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カテゴリ: 本作り
電話を切る直前までをアップします。


《一本の電話》 

 2003年4月のある日の昼下がり。私は仕事場にいた。宮崎県三股町の公文式の教室。学校の通学路に面している私の教室では、下校する子どもたちの声が教室の始まりを知らせる合図。学校帰りに教室に駆け込む生徒がたいてい一番乗りだからだ。しかしまだ静かな表通り。生徒たちが学習のために入室するには、あと小一時間ほどあるかもしれない。私はもう一人のスタッフと共に、今日の学習の準備をしていた。教材棚の前で一人一人の教材をセッティングしていく作業。

 春といっても九州南部の4月は、もう初夏。ふつうに事務仕事をしていても汗ばむほどだ。でも冷房するには少し早い。窓を開けているだけで充分に心地よい。時折、爽やかな風が机の上を撫でていった。小さい幼児さんも高校生も一緒に机を並べて学習する公文の教室は、完全な個人別プログラム学習。ひとりひとりに合わせた教材準備が命でもある。私はこの地で、この仕事を二十年近く続けてきた。傍目には手馴れた作業に見えるかもしれない。が、非常に神経を使う仕事である。

 南側の窓に掛けたカーテンの隙間から、急に強い光線が差し込んできた。
「眩しい」
顔を上げた。その時、一本の電話が入った。三股町社会福祉協議会(社協)に勤務している堂領さんからだった。彼女は十数年来の友人でもある。いつも単刀直入に切り出してくる彼女。
「ねえ。相談があるの。知的障害者に歌の指導をしてくれる人を探しているの」

「あのね。これって母親からの相談なの。娘さんが今、養護学校高等部の3年生なの。来年は卒業でしょ。卒業したら作業所とかへ行くじゃない。でもそれって仕事よね。母親が言うには、他の兄弟たちは仕事の他に習い事や楽しみがあるけれど、知的障害があるこの子は歌が好きでも習いにいくところがない。」

 確かにそうだろう。この地域にはたくさんのコーラスやバンドがある。だが、どのグループにも個性がある。美しく声をそろえたり、ハモったり、元気なパフォーマンスをしたり。一応のまとまりがあるところへ知的障害者が入っていくのは、どうなのだろう。障害の程度にもよると思うが、受け入れる方も、また入っていく側にとっても厳しいものがあるだろう。親はなおさら気を遣う。
「カラオケマイクで歌を練習していくうちに言葉も出るようになったくらいだから、好きなことをするってすごいことだと思う、だから歌う楽しみをずっと続けさせてあげたいって言うのよ。誰かいないかなあ、一緒に歌ってくれるだけでもいいのよ」
彼女の話を聞きながら、つい2ヶ月程前のことを思い出していた。

 2月の寒い日曜日だった。いつ建てられたのだろうか、古い社協の建物。その二階の和室に彼女に誘われて訪れたのだった。彼女は社協に勤務するずっと前からボランティア活動をしていた。それぞれの活動で常に中心的な存在。企画力と行動力に長けた人である。その人が社協に入った。機動力が買われての抜擢だろうと私は推測していた。ボランティアを必要としている人と何か役に立ちたいという人の橋渡しとしての役割を、社協が本格的にしていこうとしている。ボランティア・コーディネーターとして動き始めた彼女がとても眩しく感じられた。私がこの日行くことで何か彼女の役に立てば、くらいの気持ちだった。

 広い部屋に円筒形のストーブが一つ、ポカポカしていた。そこには高校生や主婦が十数人集まっていた。みんなボランティアをしている人、もしくはこれからやりたいと思っている人たちらしい。何せ、今日はこれからボランティア活動を立ち上げるための発足会なのだから。
「それでは始めましょうか。わたしの言うとおりに動いてください」
彼女のリードでゲームが始まった。初めて会う面々だったが堅苦しい場面はなかった。古い陰気な部屋なのに、なぜか明るい。進行が斬新で楽しいものだったからだろう。笑い声が響いた。ゲームをしているうちに、互いに自己アピールをし合っていた。よくありがちな自己紹介らしきものはなかったのに、時が進むにつれて、メンバーのことがわかってきた。驚いた。こんなにうまくコミュニケーションをとる方法があるとは。

「なぜ私に」
その言葉を私はぐっと飲み込んだ。あの日、会も終わりに近づき、終始ゲーム感覚で進んだ気軽さも手伝ったのだろう。最後にはボランティア登録をしていた。
「自分が得意なこと、できることで役に立てば。例えば音楽」


 堂領さんと初めて会ったのは、三股町の「ぶどうの会」という本の読み聞かせグループだ。もともとは、子どもを読書好きにすることを目的とした母親の読書会だった。立ち上げのメンバーの中に私がいた。読書の大切さや楽しさを学習したり、啓蒙したりする活動から始まった。今でこそ、読み聞かせはそれぞれの地域で盛んに行なわれている。学校や幼稚園へ母親が交代で読み聞かせのボランティアに行くこともシステム化している。だが発足当時、町内にそのような活動はなかった。堂領さんは三年めに活動メンバーとなった。彼女が入ってから会報を作成したり、幼稚園児を招待しての読み聞かせや人形劇、公民館で小さい幼児への読み聞かせの活動が始まった。まさに動く会へと発展したのだ。彼女が関われば、きっとうまくいく。そう思った。

 堂領さんの話は続いた。
「母親は、知的障害のある娘さんを小さいころから外へ連れ出して、人に会うのがあなたの仕事よ、と言い続けてきたそうよ」
その話。どこかで聞いた。
「あなたも知っていると思うけど、ほらあの時」

そのボランティア発足会に出席していた娘さんとお母さん。あの日の母娘を思い出した。はきはきと明るいお母さんと、輪をかけて場を明るくするお嬢さん。この親子は会が中盤を過ぎてから登場した。
「こんなに遅くなっちゃって、ごめんなさ~い」
大きな声で挨拶をする二人。笑いがまた広がる。気後れすることなく、すぐ打ち解けていく二人の強烈なキャラクターに羨ましささえ感じた。その場に来ている初対面の高校生たちにもどんどん話しかけ、笑いあい、確かそんな内容の話をしていた。
「人に会うのがあなたの仕事よって、ずっと一緒に連れて歩いている」って。

「そうなの。朝倉さんていう人。すごいよね。子どもに障害があると、昔は隠したり、外へ出さなかったっていうじゃない。今もそういうことがあるのよ。でも、朝倉さんはその逆。どんどん出していこうって考え。だって隠していたら、親が死んだ後、その子は生きていくのに困るでしょ」

 私は少なからず障害者に関して知識があった。大学時代に障害児教育を専攻していたからだ。それなのに障害児教育に携わることはなかった。障害者のために何か運動を起こしたこともない。公文の教室を始めた時、公文式教育が障害児の教育に大変効果があることに興味を持った。だが実際に、障害児が私の教室を訪れることはあまりなかった。過去に2事例あるが、いずれも雷が原因で来なくなってしまった。長く深く関わることはなかった。昨年京都から転入した自閉症の男の子を受け入れ、やっと拙い指導が始まったばかり。何もしてこなかった自分にどうしても後ろめたさを抱いてしまう。後ろめたいことはだれだって話したがらない。だから堂領さんは私が障害児の教育を学んだことなど全く知らない。だが、天はお見通しだ。こうやって話が私のところへ来た。しかも、どんぴしゃり、一番に私のもとに。

「習いたい人はその娘さん一人なの」
と私は尋ねた。
「そう。今のところはね。でも誰か教えてくれる人が見つかったら、朝倉さんは他に習いたい人を探していくと思うわ」
「何人か集まるわけね」
グループの立ち上げだ。堂領さんの敷いたレールの上に私はいる。あの日、登録用紙に書き込みながら考えていた。「登録するだけはしよう。でも今は無理。山ほどもある仕事や趣味を整理しなければ、ボランティアなんてできるはずはない」と。まさかこんなにも早くその機会がやってくるなんて、予想もしていなかった。

「来年には養護学校も終わり、家と作業所との往復。作業所以外、社会に出る機会がなくなってしまう」
彼女は私にそれをどうしてくれと言っているのではない。単に相談するという形である。だが、私がするか、適任者を探すか。私はそのどちらかを選ぶ羽目になったのだ。
「来年を待っていたら遅い。今年中に準備をしてボランティアグループを立ち上げなくては。来年からはきちんと活動できるようにしたい。誰か紹介して欲しい」
堂領さんは次第に熱っぽくなり、きびきびとした口調に変わった。来年ではなぜ遅いのか、真意を訊くのも野暮な気がした。仕事の領域を越えた思いが伝わってきたからだ。
「いつまでなの」
こう訊くだけが精一杯だった。
「なるべく早く」
と予想通りの答え。訊かなければよかったと一瞬思った。





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最終更新日  2006年01月20日 01時29分41秒
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