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今日知ったのですが、NHKの新年度教育番組として、道徳の番組をするらしい。(というか、もうしてるらしい。)で、なんでこれがわざわざ記事にするに値するかというと、これがドキュメント番組なんだそうです。つまり、人形劇とかドラマとかの今までのやり方ではなく、(具体的にいうと「さわやか3組」などの系統ではなく)真実、本当にあったことを、道徳の教材としてつかいやすいように、テーマとしてまとめて見せてくれるんだそうな。実はこれ、一見の価値アリとふんでいます。(まだ見てないけど)「プロジェクトX」にちょっと近いかもしれません。一般に「道徳」では「お話資料」をもとに当たり前だったりよく知っていることについてあらためて学習したりすることも多かったのだけれど、「現実、真実」をもとに学習するスタイルも近年増えてきたような気がします。(たとえば、1枚の写真だったり、グラフだったり、現在活躍中のスポーツ選手の話題だったり、ちょっと前にあったオリンピックの話題だったり・・・)NHKの番組ホームページを見ると、 新しいタイプの道徳番組『道徳ドキュメント』、 春のテレビクラブで一挙放送!! だそうです。授業で使ってもらうために、まとめて先に放送して、ビデオに録ったものを授業で使えるようにしているのだとか。分類は大きく3つに分かれています。 …(1) …(2) …(3) かなり興味がある番組です。http://www.nhk.or.jp/school/tokusyu/01.html
2006.03.31
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月~水と東京に行っていました。教員用のセミナー、授業研究会に出たり、東京の名所をまわったりしました。それぞれ東京でしかできない経験ができてとってもいい旅行になりました。そんななかで、勉強してきたことを書きたいと思います。月曜の「授業づくりネットワーク」で赤坂先生が言われていたことです。○目的論に立とう「人間の行動には目的がある」というのは、アドラー心理学の考え方だそうです。原因をつきつめていく考え方よりも、子どもの問題行動に対応する面では、「気を引きたい」だとか、「新しい先生はどれくらいまでなら許してくれるか試す」だとか、その行動の目的を考えて対応したほうがいい場合が多いとか。そして、その対応で第一に気をつけたいことは○感情的な対応をしないことこれは、今までの経験の中で失敗を積み重ねる中から私も同じことを思っていたのですが、講師の先生が「感情も報酬になる」ということを言われていて、非常に「なるほど」と思いました。それが端的だったのは、「同情はいけない」「共感しなさい」といったあたり。子どもの感情にも目的があり、たとえば泣いているからといって同情するといった感情的対応をおこなった場合、「先生は泣けば味方になってくれる」ということを学習させてしまいます。そうではなく、子どもの感情はどういったところからでているのか、「不安なのかな」と推測し、感情的ならずに「不安なの?」と返すなど、相手の感情を反映する聞き方をすることでおちついて対応できるということでした。○感情を出すのではなく、感情を語る「私はこう思う、こんな気持ちだ」ということを、感情的にならずにしっかりと相手に伝えることもとても有効な手段です。こういったセミナーは、授業のやり方うんぬんよりも大事な側面があるので、今後も受けてみたいですね。
2006.03.30
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いよいよ今年度も終わろうとしています。今年は、初任でもった子が卒業するのでそのときの学級通信を見返したり、去年のことを思い出すために去年の学級通信を見返したりしました。やはり、最後の学級通信は思い出深いものがあります。1年を総括したことが書いてあるので、保存版ですね。そんなわけで、今日は去年の最後の学級通信の文面をご紹介。今年はまだ書いてないので、早く書かなくちゃ(^^;)☆~~~~~~~~~~~~~~~平成16年度 2年2組学級通信 No. 39(サンキュー!号) 兼 最終号1年間ありがとうございました!もう終わったはずなのに、なんだかまだもう一学期あるような、2年2組の子どもたちとまた笑顔で授業ができるような、そんな気がしております。はじめてS小学校に来て、こんなすばらしい子どもたちに囲まれて、たいへんしあわせな日々を送ることができました。怒ることもたくさんありましたが、にぎやかなわらいにつつまれた、大変明るい学級でした。最後風邪でたおれたために予定していた終わりのイベントの数々ができませんでしたが、これまでの思い出をむねに、また新しい1年へとステップアップしてほしいと思います。保護者の皆様、いろいろといたらないことが多い担任でしたが、1年間ご支援・ご協力いただきまして、本当にありがとうございました。感謝の会にも全てのご家庭の方に来ていただき、大変ありがたいことだと感激しました。最後に、子どもたちに実施した「2年2組の楽しかったこと」ランキングを教科別にふりかえりながら、この1年の思い出にひたりたいと思います。なお、私からのささやかなプレゼントとして、クラスの記念CD(「CD-R」が再生できる普通のCDプレイヤーで聴くことができます)をお配りします。お子さんと一緒に、ご家族で耳を傾けていただければ幸いです。録音状況がどうしても万全でない部分があり、特にお聞き苦しい部分もあるかと存じますが、どうかご容赦ください。(再生不能の場合はおとりかえしますので、遠慮なくご連絡ください。感謝の会のマイクはかざりでしたが、そのかざりのマイクの下に、実は「本物」のマイクがかくしてあったのをごぞんじでしょうか?「クラスの歌」を学級オリジナルで作った経緯から、最後の記念としてクラスのCDを贈ることは前々から考えておりました。そこで、来られないお家の方のために、「感謝の会」でのメッセージを録音して、その録音したものを聞いていただこうという予定で録音していたものです。実際はすべてのお母さん方に来ていただいたのですが、中には遠くて聞こえなかったり、また他のご家族の方にも聞いていただきたい中身のものもありますので、今回CDに収録させていただきました。恥ずかしがって早口になってしまったり、本当はもっと書いてあるのにとても短く読んで終わったり、声が小さくなってしまったり、といったこともありましたが、それぞれの子どもたちの気持ちが表れていて、どれもみんなすてきな言葉だと思います。どうぞ、もう一度「ありがとう」の気持ちを受け止めてあげてください。(途中 略)★ 2年2組 たのしかったことランキング子どもたち全員にこれまでの学習の主な項目をアンケートし、 とても楽しかったものに◎、 楽しかったものに○を入れてもらいました。◎を5点、○を3点として集計し、ランキング形式にならべかえ。さて、どれが一番かな?(ランキング内容 略。そのうち公開するかも???)☆~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~去年の図工ランキング1位の「吹き上げパイプ」、どんなのだったか、もう忘れてしまいました。こんなに人気があったんなら、今年もやればよかったな。実は去年は風邪でたおれて学級通信は修了式翌日に配って回ったのでした。それだけに、気合が入ってます。今年はそこまでできないかも・・・記念CDの中身をまだ録音作業中なので明日はCD作成にかかりきりになりそうです。(この1年の音読発表会の録音などが入っています。)
2006.03.22
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健康観察というのは今まではかなり軽視していたのですが、1人ずつの子どもに発声させる毎日の訓練ととらえれば大変有意義だと思います。「声を出す」ことは、脳を活性化し、やる気を増幅させ、気持ちを切り替えるポイントとなる行為です。これを毎朝、集団発声だけでなく、個別発声して評価もしてやることで、学習への気構えや活力がついてくると思います。新年度は、ぜひやってみよう、と思います。参考にしたのは親野智可等先生のメルマガの記事ですが、これ以前にも(他の記事で名前は忘れましたが)朝の健康観察で声を出させる先生の実践を読んでおり、それらがつながって気づいたものです。親野智可等先生のメルマガの記事を一部引用=============================(出典:2006/3/20 MM「親力で決まる子供の将来 」No642親野智可等 「声の大きさは活力のバロメーター」の2回目)健康観察とは、その日の健康状態を子どもが一人ずつ立って自己申告するものです。「相田優花です。元気です」「山野健介です。捻挫しています」などのように言っていきます。このとき、できるだけ大きな声で言わせるようにしています。もちろん、かぜ気味のときや喉が痛いときはのぞきますが。そして、私は、子どもたちの声の大きさに5点満点で点数をつけていきます。子どもが言い終わったら、私がさっと手を挙げて指の数で点数を表します。(略)こうすることで、声が小さい子もだんだん大きな声が出せるようになっていくのです。(略)元気な子は爆発するくらい大きな声で言えるようにしてやりたいと思っています。===============================ほかに、音読をからめたり、男子と女子で元気さを対決させたり、機に応じていろいろな声を出させる手立てをうちながら、楽しく発声練習ができるといいと思います。ところで、今、楽天広場で関連する日記をしらべていたら、山口県の先生の素敵な日記にめぐりあいました。「1日に一度も声をかけなかったり、顔を合わせない子も出てきそうで、とても大事にしている時間だ。」と書かれていました。そうですね、子どもを鍛える時間以前に、1人1人の子どもと、わずか数秒でも、全員と向き合える時間というのがさらに大切な意味をもっているのかもしれません。『「はい!元気です」と言いながら、声に元気が無かったりする。そんな子は、1日気にかける。』 というところにも、先生の優しさがにじみ出ていました。(フームーンさんの2月13日の日記を見て http://plaza.rakuten.co.jp/castle18/diary/200602130000/)
2006.03.21
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教育実習反省録のつづき。年度末ですしね・・・ふりかえりをもつのは大事です。ふりかえりすぎ?(^^;)実は通知表を書かないといけないのでこんなところでふりかえってる場合ではなかったりして。==========================2.教育実習中に受けた指導全般についての反省 (1) 1授業45分間に多くのことをよくばりすぎない教案の最後まで予定通り進行したことはまれであり、多くは途中で時間切れになった。特に、児童の話し合いや作業がある程度スムーズにいくことを見込んで指導案を書いていたところが、見事に見積もりを裏切られ、多くの時間を費やすことになった。 主とすることにしぼって、よくばりすぎず、うまくいかない場合の時間配分で予定を立てるべきであった。http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/6204/text/Edu_Jissyuu.htm===========================教師なりたてのころは、というか今も陥りやすい罠です。特に研究授業とか、自分の得意分野だったりすると先走りして もりこみすぎたりして・・・ しぼりましょう。手塚先生ものせる原稿の10倍くらいの原稿を捨てたそうです。(たしか「まんが道」に載っていた話・・・)教職経験が浅い者は、「本時のねらい」を板書してそれが大事ということをつねに意識しながら授業をすすめるのが無難なやり方かな。それにしても、「見積もりを裏切られる」というのは前に会社に勤めていたときも反省していたことです。未だにそうなので、つくづく、「見積もりを立てる」のは苦手だなあ。
2006.03.19
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この日記は、役立つ内容だけを書こうと思っていたのですが・・・最近脱線気味なのでさらに脱線して、今回はちょっと反省・課題となる点をあつかいましょう。下に書いたのは、私が教育実習に行ったときに感じた課題・問題意識に関する文です。↓================================教育実習中に深く考えた教育の問題点 実習では、本当にいろんな子どもがいて、その個性・個人差というものが多様であり、ひらきがあることを実感した。個にあった教育を考えていくとき、教師には日常すすんで児童と関わろうとする姿勢や、いいところも悪いところもひっくるめてよく観察する眼、そして少しのつぶやきや表情の変化も見逃さずたえず変化していく子どもたちに対応できる柔軟さが求められるのだなと思った。 そのことはとりわけ、私が国語や道徳の実習授業をするときに強く感じた。 3年生の子どもたちは、まだ言語による的確な表現が十分にできない。 ということは、教師は子どもが言おうとしていること、心の中の言葉にならないことを機敏に感じ取って「こういうことかな」と表現を助けてあげたり、また表現すること自体への意欲をもてるように「よく言えたね」「よく発表しようとしてくれたね」といった評価を、完璧にできたことへの評価ではなく、はじめの第一歩を踏み出せたことへの評価をしていかなければならない。 ところがこのようなことが一朝一夕にできるわけではないところが、教育の難しさであり奥深さである。私の授業でも、反省をすぐさま次の授業に生かす、ということがなかなかできない。今まで、テキストや聞いた話だけの勉強であれば、例えば全部の子どもたちの変化を教師が受け止められているか確認するために、毎時間カルテをつけるとよい、ということを知って、「そうなんだな」と思っていた。ところが実際には授業をしながらカルテをつけるというのは至難の業であり、記録どころかただ子どもの顔を見回すということさえ、なかなか余裕をもってできるものではなかった。 一斉授業でもこのように「やろうと思ってもなかなかできない」ことが山積みであるのに、「児童の主体性を重視し活動内容がより柔軟になってくる「総合的な学習」などでは、教師のできることの限界がよりはっきりと感じられるようであった。 教師に求められるレベルは高く、際限がない。場合によっては1人のがんばりではどうしようもないことが多々ある。そのために、教員間の連携・協力や校外との協力も必要になってくる。(元サイト: http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/6204/text/Edu_Jissyuu.htm)==============================教育実習に行ったときにすでにこういったことを感じているのが私のすごさですが、教師4年目が終わる現在、似たようなことを思っていて全然進歩がないのが私のすごくないところです(笑)。このあいだ紹介したヨミウリオンラインの模擬授業でも、「子どもを見る」ということが言われていました。上の反省録ではごちゃまぜに書いていますが、まずは「子どもを見る」その一点だけに集中して教師は修行すべきかなーと思います。あとのことはそれからのことかな。(早く「子どもを見れる」ようになるよう、がんばります(^-^;)
2006.03.18
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今日はちょっと毛色をかえて・・・パソコン画面をテレビに出力できれば、いろいろなことに応用ができそうですね。それを可能にする方法はいろいろありますが、一番かんたんなのは、多分S端子ケーブルによる接続です。パソコンによっては、S端子出力がついているものがあります。そして、テレビにも、S端子入力がついているものがあります。この2つが組み合わさると、なんと、S端子ケーブルでかんたんにつなぐことができます。びっくりですね。ちなみに、つないだあとで、PCのキーボード操作をしないと、画面をTVに切り替えることが出来ませんのでご注意ください。(Altキー と F4キー だったかな?)今日は明日のクラス発表会に備えて、S端子ケーブルを買いに行ったのですが、思ったより安く買えたのでうれしくなりました。(1mのを別の店では800円くらいで買ったのに、 今日はなんと3mのを630円でした。)そんなわけで、今日はS端子についての日記なのでした(^^)
2006.03.16
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この日記で、過去に紹介した陰山英男先生の実践校、土堂小学校の評判を新たに目にする機会にめぐまれました。(といっても、ためていた未読のメールマガジンを読んだだけですが。)どうも、やはりすごいらしい。すごいといっても、すごいことをやっていてすごいのではない。当たり前のことを普通にやっているのがすごいのである!で、どうやったらそんな当たり前のことがふつうにできるのか。そこのあなたも、きっと知りたいですね。どうも、研究大会だからといって、とりたてて特別な用意や、気合の入った準備はあまりしていないらしい。いつも「何か」のときだけはりきって、あとはいい加減になりがちな私としてはこれはきっちり自分の中の反省点と重なるのである!そんなわけで、当たり前のことを当たり前にやって力をつけている土堂小学校の参観記を今日は引用しましょう。(元記事を書かれているのは鹿児島の内山義朗先生です。)=============================(引用:MM小学1708号 内山義朗□お土産を使う授業(1) 2006/02/23(木)発行号 より) 先日1月19日(木)に広島県尾道市に行った。土堂小学校教育研究会に参加した。そう、多数のベストセラー教育書を執筆・出版している陰山英男氏が学校長の高名な土堂小学校の研究公開である。 45分間で四つの授業が公開された。教室を移動しながら、すべての授業を参観した。授業参観をして気づいたことを一部、以下に示す。1 子どもたちに、かなりの力がついている。2 子どもたちの表情が生き生きしている。実に明るい。3 子どもたちが、きちんと肘を伸ばして挙手している。4 子どもたちの発言の声が大きい。どの子も声がよく出ている。うつむい ている子がいない。5~10 (略)11 パソコン・プロジェクター・教材提示装置を気楽に簡単にできることに 使っている。公開とはいえ、手間暇をかけすぎていない。12 当たり前の教育が当たり前になされている。 だから、子どもに力がついている。(中略) 授業・講演以外にも、次の点で「いいなあ。」と感じた。1 (略)2 配布資料がシンプル。その場でさっと目を通せる。これだと、公開する側の準備もたいへんではない。3 学校要覧がシンプル。A3用紙表裏1枚に所在地・学校経営構想図(学校教育目標・ 研究テーマ・重点と努力展)・沿革・週時程表・職員構成・児童数・学校運営組織・年間 主要行事が一目でわかるようにまとめられている。4「教育研究会要項」として配布された研究公開資料がシンプル。内容は、目次・学校長 挨拶・日程・校舎案内図・公開授業指導案のみ。23ページ中9ページは研究発表と講演などをメモできるほどの余白ページ。=============================前半の「力がついている」具体例の列挙は、はっきりいって圧倒されました。1つ1つは、そんなにとりたてて「すごい」ことではないのですが、それが「どの子も」できているというのは、いろんな子がいる教室の状態を考えると、すごいことだと思います。また、最後の引用箇所、「シンプル」という言葉が3連続でつづくのが目につきます。やはり、シンプルなことでないと続けられないし、続けられないと、ホントの力はつけられませんね。
2006.03.14
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最近、ネット上で公開されている模擬授業ビデオを見ました。教師の声がすごくはっきりしていて、授業をテンポよくリードする、緊張感のある授業でした。(読売オンラインで公開されている、和田先生の算数授業です。)http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/index.htmその後、メールで次のような内容に出会い、自分の中でけっこうつながったので、今回はそんなおはなし。MMは『林英臣の元氣メール』第182号「指導者らしく振る舞え!」2006/3/12発行 のものです。=============================(『韓非子』を引用後)心が緩(ゆる)んでいて、成功するまで貫き通す根性がない。軟弱であれこれ迷うことが多く、なかなか「これでいこう」と決断できない。価値観(好き嫌い)に基準がなく、気分に左右されてワガママ。「これだ」という確信がなく、立場がいつも曖昧(あいまい)。君主がこれらのタイプである場合、国は亡びてしまう、という訓戒である。要は、確信とする価値観がなく、ぐらつきやすいトップではいけないという教えだ。=============================ヒジョーによく当てはまります(苦笑)。教師としてどうあるべきかというのは、イロイロ考えますが、非常にシンプルに考えると、リーダーシップというのは、当たり前に考えて、当たり前に、必須中の必須、最重要項目ですね。ただ、林英臣さんは次のようなことも言っておられるので、そんなにヘコまずにすみます。↓=============================韓非子の厳しい教えは尤(もっと)もであるが、はじめから立派な指導者なんていない。心が緩んだ君主では困るものの、だいたい人間なんていうものは、怠け者で気が変わりやすいのが普通だ。韓非子自身、欠点を多く持つ中程度の人間が殆(ほとん)どだと見切っている。放っておけば、何事にもワガママで、迷うことが多い。信念に乏しく、すぐ保身に走る。立場を曖昧にするのも、イザというときの逃げ場を確保しておくため。それが、中程度の人たちの生き方だ。まさに、我々の日常そのものである。==============================はい、まちがいなく私は中程度の人間です。みごとに、迷ったり、めんどくさがったり、弱気になったりして、なかなか考えたことも実行に移せなかったりします。それが、ふつうなのですね。よかった。(^^;)というわけで、林先生の現実的なアドバイスは↓==============================まず、「指導者らしく振る舞う」ことから始めよ。最初は形から入れ。それがトップの「定立」、すなわち「立場を定める」ことにつながる。形には、人を「らしく育てる」力がある。トップにふさわしい服装や持ち物、姿勢と身のこなし。そういうものから整えていき、さらに教養を深め言葉を磨く。そうすれば、自ずと指導者にふさわしい威厳が備わってくるに違いないと。==============================今日はこれを読んでから学校に行って授業をしましたが、こころなしか、うまくいったような気がします。これが1週間続くようにがんばります。金曜に発表会をひかえた、勝負の、そして最後の1週間なので。
2006.03.13
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竹本健治の小説『囲碁殺人事件』(角川文庫)を読んだ。この竹本健治という人はかなりの囲碁好きらしく、囲碁に関する知らなかったウンチクもけっこうでてくる。囲碁は最近興味があって、思考を速くしたり、大局的に物事を見たりするのに役立つと思っていたから、かなり参考になった。私はどちらかというと左脳人間である。(突然ですが)左脳というのは、論理的思考を担当し、デジタル式にこうなってこうなってこう!と考える。一方で右脳は、直感的である(らしい)。囲碁の場合、もちろん論理的にこうなってこうなってと考えるのが基本だが、熟達すると、今の局面をパッと見ただけで、直感的にこう、とわかるようになる。デジタルがアナログ化されるのだ。だからこそ、プロ棋士は何万手も読むことが出来る。無意識のうちに読めてしまう、見えてしまうのがプロの技だ。そんなわけで、別に囲碁でなくてもいいのですが、デジタル処理に習熟することで、アナログ的に「考えなくても、見ればわかる」状態までもっていけるととんでもないスピード処理ができる。この小説も、囲碁も、おもしろいのでおすすめである。
2006.03.12
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MM■最短カリスマ師道■ 2005/5/27 77号(有限会社シルヴァンブリーズ 代表取締役高木悦夫)に、おもしろくて「なるほど」と思うことが書いてありました。人を魅了する魔法のテクニック 【馬鹿になること】このメルマガ上では、執筆者の高木さんが、ご自分の経験談を出されて、人前で馬鹿になることで度胸がついた、お客さんのよろこぶ顔がうれしくなった、というようなことが書かれていました。壁にぶち当たって悶々としている人にとっては、これはひとつの方法だと思います。ばかげたことでも、それをやることで、世界が開けるものです。おもいっきって、やってみよう!(^0^)(以下、具体的な記事からの引用です。)============================= 大学出たてのさわやかを売りにしていたこの私にですよ。 お客さんの前で裸踊りをさせるわ、 歌を歌わせるわ、 くだらないことを言わせるわ とにかく店長のおもちゃ状態。 私のプライドなんて爽やかに消え去りました(笑) 店長にふられて私達新人は馬鹿なことをやらされる。最初はイヤ がっていても、お客さんの喜ぶ顔を見てると、なんだか、うれしく なってきちゃうんですね。 仕舞いには、もっと振ってくれ~なんていう風に。 あれから私の人生は大きく変わりました。==============================関連して思うのは、・思考が先立って行動ができないと、事態が好転しない。・考えてばかりでは、らちがあかない。・異常状況下で「常識」にこだわっていると、失敗する。・笑うかどには福来たる・エネルギーは出せば出すほど出てくる。といったことでしょうか。そうそう、・思い切って、失敗したほうがよいということも。(笑)
2006.03.10
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前に紹介した『本当の自分』という本に、「幸せについて」という項目があります。わがクラスの学級通信のタイトルは「みんなしあわせ」です。今日の5時間目には、「みんなしあわせ」ってどういうこと?とクラスの子にたずねるミニ授業をしました。授業ではいきあたりばったりの発問になってしまいましたが、この本にはこんな風に書かれています。(出典:『本当の自分』(高木善之:地球村出版)より抜粋)=======================幸せは 自分の外にあるのでしょうか、中にあるのでしょうか。幸せの条件ってあるのでしょうか。幸せは無条件ではないでしょうか。悩みを作り出しているのも、怒りを作り出しているのも自分なのです。幸せは自分の中にあるのです。生きていることだけで幸せ、あるがままで幸せ、なるがままで幸せ、ただそれが分かればいいだけなのです。それを邪魔しているのは自分なのです。人はみんな幸せなのです。生きているだけで幸せなのです。ただそれを忘れていただけなのです。 見失っていただけなのです。幸せは簡単なのです。 幸せは無条件です。============================「いま」を肯定し、「自分」を肯定すること。それさえできれば、「しあわせ」になるのはかんたんかもしれません。
2006.03.08
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入会している作文教育のメーリングリストで、子どもを指導するときに「保育園の先生をまねる」という内容のメールがありました。コレを読んで、ぼくは深く「なるほど」と思いました。============================下の娘の行っている保育園は基本「野生児」ばかりって感じのやんちゃな保育園なのですが、きちんとそれぞれの年齢に合わせた興味付け、活動が出来ていて、強制ではなく、のびのびと自分の力を発揮しているように見えます。確かに発表などを見ているともっともっとそろっていた方がきれいかな、と思うところがあったり、手作り感満載できちゃないところがあったりもするのですが、誰一人として嫌々参加している子供がいないのです。=============================というのです。===========================どうしてこんな違いがあるんだろう?と思った時、参加の「させ方」の違いなんだろうなあ、と感じました。まだまだ漠然としていますが、保育園の先生の技で言えることが「先生が一番力一杯張り切ってて楽しそう」ということ。保育園では「何で?楽しいやん!やってみよ。どうしたら楽しくなるかな?」と問いかける。============================元のメールは幼稚園の先生との対比で書かれていたのですが、保育園の先生に関する記述の部分だけ抜き出してみました。そうか、保育園の先生か、なるほどなあ。先生が一番楽しそうにして、子どもを誘う、子どもが乗ってくる、一番自然で、一番気持ちよく全員がのってくる教育の形がここにあるような気がします。
2006.03.06
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私はあまり細かいことは気にならない。めんどうくさがりなので、一番大事なところはどこか考えて、そこだけは気にするようにしてきた。で、基本的には、それはまちがいではない(と思う)。何が大事か、大事なところをしっかりと、というのは考え方の基本である(と思う)。ところが、それ一本やりだと、中心をはずしたときにすぐこける。また、中心がぐらついているときに、ぐらついている中心にこだわりすぎるのは効果的でないときもある。たとえば、「やる気がでないから、やる気を出すことが第一だ!」と思っていたとしよう。「やる気アップ」を主眼において、そのための手立てをたくさん打つ。しかしもともとやる気がないのだから、「やる気アップ」を図るのはかんたんではない。手立ての効果が少し合っても、それになれると効果が減少し、結局もとのもくあみ・・・効果は拡散しているのである。お城で言うと、本丸が孤立し、外堀を埋められた状態では本丸を死守するのにも限界がある。さあ、またしても何を言っているのかわからなくなってきました。そろそろタイトルの「枝葉末節は中心・核心につながる」という話に行きましょう。空手家の大山倍達(ますたつ)先生をごぞんじだろうか。知ってなくても話をすすめるが、この人がその著書で、「小指をきたえる」ということを言っています。小指と言うのは体全体で言うと枝葉末節の末端部分です。ここをきたえるということが、臍下丹田(へそ下の、体の「気」の中心部分)をきたえることと同じように、大事だと言うのです。今回はこの辺で。つまり、「細かいところが気にならない」「最も大事なところのみに集中する」というのも実は非効率で、「細かいところを大事にする」と結局効率よくうまくいくんだと、なんとなく最近気づいたことを書いてみました。実践は・・・まだ伴っていません(^^;)
2006.03.04
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3月になりました。今月もよろしくお願いします。さて、書くことはイロイロあるのですが、今日も昔書いたものを転載してみたりして・・・初心に帰るのは大事ですものネ!(^^;)(新しく書くのがめんどくさいからではありません・・・?)======================大事なのは「肝」 頭でよく考えることが大事だとか、心で感じ取ることが大事なのだということをよく思うし、よく教わります。別にそれはもっともなのですが、肝っ玉で勝負することから逃げて、美辞麗句の世界に逃げ込んではいないだろうか、と自問自答します。 辞書で調べると、「肝」には「いちばん大切な点。かなめ。」という意味があります。人間を突き動かすもの、突き動かしているものとは、「肝」だといえます。思っているのに、感じているのに、気づいているのに、わかっているのに、うまく言い表せない、うまくいかないというときに、抜けているのは、まさに「肝」の部分ではないでしょうか。理屈抜きで、「よく言い表せないが、こう思う!こうだろう!こうじゃないのか!?」ということをぶつける、その裏に確かな「肝」の据わり方を見るとき、人は動かされるのではないでしょうか。 頭で考えて実践を伴わないという反省がしきりなだけに、今後わすれずにおきたい大切な「肝」であります。 (2003/05/24に書いたものです。元ページ↓)http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/6204/text/Nikatoma.htm===========================同じ学年の先生がよく「本気でかかわることが大事。 本気か本気でないかはすぐ見抜かれる」と言われます。自分が書いた「肝」という部分も、これと重なるかなあと、今あらためて思ってみたりして。「本気を出せる自分環境作り」も大事です。リフレッシュしたりリラックスしたり、適度に運動したりしながら、 自分の一番の中心で自信を持ってコトにあたれるよう、肝をすえてかかるのが大事ですねえ(なんか、何言ってるかわからない文章になってしまいました。)
2006.03.03
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