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今回はマゼラン一行の世界周航に触れるつもりでしたが予定を変更。先週日曜(2月19日)に乗った西武鉄道のレストラン列車「52席の至福」を急遽紹介としました。久しぶりの鉄道ネタです。土日、祭日のみ運行するなかなかキップも取りにくい列車だそうです。今回弟が母の誕生日の為に予約してくれたのですが、たぶん自分が一番乗りたかったからかも因みに、西武鉄道はラッピング電車がよく走っています。最近亡くなられたマンガ家の松本零士氏も西武鉄道のラッピング電車「銀河鉄道999号」(2009年年5月1日)を手掛けていました。以前紹介しています。リンク 西武鉄道の銀河鉄道999リンク ラッピング電車「きゃりーぱみゅぱみゅ」 (SEIBU KPP TRAIN)西武鉄道のレストラン列車「52席の至福」車両デザイン車両の内装52席の至福 宣伝パンフ52席の至福 乗車ディナー料理と酒スペシャル・サービス52席の至福からのお土産品Laview(ラビュー)西武秩父駅52席の至福 運行区間池袋~西武秩父駅間西武新宿~西武秩父駅間西武新宿~本川越駅間など52席の至福 運行日土休日を中心に年間100日程度の運行を予定する臨時電車と位置づけされている。乗車時と降車時はレッドカーペットを敷いてくれると言うのが、この列車のこだわり。でもドレスコードは無いので気楽にいつもの服でもよい。車両デザイン列車の外装と内装のデザインは建築家の隈 研吾 氏が手掛けている。とは言えもともと西武鉄道の52型(4000系)をリメークした車両が利用されているので、昨今のJRの高級電車とは違う。外装のラッピングを除けば、外見は親しんだ西武線だ。下は西武線のサイトから借りてきました。車両のデザイン画です。「秩父」の四季を自然豊かに表現したそうだ。2号車のデザイン画は海? と思ったが荒川をダイナミックに表現したものだと言う。1号車 春 芝桜、長瀞の桜2号車 夏 秩父の山の緑3号車 秋 秩父連山の紅葉4号車 冬 芦ヶ久保の氷柱タイトルの「52席の至福」とは、このレストラン車が4両1編成からなっているのだが、実際の食事席は2号車と4号車のみ。1号車はユーティリティー・スペースとして諸々イベントなど多目的に使われる車両。3号車が厨房車となっている。それ故、食事の提供してもらえる座席は52名がマックスらしい。車両の内装客車2号車現在、コロナ対策でついたてが座席横に立てかけられます。客車4号車姪が越境して4号車まで行き撮影。天井が違うだけなのですが、雰囲気がかなり違います。下の厨房の写真は西武鉄道から借りました。下は姪が撮影してきた写真。すでに撤収の時です。52席の至福 宣伝パンフ52席の至福 乗車現在、宮崎県とタイアップしているようで、食材も宮崎県産がソラチョクで運ばれ利用されています。観光PRのパンフ付き。ウェルカム スパークリングワインクレマン・ダルザス・ミシェルフォネ(辛口)ウェルカムドリンクとソフトドリンクはサービスです。ペアリングのワインや日本酒ウイスキーは別料金。ディナー料理と酒コース・メニューペアリングのワイン・リスト前菜 宮崎と秩父を結ぶ至福の前菜カップ手前はチョウザメの白身とキャビア魚料理 ハーブ香る鮮魚と宮崎産日向夏のサラダ仕立て日向夏と併せているのはタラ。前菜のチョウザメも淡泊な白身。ここでまた淡泊なタラ。日向夏とチョウザメのサラダにして、前菜の魚をサーモンでもよかったのに・・。と、思ったりして・・。白ワイン プイィ・フュメ(Pouilly-Fume 2020)を合わせました。フルーティーで爽やかなワインでした。メイン 宮崎牛とみやざき地頭鶏(じとっこ)みやざき地頭鶏(じとっこ)は、江戸時代に藩城主の地頭職に献上していた美味しい鳥肉から由来。宮崎県および鹿児島県の霧島山麓において古くから飼育されていた在来種だそうです。宮崎牛もとても柔らかでしたが、メインなのに量が少なすぎ。赤ワイン グラン・マレノン・ルージュ(Grand Marrenon Rouge 2019)を合わせました。こちらもとてもおいしいワインでした。デザート 和紅茶香る宮崎産金柑のコンポート イチローズモルトアイスとワイン、ウイスキー、紅茶など飲料の撮影を忘れました。よこぜのおいしい紅茶、とてもおいしかったです。52席の至福では、希少なイチローズモルトが飲めるのです。ここで味見にストレートをとったのでアイスにもかけて食しました。イチローズモルト・ホワイト・ラベルは秩父の酒屋さんでも購入できましたが52席の至福ではホワイト・ラベルの他にPB2020とPB2022が飲めるのです。食事後に感想を求められました。あくまで個人的感想ですが、褒め言葉はお酒にしか出なかった。とにかくワインの味がよい。料理とのマリアージュが良いのか? は別に本当にワインがおいしかった。プリンス・ホテル&リゾーツのエグゼクティブ シェフソムリエ(市村義章 氏)がセレクトしているそうです。52席の至福。料理は期待薄ですが、お酒を楽しむには最高かもしれません。メニューは3ヶ月ごとに変わるようです。ところで料理は監修されたものです。レストランで食せば? あるいはシェフがその場で調理すれば? また味は変わったのでしょうが・・。やはり電車の中と言うことでハンデもあるでしょうね。※ 調理協力は武蔵野調理師専門学校ちなみにワインは秩父のワインもあります。グラスが電車の為に一般のワイングラスでなくグラスカップを使っています。それ故、ワインの分量はやや多めに入っていた気がします。いつもはあまり飲めない私ですが、列車でスペシャルと言うこともあり、ついスパークリングの他に赤白も手を出しました。非日常だからこそできる贅沢もある。と言う点ではとても楽しい経験をしました。スペシャル・メニューアニバーサリー・プランで事前に姪が頼んでくれたプレート。記念写真も撮ってもらいました。52席の至福 電車の1号車はイベントスペースです。結婚式や誕生日会などもできると思います。そういう意味では事前にオーダーすればいろいろお願いを聞いて答えてくれるのではないでしょうか。スペシャル・サービス途中フルートの生演奏もありました。芦ヶ久保では氷柱を見る為にストップ。2号車の前で停車。次は4号車の前で停車。52席の至福からのお土産品秩父の赤ワインの絞りかすから作られた焼き肉のタレと、グラス・コースターは車内で使用したもの。ちなみにコースターは52席の至福 電車のロゴをあしらったものなので全4種。一枚500円で販売されています。車内販売のグッズ他にバーニャカウダがありました。確か1280円。購入しました。今回の列車は秩父発のデイナーコースで西武新宿到着でした。午前中にラビューで秩父に向かいましたからおまけです。Laview(ラビュー)西武鉄道001系 2019年3月運行開始。車体はアルミニウム合金製車体を採用。老朽化した10000系「ニューレッドアロー」の後継車両として製造。新車両のコンセプトは都市や自然のなかでやわらかく風景に溶け込む特急。みんながくつろげるリビングのような特急。L - 贅沢(Luxury)なリビング(Living)のような空間a - 矢(arrow)のような速達性view - 大きな窓から移りゆく眺望(view)からLaview(ラビュー)と命名されたらしい。52席の至福 電車では西武鉄道の一日フリーキップが付いています。特急券は別。客室窓 縦 1,350 mm×横 1,580 mmの大型窓上下の写真は別日に撮影したものです。西武秩父に停車していたラビューです。乗車が迫っていたので先頭まで撮影に行けませんでした。先頭車両の写真のみウィキメディアから借りました。列車を見せる為に両サイドの景色削除させてもらいました。池袋駅です。ラビューも日曜の昼は満席でした。また、平日の通勤時間帯は30分おきに運行しています。非常に混んでいます。所沢までは20分程度ですが、所沢から西武秩父まで1時間かかっています。西武秩父駅右端のホームに52席の至福 電車が停車している。向こう方面は三峯行き。駅に付随して右にお土産屋、フードコート、温泉施設と並んでいる。駅に温泉施設があるので帰りに寄って帰る人が多い?是非入浴して帰ってください。おわります m(_ _)m
2023年02月25日
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鉄道関連のリンク先をラストに追加しました。大阪駅を後に東京に戻ってきました。温度差で体がついていけません断然大阪のが暖かいです。ところで、滞在中は外食がとても多くなります。何しろ天神橋筋商店街の近くなので食べ物屋の数はハンパなく多いし、とにかく安い店が多い。連日食めあてのお客さんや、近年は外国人も団体でやってくる食のスポットの一つなのです。その天神橋筋はかつての天満(てんま)青物市場に由来する場所。それは石山本願寺があった戦国の時代に始まるらしい。※ 堂島米市場の米。雑喉場魚市場の魚。天満の青物市場の野菜。それらは秀吉の時代には天下の台所と呼ばれる大阪の三大市場の一つであった。天満青物市場の時代、遠方から来て荷下ろしをした船員達が、その足で買い物に出かけた場所が十丁目筋。それが現在の天神橋筋商店街のルーツらしい。※ 大阪では南北縦の道が筋(すじ)。東西横の道を通り(とおり)と名付けられていた。天神橋筋商店街の全長は2.6km。日本一長いアーケード商店街としても知られています。現在アーケードがあるのは天1から天6まで。その中でも天5界隈はとにかく飲食の店が増え続けている場所。※ 天5に集中する理由は天満市場がすぐ横にあったからであろう。激細の狭い路地にさえ、店が所せましと道にはみ出ていて、ただでさえ狭い通路なのに夜になると路上に椅子やテーブルを出す店も多数。今時分はビニールシートで周りを被い、外だけど寒さがしのげるような造りに。かつての天満市場のバラックの下も、今やほとんどが店を閉め、その後はそれぞれ簡易式飲食店になっている。飲食の方がきっと儲かるのだろう。ほとんどが一杯飲み屋風なのにオシャレな店もあるから面白い。また、商店街に面した細長いビルなどは、もともと八百屋、魚屋、豆腐屋など小売店の集まったマーケット。それも今は正面の昆布屋を残したくらいで、ほぼ飲み屋街へと変身した。とにかく行く度に既存の洋服屋とか、靴屋とか、雑貨屋はどんどん消え、新たな飲食店が誕生している。今やその数は1000程あるのではないかと思うほど。(一坪店舗などもあり繁盛もしているようなので驚く。)それでもまだお店が増え続けているこの現状は、みんなの食の意識が高いからなのか? はたまたは店を出して一旗揚げたいと言う起業家精神が高いからなのか? 挑戦者が後を絶たない場所のようだ。さて、今回は前回に続き、2代目駅舎から現在の大阪駅ノースゲートを紹介します。さっさと終わらせる予定が結構詳しくなってしまいました 分けた方が良かったか?前回のリンク先 大阪駅(Osaka Station) 1 (5代目大阪駅と初代駅舎)大阪駅(Osaka Station) 2 (大阪駅舎の歴史とノースゲート)大阪駅 歴代の駅舎 逓信建築 2代目大阪駅舎 悲劇の3代目大阪駅舎 JRの副業 複合型4代目駅舎開発中の北ヤードノースゲート大阪駅 歴代の駅舎初代駅舎 1874年(明治7年)~1899年(明治32年)前回紹介 2代目駅舎 1901年(明治34年)~1935年(昭和10年)※ 写真は、ルクアイーレ(Lucua1100)オフィス入口の展示コーナーより。初代駅舎が手狭になり旅客も交通量も増えたので、3カ年継続事業で34年7月に新駅が竣工。初代駅舎より約2丁(約220m)東に移動しほぼ現在の位置に。移転の最大の理由は、2年後の1903年(明治36年)に天王寺今宮で開催される内国勧業博覧会に備え、より多くの来訪者を受け入れる駅舎の誕生であった。当事の工費は12万円。駅前には、待合茶屋や、旅人宿、運送店がだんだんに増え、人力車が客待ちで群れをなすなど繁華街となっていったらしい。建物はみかげ石造り。しかしモニュメント内部はレンガ。木材はヒノキとケヤキが使用された豪華なもの。ホーム幅17m。待合室は270坪、2階には乗客の為の食堂も完備。写真を見る限り、ドイツ系のNeoclassicism(新古典様式)かな?と思ったが、設計したのは逓信技師の吉井義則 氏(生没不明)。日本人と知って驚き、逓信技師と知ってさらに驚き。逓信建築 2代目大阪駅舎日本の近代建築の始まりの中に逓信(ていしん)建築と言うのがある。かつての逓信省では、郵便・電信・電話・電気など事業の局舎、施設の設計を自前の技師集団でおこなっていたらしい。それは逓信建築(ていしんけんちく)なる言葉を生み出す程に合理的で堅実で質の高い建築設計を数多く生み出したそうだ。結果的に個性的な建築家を多く輩出したらしい。※ 逓信省(ていしんしょう)は、当事の電気通信事業の政府機関。今の日本郵政(JP)、及び日本電信電話(NTT)の前身にあたります。設計したのは逓信技師の吉井義則 氏と解っているのに、逓信建築の中に2代目大阪駅が含まれていなかったのは、今はその建物自体が無いからなのか?復元できればそれなりのものであったと思われるが、残念ながら2代目駅舎は3代目ができた後に東京の技芸学校に2500円で売却されて解体された。完全なる解体ならまだしも、外壁の御影石の化粧板だけを持ち去ったらしい。中之島の日本銀行大阪支店、大阪造幣局の泉布観(せんぶかん)と共に大阪の3名所とうたわれた駅舎だったのに・・ この2代目大阪駅舎の時に日露戦争(にちろせんそう)1904年(明治37年)~1905年(明治38年)が勃発。時の政府は鉄道の国有化を進めた。3代目駅舎 1940年(昭和15年)~1979年(昭和54年)この写真を見た時に、昔の東西統合前のベルリンの駅を思いだしました。写真で見て解るよう、駅前がすっきり整理されている。3代目駅舎は駅だけでなく、駅の前の整理と整備、近辺の区画整理、そして地下鉄建設や私鉄(阪急、阪神)のターミナル改造が含まれての改築だった。なぜなら、1940年(昭和15年)に東京で開催予定のオリンピックをめざし、宿泊も完備したステーションビルとして構想。しかも、旅客専用の高架停車場として計画されていた。当初は3階までが駅舎。4~5階がホテル。231個室。収容300人。宴会場、サロン、浴場まで完備する近代建築技術の 粋(すい)を結集した近代建築で計画され、国際ステーションとして華々しくデビューするはずであった。(全館完成ならず、未完の竣工。)悲劇の3代目大阪駅舎1937年(昭和12年)、日華事変が勃発。国家総動員方が公布され戦局は深刻化。その中で1940年(昭和15年)、3階までの駅舎は一応の完成を見たものの時局はオリンピックどころではなくなっていた。1941年(昭和16年)、太平洋戦争に突入。「金属類回収令」が公布。1943年(昭和18年)、4階以上の駅舎以外の鉄骨の供出命令が出され、切り取った鉄の重量は650トン。それらは戦列の大砲の弾となったそうだ。(軍からは鉄の質が良いとほめられたらしい。)因みに、悲劇は社寺にも及んでいた。1942年(昭和17年)、仏具特別回収なるものが行われ、四天王寺では、大梵鐘がターゲット。同じく1943年(昭和18年)、梵鐘は供出され、銃弾など兵器となり人を襲ったのだ。また、駅の悲劇はそれだけではない。駅は連日連夜、臨時電車が走り、出征兵士の送り出しや軍需品輸送に利用され構内は兵士見送りの人波で大混雑。1945年(昭和20年)にはついに空襲で大阪駅倉庫一帯と商店街が焼夷弾により焼失。梅田から心斎橋の方まで見渡せるほどだったらしい。そして終戦、今度は進駐軍部隊の輸送で利用され、駅舎は米軍鉄道輸送司令部として連合国軍に接収。結局、3代目大阪駅舎は戦争のあおりを受け、当初予定の駅舎にはなれず、ホテルもできず、それでも戦後の動乱も乗り切り、大阪万国博覧会をへて、高度経済成長を通過し、1979年(昭和54年)まで頑張ったのである。※ 1970年(昭和45年)の大阪万国博覧会の為、1967年(昭和42年)~1970年(昭和45年)駅舎の改良が行われている。4代目駅舎 1979年(昭和54年)~2011年(平成23年)大阪万国博覧の時でさえ、駅舎は建て替えられる事はなかった。大阪市は万国博覧会にそなえ、「大阪駅前市街地開発事業」をスタート。駅前の再開発と共に大阪市の顔となる駅舎の建て替えも希望していたようだが、JRは改良程度に留めた。結局の所、赤字のJRに建て替えのお金がなかったのだろう。民間の資本での改築申請もあったらしいが・・。JRの副業 複合型4代目駅舎JRが重い腰を上げたのは1971年(昭和46年)に国鉄法改正が行われ、国鉄業務以外の副業が認められる事になった事だ。JRでは「駅周辺用地の高度利用」をうたい、業務施設機能と商業施設を併せ持つ複合型の駅舎の開発を決めた。(駅舎の中にデパート、ホテル、旅行サービスなどを誘致。)つまり、建て替え費用の負担ばかりか、今後の家賃収入、その他諸々の収入が得られると言う事だ。前回「JR西日本では、自社の駅と施設をまとめて大阪ステイションシティー(Osaka Station City)と銘打って宣伝している。鉄道以外の商売にも熱心なようである。」と書いたが、まさにそれである。1976年(昭和51年)、「大阪駅ターミナル問題懇談会」発足。新駅は地下4階。地上27階。延べ床面積は13.6万平米の総合ターミナルビルと駅業務用施設(別棟の北ビル)の建設が決まる。1979年(昭和54年)、駅本社となる業務用施設、「北ビル」が開業。1983年(昭和58年)、もともと駅本社のあった場所に各種商業施設の入った大阪ターミナルビル「アクティ大阪」が開業。その中核となる施設はホテル(グランビア)。確か時代はバブルの頃。※ 現在ホテルグランビア大阪の大株主はJR西日本ホテル開発である。ここに3代目駅舎で構想していながら実現できなかったターミナルホテルがやっと4代目駅舎で実現。利便か? 儲けか? 駅舎とホテル一体と言う発想と着眼はどこよりも早かったかも・・。5代目駅舎 2011年(平成23年)~前回ジオラマや図解で位置など紹介。5代目駅舎の誕生は、北地区に残る梅田貨物駅用地など24haの活用を検討する中で生じたものだ。2003年(平成15年)。「大阪駅北地区全体構想」が発表。国際都市をめざした上での街造りが検討され、広場、通路の整備や駅の改良などが行われる事になった。2011年(平成23年)3月、大阪ターミナルビル、サウスゲートビルディング(旧アクティ大阪)開業同年4月、橋上駅舎 前回紹介した3階改札(連絡橋口)開業同年5月、ノースゲートビルディング 開業新しくなった大阪駅は、大阪の玄関にふさわしい空間と荘厳さと格調を持って誕生。さらには駅前広場と一体となるデザインが重視。新しい街。そして新たなランドマークとなるようスタイリッシュにデザインされている。(ごちやごちや感がなく、イベントにもすぐ活用できるようなゆったりめの造り。)下は前回も紹介したルクアイーレにある「大阪ステイションシティー(Osaka Station City)」のジオラマノースゲート側の面※ 映り込みで見えにくいので背景を消しjました。ノースゲート側の写真はグランフロントが存在するので全景の実写は難しい。屋上は庭園とさらに上が菜園として公開されている。長らく北に残っていた曰わくのあった操車場(北ヤード)は(墓地→駅→車両基地→貨物駅)土地を売却して国鉄長期債務の返済に充てられることになったらしい。そして梅田の貨物駅はグランフロント大阪のオープンと入れ替わるよう2013年4月1日に正式に廃止。開発中の北ヤードノースゲートビル屋上庭園からの北ヤードを撮影(2017年11月現在)右のビルがグランフロント大阪。(グランフロント北館Cにはインターコンチネンタルホテルが入っている。)北ヤードをはさんで向こう側が新梅田シティ。左中、ガラス張りのが梅田スカイビル。左がウエスティンホテル大阪。共に新梅田シティを構成。かなりの敷地が開いていたのですね。今は見渡せますが、グランフロント前に何やらビルの工事が始まっているようです。この景色はいつまで見られるのでしょう。そして今度は何ができるの?2013年9月 梅田スカイビルからの大阪駅北側と北ヤード を撮影古い写真だし、映り込みもあるので綺麗とはいえませんが、在りし日の北ヤードの写真です。すでに梅田貨物駅が閉鎖され、解体が進められ始めた頃ですね。ノースゲートさて、現在のノースゲートビルの方を紹介。ノースゲート地上階 グランフロント前から地上階では、グランフロントと大阪駅の間には公共の道路が存在した。以前は歩道があり、渡ることが可能であったが、現在は仕切りができて渡れないようになっている。大阪駅ルクア側の地上階側がJRハイウェイバスの配車場になったからだ。向こう側に渡りたい人は、一度2階に上り、改めて駅側のコンコースにまわるか、ヨドバシカメラの方まで行ってから信号を渡るしか無い。因みに、現在はヨドバシカメラまで歩道橋が付いたのでノースゲートからそのまま行けるようになった。(地下からも行けるが・・。)ノースゲート2階エントランスフロア 入口このフロアから、先ほどの駅側の地上階中央コンコースに降りる事が可能。また、登れば3階連絡橋の改札コンコースに出る。※ 時計のついている階が3階連絡橋の改札コンコース。上降と下降のエスカレーターが両サイドについている。←緑、エレベーターも設置されているので車イス、ベビーカーの方はそちらへ。地上階行きのエスカレーターに乗れば旧大阪駅中央コンコースへ因みに正面ガラスの向こうに見えるのは11番ホーム。東海道本線北陸方面行き 特急列車。※ ホーム階は2階と言う設定のようだ。だから改札は1階口と3階口となる。ノースゲート3階 連絡橋と連絡橋改札のあるフロア左、グランフロント方面右 連絡橋と連絡橋口改札。そしてサウスゲートと大丸デパートにも接続。見えるエスカレターの裏(写真では右)にインフォメーションがある。ノースゲート3階中央のエスカレーターと階段。連絡橋の上に付いている展望デッキ「時空の広場」へ。この階段の真後ろがインフォメーション。そしてさらに向こうが連絡橋と改札。連絡橋の上の展望デッキ「時空(とき)の広場」連絡橋の上を利用したテラス広場。各種イベントが催される。ルクアとルクアイーレのの5階に接続されている。展望デッキ「時空の広場」からはホームも見下ろせる。但しガラス越しに・・。展望デッキ(時空の広場)からさらに上階に上る。ルクアとルクアイーレの連絡橋(ルクアの7階)に出る。ルクアとルクアイーレの連絡橋(ルクアの7階)からノースゲートのエントランスフロア(2階)と向こうに見えるのがグランフロント大阪。さらに上がると映画館や屋上庭園へ屋上庭園から先に紹介した北ヤードが見える。さらに屋上菜園までは階段を上る。ノースゲートビルのオフィスタワーと右が北ヤード。景色はそこそこであるが、屋上菜園は何もなく、苦労して登るほどでもなかったかも・・。大阪駅(Osaka Station)おわります。大阪については以下も書いています。リンク 大阪ミナミ 戎橋界隈と法善寺横丁 1 (ミナミと言う街)リンク 大阪ミナミ 戎橋界隈と法善寺横丁 2 (千日墓所と法善寺&大坂七墓)リンク 大坂の陣 古戦場 1 茶臼山と真田幸村リンh 大坂の陣 古戦場 2 安居神社(真田氏終焉の地)リンク 世界の看板 2 大坂ミナミ(道頓堀通りの巨大看板)リンク 大阪 造幣局 桜の通り抜けリンク 旧 仁徳天皇陵(大仙陵古墳)の謎リンク 四天王寺庚申堂鉄道関連のBack numberリンク 大阪駅(Osaka Station) 1 (5代目大阪駅と初代駅舎) 大阪駅(Osaka Station) 2 (大阪駅舎の歴史とノースゲート)リンク ドクターイエロー(Doctor Yellow)リンク 東海道新幹線開業50周年の日リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)リンク ユーロスター(Eurostar)リンク ミュンヘン中央駅(München Hauptbahnhof)リンク ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)リンク 西武鉄道のレストラン列車「52席の至福」
2017年11月25日
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ラストに鉄道関連のリンク先を追加しました。久しぶりに美術ネタでも・・と思ってセレクトしていたのですが、構想を練るうちに写真が足り無い、資料が無い。結局東京に戻ってからでないと完成できない事に気がつき断念 それはいずれ・・。そんな訳でまたまた迷走して、写真集めと資料集めに中之島の図書館と大阪駅を行ったり来たりと3日歩きました。年中使っている大阪駅ですが、知らなかった事がいっぱい。新しい発見も・・。で、今回は初めての方に解るように写真をたくさん載せて大阪駅の紹介をしてみようかと思います全2回の予定。大阪駅(Osaka Station) 1 (5代目大阪駅と初代駅舎)大阪ステイションシティー(Osaka Station City)現在の5代目大阪駅舎初代の大阪駅(梅田ステンショ)と初代駅舎大阪ステイションシティー(Osaka Station City)東京駅ほどではないが、JR大阪駅はかなり広い駅である。※ JR大阪駅に新幹線の乗入れは無い。新幹線は新大阪の駅に発着する。(大阪駅から東海道線で一駅)南側にはサウスゲートビルデイング(大阪ターミナルビル)がそびえ、大阪駅の顔となっている。※ 旧アクティ大阪そこにはデパートやホテル(グランビア大阪)も付随しているし、最近では、北側の操車場が無くなり、その広大な跡地の開発を進めている。すでに北側にはJR西日本がショッピングモールやレストラン、オフィスにフィットネスなど誘致した複合施設、ルクア(Lucua)とルクアイーレ(Lucua1100)が建つ。それがノースゲートビルディングである。その新ビルにスムーズに入る為に造られたノースゲートからの3階コンコースと3階改札(連絡橋口)はとても使い勝手が良いさらにノースゲートの北側に建つグランフロント大阪も連絡橋で接続されているのでJR大阪駅に直結。JR西日本では、自社の駅と施設をまとめて大阪ステイションシティー(Osaka Station City)と銘打って宣伝している。鉄道以外の商売にも熱心なようである。ホームからの北(ルクア1100)方面 右上に見えるのが新たにできた3階の改札(連絡橋口)プラットホーム全体を被う屋根が付き、台風などでも濡れずにすむようになった。この駅舎の鉄骨架設工事は送り出し工法で2004年4月から始まり2011年4月までの7年がかりで完成。3階改札(連絡橋口)に向かう途中の通路から3階の改札(連絡橋口)通路 奧が北エリアのルクア方面。南側のサウスゲートビルデイングから北側のノースゲートビルディング(Lucua とLucua1100)に繋がるコンコース(鉄橋)。さらにはノースゲートビルディングからグランフロント大阪には別の連絡橋でつながる。3階の改札(連絡橋口)中こちらは内部のが広いからすっきり。乗り場も解りやすい。大阪駅の問題点全体に良くなっているが、中央ゲートなど(地上階の昔からの改札)はとにかく動線が悪く、問題点はまだいろいろある。一日の乗降車数850000人。列車運行本数1500本。と利用客が増えているだけに年々手狭になっているのは事実。現在も乗降客はぶつかるように交差しながら狭い通路を進み、改札を出なければならない状態だ。人が多すぎて止まるとぶつかるし、先もよく見えない。しかも、下からだとホームの位置や番号も見つけにくい。(初めての人には解りにくい。)なぜだろう? 理由は東京駅の造りと比べると良くわかる。大阪駅は、駅の南北への一般の通り抜けが優先されて、通路が広く確保されている一方、駅利用者の改札内部のスペースがあまりに狭すぎるのだ。(現在の利用客数に見合っていない狭さ。)東京駅を参考にするなら、現在一般客が通り抜けしている通路全体を改札内部にすれば、すっきり解決できるだろうに。因みに東京駅にも通り抜け通路は存在している。でも圧倒的に駅利用者を優先した造りになっている。それ故、東京駅の構内は恐ろしく広い。完全駅中のマルシェが多数存在しているのも納得なのだ。ついでに問題点をもう一つあげると、大阪駅はバリアフリーにはほど遠い構造だと言う事。今でこそ、多少エレベーターなども設置されてきたが、車イスの方やベビーカーを押す人、あるいは大きなスーツケースを持って歩く人にはかなり不便な環境なのである。それは、駅自体が継ぎ足し拡張である事が上げられる。また、サウスゲートの大丸とグランビアの入る正面ビルと中央ゲートからのコンコースは、土地の高さにかなりのズレがある事だ。中央改札からサウスゲート側に出るのに、階段を10段ばかり上らなければ外に出られない。しかも、そこにスロープもエスカレーターも無い。かなり迂回するか、持ち上げて階段を登るしかない。そう言う意味も含めて、初めての方や、体の不自由な方、また荷物のある方などは3階のコンコースから改札を入る事をお勧めする。3階からだと全てのホームが一目。ホームも見つけやすい。(うろたえないですみます)※ 地下鉄乗り換えの場合は話が別。3階までの昇降時間を考えると、地上階にある中央ゲートや、御堂筋口ゲート、桜橋口ゲートを使用する方が早い。因みに、大阪駅では改札により、目的地がはっきり別れている。しかも、駅構内は解りにくいほど入り組んでいる。間違えると後が厄介です。だから誰かに聞くなら、まずはホームの上で「どの改札」を出たら目的地に近いか聞く事をお勧めします。ルクアイーレ(Lucua1100)にある「大阪ステイションシティー(Osaka Station City)」のジオラマ※ 映り込みが激しいので背景を消しました。右の建物が南ゲートのサウスゲートビルデイング(大阪ターミナルビル)現在の5代目大阪駅と周辺をざっと紹介。地図はJR西日本が発行している冊子からのものです。6ヶ国語くらいに対応してました。ピンクの囲い・・JR西日本の「大阪ステイションシティー(Osaka Station City)」のエリア北側ブルーのビル・・ルクア(Lucua)とルクアイーレ(Lucua1100)中・・・JR大阪駅(Osaka Station)南側オレンジ・・サウスゲートビルデイング(大阪ターミナルビル)(上階・・ホテル・グランビア大阪)(下の階・・大丸デパート梅田店)参考にグリーンで囲った所・・阪急デパート梅田店と阪急電車梅田駅。薄いブルーで囲った所・・阪神デパート梅田店と阪神電車梅田駅。現在の5代目大阪駅舎大阪駅西側 桜橋口各ホテルの送迎バスの発着所がガード下にあり、右手前の桜橋口前はタクシー乗り場になっている。下の写真は、桜橋口を上から見た所。四つ橋筋からの撮影。大阪駅サウスゲートとなるサウスゲートビルデイング(大阪ターミナルビル)サウスゲートビルデイング(大阪ターミナルビル) 正面旧 アクティ大阪の時は、駅舎としの存在意義に欠けていた。ノースゲートとの連絡通路の接続の為に改修工事が行われ現在は大阪ターミナルビルとして一役かっている。実際サウスゲートビルデイング(大阪ターミナルビル)が大阪駅の顔だしね 現在、新たな駅前地下道の工事中。完成されれば、歩道も広がり、利用のアクセスももっと良くなるはず。真っ直ぐ進めば大丸デパートの間を通り段差を経て、中央コンコースに。エスカレーターで2フロア上がると、先ほど紹介した3階の連橋口に出る。左が大阪駅グランビア大阪。中には大丸デパート梅田店が・・。正面のビルが阪急デパート梅田店。写真右の建物が阪神デパート梅田店。ここはデパートのトライアングル地点ですね因みにこの道路の地下には阪神電車の梅田駅がある。今度は反対に御堂筋の歩道橋の上から南側駅前通りを撮影。御堂筋の歩道橋の上から大阪駅東側。バス停車場とピンクの↓下が御堂筋口。参考までに、飛行場までのリムジンバス乗り場の地図を乗せました。地下道だけではどれも行けず(雨の時は困る)、いずれも不便です。初代の大阪駅(梅田ステンショ)と初代駅舎不思議に思っていた事がある。都会の一等地なのに、貨物車の駅があったり、操車場があったり近年まで大きな開発がされないできた事に・・。理由はそればかりではないかもしれないが、前々回「大阪ミナミ 戎橋界隈と法善寺横丁 2 (千日墓所と法善寺&大坂七墓)」の中で書いたよう、かつて梅田墓所や火葬場があった場所に大阪駅はできたからのようだ。リンク 大阪ミナミ 戎橋界隈と法善寺横丁 2 (千日墓所と法善寺&大坂七墓)古い記録には、「摂津国西成郡第三区七番組曾根崎村、通称梅田千日の墓所を取り払い停車場を建つ」と記されているそうだ。当初、大阪駅は堂島に建設する予定だったらしい。しかし土地の買収を終えた後も「火の粉で人家が火事になる。」と、反対運動が再燃。そんな事から人家を遠く離れた梅田三昧(さんまい)墓地(通称 梅田千日墓所)に決まったらしい。※ 場所の移動にともない、路線も堂島から本庄・中津経由の吹田であったのが、本庄から吹田に変更。かくして初代の大阪駅は西成郡曾根崎村字旧天童(旧大阪中央郵便局の西裏)に変更された。当時の梅田は泥田の中に葦が生える荒れ地。そしてそにあるのは墓地と火葬場くらい。土地も安い。とは言え、鉄道用地として一反(いったん)(300坪、990平米)45円と高額に買いあげたらしい。※ 坪15銭。だから駅を建設した後も卒塔婆(そとば)が残っていたと言う。※ 資料はルクアのジオラマの所にあった駅史と、中之島図書館で見つけた「旅客輸送の100年(大阪府寄贈)」と、「大阪春秋13号、大阪駅舎物語」から。※ 近年の再開発でもお骨や墓石が出てきているようです。初代駅舎 1874年(明治7年)~1899年(明治32年)※ 写真は、ルクアイーレ(Lucua1100)オフィス入口の展示コーナーより。1874年(明治7年)5月11日。大阪~神戸 間に関西で初めての鉄道が開通。我が国2番目に施設された鉄道だったらしいが、駅舎の建設が間に合わず、ホーム以外は仮の状態でのスタート。※ 日本初は1872年(明治5年)10月、新橋駅~ 横浜駅 間。駅舎は木造に赤煉瓦貼り。二階建て瓦葺きの西洋風。前面に池と植木が植えられ、当事としてはハイカラな駅舎。皆がお弁当を持って見学にきたと言う。「梅田ステンショ」の愛称で親しまれたそうだ。 ステンショ ? Station ?大阪発の神戸間20里(約74.54km)余り、所用時間は1時間10分。※ 1里=約3.927km。1日8往復。車両もレールもイギリス製。高給の外国人技師によって運転されていたらしい。運賃は大阪から神戸までで片道 上等1円。中等70銭。下等40銭。当事米一升が5銭。 ※ 米1升=10合=約1.5kg。1円=100銭。 (Xg:100銭=1.5kg:5銭)上等1円の運賃で米が30kg買えた事になる。つまり高額すぎて乗車できたのは、華族か、金持ち。あるいは居留地の外国人か貿易業者くらい。それでも一生の思い出? 冥途の土産? に乗った年寄りも多かったらしい 1889年(明治22年)7月、東海道本線、新橋~神戸 間が開通。 急行列車で所要17時間。1900年(明治33年)寝台車が連結。2代目駅舎に変わるのは1901年(明治34年)。その話は次回につづく。リンク 大阪駅(Osaka Station) 2 (大阪駅舎の歴史とノースゲート)大阪については以下も書いています。リンク 大阪ミナミ 戎橋界隈と法善寺横丁 1 (ミナミと言う街)リンク 大阪ミナミ 戎橋界隈と法善寺横丁 2 (千日墓所と法善寺&大坂七墓)リンク 大坂の陣 古戦場 1 茶臼山と真田幸村リンh 大坂の陣 古戦場 2 安居神社(真田氏終焉の地)リンク 世界の看板 2 大坂ミナミ(道頓堀通りの巨大看板)リンク 大阪 造幣局 桜の通り抜けリンク 旧 仁徳天皇陵(大仙陵古墳)の謎リンク 四天王寺庚申堂鉄道関連のBack number 大阪駅(Osaka Station) 1 (5代目大阪駅と初代駅舎)リンク 大阪駅(Osaka Station) 2 (大阪駅舎の歴史とノースゲート)リンク ドクターイエロー(Doctor Yellow)リンク 東海道新幹線開業50周年の日リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)リンク ユーロスター(Eurostar)リンク ミュンヘン中央駅(München Hauptbahnhof)リンク ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)リンク 西武鉄道のレストラン列車「52席の至福」
2017年11月15日
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Break Time (一休み)やっと東京に戻ってきました。何だかんだと3週間を越え・・。帰京前に比叡山まで足を伸ばしてきましたが、あいにくの雨。本来なら絶景が臨める坂本ケーブルからの琵琶湖どころか、寺さえもガスって撮影はできない状態でした また行かねば・・。でも、相応和尚1100年御遠忌記念と言う事で10月1日から33年ぶりに西塔の釈迦堂内陣が一般公開され、延暦寺の僧侶でさえ、拝む事ができないような扉も開かれ、秘仏が公開されているので今が行き時です。※ 2017年10月1日~12月10日まで公開。さて、今回は久しぶりの鉄道ネタです ドクターイエロー(Doctor Yellow)ドクターイエロー(Doctor Yellow)新幹線のグリーン車(おまけ)走行スケジュールは非公開。見ると幸せになれる? という都市伝説まで生まれた幻の黄色い新幹線。ドクターイエローをついに見る事ができました 10月5日14時11分~13分の間に新大阪の駅構内で撮影。14時30分の新幹線に乗る為にホームに上がったら なんと黄色の車体がいるではないか・・。思わず走ってとにかく頭を撮影に。(実際は尻尾であった。)ドクターイエロー(Doctor Yellow)「ドクターイエロー」は通称で、「新幹線電気軌道総合試験車」が本来の名称らしい。目的は、走行しながら線路のゆがみや架線のたるみ、信号や電気系統の電流の状態を検測すると言う新幹線の走行にかかわるチェッカー(checker)車両である。しかも、営業速度(270km/h)で検査、走行できる車両としてはドクターイエローが世界初だそうだ。いわゆる新幹線(Bullet train)のお医者様と言う事で、敬意を表して? ドクターイエロー(Doctor Yellow)と呼ばれるようになったのか?なぜ黄色いか? 夜目に目立つように、もともと保守作業車の色は黄色かった事から由来しているらしい。そして、お客様が営業車と間違えないように・・との配慮もあるらしい。7両で1編成のドクターイエローは東海道新幹線と山陽新幹線の区間(東京~博多)を2日間かけて往復。およそ10日に1回のペースで可動。途中駅をノンストップで東京~博多の間を往復する通称「のぞみダイヤ」は1カ月に3回の運行。各、新幹線の駅を全停車して往復する通称「こだまダイヤ」は2カ月に1回の運行。乗員は運転士と車掌。線路点検の技術者が3人、電気設備点検の技術者が4人乗車しているそうだ。※ 7号車には50人分の座席があり、特別視察団などに対応。ボードには「回送988」あるいは、「Out of Service」の文字が・・。非稼働中?ドクターイエローの車体は現在で3代目1964年の東海道新幹線開業の1964年~1974年まで活躍した初代は0系新幹線の試験車を改造して造られたものらしい。1974年からは車内の検査設備が新しくなり、電気設備と線路の点検が一緒にできるようになった車両が登場。(車両自体は前と同じ0系)※ 山陽新幹線の博多開業に合わせて登場。1974年~2001年。2001年、700系をベースに最新の検査設備を持ち、かつ車両のフロント部に監視カメラが設置された車両が登場。車体のイエローはより、鮮やかな黄色が採用。初めてまじまじと見たけど700系のイエローはとても美しい。個人的にはN700系より700系のが形が好き写真下、車両フロント部のカメラ車体はアルミニウム合金ブルーのラインは東海道だから。東北・上越新幹線ではグリーンのラインが入った「ドクターイエロー」が2002年まで走っていた。※ JR東日本の東北・上越新幹線の検査車両はイーストアイ(East i)に変わったらしい。ドクターイエローが消える?実はJR東海は2015年10月、東海道新幹線をすべてN700系(N700A)車両に入れ替えて、2019年度末までに700系の廃止を発表。そうなると700系のドクターイエローも引退か? とささやかれている。もしかしてJR東日本の東北・上越新幹線のようにドクターイエローは消えるのか?ファンとしては、気が気で無いだろう。それについて、JR東海は言及を避けているらしが、今や国民的な人気を博したドクターイエローを廃する事はできないだろう。・・と思う。とは言え、最高速度の問題もあるので、700系に代わるN700系でもない、超新型のドクターイエローが登場してくる可能性はあるかもしれない。とにかく見られて写真撮影できて、ラッキーでした。新幹線のグリーン車(おまけ)諸条件はあるが、事前予約で、土日に2人以上でグリーン車に乗るとお安くなるらしい。新幹線の普通車の座席は横5列(2列+3列)グリーン車は横4列(2列+2列)でかなりゆったり。でも、車両により、機能の差は大きい。(お値段は一緒なのに・・。)新型の車両は飛行機のような装備。N700系のシートは「シンクロナイズド・コンフォートシート」というリクライニングすると座面後部が沈む構造が採用されているそうだ。たぶん写真の車両はそれだったと思う。飛行機ほどにリクライニングはしないが・・。グリーンにはフットレストが付いている。しかし、これは微妙。飛行機は自分の椅子の下から出るので調整もできるが、前の座席に着いたフットレストでは、多少の上下げができても、距離感や高さがどうもしっくり来ない。フットレストのおかげで、前にキャリーケースも置けないから私にはジャマかも。基本上の棚に載せるようになっているが、力の無い女性に上まで上げる力は無いからね。それにしても新幹線はグリーン車両にも荷物置き場が無い。(成田エクスプレスにはあるが。)外国の旅行者のスーツケースは上の棚に置けない程大きい人がたくさんいる。座席の所に置く人もいるし、後部の僅かの空間を争って荷物を置いたりしている。外国の車両を見習って、荷物置き場を少し考えるべきだ。飛行機と同じように手元にいろいろ付いている。肘掛けには椅子のプライベート・ライトやコンセントも。最近は普通車両も足下の壁にコンセントが付いていて、携帯など充電できるタイプも多くなったが、初期車両なのか? グリーン車でもコンセントがない車両もある。下の矢印は、プライベート・ライトその位置で役に立つのか試しませんでした丸いのは荷物掛けなのか? 車両内を歩く時に揺れて捕まる為の取ってなのか?旧型車両には取ってがついていた。下が旧型のグリーン車先ほど触れた、コンセント一つ無いグリーン車。JR東海の「のぞみ」グリーン車ではパーサーが乗務おしぼりのサービスと希望すればブランケットの貸し出しがある。(端の荷物棚の上に置いてあるので、乗車時に自分で取って行く方が良い。)全体に乗客は少ないので静寂で、のんびり旅が楽しめるかも知れない。でも、東京~大阪なら、普通車で十分かも。新型に乗車した時には後ろの席に元ジャイアンツの桑田氏が座っていた。まれに芸能人を見かける楽しみはあるかもね。見て見ぬふりするのが東京流(マナー)ですが・・。旧型の車内は明かりも違う。全体に昭和のレトロ感があるかもね。いずれにせよ、同じ値段なのだから、新型車両に当たりたい。旧型だと損した気分。でも車両は何が来るか解らないようです。(飛行機は機材が事前に解る)グリーン車には、もう少し何かサービスが欲しい所です。例えば、車両の中でも外でも使用できるコーヒー・チケットを配るとか・・。ところで、最近在来線に少しお金を出して指定席にできると言うプレミアム・カーが流行っているようで、あちこちお試ししています。そこそこ写真があれば、京阪電車のプレミアムカーを近日紹介します。
2017年10月07日
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Break Time(一休み)ラッピング電車「きゃりーぱみゅぱみゅ」 (SEIBU KPP TRAIN)実は大阪に来ています いろいろ体調もトラブルがあり、かつ忙しくて夜はすぐにダウン。そんな訳で今回最後のシュテファン寺院の紹介を延期させてもらいました 今回は手抜きで急遽鉄道ネタです 実は14日東京を出る時に、たまたま「きゃりーぱみゅぱみゅの電車」に乗り込んだのです。何てラッキー。 私はカメラを持っていた ヾ(*^。^*)ノ いえぇ~い と、言う訳で西武線のスペシャルコラボ企画。きゃりーぱみゅぱみゅの電車の紹介です。西武線池袋駅構内6月4日にお目見えしたと言う「きゃりーぱみゅぱみゅ」の電車は昨年創業100年を迎えた西武鉄道と「きゃりーぱみゅぱみゅ」5周年を記念してタッグを組んだスペシャル企画らしい。(9月29 日まで運行)6月4日から・・と言うわりに見たのは今回初めて。6月4日当日は1 便限定の特別電車イベントがあり「きゃりーぱみゅぱみゅ」自身が車掌役に扮して出発式に登場したとか・・。またイベントに参加した人にはオリジナル限定グッズがプレゼントされたそうだ。チケットは4月に売り出されて完売。乗り込んだのは鉄道ファンより「きゃりーぱみゅぱみゅ」ファンかな?13両編成の電車は全ての車両の外も中も「きゃりーぱみゅぱみゅ」一色。多分この電車だけなのだろう。それだけにいつ走っているのかの時刻については直接西武鉄道に問い合わせるしかないようだ。たまたま見れた・・と言うより乗れたのは超ラッキーなのだろう。ラッピングのデザインは「きゃりーぱみゅぱみゅ」の曲がアレンジされたもの。最近の西武線はレストラン列車の運行とか、ちょっと変わった企画が多い。少し前まで暗殺教室のラッピング電車も走っていたけど、車内まで「きゃりーぱみゅぱみゅ」一色なのはかなりの力の入れよう。そもそもなぜ「きゃりーぱみゅぱみゅ」なのか? と言えば、彼女が西武線沿線の出身で利用者だったかららしい。親近感湧きますね 他の乗客もいるので池袋まで来て乗客が降りて撮影しようと思ったら・・。すぐに折り返し運転で入れ替わりに乗車してきてしまった扉の内側までラッピング。西武線のポスター西武線自身でのグッズ販売は無いそうです。残念 シュテファン寺院は写真選びやまとめに時間がかかるのでもしかしたら東京に戻ってからの完結にさせてもらうかも・・・ m(_ _)m
2016年07月16日
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リンク先追加しました。最後にアウグスブルクのback numberも入れました。何年ぶりかで映画を見て来ました 小栗旬君主演の「信長協奏曲」です。これはドラマの完結部分を映画化したもので、どう終わるのか気になってたのです (原作マンガの方は読んでいません。)見ていない方もいるので内容は言いにくいですが、本願寺との戦いあたりから史実とはかなり異なっていて、織田信長の最後もしかり・・です。ではそれなら「秀吉が天下を取らない未来」があっても良かったのではないか? と少し残念でした。それにしてもかくも織田信長の奥方の帰蝶様は良き妻の役回りでドラマに出て来ますが、本当は結婚後の消息は不明のようです。名前も違っていたかもしれない 帰蝶(きちょう)でなく、胡蝶(こちょう)だったのではないか? 説もあり、私も同意です。織田家の家門の一つに胡蝶もあるし・・。織田信長公については連載しているので良かった過去ログみてください2015年5月「秀吉の御土居(おどい)と本能寺の移転」リンク 秀吉の御土居(おどい)と本能寺の移転2015年6月「信長の墓所 1 (本能寺)」、リンク 信長の墓所 1 (本能寺) 「信長の墓所 2 (大徳寺塔頭 総見院)」、リンク 信長の墓所 2 (大徳寺塔頭 総見院) 「信長の墓所 3 (蓮台山 阿弥陀寺)」リンク 信長の墓所 3 (蓮台山 阿弥陀寺)2015年7月「信長の墓所 4 (消えた信長公)」、リンク 信長の墓所 4 (消えた信長公)「信長の墓所(追記) と 細川ガラシャの墓」リンク 信長の墓所(追記) と 細川ガラシャの墓ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)プレメトロのトラム(路面電車)3号線チャーチル(Churchill)駅チャーチル像とループターン前回紹介したプレメトロのトラム3号線の終着駅がチャーチル駅です。チャーチルには以前紹介したアールデコの邸宅「ダヴィッド&アリス・ヴァン・ビューレン美術館」があります。その時の写真です。因みにこの界隈は高級住宅地です。トラム3号線案内図 中央駅あたりからの終点チャーチルまでの停車駅表親切な解り安いトラム(路面電車)の駅の乗り替え表示ですが、実はこのプレートは走行している車内しか設置されていません。これが各所にあれば便利だしプリントで配布されれば便利なのですが・・。オルタ駅の次あたりから? トラムは地上を走行。マロニエの並木の中を静かに走行。その両サイドに車道が通り、周りは高級そうなアパートが立ち並んでいます。VanderKindere駅トラムは専用線路で走るものの信号では車と一緒に停車トラムも横断東京には無い光景なのでちょっと不思議。チャーチル(Churchill)駅終点駅であるが、トラムはこの先でループ式のターンをして方向転換して来る。ループ線の所ではしばらく停車するのでここで降りなくても良い。チャーチル像とループターンループ線のある停車場からチャーチル駅方面を診た所ここで一端停止するので降車先発のトラムがいたので先に出たい人は乗り換え昔のトラムより小回りがきくらしい。ループ線の長さは100mトラックないくらい?ラケット型のループ線である。トラムは単線ではないが、運転車両が一方にしかないので反転する必要がある。なぜか駅の由来となるチャーチル像が建っている。後方のトラムは3分後に発車チャーチルとは英国の首相だったウィストン・チャーチル(Winston Churchill)(1874年~1965年)である。マーガレット王女によって1967年10月建てられたと言うがなぜ建てられたのかの由来が解らなかった。考えられるのはチャーチルはEUの生みの親でありベルギーでも尊敬されるべき人だからかもしれない。小説家であり政治家であるヴィクトル・ユーゴーは1849年にパリの国際平和議会で、「ヨーロッパ合衆国(a United States of Europe)」という言葉を使ったそうです。それから100年後1946年9月チューリッヒ大学でウィストン・チャーチル(Winston Churchill)はフランス及びドイツの協調を持って欧州を再統一しなければならないと演説。(チューリッヒ演説)1948年5月のハーグ欧州会議ではチャーチルは名誉議長に選出され欧州議会設立に尽力する。つまりチャーチルこそが欧州連合 (European Union)誕生のルーツだったと言うわけだ。車内のキップ認識のマシン左は日本のスイカのようなカード式。右が一回券などの刻印式チケットカード入れおそらく一番の新型車両だろう。トラムと言うよりはモノレールのような車両ですね。スタイリッシュにまとめられた車内窓は大きく明るい。日中は人の乗車は少ない。そもそも思うより人口は少ないので日本のような混み具合はラッシュでもないのかも・・。軌道線割に細くてシンプル。考えたら枕木も無くただ置かれているようにしか見えない。(道路では埋められているが・・。)どうやって固定しているのだろう。(・_・?) ハテ?次回アウグスブルグに戻ります。back numberリンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central)リンク アウグスブルク 1 (Intercity Express)リンク アウグスブルク 2 (クラウディア街道)リンク アウグスブルク 3 (市長舎 黄金ホール)リンク アウグスブルク 4 (ペルラッハ塔・Perlachturm)リンク アウグスブルク 5 フッゲライ 1 中世の社会福祉施設リンク アウグスブルク 6 フッゲライ 2 免罪符とフッガー家リンク アウグスブルク 7 (シェッツラー宮殿 ・Schaezlerpalais)リンク アウグスブルク 8 (司教座聖堂 1 ゴシック様式の聖堂)リンク アウグスブルク 9 (司教座聖堂 2 ロマネスクのクリプト)
2016年03月31日
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リンク先追加しました。ブリュッセルには2年半前に1週間ほど滞在。※ 2013年9月に「ブリュッセル中央駅(Brussels Central)」を紹介しています。リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central)その時は列車で入り列車で出国したので空港の写真がありませんが、メトロにはよく乗っていたので写真を探してみました。特にブリュッセルは交通網がツーリストにはちよっと解りにくい部分があります。その辺を踏まえて、今回アウグスブルグを一時中断して先に差し込み紹介しておく事にしました。(全2~3回くらいになります。)ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)メトロのKIOSK(キオスク)メトロとプレメトロの違いブリュッセルの特に中心部(かつての城壁の中)は歴史地区のせいもあるのか? 地上を走る電車も中央駅では地下に潜っています。さらにその下に地下鉄が走って中央駅に乗り入れしています。地上の交通網はバスとトラム(路面電車)ですが、これも歴史地区のグランプラスの界隈はトラムも地下を潜っていて、これが準メトロと言った扱いになっています。つまり、ブリュッセルのメトロは2種類のメトロが存在しているのです。因みにブリュッセル(Brussels)の南駅(Midi)がユーロスター(Eurostar)やタリス(Thalys)、ICE(Intercity Express)など国際列車のターミナル駅ですが、中央駅も国際列車が乗り入れしています。例えるなら南駅が東京駅で、中央駅は上野か新宿と言った所かも・・。以前ブリュッセルの地図は解りにくい・・と言いいましたが、交通局の出している地下鉄の路線図も解りにくく下はキオスクでチケットを購入した時にもらった地下鉄路線図に自分で色付けしたものです。B・・・Gare Centrale(中央駅)C・・・Maalbeek(マルベーク駅) テロのあった駅一応路線のカラーは交通局の指定カラーにしましたがもともと似通った色が使われているのでこれもわかりにくさの原因です。次に解りにくいのがメトロとプレメトロが混在した路線図です。メトロ・・・・・・1、2、5、6号が正規のメトロ(地下鉄)プレメトロ・・・3、4、7号がトラム(路面電車)で一部地下に潜るもの。地下鉄乗り場にあるKIOSK(キオスク)は本来切符売り場? 売店ではありません。上は中央駅 下はDe Brouckere駅か?たぶん・・。一回乗車券1日券や5回券、10回券が他にあるようで、メトロ、トラム。バスに共通。チケットは最初に乗る時に刻印を押すと時間で管理。A・・・・De Brouckere駅 の地下鉄のホーム(中央駅の一つ先)メトロ1号線と5号線が平行しているラインの駅。東京で例えるなら丸ノ内線か銀座線と言った所?要するにブリュッセル一番の主要幹線と言えます。天井が大ざっぱだが日本の地下鉄とほぼ変わらない。これでサンカントネールに行く予定でMerode駅で降車のはずが、奇しくも、今回テロのあったMaalbeek(マルベーク駅) で電車がストップ。なぜか日中に地下鉄の工事になるとか・・。親切なおばさんに教えられて地上でメトロが用意した振り替えバスに乗車。それよりも乗る前に知らせてくれればいいのにC・・・・Maalbeek(マルベーク駅) の上バックがEU本部ビルMaalbeek(マルベーク駅) は東京で言えば大手町か霞ヶ関と言った所。※ 2014年1月「ブリュッセル(Brussels) 7 (EU とサンカントネール公園) 」で欧州連合 (European Union)のルーツを書いています。この日はサンカントネールでは祭りが催されていて、ものすごい人。なぜこんな日に地下鉄を止めたのか?Maalbeek(マルベーク駅)は混み混みで写真を撮っていませんでしたさて、こちらはグランプラス近くの証券取引所です。この向かい。現在撮影している方の写真が下です。因みにレインボーカラーはゲイパレードが近かったからなのです。D・・・・Bourse駅レストランの前にMのマークが見えると思いますが、ここがメトロではなくプレメトロBourse駅の地下入り口でした。メトロとプレメトロの違いこの通りの下にプレメトロ3号線と4号線が走っているのです。プレメトロは本来はトラム(路面電車)の事です。つまり、かつてこの通りに普通にトラムが走っていたのが地下を走りメトロもどきになった・・と言う事でプレメトロと呼称されたのかも・・。しかし全線地下ではなく、途中から外に出て普通のトラムになります。ホームの看板こちらでは進行方向の終点駅の名が示されています。自分が降りる駅がどのラインのどちらの方角かあらかじめ調べておかないと(自分の駅だけだと)どちらに乗るのかわからなくなります。本当のメトロ(地下鉄)との違いはホームが非常に浅い事です。(車幅も違うと思う。)つまり車輪が全く異なるので双方同ホームへの乗り入れはできない・・と言う事です。改札に関してはこちらはアバウトです。因み通常トラムには券売機はありませんが、こちらの地下駅には自動券売機がありました。ただ、デジタルとアナログが混在した解りにくい機械の為に外国人が何組も買えずに迷ってました。聞くような駅員一人いません。本当にほぼ無人駅です。新しいから地下鉄よりも綺麗です。ワンコを2匹も連れた女性が・・。このままトラムに乗れる・・と言う事なのですかね?E・・・Horta駅 はアイアンワークとステンドグラスで装飾されている。ベルギーを代表するアールヌーボーの建築家ヴィクトール・オルタの家がここからすぐだから?次回プレメトロとトラムです リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)
2016年03月26日
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ミュンヘン中央駅からアウグスブルク(Augsburg)までは高速列車ICE(Intercity Express)で30分ほど。アウグスブルク初回編はICE(Intercity Express)から紹介です アウグスブルク 1 (Intercity Express)ICE インターシティエクスプレス(Intercity Express)インターシティエクスプレス(Intercity Express)、略してICEはドイツが開発した日本の新幹線に相当する特急です。以前紹介したオーストリア連邦鉄道(QBB)のレールジェット(railjet)は高速と言えど最高速230km。ICEは最高速320kmとされているのでかなり高速です。もちろんドイツ国内だけでなく隣接するオーストリア、スイス、オランダ、フランスの各地まで乗り入れしている国際列車でもあります。パリ~フランクフルト間は約3時間50分で走行するそうですよ。ミュンヘン中央駅いつも思うのは欧州の鉄道は掃除が行き届いていない。ドイツはまだマシではあるけど列車が汚すぎて写真を撮ってもアップにしたくない・・と言う問題があります。車内のモニター。今回は近いので座席予約はしたものの2等客室です便によっては予約しないと乗れない車両もありますが、予約しないで乗って勝手に座る人の方が多い気がしました。(帰りは自分の席に人が座っていてどいてもらいました。)始発駅なら問題ありませんが、途中からの乗車であるなら予約しておいた方が無難です。そんなに高くないし・・。2等でも結構広いし立派。因みに座席は2等が2:2に対して1等は2:1と余裕がかなりあるようです。以前紹介したイギリス、フランス、ベルギー3カ国の開発したユーロスターは座席間も幅もせまく窮屈でした。国柄がこう言う所にも現れるのでしょうかね。最もICEよりオーストリアのレイルジェットの方が良いですが・・。※ 2013年9月「ユーロスター(Eurostar)」リンク ユーロスター(Eurostar) 2014年8月「オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)」リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)今回は30分程度の乗車の上に案外混んでいたので車内を見学できませんでした。日本と異なり椅子は固定式。その為に向き合いになりテーブルのある席もあるけれど進行方向になっていない最初から逆になる席も存在する。もう一つ日本と異なるのは、車両の中にツーツケースを積むスペースが若干だがある事。日本の新幹線も上の棚にスーツケースは積めるけど女性では重くて無理がある。新幹線も成田エクスプレスの様な棚をもうけるべきなのかも・・。ステップは段差あり。ダウンロードしてプリントしたチケット赤い所に名前とクレジットカードのナンバーが入ります。乗車中、車掌さんがチケット確認に来るのですが、その時にクレジットカードの提示を求められます。本人確認と思われるので購入時と同じカードを持っていた方が良いでしょう。※ チケットの予約は旅行サイトでなく、ドイツ国鉄に直接アクセスした方が安いし、各種割引が適用される可能性があります。(早割とか土日割引など。)アウグスブルクの駅ローカルな地方駅のホームです。改札ホームへは地下道で抜けますが、エレベーターはありません。欧州では人件費削減か? 通常ホームに駅員さんはいません。乗り入れた列車の車掌さんとか乗務員が発車の合図などあれこれしています。よって、忙しいので何か聞きたくても聞けません。連結部途中で方面別に分かれるのかもしれないです。動力車詳しくは解りませんが、ICEは開発の過程で動力分散方式の車両もあるようですし、動力車でもプッシュブル方式を採用したタイプもあったようです。一般には先頭車の一端が動力車。もう一端が制御客車としたプッシュプル方式が採用されているようです。以前紹介したレールジエットと同じ方式だと思います。この動力車の存在が美しく無いですねバイエルンの在来線Bayerische Regiobahnアウグスブルクの駅舎 外から次回街に入る予定です。リンク アウグスブルク 2 (クラウディア街道)
2016年03月04日
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鉄道関連のリンク先をラストに載せました。現在問題になっているシリア問題。安全を求めて欧州に逃れてきたシリア難民。とりわけ彼らが目指すのは欧州でも難民の受け入れに寛容なドイツでした。彼らは仲介者に莫大なお金を払い手はずを整えてもらい国外に脱出。ギリシヤからセルビア、ハンガリー経由でドイツ入りしたシリアの人々が降り立っていたのがミュンヘン中央駅です。(ミュンヘン南50kmに難民の収容センターがあるかららしい。)「ニンフェンブルク宮殿 1」の時に中央駅の写真だけ紹介していますが、ニュースに度々出てくるので、ちょっと予定変更してミュンヘン駅の紹介を先に入れる事にしました。ミュンヘン中央駅(München Hauptbahnhof)ミュンヘン中央駅構内に設置されていた地図を解りやすく修正しました。大きく二つのブロックに分けられる。赤い円が列車のプラットホーム(ここはすべて始発駅である) 黄色の円が飲食などの商業ゾーンである。A(南東)が正面口でB(南西)とC(東)にも出入り口がある。(BC間はメイン通路)A ミュンヘン中央駅の正面口 トロリー、バスの乗車はこちら開業は1839年9月1日屋根が低く小さく見えるが中に入ると結構巨大なターミナル駅である事がわかる。B(南西)側を出た所がタクシー乗り場向かいに見える黄色のビルはメリディアン・ホテルC(東)側は空港行きリムジンバス乗り場待合どころか歩道に立って待つだけなので雨だったら最悪です。尚、空港へのアクセスは地下鉄もある。地下鉄は調度この下から通路で行ける。A正面口から構内に商業施設を抜けると正面にインフォメーションがある。その真向かいに券売機がある。インフォメーションはチケットを売ってくれる所とそうでない所がある。長距離路線の場合、たいていネットなどで事前に購入して来る人が多いので(その方が早割がある。)券売機で購入する人は案外少ない。尚、券売機で買うと安いが、窓口で購入すると値段はもう少し高くなるし、車内で買うともっと高くなる。料金体系がかなり細かくあるので外国人には解りにくい。券売機は以前オーストリアで紹介したものと同じ2015年2月「ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)の中。「QBBの発券機」で紹介しているマシンと同じなので使用方法はそちらを参照してください。リンク ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)ここはすでに駅中なのである。国内への路線は当然ながら国際列車の発着駅でもある。ブダペスト、プラハ、ウィーン、ザルツブルク、インスブルックなど近隣国への路線が多く発着する。改札は無い。しかし乗車前にチケットをマシンに入れて日時の刻印を入れる必要がある。ピンクの矢印の下にマシンがあるのだが、刻印をせずにマシンより先に行く事はルール違反となる。B(南西)側のゲートからの光景B口とC口間はメイン通路右が商業ゾーンで左がプラットホーム商業ゾーン以外にプラット・ホーム前に三角ブースの飲食スタンドが幾つも建っている。駅は深夜も動いているのでおそらく飲食店の何件かは夜も開いていると思われます。実はドイツには閉店法があり、土日など店は休まなければならない法律がありました。最近は世界的な常識や観光客の事もあり、土曜日のオープンは増えてきたそうですが、まだ日曜日に関しては中央駅前のデパートでさえもお休みでした。だから平日買い出しをしておかないといけません。レールジェットでザルツブルグから到着した時に隣のホームにいた列車です。ちょっと強面な感じかドイツっぽいな・・と思いました。Einsatzkommando COBRAÖBB Cobra LOK - Taurus 1116 Siemens欧州の駅の中でも、ミュンヘン駅は結構、駅中が栄えていました。シリアから来た人達はさぞ驚いた事でしょう。同時に新天地ドイツでの生活に希望の想いをはせている事でしょう。本当はシリア本国の内戦が収まり、イスラム国も消えて無くなればみんなハッピーなのですが・・。それにしても大量の移民にかつてのゲルマン民族の大移動が重なりました。ほぼ2世紀毎に欧州には大量の民族が流入し、ローマ帝国も滅びましたが、大量の民族流入そのものが、欧州と言う立地に必然的に起こる現象なのかもしれません。おわり関連のBack numberリンク ドクターイエロー(Doctor Yellow)リンク 東海道新幹線開業50周年の日リンク 大阪駅(Osaka Station) 1 (5代目大阪駅と初代駅舎)リンク 大阪駅(Osaka Station) 2 (大阪駅舎の歴史とノースゲート)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)リンク ユーロスター(Eurostar)リンク ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)リンク 西武鉄道のレストラン列車「52席の至福」
2015年09月09日
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発券機の所追記2014年8月「オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1」および「2」でオーストリアの国際特急列車の紹介をしているのですが、今回ザルツブルグ(Salzburg)へのアクセスは行き帰りもレールジェット(railjet)を利用しました。リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)街も駅もだいぶ整備されたようでこの数年でとても綺麗な最新の駅舎にかわっています。今後利用される方も多いと思うのでザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)の駅構内の写真を番外として紹介しておきます ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)QBBの発券機オーストリア領内西、ドイツに国境を近くするザルツブルグはもともと国際列車の通過駅の1つとしてできたようです。(1860年頃)欧州ではこの温室のようなガラスのドーム式タイプが多く見られます。19世紀の近代化の中で現れたアート的な鉄の建築が欧州駅舎のスタンダードになったのでしょう。モーツァルトの生誕地であり、音楽の都として賑わっている街は1996年にはさらに「ザルツブルク市街の歴史地区」としてユネスコ世界遺産に登録。より人気の観光地として観光客も増え、ザルツブルグを拠点にミュンヘンへの日帰りやインスブルックへの日帰り、あるいは移動へと来訪客は年々増えているようです。オーストリア連邦鉄道(QBB)のレールジェット(railjet)現在も西オーストリアのハブ駅として多くの国際列車が乗り入れする主要駅になっています。Line Salzburg たぶんザルツブルグ鉄道(Salzburg AG)です。ザルツブルグからローゼンハイム、ミュンヘンを結ぶ列車。下の列車は同じくミュンヘンとザルツブルグ間を結ぶバイエルンラントバーン(BOB)傘下のメリディアン鉄道(Meridian Eisenbahn) この列車は主に通勤用のようですが、ザルツブルグから、あるいは、ミュンヘンからの日帰り観光チケット(バイエルンチケット)で利用できる列車となっています。München ~ Rosenheim ~ Salzburgザルツブルグ、ミュンヘン間は高速列車のレールジェット(railjet)だと所要1時間28分くらい。しかし、バイエルンチケットでは高速列車は対象外、乗れるのはRE(地域快速)、RB(普通列車)で所要2時間くらい。僅かローカル線で2時間と言えど、かつては国が異なると電荷が異なる。ミュンヘン~ザルツブルグ間の鉄道計画は19世紀初めからあったもののなかなか困難なものだったようです。(国鉄、私鉄と2国間の会社が協賛しているライン)オーストリア連邦鉄道(QBB)ザルツブルグ社(Salzburg AG)ドイツ鉄道(DB)BOB傘下のメリディアン鉄道(Meridian Eisenbahn) もちろ欧州各国のユーロシティー(EC)、インターシティー(IC)、レールジェット(RJ)、シティー・ナイトライン(CNL)などの車両が運行。プラットホーム下の地下道写真左がQBBのラウンジ・・一等のチケットを持っている人のラウンジ列車の発券機手前赤いのがオーストリア連邦鉄道(QBB)。奧のがドイツ系と思われます。QBBの発券機ウィーン西駅で撮影言語は7ヶ国語対応。言語を選んでから発券操作に入る。入力項目などちょっと手間がかかるので時間に余裕を見てください。上の発券機以外にもインターネット予約でチケットを購入して日本でプリントアウトしてくれば発券機を使用する必要はありません。現地予約でプリントアウトしてない場合やその場購入の時に発券機が必要になります。また窓口購入も可能ですが、行列待ちがあること。また窓口発券をすると手数料がかかります。最近は事前にインターネット予約してプリントアウトしてくるのが一般的です。ただし、問題になるのは旅行取りやめになった場合です。QBBの窓口まで発券チケットを持っていけば、少しは戻るかもしれませんが、(前にも書きましたが)EU圏に居住していない者はカード決済したチケットの払い戻しがほぼ不可能なのです。国境がまたがる場合、同じ路線間でも、どちらの国でどのような買い方をするかで値段が異なってくる。ドイツの場合、早くチケットを購入すればするほど週末に限ってはかなり格安に購入する事ができる。一方オーストリア国鉄の場合、ローカル列車は超格安に買う事ができるが、特急列車などに関しての割引は無かったと思う。略号RJ(railjet)・・・・・・・レールジェットEC(Euro City)・・・・・ユーロシティ国際特急ICE(Inter City Express)・インターシティ高速列車IC(Inter City Train)・・・インターシティ特急REX (RegionalExpress)・快速急行列車RE (RegionalExpress)・・地域快速列車RB (Regional Bahn)・・・普通列車S (S-Bahn)・・・・・・・近郊列車U (U-Bahn)・・・・・・地下鉄改札が無いので日本とは異なるが、いわゆる駅中に相当するザルツブルグの駅舎内。もちろんショップも入っている。駅舎内に自転車は日本では不思議であるが、こちらでは電車に自転車を持ち込むのはあたりまえの光景。外観の写真が無かったのでのでRail Europeから借りてきてしまいました下の写真1870年頃の駅舎の模型(美術館で撮影)現在はこの駅舎の向こう側のプラット・ホーム上にドームがかかっているのである。(当時は駅舎側だけルーフがあったようです。)ところで、ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)は第二次世界大戦のおりに爆撃され、その時の不発弾が近年まで地下にうもれていたそうです。その不発弾の信管を抜く時に被害が出たとか・・。2007年8月、QBBはさらに不発弾の探索をしたと言いますが、まだ近隣に残っている可能性もあるらしいです。次回ザルツブルグを予定。しかし、以前1度特集しているのでどう載せるか思案中
2015年02月06日
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鉄道関連のリンク先をラストに載せました。Break Time(一休み)東海道新幹線開業50周年の日ただいま大阪に来ております。(たまたま昨日) そうしたら何と昨日(2014年10月1日)は東海道新幹線開業50周年の日だったのです。東海道新幹線は1964年10月1日、東京オリンピック・パラリンピック開催に合わせて開業されたそうです。今年は調度50年の節目の年。そして日本が再び次のオリンピックに向けて新たな飛躍をしようとするグッドタイミングな年でもあります。いろいろ記念セレモニーもあるようですが、JR東海では、1日、東海道新幹線全17駅の改札口で新幹線をご利用のお客様にプレゼント・・と言う事で記念クリアファイルを配っていました。もちろん限定50万枚で、しかも改札に入る時にのみ配布。(時間は不明)東京駅ではもらえなかったのですが、たまたま新大阪の駅で配っている所に遭遇したので頂いてきました。超ラッキー d=(^o^)=b イエイクリアファイル左が表、右が裏。今までの新幹線の歴史を物語る素敵なファイルです。しかもドクター・イエローも入ってる。素晴らしい ~(^∇^~)(~^∇^)~マニアらしき人もファイルもらいに来ていました。それでアレ? と気が付いたのです 何て運がいいの (^人^)パンパン 人(-_- )一礼今や世界に売り込みに出かけ、採用されている新幹線の開業は実は終戦から19年目に開催された東京オリンピックとパラリンピックの為だったそうです。それは日本の復興と民主化の象徴の産物であり、国家的一大事業だったと言います。その後1970年には大阪万博があり、1972年には山陽新幹線が開通。1972年は日本の鉄道100年記念と言う節目でもありました。たまたまなのですが、1972年に頂いたおじいちゃんの記念品が出てきました。鉄道100年記念に大阪鉄道管理局長から頂いた金属のプレート。当時、JRの線路下倉庫を3つ借りていたおじいちゃんはJRのお得意様としてこのプレートを頂いたそうです。同時に山陽新幹線の試乗チケットも頂いたそうです。(下)チケット裏側50年もたつのに新幹線は今も変わらずフレッシュな鉄道と言う気がします。中国には技術提携してパクられましたが、これからも新幹線は世界に誇る日本のブランドです。寿司と同じく日本と言えば新幹線・・と言ってくれる外国人が増えるといいな・・と思います。ガンバレ新幹線 o(*⌒O⌒)bふぁいとっ!!そう言えば車内でコーヒーを頼んだら、50周年記念にキリマンジャロのスペシャル・コーヒーが出てきました。キリマンジャロの故郷タンザニアも建国50周年だそうで、コラボ企画のようです。いつものコーヒーより本当に美味しかったです。初期の券売機ヘーっと見ていたら、もっと面白いものが出てきました。下は自動券売機の中のプリントのゴム印です。初期の券売機のチケットはゴム版にインクを乗せてプリントする・・と言う原始的なプリントだったようです。上下の写真とも、上がゴムの種印部分で、下はインクで版したもの。(ゴムの部分がみえにくいですが・・。)製品の年代はおそらく昭和40年代。オムロン製の自動券売機のゴム印です。(摩滅するので交換して捨てられるべき印で、大阪鶴橋の駅のマシンの物。)20円と50円区間のもの。何でこんな物が出てきたか? と言うと、当時おじいちゃんのビルに立石電機(オムロン)の券売機のメンテの事務所が入っていたからだそうです。捨てるべき物を拾ったのかも・・ (* ̄- ̄)驚いたのは当時のキップが機械の中でゴム版によりキップを刷っていた・・と言う事実。すごい、自動というよりむしろアナログだ・・ 関連のBack numberリンク ドクターイエロー(Doctor Yellow)リンク 大阪駅(Osaka Station) 1 (5代目大阪駅と初代駅舎)リンク 大阪駅(Osaka Station) 2 (大阪駅舎の歴史とノースゲート)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)リンク ユーロスター(Eurostar)リンク ミュンヘン中央駅(München Hauptbahnhof)リンク ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)リンク 西武鉄道のレストラン列車「52席の至福」
2014年10月01日
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タイトル変更長期旅行では、よく利用していたアメリカン・エキスプレスのドル・トラベラーズ・チェック(T/C) が今年2014年3月31日に日本での販売が終了していましたトラベラーズ・チェックはそもそも海外渡航中の現金の盗難や亡失といったリスクを回避する為にできた旅行小切手でしたが、昨今は国際キャッシュカードやクレジットカードの普及に加えてデビットカードが現れ需用が一気に激減していたようです。これからはクレジットカードか? デビットカードか? あるいは電子マネーか?デビットカードは自分の口座にお金さえあれば即時決済です。だから買い物をする時点で口座にお金が無ければならないが、購入の時のレートで決済されるから納得が行くのが利点。一方クレジットカードでは、決済の時期が購入時と異なる為に為替のレートが変わってしまう問題があった。(ヴィトンなど高額の品物を買うとレートが高い時に決済されていた。)またクレジットカードはお金が無くても借金できる利点がある一方キャッシングすると実はものすごく高利。(気付いていない人が多い。)逆にデビットカードはクレジットカードの取得が困難な若者でも口座開設と共に発行されるが、即時決済のリスクが生じるし、クレジットカードと違って24時間利用できない場合があるそうだ。(即時決済のリスクとは、店員の入力ミスによって金額に重大な問題が生じた場合でも一度デビットカードで決済すると(海外の場合)現金の時のような返金は難しい・・と言う事。)実はデビットカードも微妙な展開。電子マネーもBitCashの問題があったから今後はわからない。さてさて、大金を移動する人はこれから銀行送金か、それができなげれば危険ではあるがキャッシュを持ち歩くしかないのかな?さて、今回はレールジェット(railjet)の座席予約について・・と、ダイニング・カーで提供される料理を紹介。オリエント急行はともかく列車内レストランとしてはかなりメニューも豊富で何より味が良かったのですオーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)座席予約の確認列車レストランのメニューDining Cabinちょっとした調理室を備えた厨房のあるキャビンにはテーブルが4人がけ4つと二人がけ1つある。従来の列車はテイクアウトが中心のビストロであったが、レールジェット(railjet)では完全な食堂車レストランになっている。またBusiness(ビジネス)やテーブルのあるFirst Class (1等客室)には座席までのサービスが付いている。Economy Class(2等客室) に関しては、新幹線のような車内ワゴンサービスが来ていた。座席予約の確認ちょっと見えにくいが、天井部に赤い〇と→でしるしをしました。このような表示がされている席は、予約席になっています。ウイーンからザルツブルクまでは誰かが指定している席・・と言うサインです。これ以外の区間であれば座れます。基本、こちらの座席予約は日本のような車両単位になっていません。(日本なら自由席車両、指定席車両と分かれている。)ですから指定席予約をしていない人は、First Class あるいはEconomy Class の中で空席のところを好き勝手に座る事が可能です。(始発駅なら早く入って座席をとれるが途中駅からの乗車なら予約しておいた方がよい。)First Class の指定料金は一人3ユーロで意外に安い。尚、チケットの値段は同じ区間でも取り方によりバラツキがありすぎでした。例 ウイーン~ザルツブルク (317km) 所要2時間40分から3時間 乗車運賃(特急料金含) First Class 1人、83.20ユーロ Economy Class 1人、47.50ユーロこれを3ヶ月近く前に予約するとFirst Class で1人34ユーロになりました。(早割がある。)どこの国でチケットを購入するか?その国にはどのような割引サービスがあるのか?当日や前日は定価になりますが、うまいことチケットを予約購入するとお得に旅ができるのです因みにドイツには土日割引があります。(オーストリアには無い)そのかわりオーストリアにはレールジェット(railjet)などの特急や急行は除外されますが2~5人のグループで、全員1日乗り放題(月~金am9:00~翌am3:00)で35ユーロと言う(Einfach Raus Ticket)格安チケットが発売されています。列車レストランのメニュー最初に座席にメニューが配られました。列車内レストランはHenry am Zugと言うウイーンの会社が運営。この会社は他の列車にも提供しているようですが、おそらくレールジェット(railjet)はここが一社独占のよう。※ Economy Class (2等客室)はもう少し小ぶりな冊子が椅子の前に挟まっていた。自分達は予約の段階で向きあわせの固定テーブル座席を指定していたので席でサーブしてもらえた。値段は割と安い。しかもパン付きで非常においしかった ほぼイメージ通りこのサンドイッチは感激。別の乗車時に再び注文して2度も食べた 朝食セットメニュースパークリングワイン付き朝食カレーやシチュー、スープなどもあるし、ホットサンドやサラダもある。キッズ・メニューカプチーノ 2.8ユーロ左のプレッツェルはよくわからないがサービスでもらった。注文した人だけなのかは不明。飲み物はソフトドリンク7種、ビール5種、ワイン&スパクリング8種、コーヒー&ティー9種など種類も豊富。値段もリーズナブルで列車内の割にはむしろ安いかも・・。尚、値段には20%~10%の付加価値税が含まれて表示されている。テーブルでのサービスだったので給仕さんにチップは1割ほどのせて渡したが、Dining Cabinで直接購入するならそれはいらない。また乗りたいな・・と思える列車でした。バックナンバーリンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)ザルツブルグの所でQBBの発券機を紹介しています。リンク ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)
2014年08月25日
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ミラノ大聖堂はまだ聖堂内部の紹介が残っているのですが、ちょっと飽きてきたので気分転換に久しぶりの鉄道ネタです。昨年はロンドンからユーロスター(Eurostar)でベルギー、インターシティー(InterCity)でオランダへと列車移動しましたが、今年はオーストリアの国際特急列車レールジェット(railjet)でザルツブルク、ミュンヘンへと移動。昨年の列車は汚くて凄く嫌な気分でしたがレールジェット(railjet)は素晴らしく綺麗でサービスが良く快適な列車でした全2回の予定。オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)固定編成を採用プッシュプル方式客車のグレードと車イス専用車両オーストリアは、欧州のほぼ中心。その地理的な要因でいろいろな国の国際列車が走っていますが2008年12月から運行が始まったオーストリア連邦鉄道(QBB)のレールジェット(railjet)は従来の国際列車より快適で早い。最高速度275 km/h。(実車時の最高速は245km/h。速度表示が出ます。)車内サービスも飛行機なみにグレードアップした特急列車です。ウイーン西駅(Wien West bahnhof)・・・始発駅何よりうれしいのは窓ガラスが綺麗で窓越しに風景が撮影できた事です。昨年のユーロスター(Eurostar)はロンドン発だったにもかかわらずこ汚くてキズだらけでカメラ向ける気にもなれない窓ガラスでした。(外側が汚いからどうしようもない。)下の車両は機関車ではなく、運転席付き制御客車です。下の車両は機関車機関車に客室はなく運転席と動力のみ。制御車には制御用の運転席と客車がついているので窓があるかないかで違いがわかる。固定編成を採用車両前後は新幹線のように客車と機関車で統一したデザインが採用されています。これは固定編成の概念を導入したからです。(これは欧州では画期的考え)日本では一体型は当たり前の事ですが動力集中方式を採用している欧州では従来進行方向が変わると列車の動力源である機関車の部分を前後付け替える必要がありました。だからユーロスター(Eurostar)やインターシティー(InterCity)にしても、機関車はまちまちで、まして客車とは何の統一性も無かったのです。何しろかつては国により電荷も違ったので国境で機関車をチェンジする必要もあった・・と言うのも動力集中方式が採用されてきた理由の1つです。因みに、日本の新幹線などは動力分散方式を採っているので前後どちららにも動く(ペンデルツーク方式)が早くから採用されています。要するに動力を前後に持っている・・言う事です。(日本の場合は動力車両にも客車が付いている)日本は曲線や勾配が多い事、地盤が弱い・・など、動力集中方式が難しかったようです。プッシュプル方式機関車を付け替える事なく、列車を前後に動かす。普通なら日本と同じ動力分散方式(機関車-客車-機関車)になりそうなものですが、レールジェット(railjet)では動力集中方式のままで前後に動く事を可能にしています。それがプッシュプル方式で行きは客車を牽引、折り返しのバック走行の時は機関車が客車を押す形(プッシュプル方式)で走行する・・と言うもの。つまりレールジェット(railjet)は(機関車-客車-運転席付き制御客車)と言う結合になっているのです。下のような連結は途中切り離して別方向に進む事が考えられる。(ザルツブルグ駅)下は、これから発車する列車の編成を表示したデジタル画像の一部です。(ウイーン西駅)解りやすくする為に機関車をピンクに制御車を赤く囲いました。黄色・・1等車、ビジネス、 緑色・・2等車、赤色・・ダイニング・カーおよび車イス専用車両これによりレールジェット(railjet)の気付かなかったサービスもわかりました。First Class (1等客室 )(横3席)椅子は半分で向きが異なり日本のように変える事はできない。しかし、この列車ではインターネットが自由に使える。各椅子にはコンセントが付いていて、パソコンの電源も確保できるのだ。Economy Class (2等客室)(横4席)新幹線の普通席クラスかな? 悪く無いです。客車のグレードと車イス専用車両レールジェット(railjet)ではBusiness(ビジネス)、First Class (1等客室 )、Economy Class (2等客室)と3つのグレードがあります。しかし、列車の編成によれば必ずビジネスの車両がついている訳ではないようです。ビジネスは残念ながら見落として写真を撮ってきていないのですが、1等客車の中で一部コンパートメントになっているカ所がビジネス扱いのようで数は少ないです。また、編成表によれば、子供のプレイ車両や、ベビー用の車両をそなえている場合もあるようですし、たいていの列車にはDining Car(食堂車)が付いていて、その客車に付随して車イス専用のFirst Class (1等客室 )も付いています。※ QBBの場合、自転車積み込み専用車両があったりするのだが、レールジェット(railjet)の編成では見あたらなかった。車イス専用車両車イス専用車両は席数が少ないが、隣がDining Car(食堂車)と反対隣が広い車イス用のトイレとなっている。但し、欧州の列車の問題点は乗車時にバリアフリーではなく段差がある事。一応First Class 扱いで、4人がけテーブル1組と2人がけテーブル3組が設置されている。車イス2台は楽勝。大型の荷物を置く場所はない。たまたま予約していた場所がその客室だったのだが通常人は来ないようだ。車イスの人がそのまま入れるトイレ。トイレはEconomy Class でもそこそこ広い。(日本のは狭すぎる)尚、このトイレの後ろに列車内インフォメーションがあった。車掌さんが通常待機している場所のようだ。チケット確認に来た車掌さんガラス扉の奥がDining Car(食堂車)チケットは今やほとんどインターネットのプリントアウトである。だから必ず確認されるのは、チケット購入時のクレジットカードの提示である。人のチケットでかってに乗り込む人がいるからなのだろう。次回列車内の豪華メニューを紹介リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)ザルツブルグの所でQBBの発券機を紹介しています。ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)
2014年08月22日
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ラストにブリッセルのBack numberル1~12を入れました。 鉄道関連のリンク先も追加しました。※ 途中でハワイが入りブリュッセル5と6の間が2ヶ月ほど開いています。イギリス、ロンドンから、ユーロスター(Eurostar)でベルギーに入国。リンク ユーロスター(Eurostar)ブリュッセル(Brussels)の南駅(Midi)がユーロスター(Eurostar)やタリス(Thalys)、ICE(Intercity Express)など国際列車のターミナル駅になっています。もっとも同じEU圏なので「入国」と言っても、空港のように入国審査があるわけでもなく、普通に列車を降りた感じです。ベルギーではその滞在のほとんどをブリュッセル(Brussels)にしていたので、乗り換えて中央駅に。あいにく雨で到着でした。ブリュッセル中央駅(Brussels Central)観光客にはつらい駅事情その前にベルギーの位置から。ブリュッセルは「ル」の文字のあたり。旅行書もたいていオランダと抱き合わせになっている為に資料も少なくどこにあるか知らない人も多いかも・・。それにしてもベルギーはかなりの田舎都市でした。一応欧州の中程に位置する為に欧州連合の主要機関が集まる国際都市なのですが・・。ブリュセル地図(内容が若干古いのですが・・。地図上に北駅があり地図左下に南駅。ブリュッセル中央駅は地図の中程の紫の部分。実は丘陵地の為か? 歴史地区に近い為か? 中央駅あたりは地下を走行しています。(地下鉄ではありません。)地上の建物は小さいけど地下に展開。その一帯が中央駅で地下鉄も別に乗り入れしています。赤で囲ったのが、世界遺産に登録されているグランプラス(Grand Place)で、観光の目玉の地。黄色の点が有名な小便小僧 (Manneken Pis)の場所です。因みにホテルは駅の正面に取りました。ピンクがホテル(Le Meridien Brussels)です。とにかく立地が最高でした。ブリュッセル中央駅(Brussels Central)1952年、もともと国際列車の到着する北駅と南駅を接続する北南接続線計画により中央駅が開業。欧州ではどの方面に行くかで、ターミナル駅が別れている事が多いのです。日本で言えば東北方面に行く上野駅と東海方面に行く東京駅を接続したようなラインです。中央駅もICE(Intercity Express)は停車します。上段が外観。下段がその展開図。観光客にはつらい駅事情チケットは1階に窓口とマシンがありますが、日本と異なりマシンの方は買いにくい。とは言え窓口に並ぶと、時間もかかるし窓口手数料で高くなります。発券窓口日本の郵便局のように時間がかかるので乗車間際では間に合わないかも・・。30分くらい余裕をみないといけないかも・・。列車が何番線から出るかは、この電光ボードで確認しないといけません。ホームに行っても方角の表示もないし、駅員1人いない。日本の国鉄と違い、時刻表もなんとなくうやむやです 窓口のおばさんに確認して、すすめられた電車に乗ろうと行ったら、祝日はダイヤ変更になっていたらしく電車が無かった事が・・。窓口で再度確認したのに最初の係の人も知らなかった。掲示板に出てないのですが・・。と再度聞いたら「今日は無かった・・。」と言われてビックリです。職員はこんな感じであまり信頼はできないので、自分で調べられる限りは調べて何度も確認しないと大変な事になります。因みにオランダのハーグに移動予定でした。日程は変えられないし荷物も多いのでアントワープ経由で乗り換えてハーグまで行くはめに・・ 因みにベルギーでは駅に改札はありませんし駅員もほとんどいません。ホームも、列車の運転手が自分で降りて確認して発車するので窓口でしか聞ける人もいません。ところで、改札も駅員もいなくても、キップはちゃんと買わないといけません。時々抜き打ちでチェックしているので見つかったら何倍も罰金をとられる事でしょう。地下がプラットホームになります。また、各方面からの地下道もこの地下に接続されています。駅舎が新しいのでここのあたりの地下は、まあまあ綺麗ですが、トイレは有料のが1カ所です。駅はどこも共通で0.5ユーロ。※ お金を払ったからと、必ずしも綺麗なわけではない。フランス系のベルギーはトイレ事情があまり良くありません。トイレが無いに等しいくらい無いので、たいていの地下道はくさいし汚いし、しかも掃除がされないので本当にバッチイです。地下鉄のエレベーターなど真っ黒です 初夏に近いこの頃、側溝から蚊の大群が発生していました。古来ペストなどにやられてきた歴史の理由がわかった気がしました。地下2階のホームホームには指示版が何も無い。「本当にこの電車で良いのか?」不安になる事でしょう。中央駅正面のホテル。メリディアン・ブリッセル(Le Meridien Brussels)ロビーは広くは無いが客室は結構多く、モダンで快適な現代的ホテル。因みに、ホテル1階のトイレも通りすがりの一般の人が使用できないようにキーカードが必要である。左がメリディアン・ホテルで右が中央駅。画面には無いが駅の道路隔てた右側におしゃれなガレリアがある。左方面に坂を下ると旧市街のグランプラス方面である。駅周辺とこのあたりは開発のされた新市街。旧市街の方は道も石畳になるのでヒールでは絶対歩けない。レンタサイクルを良く見かけるが、乗っている人は見かけない。石畳がこれだもの・・。因みにこれは横断道の敷石です。ベビーカーを押して、ウイーンからブリュッセルに遊びに来ていた日本人夫婦に合いました。道が最悪でベビーカーが押せないと嘆いていました。ブリュッセル・・つづくリンク イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 1リンク イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 2 (オー・ザルム・ド・ブリュッセル)リンク ブリュッセル(Brussels) 1 (グラン・プラス 1 中世)リンク ブリュッセル(Brussels) 2 (グラン・プラス 2 北東面ギルドハウス)リンク ブリュッセル(Brussels) 3 (グラン・プラス 3 西面ギルドハウス)リンク ブリュッセル(Brussels) 4 (グラン・プラス 4 西面ギルドハウス 2)リンク ブリュッセル(Brussels) 5 (グラン・プラス 5 市庁舎 ガーゴイル)リンク ブリュッセル(Brussels) 6 (グラン・プラス 6 ブラバント公の館)リンク ブリュッセル(Brussels) 7 (EU とサンカントネール公園)リンク ブリュッセル(Brussels) 8 (サンカントネール公園とフェスタ)リンク サンカントネール美術館 1 (ローマン・グラス 他)リンク サンカントネール美術館 2 (フランドルのタペストリー 他)リンク ブリュッセルのコイン・ランドリー(苦戦物語)リンク ブリュッセル(Brussels) 9 (芸術の丘・ Mont des Arts)リンク ブリュッセル(Brussels) 10 (ロワイヤル広場界隈)リンク ブリュッセル(Brussels) 11 (王宮)リンク ブリュッセル(Brussels) 12 (漫画センターとオルタとタンタン)リンク ダヴィッド&アリス・ヴァン・ビューレン美術館(Musée David et Alice van Buuren)リンク 小便小僧(Manneken Pis) le Petit Julienブルージュもシリーズあります。リンク ブルージュ(Brugge) 1 (街のなりたち)鉄道関連のBack numberリンク ドクターイエロー(Doctor Yellow)リンク 東海道新幹線開業50周年の日リンク 大阪駅(Osaka Station) 1 (5代目大阪駅と初代駅舎)リンク 大阪駅(Osaka Station) 2 (大阪駅舎の歴史とノースゲート)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)リンク ユーロスター(Eurostar)リンク ミュンヘン中央駅(München Hauptbahnhof)リンク ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)リンク 西武鉄道のレストラン列車「52席の至福」
2013年09月22日
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鉄道関連ののリンク先をラストに載せました。今回はロンドン脱出編です ユーロスター(Eurostar)国際列車ユーロスター(Eurostar)欧州を走る高速鉄道ロンドンから列車で英仏海峡(ドーバー海峡)を横断。ベルギーに向かいました。今回はその滞在の半分以上がベルギー 列車はもちろん国際列車になるのでロンドンのセント・パンクラス(St Pancras station)駅から出発するユーロスター(Eurostar)です。ユーロスター(Eurostar)は、陸続きの欧州でも2カ国以上をまたがるのが国際列車。当日は写真なんか撮っている時間はなく、駅の写真はウィキメディア・コモンズから借りてきました。セント・パンクラス(St Pancras station)駅 撮影者Colin国際列車ユーロスター(Eurostar)英仏海峡トンネルを通ってイギリスと大陸ヨーロッパとを結ぶ最高速度 300km/h の高速鉄道がユーロスター(Eurostar)。運行ルートロンドン(London) ~パリ(Paris)ロンドン(London) ~ブリュッセル(Brussels)ロンドン(London) ~アムステルダム(Amsterdam)ロンドン(London) ~リール (Lille)※ 2013年時点の所要時間ロンドン~アッシュフォード~カレー~リール(Lille)~パリ (2時間15分)ロンドン~アッシュフォード~カレー~リール(Lille)~ブリュッセル (1時間55分)列車の総座席数766席。1日30便以上が運行。クラス特等 ビジネスプレミア(Business Premier) 食事:時間帯に応じたホットミールおよびドリンクが付くらしい1等 スタンダードプレミア(Standard Premier) 食事:軽食とドリンクのみ2等 スタンダード(Standard) 食事:なしユーロトンネルの開通の同年1994年11月にスタート。当初の始発駅ははウォータールー駅。高速新線HS1が完成した2007年11月からロンドン側ターミナル駅はセント・パンクラス(St Pancras station)駅に変更。チケットは今やインターネットで予約できるので自宅のプリンターで印刷。バーコードで改札を通過ところで「ユーロスター(Eurostar)のチケット予約」については2013年03月「海外旅行ネット予約の注意点」で少し紹介。リンク 海外旅行ネット予約の注意点改札を入ると空港のようにパスポートのチェックの他、荷物のスキャンとチェックもある。列車とは言え国際線は違うのね。待合室上の階がホーム。特等のビジネスプレミアには専用ラウンジがあるらしい。搭乗案内があるまでゲートは封鎖されている。開く時間は割とギリである。列車と思うから不自然であるが、飛行機だと思えば「そうか・・」と思う国際列車のプラットホームである。ホームにはカートの場所もあるが、駅自体にカートは一台もなかった。カートは撤廃したのか? 昔のように駅にポーターもいないので今は自分で荷物を転がすしかないのが大変。欧州を走る高速鉄道欧州を走る高速鉄道はユーロスターだけではない。各国の国鉄が主軸になり鉄道網を整備しているが、陸続きの欧州各国は接続を考慮して高速新線のネットワークを構築し連携している。最高速度300km/h の列車・ユーロスター(Eurostar) ユーロスター・インターナショナル社 (フランス、イギリス、ベルギーの3カ国で共同開発)・AVE(Alta Velocidad Española) スペイン国鉄(Renfe)の高速鉄道システム・TAV(Treno Alta Velocità SpA) イタリアの鉄道会社 イタリア国内・タリス(Thalys) タリス・インターナショナル社 (フランス、ベルギー、オランダ、ドイツの4ヶ国を結ぶ)最高速度320km/h の列車・TGV(Train à Grande Vitesse) フランス国鉄 (SNCF) の高速鉄道の車両・ICE(Intercity Express) ドイツ鉄道運営の上位車両・新幹線 JR(Japan Railways)グループ運営の高速鉄道実は時間がなくて先頭車両が撮影できなかったのでこれもウィキメディア・コモンズから借りてきました。撮影者 Oxyman (若干下を削りました。)こう言っては何ですが、列車はものすごく汚いです。窓ガラスなんてキズだらけで透け感も無い。窓越しの撮影は絶望です。なぜ掃除しないのか? 疑問を呈すくらいですが、窓はそれ以前の問題です。綺麗なのに交換してよ・・。日本の新幹線と違いこちらは車両に乗り込むのに段差がある。駅は後からできたのだからホームの高さを上げればいいのに不思議です。1等 スタンダードプレミア(Standard Premier)2等 スタンダード(Standard)座席間は狭く日本の新幹線のように足の前にキャリーを置くスペースなどない。でも、荷物置きは成田エクスプレスにはあるけど新幹線には無いなー。客車内にも少し置き場があります。トイレの写真がありませんが・・。日本より広くていいです。でも、こちらでは朝一しか掃除しないようです。だから朝は綺麗だけど汚れたらそのままずっと・・。汚いけど少し広めのトイレだからまだ許せる。日本の鉄道サービスはどこよりも素晴らしい。だけどトイレをもう少し広くしたらいいのになー。ビュッフェ車両所用2時間ほどしかないのでワゴン・サービスも無いようです。イギリスのフォークストーン(Folkstone)からフランスのカレー(Calais)まで英仏海峡(ドーバー海峡)真下、ユーロトンネルが20分で結ぶ。楽しみにしていたのに天気は曇り。しかも窓ガラスが汚すぎて写真もとれない。車窓の写真が撮れないなんて、せっかく乗った意味が無い。ぶっちゃけ、諸々ユーロスターはガッカリでしたともかくユーロスター(Eurostar)はブリュッセル(Brussels)のMidi駅へ。リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central)関連のBack numberリンク ドクターイエロー(Doctor Yellow)リンク 大阪駅(Osaka Station) 1 (5代目大阪駅と初代駅舎)リンク 大阪駅(Osaka Station) 2 (大阪駅舎の歴史とノースゲート)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)リンク ユーロスター(Eurostar)リンク ミュンヘン中央駅(München Hauptbahnhof)リンク ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)リンク 西武鉄道のレストラン列車「52席の至福」
2013年09月19日
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Break Time(一休み)テンプル教会を紹介する為には、テンプル(神殿)騎士修道会の話をしなければなりません。が、その騎士修道会の話をする為にはどうしても十字軍の話から入らなければならないのです。それらはどれも簡単に説明できるものではなく、特集に持ち込みたいネタですが、今回はできるだけシンプルに流れを紹介して・・と思っています。が、新たに本を数冊読んでいるので今回は別ネタです (;^_^Aロンドン(London) の地下鉄(Underground)世界初の地下鉄は蒸気機関車が牽引1863年1月9日。世界初の地下鉄がロンドンで開通した日である。区間はパディントン駅からファーリントン・ストリート(約6km)。まだ日本が江戸幕府14代将軍の頃の話である。ロンドン市内はすでに建物が密集し、地上に鉄道用地を確保できなかった為に地下を掘ったそうだ。その為か? ロンドン地下鉄はSubwayと言うよりUndergroundと呼ばれている。一目で地下鉄駅だと認識できるような工夫がわざとされていると言う。Piccadilly Circus Station 入り口世界初の地下鉄は蒸気機関車が牽引1863年の開業初日に3万人の乗客があり、初年度950万人の人を運んだと言う。しかし、この時の地下鉄は蒸気機関が牽引し、しかもガス灯を灯した木造客車の上にさらに屋根が無かったと言うのだから驚き。 シェー 「( ̄□ ̄;)」駅は換気の為に吹き抜け構造となり、トンネル内に排出される煤煙と熱を抑える構造がとられていたようです。また全てが地下トンネルではなく、路線の一部は土地を切り開いて掘る掘割(ほりわり)が多かったようですし、パディントン駅からキング・クロスはそのほとんどが開削工法(オープンカット工法)で行われたと言います。そこに排煙だけでなく、技術的問題もあったのでしょう。それにしても蒸気機関では、さぞ体に悪かったろうし、すすで真っ黒に汚れたであろう・・。ロンドンの地下鉄が電化されるのは1905年。地下鉄として世界で最初に電化路線になったのは、1896年5月2日に開業したブダペスト(ハンガリー)の地下鉄。ピカデリー線 (Piccadilly Line) は地表から深い位置を走るタイプの路線だそうです。ロンドン地下鉄の路線では3番目に利用客が多いとか・・。Piccadilly Circus Station思ったよりかなり綺麗だったので驚きました。もしかしたら昨年のオリンピックで綺麗にしたのかも・・。トンネルの掘削の関係で列車もこじんまり創られているので日本の地下鉄よりずっと狭いです。当時、すでにシティに徒歩で通勤している人は一日20万人に達していたとか・・。鉄道は1850年までにロンドン中心に7つの鉄道のターミナル駅が存在し、営業効率のいい郊外へ路線をのばしていたと言いますが、それら路線もバラバラ。地下鉄同士も当然接続されていなかった為に一度地上にでないと乗り換えができない不便さもあったそうです。ロンドンの地下鉄が統合されるのは1933年以降です。まとめて警報があるのは良いアイデアですね。駅構内の広告はどこも一緒。広告と言えば、電車丸ごとラッピングされている日本の地下鉄を見たらさぞ驚くだろうな。副都心線の地下鉄は電車自体が丸ごと広告でラッピングされている事が多く楽しいですし、何より広告のインパクトがあります。電車の形状が、本当にトンネルの形のよう。ところで、ロンドン最初の地下鉄を運営していたのがメトロポリタン鉄道(Metropolitan Railway)ですが、1900年パリ万博に合わせて開通したパリの地下鉄は、メトロポリタン鉄道の名からメトロ(Métro)の呼称をつけたと言われています。今や「メトロ」はフランス語の「地下鉄」の意味になりましたが、本当は都市交通の総称なのだそうです。
2013年08月01日
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少女時代に読んでいたマンガの本の影響で、どうしても乗車してみたい列車がありました。フランス国鉄(SNCF)が運行する高速列車TGV「イル・ド・フランス」です。パリ北駅からブリュッセル間を乗車しました。今から数十年も前の話ですが、今でもその時何が起きたか鮮明に覚えているのが不思議です。その時、フランス国鉄のストに当たり、当時2時間くらいで到着する列車が5時間近くかかったと記憶しています。幸いダイニングカーに席を取っていたので窮屈な思いはしませんでしたが遅延で大幅なスケジュールの変更となり結局ブリュッセルでランチだけ食べてトンボ帰りしたのです。でもその時ブリュッセルでたまたま食べたランチが素晴らしく芸術的で美しく、かつ美味しかった事を今も覚えています。(フレンチのコース料理でした。)遅延のおかげでその店に入れた事自体がラッキーとなったのです。私に運が無いのか? 列車の旅は特に記憶に残る事件ばかりです。特にフランス国鉄との相性は最悪のようですRENFE AVE (スペイン高速鉄道) 2前回に引き続きレンフェ (RENFE)アヴェ(AVE)からの紹介です。予約表によればランクは3つあるようです。クラブ(club)クラス(特等)プレファレンテ(Preferente)クラス(1等)ツーリスタ(Turista)クラス(2等)実はプレファレンテ(Preferente)クラスの実態だけが不明です。クラブとの違いはカンフアレンス・ルームが使用できない事とドリンクと軽食が付いていながら座席で食事ができない事です???3つのクラスとも座席でビデオや音楽プログラムが楽しめ、子供向けのボードゲームも使用できる・・と案内には書いてあります。アヴェ(AVE)のクラブクラスクラブクラスは横3シートです。ダイニング・カーとの間にある一室、これはもしかしたらクラブクラスのみ使用できるコンファレンス・ルーム? (会議室?)かもしれない・・。クラブクラスの所のトイレ前回鉄道と言うよりは飛行機のビジネスの感覚・・と言う事を書きましたが、実際航空機との競争を意識してのサービスになっているようです。ウィキペディアでは、「30分以上の延着で料金の100%払い戻し、15分から30分以内の延着で料金の50%払い戻しの制度がある(2009年7月現在)」と書かれていましたが、ほぼ時刻は正確のようです。これがフランス国鉄だったら年中払い戻し・・ではないか? と思いますが、将来フランスと接続してもこの制度は残るのだろうか? と疑問が・・。ツーリスタ・クラスとの間の荷物置き場ツーリスタ・クラスは横4シートスーツケースが乗っかってしまうほどの幅がある天井の荷物置き場おまけアヴェ(AVE)の発着するマドリードのアトーチャ駅(Atocha)新駅舎のプラットフォームアトーチャ駅(Atocha)はレンフェの運営するマドリード最大の鉄道駅。前回紹介したようにアヴェ(AVE)は1992年4月21日、セビリア(Sevilla)国際博覧会に向けて開通。その時に駅舎の方もそれに合わせるように1985年から改築が始まり、1992年には新駅舎が落成。外観写真が無いのが残念であるが、建築家はスペインを代表する建築家であるホセ・ラファエル・モネオ(José Rafael Moneo Vallés)(1937年~)旧駅舎プラットホームを改造したアトーチャ駅のカフェテラス。植物園風の演出が特徴。おわりBack numberリンク RENFE AVE (スペイン高速鉄道) 1リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)
2012年04月30日
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さて、今回は同じ交通でも列車の話題です。今回紹介するのは、ヨーロッパの中でも最新鋭の高速列車であるスペインAVEからで、久しぶりの鉄道ネタです ただ、今回はオリジナルが見つからずちょっと解像度が悪いのでゴメンナサイ。RENFE AVE (スペイン高速鉄道) 1RENFE (Red Nacional de los Ferrocarriles Españoles)AVE (Alta Velocidad Española)レンフェ (RENFE)は、日本で言う国鉄に相当するスペイン政府 出資の鉄道会社です。その中でもスペインを代表する高速鉄道システムがアヴェ(AVE)です。Alta Velocidad Española(AVE)は、文字通り「スペインの高速」の意であり、その列車は、いわゆる日本の新幹線に相当する車両となっています。スペイン語で「鳥」という意味もあります。その名の通りAVEは最高時速300km。最初の列車はフランスTGVの技術援助を受けて作られ、、軌道・信号システムはドイツからの技術提供で構築されたようです。こちらがもしかしたら初代の100系かも・・。今回解像度が悪い上に暗がりで写りが悪いのでアップができませんでした。クラブクラス以上には一車両に一人コンシェルジェがついています。アヴェ(AVE)は1992年4月21日、セビリア(Sevilla)国際博覧会に合わせて運行を開始。因みにその7月にはバルセロナで第25回夏季 オリンピックが開催されています。最初はマドリード~セビリアの間 (471 km) で、現在はマドリッドからコルドバ 、セビリア、マラガ間、バルセロナからサラゴサ、バレンシアなども運行されて人気だそうです。将来的にはフランスTGVやヨーロッパ各国に連結した高速鉄道を運行する予定で、その軌道は従来のスペイン鉄道の広軌ではなく標準軌(レール幅1,435mm)が採用されている・・との事です。アヴェ(AVE)のクラブクラス(日本のグリーン車に相当)には駅に専用ラウンジ(待合室)がもうけられています。酒類、ソフトドリンクとナッツなどちょっとしたおつまみがサービスになっています。もちろんクラブクラスで乗車の場合、アヴェ(AVE)内でも同様。ドリンクとちょっとしたおつまみがワゴンサービスで回って来て、無料です。さらにクラブクラスの場合、時間帯で内容に差がありますが軽食が付いてきます。一説によれば、スペイン人の平均的昼食時間である午後3時くらいに乗車した時が比較的豪華だ・・との事です。アヴェ(AVE)でのサービスは、日本の鉄道とは異なり、どちらかと言うと飛行機のサービスに近い考えのようです。(クラブクラスでは飛行機のビジネスクラス同様のサービスとなっているようです)別に軽食のとれるバーとブッフェのある車両が連結ここは、全てのクラスが使用可能つづくリンク RENFE AVE (スペイン高速鉄道) 22013年7月24日に起きたサンティアゴ・デ・コンポステーラ列車脱線事故はこのレンフェ (RENFE)です。列車の速度超過が原因で79人が死亡。にもかかわらず運転士が死亡していなかった事が不思議でした。もしかしたらこの時の列車はプッシュプル方式による動力集中方式の機関車がついていたのかもしれません。機関車ー客車ー運転席付き制御客車 と言う結合プッシュプル方式はレールジェット(railjet)のところで説明していますが、行きは客車を牽引、折り返しのバック走行の時は機関車が客車を押す形(プッシュプル方式)で走行するシステムです。サンチャゴデコンポステーラ行きの事故の時は「運転席付き制御客車」が後方にあり、無理に押した事により先頭車両がはずれたのかもしれません。リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)
2012年04月30日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いグイズシリーズをしていたようで・・。本当はスイスでまとめたいですけどね。さて、前回の残りとアルプス縦断トンネルの話です。スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)レッチェベルク線(Lötschberg Bahn)レッチュベルクトンネル(Lötschberg Tunnel)レッチュベルクベーストンネルとアルプトランジット計画ちょっと見にくい地図ですが・・・。オレンジの横ラインがアルブス山脈尾根づたいの分水嶺です。写真左下方のKとGK・・・・カンデルシュテーク(Kandensteg)駅G・・・・ゴッペンシュタイン(Goppenstein)駅写真上部中央がインターラーケン写真中央に囲んだ紫の部分がユングフラウ、メンヒ、アイガーのオーバーランド三山です。前回山の展望台から見たアルプス山脈がそこに横たわっているのです。前回のつづき列車へのバスの乗り込みから・・・誘導の係員バスの車内からの撮影なのでフロントガラスの汚れも写り混んでいます。頭から詰めて行くので車両連結が長くなると運転手さんは結構大変です。しかも線路はカーブしているので大型車はもっと大変。特にストッパーはなく、サイドブレーキだけで乗っかるみたいです列車は走行中対向列車とすれ違い同じく対向列車とすれ違い・・・なもなく駅。(フロントガラスの汚れが・・・。)降車アルプス越えルート の一つ レッチュベルクルートレッチュベルクトンネル(Lötschberg Tunnel)スイスでは、アルプス山脈の下を抜けるトンネルをかなり昔から採用しています。今回紹介しているレッチェベルク線は1911年3月に貫通し1913年から列車が運行をはじめた複線トンネルで、アルプス山脈で隔てられたカンデルシュテークとゴッペンシュタインをつなぐアルプストンネルです。しかし、レッチュベルクトンネルは線形が悪いため列車の高速運行に向かないこと、車両限界が狭いため貨物輸送に向いていない為に現在はカンデルシュテークとゴッペンシュタイン間のみの鉄道運営になっています。鉄道会社はベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道AG(BLS AG)主要株主は州政府(55.8%)とスイス連邦政府(21.7%)ゴッペンシュタイン(Goppenstein)駅機関車の後ろにあるヘリが倒れてそこから降りるようになっています。下の写真はレッチュベルク線の貨車ではありませんが参考に・・。ちょっと形が違いますが、氷河急行の時の写真なのでフルカ峠用かもしれません。かなりシンプルです。(動物輸送用かと思った)日本だと安全性で許可は下りないのでは?レッチュベルクルートレッチュベルクベーストンネル(Lötschberg-Basistunnel: LBT)トンネルの全長は34.6km実はレッチュベルクトンネルの路線の地下400mにもう一つレッチュベルクベーストンネルが2007年6月15日に開通しているそうです。スイスの連邦プロジェクトであるアルプトランジット計画の一環で、アルプス山脈を南北に貫く新しい高速鉄道が既存の路線のさらに地下に張り巡らす計画だそうで、レッチュベルクベーストンネルは、ベルン・アルプスを貫く新しいルートとして建設されました。ウィキペディアから借りてきた写真です。ドイツ、イタリア、フランスの真ん中にスイスはあります。アルプトランジット計画これ以上のアルプスでの道路建設を止めたい・・しかし、スイスはEU諸国において物流の通過点になる為にトラックによる貨物輸送を制限できない・・と言う政治的背景もあり計画されたのがこのアルプスの地下縦断ルートなのです。つまりスイスはアルプスの環境を保護を掲げて、鉄道へのモーダルシフト(代替輸送)を推進する政策をとってい.と言う事です。Back numberリンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線) スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)
2010年09月17日
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スイスの鐵道のリンク先を最後に追加しました。昔のは1本が短いです。スイス鉄道の旅は終わる予定でしたが、もう一件紹介したい鉄道物件があります。日本にはないシステムなので取り上げてみました。スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)レッチェベルク線(Lötschberg Bahn)レッチュベルクトンネル(Lötschberg Tunnel)インターラーケンからツェルマットへ車で向かう道中は、アルプス山脈を迂回してグリムツェル峠を越えて回り込まなければなりません。しかもスイスでは冬になれば雪で走れない道路が多く車での移動は困難、アルプスの峠越えはなおさら冬には難しくなります。しかし驚くべき事に山だらけなのに、この国では鉄道だけは何があっても動いているのですさて、鉄道は人を運ぶだけでなく、飲料食料の運搬、さらに生活のあらゆる事に利用されています。そこで今回紹介するのは、道路が使えないなら、車も鉄道のラインで運んでしまえばいいさ・・・と言う発想? の列車ですそして、その列車は車を積むた為の専用貨車になっています。列車(カートレイン)の貨物車両に乗り込む車現在スイスのカートレインは5箇所。全てアルプス越えのトレインのようです。今回紹介するのはレッチェベルク線。他にフェレイナ線、アルブラ峠、オーバーアルプ峠、フルカ峠越えなどで走っているそうです。レッチェベルク線 カンデルシュテーク(Kandensteg)駅・・乗車広場列車から降りてきた観光バス列車への乗車、降車はカーフェリーのそれに似ています。最後尾には客車も接続、但し車で乗り込んだ人は乗車時(走行中)に車の外に出る事はできません。車でなく、徒歩で列車に乗る人の客車です。ここカンデルシュテックの駅には3本の列車が待機していた。今回の接続は10車両くらい。当然季節で異なります。観光バスも普通に乗り込みます。貨車に自動車を搭載する形の列車で、フェリーのような感じ。貨車はホロ付きで大型バスよりも40~50cmくらい幅なのでバスの運転手にとっては乗車するのにちょっと技術がいる。レッチェベルク線(Lötschberg Bahn)カンデルシュテーク(Kandensteg)~ゴッペンシュタイン(Goppenstein)間を走る列車は主に車を運ぶ貨車を持つカートレインとしてマニアには有名です。全長14.6km。峠越えだけの為にある路線です。所要時間20分程。生活列車なので早朝から深夜まで運行。季節により時間は異なりますが案外本数は多いようです。カンデルシュテックはアルプスに突き当たる街。町の南にあるトンネル(レッチュベルクトンネル)がアルプス越えの鉄道トンネルです。だから街の人も車もアルプス越えにこの列車を使って移動するのです。しかし、観光ツアーの場合、時間短縮の関係もありますが、ちょっとお高くなるので必ずしも乗車するわけではありませんので調べてからツアーを申し込んでください。つづくリンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)スイスはクイズ形式での鐵道の紹介が多いです。リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答) グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました) ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅) ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)マッターホルン紹介の中に鐵道も多少出てきますが、それほど詳細ではありません。リンク アルプス山脈 マッターホルン 1リンク アルプス山脈 マッターホルン 4 (鉄道) ゴルナグラート鉄道
2010年09月16日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いグイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)ユングフラウヨッホ(Jungfraujoch) Top of Europeブラトー(Plateau)・高原の展望台スフィンクス展望台(Shinx Observation Terrace)アトラクション氷の宮殿(Eispalast)・・・・・氷河のトンネルスフィンクス展望台、前回はメンヒ(Monch)側でしたが、今回は反対のユングフラウの方面。こちらはその前に紹介したブラトー(Plateau)・高原の展望台も上から見下ろせます。写真右のユングフラウの裾の先の写真が下。左の端がユングフラウで下方がユングフラウヨッホ(尾根の部分)アヴァウトに言うと写真尾根の右手が北側。雪のない岩の部分がブラトー(Plateau)・高原の展望台の場所。さらに下方にユングフラウのハウスの屋根が見える。山の尾根を上から見る不思議山の頂はこんな・・なのですね。このユングフラウからメンヒを結ぶ稜線こそヨーロッパ大陸の分水嶺(ぶんすいれい)なのだそうです。北側方面クライネシャイデック側の水はアーレ側からライン河の注がれやがて北海に。プラトー側、グロッサー・アレッチ氷河側はローヌ川から地中海に。ブラトー(Plateau)・高原の展望台さて、展望をエレベーターで降りるとそのすぐ裏にトンネルが続く。スフィンクス・トンネルその出口が氷河出口(Exit to glacier)スフィンクス展望台(Shinx Observation Terrace)写真左の尖った岩山氷河出口(Exit to glacier)メンヒ登山やグロッサー・アレッチ氷河への出口がこちら。他にユングフラウヨツホで楽しめるアトラクションもこちら。アトラクション雪原では200m程度のゲレンデでスキー&スノーボード&ソリが楽しめます。スキー場の奥には犬ゾリに乗れるアトラクションも・・。かつてヴェンゲン等で郵便物を運ぶ為に北欧から連れてこられたハスキー犬やノルウェー犬の子孫が今は観光客を乗せて走っています。氷河トレッキングは予約者のみ。ガイドの先導で1泊2日の旅とか・・。この雪原の雪はグロッサー・アレッチ氷河に落ちていくのです。氷の宮殿(Eispalast)・・・・・氷河のトンネルプラトー高原への出口アイス・ゲートウェイの近くにもう一つアトラクション? があります。氷河の内部をくり抜いてその中を歩くトンネルがあるのです。意外にも歴史は古く1934年からあるそうです。もちろん氷河は微妙に流れ動いているので、毎年のメンテナンスは欠かせないそうです。内部には板前さんの作る氷の彫像なども展示されていますが、重要なのは氷河の内部を体験できる事。固い岩盤と永久凍土に悩まされてアイガー北壁やメンヒの内部を堀り続けられたユングフラウ鉄道は16年の歳月をかけて1912年に開通。それはアイガー北壁を初登頂するよりも26年も前の話だそうです。アイガー北壁をせっせと登るクライマーに対して、登山の経験もない者が電車でアイガーやメンヒの内部を列車に乗って登っている・・なんだかおかしな話ですね。しかもアイガーにガラス窓がはめ込まれていた・・・それはちょっと衝撃的事実だと思います。危険な岩山の登山。遭難者も出るわけで以前紹介し忘れましたが、アイガーヴァンド(Eigerwand)駅とアイスメアー(Eismeer)駅にある開口部は登山者救出の為にも利用されるそうです。「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 ユングフラウ鉄道」長くなりましたがこれにて終了です。back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年09月15日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。ユングフラウも後1回くらいです。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)ユングフラウヨッホ(Jungfraujoch) Top of Europeスフィンクス展望台(Shinx Observation Terrace)メンヒ(Monch)登山ユングフラウヨッホのハウスで一番の高台がスフィンクスです。(3573m)ここからはメンヒが間近で見ることが出来ますし、ユングフラウヨッホの全体を見渡すパノラマがみられるのです。空撮ができないので、全体を見る為に本から・・。スフィンクスの観測テラスです。右側がグロッサー・アレッチ氷河です。鉄道の駅から左手奥に10分ほど進むとシンドラー社の高速エレベーターが2基あり、乗って上階108mの地点にスフィンクス観測テラスはあります。観測所と室内テラス側外のテラスデッキから見えるメンヒ(Monch)の南壁と南西稜こちらの右方向が氷河の方向。メンヒの向こうにアイガーがありますが、見えません。メンヒ(Monch)(標高4099m)南西稜下方メンヒ(Monch)登山メンヒ登山ルートは南東稜と南西稜の2つがあり南西の方がちょっと難しいようです。登頂は3454mのユングフラウヨッホがスタートなので、登る高さは600m少々。アルプスに始めて登る人には丁度良い対象だそうです。しかし、かってに登る事はできません。登山ガイドは一人につき一人必要になります。滑落しそうになった時に支えるのは一人が限界だからだそうです。南東稜から登るのには南壁を横切らなければなりません。メンヒと南壁下のユングフラウ・フィルンメンヒ南壁の下のラインがユングラウヨッホのハウスからオーバー・メンヒヨッホに向かうルートです。横断の所要は1時間程。オーバー・メンヒヨッホから1時間から2時間で登れるそうです。メンヒ南壁下の雪原、ユングフラウフィルン。この雪もやがてグロッサー・アレッチ氷河に落ちるのです。左がメンヒ。右方面下がグロッサー・アレッチ氷河。黒く点在するのが人です。ユングフラウ・フィルンを縦走する人達・・・下、スフィンクス・トンネルを出たグレイサー出口から撮影ヨッホからメンヒの間の雪原はスキー場でもあります。その話は次回に・・。次回スフィンクス展望台からつづく。リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年09月10日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (ユングフラウ)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)ユングフラウヨッホ(Jungfraujoch) Top of Europeベルナーオーバーランド三山ユングフラウ(Jungfrau)(4158m)とりあえずユングフラウの写真を沢山載せました しぼれなかった・・・。ベルナーオーバーランド三山インターラーケンを中心とするベルナー・オーバーランドは、ベルンの南に広がるベルン州の高地(オーバーランド)(Oberland)を指し、典型的なスイスアルプスの景観を持つ所です。ベルナー・オーバーランドの中核とも言えるのが、インターラーケンから始まるユングフラウ地区で、その代表とするべき山がユングフラウ、メンヒ、アイガーの三山なのです。そのオーバーランド(高地)の中でも特に観光の主役が今回紹介するユングフラウです。素人がまじかまで登って(電車で)楽しめる・・所が他の山との人気の違いだと思います。ブラトー(Plateau)・高原・・・・展望台駅舎のある丘の端とユングフラウの東壁です前回紹介したアイス・ゲートウェイを出た所からの撮影です。左の小さいのはロートタールンホルンユングフラウ(Jungfrau)(4158m)ローマ時代よりその山の美しい姿が詩歌で賛美されてきた山だそうです。ユングフラウは、今でこそ山頂のユングフラウヨッホから登れば標高差はほんの700m程。マッター・ホルンやモンブランに比べれば、標高が低いので登るのに楽な山だと言われていますが、1811年にメイヤー兄弟が初登頂するまでは難所であり、ヴァージン(Virgin」)だった山なのです。「Jungfrau」は英語で、「Virgin」 (処女)あるいは「Maiden(乙女、少女)の意味です。、その名はヴェンクゲルンアルプにあった修道院に由来する・・と言う説もありますが、難所故に手つかずだった「Virgin」 な山の方が由来としては納得するのですが・・・。写真の人のいる位置に向かいのます。万年雪のせいで距離感も見えませんが、崖っぷちの先端の写真です。メンヒ(Monch)の由来は、「Monk」→「Monch」、キリスト教の「修道士」や僧侶を意味すると言われている。アイガー(Eiger)に由来は不明。13世紀にさかのぼって記録はあるものの、「Ogre」→「Eiger」から人型の怪物オーガとか、ギリシャ語の「akros」から「鋭い」と「尖った」に由来するとか、ドイツ語の「eigen」・・「独特の、特有の」から来ている?・・とか・・。ジョーク的なのではアイガーが男性を意味し乙女ユングフラウとの間を僧侶メンヒが邪魔している・・とか・・。一番高い部分がユングフラウ左の山裾が南東稜 右の山裾が北東稜拡大すると・・・こんなものが・・・電波の中継基地のようです。ちょっひいて見ると雪原には人の姿が・・。山の手前を縦走してロートタールザッテルを経由して南東稜をたどるのが一般ルート。雪のスロープなので技術的には難しくはなく、雪が固くしまっている早朝から歩くのだそうです。以前はベルクハウスに宿泊してのアタックでしたが、火事で焼けて現在はクライネ・シャイデックに宿泊して午前3時の始発電車で登ってのアタックだそうです。今撮影している場所をスフインクス展望台から撮影下方の岩の露出している部分が、ユングフラウヨッホ駅のある岩山です。これが本当のユングフラウの尾根とも言える部分です。つづくリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年09月09日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)ユングフラウヨッホ(Jungfraujoch) Top of Europeスイスの世界自然遺産アイス・ゲートウェイ(Ice Gateway)グロッサー・アレッチ氷河(Grosser Aletschgletscher)前回載せ忘れた駅の看板から暗かったので少しボケでいますが、標高3454m。鉄道駅としてはヨーロッパ最高地点の駅の看板です。それ故にこの山頂ハウスは今は「Top of Europe」と呼ばれている。かつて、ここには「ベルク・ハウス」と呼ばれる宿泊所もありましたが、1972年に火災で焼失し、今はクライネ・シャイデックに宿泊するしかありません。レストランは5つあり。富士山と違って、給水もトイレも地上の設備と一緒。日本の山はどこもトイレが汚くて嫌ですね。そう言えば富士山が世界遺産に認定されないのはそもそもトイレの汚水処理が原因でしたっけ・・・。スイスの世界自然遺産現在3件のユネスコ自然遺産が登録されていて、ユングフラウはその第一号です。2001年 ユングフラウ・アレッチ ( Jungfrau-Aletsch )2003年 サン・ジョルジョ山 ( Monte San Giorgio ) 2008年 テクトニック・アレナ・サルドナ ( Tektonikarena Sardona ) が認定2007年6月に登録地域は拡大されアレッチ氷河を含む総面積約824 km。「ユングフラウ~アレッチ~ビエッチホルン地域」がアルプス初のユネスコ世界自然遺産に登録。アイス・ゲートウェイ(Ice Gateway)山頂のハウス、ユングフラウ方面展望出口のアイス・ゲートウェイ(Ice Gateway)ここはプラトー高原への出口で、ユングフラウと氷河を見学するビュー・ポイント。アイス・ゲートウェイを引きで撮影すると右の丘の向こう右にはスフィンクスの観測所のドームが見えます。そして左に見えるのがメンヒ(Monch)スフィンクス展望台アイス・ゲートウェイに戻って、「Top of Europe」はグロッサー・アレッチ氷河(Grosser Aletschgletscher)の上に張り出すように建てられている。写真はまだ雪の多い4月。氷河見学は雪が溶けていた方が当然見学しやすい。グロッサー・アレッチ氷河(Grosser Aletschgletscher)全長22Kmのヨーロッパ最長の氷河がグロッサー・アレッチ氷河(Grosser Aletschgletscher)。氷の厚さは900m。1年に180mのスピードで流れている谷氷河。(奥に向かって)写真左下には氷河トレッキングをしている人達がいます。氷河トレッキングは危険なのでもちろん専門のガイド付きで行われるツアーです。黒い線は巻き込まれて流れて行った土砂や岩のようです。流れ方が解りやすいですね。氷河はフィルンと言う万年雪が堆積して行って圧密化して氷に変わったもの。下は氷河の周りからフィルン(万年雪)が谷に向かって滑り落ちて行く過程です。じきにこれらの雪も完全に氷河の一部となり氷の河となって下方に押し流されて行くのです。氷河の始まり? これは先程のスフィンクスからの撮影です。次回この後にそびえるユングフラウからです。リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年09月08日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。さて、ユングフラウ鉄道は山頂のユングフラウヨッホ駅到着からです。ここでは当然、ユングフラウやメンヒ、グロッサー・アレッチ氷河が良く見えるのです2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)ユングフラウヨッホ(Jungfraujoch) Top of Europeユングフラウヨッホの見取り図と位置関係右の山がメンヒ、見えませんがその向こうにアイガー、写真左に図にはありませんがユングフラウがあり、これら山の向側がクライネシャイデックやグリンデルワルドのある方。赤いのが鉄道駅です。近年は混んで列車本数も増えているのでホームのトンネルが増設されてホームは今3つあります。(岩山を別に掘って拡張)鉄道のトンネル右手の上のドームが気象観測所のあるスフィンクス展望台です。ここからはメンヒが特に良く見え、下方の方はスキー場などのゲレンデがあります。写真左上がプラトゥー(高原)で、ここからユングフラウを間近に見る。個人では位置的に撮影ができないので、本から持ってきた写真を参考にのせます。実際に表に出ている部分です。この建物の下の岩山に地下空間が掘られている。さらに、左手には氷河の一部があり、その中を掘ったアイスパレス(氷の宮殿)があり見学できます。因みに氷河は手前です。考えようによっては岩山に乗っけられているように建っているわけで、まるで秘密基地のようですね。そう言えば、モンブランの下も貫通する地下道路が走っていましたし、スイスでは住民の為の核シェルターが山下のそこここに掘られていると言います。一見のどかな山と牧草地ばかりに見えるこの国は結構驚異的な地下空間を発達させた国だったりするのです。もう一つ言えば、山の多いこの国では山の上でも物価は下界とさほど変わりません。日本では山の上に物資を運ぶ運賃が加算されてかなりお高くなりますが、あたりまえに山ばかりのこの国では列車が発達した為に物資は列車の空いたスペースで運ばれたりするからです。因みにスイスでは、郵便を運ぶ車に登山客を乗せてあげるようになった為に、逆に郵便車がバス化しました。さて、戻って駅からです。Top of Europeの駅、ユングフラウヨッホ駅近年ホームが増設当初からのホーム案内板には日本語も駅舎部分の出口(改札)何ヶ所かあります。前に紹介したユングフラウ鉄道の父アドルフ・グイヤー・ツェラー(A Guyer Zeller)(1839年~1899年)の頭部像と碑です。彼の根性がなかったらこの鉄道はできなかったかもしれない。実際完成前に亡くなっているのでこの地点には来ていないのかも・・・。駅舎部を出たとこに赤いポストがたっています。出て左が売店、右が昔懐かしい日本の赤ポストは日本からの寄贈品で、実際にポストとして利用されています。(ここに入れるのは日本人ばかりですが・・・)欧州と日本の最高地点に所在する郵便局同士が提携した「山岳郵便局提携」とか言うのがあるそうです。富士山五合目簡易郵便局 (標高2305m)ヨングフラウ山頂郵便局 (標高3454m)隣の売店でハガキと切手を購入して投函です消印が重要なのです。この売店の先をさらに10分ほど進むと展望台行きのエリベター乗り場に。ポストの目の前はカフェまずは案内写真の左上プラトゥー(高原)側の出口から出た所から建物を撮影。小山の向こうに観測所のドームが見えています。ここからのグロッサー・アレッチ氷河も良いのです。つづくリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年09月07日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)アイガーヴァンド(Eigerwand)駅アイスメアー(Eismeer)駅アイガーの岩山をくり抜いたトンネル内の紹介・・と言う意味で2つの駅の写真を載せましたが、どちらもあまり変わらなかった・・・さて、列車はトンネルに入ってからの勾配の方がきつくなるようです。そして外が見えるのもこの2たつの駅に僅かだけ。アイガーヴァンド(Eigerwand)駅行きだけ降りて5分程度見学停車をしてくれる。下からは確認していませんが、見学用のアイガーにはめ込まれたガラス窓は北壁の中央あたりに位置するらしい。8月のアイガーヴァンド駅展望窓からの景色です。つまりアイガー北壁からの景色です。アイガー-北壁に挑戦するクライマーが見る景色とほぼ一緒・・と言う事です。クライマーが振り返って景色を見ているのかは知りませんが・・。眼下がグリンデルワルトの街上とほぼ同じ位置からのグリンデルワルトの街 4月の写真。雪だと地上との境界がわからなくて失敗でした。本当に山の足下が見える絶壁なのですが・・下界の景色が見えるのはここまで。トンネルはこの後カーブして北壁から東壁に。アイスメアーの駅はアイガーヴァントの山の裏手になる。アイスメアー(Eismeer)駅駅員さんとけずったままの岩肌がそのまま見えています。たいした道具のない時代に良く掘りましたね。予定では4年のはずが14年もかかったとか・・。掘って開通させてお客を呼んでは、またその資金を次の工事にあてる。後半は自転車操業的に工事資金を工面していたそうです。創業者アドルフ・グイヤー・ツェラーはアメリカ南部の戦争がらみで綿花買い付けをして成功した人。鉄道は本業ではありませんでした。彼がそれを思いついたのは、娘とアルプスに来ていた時だと言います。苦労して施設した鉄道ですが、頂上までの完成前に亡くなって無念だったでしょう。今頂上の駅には彼の記念碑があります。駅名は「氷の海」。そこは氷河と万年雪の残る世界。ここもアイスメアーの駅に付けられた窓からの景色。フィッシャー氷河と奥の山がシュレックホントンネルはメンヒの山頂の下を通過してユングフラウヨッホ駅に。当初A・G・ツェラーの計画ではユングフラウの山頂に駅ができるはずでした。資金だけでなく、乗客が高山病になるかもしれない・・と700m標高を下げたそうです。電車でゆっくり登るので、そんなに酷い高山病にかかる人はいないようですが、それでも気分が悪くて食が進まない人は今の地点(標高3571m)でも結構いるようです。次回終点ユングフラウヨッホです。リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年09月04日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)アイガーグレッチャー(Eigergletscher)駅とアイガー氷河アイガーヴァンド(Eigerwand)前回の最後の写真がアイガーグレッチャー駅とその周辺なのでちょっと確認です。左の丘の上にアイガーグレッチャーの駅があります。その上の山がアイガー北壁です。その横の雪の河がアイガー氷河。ユングフラウ鉄道(JB)は、あのアイガーの北壁内部をくり抜いて鉄道を通しています。鉄道の全長は9336m。軌間1000m。1400mの標高差を50分で登ります。勾配250‰(パーミル)が全体の30%を占めているそうです。因みに勾配だけで言うなら以前紹介したピラトゥス鉄道が480‰(パーミル)で最大です。アイガーグレッチャー(Eigergletscher)駅アイガー氷河(アイガーグレッチャー)そのものが駅名になっています。まさしくアイガー北壁に一番近い所です。ハイカーはここで下車してアイガー氷河を見ながらクライネシャイデックを目指し、列車の乗客はそのアイガー北壁やメンヒの内部を抜けてユングフラウの尾根、ユングフラウヨッホの地下駅に向かうのですここで列車を降りて氷河の撮影です。ユングフラウ(Jungfrau)アイガーグレッチャー(Eigergletscher)・アイガー氷河氷河舌部駅を出たらすぐに長いトンネルに・・。アイガーヴァンド(Eigerwand)駅名は、「アイガーの壁」。そこはアイガーの岩壁の中に掘られた駅なのですアイガーヴァンド駅では列車が停止するので、展望台から、ガラス窓越しに北壁の切り立った岩壁とグリンデルワルトの街が見えます。よくよく考えると、アイガーにはガラス窓が付いている・・と言う事ですね次回駅の写真をのせますが、今回おまけお土産として売られているこの石は、説明書によればユングフラウ鉄道のアイガーヴァンド(Eigerwand)のトンネルで収集された本物のアイガーのかけらだそうです。何でも土産になりますね。買う人もいるわけですが・・つづくリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年09月03日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。今回はアイガーグレッチャーの駅界隈から・・の予定でしたが、ちょっと予定を変えました。実はユングフラウ鉄道のクライネシャイデックと次の駅アイガーグレッチャーの間はハイキングコースの一部になっているのです。そこで、今回は車窓だけでなく、ついでにハイキングコースからの写真も追加しておきました。そんな理由で山頂までの道がまた遠のきましたが写真は多いです2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)アイガーグレッチャー(Eigergletscher)界隈とハイキングコースユングフラウ鉄道の父前回の紹介した図から位置確認・・・クライネシャイデックからアイガーグレッチャーの駅は近い。そして景色がよいのでハイキングコースがあります。始発駅から山頂駅までのJBの所要時間クライネシャイデック(Kleine Scheidegg)駅 ↓ 10分アイガーグレッチャー(Eigerglescher)駅 ↓アイガーヴァンド(Eigerwand) ↓ 40分 ↓アイスメアー(Eismeer) ↓ ↓ユングフラウヨッホ(Jungfraujoch)駅行きは全ての駅に各駅で停車。帰りはノンスドップ。・・・但しアイガググレッチャーのみ下りの列車でも下車出来ます。料金はグリンデルワルドからの電車代込みでおよそ10000円。その内2/3がユングフラウ鉄道の分に割り当てられているそうです。(乗り降りは自由)標高本来このハイキングコースは登ると疲れるので、下りがベストですアイガーグレッチャーの駅を下車して山を下るのです。実際下りながら撮影したものを今回は上りの列車のコースと織り交ぜて紹介。この写真ではわかりにくいですが、谷向こうの崖上の街がグリンデルワルドだと思う。ユングフラウ鉄道の父アドルフ・グイヤー・ツェラー(A Guyer Zeller)(1839年~1899年)1811年にユングフラウの初登頂が成されてから、多くの人がこの山に魅せられたようです。多くの者が構想してもなかなか認可の下りなかったこの鉄道事業を成したのがアドルフ・グイヤー・ツェラー氏で、その成功故にスイス鉄道の父と呼ばれている。1893年にアドルフ・グイヤー・ツェラーが出した案が、「クライネ・シャイデックから岩壁の中にトンネルを作り、アイガー、メンヒの連峰内部を通り、その後ユングフラウヨッホの下を通ってユングフラウの頂上に到着する。」という建設計画だったそうです。資金難等で計画は多少変更され、頂上駅もユングフラウからユングフラウヨッホに変更されたものの今も「Top of Europe」と言われるように、今も欧州の中では最高の高さにあるポイントです。建設開始は1896年。ユングフラウ鉄道はトンネル部分が多く工事は昼夜交替制で数百人の建設作業員が動員。その工事の困難さ、資金難、事故など出遅れて完成は1912年。当人は全線開通前に亡くなっています。特にアイガーのトンネル作業は冬の間は外界から遮断される場所。秋に食料をアイガー氷河のベースキャンプまで運び上げて冬も工事を進めたらしいのだが、その当時、物資を運んだ貴重な動力が北極犬の犬ぞりだったらしい。当時、総工事費15000フランを掛けた一大プロジェクトは大成功。最初の一年で黒字を出したと言います。すごいそして今も年間70万人が訪れると言います。正面左がアイガー右隣がメンヒで一番右のユングフラウとの間へこみの部分がユングフラウヨッホ駅の上の展望台です。アイガーの初登頂は1858年。北壁の初登頂は1938年のドイツ・オーストリア隊。氷河がせまってくるようです。この丘の左上にアイガーグレッチャーの駅があります。ちょっとネットの接続が悪くなったりして手間取ったので今日はこんな所で・・。次回こそアイガーグレッチャーから。リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年09月02日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。9月と言うのに暑くてたまりません。この暑さ中旬までは続くそうですどうせなら冬も適度に暖かくて済むと良いのですが・・・。ユングフラウの写真で少し涼んでください2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)とユングフラウの四季夏の景色で紹介してきましたが、雪の残る4月や6月のクライネシャイデックの写真も捨てがたいので、載せてみました。比べて見てください。ここは、真冬でもハイカーこそいませんが、ウインタースポーツの他にもそれなりに観光客はやってきます。鉄道は、1年中フル回転です。写真は4月。空気が澄んでいてすがすがしいけど雪でまぶしいアイガー(Eiger) ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)を降りると最初に見えるのがこの角度この景色でしょう。あの岩山の困難な所を登りたい・・と思う人がいるのが不思議。新田次郎の墓そういえば、二人の日本人登山家を実名で描いた小説「アイガー北壁・気象遭難」を書いた小説家の新田次郎氏の墓がこのすぐそばにあります。遺言でアイガーの元に分骨したのだそうです。(本当の菩提は長野県諏訪市)氏は、富士山気象レーダー建設責任者を経験する気象学者で、気象庁在職中から執筆。特に山岳小説で有名です。スイス当局の特別の計らいでしょうか、アイガーを望めるヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)横に墓碑が置かれています。写真は4月 クライネシャイデック(Kleine Scheidegg)の駅で電車を待つスキーヤー写真は4月クライネシャイデック(Kleine Scheidegg)の駅を出て最初のカーブ。写真に見える下のラインが線路。上に同じ 写真は6月上に同じ 写真は8月左上に向かうのはアイガーグレッチャー方面に向かうハイキングコース。山の裾野に広がる雪はたぶんグッギー氷河。さて、いつの時期がお好みでしょうハイキングするなら夏ですが・・・。一般の一番人気は8~9月です。上の線路を走行中 写真は8月写真は4月 少し登った所ですが、たぶんスキーのリフトです。クライネシャイデックの次の駅、アイガーグレッチャーの近くにゲレンデがあるようです。上に同じ 写真は8月 このあたりはハイカーの通り道ユングフラウ鉄道、雪崩よけのトンネル全長9.3km。終点のユングフラウヨッホ駅はラック式鉄道でヨーロッパ最高所(標高3454m)を誇る鉄道だそうです。だからユングフラウヨッホ(Jungfraujoch)の駅が「Top of Europe」と言われるのか・・・。ユングフラウ鉄道は最大勾配250‰の登山鉄道です。‰(パーミル)は勾配を表す単位で、1 ‰ = 10-3 1000mを単位としています。つまり勾配250‰は、水平1kmで高さが250m上がる事を示している。さらに路線の4分の3以上がトンネルで、景色を楽しめるのは次のアイガーグレッチャーまでです。何しろこの鉄道はアイガーとメンヒの岩山をくり抜いて、ユングフラウヨッホの地下まで走っているのです。またアイガーグレッチャーから先はほぼトンネル内走なのです。つづくリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年09月01日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。スイスに来た日本人のほとんどが訪れるというユングフラウヨッホは日本人の人気No1。通常案内標識はドイツ語と英語で書かれているが、その横に日本語もしっかり書かれているどれだけ日本人が多いのか?実はインターラーケンと滋賀県大津市が姉妹都市、グリンデルワルドと長野県安曇村が姉妹都市となっていて、その為かここはスイスにあっても別格なのかも知れない。親切丁寧な日本語の標識・・日本人びいのようでちょっとうれしいしかし、「犬にエサをあげないで下さい。」・・なんて・・日本語のもあったゾ・・・( ̄_ ̄|||) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)クライネシャイデック(Kleine Scheidegg)とユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)スイスは国土の2/3がアルプス山脈などに囲まれた山岳地帯であるにもかかわらず、鉄道が多いのです。山岳地帯に荷物を運ぶのはもっぱら列車の仕事です。中には自動車を輸送する車両もかなり走っています。(そのうち紹介。)そんなスイスに初めて自国の鉄道が走ったのは1847年。そして、19世紀後半からは観光目的の登山鉄道の建設がどんどん進んだそうです。このユングフラウ登頂の鉄道も1860年代から構想はあったそうですが、実際に建設が始まるのが1896年、山頂までの完成は1912年の8月で、およそ17年かかった工事だった。着工まで時間がかかったのは資金繰り、工事に時間がかかったのは、トンネル工事が大変だったからです。(次回にまた詳しく紹介します。)クライネシャイデック(Kleine Scheidegg)の駅は前回上からの写真で紹介したようにヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・ WengernAlpBahn)とユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn) の駅を兼ねています。今回はユングフラウ鉄道(Jungfraubahn)側の紹介です。車両は旧型、新型いろいろです。ユングフラウ鉄道側がユングフラウやユングフラウヨッホが正面に見える側です。ユングフラウ鉄道(JB)は、シュトループ式のラックレールヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)はリッゲンバッハ式のラック式のレール登山電車に欠かせない、ラック式レール(Rack Railway)は、当時は急勾配を登る為ではなく、機関車の空転防止が目的だった。ロヒャー式のラック式レールについては、昨年の7月に「登山電車・ピラトゥス鉄道 1 」で紹介しています。リンク 登山電車・ピラトゥス鉄道 1 (歯軌条、ラックレール)リンク 登山電車・ピラトゥス鉄道 2 トラバーサー(Traverser)リンク 登山電車・ピラトゥス鉄道 3 (ピラトゥス山頂)車両庫見えるのはアイガー(Eiger) これから乗る乗客で人だかり。実はこの鉄道はアイガーの中も走るのですホームとは思えない。ちょっと路面電車の感覚かもしれない。安全は個人の注意によって守るもの。子供が電車にひかれたらそれは親の責任・・それが欧州流の考え方です。すぐ訴訟を起こして賠償請求するのはアメリカ式の考え方。駅舎と言うより建物はほぼレストラン。ホームに広がるパラソルはレストランのテーブル。建物の中でも食べられるけれど、欧州の人は太陽にあたりたがる傾向があるようです。北壁を見ながら食べるのは素敵・・でもアルプスにビーチパラソルはいかがなものか・・・。前回載せ忘れたヴェンゲルンアルプ鉄道側からのユングフラウ。車両が多い時はこのあたりにも停車。メンヒとユングフラウの間、ユングフラウヨッホをめざして・・・次回につづく。リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月31日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)クライネシャイデック(Kleine Scheidegg)とオーバーラント三山アイガーグレッチャー方面から撮影クライネシャイデックの駅と背後の山は左・・Lauberhorn(2472m)右・・Tschuggen(2520m)クライネシャイデック駅をズームさらに駅をズーム駅舎は片面が前回紹介したヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)のホームであり、反対(こちら側)をがユングフラウ鉄道が使用し、始発駅となっています。クライネシャイデックは「小さな峠」の意。ここを拠点にクライマーやハイカー、スキーヤーなどが集まっては別れていく場所なのです。ユングフラウ鉄道側上の写真と反対方面からの駅舎を撮影ユングフラウ鉄道駅ホームの正面にある山がユングフラウ(Jungfrau)です。今回の答えはユングフラウ(Jungfrau)です。左の尾根の上が Top of Europeと言われるユングフラウヨッホ(Jungfraujoch)の駅があるユングフラウヨッホです。ヨッホとは山間の尾根の鞍のようになった所を指すそうです。左方向、下方にはグリンデルワルト(Grindelwald)の街。ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)はこの山沿いに街まで下る。左・・ Wetterhorn(3701m)中・・ Schreckhorn(4078m)右一部・・ Eiger(3970m)Eigerオーバーラント三山左・・アイガーEiger中・・メンヒ・Monch(4099m)「修道士」の意右・・ユングフラウ・Jungfrau(4158m)アイガー北壁のアタック。ルートの絵はがきがあったのでおまけに紹介です。アイガー北壁は、高さ1800mの岩壁。グランドジョラスのウォーカー側稜とマッターホルン北壁と共に困難な、三大北壁てです。以前マッターホルンの時に紹介した気がします。休み明けなのに疲れていて手抜きで申し訳ありませんが・・・ユングフラウ鉄道につづくリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月30日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。戻ってきました のんびりしずきた為に逆にやる気が・・・イケナイ イケナイ今回の宿題場所は最後の旗で解ったと思いますが、今回もスイスの山のどこか・・になっています。スイスの山は写真が膨大だし、カットだけではどこか解らないので写真の絞り込みも大変なのです。実は3日前から始めていたのですが・・肩こり酷くて・・もうめげています2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)クライネシャイディック(Kleine Scheidegg)写真はいろいろ含めて載せています。最終的な答えは持ち越しです今回はそこに向かう・・またまた本格的な登山鉄道からの紹介です。ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)この駅はラウターブルンネン(Lauterbrunnen)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)はラウターブルンネン(797m)からクライネシャイディック(2061m)を経てグリンデルワルト(1034m)を結ぶ全長19.1kmのスイスの山岳鉄道です。但し、全行程を走破する鉄道ではなく、そもそもクライネシャイディックに行く事を目的とした鉄道なのです。距離は短いけれど高低差が非常にあるので全行程ラックレールを用いています。運転席やはり参考に地図を乗せます。見にくいですが、黄色のライン左からABC。左A・・グリンデルワルト(1034m)中B・・クライネシャイディック(2061m)右C・・ラウターブルンネン(797m)一つの尾根にある駅がクライネシャイディックの駅と言えます。さて、クライネシャイディックに行く目的は、ここからまた別の鉄道に乗り換えてさらに高い山に登る為なのですクライネシャイディック(Kleine Scheidegg)インディアンのテントのようなのはレストラン・・意味は不明。反対側からの駅舎駅舎の向こうの上にズーム・・・山が・・・これが今回のクイズの答えです。ところでこの駅舎は手前がヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)で、向こう側が×××鉄道です。(名前がそのまま鉄道になっているので次回に・・。)下の写真はクライネシャイディックに近いグリンデルワルト(Grindelwald)方面です。写真は6月のものグリンデルワルト(Grindelwald)方面にかぎりなく近い写真ですが8月のもの。標高が2000mを越えるので上の方は8月でも雪・・どころかスキーができます。グリンデルワルトからの方がものすごいものが見えるのです。(おすすめ)どちらからクライネシャイディックにアクセスするかは、ツアーのスケジュール次第です。この山の下をしっかり通過するのです。さて、この山は・・・標高3970mのアイガー(Eiger)です。しかもアイガー北壁・・がこの向きなのだそうです。つづくback numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月29日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。さて、アンデルマットまでの車窓からの景色をもう少し紹介してラストです。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)スイス・アルプスの山岳地帯を走る山岳鉄道グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行フルカ峠と新フルカ・トンネル氷河急行の名称で列車が初めて運行したのは1930年の事、今年で80年目。当初から電気機関車ではあったものの11時間かかっていたそうです。現在は新フルカ・トンネルの開通(1982年)と最新式の動力車により7時間半くらいまでに短縮されていると言う事です。夏場が人気だと言う事ですが、冬の景色も良いそうですよ。フルカ峠と新フルカ・トンネル新フルカ・トンネル(15407m)が開通した事で、今まで夏期のみだった氷河急行は通年運行になったと言う事です。フルカ峠は最大勾配110パーミルのアプト式で、冬季は豪雪による雪崩の破損を防止する為に秋になると運休して鉄橋を取り外し、6月からまた設置して再開していた・・と言う難所だったそうです。さて、いらなくなったフルカ峠(2160m)越えルートですが、そのルートは、ローヌ氷河の先端まで進む美しい景観を持ったラインだった為に熱心な鉄道愛好家の嘆願があったそうです。現在そのラインは2000年代はじめから順次復活してフルカ山岳蒸気鉄道(DFB)(Dampfbahn Furka-Bergstrecke)により、、夏期のみ、蒸気機関車を走らせて運行しているようです。(ダブルでおいしい路線です)反対方面から山を下ってきている氷河急行。これが撮影できると言う事は線路が対面するくらいこれからカーブがあると言う事。たぶんカミショラス(Camischolas)の村だと思います。山の谷間には村があり、その規模は案外大きいのでビックリ。こんなへんぴな所に? 鉄道が通年運行になったからなのでしょうか?ディーニ(Dieni)駅 標高1452m地点ウインター・スポーツのメッカだそうです。ここから最高標高のオーバー・アルブ・パスヘーエ駅をさらに越えて下ったアンデルマットの駅まではラック・レールになっています。要するに歯形式のレールをかみ合わせてズリ下がらないようにしっかりとレールを捕まえながら走行する為のレールとなっているわけで、それだけ急勾配だと言う事です。セルヴァ村かもしれない・・・。このあたりがチャムトかもしれない・・・。 (はっきりしなくてすみません)眼下にながれる小さな川がトマ湖から流れた川で、これもライン川の支流の一つです。このあたりからオーバーアルプ峠に入るのだと思います・・・オーバーアルプ湖(Oberalp)・・・オーバーアルプ峠越え湖に沿って列車は走る。写真右に見えるのが雪崩よけのトンネル。オーバーアルプ湖(Oberalp)の水はアンデルマットでロイス川となりやがてライン川に合流するようです。トマ湖の水といい、このオーバーアルプ峠あたりの水系はラインの源流があつまっているので「ラインのゆりかご」と呼ばれるそうです。アンデルマット(Andermatt)超田舎に見えますが、スイスの南北交通・東西交通が交わる十字路なのだそうです。そして余談ですが、現在スイス陸軍の訓練施設であり、戦時にはスイス連邦陸軍の司令部となる街だそうです。このあとツェルマットに向かうのですが、あまり良い写真もないのでこんなところで氷河急行を終わります。事故で亡くなられた方のご冥福を祈りつつ二度と事故が起きないように祈るばかりです。back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月21日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いグイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。2010年 7月23日の事、日本人の死傷者をたくさん出したスイスの鉄道事故。その人気鉄道路線が今回の答えです。あれだけの死傷者を出していながら、翌日再開していた・・と言う驚きの鉄道路線はスイスの中でもドル箱路線・・しかも共同運行便の為に「休業できない理由」があったのだと思います。運転士の過失・・・そうしておけば丸く収まる・・と言う裏がある・・と思ったのは私だけでしょうか・・・。本当に運悪く亡くなった方はお気の毒です。運良く1日ずれた人達が喜んで列車に乗っていく姿にはちょっと腹立たしさがありました。自分の事しか考えない人達・・自分は大丈夫・・と思う人達が世の中に多い・・と言う事なのでしょう。さて、氷河急行は昨年5月「アルプス山脈 マッターホルン 1 」でマッターホルン・ゴッタルド鉄道「アルプス山脈 マッターホルン 4 (鉄道)」でゴルナグラート鉄道を紹介した時に紹介する予定が、違う方向に行ったので保留にしていた分です。尚、これから急勾配を登るラック式については、昨年7月「登山電車・ピラトゥス鉄道 1」でラック式鉄道(Rack Railway)について多少紹介していますから参考に・・。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3(解答)スイス・アルプスの山岳地帯を走る山岳鉄道グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行スイスの2大アルペンリゾートのツェルマットとサンモリッツを結ぶこの路線はヨーロッパ大陸の分水嶺をなす場所でもあります。北海、黒海、地中海に注ぐ川の源流ともいえる場所、そこがコースです。風光明媚なアルプスの景色の中を平均30kmで鑑賞しながら走る・・氷河急行は超人気の観光列車です。鉄道好き、山好きが一度は乗りたい・・そんな列車です。ルート・マップから・・・今回はクールから乗車してツェルマットに向かって紹介しています。ツェルマット ~ブリーク ~ディセンティス ~クール ~ダヴォス ~サンモリッツ下は同じように右がサンモリッツ、左がツェルマットでグラフは標高を現しています。クール駅の標高が585m。オーバーアルプ峠の標高が2033mでその差1448m。下ったり上ったりの高低差がもっともある鉄道かもしれません。最近のパノラマ車両1等車確かに、景色は良く見えるけど、一度列車が転覆すれば上は無防備状態・・トロッコ列車にのっているのと同じように危険・・です。転覆するなんて誰も想定していなかったでしょうが・・・。車両後方に多少荷物が積めます。以前にも紹介していますが、これから向かうツェルマットの街はガソリン車乗り入れ禁止。荷物も自分で運搬。余談ですが、マッターホルン・ゴッタルド鉄道にはカートごと積める車両もあるのです。写真はクールだと思います。Glacier Expressの「Glacier」が氷河の意ディセンティス/ミュステア(Disentis/Muster)駅が眼下にあるのですが・・・。ちょと見えない・・。下がディセンティスの街です。デイセンティスからが一気に標高があがる所です。おまけ・・・アルプス山脈は欧州の分水嶺ローヌ(Rhône)川・・・スイスからフランスを通り地中海に注ぐフランス4大河川は、ローヌ氷河とフルカ峠あたりが源流です。ライン(Rhein)川・・スイスアルプスのトーマ湖を源流としてスイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、ドイツ、フランス、オランダを抜けて北海に注ぐ国際河川です。(クールの先にラインの支流フォルダーライン川が流れていました。)イン(Inn)川・・・ドナウ川の支流で源流はクール、ダボスあたりのアルプスにあり、やがてドナウ川に合流。17カ国を通過して黒海に注ぐ。back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3(解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月20日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。久しぶりの鉄道ネタ前回車窓の景色をのせましたが、今回は国及び鉄道がクイズになっています。まだ車窓は序章ですが、今回は駅を一つ取り上げて紹介します。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)ディセンティス/ミュステア(Disentis/Muster)駅この路線の運行は高級保養地サンモリッツあるいはダヴォスからツェルマット間の全長280km。その区間をまる8時間と言うダイヤで超スロー走行する観光列車です。そろそろ解ったと思いますが・・・。最近話題になったし・・・ディセンティスの街です。駅は右端・・赤いのが停車中の列車です。さて、ディセンティスの駅は、鉄道会社の異なる区間の運行の接続駅となる。つまり、この駅では、機関車の車両入れ替えが行われるのです。ディセンティス/ミュステア(Disentis/Muster)駅構内路線別運行会社を簡単に紹介前回紹介したようにこの路線は3つの会社が合同で運行。1.レーティッシュ鉄道(RhB)( Rhatische Bahn )ダヴォス ~クール・・・・・・・・・レーティッシュ鉄道(ダヴォス線)サンモリッツ ~クール・・・・・・レーティッシュ鉄道(アルブーラ線)クール ~ディセンティス・・・・レーティッシュ鉄道(ビュントナーオーバーランド線)2.フルカ・オーバーアルプ鉄道(FO)(Furka-Oberalp-Bahn)ディセンティス ~ブリーク・・・フルカ・オーバーアルプ鉄道3.ブリーク・フィスプ・ツェルマット鉄道(BVZ)(Brig Visp Zermatt Bahn)ブリーク ~ツェルマット・・・・・ブリーク・フィスプ・ツェルマット鉄道※ 地球の歩き方もウィキペディアも間違っています。上り線も下りも線もここで機関車を交換。運行会社が異なるので、乗務員もチェンジです。車内販売のグッズや飲食物もチェンジです。レーティッシュ鉄道(RhB)( Rhatische Bahn )前回紹介した路線がレーティッシュ鉄道(RhB)です。クールに本社を置くスイス最大級の私鉄で、スイス国鉄がほとんど路線を持たないこの国で、レーティッシュ鉄道がほぼ国の路線をカバーしている。それ故に株式の半分近くをスイス連邦と州が所有しているらしい。フルカ・オーバーアルプ鉄道(FO)(Furka-Oberalp-Bahn)これから走る区間がフルカ・オーバーアルプ鉄道(FO)(なので、こちらの会社の使用に変更されている。前回紹介したようにこの路線の最高標高はオーバーアルプ峠の2033m。アルプスの分水嶺越えで、このディセンティスの標高は1130m。標高差903mを登るのがフルカ・オーバーアルプ鉄道(FO)です。(ブリークからオーバーアルプ峠登りの方がもっと差がありますが・・・。)要するに(FO)はラック方式(部分アプト)の山岳列車となる。因みに今回事故のあったのはこの路線のツェルマット寄りなのです。外される食堂車さて、機関車の交換だけではなく、ここでは食堂車の連結、解除も行われています。実はこの鉄道路線では、食堂車は全線連結はされていません。(ツェルマット行きはクール発便のみ)車両数が足りないのか? とも思いましたが、たぶんこの鉄道路線で最も険しい路線なので、山を登るのに無理があるからなのかも・・。従ってクールで乗車して食事をすると、ここで食堂車は外されるのです。(折り返し使われるのでしょう。)今回のルートはサンモリッツでなく、クールからの乗車です。因みに食堂車は事前予約制で、食堂車以外に車内販売は来ますが、全員分はカバーする数はないようなので、お弁当を持ち込むツアーもあるそうです。ちょっとめずらしい乗車記念のお土産を紹介。ワイン・グラスですが、傾いている特殊な作りです。(今はデザインは変わったかも・・・)急勾配を走る列車なので、グラスが傾きに合うように考案されているのです。シャレでしょうけど・・・ ちょっと試してみました。右が平らな時 左が勾配角度25度です。ほぼ正解は解っているとは思いますが、次回解答編です。リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月19日
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写真追加昨日はほとんど寝ずに、朝から西武ドームで行われている「国際薔薇とガーデニングショー」に出かけたりしていたので、夜中に写真をアップしたあと、保たずに眠ってしまったそれにしても今年はガッカリの薔薇展だった・・・薔薇の看板しょっているのに薔薇が例年になく、少なかったのだ。もしかしたらアイスランドの噴火の影響か? イギリスから薔薇が入荷しなかったのか、あるいは寒さが続いて例年より薔薇の開花が遅れているせいか? 何とか取り繕ったにしても、これがタダなら文句はないけど、入場料2000円もとっているのである酷いぞ・・。そう言えば、アイスランドがまた噴火していますね・・。ヒースロー空港がまた閉鎖されたとか・・。ハワイ島の火山も噴火が活発になっていて、いつものように溶岩台地に近づけなくなっているのだそうです。地球全体、今年はおかしいかも・・・京都府京都市、嵐山、嵯峨野嵯峨野観光鉄道トロッコ列車と保津川下り嵯峨、嵐山と言えば、やはりトロッコ列車と保津川下りははずせない所です。しかし、トロッコ列車自体の乗車時間は25分程度ながら、船着き場までバスで15分かかり、さらに保津川下り自体の所要時間は・・何と2時間近くかかるのである。(水量で多少異なるが・・。)考えていた以上に乗船時間がかかるので、この日はトロッコ列車を折り返して戻るだけしかできなかったのです保津川下り、乗船に大人一人3900円するのです。どうも値段も高いと思った・・・。この間紹介した地図から乗り場を紹介。トロッコ列車始発の駅「トロッコ嵯峨駅」はJR嵯峨野線「嵯峨嵐山」のすぐ横です。通常1日8往復のようです。写真はないけど嵯峨駅は新しくてホールに温室、乗車待ちの暇つぶしのできる駅舎でした。(整列乗車してすぐ出発なので写真を撮る時間がありませんでした。)トロッコ列車の料金は片道大人一人600円。トロッコ列車といっても実際はトロッコではありません。ほぼ普通の客車で、一車両だけ気持ちガラス張り度の高い「リッチ号」と言うのがありますが・・。(全席座席指定です。)トロッコ列車の誕生古くは、山陰につながる京鶴(けいかくせん)線の一部だった線路を利用したものだそうです。京鶴(けいかくせん)線は、JR西日本の山陰本線となっていましたが、1989年、電化、複線化の為に、渓谷に沿って蛇行するこのルートを一気にトンネル化(嵯峨(現在の嵯峨嵐山)~馬堀間)した為に廃線となった旧線です。嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車はその廃線を利用して1991年に開業しています。区間は保津川渓谷に沿って嵯峨から丹波地亀岡に至る7.3km。トロッコ列車の嵐山駅(分岐点)までは山陰本線と嵯峨野観光鉄道は線路を共有。トロッコ列車の嵐山駅と右の線路が1989年3月に新線に切替えられたJR西日本の山陰本線。先頭車両の車掌さんの横の窓から(リッチ号ではないけど席は当たりだった。)トンネルを抜けると左手に保津川が・・・。保津峡谷を縫って走るこのルートは景勝地として名高く、車窓からの素晴らしい景色が楽しめます。トロッコ列車と山陰本線と保津川の交錯・・・右が嵯峨嵐山左が丹波亀岡車窓から見える保津川対岸の建物は、古くは嵐狭館、今は「星のや京都」となっています。かの有名な(株)星野リゾートが買収して「水辺の私邸」として洗練されたデラックスな空間ホテルとなっているようです。(ちょっと泊まってみたいかも・・・。)廃線で放置するには惜しかった自然の環境や渓谷美を堪能。眼下には保津川下りの船が通過して行きます。桜並木を沿線に植えたり、ライトアップするなどの沿線整備の他、「なまはげ」が途中乗車したりとユニークなサービスも演出しています。保津峡保津川下り保津川(大堰川)の景勝地を小舟で下る観光ツアーです。丹波亀岡から京都の嵯峨嵐山まで約16kmの渓流を下るスリル満点の船旅なのです。もとは長岡京(784年~794年)に都があった頃から京都や大阪へ物資を運ぶ為の生活航路ではあったようです。15世紀近に木材や薪炭の運搬の為に整備して産業水路として使用され、それは近年、山陰線の開通やトラック輸送が始まるまで利用されていたそうです。結構、川は岩だらけで、川幅も極めて狭い所もあるので、航行にはかなりの技術もいるはずですが、何より・・見てると荒く、ラフティングみたいに結構激しそうです。(保津川下りのラフティングも実際あるようですが・・。)所要時間も2時間近く(一度乗ったら降りられないし)結構ハードそう?時間がなくて今回保津川下りはできませんでしたが、「保津川下り」とはこんなものだ・・と言う参考にはなりましたねところでトロッコ鉄道は全編保津峡と保津川三昧ですが、この季節山藤がところどころ咲いていました。きっと4月は山桜が咲き、秋には紅葉が綺麗なのでしょうね。トロッコ列車と保津川下り おわり
2010年05月17日
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モンマルトル 7 (フニクラーレ 1)フランス(France)、パリ(paris)セーヌ川右岸18区 モンマルトル(Montmartre)モンマルトル下山フニクラーレ(Funiculaire)モンマルトルは歴史地区に指定されているので、そんなに手は入れられないようですが、それでも昔来た時よりかなり変わっています。サクレ・クール寺院の正面の脇から丘の上り降りの為のケーブルカー(フニクラーレ)が出ています。サクレ・クール寺院正面イベントで教会も公園も封鎖されているので、写真だけ撮影してテアトル広場に流れています。紹介し落としましたが、テアトル広場の裏にダリ美術館もあります。3年前にここで買ったダリのネックレスを最終地のコペンハーゲンのホテルの部屋で盗まれてしまいました。高価な品ではありませんが、帰国してものすごくショックだったのです。で、最後の1個を何とか入手してもらい最近私の手に入りました。旅の思い出が甦ってきています。しかし、実はその時もう1つ・・・南仏マントンの美術館で購入したジャン・コクトーのブローチも盗まれているのです・・・誰かマントン行かないかな・・・。寺院前から公園の下方が見えます・・それにしても何のイベントなのか、公園内も封鎖されています。最初で最後・・のつもりで来たのに、その時に限ってダメ・・と言う事態は結構よくある事なのです。小さな美術館などは特にそうで、臨時の休館日など予定にない事態も起きるので、そう言う事態を想定して、プランを練る事も大切です。丘自体は海抜130mで、実質の高さはそれより低いとは思いますが、子供やお年寄りには階段はきついので寺院正面から丘を目指す時はもフニクラーレに乗ると良いかもしれません。若干車が入っていますが、地元の人の車で、大型バスは乗り入れ禁止になっています。そのせいで今はこの丘にツアーで来る事はありません。フリータイムで個人でしか来れないのです。前にも紹介しましたが、パリで一番高い丘です。パリの街が良く見えます。拡大してみるとポンピドー・センターもよく写ってました。さて、フニクラーレ丘の上の駅です。メトロのキップで乗れるので、パリ市交通公団の運営だと思います。片道メトロ券1枚です。現在1枚1.6ユーロ(135円計算で216円くらい)パリ市内の電車は全てメトロです。東京では地下鉄をメトロと呼びますが、パリの場合もともと地上に出たり地下に潜ったりする電車しかないので、他国へ行く鉄道以外はメトロと呼びます。でもこれは登山電車と同じフニクラーレです。「フニクリ、フニクラ(Funiculì funicula)」その歴史は昨年7月に「カブリ島の登山鉄道(フニクラーレ) 」で紹介しています。下りは乗る人が少ないのでガラガラです。階段を歩いて下りる人もいるけど、もしくはテアトル広場から下山する乗り物が出ているし、ラバン・アジルや墓地の方面に下ってしまうのです。確かに結構ありますね。ちょっと長いので切ります。次回最後です。リンク モンマルトル 8 (ベル・エポックとアール・ヌーボー)
2010年04月16日
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チュニジア鉄道、レザー・ルージュ 3 (リン鉱山)チュニジア(Tunisia)共和国セルジャ峡谷(Gorges de Selja)チュニジア鉄道、レザー・ルージュ(Le Lezard Rouge)リン鉱脈の採掘場リン鉱石(phosphate ore)トンネルを抜け、トンネルを抜け、またトンネルを抜けて走ります。セルジャ(Selja)観光列車はこの採掘場でUターンします。レザー・ルージュはわずが片道16km程の行程です。リン鉱石(phosphate ore)元素記号P 原子番号 15のリンを採取する為の鉱石です。工業用に不可欠なリンは、生物にとっての必須元素でもあります。骨格の主要成分、リン酸カルシウムは、墓場の人魂の元凶でもあります。空気中で燐光を発する物質の発見は1669年。ハンブルクに住んでいたドイツの錬金術師ヘニング・ブラント(1630年頃~1692年)だそうです。彼は、人間の尿の中に「銀を金にかえる液体」があると信じて偶然リンの元素を分離したようです。主な用途は、化学肥料の原料。(リン酸アンモニウム等)農薬や殺虫剤(リン酸エステル系)他に金属の表面加工や工業用触媒(リン酸)歯磨き研磨剤(リン酸水素カルシウム)食品添加物(リン酸化合物)コーラの酸味は、リン酸由来が多いらしいし、コーンフレークやベーキングパウダーにもリン酸化合物が含まれているようで、本当にいろいろ知らないところで使われているのには驚きですリンの製法ボイルの法則を提唱したはロバート・ボイルが1680年独自に開発。助手によって商業的な規模に改良。鉱床の開発リン鉱石の取引き価格は安いので、コスト削減する為に大規模な開発するしかないようです。だから特定国の取引になってしまうのだそうです。牽引のデイーゼルが前から後ろに切り替えられている所チュニジア鉄道レザー・ルージュおわりback numberリンク チュニジア鉄道、レザー・ルージュ 1リンク チュニジア鉄道、レザー・ルージュ 2 (ぶらり途中下車)
2010年04月09日
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さて、写真が多くてやはり今回では終わりませんでした。今回は峡谷、ぶらり途中下車・・で行きます。チュニジア鉄道、レザー・ルージュ 2 (ぶらり途中下車)チュニジア(Tunisia)共和国セルジャ峡谷(Gorges de Selja)チュニジア鉄道、レザー・ルージュ(Le Lezard Rouge)途中下車の峡谷見学リン鉱床の生成3つの要因リン鉱石の発見まあ、岩場ばかりであきるかもしれませんが・・・地層をみてね。リン鉱床の生成3つの要因実はこの当たりは太古海だったと言う話を何度かしていますが、それが、リン鉱石の鉱床を作る要因になったのです。リン鉱床の作られ型は3パターンに分かれています。化石質鉱床・・・・・・動植物や微生物が起源となった化石による物で、大規模なリン鉱石鉱床を形成。グアノ(糞)鉱床・・・ナウル共和国で知られる。鳥の糞による鉱床が国の大きな収入源とされている。火成鉱床・・・・・・・・地殻変動によって生じたリン鉱石鉱床。ここは、「化石質鉱床」のようですね。途中下車して峡谷を見学地殻変動の後のクネクネした地層が見られる峡谷です。先頭に近い車両は、窓も少なく、一番安っぽい車両。後から乗り込んだ人は、他がいっぱいなので仕方なくこちらに座る・・・岩山は・・魔法が解けたように、サラサラと砂となって崩れ落ちています。岩のハマダがこうして崩れて小石・・そして砂の砂漠に変わっていくのかもしれない。だとしたら。この山は100年後には消えているかも・・。それにしても、その真下を列車は走っているのです・・。リン鉱石の発見セルジャ近辺でリン鉱石の鉱脈を発見(1866年)したのは、フランス軍の獣医フィリップ・トマスだったそうです。鉱脈の採掘は1896年に始まり、3年後にメトラウイからスファックスへの鉄道が建設。1904年には、このレザー・ルージュの鉄道路線ラディエフとムラレス間が建設。メトラウイの街はこうして、リン鉱山の街として出来、そして発展。現在もチュニジアのリン鉱石の採掘は量は世界第4位で、そのほとんどがメトラウイ周辺の山岳地帯から採掘されているのだそうです。ここも途中下車途中下車しても往復1時間半の行程である。ちょっとしたテーマパークみたいな乗り物かも。次回折り返しの鉱山でおわりです。リンク チュニジア鉄道、レザー・ルージュ 3 (リン鉱山)
2010年04月08日
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チュニジア鉄道、レザー・ルージュ 1セルジャ峡谷(Gorges de Selja)チュニジア鉄道、レザー・ルージュ(Le Lezard Rouge)チュニジアの鉄道網国の中程から上にしか鉄道網がないようです。しかも、その路線のほとんどはフランス統治時代に建設されたもののようです。(確かに下の方はサハラ砂漠なのであまり町もありませんが・・。)まあ、鉄道路線はこんな物ですが、、路線バスやルアージュ(乗り合いタクシー)も充実しているので、チュニジアの国内交通は充実しているほうなのだそうです。レザー・ルージュ(Le Lezard Rouge)赤いトカゲ列車以前紹介した地図ですが、写真右端のメトラウイからすぐのセルジャ峡谷を走行している観光列車で、砂漠の岩山と峡谷を堪能するツアー列車です。今回紹介する列車そのものは、確かに観光列車ではありますが、実はこのレザールージュの走る一帯は、リン鉱石の産地なのです。19世紀末、リン鉱石の採掘によりこのあたりの街はできたのです。(上の地図に鉱山記号がついてます。)そのあたりを観光に利用したのがこの列車です。メトラウイ(Metlaoui)の駅1892年にフランス人の作った街の駅で観光列車の出発で終点でもあります。駅の玄関口です。ホーム側から表も裏もあまり変わらない駅です。なぜかホーム側にある原付バイクディーゼル機関車によって牽引されています。車両は微妙に違う。特に内装・・椅子は車両で異なります。客車の差はありますが、座席は自由席なので、早い者勝ちなので、当然良い席から埋まっていきます。下の車両で、(この写真では見えにくいですが)、手前のおじさんは、ガブリエル足(猫足)の椅子に座っています。出発したばかりの車窓から車窓はすぐに岩の砂漠、ハマダに変わる。電車は小豆色ですが、岩砂漠の中を這うように走る所から赤いトカゲと命名されたのでしょうね。つづくリンク チュニジア鉄道、レザー・ルージュ 2 (ぶらり途中下車)
2010年04月07日
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最後に追記西武池袋線を走る「デザイン列車」は実は昨年5月1日にお披露目されたようです。でも私が乗車したのは今日が初めて最近巣ごもりで、駅は目の前だけど滅多に電車にものらなくなった上にこの列車は西武池袋線、西武秩父線、豊島線、狭山線をランダムに運行しているので乗車どころが意外と見かける事も少なかった。お披露目された時は漫画家の松本零士 氏自らが式典の後の臨時列車の車掌を努めたそうです。今日はたまたまポケットサイズのカメラを持参していたのと、終点池袋行きであったので、降車後に人がはけてから撮影できたのです。(良いカメラでなかったのが残念ですが。)西武鉄道のデザイン列車、「銀河鉄道999」「銀河鉄道999」は、漫画家の松本零士 氏の作品で、テレビアニメや劇場版アニメ化され、80年代にブームとなったSFものの宇宙を旅する列車ファンタジー? です。主な搭乗人物は主人公の星野鉄郎10歳と謎の美女メーテルと怪しい「999号」の車掌で、今回の列車にはその3人が描かれています。そして列車のデザインは松本零士 氏 自身だそうです。上り先頭車両はメーテルでした。後部は車掌さん。列車の泥よけ? バンパーのあたりメーテルの髪のカールが描かれているこだわりが見えます。フロント窓枠はメーテルのファーの帽子に見立てられています。1車両目の2つ目のドア(3ドアの列車です。)右に欠けているのが地球らしい。1車両目2つ目のドアから3つ目のドアにメーテル。(因みにこの向側は鉄郎でした。)列車に描かれている絵はすべて違うのです。メーテルの次、2両目は車掌さん。帽子のエンブレムは西武鉄道のマークが・・。実は、この怪しい車掌さんは、2008年3月に西武鉄道池袋線大泉学園駅の名誉駅長に任命されているのです。駅には実寸の人形が置いてあります。駅の発着音はもちろん「銀河鉄道999」です。そういえば記念西武鉄道カードが発行されました。(売り切れ前に2Pゲット弟にあげちゃった・・・。)所で、作者の漫画家、松本零士 氏のお宅は大泉学園の駅から近いのです。私の通っていた幼稚園の近くで、松本零士 氏の家の庭には列車が置いてあったような・・・「電車が好きなのだな・・」と思った記憶があります。大泉は東映撮影所と東映のアニメ? があった関係でしょうか、漫画家も非常に多く住んでいます。因みに私が10年ほど前に住んでいた隣駅の石神井公園のビルではお隣が2代続いてマンガ家でしたし・・・。連結部の絵も合わせてあるので、車両の順番は変えられないですね。星野鉄郎10歳は地味なので写真小さくしました地味な二人の間に交互にメーテルが入って華を添えています。まだこのあたりは真ん中なので(確か8両編成だったかな??)続くのですが、列車はすぐに折り返し発車(今度は別方面に)なので下が最後です。うーん地味な鉄郎で終わってしまった・・・・。ドアの閉まった所も撮影すればよかったな・・・・西武線は自社の車両として運行させていますけど、東京はラッピング車両がとても多いです。特に大江戸線では全身キティーちゃん号に乗ったこともあります。不二屋のペコポコ号もあったし最近は萌え萌え系も走っています。因みに大江戸線のフルラッピング料金は、8両1編成の全面で1ヶ月、1050000円だそうですついでにこれらラッピング車両を考案、広告宣伝して収益させたのは石原都知事が最初だったと思います。追記・・・西武池袋線に平行して走っている西武新宿線の上井草駅の発着音は 機動戦士ガンダムです。上りが翔べ!ガンダム1下りが飛べ!ガンダム2 だそうです。アニメ「機動戦士ガンダム」を製作した「サンライズ」など数十社の本社があるからだそうで、最近街お越しに地元商店街は「アニメタウン」を称してるようです。大泉学園からは路線は違うけどとても近いです。
2010年01月19日
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いっきにブルートレインを紹介してしまいましたが、今回でブルトレも最後です。今回は車内販売の紹介ですが、皆さんの思う売店とは別物です。ブルー・トレイン(The Blue Train)・・南アフリカ共和国 Part 8The Blue Train Boutique(ブルートレイン・ブティック)とBreakfast(朝食)パンフレットにはこう記されています。「Treasure Trove on The Move(進行中の埋蔵物)」決して売店とは呼ばせないブルートレイン車内のお店は、車内のラウンジ・カー(Lounge Car)のすぐ後ろに接続されているラグジュアリ・スイート(Luxury Suite Coach)の一角にもうけられています。スイート・ルームを特別に店舗用にしつらえた売店は、もちろん狭く、2から3人くらいまでしか店内にはいる事が出来ません。その為にブティックでの買い物希望者は、あらかじめブティク訪問のアポイントメント(予約)をしなければなりません。廊下側のショーケース(写真はパンフより)列車内と言うより、どこかのホテルのブティクです。ブティックには、ブルートレインのロゴ入りのグッズも多少ありますが、それについては、オリエント急行のような商魂は無く、帽子も1個、ポロシャツも10枚程度と非常に在庫が少ないのです。たぶん、そうしたグッズは、あまり売れないのでしょう。(使えない記念品はいらない?)トレイン・マネージャーがしていたネクタイ。私たちなら何となくお土産はこれだ・・・と、思いがちですし、逆に他が高価すぎて、これしか買えないかも・・・。売られている商品の値段は2万円程度から60万円程度? もっと高価な品もあるかも・・・。ここは、ダイヤモンドや金の採掘で有名な南アフリカです。ブティックのメインは、そうした宝石にあります。金のアクセサリーに、宝石はもちろん、イエロー・ダイヤモンドやブラック・ダイヤモンド、そしてタンザニアのタンザナイト(Tanzanite) なども置かれています。ブティックの売り子さんもしかしたら業務提携での宝石屋さんが乗り込んでの販売なのかも知れません。だから、ブルトレ・グッズは気持ち置いてくれているのかも・・・。これだと買わない客は入りにくい・・・。それに、列車内で宝石を買おうとは思わないけどね・・・。Breakfast(朝食)翌朝になると6:00~7:00に希望者のみですが、バトラーがコーヒーor紅茶を運び入れてくれます。朝食は7:30~10:00までに各自Dining Car(食堂車)でいただきます。主に使われれているスパークリングワイン昔走っていたジンバブエの路線ヴィクトリア滝の近くを通っていた空撮をパンフより撮影。゛車両のロゴを撮影。南アフリカのブルートレインおわり。
2009年11月12日
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ブルー・トレイン(The Blue Train)・・南アフリカ共和国 Part 7Conference Car(会議室用車両)と車窓ケープタウン近郊にはワイン用のブドウ畑が広がっています。南アフリカのワインは有名ですね。Conference Car(会議室用車両)ところでブルー・トレインの最後尾にはたいていConference Car(会議室用車両)が連結されています。Conference Carと名が付くよくに会議室として使えるように、テーブルをセッティングしてくれたりもするようですが、一般のツアーの時は、見晴らしの良い展望デッキとして使われているようです。広々とした空間で、窓も広く景色は良く見えます。しかし、正直路線全般、あまり景色はたいした事はありません。夜は、お酒を持ってきてここで飲むのも素敵です。(ラウンジ・カーまで遠いけどね・・。)なかなか人のいない時に撮影するのは大変です。以前のブルートレインはケープタウンからジンバブエのビクトリア滝(Victoria Falls)まで49時間かけて走っていたようですが、今はプレトリア(Pretoria)が終点です。(プレトリアから先が国境越えになる。)おそらく、ジンバブエが政情不安で危険だからの措置かも知れません。ジンバブエとザンビア国境にあるビクトリア滝(Victoria Falls)のみ観光はできるようになっていますが、危険なので日本のツアーは基本ジンバブエには入らない事になっているようです。最後部の窓から撮影。以前何かで、この鉄道を引くために随分工夫がライオン等の犠牲になったと読んだ気がします。(出典がわからない・・・。)時間がかかる理由ところで初回にケープタウンとプレトリア間(1600km)を片道26~27時間(1泊2日)で結んでいると紹介しましたが、実は時間にはばらつきがあり、2時間以上遅れる場合もあります。(遅くなっても早くなる事はない。)理由は、鉄道の線路工事をあちこちでしているようで、ある時はストップ、ある時は徐行したりして、スケジュール通りに走行出来ないからです。そもそも距離の割りに時間がかかるのは、途中の観光停車がある事も要因です。ケープタウン発の時→マジェスフォンテーンにて歴史博物館を見学。プレトリア発の時は→キンバリーの元ダイヤモンド鉱山の博物館と採掘穴の見学。おそらく、観光到着時間の関係もあって、往路と復路のコースが違うのかも・・・。(その観光、列車が遅れて閉館後に到着した場合でも特別に観覧させてくれるようです。)どこの湖か解りませんが、フラミンゴがいるので停車だけした時の景色。でも、500m以上先ですよ・・・。右のチョコがお休み用チョコレート。左の時計が乗車お土産(せこい日本製でした。以前は銀製のプチ写真立て)ペンもロゴ入り、下はブルートレインの案内パンフレット(英語)基本英語のみです。最近食事のメニューのみガイドに頼んで、その場で翻訳してもらう事もあるようですが、日本人ツアーが以前から結構多い割には日本語案内も未だ何も無いようです。つづく
2009年11月11日
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Part 4にて 乗車に関して多少訂正を入れました。ブルー・トレイン(The Blue Train)・・南アフリカ共和国 Part 6Kitchen Car(厨房車)とDinner Menu(夕食)厨房車両は1車両Dining Car(食堂車)の前に接続されています。なかなか街のレストランの厨房さえ見られないものです。列車の厨房とは思えない設備ですね。1車両分が厨房なのでなかなか広いです。料理の写真を見ながら、昔の料理の方が良く見えました。やはり、全体にサービスが落ちているのかな? シェフが変われば料理ももちろん違いますが、品数や料理の内容がやはり落ちている? 今はドル安の為に乗車料金もかなり割安になっています。正確な値段は解りませんが、2年前は1泊25万円から。現在は1泊20万円からと、日本人から見たら今が乗車するにはお得な時期となっています。車両は通常74~84ゲストですが、最近は50そこそこで、食事も食堂車1サイクルで終わるようです。白人(イギリス人?)がおおいようで、次いで日本人も結構多いようです。最近はここも不況なのかな?Dinner Menu(ディナー・メニュー)・・・昔のメニューから昔のメニュー表はないので細かいレシピは解りません。ヤギチーズのサラダ or スプリングボックのサラダ写真はありません。野菜のスープ伊勢エビのラビオリサーモン・オーストリッチorチキンの胸肉グラン・マニエールのチョコレートorパンナコッタコーヒーor紅茶食後しばらくすればアフタヌーン・ティーの時間が来ます。(前に紹介した写真もう一度のせます)ケープタウン発の時は、16:00頃マジェスフォンテーンの見学停車が付いているので、アフタヌーン・ティーもゆっくりはしていられません。本当は、遅い夕食(21時以降の時)の前の軽食なのですが・・・。慣習的に無理にアフタヌーン・ティー・タイムが入っているようです。(プレトリア発の時は途中キンバリーの元ダイヤモンド鉱山の見学停車がありますが、時間はわかりません。)まるで、船が寄港するようですね。マジェスフォンテーンの見学停車の間に、客車の給水などするのかもしれません。乗客は16:10~17:30頃までロンドンバス(ルートマスター)で博物館見学に向かいます。17:30発でマジェスフォンテーンを出発すると18:30~19:45から前出のディナー・タイムになるのです。ただし、時間はその時で大分異なるようです。その説明は後に・・・。食べてばっかり・・・・つづく。
2009年11月11日
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さすがブルートレイン、料理も撮影に向く美しさなのでブランチ、ディナー、ブレックファーストと紹介していきます。ブルー・トレイン(The Blue Train)・・南アフリカ共和国 Part 5Dining Car(食堂車)とBrunch MenuDining Car(食堂車)はだいたい8両目に1車両。Kitchen Car(厨房車)の後部に連結されています。客車はその前後に連結されています。座席の数から数えて2交替ですね。毎回メニュー表も付いています。食器類は普通のようです。オリエント急行では全てマーク入りの特注食器で、販売もされていたと思います。椅子はロゴ入りですけどね・・。乗車してから、昼食になります。スモークした鱒のサラダラムチョップと温野菜or白身魚3色シャーベットor洋梨と胡桃(くるみ)のケーキ食後のコーヒーや紅茶はDining Car(食堂車)の後ろに連結されているLounge Carでゆっくり飲むことが出来ます。次回はKitchen Car(厨房車)とディナーです。
2009年11月10日
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ニュースを見ていて、昨日がベルリンの壁が崩壊して(1989年11月9日)、20年目だったのか・・・と、しみじみ・・・。テレビで見ていて、こちらにも緊迫感と熱気の伝わる歴史的な凄い事件でしたね。そう言えば引っ越し以来、しまい込んでいたベルリンの壁の破片はどこだっけ? と、夜中にゴソゴソ探してしまった・・・。(ベルリンの壁はそのうちに・・。)乗車に関して多少訂正を入れました。ブルー・トレイン(The Blue Train)・・南アフリカ共和国 Part 4今回は車内のサービスを紹介。列車内のサービスの総括責任者のトレイン・マネージャーのおじさん。訂正ブルートレインに乗り込む前に、最初にLounge でレクチャー(車内の説明)があり(英語で)、それから各コンパートメントの客車にある程度まとまって案内されます。(乗車は出発の30分前、10:30頃。)客車に乗り込んでから、それぞれ部屋の使い方のレクチャーが(英語で)バトラーからされます。客車のバトラー(執事)前回紹介した通り、何か要望があれば、彼が受けてくれます。客室に電話が有り、彼の携帯につながる仕組みです。オリエント急行は、未だ部屋の呼び出しベルでしたから、はるかに先端ですね。コンパートメントでのウェルカム・フルーツ・サービスラウンジでさんざん食べているし、昼食がすぐなので後で食べる事に?だいたい発車時刻は11:00(ケープタウン発の時)で、昼食が11:30~12:40分に始まります。キッチン・カーとダイニング・カーは1車両づつなので、食事は2交替になると思います。スーツケースなどの大きな荷物は、チェック・インの時に頼んでBaggage Van(荷物車)に運んでもらい、部屋には小さな荷物で入ります。オリエント急行もそうでしたね。ここのが部屋も広いようですが・・・。洗面所のアメニティーどうも2年前より落ちているような・・・。実は、すべて微妙にサービスが落ちているような・・・。コンパートメント内のレター・セット。(足りなければ、バトラーにもらえます。)オリエント急行と同じで、手紙はタダで日本にも送ってもらえます。(常識の範疇の数なら・・・。)左がレター用のポスト右はGratuity Box(心づけボックス)Gratuity Box(心づけボックス)は、チップを入れるポストです。チップ部屋でのサービスなどいちいちチップを渡すのは大変ですし、バトラー1人しかチップをもらえないので、このようなGratuity Box(心づけボックス)があれば、車内の皆でわけられるので、厨房の人達にまで行き渡ると言うシステムです。だから、食事の時にテーブルに置かなくても良いようです。(個人で受け取ったものは皆に出さないですからね。)だいたい1泊1人10ドル目安でよいとされていますが、個人的に無理をたくさん頼む人はそれになりにどうぞ・・・。日本にはチップの習慣がないので、チップを出すのがもったいないと考える人が多いかも・・。チップを出す事の意味と意義ですが、チップを出さなければならない(チップ必要)国の習慣では、給料が少なく、チップの額も給料にカウントされて考えられています。つまり、サービスは別料金で、自分の努力次第と言う事になります。日本のようにサービスも全て含まれて給料が出ている事は少ないのです。だから最初にチップを渡してお願いすれば、かなり良く、円滑に事を勧められるのです。向こうも、こちらも、良い気持ちになるように上手に使いこなす事が必要のようです。お酒なども頼めば、バーから持ってきてもらえます。フランス製のシャパン、キャビア、外線電話は有料です。つづく
2009年11月10日
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ブルー・トレイン(The Blue Train)・・南アフリカ共和国 Part 3ブルー・トレインの客室はオリエント急行より設備がよいので快適だそうです。客室アパルトヘイト廃止後、4~5つあったブルートレインの等級数が減らされ、現在はラグジュアリ・スイート(Luxury Suite)とデラックス・スイート(De Luxe Suite)の2等級編成となっているようです。今回はデラックス・スイート(De Luxe Suite)のツインとダブルの部屋の写真があるので紹介します。De Luxe suite の車両図の一部左がツイン(Twin Suites) シャワー室のみ右がダブル(Double Bed Suites) 浴槽付きDe Luxe suite のツイン(Twin Suites)左が窓右の壁の向こうが廊下。椅子の位置がベットの位置になります。壁の中の収納型のベットです。デラックス・スイートのツインには浴槽が無くてシャワー室になります。それでもオリエント急行よりましですね。シャワー室はトイレの向かい側です。De Luxe suite のダブル(Double Bed Suites)椅子がシングル2脚からダブルの椅子に変わっただけです。椅子の位置がスライドして収納型ベットが出てきます。上に付いているのが空調です。電話も付いています。浴槽は、ラグジュアリ・スイート(Luxury Suite)は、ダブルとツインに、デラックス・スイート(De Luxe Suite)は、ダブルにのみ付くようです。浴槽の水の量と給湯を考えると、車両毎に大量の水を運んでいる事になりますね。凄い贅沢です。ラグジュアリ・スイート(Luxury Suite)の列車には客室は3部屋(浴槽3つ)とバトラーのキャビンが付いていて、デラックス・スイート(De Luxe Suite)の列車には客室は4部屋(浴槽1つとシャワー室3つ)とバトラーのキャビンが付いています。よくよく贅沢に車両を使っているのが解ります。しかも。各車両にはバトラー(執事)がついていて、何かと用を頼めるようなサービスになっています。名誉白人or名誉人種アパルトヘイト(人種隔離政策)の廃止される1991年までは、白人以外はブルートレインに乗車することができなかったとウキペディアに書いてありました。しかし、日本人は「名誉白人」とされて、特別に乗車が可能だったとされています。「名誉白人」て何?私も聞いた事がありませんでしたが、南アフリカのように人種差別政策を行っていた政権や制度下で、本来差別されるはずの人種を、差別されない側の人種として扱うと言う制度が存在していたそうです。(南アでは白人以外は全て差別対象とされていた。)日本の場合は、「外交関係や経済関係など実益的な理由によって特定の国籍を名誉人種とする。」に該当したようです。簡単に言うと、黄色系でも日本は先進大国だから・・の措置でしょうね。今はアパルトヘイトそのものが無いので問題ありませんが、人種差別政策のせいで、大口のお客を逃したくなかったから、曲がりくねった法案が出来たのかも・・。ブルートレインまだつづく
2009年11月09日
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結構写真もあるし、なかなか行けない所なので細かく情報提供していこうかと思います。ブルー・トレイン(The Blue Train)・・南アフリカ共和国 Part 2第二次世界大戦の勃発で、この列車の運行は一時中断。1946年頃再開。路線図 大陸の先端左がケープ・タウン(Cape Town)プレトリア(Pretoria)は赤のラインから点線に変わる所。狭軌(Narrow gauge)南アフリカの鉄道は日本と同じ1067mmの狭軌(Narrow gauge)を採用。日本などイギリスから鉄道技術を導入した国では1067mmが主に用いられ手いる要です。(当時、南アはイギリス領)フランスなどヨーロッパ諸国の影響下の国(もと植民地)では1000mm。アメリカの影響下の国では914mmが用いられる傾向にあるそうです。(ウキペディアより)編成機関車を含めて16~18両程度。客車を何両連結するかで異なります。1車両に3~4部屋しかなく、通常、18両編成で74~82ゲスト乗車。下は、連結見本。1933年には振動をより少なくした食堂車が、1939年には空調装置を備えた寝台車の連結が開始されたそうです。現在のブルートレインにおいては、テレビ、内線電話、金庫、ドライヤーなどが個室内に常備され、シャワーやバスタブも付いています。(詳しくは客室で)冷房の付いていないオリエント急行と比べたら調度品は落ちますが、ずっと快適ですね。Lounge Car とClub Car併せてサロン・カー(Salon Car)と言った所です。列車の造りは真ん中にバーが付いている所は同じで、椅子や調度が多少異なります。大きな違いは、Lounge Carが禁煙で、Club Carが喫煙okと言う事でしょう。Lounge Car スタッフ基本飲み物は全て飲み放題。高価なワイン等を注文した時は別。Lounge Carここでは、午後のティー・タイムのケーキなども出されます。Lounge CarLounge CarClub Carテレビや書籍も多少あり。つづく
2009年11月08日
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またまたメンテナンスで途中Stopでした・・・。新しい所に移る時は準備が大変で・・・。今回は列車です。それも贅沢な・・でも、内装中心で外側の列車の写真があまりありませんが・・・。ブルー・トレイン(The Blue Train)・・元祖元祖ブルートレインは、北フランスのカレーあるいはパリと南フランスのコート・ダジュール(リヴィエラ)を結んだ夜行列車だったそうで、運営は、国際寝台車会社(ワゴン・リ社)。1922年の新型車両S型導入時の車両の色からル・トラン・ブルー(青列車)と呼ばれるようになった経緯があり、当時ヨーロッパを代表する豪華寝台列車の一つだったそうです。1971年、ワゴン・リ社が寝台車の営業を終了し、同社の寝台車はフランス国鉄に引き継がれ、青列車はフランス国鉄の通常の急行列車となり、現在、豪華客車はなくなりました。ワゴン・リ社の事は「オリエント急行 1 (廃止に???)」でも、8月に書いてますから見てね。今回のブルー・トレインはそれに匹敵する、現在ギネスブック認定の「世界一の豪華列車」です。因みに日本のブルートレインの名は、この「ル・トラン・ブルー(青列車)」にあやかって付いたと言われています。ブルー・トレイン(The Blue Train)・・南アフリカ共和国南アフリカ共和国を走るブルー・トレインは行政首都プレトリア~ケープタウン(1600km)片道の所要時間26~27時間(1泊2日)で結んだ観光用の豪華寝台列車です。距離の割りに所要時間がかかるのは、見学停車時間が間に挟まっているからです。プレトリア発の時は途中キンバリーの元ダイヤモンド鉱山の見学停車があり、ケープタウン発の時はマジェスフォンテーンの見学停車が付いています。列車のチェックイン・ラウンジ運営は、南アフリカの旅客鉄道公社(トランスネット旅客輸送)のラックスレール(Lux Rail)。ラウンジはプレトリアとケープタウンの双方にあります。これはケープタウンだったか・・・。ほぼ同じ。おつまみやドリンクサービスが付いています。列車に荷物を運んでくれるポーター達。豪華列車の誕生ミシュランの五つ星ホテルに相当する格調があると言われるこの豪華列車の誕生は、もともと南アフリカの金やダイヤモンド鉱山の採掘ラッシュに端を発して、海外の富豪が多くのこの地を訪れるようになった事が始まりです。イギリスと、オランダ系ボーア人(アフリカーナー)が南アフリカの植民地化を争ったボーア戦争に勝ったイギリスが1910年に「南アフリカ連邦」を樹立。イギリス系の貴族や欧州の富豪の為に1923年に「ブルー・トレイン」の原型となる「ユニオン・リミテッド」という豪華列車が運行を開始。すでに設備も先端を行き、乗務員のサービスもオリエント急行など欧州の豪華列車の水準に匹敵するものであったそうです。機関車はちょっとショボイのですよ・・・汚れているし・・・古いし・・・。客車は南アフリカ共和国のユニオン・キャリッジ製装置・部品は世界各国の粋を集め、日本からも住友金属工業製の空気ばねが採用されているとか・・。現在の編成客車は3代目で、今日の鉄道技術の最高水準としての機能を誇る世界の代表的ブルートレイン? とうたわれてますが・・・。車内につづく
2009年11月07日
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ちょっと美容院で時間かかりました・・・。今回手抜きのパターンですが・・・。Break Time (一休み)ヘルシンキの旧型トラムだけ紹介しておきます。興味の無い人にはどうと言う事も無いものですが、ヨーロッパでは、トラムが案外多いので、いろいろな所でとりあえず紹介していく事になると思います。ヘルシンキ(Helsinki)のトラム(路面電車) Part 2 旧型車両ヘルシンキ交通局(Helsingin kaupungin liikennelaitos)・略称HKLの運営する路面電車。8路線で12系統が運行。もともとヘルシンキの公共交通は、1888年に運行が開始された乗合馬車が始めなのだそうです。(乗合馬車の話は「馬車と駅馬車」で7月に紹介してます。)その後、民間事業者により1891年に馬車鉄道がスタートし、1900年に路面電車ずスタート。1936年にはバスが運行を開始されたようです。路面電車は、1999年から新型の低床車両を段階的に導入(アドトランツ、現ボンパルディア・トランスポーテーション製低床車両)したのだそうですが、進んでいないようです。(新型車両は「ヘルシンキの朝市 2」で紹介。)旧型の車両Valmet旧型でも旧型のこちらの車両?形式: Valmet Nr I車号: 31-70製造導入:1973-1975ヴァルメト製車両形式: Valmet Nr II車号: 71-112製造導入:1983-198780号は2006年に中間部を低床化改造。ヴァルメト製車両。停車場・・よくよく見れば、片側にしかドアが無いのですね。(電車と違って・・。)車両が単頭式(運転席が片方のみ)であるため、環状線以外の路線終端部はすべてループ線となっている。ループ線終端用ループ線(ラケット型ループ線)片端だけにしか運転台を持たない車両や片側にしかドアを持たない車両の折り返しや方向転換のためor急勾配を緩和してルートを形成する手法として使われる要です。下は、ループだった所ですが・・・。写真の枠が今日はもうないので・・終わりです。
2009年10月26日
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