全8件 (8件中 1-8件目)
1
![]()
お正月と言えば、書初め!そういうわけで、個人的に買って試したオススメ習字グッズをご紹介します。大きく分けて2点。「水で書く習字」と、DS「美文字トレーニング」です。 (1) 水で書く習字僕と誕生日が2日違いの(笑)書道家、竹田双雲さんがキットを出しておられます。 ▼水で書ける はじめてのお習字 武田双雲 水で書ける はじめてのお習字幻冬舎エデュケーション(リンク先現在価格1176円。 あまり割引されない人気商品なのに、 ここはだいぶ安くなっていてびっくり。)筆と紙のセット。水習字のイメージとして「本物みたいに黒くなるの?」と疑問でしたが、いやいやなんと、本物みたいに黒くなります。それでいて水だから手も周りも汚さない。練習には最適ですね。 紙は3~5分くらい乾かすと、字が消えてまた書けます。とはいえ、一気にたくさん書きたいことが多いと思うので、水習字用の紙は追加で買っておいた方がよさそうです。 紙のサイズが違いますが、以下の商品も水習字に対応しています。 ▼呉竹 水でお習字・半紙 クレタケ水で書けるお習字半紙。何回でも乾かして練習できる呉竹/kuretake 水でお習字・半紙 【KN37-10】 黒・緑・赤、各1枚入(リンク先現在価格440円)双雲さんのサイズよりも大きめで、本当の半紙の大きさに近いです。安いのがうれしい。 くもん出版も同様の商品を出しています。こちらは紙がボードになっていて、厚みがあります。▼くもん お習字ボード 4才から★まわりを汚さず何度でも練習できます♪水でおけいこ! NEWお習字ボード [筆付きお習字道具/知育玩具/学習玩具/くもん出版/室内/勉強道具/文字の練習](リンク先現在価格 2640円)こちらは大筆だけでなく小筆もついています。ボードはかなり厚いので、表に書いた後、裏返して裏にも書けます。表は「三」などの横画や縦画、払い、ハネなどを「なぞり書き」で練習できるようになっています。 (2) DS「美文字トレーニング」 発売日: 2008/3/13【新品】DSソフト DS美文字トレーニング 美文字筆同梱(現在価格 新品なのに1380円(^^))DSソフトです。添付の「美文字筆」タッチペンが精巧にできていて、筆ペン感覚で書くことができます。ソフトの認識力がまたすごくて、ゆっくり書くと太く、速く書くと細くなります。タッチペンの認識で驚くほど筆文字らしく書けるのがすごいです。DSでの練習は、他のソフトでもそうですが、日付にスタンプがついて、記録が自動でされるのがメリット。くわえて、このソフトは「整った字かどうか」の採点フィードバック機能がかなり細かく設定されています。繰り返して書くことで、きれいな字を書くポイントが身に付く、非常に実用性の高いソフトです。発売後何年か経って、今は値が下がっているようなので買い時です。 おまけ。マンガでは『とめはねっ!』がおすすめです。 『とめはねっ! 鈴里高校書道部』(河合克敏、小学館 ヤングサンデーコミックス、2007~ 既刊12巻)高校書道部に入部した初心者部員のお話。「ハネはハネない」など、初心者には衝撃の書き方の技術や、落款(ハンコ)作りなどのうんちくなど、楽しく読めます。ストーリーを楽しむついでに、お習字にも詳しくなれますよ。
2013.12.31
コメント(0)
![]()
『連携と協働の学童保育論ソーシャル・インクルージョンに向けた「放課後」の可能性』 (三好正彦、2012、解放出版社、2000円)年の瀬ですが、この本の読書メモを書いている途中なので、そのまま続きを書きたいと思います。今回で6回目。本の最後まで、ダーッと行きます。(^^) 第1回読書メモはこちら。===============================『連携と協働の学童保育論』6(p115~最後まで。 ・以降の太字は本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)<第2部 第5章 「地域の教育力と子どもたちの放課後」より>・ある時は相談者、またある時は活動を共に行う者というような 柔軟な対応を可能とするためには、 子どもと近すぎず、遠すぎずという適度な距離を保つことが求められる。・苦労や努力は仲間がいることで達成感や満足感に変わる。 こうして子どもの自尊心を生み育てる。(デューイ)・及川は「学童保育」というネーミング自体に問題があると述べていたことがある。 (「保育」よりむしろ「教育」の側面が強調されるべきではないのかという考え) ・放課後は子どもたちにとって社会との接点。 家庭における親や学校における教師とは異なる大人との接点、 また大人が介入しない子ども社会がある。 ↑ ↓ ・子どもたちの放課後や長期休みまでもが、 学校の続きと化し、「安全確保」の名目の下、 大人の管理下に置かれていくような流れとなってきているのではないか。○及川は学童保育指導員である以前に、 社会人として、子ども集団とかかわった。 「子どもたちは社会の子どもである」という 社会的親の視点に立ってのこと。 <第2部 第6章 「『ソーシャル・インクルージョン』と『学童保育』」より>・障害のある子どもたちの生活にとって 「学童保育」は 地域の子どもたちとの人間関係の構築に 大きな役割を果たすことが期待される場である。 ↑ ↓・しかし、「学童保育」は、条件整備などの面でさまざまな課題を抱えており、 障害のある子どもを受け入れた積極的な実践を取り組むまでに 至っていない所が多いというのが現状。・「ソーシャル・インクルージョン」の実現は、 障害のあるなしの区別の解消に留まらず、 あらゆる人間同士の差異を互いに認め合った社会の実現につながる。 = 人類の共生の世紀をめざす21世紀の1つの道標・日本における「障害のある人たち」についての 「社会的排除」の問題について考える際に、 「貧困」「雇用」「格差」の問題は避けて通れない。 ・「障害のある人たち」の一般就職率は健常の人たちに比べ明らかに低い。 (2006年の盲・聾・養護学校(当時)の福祉的就職も含めた就職率は22.7%)・「社会的排除」つまり、社会の中心部からの排除は、 社会的ネットワークを含めた社会的資源を奪われている状況であるとも言える。 (社会的資源における貧困) ▼学童保育におけるインクルーシブ実践(事例)「子どもの家」でのエピソード 「子どもの家」に入ったばかりの子どもに対して、 ここがどういう場所であるのかを端的に説明している場面 指導員:いろんな子がおるやんか。(略) 必ずしもYだけのペースでできるわけじゃない。 面白くないのはごめんな。 Y(小2):わかった。 ・子どもには個々のペースがある。・指導員はこのペースの調節を柔軟にコントロールする。 時にはペースの遅い子に合わせ、また速い子に合わせるというような調節こそが 「子どもの家」での共生の集団活動を可能にしている1つの要因。・また別の視点として「子どもたちへの指導員の敬意」が挙げられる。 「私は子どもの対応に感心してしまった」 「こんな場面に私の胸が熱くなった」 「私は仲間のために力を出してくれたことを子どもたちに感謝した」 「なんて素敵な子どもたちなんだろう」・・・等。 (「保育日誌」の中の記述より) ○かかわりが困難で指導員としても対応に困っている状況の中で、 子どもたちが障害のある子どもたちを仲間として受け入れる姿勢に対して 率直に敬意を表している。・「インクルーシブ教育」の先進国であるイタリアでは、 支援教員の役割として、障害のある子どもにつくのではなく、 クラス全体を支援することが期待されている。 これは、研究でも明らかにされており、 支援する人が障害のある子ども1人に主につく、 あるいは教員が常に障害のある子を授業の中心においた場合、 クラスの子どもたちがその子を「特別な子」としてとらえ、 差別を助長する結果となる。 ○ポイントは、 大人全員が、学級担任という意識を持つこと (一木、2007)上の「・」の内容は、経験的には分かっていましたが、 研究によって明らかになっていたとは、ビックリです。 そういう研究成果は、教育現場で共有されていかないといけませんね。 ・子どもの時点で「障害のある子ども」という範疇に入れられてしまった子は、 将来的に「社会的排除」されるリスクを同時に負うことになる。 ○インクルーシブな実践を想定する集団は 多種多様な個性を内包した集団 ・大きく分けて次の2つの場面が想定される。 1) 「子ども同士の関係性を重視」することにより、 寛容性を発揮した集団を形成する場合 2) 障害のある子どもを理解する過程において生じる さまざまな葛藤状況・「子どもの家」における実践は、 障害のある子どもの居場所であると同時に、 障害のある子どもたちとかかわった健常の子どもたちに 社会を変えていってもらいたいという思いも込められている。 ・「自己決定」をいかに大切にするか ・援助者が当事者の自己決定や選択権を大切にする動き★社会全体が当事者とのかかわりをもつ存在として、 彼らの「自己決定」をいかに重要なものと位置づけることができるかが 「インクルーシブ社会」に向けて大きな課題となる。・「社会的寛容さ」という概念は、 障害のある人々を援助の対象とみる見方をやめ、 同じく社会に貢献することのできる対等の存在として認識するという視点も 含まねばならない。・学校、家庭と連動しなければ、 障害のある子どもがその場に放置されるだけになり、 学童保育所はその子どもにとっての豊かな放課後生活の場とはならない。 逆に「インクルーシブ実践」としてモデルとなるような取り組みができれば、 家庭、学校にその影響をおよぼすことになる。 (学校に、地域に影響をおよぼすというフィードバック効果) ★「地域のつながりを構築する連携の場」として センター的な機能を果たす役割を担う可能性 <第7章、謝辞より>・「学童保育」における実践の最も大きな焦点は「人間関係」・学校現場において「共に」の実践を行おうとする際に参考になる点は多々ある=================================最後に引用した文、本当にそうだと思います。今回は「学童」から「学校」そして「社会」へシフトした内容を含んでおり、その理由が、よく理解できました。学童保育での「共に」の実践から、学校での実践や社会での実践も刺激を受け、よりインクルーシブな方向に変わっていけたらいいと思います。 本書の読書メモはこれで終わりです。(そして2013年ももう終わりです。(^^;))長々とつきあってくださって、ありがとうございました。最後に、本書に興味を持ってくださった実践家の方々には、ぜひ本書を買っていただいて、手元に置いていただけたらと思います。わりと新しい本なので、今なら手に入りやすいと思います。「共に」、がんばりましょう。 いつも見に来てくださってありがとうございます。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2013.12.30
コメント(0)
![]()
『連携と協働の学童保育論ソーシャル・インクルージョンに向けた「放課後」の可能性』 (三好正彦、2012、解放出版社、2000円)この本の読書メモを書いている途中です。今回は、実践記録というより、「学童保育とは」という基本の部分になります。 今回ですでに第5回。第1回読書メモはこちら。===============================『連携と協働の学童保育論』5(p94~114 第2部 第4章より。 ・以降の太字は本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)<第2部 第4章 「『学童保育』の現在と独自性について」より>▼学童保育の現在までの概要1950 記録上最初の学童保育所(法的な措置を待たずにスタート)1976 初めて政府から補助金が「学童保育事業」に支給される1997 児童福祉法の一部改正によって、 「放課後児童健全育成事業」として法制化 (国の公な事業となる)2007 「放課後子どもプラン」 (学童保育とは別に、子どもたちの放課後生活充実のために 安全で健やかな居場所づくりを推進する事業。 学童保育との一体化については 全国学童保育連絡協議会(全国連協)が反発。 教育委員会主導ではなく福祉部局と対等な関係で連携を図ることを主張) ▼これまでの「学童保育研究」・親の帰宅時間の遅延化=学童保育における遊びが 子どもの遊びのすべてとなる →学童保育施設は家庭に代わる居場所として、 外遊びを含めた放課後の豊かな遊び場を提供し、 同時に休息・気晴らし行為を保障する場であらねばならない (塚田・小伊藤、2007)・今日、地域が失われ、家庭すらも危ぶまれる状況にある中で、 地域家庭の両翼に在る「学童保育」は、 学校教育と連動しつつ確かな子どもの育ちをつなぐものでなくてはならない。 (森、2007) ▼「学童保育」とは――定義と課題(定義)・「共働きなどにより昼間親が家にいない家庭の学童(低学年)を、 放課後や休暇中に保育すること」(新村編『広辞苑 第6版』、2008)(課題)・法制化以後13年間で施設数2.1倍、入所児童数2.5倍(全国連協、2011)・適正規模とされている40人以下の学童保育は全体の半数・1施設あたりの指導員は3.86人(全国連協、2007)・指導員は、身分が不安定な非正規職員が増えてきている。 公営の指導員の91.6%が非正規職員で、何年働いても昇給はなく、 平均年収約150万円以下の低賃金の指導員は51.8% (全国連協、2007) ・学童保育の業務内容は子どもの生活を守ることに加え、 家庭へのサポートや相談など決して容易なものではない。・指導員を続けたいと思っている指導員は約8割。 しかし、現実には5年以内に、約半数が辞める状況。(全国連協、2001)・障害のある子どもを受け入れている学童保育所は約6200か所(全国連協、2007) これは2003年の2倍。 入所児童数も約1万2800人となっており、約2倍の伸び。現在は僕の地元西脇市でも発達障害児童を小6まで受け入れるようになるなど さらに全国的に受け入れ範囲が拡大しており、 もっと伸びていると思います。 ・共働き・母子・父子家庭の増加。 現在、約5割の母親が働きに出ている。5割というと驚きますが、確かに今のご時世で言えばそうかもしれません。 (児童館と学童保育のの一元化の問題) ・児童館は児童福祉法第40条に定められた児童厚生施設の1つ・1986年、厚生省が学童保育を「留守家庭児童対策としての児童館」に位置づけ、 「学童保育」との一元化の流れを生み出そうとした。 しかし、1991年、厚労省は留守家庭児童対策を児童館から独立した事業とし、 以後、児童館で留守家庭児童対策を実施する場合は、 「専用室を設けることが望ましい」とした。 1997年からは児童福祉法第6条に「学童保育事業」、 第40条に児童館と明確に区別。 つまり、児童館は「児童厚生施設」という「施設」に位置づけられたのに対して、 「学童保育」は「放課後児童健全育成事業」という1つの「事業」となった。 = 遊び場としての機能しか有していない児童館では、 働く親からの信頼は得られなかった。 児童館では、館の管理者はいるものの保育を行うわけではないので 個々の子どもたちへのかかわりは浅い僕は神戸で小学生時代を過ごしましたが、 学童保育に行った覚えはなく、なじみがあるのは児童館でした。 単に覚えていないだけかな・・・。 ▼「学童保育」の独自性 =「単なる放課後の子どもの居場所とはしない」ということ・父母会が組織されている学童保育所も多く、 家庭と協働で子どもたちを見ていくスタイルが基本形態。 親たちの相談の場所、励まし合いの場所でもある。 (地域の子育て支援センター的な機能)・指導員と父母の連携による、子どもたちへの継続したかかわりを通し、 成長・発達を促す場・枠にとらわれていない ・生活のなかで子どもたちの自発的な遊びの発達を保障しようとする場 ・異年齢で構成 ・指導員が、昔の近所のおばちゃんのような存在→・自由に子どもたちが遊び、活動を展開でき、 またそのうえで指導員たちも自分たちの思うように 子どもたちとのかかわりを実現することができる。 (p114(第4章の終わり)まで) =================================現代における「学童保育」の役割は非常に大きいですね。指導員の方がた、本当にお疲れ様です。 次章は第5章「地域の教育力と子どもたちの放課後」です。それでは、また次回! いつも見に来てくださってありがとうございます。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2013.12.29
コメント(0)
![]()
『連携と協働の学童保育論ソーシャル・インクルージョンに向けた「放課後」の可能性』 (三好正彦、2012、解放出版社、2000円)この本の読書メモを書いている途中です。この本の中の学童保育指導員からは、学校の先生を始め、「子どもを育てる」すべての人に共通する理念や役割を如実に感じることができます。子どもにかかわるすべての人にとって、大いに参考になる本だと思います。 本日は第4回。第1回読書メモはこちら。===============================『連携と協働の学童保育論』4(p70~93 第1部 第3章より。 ・以降の太字は本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)<第1部 第3章 「第3の教育の場としての学童保育論」より> 学童保育指導員 及川房子 の実践について・及川は1976年以降、吹田市で学童保育指導員を始める・及川実践の特徴は 1) 「子どもが中心となった保育運営」 ・基本的に口出ししない ・自由な権限を与える代わりに、 その場の秩序の維持という責任を同時に付与 ・子どもたちに考えさせ、悩ませる ・指導員は単なるアドバイザー的役割に徹する 2) 「リーダー」 (副リーダーもいる) ・班体制 (さまざまな仕事(掃除やおやつなど)を当番として、班にさせていく) ・リーダーに強い権限を与える ・指導員は「リーダーに聞いてみなさい」のように対応する →ここではリーダーが中心なのだという雰囲気を全体に浸透させる・言葉以上に実体験を重視・「人と人とのかかわり」を重視 (及川実践の基本行程) <1> まず指導員と子どもたちとの信頼関係を築く そのために、 遊び や 探検 をする。 子どもたちの希望する遊びに徹底的に付き合う中で信頼を築いていった。 子どもたちのやりたいことに付き合う中で、指導員が”頼れる大人”として 認識されていく。 ・「たった1度の外遊びが反抗的だった態度を一変させてしまった。 子どもが変わる。自然が、そして遊びが、大きな影響を与えてくれる」 (『保育日誌1年目』より)子どもにとっての、遊びの影響は本当に大きいです。 若い教師はベテランの教師から、 「授業が下手でもいいから、子どもと一緒に遊べ」 とよく言われるのですが、その理由がここにありますね。 ↓<2> 主体的な当番、班体制をつくる・「学童保育」が子どもたちにとって楽しい場であると認識され、 指導員との信頼関係がある程度構築できた段階で、 主体的な取り組みをめざす。 受け身だった当番の仕事を、 「自分たちの学童保育のための仕事」という意識に変えていく。・極力指示しないようにする。 子どもたちに自分で考えさせるように少しずつ移行させていく。年間通しての学級づくりの取組と、似ている気がします。 <3> 自主的な運営――子どもたち中心の保育・子どもたち中心の保育運営は、 リーダーを中心に子ども側に大きな負担がかかる。 そこで当番や1日のできごとの中で、 指導員が目についたことをみんなの前で表彰する。 ★あらかじめ設定した保育者側のめざす「子ども像」をもとに表彰 「責任と表彰―子ども像がすべての根幹」 ・取り組みを通してめざすのは保育目標である「子ども像」 ・実践の成果を測るのもまた、この「子ども像」に照らし合わせたもの・たとえば、問題解決が子ども達で収まった時、 指導員のコメントを入れながら評価表に手づくりの金色の〇のシールを貼る。・その子の属するリーダーも一緒に表彰。 →表彰された本人だけではなく、リーダー自身の自信にもつながっていく。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・保護者談 「人格形成の基礎の部分を大切に育ててもらった」教育基本法第1条に、教育は、「人格の完成」をめざす、とあります。 及川先生はまさしく、教育者であったということになります。・及川実践の卒業生談 「人生の原点になった」 「単なる居場所という物理的なものではなく、 精神的な故郷、帰れる場所である」 「及川先生は、口うるさくなく、いろんなことをやらせてくれた。 けど、見守ってくれている感じが強くする」 「(先生に)直接怒られた経験はないが、雰囲気的に怖かった」 「ふざけたことをすると厳しく怒られる感じがした」・及川談 「あなたたちの学童だから、 あなたたちが作っていくということを 常に訴えてきたつもり」 「自分たちのクラスだから、自分たちでつくっていく」ということは 僕も担任時代によく言っていたことでした。 でも、どれだけの覚悟をもって言っていたかは、反省します。 (p93(第3章の終わり)まで。 本文中に出てきた言葉の順番は、 本メモを書くにあたり再構成しています。)=================================及川実践からは、子どもを中心にした学級経営を目指す学級担任の取組や、子どもを中心にした学校を目指す特色ある学校の取組に非常に似通ったものを感じました。また、「子ども像」が明確にあるということが、実践の中で明確に機能していることに驚きました。たいていどの学校でも、教育目標の一環として「めざす子ども像」というものがあると思いますが、それがどれだけ実践の中で機能しているか、ということを反省させられました。及川実践については、及川房子自身が著書を2冊出しています。『学童保育実践の記 子どもたちと創った放課後』(及川房子、2002)『続・学童保育実践の記 障害児と共に歩む』 (及川房子、2009)ぜひ読んでみたいところです。 本書はここまでが第1部でした。第2部は第4章「『学童保育』の現在と独自性について」から始まります。本書は2部構成、全7章なので、ここまでで約半分です。年内にはこの本の読書メモを終えてすっきりとしたいのですが、ちょっと無理そうかな。今年もあと3日。早いですね・・・。それでは、また次回! ↓いつも見に来てくださってありがとうございます。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2013.12.28
コメント(0)
![]()
『連携と協働の学童保育論ソーシャル・インクルージョンに向けた「放課後」の可能性』 (三好正彦、2012、解放出版社、2000円)この本の読書メモを書いている途中です。第1回読書メモはこちら。===============================『連携と協働の学童保育論』3(p39~69 第1部 第2章より。 ・以降の太字は本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)<第1部 第2章 「障害のある子どもたちの放課後生活の場としての『学童保育』の意義」より>(学童保育所「じゃがいも子どもの家」について) ・「学童保育」としての一般的な役割 =親が共働きの家庭における、放課後の子どもの居場所としての役割+ ・周りの健常児との関係を築くうえでの媒介的な役割 =障害のある子どもの居場所づくり放課後の居場所保障という考え方、大事だと思います。 単に親の働く権利というだけでなく、子どもの権利にかかわるところです。・地域で生きていく方向性を大事に ・「私じゃなくて直接その子に言ってもらえますか」 :「障害があることを理由にして、 その子の存在を無視・否定していることになるんですよ」と気づかせていく 私の特別支援学級担任としての経験のなかでも、 同じことがありました。 その子を飛び越えて、その子のことを介助者の大人と話すというのは おかしいんじゃないの、と、まず最初にその場面を見たときに思いました。 自分でできることが非常に少ないと思われている子ほど、 みんなの輪の中でその子が主体になってほしいと思っています。 たとえ言葉が出ない子であっても、表情が、全然違ってくるというのが 私の実感としてあります。 特支担任や特支学級の子は、自分が輪の中にいるのか輪の外にいるのかに 非常に敏感になっているかもしれない、と思います。 学童保育だと、特支だなんだという枠は何にもなくて、 みんな同じ子どもとしてのラインなので、 その中に支援を要する子も同じように当たり前に入っているというのは 当然のようにそうなっていてほしい、という私の願いが強くあります。 ・学校での学級経営と比較すると、 「子どもの家」は、複数の大人(指導員)が、複数の子どもとかかわり、 1人の子どもに対して複数の指導員との関係性を構築している。 大人同士でのかかわり、実践を行う実践者同士の意思疎通が見られた。・複数の指導員が1人の子どもを多面的に見る。 それゆえ、集団に入りきれていない子どもに対するサポートも手が届きやすい。 保育中にも指導員同士の意見交換、臨機応変かつ柔軟な対応=>★障害のある子どもと健常児のかかわりの場として十分に機能する可能性 (エピソード)・嫌がらせに発展した時点で止めに入ることは当然の行為として考えられるが、 指導員Dは戸惑っていた。 「いじめる―いじめられる」の関係だけで判断すれば、 すぐに止めに入るべきだと考えられるが、 ここではさらに先にあるものを指導員は考えていた。 指導員が間に入ってつなげるだけでなく、 Y自身が子どもたちとぶつかり合い、 自分のことを知ってもらうような行動を起こさないと 関係が広がっていかない という考え・地域の子どもたちに自分が注意することで、 子どもたちが大人の目を気にしてYにかかわりに行かなくなるばかりでなく、 Yが自分から子どもたちに行動を起こす機会を逃してしまうことを憂慮した。「子どもを安全に保護者に返す」というのが 一番の優先事項である学童保育で、 ここまで先を見据えた悩みを持ち、葛藤されていることに 非常に驚きました。 「先を見て子どもを育てる」ということを もっと第一義的にやっているはずの「学校」や「保護者」であってさえ、 そこまでのことを考えてやっているか・・・。 自分を振り返って、思うことが多くありました。 ・公教育で不可能な実践を可能とする構造・柔軟性を生かすスキルこそが 学童保育指導員の専門性として最も必要とされるもの ・学童保育は「学校でもなく家庭でもない子どもたちの第3の居場所」 ・両者の中間としての機能 ・「近所のお兄さん」的な立場での媒介行為 ・学童保育指導員は状況によって子どもとのかかわり方を 柔軟に変化させ、対応させることができる。 ・「共に生きる」「インクルーシブな実践」の課題 ・だんだんとその関係は自然になくなっていく。 ・中学校や高校になるとその関係は切れてしまって、 普通に遊ぶ友だちは現実にはいない。 ★関係性をどうやって継続させるかが大きな課題 ・本当のつながりになっていかない ・場を楽しくするのが1番。 楽しければ、いつの間にか「共に」という場が結果的にできていたりする。 子どもは楽しければ「共に、大事」とか言わなくても一緒にいれるということが 実感としてある。 ・「みんな無理に仲良くしなくてもいい、 それでもその場に一緒にいれる場」 ・必要以上に障害児に手を出さない、介助の対象として見ていない。 子どもの自主性を大切にして、「待つ」という視点が貫かれている。 (p69(第3章の終わり)まで)=================================ほかにも書きたいことがあるので抜き出す部分を絞ろうと考えていたのですが、「これは外せない」ということが多くて、今回も大量になってしまいました。最後の「共に生きる」「インクルーシブな実践」の課題 については、共に生きる実践を重ねている学校でもぶちあたっている課題です。本章だけではないですが、読めば読むほど、「同じことを考えているな」と思うことが多いです。学校教職員と、学童保育指導員。これまで、立場・役割はかなり異なると思っていました。それが、「おなじじゃないか」と思えるように変わりました。いや、立場・役割は異なるんでしょうけど、「思い」は同じじゃないかと。やはり、子どもを取り巻く大人たちは、子どもの成長後の心配も含めて、願いをもって接しているのですね。 このつづきは、 第3章「第3の教育の場としての学童保育論」です。及川房子・元学童保育指導員の実践が語られます。それでは、また次回! ↓いつも見に来てくださってありがとうございます。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2013.12.25
コメント(0)
![]()
メリークリスマス!イブはまだ明けていませんが、我が家には一足先にサンタが来てさっきまで我が家の子どもたちは夢中で遊んでいました。さて、学童保育の本について読書メモを残していた途中でしたので、今日はその続きを書きます。障害のある子もない子も共に育つインクルーシブ教育の実践が鮮明に描かれていたことに驚きを受けた本です。一応、ジャンルとしては研究書(?)になるのかな。ベースは2009年に筆者が作成した博士論文だそうです。 第1回読書メモはこちら。 『連携と協働の学童保育論ソーシャル・インクルージョンに向けた「放課後」の可能性』 (三好正彦、2012、解放出版社、2000円)===============================『連携と協働の学童保育論』2<第1部 第1章「『学童保育実践』の事例と可能性」より>・筆者が参与観察を行った学童保育実践について ・指導員のロールプレイング (Y指導員とS指導員で演技を始める。 その後、子どもたちに「これはやっていいことかな?」と呼びかける) ・大縄跳び 記録よりもみんなが跳ぶことができることの大事さを 指導員が子どもたちに日々伝えている ・ドッジボール大会に向けて 障害のある子どもたちの意見を尊重しつつ、 指導員の思いも織り交ぜながら、 周りの子どもたちとの関係を自然な形で作っている様子 ・F指導員「障害のある子だからといって特別扱いしない」 ・指導員のローテーション: 障害のある子どもであっても、 タイプの異なる指導員とかかわっていくことができるようにという意図 ・一方ではその存在により、(指導員は)周りの子どもたちと、 その子どもの間に立つ壁になってしまう場合もある。 ・あえて自分が引っ張っていくことをせずに、 子どもたちを巻き込み、関係をつくらせようという指導員の思い ・「先生が代わりにやってるやん」という(子どもの)言葉 =「Fに自分にやらせてみたら」という意味が込められていたように感じる★指導員のストラテジー(狙い)・学童保育には、学校教育ほどかっちりと決まったカリキュラムや指導方針はない。 => その決まっていない柔軟性を利用する(p38まで)=================================かなり部分的に本文中より抜き出しましたので、詳しくは本書を読んでいただけたら、と思います。著者は指導員自身ではなく研究者として観察記録を取っていますので、客観的なエピソード記述を見ることができます。日々子どもたちと身近に接している者なら、その情景がありありと浮かんでくると思います。特に、障害のある子と周りの子とのかかわり合いに注目してエピソードを読み解こうと実践されてきた方なら、「わかるわかる、私の身近にも、こういうこと、あるよなあ」と思えるエピソードがかなり書かれているのではないでしょうか。 次回は 第2章「障害のある子どもたちの放課後生活の場としての『学童保育』の意義」以降を、パパッと、かいつまんで参照していく予定です。また見に来てくださいね。(^^) ↓よろしければ応援のクリックをお願いします。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リストちょっと前に楽天ブログにFacebookの「いいね!」ボタンがつくようになり、それを押してくださる方が毎回いらっしゃるので、それも励みになっています。ありがとうございます!(^0^)
2013.12.24
コメント(0)
![]()
学童保育についての本を読みました。障害のある子もない子も共に育つインクルーシブ教育の実践をこんなところから学びました。今日から何回かに分けて読書メモを残していきます。 『連携と協働の学童保育論 ソーシャル・インクルージョンに向けた「放課後」の可能性』(三好正彦、2012、解放出版社、2000円)僕は面白そうな本を読むとき、まず必ず目次からチェックしています。そして面白そうなところ、興味を惹かれたところに線を引きます。 この本では次の3点にまず線を引きました。「障害のある子どもと異年齢集団」(1章より)「指導員の子どもに対する媒介行為」(2章より)「指導員の障がいのある子どもと健常児の媒介行為」(2章より)これらは面白そうだと感じたところでもあり、詳しく知りたいと思ったところでもあります。いわばこの本を読むうえでの目的意識となったところです。 「序章」以降も、個人的に大事だと思うところには線を引いていきました。自分自身の経験や取組、これまでの問題意識と重なるところがたくさんありました。 ===============================『連携と協働の学童保育論』1<序章 はじめに より>・障害のある子どもたちを受け入れた「学童保育」における実践・さまざまな背景を持った子どもたちが 学齢期、またそれ以後に関しても、 地域社会で生活を営んでいくことに 「学童保育」が寄与する可能性とその役割について明らかにしたい。 ・指導員たちの「待ちの姿勢」 「できるかもしれないから待ってみよう」 「できるところまでさせてみよう」という姿勢・「人間は実際にかかわってみないとわからない」という考え・障害の中身以上に、人間同士のかかわりから生まれるものを重視・人間同士の対等なかかわりを実現する・障害のある子どもたちが、 学齢期以後も地域社会で生きていけるようにしたいという願い・「心のバリアフリー」・例えば、本人とのやりとりをせずにそばにいる指導員に話しかけてくるケース =障害のある子どもの存在が「聞いてもわからない子ども」であると 認識されている =”障害者”としての画一的な見方の現れ ・インクルージョンをめざす意義 ・「万人のための教育」 :障害のあることなどによって排除されることのない教育・「個人の自己決定」という概念・(「ノーマライゼーション」概念の)根底にあるのは、 人種や障がいの有無にかかわらず すべての人間は平等であるという人間尊重の考え方・「インクルーシブ教育」は 教育という面におけるノーマライゼーションの実践形態である。 ・(学童保育は)97年に「放課後児童健全育成事業」として法制化・1980年前後 児童館との併設問題・1990年代 学童保育指導員の専門性についての研究 ・障害のある子どもたちの生活の場という新たな視点からの研究が出され始める。 例えば、「障害児の放課後保障と学童保育の課題」 「『障害児の学童保育的活動』全国実態調査の結果から」等。・元学童保育指導員・及川房子の実践 及川実践は、今から約30年前の実践であるが、 子どもたちの主体性を引きだした実践として、 一部で高い評価を得ていた。 =================================学童保育指導員が心がけていることは、自分がこれまで心がけてきたことと同じじゃないのか、と感じました。「序章」を一通り読むと、本書の大事なところも一通りおさえられた気がします。詳しくはまた1章以降の中身を見ていく中で、ふれていきましょう。 ↓よろしければ応援のクリックをお願いします。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2013.12.20
コメント(0)

iOS用の、革新的な計算機アプリ。驚きの動画はコチラ。 出典は、以下の記事です。▼MyScript Calculator: スゴすぎる電卓!式を手で書いた瞬間、答えが出てきます!無料。 これが無料とは信じられない。上の記事にあるように、ドラえもんが出すひみつ道具並みの驚きがありました。電卓だと、分数の計算とかカッコの計算とか、けっこう入力が難しいんですよね。これだと、問題をそのまま書けばいいので、どんな計算問題もアプリにさせてしまうことができます。おっとこれは禁断のアプリかも。宿題は自分でしようね。(^^;) 一応、欠点というか、答えは分数では出ず、必ず小数で出るようです。分数の計算問題を全部小数で答える人がいたら、間違いなくコレを使ってますな。(笑)
2013.12.19
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1