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久しぶりのトイレ、ネタです。所変われば・・・と言いますが、トイレに対する考え方は、国によって本当に違います。私の個人的な考えではありますが、トイレをその国の文化度を示すバロメーターとして見てしまいます。清潔、清浄、明るく、掃除が行き届き、少し広めで、洋式、トイレシートがついていれば星5つこれに平均で該当するのは、やはり日本です。もちろんどこの国も高級ホテルは良いですが・・。比較的清潔で、広さはダントツ、だけど時々壊れているアメリカ、と日本に近い北欧も星4つ星3つは普通として、かつて、私が散々けなしたフランスが星1つならば今回のトイレは幾つだろう・・。今回、ナミビアの観光地にあるトイレを紹介。(私は行ってませんが・・。)ナミビア共和国(Republic of Namibia)は、「ナミビア砂漠デューン45 朝日」、「世界で最も醜い植物 第4位」で紹介しましたが・・。物置? (火薬庫かと思っちゃった・・・。)ほんとに周りに何もない・・・。服の着替え場所? 何に? 何の為に?それは何?それ、便座のつもりですか???? まさか・・・。どこの観光スポットにも必ずある小屋、いえ、トイレなのだそうです。おそらく、外国人観光客の為に特別設置された西欧のトイレを模した物なのかもしれませんが・・・。無理に便座タイプにする事はないのに・・。(誰も座らないでしょ・・・。)桶のような物の下には深く穴が掘られていて、いわゆるドボン式なのだそうです。(それを回収しているのかは不明。救われるのは、砂漠で乾燥しているので、汚く感じない事。女性には悩むトイレではあるけど、努力は買いましょう。「こんな所にトイレを建ててくれてあれがとう。」隠れてする所もないからね・・。ある意味、以前私が紹介した「フランスの公衆トイレ」に似ているかも・・。街のホテル等は、近代的で問題はないようです。さて星は・・・・。レベルは星1つですが、国の事情と場所を考慮したらフランスより上にはしたい。こんな所だから・・と言う事で、星2つあげちゃいましょう因みに、フランスのコイン式公衆トイレは存続の危機なのだそうです。EU国内から、「トイレにお金を取るな。」と非難されているようです。オリンピックの時に中国がトイレ改革をして、星を付けて努力したように、フランスも考えを入れ替えてトイレ改革をすればいいのに、自分たちは最高だと思っている民族だから絶対しないな・・・。それにしてもナミビア・・面白すぎる・・。
2009年08月26日
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マリーアントワネット関連back numberのリンク先をラストにさらに追加しました。フランソワ・ブーシェ(François Boucher)の作品の中から衝撃の絵を発見しました。これで全ての説明が付きました。客人は持参のオマル? の下に写真追加。写真を入れ替え、増やして編集し直しました。全面改訂です。「マリーアントワネットのトイレとベルサイユ宮殿の事情」初期も初期に書いた、つぶやきに近い物が、毎日一番多いアクセスをいただき恐縮です。長らく避けてきましたが、写真だけでも入れ替えをと見たら、中身もとてもはずかしい内容で。 (* v v)。ハズカシイ やはり直したくて仕方無くなりました。前作では、ベルサイユ宮殿は入場料を取る上にトイレも有料と言う事を書きました。トイレ代金はトイレ管理のおばさんへのチップとして徴収されていたのですが、おばさんがチップの金額をごまかすのを防止する為に領収書を発行していたのです。それが2018年くらいに新たな無料の大きなトイレが王の前庭の地下に造られ、渋滞の大幅改善がされたようです。入り口はガブリエル翼と旧翼の両方からアクセスできると言うので、個人入場口と団体入場口の両方から入れるトイレらしい。とにかくベルサイユのトイレは評判が悪かったのです。最も、このトイレも庭だけ見学の人は対象外らしく、城への入場料を支払った人のみと言う事らしい。新 マリーアントワネットのトイレとベルサイユ宮殿の事情トイレ事情の悪いフランスベルサイユ宮殿のトイレ事情マリーアントワネットのトイレシオン城のトイレ客人は持参のオマル?ルイ14世は「最高の香気を匂わす国王1778年マリーアントワネット22歳の肖像画マリーアントワネットが王妃になるのは1774年。18歳で王妃にこちらの写真はウイーンの美術史美術館から持ってきました。実家に送られたマリーアントワネットの肖像画で、ルイ16世と対になっています。ベルサイユにも同じ物があるようですが、こちらは大きい作品です。本物であるのは間違いないです。トイレ事情の悪いフランスそもそも、フランスと言う国自体、公共のトイレが今現在でも非常に少ない国です。地下鉄駅にトイレは存在しないし、フランス国鉄の大きな駅でさえ、個室が僅かの有料トイレが一つある程度です。※ ルーブル美術館の駅だけ外に個室の多い有料トイレがありました。デパートもそうです。各階にトイレは無く、1階おき。男性はさらに数が少なかったと記憶しています。また、必らずと言って良いほど壊れて使用できないトイレが複数存在するのでフランスでトイレはどこも行列です。そう言えば、シャルル・ドゴール空港でも、真ん中あたりの地下に一つとそこまで行くのに大変でした。※ 一つと言う事はないでしょうが、トイレまでの距離がありすぎるし、必ず待つ事になるので時間がね。パリの街は今でこそ下水道がしっかり完備されましたが昔は汚水を窓からバケツで投げ捨てていたらしい。2階の窓から棄てる輩もいたから汚物がはねてドレスが汚れる事も・・と読んだ記憶があります。近年まで下水道の整備が遅れていたのかもしれません。私が初めてパリに行った時、街は犬のフンの悪臭だらけでした。今はフンの清掃が年中来るし、下水溝の間口が広くされ、いっきに洗い流すようにされてパリの街においては、臭い事は無くなっています。が、問題は他にも。この国はトイレが少なく、しかも有料が基本の国なので必然的にトイレでしない人が多いのです。同じフランス語圏のベルギーもそうでした。街や特に地下鉄などの地下道が臭いのです。掃除が行き届いていない事もありますが・・。これではペストも流行るよね・・と思うわけです。そんな訳でフランス旅行はトイレ・ポイントを考えながらプランを作る事をお勧めします。因みに、団体旅行でトイレ付きのバスと言うのがありますが、これもあてにできません。運転手がトイレ掃除が嫌でトイレを使用させない事が多々あるそうです。王の前庭からの王宮この地下に2018年頃、大きなトイレができたらしい。入城者は無料。下の写真のみウィキメディアから借りてきました。ベルサイユ宮殿のトイレ事情「ベルサイユ宮殿にはトイレが無かったので臭くて汚かった。」と言うのは、大方の所では当っていると思います。王や妃の場合は自室の領域に便座トイレの個室があるのを私も見た記憶があります。だから全くなかったと言うわけではないのですが、汚水を処理する下水の観点から見ると、やはり無かったと言えると思います。そもそも近年でも来客用のトイレが宮殿内に設置できなかったのは、そう言う場所が無かったと言う事を意味しているのでは無いでしょうか?ルイ14世時代には、ルイ13世の小城館とル・ボーの新城館の中庭に面した場所に「キャビネ・ドゥ・シェーズ」(椅子の間?)と呼ばれる小さな小部屋があり、シューズ・ペルセ(便座椅子)が置かれていて、ルイ14世の専用トイレだったと言われています。ルイ15世の時は寝室の隣に上げ蓋式の便器を備えた部屋があったそうです。これは城見学に行くとよくあるパターンで、私も見た記憶があります。(捜したが写真が無い)ルイ16世の時は? 「水洗式のトイレを使用していた。」などと言う説もありますが、文献がないのでわかりません。本当に水洗であるなら、下水道が無ければならない。そのような施設がどこにあったのか? どこに汚物を流したのか? と考えると不自然な気がします。ベルサイユは庭の噴水の為に遠く川から水を引き上げていました。水道の方は説明できなくは無いですが・・。ローマ水道の時に紹介したように、水洗トイレは上下水道が完備された時に初めて機能するものだから。プチトリアノン(le Petit Trianon)にある王妃の部屋の中にマリーアントワネットも使用した木製便座のトイレがあります。ガラス張りで中までのぞけませんが、水洗には見えません。横の小さな穴の方が気になります。そこから水でもそそいだのでしょうか?トイレは王妃の部屋に付随している。ベッド類も再現物のようです。また。テキスタイルもちょっと現代風でいただけない貼り方です。ついでにプチトリアノン(le Petit Trianon)のロビー吹き抜けです。ルイ15世がポンバドゥール夫人の為に建設したものの、間に合わなかった建物です。でもロココでなく、新古典様式の建物です。最初に使用したのは次の公妾(こうしょう)デュ・バリー夫人(Madame du Barry)。ルイ15世が病気で倒れるとデュ・バリー夫人は宮廷から追い出された。その後、1774年から1789年までマリー・アントワネットが使用。シオン城のトイレさて、一般のトイレですが、何百人も集まるパーティーなどにおいて、客人が使用するトイレは下水の観点からも無かったと言えます。ただ、使用人達が使用していたであろうトイレはあったはずです。写真を捜しましたが、無くてしかた無く中世のスイスの城から持ってきました。木製になっているだけで古代の石のトイレと似てますね。ただ、あちらは水洗でしたが・・。スイスのモントルー(Montreux) のレマン湖畔にあるシヨン城(Château de Chillon)の兵隊達が使用したトイレです。トイレと言った個室ではなく、煖炉もある広い部屋の一画にあり穴の下は下界です。シオン城の写真はウィキメディアから借りてきました。自分の写真は全景が入っていなかったので・・。前の湖はレマン湖です。客人は持参のオマル?基本的にトイレは椅子型の場合も、オマル型、あるいはし尿ビン型にしても一時的に受けるもので、中身はどこかに棄てなければならないものでした。また、用を足す部屋があったか? 無かったか? と言うなら、客人用には無かったようです。「274の便座椅子がある」と書いてあった本がありましたが、全くもって確証がとれません。招待を受けた紳士淑女たちは、香をたいた携帯のMy便器を持参したと言われています。でも、その中身は従者が庭に捨てていたから、ある廊下のはずれは「汚物で沈んでいた。」とまで書かれていました。一晩のパーテイーに100人来たとして、その従者などいれたら400人以上。確かに一晩で汚物まみれになりそうです。故に、ベルサイユ宮殿が汚物にまみれて汚く悪臭を放っていたのは本当なのでしょう。だから宮殿南の翼にオレンジの果樹園を置いて空気を浄化しようとした。とも言われています。フランソワ・ブーシェ(François Boucher)(1703年~1770年) 写真はウィキメディアから英語版で見つけました。1760年頃の作品。今はプライベート・コレクションとなっています。載せて良い画像か少し悩みましたが、これは当時の風俗が解る貴重な資料と思い掲載しました。何より驚くのは、これをブーシェが描いていたと言う事実。ヽ(・_・;)ノ ドッヒャー 衝撃でした。何でこんな絵を描いたのか? また描かせたのか? この女性の羞恥心は? (;^_^Aそれにしても女性の場合はこんな感じだったのですね。取ってが付いたスープ皿のような受け皿ですね。 ドレスが汚れそうです。これの中身を従者が庭に棄てに行っていたと言う事なのでしょう。住居している人の汚水処理のタンクはあったのかもしれませんが、ベルサイユにそれらを棄てる場所が公式にはなかった。また、汚水はおそらく畑にまかれるとか、遠くセーヌ川まで運ばれて棄てられていたのではないかと結論できそうです。下は、ベルサイユ宮殿内にあるゴブラン織りの衝立です。フランス王立織物工場で宮殿用に制作されたもので、とても精巧な素晴らしい物ですが・・。こうした衝立(ついたて)の物影でスカートの中にオマル入れたのですかね。それくらいの羞恥心は欲しいところです。フランドル産に比べたらたいした事ないと思ってしまう。ルイ14世は「最高の香気を匂わす国王と呼ばれていた。それは、糞便の悪臭をごまかす為に大量の香水をつけていたからだと言われています。その理由は、下絶えず下痢状態で1日14~18回もトイレに行っていたかららしい。また、間に合わないこともしばしばで、便座トイレに座ったままで会議をした事もあったとか。ルイ14世は主治医によって抜歯されていた為に歯が無かった。咀嚼(そしゃく)ができないから消化を助ける為に下剤を飲まされていたからだと伝えられている。香水が最も発達したのはこの頃なのだと言うのも納得ですね。フランス人は昔からトイレに対して、前向きな取り組みをした事がないように思えます。「取り立てて考える必要の無いどうでも良い事象 ? 」当時のエピソードを聞くと、もよおした所がどこかにかまわず、そこをトイレとしていたようです。羞恥心の生まれた18世紀からは「しないような努力と我慢の歴史」となったらしいが・・。最後にマリーアントワネットが使用していたであろう食器を紹介しておきます。今後で使用する事もなさそうなので・・。セーブル焼きの磁器?ティーカップでなくてエッグスタンドにも見えますが・・。まだ完成されていないと言うか手作り感が凄く見えますね。ドイツやイタリアに比べると磁器造りもおくれているようです。磁器の元となるカオリンはベルサイユの近郊であるセーヴルで見つかったそうです。でも当初は技術が追いつかなかったとか・・。トイレ、あるいはオマルの写真がまた見つかりましたら追加しますが、城など行っても、なかなかトイレまで修復していないので無いのが現状です。おわりマリーアントワネット関連back numberリンク マリー・アントワネットの居城 1 (ウイーン王宮)リンク マリー・アントワネットの居城 2 シェーンブルン宮殿と旅の宿リンク マリー・アントワネットの居城 3 ヴェルサイユ宮殿の王太子妃リンク マリー・アントワネットの居城 4 ベルサイユに舞った悲劇の王妃back numberリンク 新 ベルサイユ宮殿 10 ルイ16世とアメリカ独立戦争とマリーアントワネットの村里リンク 新 ベルサイユ宮殿 9 (ポンパドゥール夫人とルイ15世)リンク ベルサイユ宮殿番外 サロン文化の功罪(サロンと啓蒙思想)リンク 新新 マリーアントワネットのトイレとベルサイユ宮殿の事情リンク 新 ベルサイユ宮殿 8 (王のアパルトマン)リンク 新 ベルサイユ宮殿 7 (王妃のアパルトマン)リンク 新 ベルサイユ宮殿 6 (鏡のギャラリー)リンク 新 ベルサイユ宮殿 5 (戦争の間と平和の間)リンク 新 ベルサイユ宮殿 4 (ルイ14世と王室礼拝堂)リンク 新 ベルサイユ宮殿 3 (バロック芸術とは?)リンク 新 ベルサイユ宮殿 2 (入城)リンク 新 ベルサイユ宮殿 1
2009年06月19日
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写真など入れ替え改定しました皆さんが古代ローマの水道の話を忘れてしまう前にどうしても下水道に触れておきたいです。古代ローマの下水道と水洗トイレ古代ローマの下水道工事エフェソスの公共トイレ(水洗式)水洗トイレの起源古代ローマの下水道工事BC753年に初代ローマ王ロムルスが現イタリア、ローマのテレヴェ川域の七つの丘の上に街を築いた時、丘に囲まれた盆地は(後のフォロ・ロマーノ)排水性の悪い沼地でした。当時、人は丘の上に住み、丘の下は死者を葬る以外使えない土地。丘の上の居住が手狭になると、人々は沼地に降りて市場や集会所としてそこを使うようになる。そこで、この沼地の排水工事が必要になったようです。工事をしたのは、エトルリア出身の第5代王タルクィニウス・プリスクス(在位BC615年~BC579年)。異邦人にもかかわらず市民権を得、先王の死後立候補して王になった異色の王です。彼は、平和な時に兵士を使って王の故郷エトルリアから導入した技術で水道を建設したり下水工事をしたようです。湿地であった土地に水はけ用の水路を造り、集まった水を川に流す為の大下水溝クロアーカ・マクシマ(掘割式)を完成させ。(BC575年頃)排水機構を整備します。この排水溝はBC2世紀頃まで露天でしたがローマの富と力が増大すると、下水溝は石造りのアーチ(ヴォールト)で覆われBC33年クロアーカ・マクシマはリメイクされました。驚くべき事にクロアーカ・マクシマは2500年以上たった今でも立派に排水溝として使われているようです。パラティーノ橋近くのテヴェレ川に石造りアーチの直径4メートルくらいの排水溝が出ているのがそれらしいです。※ 一部、紅山雪夫さんの著を参考にさせてもらいました。下水に関しての詳しい資料が拾えないので、判っている事から推察すると、古代に栄えていたエトルリアから上下水道は伝わり、古代ローマではほぼ同時に上下水道が完備されたのではないかと考えられます。エフェソスの公共トイレ(水洗式)下は下水道あっての古代の水洗トイレです。写真は前に紹介したトルコのエフェソス遺跡(古代ローマ水道 4)からです。エフェソスの最初の起源はBC10世紀頃イオニア人の入植により始まったとされますが、ローマの属州時代がこの都の最盛期です。下のトイレはローマ時代のものかギリシャ時代からあったのかはちょっと解りませんが、見た所、ギリシャの古代遺跡で見たトイレと全く同じタイプだと思います。奥に見えるのが図書館です。公共のトイレは図書館の近くにあったのです。見てわかるように座るタイプです。便座前に貯水槽があり、そこに海綿が置かれ、それで拭いた? とか掃除した? とか?ガイドの説明がありましたが・・。ここはかなり広い(30畳以上?)スクエアになっていて。回りをぐるりとトイレが並んでいます。数えた人の話では40以上席があったとか・・。一枚石版に3人分。たいした道具も無い時代によくこんなに綺麗にできたものです。床に足を置いてへこんだ跡が見えるのがリアルです。下は水が常に流れる水洗式で、汚水は下水道で川まで運ばれたようです。水洗トイレの起源水洗トイレはローマが始まりではありません。今から4000年以上前のメソポタミアのシュメールのエシュヌンナ遺跡からアッカド王朝時代(BC2200年頃)の宮殿に残る世界最古のトイレが発見されているそうです。煉瓦で椅子形に積み上げた腰掛け式の水洗式トイレで、廃水は壁に沿って造られた地下管に流れ込んでいた。管は地下に掘って埋められ、その上にアーチの蓋が掛けられた。その中は上部に通路があって掃除のために歩けるようになっていたらしい。同じくオリエントではBC2100年頃、一般住宅にも同様のトイレがあったようです。下を水が流れ、汚水は焼き物で造られた配水管を通って下水道からティグリス川の支流へと流れる水洗式トイレであったとされています。(ウキペディアより)また地中海に浮かぶ島、クレタ島でもBC2000年頃から発祥したクレタの遺跡からも水洗トイレは見つかっているそうです。(こちらは木製の便座)近年まで水洗トイレを知らなかった日本人からしたら驚きのトイレ史ですね。水洗トイレの発祥元がどこだったのか? たまたま同じ原理にたどり着いたのか? まだ謎です。ところで、ローマの水洗トイレはギリシャ由来なのは間違いありません。なぜならローマの下水道及びこうしたトイレの文化はギリシャの文化を吸収したエトルリア人からもたらされたものだからです。
2009年06月05日
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2年前になるが、マイレージを貯めて、おそらく最初で最後のファーストクラスに乗った。ドイツのルフトハンザ航空である。ファーストクラスは2階席で、操縦室のすぐ後ろに位置し、変な空間だった。(残念ながら、機内の撮影をしなかった。)なぜ変な空間かと言えば、それは座席と座席の間がありすぎて、いつもの飛行機の席とは違ったからだ。特に前後の席の距離はビジネスでも比較にならない。座席の後ろに奇妙な四角い箱が置いてある「これ何?」後々判った事は、座席がリクライニングする時、その上に停止する為のものだった。つまり、ファーストクラスの座席は、足置きも含めてほぼ完全な水平ベッドのように倒れる仕組みになっている。要するにファーストクラスでは、1人の占有面積は、ほぼシングルベットサイズに匹敵すると言う事だ。だから前や後ろの人の声が聞こえる事はほとんどありえないのである。(ルフトハンザの話で会社で異なるかも・・。)贅沢すぎる飛行機の空間は座席だけでなく、化粧室にも及んだ。下は化粧室洗面台化粧室内に入って撮影したので、全部入りきらなかった。洗面台はそんなに変わらないが、巾があるので化粧品が置ける。籠の中身は歯ブラシやひげそりだったかな? 散らばっているのはバラのポプリ。下は化粧室のトイレの便座化粧室に窓があるなんて!!! 窓があるので明るくて開放感がある。何と言っても広い。中で着物にも着替えられる。この右側に洗面台がある。ビジネスのトイレはエコノミーとたいして変わらないが、やっぱりファーストは世界が違う!!! 2階席は12人か16人席だったと思うがトイレは前と後ろの二つあった。(後ろのトイレに窓があったか覚えていない。)ドイツ人女性が(寝起きに着替えを持って入って)トイレにこもって30分以上出てこなかったが、確かにここならボーッとできる。余談だが、旦那さんらしき若い男性が。彼女の常識なさに怒り、最後険悪になっていたのが判った。(座席の横列だけは視界にはいる。)ところで、機内グッズだが、行きも帰りも3点、日本→ドイツはコスメポーチとスリッパ、歯ブラシの入った袋と、ポロシャツで、ドイツ→日本はコスメポーチとスリッパ、歯ブラシの入った袋とスウェットの上下だった。ドイツ出発を考えているからだろう。日本行きに機内で着る為のウエアをくれて、帰りのドイツ行きにルフトのネーム入りのポロシャツがお土産になる。コスメはもちろん男性用と女性用で異なる。女性用はクレンジング、化粧水、乳液、クリーム、リップクリームが入っていた。機内で使う為の物だ。(日本にない品だが、オーガニックでとても良かった。)次回は機内食です。追記 機内のトイレの窓だが、かつてアメリカの国内線トイレで窓があったのを思い出した。アメリカのバッファロー発のNY・ジョン・F・ケネディー空港行きの飛行機。残念ながら会社や機種を覚えていない。このトイレに思い出があるので覚えていた。
2009年04月25日
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フランスの公衆トイレの写真これはパリの街角で見つけたトイレですが以前「マントン(Menton)での思い出」で紹介てきなかったフランス式のトイレです。形は少し違うかもしれませんが、構造は一緒。コインを入れるとドアが開き中に入れます。非常に変わった構造のトイレなので紹介したものでした。内容についてのリンク先リンク マントン(Menton)での思い出
2009年04月10日
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引き続きマントンの話ですが、今回はマントンの街でのトイレのお話です。.マントン(Menton)での思い出ニースのホテルからその日は日帰りでマントンとモナコの観光に向かいました。※ マントンはフランス南部、地中海沿岸のいわゆるコートダジュール圏の一つの街ですが、モナコをはさんだ向こう側のイタリアに隣接した田舎町。ニースの駅からフランス国鉄SNCFに乗れば到着するのですが、面白い事に1度モナコ公国に入り、通り過ぎて再びフランスのマントン駅に到着するのです。.急行で行けばあっという間の距離です。しかし、SNCFはやはり定刻に動かず・・。(フランス国鉄が定刻に動かないのは毎度の事ですが・・。)日本のような親切な掲示板など一切ないし、アナウンスもほとんどなく、いつ動くか解らない混こみ混みの急行電車(通勤電車)に乗り込んでいた。親切なフランス人が「こっちのが早く走るよ」と教えてくれたので各駅電車に乗り込む。(結果は恩が仇となり急行が先に走っていった。)結局、早朝にでたものの、ニース駅で1時間近く待たされ、各駅でちまちま走ってやっとマントン駅へ到着。.マントン(Menton)は田舎ではあるが、一応コートダジュール( Côte d'Azur)に入っている。到着してすぐ駅トイレを探しに・・見あたらない。(帰りに気づいたのだがホームに鍵のかかった重々しいトビラに「トイレ」と、それが駅トイレだったのだろう。)とりあえずマントンのメインストリートを歩き途中のマントン観光局に行ってトイレを借りようと考えた。パプでトイレ借りてもいいが、コーヒー飲んだらまたトイレに行きたくなる・・と思ったからだが、それは甘かった。.観光局ではマントンの街の地図はくれたがトイレは借りられず、街の唯一の公衆トイレの場所を教えてくれただけだったのだ。しかもその公衆トイレはコクトーの美術館と正反対に位置する。私は迷った。コクトーの美術館まで我慢するか・・。結局私は進路変更して公衆トイレに進んだのだが、これは大正解だった。なぜならコクトーの美術館にはトイレが存在しなかったからだ。(超驚き!).外にある公園前に設置されたフランスの公衆トイレはこれまた非常に奇妙なトイレであった。(今手元に画像がないのでいづれどこかで紹介)ステンレスでできたトイレはコインを入れて使用するのだが、広めの小部屋の中にはステンレスのオマル? があるだけ。トイレットペーパーホルダーなるものも何も無い。どうやって使用するのかと思われるオマル型である。またぐにも微妙に広い・・。下水口らしきものもなく水が出るところも無い。したものはどこに処理されるのか?.多くの不可解な疑問を持ちつつ、とりあえずどうにかした。どうも、このトイレは使用を終え、トビラを閉めると床とオマルそのものが天地がひっくりかえるかたちで全部洗浄するしくみらしい。(だから中が円形なのね。)誰が考えたのか・・こんな変なトイレ。(何度かフランスに来てますが初めての体験でした)さて、コクトー美術館の後、結婚の間を見る為に市庁舎に。ここも見物料とるくせにトイレ使用禁止(職員用しかない)になってました。そそくさと街を出て次のトイレはモナコ。モナコの駅には日本並みのトイレがちゃんとありました。よし!
2009年04月10日
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パリの地下鉄駅内にトイレはない。本当に不思議だが、フランス国鉄の大きなターミナル駅でもはずれに有料トイレが一カ所(それも2ドアあるくらい)で、日本のようにあたりまえにあると思うと大変である。いつもトイレチェックをしているが、地下鉄の乗り換え駅の通路の途中にトイレは一度も見なかった。唯一ルーブルの駅でコインを入れて入るしかも汚い壊れたトイレに遭遇したくらいである。なぜパリはトイレが少ない?いやフランス自体にとても少ないのである。「トイレに入りたい時はパブでコーヒーを注文してそこで借りたらいいよ。」と言われたが、毎度そんな事はしていられない。そうだデパートに行けば・・。とプランタンに行ったが、各階にはなく、規模の割にドア数も少なく、高級品コーナーの階のトイレでさえ半分が壊れて大行列である。フランス人のトイレに対する考え方は昔から進歩していないらしい。「かつて栄耀栄華を極めたブルボン王朝ルイ15世の愛したベルサイユ宮殿にはトイレがなく、廊下は汚物と屎尿にまみれて臭かった。」と文献を読んだ事がある。それ故に香水が発達したのである。ドレスの中にオマルを入れてする。ドレスも汚れる。しかも高級ドレスはほとんど洗濯できないから袖を外して袖だけ洗濯するくらい。だからパフパフ香水を着けるのである。今はやりのフランスコスメのロクシタンは香りが非常にきつい。そんなフランスの歴史を物語っているのか・・。「香水よりトイレをなんとかしろよ!」と突っ込みたい私である。
2009年04月07日
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