようでもある。でもそれは「人間の姿をしたAI」ではない。「AIの能力を持った人間」として描かれる。それは同時に、言語学者としての著者が「現代の図書館を最大限活用したならば、貴方もマツリカになれるよ」というメッセージなのだろう。そのためには、人間としてのマツリカを、そしてそれを補佐する「高い塔=一ノ谷の図書館」のスタッフたちの人間性を描かなければならなかった。そのための物語だったのだろうけど、私が編集者ならば枚数を半分にしろと言ったと思う。エンタメとしてのスピード感がなかったからである。綿密に作り上げられた世界観を持った上橋菜穂子のデビュー作「精霊の木」は、編集者により3/4に削られた。更には、ファンタジーとしては世界観が未だ不十分。現代図書館の知識を十二分に応用したいという気持ちはわかるが、産業革命が未だ達成されていないのに、冒頭抜き書きにあるように、キリヒトが19世紀に確立した「磁力理論」に精通しているという設定はなんなの?とは思う。一事が万事。方々に出てくる難しい言葉は、「検索」すれば出てくるので、私は驚かない。著者が図書館の中の「(知識を)その強力な磁場の中で整序され、それぞれ所を得て配列され、有機的に組織づけられてさらに巨大な」物語を作ったのはわかるにしても、それをパラレルワールドとして成立させるだけの説得性が、未だこれほどの長編の中に感じられない。全く違う歴史過程で作られた世界ならば、そこまでは言わないけれども、この世界はあまりにも私たちの世界と似過ぎているので、大変気になるのである。‥‥厳しいことを書いてしまったが、冒頭抜き書した著者の「メッセージ」には、大いに共感する。主人公を、「言葉を発することはできないけれども、豊かな言葉を持ち」「その言葉を武器にして世界と渡り合う」「10代の少女」に設定し、それを補佐する者も、「10代の少年」に設定したのも、大きなメッセージを持っていて共感する。あえて言えば、「究極の問い」は、こうだったのかもしれない。図書館の中の「言葉」によって未来をつくることはできるのか。とりあえず、この物語の中では出来た。そこは良かったと思う。
2022年02月26日
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「どっちがどっち まぎらわしい生きものたち」梁井貴史・著 金子貴富・イラスト さくら舎もうね、何処を開いても面白い。試しに、適当に開いてみました。◯「ダンゴムシとワラジムシ」(84p)うーむ、困った。面白くないのではなくて、全部面白い。出来たら全文書き写したい。ゴメン、この調子でレビューするとものすごく長くなりそう。でも、私が「好きで」「後学のために」記録しているので、全部読まなくていいですからね。では、面白かったところの一部をメモ。⚫︎ダンゴムシもワラジムシも名前はムシになっていますが、虫(昆虫)ではなく甲殻類に属し、エビやカニの仲間です。⚫︎男女を問わず幼児に1番人気がある「虫」がダンゴムシです。「丸くなる」というのが、幼児にとってはチャームポイントとなるのでしょう。つまもうとしたら、くるっと丸くなるお菓子を発売したら、子どもに爆発的に売れるかも知れません。⚫︎ダンゴハムシには「交替性反応」といって、障害物にぶつかって最初に右に曲がった場合は、次にぶつかると左に曲がり、次は右に、次は左に‥‥という具合に、左右交互に進路をとる性質があります。もし障害物にぶつかるたびに同じ方向に曲がっていたら、ぐるっと一周回ってもとの場所に戻ってきてしまいますが、この性質により、敵に遭遇して逃げるときなど、より遠くに逃げることができます。⚫︎ワラジムシも足は7対ですが、ダンゴムシに比べて平べったい体をしています。ヨーロッパ原産の外来種です(はるばるヨーロッパからやってきて、日本で「草鞋を脱いだ」次第です)。こちらも石や床の下など湿ったところに住んでいて、ひの当たらない便所のあたりにうろちょろしているのが散見されるので、別名「便所虫」などありがたくないニックネームで呼ばれることもあります。両者ですが、ワラジムシはダンゴムシと違って、驚いても丸くならないので直ぐ区別できます。◯ムササビとモモンガ(12p)⚫︎ムササビもモモンガも漢字では「鼯」(←鼠編に吾!)と書くことから、昔は両者を区別していなかったことがわかります。区別するようになったのは、明治時代になってからです。⚫︎ムササビもモモンガも「飛ぶ」のではなく「滑空」します。哺乳類で飛ぶ(翼をバタバタさせる)ことのできるのはコウモリだけです。⚫︎彼らは決して地上には降りません。「ちょっと喉が渇いたので、地上に降りて岩の間から滲み出る湧水をごっくん」なんてことはありません。水分は食料に含まれる水分や夜露で補います。まさに完全な樹上生活です。人間の社会では「しっかりと足をつけて」などと諌めたりしますが、彼らは子どもを何と言って戒めているのでしょうか。◯アフリカゾウとアジアゾウ(15p)⚫︎ゾウの中でも、アフリカゾウは現存する陸上動物の中でも最大で、オスには体重8tに達するものもいます。その大きな体を維持するために食べている量は1日に150キロくらいで、食事時間は10時間以上です。そしてウンチの量は一日に75キロ。じつにダイナミックです。⚫︎1日に10時間も草を噛んでいたら、歯も摩滅してしまうのでは?と心配になりますが、好都合なことに臼歯(奥歯)は摩滅すると、6回も生え変わります。一本の臼歯の重さは約3kg。⚫︎アジアゾウはアフリカゾウに比べると体も耳も牙も一回り小さく、メスの牙は外から見えません。サーカスで芸をするゾウは、アジアゾウと思ってまず間違いありません。⚫︎象という字は典型的な「象」(しょう)形文字で、まさに象(かたど)られたものです。ゾウと呼ぶのは漢語の「象」の呉音が「ゾウ(ザウ)」に由来します。寿命は60-70年です。◯ミーアキャットとプレーリードッグ(29p)⚫︎ミーアキャットはアフリカ南部の平原や砂漠に住んでいます。日光浴が大好きで、朝は並んで日光浴をする姿が見受けられます。「キャット」と名付けられていますがネコの仲間ではありません(マングースの仲間)。岩場などに10-15頭の群れで暮らし、昆虫や小鳥を食べる肉食動物です。⚫︎プレーリードッグは北アメリカの草原に住んでいます。「ドッグ」と名付けられていますが、犬の仲間ではありません(リスの仲間)。犬に似た鳴き声をするのでこの名になりました。◯ニホンリスとタイワンリス(30p)⚫︎ニホンリス、タイワンリスともに体は濃褐色なのですが、腹部を見るとニホンリスは純白なのですぐに見分けられます。また、餌を食べている時の尾っぽを見ると、ニホンリスは太い尾を背中に乗せていますが、タイワンリスは尾はだらりと垂らしたままです。⚫︎野外(特に市街地)で見かけるのは、間違いなくタイワンリスです。ニホンリスは四国・九州の亜高山地帯に住んでいて滅多に人前に姿を見せることはありません。一方タイワンリスは観光地や住宅に住んでおり、人間の与える餌に寄ってきます。与えられた餌を両手で挟んでモグモグタイム。⚫︎「リス」の名は「栗(を食べる)鼠」という「栗鼠(りっそ)」が転嫁したものです。←台湾でたくさんタイワンリスを見た。台湾のみかとおもいきや、日本もミャンマーやマレー半島にも生息域を広げて害獣対象にもなっている、とのこと。そういえば韓国でも南部の住宅地で見たことを思い出した。◯カブトエビとカブトガニ(54p)⚫︎両者共にエビやカニの仲間ではなく、古代三葉虫から進化した仲間。カブトエビは3億年、カブトガニは2億年、姿や形を変えずに生きてきたため「生きた化石」と呼ばれる。では、3億年変えていないゴキブリは生きた化石なのでしょうか?残念ながらそうは呼びません。「生きた化石」という呼称は数の少ないものに限られています。←岡山県笠岡湾のカブトガニはいっとき絶滅したと言われていた。もしかしたら地球上で、1番生命力が強いのは、人類ではなくゴキブリなのかもしれない。◯イカの墨とタコの墨ってどうちがうの?(58p)⚫︎イカの墨は粘り気があるので、直ぐに固まってしまいます。敵が近づくとイカはポッポッといくつもの墨を吐きます。敵にしてみれば、一匹のイカを追っていたはずなのに、突然目の前に現れた複数の黒い物体(イカ)に面食らい、頭がパニック。手当たり次第に黒い物体に襲いかかっては「ん?これではない」「ん?これでもない」と歯軋りする敵を尻目に、イカはまんまと逃げおおせます。まさに「分身の術」と言ったところです。⚫︎一方、タコの墨は粘り気が少なく、さらさらして海中で勢いよく広がります。急にあたりが真っ暗闇になり、敵にとっては突然停電が起きたような状態で、何が何だかわからなく戸惑ってる間にタコはドロンします。⚫︎イカ墨のスパゲッティはありますが、タコ墨のスパゲッティはありません。⚫︎タコやイカの墨を墨汁代わりに字を書くことはできますが、真っ黒な字を書くことはできません。どうなるかというと、茶褐色になります。タコやイカの墨はメラニン色素であり、メラニン色素はタンパク質なので、時間が経つと腐敗します。そのため長持ちしません。⚫︎「いかさま」という言葉がありますが、これはイカで書いた証文が数年経つと消えてしまうことから「イカ墨」が訛ったものです。◯フグとハリセンボン(79p)←フグの雑学には、ミステリで使えそうなネタが山ほどある。⚫︎フグ。ふくれるので「ふく」、それがいつしか「フグ」と呼ばれるように。漢字で「河豚」と書くのは、体が豚のように肥大するからとも、釣り上げられたとき、「キー、キー」と豚のような声で鳴くからとも言われています。⚫︎フグの毒の成分はテトロドトキシンといい、神経を麻痺させます。毒は主に卵巣や肝臓、皮膚に含まれていますが、この毒は煮ても焼いても分解されません。毒に当たると、早ければ30分、遅いと3時間もしてから症状が現れ始めます。食べた途端に症状が現れるわけではありません。やがて痺れや麻痺、言語障害から呼吸困難に陥り、最悪の場合は死にます。⚫︎しかし、フグは生まれながらに毒を持っているわけではありません。稚魚の間は無毒です。フグは海底の土を小さな口で吹き飛ばしながら餌を食べますが、この時海底に住んでいる毒を持つ細菌も一緒に食べてしまいます。その毒がフグの体内に蓄積されるのです。したがって、稚魚の時から人工飼料で養殖されたフグには、毒はありません。⚫︎なお、フグ調理師免許は都道府県それぞれの免許であり、全国共通ではありません。そのため免許を取得した都道府県でしか認められないので他県では新たに免許を取り直ししなければなりません。⚫︎ハリセンボン。実際のトゲは370本ほどで、名前で言われる半分もありません。毒はありません。⚫︎なお、ハリセンボンという名前のカニもいます。ちなみに、指切りの際の常套句「嘘ついたら、ハリセンボン飲ーます」は、この魚やカニを頭から丸呑みさせるという意味ではありません。◯みそ汁のアサリの中の小さなカニ(83p)←こんなに書き写していたら、著作権者から苦情が来そうですが、その時は対処しますので、権利者はお知らせください。もうホントに全部書き写したいほど面白いんです!⚫︎アサリのみそ汁を食べている際に、時折貝の中に小さなカニが入っていることがあります。カニの子どもと思ってしまいますが、じつはこれは小さな大人のカニで、カクレガニ科に属するピンノというものです。それもメスです。⚫︎ピンノのメスは、生まれるとすぐに二枚貝の中に入ります。そのあとは一生そとに出ることはありません。貝の中にいることで、敵には見つからないし、貝が吸い込んだプランクトンを横取りできるので、食べるのにも困りません。自分で働く必要もなく、毎日「食べては寝て」の怠惰な生活を満喫(?)しています。怠惰な生活(寄生生活)のため、色素や体表面の石灰質までもが退化してしまい、体は白く甲羅もやわらかくなっています。⚫︎オスはどうしているのかというと、オスの体はメスの1/3ほどの大きさしかなく、開いた貝のわずかなすきまから自由に出入りできます。それでオスは繁殖期になるとその小さな体をフル活用して、手当たり次第に貝を訪問し、引きこもっているメスに出会うと「オー、ベイビー!ずいぶん探したゼェ〜い」と繁殖に励みます。メスは貝の中で卵を産み、卵からかえった幼生は「バイなら」と言い残して(これも既に死語でした)、貝の出水管から外に出ていき、メスはほかの貝に入水管から無断侵入してそのまま居座ってしまいます。⚫︎アサリの中に入っているのはオオシロピンノ、ハマグリの中に入っているのはマルピンノです。シジミの中にもシジミピンノがいることがありますが、きわめて珍しいことです。◯カモメとウミネコ(110p)⚫︎カモメの嘴は全面黄色で、ウミネコは先端に赤と黒の模様があります。尾羽はカモメは全面真っ白ですが、ウミネコの尾羽には黒くて太い帯があります。⚫︎カモメ(鴎)の若鶏には褐色のマダラがあり、これを「籠の目」の模様に見立て「カモメ」と名付けられたとも、あるいは小さい「カモ」のようであることから、ツバメ、スズメと同じ小鳥をあらわす接尾語「メ」を加えて「カモメ」と名付けられたともいわれています。⚫︎ウミネコ(海猫)は「ニャオー、ニャオー」とネコソックリな声で鳴きます。ウミネコは世界中で唯一日本とその周辺地域だけに繁殖している鳥です。⚫︎ユリカモメ(百合鴎)は日本には冬鳥として飛来します。ユリカモメは別名「ミヤコドリ(都鳥)」と呼ばれ、東京都の鳥(都鳥)となっています。しかし、ミヤコドリという別種の鳥がいて、混乱してしまいます。つまり、東京都の鳥(都鳥)は「ミヤコドリ」なのですが、ミヤコドリではなく「ミヤコドリと呼ばれている鳥」というややこしさです。◯以下、まぎらわしい名前の生きもの◯カジカ(130p)⚫︎魚のカジカ(鰍)は、全長12センチほどのハゼに似た魚です。鰍は鱗がないので体表は滑らかです。水の綺麗な砂利ぞこの川にすみ、主にトビケラやカワゲラなどの水中昆虫を食べます。身の閉まった味。北陸地方の伝統的な川魚料理の主役、ゴリがそれです。ちなみに「ゴリ押し」という言葉は、ゴリを取るために川底に網を当てて強引に進む様子から生まれました。カジカというのは、その味が「鹿の肉」のように美味しい=「河の鹿肉」ということに由来します。漢字では「鰍」と書きますが、これは造字で、早春に産卵したあと餌を十分にとって、秋には丸々と太り、秋が旬となることからです。⚫︎カエルの方は一般に「カジカガエル(河鹿蛙)」と表記されます。渓流に住んでおり、体長は5センチほどです。体は緑色を帯びた褐色で暗褐色の斑紋があり、石の上では保護色になっています。日中は川岸の石の下などに潜んでいます。5-7月の繁殖期にオスが岩の上などで「ヒュル、ルルルル‥‥」という美しい声で鳴きます。それが鹿の鳴き声に似てる、河に住む鹿ということから「河鹿」と名付けられました。万葉集にはガエルを詠った歌が十数種類あるとのことですが、その全てがカジカガエルのことを詠っています。▲遂に字数が5500字ほどになった。キリがないし、一種迷惑なので、この辺りで切る。もし、全部読んだ方はご苦労様でした。▲本書はトリビアな情報満載だし、一度読んだらなかなか忘れない書き方なので、初めてのデートや子どもを連れての動物園・水族館などで事前に読んでおけば「パパ!なんでも知ってるんだね!」と目をキラキラさせて尊敬されること必至です。▲Kazuさんの紹介。ありがとうございます♪
2022年02月26日
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「図書館の魔女(3)」高田大介 講談社文庫2022年2月x日、プーチンとウクライナ大統領と日本の◯◯は三者会談を行なっていた。今や世界の火薬庫と化したウクライナ危機を回避するためである。憲法9条を擁し、かつて世界中の平和の権威を持っていた日本は、とんでもない提案をした。それは、ロシア、ウクライナ、西側諸国全てに利益が上がる、三方両得とも言える提案であった。とまぁ、「図書館の魔女(3)」はこんな粗筋である。プーチンが「ニザマ帝」、ウクライナが「アルデイッシュ」であるのはわりとうまく嵌ったと我ながら思うが、流石に日本が「高い塔」のメンバーたちというのはあり得ない(←自国なのに、このように断言できることがちょっと悲しい)。でも、現実の戦争も小説内の戦争も、人・物の消失、物流の停滞からくる狂乱物価、そして将来への禍根しか残さない。なんとか避けてほしい。現代に「図書館の魔女」がありましからば。ここまではおそらく起承転結の「転結」直前、だと思えるので、改めて作品世界の設定について感想を述べたい。舞台は、産業革命も未だ起きていない、西洋と中東、中国を一緒にしたような「世界」。活版印刷は始まったばかりののようだから、図書館に集められる本は文字通り当時の知識の集積場である。その割には、医学や心理学等の知識は近代・現代に近づいている。条約が国の行動を縛る世界というのは、もはや現代国家の姿と言ってもいいかもしれない。キリスト教こそ出てこないが、ソロモン伝説や菩薩信仰、麒麟伝説などは存在する。「海峡地域」は、中心地たる「一ノ谷」を挟んで、現代グローバル世界のような一大貿易商圏をつくっている。その一ノ谷が、図書館の魔女たるマツリカの先代・タイキの代に、手紙(交渉)のみで「遂に起こらなかった第三次同盟市戦争」を実現させた。その権威が、軍事力よりも、産業価値よりも「一ノ谷」という国の存立基盤になっている、という奇跡のような「世界」である。図書館の魔女は、いわば電気やAIのない時代に、世界のシンクタンク兼国連事務総長を兼ねている。いまのところ、作者はウクライナ危機に役立つように世界平和に資する物語を作ろうとしてはいないと思う。それよりも描きたいのはひとえに「図書館の可能性」だろう。「図書館にいったい何ができるのか」ひいては「(ソロモンや文殊菩薩のような)知恵をどのように集めたら、世界をもっとよくしていけるのか」もう、そのためだけの小説だろう。反対に言えば、未来を作るためには、「いま・ここ」だけを見ていてはダメで、古今東西に通じなければいけないよ、というメッセージである。それを10代の若者マツリカとキリヒト、そして20代の大人の女性ハルカゼとキリンに託したのである。
2022年02月21日
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「知りたい会いたい特徴がよくわかるコケ図鑑」藤井久子 家の光協会こんな世界が広がっていたなんて!遂に10倍のルーペを買った。試しに、いつもびっしり苔が生えているなぁと思っていた樹の表面に近づき覗いてみると、今まで見ていた濃緑色の模様がなくなり、一面、花畑のような「朔(さく)」が生えていた。これだと、彼女の名前も知ることができる。たぶん68pにある「ヒナノハイゴケ」だろう。「低地の樹幹で最も普通に見られ、都市部の街路樹にも普通。雌雄同株で胞子散布は主に冬に行う。朔が成熟して帽と蓋が取れると、ルージュを引いたようなくっきりとした赤色の朔の口と朔歯が現れることから「クチベニゴケ」の別名がある」とのこと。またメモとして「胞子は朔の口からモコモコと盛り上がるように出る。その様子は抹茶ソフトクリームのようで面白い」とある。あと1-2週間しか期間がない。見てみたい。続け様に家の苔たちを見てみる。そうすると、全部同じように見えていた緑の苔が、全部違う表情を持っていたことがわかる。それと同時に、苔の観察は「かなり恥ずかしい」ということもわかった。宝石鑑定の要領なのでルーペから目を離したら絶対見えない。ルーペは小さいから傍目には「不審人物」のようにしか見えない。それでも苔観察は、半径数メートル有ればこと足りる。黙って観察せざるを得ないし、コロナ禍では格好の「世界が広がる趣味」ではある。さぁやるぞー、と言ったところで、本の貸借期間が過ぎる。あと2週間借りれない。気に入った図鑑は嵩張るけど買うことに決めた。検索と要覧では、電子よりも紙の方が圧倒的に便利だということもわかった。苔たち、また会いにくるからね。
2022年02月19日
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「図書館の魔女(2)」高田大介 講談社文庫上下巻の上巻後半にあたる本巻、少し安心した。蘊蓄話で終始するかと思いきや、巻末で思いっきりエンタメに振ったのである。ひとつの「会話」から、鮮やかな「展開」が描かれ、畳み掛けるように「危機」が訪れ、それを思いもかけない方法で「回避」する。当然、世の事象を見事に分析することができるのが「高い塔」スタッフなのだから、前半部分で細かく張り巡らされた伏線は、多くは回収される。さて、ここまで読んできても未だ私は、この作品が何を描きたいと思っているのか測りかねている。「いや、普通にわかるでしょ?図書館の魔女が実現する世界の平和しょ」と言われるのを承知で言う。もしそうなのだとすれば、今のところ、権謀術数でしか平和は訪れない、となる。そもそも、この世界は著者の思うようにつくっているのだから、将棋の棋譜を完璧にすることは容易くはないが可能だろう。著者の描きたいのは「世界の平和とは何か」ではない、と今のところ思う。後半に期待したい。
2022年02月19日
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「作りたい女 食べたい女(1-2巻)」ゆざきさかおみ KADOKAWA最初は単なる性役割分担批判のマンガだと思っていた。たくさんご飯を作りたい野本さんが登場する。料理が好きで、SNSで料理欄も設けている。でも「良いお母さん」「良い妻」になるために作っているわけじゃない。「自分のために好きでやってるもんを、全部男のために回収されるの辛い」と感じる野本さんであった。その彼女に、住んでるマンションの隣に月に7-8万もの食費を使わないと食欲が収まらない「食べたい女」がいることが判明する。2人の利害は一致して、「作り、豪快に食べてくれる」生活が始まる。女性同士だけど、美味しく食べてくれる、いろんな思いやりを示してくれる、そんな相手がいる、これがこんなにも嬉しいと野本さんは気がつく。2巻目で、それが「恋心」に発展するのである。まさか、この作品がBLならぬGL(ガールズラブ)の作品とは思わなかった。未だ2巻。未だ野本さんの片思いで、GLは成立していない。果たしてどこまで行くのか。注目したい。「このマンガがすごい」オンナ編第2位。
2022年02月18日
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『海が走るエンドロール』 たらちねジョン(秋田書店) マンガ好き800人が選んだ「このマンガがすごい2022」において、「オンナ編第一位」になった本書を読んでみた。夫と死別した68歳女性が、美大映像科に途中入学して映画を作り始める物語。まだ一巻しか出ていない。私は「このマンガ」や「マンガ大賞」の上位に入った作品はチェックしている。そういう意味では小説と違って流行を追っている。マンガは時間的にそれが可能だからしているので、必ずしも賞をとった作品が総て素晴らしいとは思ってはいない。画は構成から光線の使い方からとても映像的で、若い作家なのに申し分はない。還暦すぎて再出発は、流行りに乗ったのがもしれないし、切実なテーマが立ち上がるのかもしれない。まだ始まったばかりでなんとも言えない。この賞は、ある程度玄人読みする人が選んでいるだけあって、期待値で賞を取らせたのかもしれない。(自分は)「映画を観る側」ではなく「作る側」なのかと気がつく主人公。そういう気持ちは、私はとっても共感する。私のレビューなんて、いつも大抵は「作る側の立場」で書かれている。気がついている人もいるとは思いますが‥‥。まだ始まったばかり。ホントに評価すべきなのは「これから」である。
2022年02月18日
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「ダンダダン」(1)-(3)龍幸伸 ジャンプコミックス「このマンガがすごい」オトコ編第4位。3巻まで一気読み。学園ラブコメ兼、オカルト兼、霊力取り込み変身モノ兼、超能力バトル兼、SF兼‥‥。編集者の作品紹介を借りれば、「怪異とバトルと恋が暴走中」!!基調はラブコメなんだろか?オカルトなんだろか?それを保証する作者の画力は、驚く他はない。冨樫義博と藤田和日郎と吾峠呼世晴を足して三で割ったような、詰め込み方と描き込みとPOPさとスピードを持っている。あとはテキトーに恋と友情と勝利と「」付き努力とセクシー場面が描かれる。「楽しいマンガを見せたい」という気持ちはヒシヒシと感じるものの、弱点は、最終的には何を描きたいのか、全然見えてこないこと。むしろ、ダリのようなシュルリアリスムな世界を狙っているのだと言われた方がスッキリするけど。そんな難しいことは全く考えていないっぽい。むしろ、若い人からは「そんな難しく考えなくて、良いんじゃね?楽しければ、良いんじゃね?」と言われそうだ。‥‥マンガって、むかしからそんなモンだろ?うーむ、上手く言えないけど、そんな作者は直ぐに飽きられると思うんだ。
2022年02月18日
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「このマンガがすごい!2022 決定今年のベスト10」宝島社今回、ネットカフェで集中して読書した。上位に入ったオトコ編4位、オンナ編1位、2位をチェックした。私は加藤周一の指摘を守って、文学は流行を追わないことにしている。人生は短く人生で読める本の数は限られているからである。よって、本屋大賞を流行世界の窓としている。ただし、マンガはもう少し間口を広げている。小説よりも速く読めるからである。「このマンガがすごい」賞は、マンガの直木賞というべき、玄人読みが選ぶマンガの大衆賞と、私は位置付けている。直木賞と同じように、此処に選ばれているからといって、私がその年のマンガ作品ベストだと思っているわけではない。証拠に「進撃の巨人」最終巻などはオトコ編16位になっている。私は昨年出たマンガの中でベスト5に入る作だと思っていた。「きのう何食べた?」「ゴールデンカムイ」はノミネートから外れた。どうやらこの賞は、新しい方向性を打ち出したマンガに敏感に反応するようだ。『チ。-地球の運動について-』については、今回一通り読んだのだけど、まとめる時間がなかった。かなりの力作ではあるが、またの機会にレビューしたい。「ルックバック」「怪獣8号」「女の園の星」は既に評している。もっとも、マンガの良いところは「多様性」にあるわけだから、私の意見も「多様性」のひとつに過ぎない。それぞれの1位の作者には、スペシャルインタビュー記事が載っている。それは滅多にない作者の生の声なので、貴重だろう。「ルックバック」(昨年12月にレビューした)の藤本タツキは、主人公2人のうち、藤野の方は自分がモデルだと認めていた。アシスタント時代の龍幸伸(「ダンダダン」)の絵もあるそうだ。「海が走るエンドロール」のたらちねジョンは、編集者主導のテーマ決定だった。以下参考までに、今年のオトコ、オンナ上位10人までをメモする。オトコ編★ 第1位 ★ 『ルックバック』 藤本タツキ(集英社) ★ 第2位 ★ 『チ。-地球の運動について-』 魚豊(小学館) ★ 第3位 ★ 『怪獣8号』 松本直也(集英社) ★ 第4位 ★『ダンダダン』龍幸伸(集英社) ★ 第5位 ★『東京ヒゴロ』松本大洋(小学館) ★ 第6位 ★『葬送のフリーレン』山田鐘人(作)アベツカサ(画)(小学館) ★ 第7位 ★『【推しの子】』赤坂アカ×横槍メンゴ(集英社) ★ 第8位 ★『トリリオンゲーム』稲垣理一郎(作)池上遼一(画)(小学館)★ 第9位 ★『ペリリュー 楽園のゲルニカ』武田一義(著)平塚柾緒(太平洋戦争研究会)(協)(白泉社) ★ 第10位 ★『ダーウィン事変』うめざわしゅん(講談社) (オンナ編)★ 第1位 ★ 『海が走るエンドロール』 たらちねジョン(秋田書店) ★ 第2位 ★ 『作りたい女と食べたい女』 ゆざきさかおみ(KADOKAWA) ★ 第3位 ★ 『大奥』 よしながふみ(白泉社) ★ 第4位 ★『うるわしの宵の月』やまもり三香(講談社) ★ 第5位 ★『女の園の星』和山やま(祥伝社) ★ 第6位 ★『ブランクスペース』熊倉献(ヒーローズ) ★ 第7位 ★『かげきしょうじょ!!』斉木久美子(白泉社) ★ 第8位 ★『しあわせは食べて寝て待て』水凪トリ(秋田書店) ★ 第9位 ★『ブランチライン』池辺葵(祥伝社) ★ 第10位 ★『ミステリと言う勿れ』田村由美(小学館)
2022年02月18日
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「図書館の魔女(1)」高田大介 講談社文庫「図書館こそ世界なんだよ」という図書館の魔女こと10代の少女マツリカと、その司書兼通訳兼秘書たる3人の若者が世界と対峙する、というお話なのかな。始まったばかりなのでよくわからない。この作品を多くの人はファンタジーという。私がファンタジーに求める条件は2つ。物語の始めから既に世界は作り込まれ、出来上がっていること。究極の問いが発せられ、作者が作った世界内だからこそ、鮮やかな解決で終わること。細かな描写は、かなりこなれていて存在感がある。食べ物や地下水道など。でもそれらは、中世から近代にかけたヨーロッパの文献から拾ってきたもののように感じられ、世界を作ったという感じかまだしない。お約束の「架空の地図」が提示されているが、「風の谷のナウシカ」や「守り人シリーズ」を想起するような地政で、まだ「おゝ」というような作り込みを感じられない。むしろ、ナウシカの「火の7日間戦争」が起きる前の世界のような気さえする。だとしたら興奮する(王蟲を作り出した知恵が図書館から発したのだとしたら‥‥)のだが、その段階まで至るにはこの時代から少なくとも数百年は必要なので関係はない。究極の問いは未だ発せられていない。よく考えたら、上下巻の未だ上の半分を読んだだけなのだ。もう少し読んでいこうと思う。
2022年02月12日
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「泣くな研修医」中山祐次郎 幻冬舎文庫私の父親の膵癌の大手術。とても大きな手術の担当医を務めてくれた先生は、たとえ研修医だったとはいえ決して忘れることはない(名前は忘れた。そもそも普通の若手医師だった)。淡々とした術式の説明をしたエライお医者さんの顔は思い出さないけど、病室に毎日顔を出してくれる若い先生の方を覚えるのが人情というものだ。手術の後に、若い先生は取り出した癌の塊を「希望するなら見せてあげる」と言った。行った部屋のなんと雑然としていたことか。奥の方に黒いソファーを置いてあるのを私は見逃さなかった。術後の1週間は私も父親の病室に泊まり込んだ(布団を借りてベッド傍に敷いた)。夜の8時ごろ少し顔を覗かせて、次の日朝7時ごろ顔を覗かせていた担当医。先生は無精髭を生やして、絶対あの部屋で寝泊まりしているんだと思った。「新・神様のカルテ」で知ったし、この本でも書いているのだが、そんな過労死レベルの長時間労働の研修医の給料が手取り20万円ほどだというのは、その当時は知らなかった。‥‥というのは、患者家族の側から見た研修医の姿。研修医の側から見ると、全く違った景色が見える。専門用語と俗称(スラング)が飛び交う、小さなミスが生命の分かれ道になる緊張感あふれる世界である。どんな仕事でも、はたからは全くわからない専門性と技術の習得が新人の最大の仕事であり試練である。数秒ごとに刻々と変わってゆく現象の意味を、何万という知識の中から瞬時に選び取り最善の処置をしてゆく。人間とはなんと高度な行為を重ねてゆくのだろうか。著書は現役医師。しかも解説者によるとかなり志の高いお医者様だったようだ。とてもわかりやすくエンタメ性の高い小説。天野隆治くんの成長を定期的に小説で覗いていこうと思う。
2022年02月12日
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「新・水滸後伝(下)」田中芳樹 講談社文庫田中版「水滸後伝」の後編である。よくもまぁ2巻にまとめたなぁと思えるほどの怒涛の展開ではある。上巻では、「水滸伝」生き残りの32傑が次第と再結集し、李俊や楽和、童威、童猛たちが(現在の)上海東海にある架空の島国・金ゴウ島の主になるまでを描いた。下巻では、遂に李俊が金ゴウ島隣の王国・暹羅(せんら)本島の王様になってしまう。妖術入り乱れてさまざまな戦いの後、32傑は武松を除いて一堂に集まり、新しい義兄弟4名、他に義を結んだ者4名、義兄弟たちの息子4名が集まって物語が終わる。清代の陳忱(ちんしん)が原作を書いたのは、ひたすら悔しかったからだろう、と腹落ちした。水滸伝108星の好漢たちの終わりがアレでよかったのか?弱きを扶け強きを挫く。それが発展して宋軍をも打ち負かす梁山泊になったのに、天命に支配された宋江の命令とは言え、あっという間に宋王朝に「帰順」し、主要星76人を失ってしまった。あの魯智深が、林冲が、秦明が、李逵が、九紋龍史進が、こんな終わり方で良かったのか!!本来なら彼らは理想の国を作りたかった筈だ。歴史は変えられない?そんなことはない。私に任せなさい。ようわからんが、海の東の彼方には幾つか王国があるらしい。台湾とか琉球とか、そんな名前使わんかったらいいんやろ?中華思想かも知れへんが、そこなら梁山泊残党でも充分支配できるやろ。彼らの夢はそこで叶えたらいいねん(←何故かだんだん関西弁に)。と、陳忱は思ったに違いない。その証拠に、今度は仲間は増えこそすれ、1人たりとも減らなかった。水滸伝で心残りだった、宋王朝への「礼」は燕青が叶え、憎き宦官や童貫などの宋軍の「腐った輩」は、きっちり落し前をつけ、案外いい人たちの聞煥章、何故かピンピンしている王進、扈成たちが重要な味方になってしまう。なんでもあり。パラレルワールド!ともかくハッピーエンド!田中芳樹は、ホントは「後伝」をひたすら編集者に読ませることで、講談社に普及版を刊行させたかっただけらしい。それがいつの間にか自分で描くことになった、と後書きでボヤいている。もっとも、楽しそうに描いているので、それはそれでいいのかも。扈成が言う。「この国はまだまだ豊かになれるよ。宋、高麗(韓国)、占城(ベトナム)、日本、天竺(インド)‥‥これらの国々のちょうど真ん中にあるから、貿易の中心地になれる。漁場も豊かだし、島の奥地は黄金が産出するし、森には香木がぎっしり生えている」()内は私の注。(198p)こういう書き方は、田中芳樹の分析なのだろうけど、実際台湾や琉球が、戦争に巻き込まれなかったら、豊かな独立国になっていたと私は思うのである。因みに、暹羅国の南側にいっとき李陵たちと敵対する三つの小さな島(と言っても五千人の軍隊を出す人口はあるのだが)がある。その一つが釣魚島という。ゲ、これは尖閣諸島の日本名魚釣島のことじゃないか!やはり清代から中国は魚釣島を占拠していたのか?と思ってはいけない。先ず位置関係が全く違う。しかもホントの魚釣島は数千人が生活できる島ではない。多くて数十人でいっぱいになる島なのである。清代に島の実態を全く知らなかったことが、これでかえって証明できるだろう。結局三島は李俊の王国と平和友好条約を結んでいる。
2022年02月12日
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「顔の考古学」設楽博己 吉川弘文館※一度「パレオマニアの吉備国遺物の旅」で扱ったテーマではあるが、加筆訂正してもう一度出す。出来あることならば、専門家の意見を聞いてみたいほどの考察になったと自負している。「池澤夏樹の旅地図」を読んだときに「パレオマニア」の取材方法を知った。少しそれを真似て、一つの遺物をめぐる小さな旅をした。よって、本書の感想は一部のみ。久しぶりに古代吉備文化財センター(岡山市北区花尻1325-3)に行った。センターは吉備の中山の中腹にある。吉備の中山は、様々な古墳や弥生時代の磐座(いわくら)がある聖なる山だ。だからか、此処には神社で1番格式の高い一ノ宮も、日本で唯一ひと山に2ヶ所もある(吉備津神社、吉備津彦神社)し、新興宗教黒住教の総本山も此処にある。何度も来ているので、選ぶ遺物の目処はついている。当然弥生時代。一つ選んで、それが出土した場所に行き、感じたことを書くのが「パレオマニア」のやり方だった。選んだのは、吉備の国発祥で謎の多い「分銅型土製品」である。名前の由来は、江戸時代に使われた秤の重りに似ているためであり、分銅として使われたわけではない。これまでに中国・四国・近畿・北陸・九州から900点あまり出土して、そのうち4割が岡山県出土となっている。私の一番好きなのは、最も最近(弥生時代後期)に作られた、ほとんど縄文時代の土偶のような「顔」のついた土の板だ。くびれがついた小判型。岡山市加茂政所(かもまんどころ)遺跡出土。上半分に表情のみの顔がつく。もうどう見ても、赤ちゃんの顔に見える。しかし、これを赤ちゃんの顔だという研究者はあまりいない。これは「顔」であるということでは意見は一致している。しかし、目が左右対称では無いことなど、つまらない所に注目している。「微笑んでいる」様に見えるのは、「のちに埴輪にも見受けられる『魔除けの効果』」〈辟邪〉を狙ったのだという見方もある。ひとつ発見したのは、普通壊れた形で出てくるのが多いのに、これは完成形で出土したのである。近くから出土したほかの顔付き土製品(時代区分はほんの少しだけ赤ちゃん顔よりも古い)が無表情で、しかも壊れた形で出てきたのと何故か違う。分銅型土製品は、壊れた形で出てくることの方が「正常」なのである。真ん中のくびれで、二つに割れて出てくることが多い。また、まとまって出てくることはなく、住居跡から出土する。500年前のそれは顔さえなくて、抽象的な模様のついた分銅型土製品だった。なんらかの家ごとの宗教行為があったのに違いないと、私も思う。また、私の好きな赤ちゃん顔の土製品は、下がむしろ大きく、ホントの分銅型をしていて、いわゆる普通の分銅型土製品とは違うという指摘もある。弥生時代後期の最終時期の土器として何の意味があるのだろうか?現在の研究では、子どもの枕元に置く魔除けではなく、上に飾り物を刺せる穴もあり、左右に通し穴もあることから、額につけて面のように使ったのでは無いか?という説もある様だ。赤ちゃん顔の土製品にも左右の穴はあったが、飾り物の穴はなかった。また、思ったよりも鼻は高くて、ちゃんと鼻の穴は二つある。くびれは小さい。よって最初から壊さないことを前提にして作ったということだろう。だとしたら、壊して魔物を他所に持っていく効果とは違う祭祀に変化したということだろう。しかし額には付けたのかもしれない。ときは弥生時代後期の中頃(AD150年ごろ?)。ここで何が起きたのか。か^_^目的により、肝心なことは聞かない。資料の場所と出土場所のみ教えてもらった。発掘報告書は売り切れていて無かったが、その場でデジタルで見えるようになっていたので読ませてもらった。出土場所に行ってみた。場所は、文化財センターから吉備津神社に降りて、180号線を西進し、山陽自動車道と交わるところである。その工事中に発見された遺跡なので、今は高速道路の下になっている。東側はすぐ緩やかな、ちょっと見、神南備山(かむなびやま)に近い形の山が迫り、北も山が近くにある。西は足守川がながれ、南にはほとんど小森にしか見えないが、楯築(たてつき)遺跡の小山が見える。弥生時代最大級の墳丘墓にして、最も謎に満ちた弥生の王墓である。元気な子供が走れば30分ぐらいの距離と見た。吉備国中枢祭祀場から生活圏にある、津寺遺跡と併せてこの辺りは、まさしく吉備国の中央地区だった気がする。常に楯築の山を見ながらの生活だったのだ。さて、やっと「顔の考古学 異形の精神史」(設楽博己・吉川弘文館)で言及されている分銅型土製品について述べる。少ししか書いていないので、全面的な考察ではないが、とりあえず最新研究は見ているようだ。土製品はずっと縄文時代と関係ないと言われてきたが、近畿の縄文時代晩期終末の長原式土偶が、近畿姫路市丁・柳ヶ瀬遺跡あるいは総社市真壁遺跡の前期土製品に繋がるのではないか?という研究を紹介している。これにより、縄文土偶が分銅型土製品につながる道が見えてきた。設楽さんは、特に土製品の「顔」の「笑い」の意味について、私と(少し違うが)似ている意見を持っていた。つまり、魔除けの効果(辟邪)を狙ったものではないとする意見である。何故ならば(1)顔があまりにも穏やかで微笑ましい。(2)魔除けの鯨面絵画資料が墓から出るのに対して、土製品は墓からでない。設楽さんは「女性をかたどり、柔和な笑顔をたたえている」「おそらくは出産にかかわる護符のような機能」を持っているのではないか?と考えを述べる。それを補強するもうひとつの要因として、土製品の顔には、一切鯨面(刺青)の表現がない。ナント!赤ちゃん土製品の出た加茂政所遺跡の数百メートル西の津寺遺跡の、しかも弥生時代後期から鯨面線刻土偶が出土しているのである(←知らなかった)。「入れ墨は男子の習慣」だと書いたは魏志倭人伝である。設楽さんは土製品を「女性」だと言うが、私は少なくとも、最終末期に作られた赤ちゃん土製品は「赤ちゃん」だったと思う。赤ちゃんにも入れ墨はもちろんないからだ。赤ちゃんだという根拠は、赤ちゃんの顔だからである。あどけない寝顔のような顔にしか見えないからである。だから、出産の時にも効果を発揮しているかもしれないが、それ以外の時にも効果があるかもしれないのである。私は、やはり、子供を助けるための祭祀だったと思う。同時に子供が助ける祭祀だったのかも知れない。赤ちゃんは眠っている。夢を見ている。幸せな夢を見ている。安心しきっている。これまでも、これからも、病気も飢えも争いも憎しみもない空間が、この赤ちゃん土製品の周りにはあり、それを保証するだろう。集落で行われた豊作を祈る祭り(青銅器祭祀)が下火になるにつれて分銅型土製品も姿を消していった。家々での出土だったことを考えると、村の祭りを司る力は低下して、楯築の王の王国の強力な呪術の力が、人々の生活を守る様になっていったのかもしれない。150-180年に、この赤ちゃん土製品を使って家々で行われた或る秘儀の継承は必要なくなっていったのかもしれない。楯築王墓の儀式の成功の時、赤ちゃん土製品は、まるで家の御守りのように大事に家の隅に祀られていただろう。それは同時に全く新しい時代の曙光を意味する。弥生時代が終わろうとしていた。
2022年02月04日
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「学問のすゝめ」福沢諭吉 佐藤きむ訳 角川ビギナーズチコちゃんは聞きます。「学問のすゝめ」は何を書いている?「学問のすゝめ?知ってるよ。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、というヤツでしょ?明治の四民平等を広めた人だよね」そんな風にドヤ顔で答えてくる一般人のなんと多いことか。ボヤーっと生きてるんじゃねーよ!その人に聞きます。「貴方は学問のすゝめを最初から最後まで読んだことがありますか?」おそらくほとんどの人は読んでいない。私も、大学のゼミで、半年かけて読むまでは、福沢は四民平等を訴え、自由民権運動を理論面から支えた人だと思っていた。ところが、最後まで読むと福沢は自由民権運動にほとんど関心を持っていないことがわかる。何故こんなことになったのか?理由はある。福沢諭吉は、話しこどばで学術書を書いた先駆けであり、本書は明治のベストセラーになったので、簡単に読めるとみんな勘違いしているのだ。いざ紐解くと、かなり高度で幅広い問題を論じているので、ほとんどの人が途中で挫折するのである。或いは最初だけ読んで理解した気になっている。それは「読んだ」とは言わない。「四民平等」の「権理」(権利)を述べたのは、ほぼ最初のみ。そのあと、「自由」と「わがまま」の違い、や「政府が産業を起こすべきか」「民間が産業を起こすべきか」とか、国民はこれから「実業」を学ぶべきだとか、「人と人との付き合い」は「国と国との付き合い」につながるし、「一身独立」してこそ「一国独立」する、というような、現代でも「意見の分かれる事案」ではあるが「重要なこと」をつらつら、ほぼ4年間(1872-76)かけて書いている。全17巻の啓蒙書集である。明治時代初めてのベストセラーだった。一巻20万部も発行された。全て合わされば340万部も国内に出回ったという。当時の出版事情、識字率を考えれば、ものすごい影響力を持っていたとは言えよう。結果的に明治時代のブルジョワ資本主義を理論面から支えたのかもしれない。その方向が正しいのかどうか、そもそも日本は福沢の思った方向に行ったのか、その辺りを検証しようとすると、物凄く難しい学術書にならざるを得ない。福沢は「もし、国民が全員学問に志して物事の道理を知り、文明の風潮に進むならば、政府の法もいっそう寛大で情け深いものとなるでしょう。法が過酷になるか寛大になるかは、国民の品性によってどちらかの傾向が強まるのです」(佐藤訳)という。だから富国強兵は、福沢の当然の帰結であったし、イギリスの属国に成り下がったインドなどは絶対避けたい国の姿でした。この方向に、第二次世界大戦の日本の悲劇があると思っている私には、やはり漢文調の本を書き続けていた中江兆民の「小国主義」を対置してしまう。「学問のすゝめ」は何を書いている?一言では表せない、明治時代初めての国のグランドデザインを書いていた。チコちゃんは聞きます。「学問のすゝめ」は何を書いている?「学問のすゝめ?知ってるよ。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、というヤツでしょ?明治の四民平等を広めた人だよね」そんな風にドヤ顔で答えてくる一般人のなんと多いことか。ボヤーっと生きてるんじゃねーよ!その人に聞きます。「貴方は学問のすゝめを最初から最後まで読んだことがありますか?」おそらくほとんどの人は読んでいない。私も、大学のゼミで、半年かけて読むまでは、福沢は四民平等を訴え、自由民権運動を理論面から支えた人だと思っていた。ところが、最後まで読むと福沢は自由民権運動にほとんど関心を持っていないことがわかる。何故こんなことになったのか?理由はある。福沢諭吉は、話しこどばで学術書を書いた先駆けであり、本書は明治のベストセラーになったので、簡単に読めるとみんな勘違いしているのだ。いざ紐解くと、かなり高度で幅広い問題を論じているので、ほとんどの人が途中で挫折するのである。或いは最初だけ読んで理解した気になっている。それは「読んだ」とは言わない。「四民平等」の「権理」(権利)を述べたのは、ほぼ最初のみ。そのあと、「自由」と「わがまま」の違い、や「政府が産業を起こすべきか」「民間が産業を起こすべきか」とか、国民はこれから「実業」を学ぶべきだとか、「人と人との付き合い」は「国と国との付き合い」につながるし、「一身独立」してこそ「一国独立」する、というような、現代でも「意見の分かれる事案」ではあるが「重要なこと」をつらつら、ほぼ4年間(1872-76)かけて書いている。全17巻の啓蒙書集である。明治時代初めてのベストセラーだった。一巻20万部も発行された。全て合わされば340万部も国内に出回ったという。当時の出版事情、識字率を考えれば、ものすごい影響力を持っていたとは言えよう。結果的に明治時代のブルジョワ資本主義を理論面から支えたのかもしれない。その方向が正しいのかどうか、そもそも日本は福沢の思った方向に行ったのか、その辺りを検証しようとすると、物凄く難しい学術書にならざるを得ない。福沢は「もし、国民が全員学問に志して物事の道理を知り、文明の風潮に進むならば、政府の法もいっそう寛大で情け深いものとなるでしょう。法が過酷になるか寛大になるかは、国民の品性によってどちらかの傾向が強まるのです」(佐藤訳)という。だから富国強兵は、福沢の当然の帰結であったし、イギリスの属国に成り下がったインドなどは絶対避けたい国の姿でした。この方向に、第二次世界大戦の日本の悲劇があると思っている私には、やはり漢文調の本を書き続けていた中江兆民の「小国主義」を対置してしまう。「学問のすゝめ」は何を書いている?一言では表せない、明治時代初めての国のグランドデザインを書いていた。
2022年02月03日
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