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新田次郎著「剱岳 点の記」を読んだ。 2008年に浅野忠信、香川照之の出演で映画化された作品の原作だ。 旧日本陸軍の陸地測量部(現国土地理院)では、明治中期より日本全国の測量が行われていたらしい。測量の仕事自体はもともと総務省の管轄だったが、陸軍がそれを取り上げたとのこと。 話は三角科所属の測量官、柴崎芳太郎を中心に描かれる。明治39年に次年度の仕事として命を受けその年のシーズン暮れに下見、冬を越えた翌明治40年の7月12日(公式には撰点7月13日)に、長次郎谷を詰めて測量隊としての初登頂を為し遂げた。7月12日というのは気象学者であった著者の見解だ。 立山には立山信仰という山岳信仰が存在し、イコールではないが立山曼荼羅というものが信仰の根幹となっているらしい。 立山曼荼羅における剱岳の体はまさに剣山であり、実際に別山乗越から見た剱岳の様相からも納得できる表現だ。緑に覆われた周囲の山々とは違い、剥き出しの岩がそのまま剣沢から天に向かって伸びている。何物も寄せ付けない、岩の殿堂である。 明治40年の剱岳登山は困難を極め、登頂は果たしたものの当初予定していた三等三角点の荷揚げと設置は厳しかった。三角点の設置は撰点、造標、測量の手順を踏むが、造標の建設材料の揚重は諦めざるを得なかった。柴崎は代わりに四等三角点(通常、三等三角点の補助として設置される)を設置し、剱岳の測量を行った。なお、陸軍公式の測量記録である点の記は三等三角点以上の設置について記録する規則のため、剱岳についての記録は一切残されなかった。 柴崎らが登頂した際、頂上には錫杖と鉄剣が放置されていた。山岳信仰の行者が遺していったと思われる。事実として、柴崎らは初登頂ではなかった。しかし、彼らの前に登頂した人間がいたとしてもその詳細は不明だ。公式記録としては柴崎測量官らを初登頂として問題ないだろう。 2004年、国土地理院によってヘリコプターで三等三角点が剱岳に埋標された。国土地理院は規則により点の記を作成、その撰点日と記録者は明治40年7月13日・柴崎芳太郎と記された。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 2018年の夏に、北アルプスの縦走登山をした。新穂高温泉から双六岳、三俣蓮華岳、水晶岳に寄り道し、雲の平、薬師岳、越中沢岳、五色ケ原、ザラ峠、雄山、雷鳥沢を経て最終日に剱岳の絶頂を極めた。一週間の縦走だ。 縦走五日目には剣沢に到達していたのだが、低気圧が接近しており未明から翌日の天気は酷い荒れようだった。一晩雷鳥沢に踏ん張り、いつ吹き飛ぶとも知れないクロノスドームの中で一睡もできなかったのはよく覚えている。 低気圧の通過した七日目は台風一過のごとく晴れ渡り、無事に別山尾根から剱岳を登頂した。 現地に訪れていたおかげで、内容をはっきり想像しながら読むことができたのが嬉しかった。次回立山訪問の際には、立山信仰に是非触れてみたいと思っている。
2020.05.09
こんばんは。 2019年の秋の夜長です。 ここ最近の秋は毎年資格試験勉強という大義を背負っているのでろくに野外活動に勤しめない。まあ自分の無計画さが原因なんだけど。学べ。勉強しろ。 最近またネパールに行きたいと常々思う。砂ぼこりの舞うカトマンズの街と、どこまでも澄み渡る静寂のサガルマータ国立公園。 ナムチェの街で半年ほど過ごしてみたい。三食付きで住み込みでガイドの手伝いなどして暮らしてみたい。もう28才、同年代ではそろそろ次の世代を考える人間も出てくる歳なのだけど、どうにもまだモラトリアム的な意識から脱け出せない。大人になったって、親になったって、自分の人生が一番大事だ。 割と女の子に振り回されている人生だなと思う。振り回されているなどと言うと、何を自分の主体性の無さを女の子のせいにしているんだと糾弾されそうだ。それでもまあ振り回されてしまう。 しかし、今は幾分ましだ。所詮別々の人間である。違う価値観を持って生きており、歩み寄れる部分とそうでない部分があることをお互いにキチンと認識している。それによって害が及ぼされない限り干渉はしない。常に客観的な視点を。そうすれば冷静でいられる。 ネパールに行きたいなあ。ネパールに行きたい。住みたい。 ジープロードをMTBで駆け回りたい。 サレリの街で崖に腰かけて過ごしたい。 ルクラでカトマンズへ帰る飛行機を見送りたい。 ナムチェの丘で8000mの峰々を眺めて過ごしたい。 メラピークに挑戦してみたい。 チョラパスを歩きたい。 エベレストベースキャンプへ帰りたい。 ぺリチェの村でタウチェに向かって胸を張りたい。 ローツェに登りたい。 ネパール、まだまだやりたいことがたくさんある。 てめえ、いつまでそんなこと言ってるんだ。きっといつまでも言ってるだろう。 こいつはトコトン仕方ねえな。そう思ってもらうしかないのか。 やりたいことから逃げず、生きる。
2019.11.04
超久しぶりにつらつらと。 仕事の都合で転勤があり、今は埼玉県に住んでいる。 空が広くて家賃も安い。少し街から離れれば田園風景が広がり、風を遮る物はない。 夜は静かだし山が少し遠いことを除いては気に入っている。自転車は東京と比べて更に交通弱者としての立場を強いられている。まあ車社会の田舎だからね。でも悪くない。車が欲しいと思うことも少なくないけど。 手頃な遊び場としては飯能、奥武蔵あたりだ。川越線もそれなりの本数があるし、田舎なので信号がないから気持ちよく巡航速度を維持できる道もある。 ただ、本心としては松本か富山に住みたい。できることならナムチェに半年くらい住みたい。 最近また職を転じたいという思いが頭を過る様になった。やはりやりたいことを仕事にしてない言い訳が出てくる。もう本心から逃げるのはやめるべきかもしれない。 大手建材メーカーで働いて三年になるが、この業界にあと30年居続けると思うと気が滅入る。 てめぇまだそんな甘えたこと言ってんのかよ黙って働けばかやろう。 うるせえ、お前の人生じゃねえだろ黙ってろ。 結局2017年の6月に、8年程付き合っていた女の子にフラれた。原因としては僕が様々な意味で煮え切らない態度を取り続けたことと、相手を尊重できず愛想を尽かれたことだろう。自我の無駄使いは身を滅ぼす。 荒れた一週間を過ごし、それから一年半ほど浮いた話もなく黙々と仕事と自転車と山の日々だった。世田谷に住んでいたので友人も近くにおり、仕事の後など随分夜の自転車散歩に付き合ってもらったことが救いだった。春の夜と夏の終わりの夜に公園で飲むビールは最高だ。 昨年の4月に自分の視野が狭くなってきていることに気付いた。日常的に他人を思いやりながら行動するということができなくなってきておりこれはまずいと感じたので、新しい彼女が必要だという結論に至った。 流行りに乗って出会い系アプリでぽちぽち。何人かと食事をして4ヶ月程続け、8月の終わりに今の女の子が彼女になった。 決め手はやり取りが始まった後に時期をちゃんと言わずに北アルプスに一週間ほど行ったため音信不通になり、下山後半ば無視されるだろうと思って送ったメッセージにきちんと返事をくれたことだ。山に行くことは伝えていたものの、入山連絡はしなかったのに。「山を楽しんでいると思ってたよ」という信頼のある言葉をくれた。 シンプルな信頼のやり取りに飢えていたのかもしれない。約束を反故にすることが怖くて、自分も他人も頼ることはできなかった。勝手にこちらが悩んでいただけだが、そのハードルを軽々超えてきてくれたのは嬉しかった。 山と自転車について。 単純な楽しさと自己研鑽活動だ。 2017年 東京→北九州キャノボ失敗 鳳凰三山縦走 大島キャンプ山岳サイクリング 八ヶ岳縦走 きゃんつー集い木崎湖 磐梯山 高尾陣馬縦走 山中湖ツーリング 2018年 大子ツーリング 山手線一周サイクリング 水戸街道サイクリング 大阪→東京キャノボ失敗 雲取山 榛名山 リンスキー購入 北アルプス新穂高→剱岳縦走 富士山 きゃんつー集い木崎湖 両神山 能登半島旅行 武甲山 茂木エンデューロ 柳沢峠 2019年 冬山デビュー赤城山 大子ツーリング 蕎麦粒山サイクリング 安達太良山磐梯山 斑尾山スキー 富山ツーリング 入笠山 飯豊連峰縦走 西穂高岳→ジャンダルム縦走 バンフ国立公園縦走 富士山 きゃんつー集い内山牧場 プロペル購入 嶺方峠ツーリング 今のところはこんな感じ。 相変わらずだ。しかし体のパフォーマンスを保つのが難しい。トレーニングに割くための時間的余裕がない。なんとかしたい。 ではでは。
2019.09.29
この一週間は仕事と酒の週だった。 憑き物が落ちたような感覚で考え方がシンプルになり、仕事に対する姿勢が変わった。個人的にはそう思う。 回りもそう感じているかは分からないので、今はまだこの感覚は独り善がりのモノに過ぎないと思っているけど。 「自分のケツを持つ」こと。 自分のケツをちゃんと持てるか否かである。自分を救ってやれるのは最終的に自分しかいない。 ここで大事なのは、だからと言って自分ばかりに注意を向けないこと。 それはむしろ逆効果だからだ。 自分に意識が集中していると、回りが見えずに結果的にケツを持てなくなってしまう。まずは周囲の状況把握が必要というわけだ。 僕は本来的にあまり人を好きにならず、興味も持たない。割りと損得感情で付き合うことが多い、打算的な人間だ。 ある程度の付き合いを経れば損得抜きで遊ぶ様にもなるけれど。 それを踏まえた上で、自分をコントロールしていく必要がある。 相手自身に直接興味を持つのは難しいこともあるので、その場を楽しくしていこうという気概でやっていくことにする。 これは相手に直接興味がなくても、楽しくやっていくのは自分にとってメリットのあることなので可能なはずだ。 そういうわけで、仕事中は本当に仕事のことを全力で考えることにした(当たり前かもしれないが)。 酒の週。 土曜、月曜、火曜、水曜、金曜、土曜と飲み歩いた。 目的は友達に会って意見を聞くためだ。 僕は基本的に話を聞かない人間なのだけど、今週は不思議と頭がクリアで素直に受け入れ、また建設的な行動へ繋げるヒントも得ることができた。進歩だ。 怠惰が続くとまだ自我と欲がグツグツと煮えてきて脳を支配しにかかろうとする時もあるが、なんとか意識を保っている。 今日は掃除を敢行することもできた。 日々はトライアンドエラーだなと、この歳にして学ぶ。 遅いかもしれない。でも諦めない。
2017.06.25
昨日は遠すぎも近すぎもしない距離感の友人と酒の会を。 話を聞いてもらいたかったのと、相談に乗って欲しかったのとで。 彼はひょんなタイミングで出会った友人で、歳は30を超えている。 酒を飲んで人と話すために生きているという人だ。 僕より遥かにいろんな人と様々なシチュエーションで話をしているので、引き出しも持っているだろうと。 思えば、他人に物事を相談するということは実に数年ぶりだったかもしれない。 最近の出来事、僕の生い立ちから自己分析結果、問題の核心まで全部さらけ出した。 結果、一ヶ月後に向けて行動していくことになった。 貯金 →毎月残高報告 癇癪 →カウンセリング 鬱々とした気分 →表現すること→日記を書く 話を聞く →逃げない 丁寧な生活をすること。 いろいろぼかして書いているのでまぁよく分からんかもしれないが、まとめると人間としてのレベルを上げなさいよということだ。 もう手遅れで遅すぎるかもしれないが、もう一度だけトライしてみようと思う。 頑張ろう。
2017.06.20
取り返しのつかないことになってしまった。 すべては僕の甘さのせいだ。 もっとよく見てやるべきだった。 期を延ばすべきではなかった。 無理にでも自分を奮い立たせて真剣に生き抜こうとするべきだった。 一縷の望みはある。 望みがあると思ってしまうのも甘いのだが。 蜘蛛の糸を手繰るカンダタの様に覚悟を決め、かつカンダタの様に決して利己的になってはならない。 遅すぎる。遅すぎる。 諦めきれない。
2017.06.17
プツンと途切れて、またぐぐっと書く。 そんなリズムのブログになっている。 最近割りきる、切り替えるということが難しくなっている。 考えすぎたのかなー。よくわからない。 まだ25歳なので、頭が石の様に重く固いのはなんとも悲しい。 原因を求めてもなにも解決しない。 今日も霧の中で固まっていた。 霧の中をもがいていると、時々「確かなもの」に手や足がぶつかるような感触を得ることがある。 それを必死に掴んで手繰り寄せようとしても、強く引っ張ると途端に手応えが消えていってしまう。 なんなんだよ。 そろそろ寝ましょう。 明日は早いんだ。
2017.06.13
積算の仕事に異動したいなって常々思う。 自分は仕事として予定を調整したりするのはあまり得意ではないので、チャンスがあったら積算課に異動したい。 職人的に黙々と、時々軽く喋りながらマイペースに仕事を進めるのが性に合ってる。 今年は積算資格試験と、もしかしたら施工管理士も受けるかもしれないので、建築積算士も視野に入れて勉強していけたらなと思う。 なんだかんだ立体をつくったりこねたりするのが好きらしい。 明日は早起きして、南アルプス近くの林道を狙う予定だ。眠くないけど寝る。 そんな金曜日。
2017.06.02
昨日は宮田さんと町田の方まで自転車で散歩に出掛けた。 本当はトレーニングとして都心の自転車乗りのメッカであるよみうりランドの坂でも行くつもりだったのだが、宮田さんが友達と行うサイクリングの下見をしたいと言ったので、多摩は境川の方へと。 仕事後千歳烏山で待ち合わせた。 多摩川を越え、津久井道沿いに流れる小川を辿って走る。 多摩の丘陵地帯を駆け抜けるため、ルート選定には谷間の道、川沿いでアップダウンの少ない道を。宮田さんの友達は高齢のダンディな社長さんなのだ。 川沿いのマンションや急峻な河岸段丘など、多少外れたりするものの、大まかに谷の道を辿っていく。 小田急の本線もこの谷間を辿って走っているようで、川と道と鉄道が組合わさったトリッキーな行程を楽しむことができた。 おまけとして丘陵地帯にある住宅地名物の訳のわからん激坂を攻めるなど。 丘陵の稜線上は奥武蔵グリーンラインの様に細い舗装路となっており、山中の林道からそこだけ切り取って持ってきたかのような道が続いていた。 多摩地域の夜景を眺めながらの稜線サイクリングはとてもアンバランスで、素敵な時間だった。 なんだかんだで世田谷から町田というのは25kmほどあるので、仕事後に夜走るには少し遠いかなと感じるところである。一人じゃその時間には絶対にそこまで攻めないだろう。 疲れていたのか、それとも道をすべて宮田さん任せにしたからか、頭が全然回らずほとんど道を覚えることができなかった。まあシンボルとなる建物は覚えたので、いつでも行こうと思えば行けるのだけど。 そういえば衝撃の事実というわけではないけど、ちょっと驚くことがあって、そして少し悲しくなった。 軽いショックを受けるというのは久しぶりで、しばらく不自然な態度になりそうだ。乙女か。 今日は彼女の誕生日プレゼントを買うなど。かなり遅れたのだけど。 どうしてか、人の期待に応えようと頑張ることができない。できなくなった。 明日頑張れば休み。土曜日はツーリングいこ。
2017.06.01
今日は仕事のあとふと思い立って笹塚で電車を降りてみた。ブラブラするのが目的だが、ついでなのでカレンダーを探して歩いた。 笹塚の駅前には真新しいオフィスと商業施設を兼ねたビルと、その道向かいに昔からの商業ビルがあり、その回りに飲み屋が広がっているという形だった。 高架化された駅の真下にも小綺麗の飲食店街が貫き、駅前再開発の輪郭がはっきりと見てとれた。 結論から述べるとカレンダーは見つからなかった。 どこへ行ってももう季節じゃないからと店頭に置いてなかったのだ。本屋も三軒ほど回った。まぁもう6月になるしそんなもんか。 昔から買い物は店でする方だ。 余程値段の差があったり店頭で品薄だったりしなければ、大体街をぶらぶらして買う。 時間も使うしあまり効率的じゃないけど、きっと街をブラつくのが好きなんだ。 小さい頃は迷子常習犯だったらしいし。 カレンダーは見つからなかったが、本屋を回ったお陰で山と高原地図の43番、南アルプス・北岳を買ってしまった。 7月最初の土日に、滋賀県の友人と南アルプスへ歩きに行く予定だ。 やはり放浪癖というのか、やたら遠くへ行きたがる節がある。 それかもしくは、小さい頃は部屋でレゴブロックに没頭していたので、その反動なのかもしれない。 6月は自炊を心がけて、節約して生活しよう。
2017.05.30
カレンダーが欲しい。 あれをやりたいこれをやりたいと思ったときに予定を書き込んでおく。 最近やりたいことへの情熱がすぐに消えてしまうことが多いので、カレンダーを見てワクワクしたいのだ。まだ25歳でそんなこと言ってるのもアレなんだけど。 予定とか書き込むタイプのカレンダーって普通にお店に売ってるんだろうか。 カレンダーというのは普段利用してるコープや町会、家を立ててくれた建設会社などが勝手にもってきて置いて行ってくれるものだという印象しかないので、いかんせんカレンダーを買うという認識がない。 そりゃちょっと洒落たモノなんかはインテリアとしての意味合いが強いので、雑貨屋なんかで買うんだと思うんだけど。 スマホにもカレンダーはついている。 しかし、すぐに目に入る場所にかけてある壁掛けの大きなカレンダーには到底敵わない。 今日は散髪に行ったので時間がなくなってしまったが、明日はカレンダーを探す旅をしようと思う。
2017.05.29
自分で考えていること、感じていることはどんどんドバドバと吐き出すべきだ。 だからこのブログも更新することにする。 2015年9月の日記をみるに、不毛な時代に支えてくれた人々へ楽しい時間を提供することで感謝を示していく旨がつらつらと書いてあった。前向きだ。 あれから一年半ほどたって、どうだろう。そんなに変わってない気もする。一緒に遊んでいるが、それ以上ではない。 友人たちには貰ってばかりだ。僕が提供できるのはなんなのか。 誰かに、相手に喜んでもらえるだろうとアタリをつけて動くということを、2010年から2011年にかけて完全放棄した時代があった。爪痕はデカい。何も表現しなくなったし、感じなくなった。 今回ブログを書いているのはそういうわけだ。考えたこと、感じたこと、少しでもいいから表現する。感想を書く。感想なんか楽しかったとか面白かったとかそんなんで良い。高尚なことは意識して書くもんじゃあない。 価値観を取り戻すには地道に表現するしかない。感覚は内的なものだけれど身体の外に出して形にしないかぎりはそれが確固たるものにならないのだ。考えたことは形にして初めて意味がある。 10代のころは迷いなくそれができていた。 今さらその頃の自分を取り戻そうとは言わないし、取り戻したところで若さの悪い部分まで引きずってくるのは成長していないのと同じだ。 しかし参考にはなる。自分がどう考えて感じていたかを探る上で手がかりになるのは確かだ。囚われすぎても毒だが。 だから新しいブログを作らず、ここで書くのには意味がある。 変化をみるにはある程度の期間の観測が必要だ。ここにはすでに蓄積された自分がいる。
2017.05.28
ここ二年間であったことをつらつらと。 2015年2月に地場ゼネコンに入社。 スーツを着て、ごくフツーのサラリーマンをやる作戦にでた。自分の価値観が全く信じられないので、フツーのサラリーマン。 元請け業者として協力会社を束ねる立場で、仕事そのものの裁量はなかなか広く、リズムをつかんでからは少し面白味も感じていた。 2015年当時に一回だけ更新されている日記には、仕事はクソほども面白くもなんともないと書かれている。この後秋から冬にかけてリズムを掴み、お客さんも増えてやりがいも感じるようにはなるのだけど。 営業車を一人一台与えられ、自由に動いて仕事を獲得、価値有る形にしてお客さんに買って貰う。良い仕事だったと思う。 いかんせん、職場の人間と考え方が合わなかった。 自分の至らなさ、若さ、了見の狭さ。おそらくそういったことにも原因が多々あるのは重々承知だ。しかしこのblogでそこに回帰してしまうと救いがなくなってしまうので、棚の上に上げておく。自分の日記上でくらい、自分を全肯定してやらなければならない。 率直に言って建設業界は全体的に古いのだ。同調圧力と、上下関係と、非効率。この業界にいてこれを嘆いても「なんだそれ。承知の上で入ってきたんだろう」と言われるのがオチなのだけど、それでいいのか。 少なくともあのゼネコンではそういった効率化と風通しの良さを推し進められる革新の様な動きは起こらないだろうと思ってしまった。 休日は強迫観念に責め立てられる様に遊んだ。 自転車で走っている時は自由だ。 スピードも、目的地も。目的地はあっても無くても良い。ある方が充足感が得られることが多かったけれど。乗っていることが楽しい。 遠くへ走ればそれだけ自由になれる気がした。20歳を超えて就職したって中学生だ。尾崎豊となにも変わらないのだ。 一生懸命遊んだ。 鋸山 草津、渋峠 北陸、白川郷、琵琶湖 とにかく遠くへ。 夏休みになって、久しぶりに彼女と再会した。 彼女は2015年の4月から公務員としてとても厳しい環境でたくましく働き、成長していた。具体的な職はここでは伏せる。 伊豆へ車で旅行に行き、海で泳ぎ、夜には色々なことを話して、そして眠った。 私の夏休みの終わりに職場で研修の修了式があるので、それに来て欲しいと話していた。 修了式は圧巻だった。とても遠いところへいってしまったような、置いていかれている感覚に襲われた。 どうしようもなくなって、やりきれなくて、対抗してハードな長野県の山岳救助隊などの職についてやろうかと高ぶった。本場北アルプスを見に行ってやろうと、お盆休み最終日の前日に松本まで自転車で走った。北アルプスは曇っていてなにも見えず、ネカフェで一晩過ごして浅間温泉に浸かり、午後のスーパーあずさで帰宅した。ちょっと狂っていた様に思う。 その秋に仕事のリズムをつかめたのだ。 単純に言えば彼女の頑張りに触発されたのだと思う。それから半年ほどは頑張れた。とても短いけど。 まあ、結論から言えば続かなかった。 2016年はいよいよ転職しようと活動していた。通常業務と転職活動と自転車活動をぼちぼちと。彼女は冬から初夏にかけて海外へ長期の出張だった。 自転車師匠の福田さんはやはりアフリカへ行くと言って、その資金を貯めるために山へ戻ることに。夜桜を見ながら最後の酒を飲み交わし、東京から去っていった。 自転車や山の活動に関してはとても良い年だったと思う。すべて自己満だけども。 東京→名古屋の初級キャノンボール 東京→青森の740kmファストラン 那須岳での山岳サイクリング 富士山一周 槍ヶ岳、北穂高登山 常念山脈縦走 そして特筆すべきネパールサイクリング 転職の目処がたったので11月末に仕事をやめたわけで、ネパールへ。詳細はまた今度にするけど。 エベレスト街道は素晴らしかった。 転職先は、これがまた建設業界。 一応大手の建材メーカーに拾われた。 土日休みで給料も良かったので決めた。大きい会社で働いてみたかったというのも理由の一つだ。 価値観を外注するとこうなる。 自転車と山を満喫し、転職も成功。 2016年はそんな年だった。 長くなったのでまた次回。
2017.05.28
二年間ほどブログを放置していました。 お久しぶりの武者です。 とりあえず更新。詳細は次回。
2017.05.28
最後にブログを書いてから、早一年が経とうとしている。オーストラリアから帰ってきて、半年フリーターしながら就職活動をした。今は建築業界でデスクワークの日々だが、全く面白くない。休日に遊ぶ金を稼ぐために働いているようなもので、死んだ顔をしながらパソコンに向かうのはもう嫌だ。営業先でお客様と話していると多少救われることもあるが、俺にはこの働き方は向いていない。今まで散々遊んできたツケと言われればそれまでだが、必死でやってきたかと言われれば答えようもない。誰かのために頑張るのか、自分のために頑張るのか。自分の価値を不当に低く見積もって、諦観のもとに数年を過ごしてきた。いわゆる自己肯定感が著しく欠如していた状態である。自己肯定感が低いと、人間何が問題か。まず、自己肯定感が著しく低いことと、謙虚であることは、全く別の話だと思う。謙虚さは自分の実力を客観的に見て正当に把握し、それ以上または以下の実力者に対してそれ相応の対応ができる力だ。出来ない者には親切に自分のレベルまで引き上げ、出来る者には素直に従い教えを乞う。分野によってもその度合いはもちろん異なる。一方自己肯定感の低さというのは、まず自分のレベルを正しく認識せず、そして不当に低く決めつけることだ。だから何かに挑戦しようとしても「どうせ自分だから」というところにあらかじめ逃げ道を作るため、挑戦することに真剣になれない。失敗したら「ああやっぱり」だし、成功したら「運よくうまくいった」。真面目に取り組まないから成功率はどんどん落ちる。「ああやっぱり」が増えていく。それは自分の自分自身に対しての信頼を損ねていくことになる。自信がなくなると、人はわからなくなる。目の前に並んでいる皿の数さえまともに数えられなくなる。いや、数えられはするのだけど、それが本当にその枚数で合っているのか確証がもてなくなるのだ。自分で数えた結果に対して自信がないから。自律神経の働きがどんどん低下していく。負のスパイラルを脱するためには、まず外に出ること。そして、自分の価値を認めてくれる良き友人がいること。少なくとも自分はそうだ。そして簡単な身の回りの物事でいいので、それらを確実に断定的に捉え、継続的に行動に移す訓練をすること。ゴミの日は何曜日、今朝乗る電車は何分発、これから行く場所はどれくらい離れていてそこへ行くためには何でどうやって行くか。その通りに行動してみる。予定を立てる。実行に移す。そうやって自分自身への信頼を回復していく。そして絶対に人との繋がりを絶たない。これらの作業は半年から数年の苦しみを伴う。常に頭に負荷をかけ続けるからだ。身体が鉛のように重いときもある。できないこともある。しかし大事なのは、自分で決めた決まりを毎日細く長く継続していくことだ。自分の場合は自転車をやっていたので、半分逃げるようにしながらも常に文字通り動き回っていた。そして数は少ないながらも信頼できる友人がいたので、自分はつまらない人間だと思いつつも彼らと遊んでいた。そして2月に就職し、毎日一定の緊張感が保たれる時間ができた。緊張感はストレスとなって脳に負荷をかけ一時的にそのパフォーマンスを低下させるが、環境に適応してくれば適度なストレスとなってメリハリのある毎日を作るための大事な材料になる。ストレスは多すぎても少なすぎてもいけない。ここ一ヶ月ほどだが、夜は日付が変わる前に寝床に入り、朝は5時30分には起きて30分ほど音読をする生活をしている。これがなかなか良い朝をもたらしてくれる。余力があるときはエアロバイクを漕ぐ。圧倒的に自転車に乗る時間が不足している毎日で、この世間でいうところの「朝活」は自分にとって非常に大事だ。たとえそのあとの一日がどんなにだらけたものであっても、全く無意味ではなかったと感じられる。全てを放棄した数年間を取り戻すのは不可能だ。しかし今この瞬間の気づきをスタートとして、もっと長期的な目線で未来を向いていきたい。そして、不毛の時代に自分を見捨てなかった人々をはじめとして、もっと楽しい時間を提供していけたらと思う。自転車が好きだ。山が好きだ。プールが好きだ。良い景色が好きだ。旅が好きだ。友達が好きだ。彼女が好きだ。楽しいことが好きだ。もがく。
2015.09.09
最近、極端に思考力が落ちていると感じる。思考力だけではない。集中力、言語力、感受性、効率性。ここ五年ほどでひどく低下している。ニートになってからは尚更だ。外部からの刺激が極端に減ったからだろう。元々、要領の良い方ではなかった。でもやれることはやったし、自分なりに効率的で合理的な行動を心がけるようにはしていた。「合理的」「論理的」って言葉を頻繁に使っていたと記憶している。自分自身の価値観について絶対的な信頼があったので、それに見合わないものにはほとんど興味を示さなかった。これが良くなかったのだ。大学二年の秋に一度、これに気付いて視野を広げようと努力した。今まで手を出さなかった音楽や本を手に取るようになったし、打ち込めずにいたライフセービングも頑張ってみた。ただし自分なりに。やはり、圧倒的に足りなかったのだ。足りない分は、補っていかねばならない。今こそまた、そういう外部世界について積極的に刺激を求めねばならない時期に来ているのだ。毎日毎日当てもなく自転車で街を徘徊していたのは、無意識にそう考えていたからかもしれない。やりたいこと、やることを明確にしていこう。一旦そういうリズムから外れてしまった以上、意識的に取り戻さねばならない。やりたいこと。・自転車で奥多摩の峠を一通り網羅する。 坂は嫌いだったけど、その楽しさに目覚めてしまったみたいだ。変な意地を張らずに、やってみようと思う。・自転車で速さを求める。 「速くなくても良い」そう考えていたけれど、「この人と同じくらい速くなりたい」「この人より速くなりたい」 「少なくともこの人より速く自転車を漕げる存在でありたい」という意識が芽生え始めたので、なるべく速く走ろうと思う。 自転車については、速さと坂の時代が到来している。旅やポタリングももちろん大好きだけど、今はそういう時期なのだ。・英語をマスターする。 帰国してから二週間ほどしかもたなかったなー。今一度、やろう。 少なくとも英語を喋ることについての抵抗はかなり無くなっているので、それだけでもアドバンテージだ。 あとは機会を増やす。具体案はまだ思いつかない。・一人暮らし。 自分の暮らしを自分でコントロールしたい。やはり実家でパラサイトしてる以上、両親や祖母におんぶにだっこなのだ。 先立つものは、金。仕事。 メッセンジャーの仕事に興味がある。正社員で募集しているところもある。しかも内勤もできるようだ。能動的に人生を動かしていくべきだ。その方が絶対に楽しい。自分なりに楽しく生きることについてはサボりたくない。他人とのバランスを見て、自分がやっていくことを決める。もちろん、そういう動き方が大事な局面もある。が、それが全てではないし、全てがそれでは悲しすぎる。モヤモヤぼんやりとしたアタマの内側で必死にもがく。諦めないぜ。
2014.10.04
マスター・ヨーダの言葉。就職活動の鍵にならないかなと思って高校時代のブログを読み返していたけど、まぁロクなことは書いてない。特に一年生の冬からは、今のツイッターみたいな使い方をしていたから仕方がない。まぁでも読み返してみると、なんだかんだ今の自分のツイッターよりはよっぽどマシなことをつらつらと連ねていた。なんていうか、やはり自分を貫いている。ツイッターは、どうしてもそのシステム上、様々な人の目に触れられてしまう。だから、書く内容はどうしても当たり障りのないモノか、大多数の意見に迎合するようなモノになってしまいがちだ。自分の意見をキチンと持ちつつ、他者を逆なでしないようなこと。仮にその意見についてより深く聞かれたら、キチンと答えられることが大事だと思う。大多数の意見ありきで自分の答えを決めるのは、時にとても危険なことだ。そのうち、自分が誰だか分からなくなっちまう。過去の自分を掘り出してみて。まず、自分の人生を充実させることについて、とても関心を持っていたと言える。「時間を無駄にしてしまった」といった旨の表現が多い。まぁなんやかんやで時間が過ぎてしまって、それを振り返った時には「充実したな」と思えていたんだけど。きっとそれは、北多摩高等学校という空間をとても愛していたからだと思う。愛があって、誇っているから、そこで過ごした日々については仮に大したことがなくとも充実感を覚えてしまっているのだ。そりゃそうだ。夢を実現した空間なのだから。誇りがあるから、自分に自信が持てる。僕は弱い人間だから、本当の意味で己について自信を持てていなかったんじゃないだろうか。時々、そんなことを考える。就職活動。僕はとても自己満足的な人間だ。しかし、他人の評価で右往左往することを覚えてしまった。なんだろう、良い意味でできればよかったんだけど、悪い意味になってしまったんだ。自己満足。自己満足でも、金を稼ぐことが出来れば勝ちだろう。そう、金を稼がねばならない。人間、お金が無くなると、IQが下がるという。いろんな理由を短絡的に金欠として処理してしまうからだと思う。どんな仕事をすれば自己満足を得ることが出来るんだろう。自分がその会社についてできることに、自分が満足できるかってことなんだと思う。それがすなわち「やりがい」ってやつなんだろう。究極的に言えば、自分にとってやりがいの無いことは無意味だろう。最近、より速く自転車に乗るということについて、自己満足感を覚える。より速く坂を登れるということについても、満足感を覚える。福田さんは短絡的だというけれど、まぁ、僕の自転車人生についてそういう時期なんだよ、きっと。坂は嫌いだった。つまり、そういうことだ。やってみなくちゃ分からない。挑戦してみるしかないということなんだ。やるか、やらぬか。試すのではない。
2014.10.03
今日は母親の通っている教会について行ってみた。こちらの皆さん、僕がオーストラリアに行っている間、その身の無事を祈っていて下さったのだ。そのお礼を言いに行った。知り合いの息子とはいえ、ほとんど見ず知らずの人間のために心から祈る。尊いことだと思う。不勉強なのでキリスト教の考え方はよくわからないが、神様の視点から見て物事を判断するということらしい。自分の欲をかかず、合理的な視点から物事を観るということだろうか。正直、最初は行くのが億劫だった。というか、人と話すことが面倒だった。怯えていた、という方が適当かもしれない。ものすごいストレスだったのだ。脳がよく回らず、言葉もうまく出てこない。半思考停止状態に陥っていた。軽いうつ状態だったのかもしれない。なんだか頭がずーっともやもやもやもやとしていた。キリストの力で頭のモヤモヤが晴れたとは思わない。ただ、教えを信じて行動していた人々と会話をして、変なストレスから解放されたのは事実だ。月並みな言葉ではあるが、「神の前では皆が平等なのだ」ということの意味を、少しは理解することができた。オーストラリアを走っていた時の自分。人間として最高だったし、最低だったともいえる。ただ、心境はどうあれ、僕はオーストラリアをたった一人で自分の力で走ったという事実は、まぁ事実に違いない。バタバタとパースを出発し、スローパンクと慣れない寝床、身体を鍛えながら走ったグレート・イースタン・ハイウェイ。ノースマンで万全を期し、最高の走りをしたナラボー平原。達成感から緊張が解けて苦しい思いをしたポート・オーガスタまでの道。新たな冒険に心を躍らせながら出発し、砂漠気候の厳しさと美しさを体感したスチュアート・ハイウェイ。向かい風と赤い砂のレスター・ハイウェイを突き進んでたどり着いた、中学生のころから憧れであるエアーズロック。ウルル編をなぞりながら帰ったグレンハウンドバスの旅。二つの砂漠を超えて緩んだ兜の緒を締めなおして出発したポート・オーガスタ。美しい街と美しい家族に囲まれて過ごしたアデレード。平坦続きの脚にはとてもきつかったオールド・プリンセス・ハイウェイ。半分走ることに飽きていたデューク・ハイウェイ。ビクトリア州に入って道の両脇に牧場が増え、道も綺麗で走りやすくなったウェスタン・ハイウェイ。ついついYHAに泊まってしまったバララト。都会的な雰囲気の中過ごし、レ・ミゼラブルを観て最後まで頑張ろうと思えたメルボルン。おお、意外だね。やはり街の数だけ書くことがあるのかね。記憶としては、砂漠地帯の道の記憶が圧倒的なのだけれど。砂漠地帯を表現する言葉が僕には足りないということなのかね。いやいや、そんなことはない。道の記憶、道に対する覚悟、道との戦い、道への感謝。寒さに凍えながら走ったヒューム・ハイウェイ。高速道路の路肩は素晴らしく走りやすく、そして走りにくかったぜ。やんちゃな友達と過ごしたキャンベラ。ラストラン300kmもしっかり走った。チェンさんの家で過ごした完璧な日々。大して観光もせず、ただひたすら街中をふらふらとしたシドニーの日々。オペラハウスの到着は意外とあっけないものだったなぁと感じた。しかし、旅は終わったと思っていたけれど、実は終わってはいなかったんだ。それは日本に帰ってきてもそうだった。旅の終わり。それはついさっき感じた。写真を見直して、まとめて、チェンさんとルエラとルイズにメールをして。就職活動をして、就職を決めて。それが本当のオーストラリア自転車横断の旅の終わりだ。旅の終わりは、新たな旅の始まりだ。旅を人生にはしたくはない。根を張って生きたい。しかし、人生は旅だという考え方に、今は少なからず賛成できる自分がいる。明日は専大鋸南の飲み会らしい。オーストラリア自転車横断のお疲れ会もしてくれるらしい。ちょっと楽しみで、ちょこっと怖い。胸を張って行きたい。胸を張って行こう。綺麗な言葉を使うのは恥ずかしいことではない。夢を見るのは恥ずかしいことではない。四年間の氷は、確実に融け始めている。
2014.08.31
先週の月曜日。もうちょうど一週間前。オーストラリア自転車横断の旅を終えて、日本に帰ってきた。中部国際空港からは自転車に乗って出ることはできないので、自転車を段ボールから出して輪行袋に詰めなおした。自転車と小さいメッセンジャーバッグと再度バッグ4つ。しんどかった。名鉄に乗って二駅、常滑で下車。駅の隅でゆっくりと自転車を組み立てた。途中、高校生くらいの男の子が興味ありげにこちらを見たので、話しかけてみた。改札口の前で、友達を待っているのだという。彼は陶芸の高等専門学校の生徒で、陶芸品をつくる事務所のようなところに所属しているらしい。修行を重ね、店舗に作品を売り込み、生計を立ててゆくのだという。早くに自分の将来を見据えて未来を語る姿に、なんだか自分が情けなくなった。国道沿いのマクドナルドで一晩過ごした後、名古屋市内へ。とにかく暑い。蒸して、不快で、たまらない。日本の夏だ。冬の国から来た身体には堪える。日本一周の奴らはこんなに暑い中毎日自転車を漕いでるのか。ファッキン尊敬するぜ。牛丼を食べて東京まで帰れるという気になるも、おやつに食べたガリガリ君で冷静さを取戻し、名古屋駅に到着。結局、新幹線を使って東京に帰った。東京駅、吉祥寺、拝島と、それぞれで友人が出迎えてくれ、横断の達成と無事の帰国を祝ってくれた。ありがたいことだ。良い友人を持った。節目節目にかけつけてくれる、気兼ねなく会いに行けるという関係は、とても大事だ。オーストラリアを自転車で横断した、という事実。まるで嘘のようだ。あまり現実味がない。それはきっと、極端に自分の価値を自分で落としているからだと思う。ふわふわとしている。もっと自分を誇っていい。自信を持ってよい。俺は自分の身体と自転車、それに少しの荷物と勇気をもって、一人海の向こうの大陸へと渡った人間だ。もっと誇っていい。一週間。英語に触れる機会を増やした。意識的に動くようにした。怠慢の影は相変わらず靴底についたガムのようなねちっこさで張り付いてくるけれど、振り切れる時も増えた。合理的な自分を取り戻そう。脳を使わず欲に従ってばかりいるのでは、動物と同じだ。そんなもんは女の子と一緒にベッドに入ったときだけでよい。汗をだらだら流して、心臓が裂けるほど血液を循環させて、唸り叫ぶ。そうやって自転車を漕ぐように、生きてゆきたい。オーストラリアから帰ってきたぜ。
2014.08.25
今日は5月の16日。オーストラリアへの出発予定日は28日。もう二週間もない。正直、飛行機がちゃんと取れているかさえ分からない。早急にエアアジアに電話をかけて確認するべきだ。出発の日になって空港へ行ったら、自分の乗る飛行機がなかったなんてことは絶対にごめんだ。何が何でもオーストラリアに行かなければならない。去年の秋の終わり、京都から帰ってきて何を思ったか。正直、京都への道のりは思っていたほど楽しくなかった。琵琶湖一周で初の200km超えをしたこと以外には、自転車に関して新しい感動はそれほどなかった。夏、北海道をやってしまったからだろう。日本国内最後のフロンティア、北海道。ツーリングの聖地、北海道。北海道一周。初めてのキャンプツーリングで、成功するかも分からなかった。自分は今までどれほど自転車の乗り方を知らなかったんだろうとも思った。痛感した。それほどまでに北海道の毎日は楽しかった。だから、秋には京都へ行こうと思った。なんとなく京都。150km/day。一週間にも満たないキャンプツーリング。まぁ問題なく走れるだろうな、という感覚。そして思った通り走れてしまった。しかもかなり良いペースで走った。あまりに問題なさ過ぎて、拍子抜けしてしまった。その時から、海外の影がちらつき始めた。現実を見据えて就職活動をするか、新卒を棒に振って海の向こうへ走りに行くか。出会うべき時に、出会うべき人に出会ってしまったとしか言いようがない。悩める秋に、年の近い海外ツアラーが二人も友達になった。アルゼンチンとオーストラリア。運命だ。オーストラリア自転車横断計画。まだ実感が湧かない。ちょっとだけ怖い。本当に俺は自転車と少しの荷物を持ってオーストラリアに行くのか。他人事みたいだ。ただ、準備はしている。カメラも買ったし新しいテントや寝袋も準備したパスポートも取ったビザももうすぐ取れるし飛行機にもきっと乗れる。29日には豪州の大地を踏める。今回、いろんな人に支援をしてもらっている。快く装備を提供してくれた友人。何も言わずに応援してくれる家族。彼女。人間、何かに向かって頑張っていると、どんどん応援してもらえるんだなと、改めて気づかされた。そういえば大学時代には、あまりこういう思い出はなかったな。つーか自転車旅行なんか大学でやれよという話。人生の使い方が下手すぎる。しかし、いろんな都合からして、このタイミングがベストだと思う。「お前、自転車持ってオーストラリアに行くんだぜ」去年の今頃の自分に言ったら、どんな顔をするだろう。うそだろう、今年の夏に北海道には行くけども、海外なんてそんな。無理無理。手が届きそうなんだ。可能性を見てしまったんだ。自分にもできると。だから、俺はオーストラリアを自転車で横断するんだ。
2014.05.15
賽の河原のごとく。でも、無駄な努力をしている感じはしない。僕はオーストラリアに行って何を得て帰ってくるだろう。生き抜くための英語力、自転車を進めるための筋力・体力、少しの達成感。他にもいろいろあるだろうし、結局何も得られないだろう。オーストラリアへ行くために、お金を貯めている。目標金額は60万円。現在38万円。あと22万円。往復飛行機代:10万円二ヶ月半の生活費:25万円ザ・ガンの片道乗車券:5万円装備代:10万円予備:10万円 計:60万円往復の飛行機はサーチャージと自転車輪行代で12万円ほどだ。だいたい10万円としておく。そろそろ予約しないと。生活費は自炊してればぶっちゃけそんなにかからないと思う。この金額は東京でも安いアパートの家賃込みで二ヶ月半一人暮らしがギリギリ可能な金額である。同じ先進国だし、予算として問題はないだろう。ただ、オーストラリアの物価は日本より少々高めと聞くので、多めに見積もっている。アデレード~アリススプリングス間のザ・ガンの料金は、YHA価格で270オーストラリアドルかかる。40オーストラリアドルの追加で、自転車を解体せずにそのまま載せられるらしい。ウルルへの道程はエクストラステージ的な位置づけであるので、いざとなったら無視して大陸横断を優先させるかもしれない。まぁ、その時の気分次第で。残りの必要装備はフロントキャリアフロントサイドバッグ前後ホイールシュラフカバーorシュラフテントマット保険携帯電話吸水速乾性のシャツなどである。おお、意外とたくさんある。10万円なんてあっという間に吹き飛びそうである。予備の10万円はあってもなくてもいい。そういう意味で、目標金額は50万円でもいい。しかし、やはり予備は予備だ。あるに越したことはないし、まぁ、目に見えるカタチで保険になる。あー、お金欲しい。前回の短期バイトが終わってからあっという間に10日程経ってしまった。有意義な時間もあったけど、無駄な時間もたくさん過ごした。自転車にも乗れていない。パンク修理がさまざまな都合でうまく行かなかった。元のツアラープラスに戻す時がきた。今週末にはりょうさんと走りに行く予定だ。リハビリ代わりの、風張林道リベンジである。うへぇ。残り時間は少ない。少ない中で準備しなきゃいけないことはたくさんある。頑張ろう。頑張ろう。オーストラリアに行きたい。
2014.04.01
不意に友達に誘われて、一泊三日のスキー旅行に行ってきた。一日目は夜行バスにのるだけだったので、実質二日間である。例によって日焼け対策を何もしなかったため、顔の下半分がヒリヒリと痛い。特に唇が酷い。サンバーン。まぁ僕にとって日焼けの痛みなんてものは、その年の夏に向けたイニシエーションぐらいに思っているので、特に嫌ではないんだけれど。今回は、時期はずれもいいところだ。雪上の勲章である。最近はオーストラリアのことしか考えていない。頭の中は大体オーストラリアのことだし、行く先々で「オーストラリアに行くんだぜ」と自慢している。自慢でもして自分にプレッシャーかけてケツを叩いて、逃亡防止のためなんだけど。オルトリーブちゃんもチューバスちゃんも高嶺の花すぎる。ひたすら手を伸ばして手に入れんとしている状態。まぁ好きな自転車と装備で行きたいから、こんなのは何も苦ではない。日本一周とか、世界一周を企てる方々の装備は、だいたい似通っている。ルートは違えど、皆同じ目標に向かって計画を立てて実行していくわけだから、自然と選べるモノが限定されてくるのは分かるんだけどさ。日本一周はまだしも、世界一周レベルになるとそれも顕著だ。自転車はサーリーのロングホールトラッカー。もしくはジャイアントのグレートジャーニー。キャリアはチューバスのエルゴとロゴ。たまにナイスラック。バッグはオルトリーブのフロント・バックローラークラシックとアルティメイト。タイヤはシュワルベのマラソンかマラソンプラス。バーナーはガソリン燃料のMSRかドラゴンフライ。テントと寝袋はそこそこバリエーションがあるけど、似たようなものだろう。過酷な使用環境と条件に耐えうる道具は、種類も限られているので被るのは仕方がない。でもそれってどうなんだろって最近思った。今まで自転車経験のない人が、いきなりそういう旅を計画して行くのなら、間違いないと思う。でも、経験のある人までが一様にそうするのは、何か違うと思う。わざわざマニュアル化されている様な物に従うのか。もちろん今まで乗っていた自転車が本当に旅に適さなかったら、それはどうにもならない。ロードレーサーにはキャンプツーリングの荷物を積むことなんて到底できない。せっかくだから自転車ごと一から揃え直すっていう考え方も理解はできる。でも、今まで一緒にいろいろな経験をしてきた相棒と一緒に世界へ、みたいな考えはないのかな。僕自身が一台目の自転車としてツアラーを選んだからってのもあると思うけど。ソノマと一緒にいきたい。ソノマを異国の地で走らせたい。こいつはもっと出来る自転車なんだってことを自転車に詳しい人に見せてギャフンと言わせたい。自転車関係に限れば、こんな心持ちである。でもいろんな都合でそれが叶わない人もいる。もちろん、ロングホールトラッカーに憧れて、あの自転車が好きで相棒として選んだ人もいる。手っ取り早く準備ができてガツンと走れるから、グレートジャーニーにした人もいる。まぁ僕も結局フロントキャリアはチューバスのエルゴを買ったから、人のことは言えないんだけど。いや、あのデザインが格好良くてソノマに似合うと思ったからだよ?キャンピーは折れるとか、そんなこと考えてないよ?うん。その代わりにリアキャリアはミノウラのMT800で行くからさ、勘弁しておくれよ。そのうちライトウェイプロダクツにも、一報入れようと思っている。旅乗りテイストの街乗り向けだなんて言われたままにしておいていいのかい?こいつの実力、確かめてくるよ。
2014.03.25
僕は本当にオーストラリアに行きたいのか?ここ最近、ずっと自問自答している。いや、福田さんには話したけれども。先日、めでたく大学の卒業が決まった。本当に嬉しい。心の底からホッとして、一日中にやけていた。翌日も引き続きにやけていた。なんたって卒業単位ピッタリだったのだから。当然全て計画通りである。うむ。就職について、大学の就職課に相談しに行った。今年目一杯遊んで来年から就職したい。今年はオーストラリアを横断したあと、西日本を観てきたいんだ。旅がしたいんだ。就職課の橋本さんはうんうんと頷きながら聞いてくれて、あやふやだった旅の動機、目的、そこから得たいものを明確にしてくれた。ぶっちゃけた話、別にオーストラリアでなくてもいいと思っている。仲間内では豪州はすでに石井くんが走破しているし、福田さんはアルゼンチンを走っている。となると、やっぱりユーラシア大陸かな、とも思うわけで。そもそも最初に海外自転車旅行と聞いて頭に浮かんだのは、シルクロードの走破である。シルクロードは長い。距離にして約20000km。そして危険だ。自然環境ももちろんだけど、政治的に不安定な地域を通過しなければならないからだ。そんなところを走る度胸と勇気は無い。個人的にはチャレンジ、冒険という言葉を使ってみても、やはり先人が走った道というのは安心する。それが自転車好きの友達ともなればなおさらだ。というわけで、オーストラリアなのだ。先進国だし、旅行者も多いし、何より中学時代から憧れたエアーズロックがあるから。自転車旅行の醍醐味は観光地巡りではないけど、やはり豪州を訪れるなら外せない。そしてそこに至るための手段にロマンが溢れている。世界唯一の大陸縦断鉄道<ザ・ガン>だ。この列車、アデレードからウルルの最寄り駅であるアリススプリングスまで、YHA価格でも自転車込みで片道約300ドルと非常に高い。しかし、与えられた時間は二ヶ月半しかない。大陸横断ルートとウルルは普通にこなしていては重ならないため、ピストン覚悟で南海岸からわざわざ内陸まで行くしか無いのだ。目標が大陸横断なので、時間的には非常にロスである。そこで大陸縦断鉄道だ。費用的には飛行機のほうが安いけど、輪行の手間もあるし、やっぱり<ザ・ガン>に乗りたい。さすがに往復で使うと費用もバカにならないし、何より「自分の脚でウルルに到達する」ことができなくなるので、風向きを考えて往復のどちらかで使おうと考えている。まぁ時間とお金、この場合どちらを取るかと言えば、答えは明白だ。オーストラリア。オーストラリア。オーストラリア。海外自転車旅行。憧れだ。先進国と言えど、都市を離れればそこは道路が敷かれているだけの未開の地だ。荒野に挑んで、自分の今の力を試してみたい。ウルルが見えるところにテントを張って、一日ウルルを眺めながら過ごしてみたい。太陽の高さによって変化していくウルルを、この目に焼き付けたい。なんだ、やっぱり僕はオーストラリアに行きたいんじゃないか。このブログ、誰か読んでくれているのかな。ここ数年の友人には教えていないし、最近全然更新していないので昔の友人も見ている人は少ないだろう。とりあえず今はあんまり読まれないことを前提にして書いているから、丁度いいんだけど。豪州横断が近くなったら、それ用のブログを立ち上げようと思う。やっぱり何かに記録しないともったいないし、多くの人に見てもらって知ってもらったほうが張り合いもあるから。それに、どこにでもいる極普通の人間がこうした旅をすることによって、少しでも多くの人に自転車や旅の素晴らしさを知ってもらい、自分にもできるかな、と思ってもらいたいのだ。自転車は線の旅。なぞっていく旅。大地を這う旅。行こう、オーストラリアに。
2014.03.02
先週、今週と、立て続けに雪が降った。それも降雪量50cm超。めったに雪の積もらない東京で言えば豪雪だ。山梨県の雪が深すぎてインフラが寸断されて陸の孤島状態らしい。鳥瞰図というか、鳥瞰写真はまるで氷河期のようだった。自転車でなぜ旅をしたいのか。どうしてか。去年北海道を走って、その魅力に取り憑かれたから?違う。走っている間は、自由なんだ。旅をしている間の全ての裁量権は自分にある。自由だ。別に日常で不自由しているわけではない。むしろ衣食住恵まれている。しかし、自由ではない。これは我ながらかなり問題のある心境である。自由を感じられないのは、きっと義務を果たしていないからだ。社会に胸を張って生きていないからだと思う。自分はこの3月で大学を卒業するだろう。しかし、次に所属する組織は決まっていない。就活もしていない。世間で言うところの親不孝者だ。勤労の義務を果たせる未来が、未だに描けていないのだ。なんのために働くかって、そりゃ世間様への見栄のために働くわけではない。自分が生きるため、彼女と結婚して明るい家庭を築くためだ。幸せにするためだ。しかしやはり、なんとなく世間に顔向けできないような気持ちを持って、今現在、日々を過ごしているのが事実である。自転車に乗るのは、そんな悶々鬱々とした日々から逃れるためというのが、今のところ一番しっくりくる動機だ。どう考えても、どう前向きにとっても、逃げている。「逃げ」の思考だ。サドルの上の時間は、そんな色々なことを忘れてただただ自由を感じていられる。やはり問題がある。自転車旅行がしたいけど、このままの状態で旅に出るのは精神衛生上非常によろしくない。さっさとやるべきことをやって、それから思う存分楽しみたい。頭にかかっているモヤモヤボンヤリとしたロックを外していきたい。そうすればきっと、壊れた感受性を少しでも立て直せると思う。本当に海外ツーリングしたいのか、オーストラリアに行きたいのか、自分の気持ちが分かるだろう。
2014.02.16
愛車である2011年式のライトウェイ・ソノマにブロックタイヤを履かせてみた。去年の11月の終わりに東君や石井君と出会ってから、林道や未舗装路に興味を持ち始めたからだ。太めのロードタイヤのままでもある程度未舗装路を進むことはできたし、舗装路ではそれはもう当然のことながら快適だったわけだけれど。期間にして二年と少しはこのツアラープラスを履いていて、このタイヤしか知らないと言っても過言ではなかった。購入時に付いていたケンダのタイヤの乗り心地なんてものは、とうの昔に忘れてしまっていた。空気圧表示の限界近くまで空気を入れたゴーガノのブロックタイヤの乗り心地は、それはもう酷かった。いや、太いブロックタイヤなんてモノはある程度空気圧を低くして乗るものなんだろうけど、ロードタイヤから乗り換えたばかりなのでとりあえず限界まで入れた。高い空気圧を維持することこそ、パンクに対向する最も手軽な手段だと北海道で思い知らされたからだ。サイドバッグとキャンプの装備を積んだって、高い空気圧を維持していれば26cのタイヤでも何も問題はなかった。少なくとも国内は。試しに多摩湖の周辺を走ってみた。未舗装路にたどり着くまでのアスファルト部分は正直苦行でしかなかった。低い空気圧による衝撃の吸収、なんてのはあまり信じなかった。馬鹿だから。結局帰りに何度も自転車を止めて空気を抜くことになる。タイヤを押して、具合をみる。多摩湖の軽い未舗装路は、スギノのクランクに付いていたチェーンリングを留めるボルトを食べてしまった。ミドルとインナーにいきなり変速ができなくなり、チェーンが内側に落ちる。アウターとミドルのチェーンリングを手で揺すると、少しぐらつくようになってしまった。仕方がないので唯一使えるアウターに入れて、なるべくトルクをかけないようにゆっくり帰ることにした。トレイルと呼ぶまでもない道の洗礼であった。東君はショッピングセンターの中にあるアウトドアショップのアルバイトだ。大学の三年生で、深谷ダボスのランドナーと東叡社のスポルティーフを嗜み、旅情を愛する青年だ。石井君は自転車と自転車旅行について並々ならぬ情熱を持ち、持論を語る大学生だ。僕と同い年で、ミヤタのリッジランナーをドロップハンドル化したツーリング車を駆る、アツい男だ。まだそれぞれ二回しか会ったことはないが、二人とも「自転車」で「旅」や「冒険」をすることについて一つの柱ともいうべき方針を持って、この世界を楽しんでいるということが会話やツイッターを通してひしひしと伝わってくる。分かる。ロマンだ。自転車で旅をするというのは、ロマンだ。素晴らしい。生きているという事を肌で感じながら、自分の脚で橋や山、地平線に向かって、それを越えて、言葉に出来ないような景色を眺め、日々感動しながら、ひたすら進む。僕もそういう感覚が好きで、それが楽しくて病みつきになって、旅をしたいと言いながら日常を過ごしている。でも、結局のところどうなんだろう。大学に入ってから自分の感性は死んでしまった。いや完全には死んではいないのだろうけど、死んだに等しい。二年近く、網膜には灰色の景色しか映らなかった。死んだ感性で見る景色は、二人が見ている景色と同じとは思えない。好きなように好きなところへ行って、好きなように感じれば良い。確かにその通りだ。競争でもコンテストでもあるまいし。それでも考えてしまう。例えば石井君のようにオーストラリアの素晴らしい地平線を見ても、僕なんかの程度の感性ではそれを充分に感じ取ることはできないんだろうな、と。少なくとも高校生までの自分が持っていたような感覚、感性は無いんだろうなと。同じフィールドで話をして良いんだろうか。もちろん相手に合わせる必要はない。違う人間なのだから。意識してしまう自分は小さい男だ。他人の土俵に上がりたがる。そしてわざと負け、勝負しようとしないでヘラヘラと笑って相手を褒める。酷い有様だ。もう自分は何も、誰かのためにしてやれることはないんじゃなかろうか。みんなから何かを与えて貰うばかりで、何も与えてやれない。持ってないから当然だ。与えようとすればするほど、貧しくなる。悪循環。ネガティブというのとはちょっと違う。与えられると思っていたものは、大学に入って全て失ってしまった。所詮父親の受け売りであった。そんなもんだった。ボルトの足りないチェーンリングをそろそろと静かに回しながら、家に帰ってきた。向かい風だったのもあって、たった10km足らずの道のりに1時間ほどもかかってしまった。必死で嵌めたタイヤを見て虚しくなり、同時に愛車に対して申し訳なく思った。明日ボルトを締め直して、明後日は本格的な林道を走ってみようと思う。今度は空気圧に気をつけながら。そしたら、元のタイヤに戻しても良いかなと思っている。福田さんとの約束もあるわけだし。アルゼンチンの話、もう一度読んでから、感想を練っていこう。
2014.01.26
2012年のまとめをかなり適当な時期にやったので、今年はちゃんとまとめておく。もう少しで年変わるけど。というか編集の最中に年変わりました。あけましておめでとうございます。●1月とにかくテスト勉強千駄ヶ谷将棋会館に久しぶりに行った荻窪将棋会館にも行ってみた右玉が武器になる就活?そんなモノは知らんスーツを全く着なかった()●2月就活始まる説明会に参加したり選考に参加したりしなかったり大してやりたいこともなく就職に関してもやもやぼんやりとしか決めていなかったのでことごとく決め手に欠ける飲み→昭那家宿泊胸筋のためにバイトを始める●3月就活とバイトと将棋の日々北多摩閉校式鋸南追いコンバイト飲みエリナさん飲み特筆すべき記憶無し●4月新学期始まるライフ新歓→ヒデ家泊ほそぼそ就活王将会●5月レ・ミゼラブル@帝国劇場新しい演出も見事!照明効果のおかげでさらに舞台が躍動してた伊豆家族旅行彼女誕生日ディズニー修一飲み鋸南飲みついに内定貰うしかし悩みに悩みまくる●6月久しぶりの海全然動けなくてわろたトレーニングもしてなかったけど悩んだ末に内定を蹴る専大出陣式ベーシック更新のはずが何故かCPRになっていたのでベーシック事実上の失効鋸南バッチテスト北海道自転車旅行計画始動●7月ひたすらテスト勉強とテスト夏に向けて筋トレしてた鋸南合宿二日目参加専大飲み4年記念焼き肉市役所試験北海道自転車旅行計画中●8月テスト終了人生最後の夏休み開始深海展行ったしんかい6500かっこよすぎ彼女家のBBQにお呼ばれローンレンジャー観に行く久々の新潟旅行修一と北海道打ち合わせ鋸南最終日みんなに会いに行く☆北海道自転車旅行(25~) 人生初の北海道上陸 キャンプツーリング楽しすぎる 札幌観光 オロロンラインの厳しさ 自転車日本一周中の浅野くんとの出会い 自転車日本縦断中の稲見くんとの出会い 北海道自転車旅行中のツーリングマスター乗りの酒詰くんとの出会い 北防波堤ドームの過ごしやすさ しじみラーメン美味かった●9月☆北海道自転車旅行(~13) 日本最北端宗谷岬到達 オホーツクラインの厳しさ 北海道自転車旅行中のトライアスリート兼トレイルランナーのアオケンとの出会い 猿払パーキングシェルターの快適さ 自転車日本一周中の猫さんとの出会い 興部ツーリングトレインでジンギスカン 興部→網走間の150kmをランドナー、ランドナー、スポルティーフ、ロード、クロスバイクでトレイン 摩周ブルーの青さ 後輪スポーク飛びのため釧路までヒッチハイク 北海道自転車旅行中のトシくんとの出会い 帯広までトシくんとトレイン 大正カニの家の異常な天国具合 襟裳黄金トンネル お化けの出なかった百人浜 襟裳岬の絶景 輪行は素晴らしい 静狩峠辛すぎる カニ飯バイキング ついに函館到着 函館山の夜景は忘れない秋には京都に行こうと決める旅行燃え尽き症候群市役所試験バイト飲み男会沖縄旅行計画●10月健太と立川飲み男会ディズニー妹と英国女王近衛兵コンサート狸サイクルでソノマの前後輪新調彼女秋公演ライフ同期飲み初関戸橋寝坊海外ツアラー福田さんとの出会い多摩湖自転車道ツアーTHE BACKHORNライブ●11月☆京都自転車旅行(1~6) 前日から不眠不休で出発 大磯の堤防で寝る 小田原城が予想外に観光地でびっくり キャンプツーリング装備での箱根越え半分で無念の脚付き 箱根神社はとどめを刺しに来る ワカサギ定食の美味しさ 箱根峠ダウンヒル長くて怖くてキモチイイでも夜にやるもんじゃない 清水のユニクロでウルトラライトダウン購入暖かい 東海道をひた走る 二段重ねの鰻丼ほっぺが三回くらい落ちた 浜名湖弁天島キャンプ場が使えなかったので海浜公園にテント泊 静岡は意外と短かった 分割自転車日本一周中の若松さんとの出会い 愛知のモーニング文化を知る 名古屋城のシャチホコは城外からでもはっきり見える 東京から400km地点 雨にふられる キャンプ地が見つからず温泉の軒下にテントを張る 関宿の町並みの美しさ 鈴鹿峠は大したことなかった 松屋を探して走る 上洛完了 鴨川と三条通を満喫 ライダーズハウスボーダーに宿泊 朝4時出発で京都発琵琶湖一周250km一日の走行距離が人生初200km超え 奥琵琶湖の紅葉の美しさ 祇園にもちょこっと寄る 初新幹線輪行快適すぎわろちん 東京駅から自走して帰宅秋川渓谷ポタリング専大代交代式彼女とドライブ男会沖縄旅行海外ツアラー石井くんとの出会い野村と雲取山登山自分の人生についてモンモンとする●12月適当に学校に行きバイトをし暇があれば自転車に乗る堕落した日々能動的にやらなければだめだ専大納会ソノマフロントトリプル化風張峠制覇☆房総半島半周ブルベ 犬吠埼で朝日を見る 右足首を痛める 一日の走行距離が人生初300km超男会クリスマス会サンタライド2013年末デート英語の勉強の必要性来年も頑張ろう2013年の上半期は就活、下半期はひたすら自転車に乗ってました。正直ここまで自転車旅行が楽しいとは思わなかった。今年は海外ツーリング、オーストラリアに行けたらいいなと思っています。2013年は転機の年。2014年は躍動の年にします。本年もよろしくお願い致します。
2013.12.31
こんばんは。武者です。12月ももう中旬、もうすぐ2013年も終わりです。旅行記を書こう書こうと思いつつ、後回し。よくあることですよね。ぼちぼち書いていきます。後になって読むのも楽しいしね。スマホなので画像が荒いのは仕様です。サブタイトルをつけて盛り上がろう。2013年8月26日4時 起床予定より30分早い目覚め。いつものように布団の中でグダグダしていると取り返しの付かないことになるので、仕事前の目覚まし時計のスイッチを切っていそいそと着替える。ジーユーのTシャツとハーフパンツとレギンス。今回の旅で使い潰して捨てても良い位の勢いだったので、全身ジーユーである。リビングに降りると、祖母が朝ごはんを作ってくれていた。ありがたい。ご飯を食べて荷物の最終確認をする。問題なし。サイドバッグとフロントバッグ、テントを自転車に括りつける。母親と祖母が見送ってくれた。ありがとう。いってきます。5時30分 出発大洗までは輪行してしまおうかとも考えたけど、せっかくだからと思い直して自走することにした。地図を観る限りではだいたい150kmくらいだろ。行ける行ける。今回一緒に旅に出る修一とは大洗で待ち合わせる予定だ。頑張ろう。パッキングをした自転車にのるのは、実は今日が初めてである。試走ってなんですか。最初、いつもアルバイトに行く時の様に立川方面へ向かうための道に出てしまう。違う違う、今日は国道16号を走りますよ。まずは千葉県野田市を目指す。11時 下総利根橋埼玉県を抜けて千葉県の北の出っ張り、野田市。その野田市に沿って流れる利根川を越えると、いよいよ茨城県である。ここに掛かる下総大橋という大きな橋は有料道路なので、自転車で通れるかどうか不安だった。が、道路の脇にちゃんと歩道があるので、そこをスピードを落として走る。橋の茨城県側には料金所があり、自転車の通行料金は50円だった。ただの錆びたポストみたいな四角いモノにお金を入れるだけなので実際払わなくても通れるんだけど、記念に払うことに決めた。しかし財布を探ると100円玉しかない。車道の真ん中にある自動車用の料金所には係員のおばさんがいたので、大声で聞いてみた。「すみませーん!両替できますか!?」「両替っ!?…、…自転車は押して歩けば歩行者扱いですよ!」両替なんて何を言ってるんだと言わんばかりの顔で絶句する代わりに、ルールの穴を教えてくれた。そこには歩行者の料金表示はなかった。12時 茨城県坂東市お昼ごはんにラーメンを食べる。ついでに近くのコンビニで地図を読む。荷物になると思ったので、大洗まではスマホに頼ることにしていたから。一息ついて、土浦を目指す。13時 国道354号おかしい。漕いでも漕いでもちっとも土浦に着かない。青い看板に「土浦」の文字はだいぶ前から出てきているのに。何回も叫ぶ。「土浦遠すぎ!」14時 茨城県土浦市ようやく土浦に到着。この時点で走行距離は既に140km近くになっていた。よく調べもせずに大洗まで150kmくらいだろうと高をくくっていたらこのザマである。途中、道沿いにあった自転車屋さんに道を聞いてみた。地元の自転車屋は近辺の道は熟知しているはずだ。「大洗まであとどれくらいですかね?」「大洗かー。霞ヶ浦を渡ると、あと60kmくらいかな…」大誤算もいいとこである。フェリーの出発時間は18時30分だ。受付終了時間はもっと早い。実際に道を調べてもらうと、霞ヶ浦を北側から迂回する最短ルートでは残り約40kmだった。トラブルが起きなければ充分間に合う。道を調べてもらったあと、冷たいお茶までごちそうになってしまった。スポーツドリンクばかりで甘ったるかった口に冷たいお茶が染み渡り、気力を取り戻すことができた。申し訳ないので何か買っていこうとしたけれど、「旅の成功を祈る」の一言で送り出されてしまった。ありがとうございます。国道6号をひた走る。17時 大洗フェリーターミナル着いた!ついについについに大洗に着いた!うおおおおおおこの看板を見た時には涙が出そうになってしまった。ラストの30km辛すぎ。なにこの達成感。もう旅のゴールだよ。早速さっきの自転車屋さんに電話をする。無事につきました。本当にありがとうございました!大洗で待ち合わせている修一にも連絡を入れる。「大洗着いたよ!今どの辺?」「ごめん、電車一本遅れちゃった!18時に大洗駅に着く!」え?おいおいおいおいおい。せっかく間に合ったのにそりゃないぜ。仕方がないのでフェリーターミナルの窓口に相談して、もし間に合わなかった時は深夜便に乗せてもらえるように手続きをした。結局修一が到着したのは18時20分頃で、その時は既にフェリーの乗船案内は終了していた。修一に宣言する。「帰りは絶対夕方便に乗るからなっ!」おかげで深夜便のキャンペーンで少し返金されたうえ、深夜便にはエコノミールームが無くカジュアルルームにランクアップされたので快適な船旅ができたのだけど。乗船開始までアウトレットやコンビニで時間を潰す。21時30分 乗船開始待機列のフェンスに自転車を立てかけて、トレーラーが次々とフェリーに入っていくのを見ながら順番を待っていた。巨大なトレーラーがバックで器用にコンテナ部分を押し入れていく様子は、まさにドライバーの職人技と言える。大型トレーラーの運転手や都内の狭い道に入っていく路線バスの運転手は本当にすごいと思う。数は多くなかったけど、待機列で他に順番待ちしていたチャリダーやライダーに話しかけてみた。そのうち一人は同い年の法政大学の学生で、バイクで北海道を周るという。互いの旅の無事を祈り、記念にみんなで写真を撮った。法政大学の彼とは、この先旅の前半で何度か再会することになる。順番が回ってきた。いよいよ乗船だ。ライダー達が勢い良く鉄の橋を渡り、格納庫へ入っていく。自転車もそれに続く。バッグ類を外して、船にしっかり自転車を縛り付けてもらう。東京湾一周で乗ったフェリーを思い出した。バッグを持って、割り当てられた船室へ向かう。自転車とはしばらくお別れだ。初めての長距離フェリーにテンションが上がり、軽く船内を探検する。夕方便では一般客と契約ドライバーの区画はしっかり分けられているが、深夜便はそう厳しくないらしい。共有スペースのラウンジではどちらの人間もくつろいでいた。ひと通り周り終えると、荷物を整理してからお風呂を済ませた。今日の疲れが一気に溶け出してくる。日付を跨いで午前1時45分、ついに出航。旅の成功を祈り、修一とビールで乾杯する。もちろんスーパードライ。サッポロクラシックは北海道に着いてからのお楽しみである。修一が寝たあと目が冴えていたのでラウンジに行くと、ドライバーのおっちゃん達に捕まってしまい一緒に飲むことに。なんだかんだで結局朝の4時まで飲んで、ビールを三本も奢ってもらってしまった。ありがとうございました。苫小牧港への到着予定は19時30分。明日はゆっくりできる。酔った頭で船室に戻り、布団に包まった。【走行記録】ルート:自宅→国道16号→下総利根橋→国道354号→国道6号→国道40号→大洗フェリーターミナル平均速度:20.2km/h最高速度:40.9km/h走行時間:8時間56分走行距離:180.93km楽天はこのHTMLが貼り付けられないようなので、詳しい走行ルートはURL参照。http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=7910d85e9d89ca1c36a45c8f15efe527<続く>
2013.12.12
2013年8月26日から9月13日まで、北海道を自転車で走ってきました。広くて信号がないどこまでも続くワインディングロードは、まさにライダーやチャリダーの聖地と呼ばれるに相応しい。いや、50kmもコンビニがないのは自転車には辛いだけだったけど(笑)旅の途中で出会った千葉大生曰く「”ワインディングロード”は死の言葉」それでもやっぱり北海道の大自然の中を走るということは、何か特別な意味があるように感じた。旅の最中は就寝前にノートにその日の走行記録と感じたことを簡単に書いておいた。ノートと写真を見ながら、この旅行の思い出をブログにまとめておく。【装備】自転車:Riteway SONOMA2011国内メーカーのライトウェイからツーリングクロスバイクとして発売されている自転車。ホリゾンタルではないものの、マッドガードをつければ外見はスポルティーフである。しかしコンポはフロント52T&39Tの男ギア。両足のV2気筒エンジンは常に悲鳴をあげていた。タイヤはパナレーサー・ツアラープラス26c。デフォルトのものから変更してから約2年、3000km以上走っていたもの。後輪のタイヤは既にツルツルだったがなんとか旅の終わりまで持ちこたえてくれた。キャリア:ミノウラ MT-800Nサイドバッグ:ドイター ラックパックユニフロントバッグ:モンベル サイクルフロントバッグボトルケージサイクルコンピュータフロントライトリアライト2個【持ち物】テントシュラフ銀マット(テントマットの代わり)ビニールシート(グラウンドシートの代わり)ヘッドライトスマートフォン携帯電話用バッテリー予備ブレーキシュー予備チューブ2本タイヤレバー携帯ポンプ輪行袋ペダルスパナアーレンキー鍵自転車荷造り用ゴム紐筆記用具ノート手帳熊避けの鈴ツーリングマップル北海道1/750000北海道分県地図Tシャツ4枚短パン3枚靴下4組下着4枚レギンス2枚パーカー1枚ヒートテック1枚マウンテンパーカー1枚ワークキャップ指ぬきグローブタオル3枚ビニール袋(サイドバッグのレイカバー用)多数ウィダー(非常食)セームタオル1枚シャンプー・ボディソープ洗濯洗剤洗濯バサミ歯ブラシ電気シェーバー延長コードビニールテープ以上をサイドバッグとフロントバッグに詰め込み、リアキャリアの上に縛り付ける。サイドバッグは片方が5kg程度、テントが2.5kgなので、フロントと合わせて合計13kg程度の荷物だ。ツーリングマップルは丸めてボトルケージに突っ込んでおいた。漕ぎ出しはそれなりに重いが、スピードが乗れば空荷とそんなに変わらなかった。ただし登坂はいろいろと言うまでもない。前日からパッキングを開始し、準備が完了したのが日付を回った午前1時。3時間半後に目覚ましをかけて、ベッドに入った。<続く>
2013.09.20
今更だけど、ほんっとうに今更だけど、2012年についてまとめておく。いつ何をやったっていいよね、俺のブログだし。1月バイトバイトとにかくバイトしかし不穏な空気がテスト死ぬ北多摩の同窓会もやってたらしい友達と飲んでそのまま宿泊2月バイトバイトとにかくバイトしかし訳あって退職ヒルマ君宅泊のはずがなぜか追い出されてカラオケに妹の制服買いに行った鋸南マニュアルめっちゃ作ってた夏に向けて頑張るぜ児島さんと食事した3月神田新歓説明会免許合宿!最近の人生で一番楽しかった!帰宅後即府中の試験場に行って免許ゲット晴れてドライバーに鋸南追いコン新藤と下北沢と吉祥寺行った家族で日光旅行初高速自動車道運転4月新学期!3年生!昭那とつるむようになる専大ライフ新歓活動超頑張った毎週末海に行った時々車でるり送別会でいろいろやらかした神田ライフ始動神田水トレ開始南総練専大和洋合同新歓北多摩訪問からの元中飲み5月Columbiaのマウンテンパーカ買ったしかし和名倉山登山雨天中止彼女とドライブ&YUKIのライブ!最高!新歓エリア練神田ライフ飲み西村とカラオケ修一宅泊飲み毎週末海生活6月毎週末海生活1年生浜振り分け夏前同期飲みなんかモンモンとしてたベーシックA日程参戦からの蓮沼寝不足弾丸ドライブ専大ライフ出陣式鋸南合宿寒い寒いベーシックB日程を尻目に蓮沼で器材確認7月夏!鋸南マニュアル印刷鋸南出陣式前作業超頑張るテストやべぇ死ぬ3周年浅草スカイツリーデートですみだ水族館行った天津ガード鋸南ガード開始!今年は頑張る8月夏!テスト終了即鋸南16日間去年ほどポンコツじゃないにしろ自分ダメすぎて辛いでも楽しい館山花火大会後作業頑張った初ポケモンセンターTOKYO小菅の湯デートアドバンス合宿9月大会シーズン!専大インカレ合宿悠大と飲み全日本予選&インカレにオフィシャルとして参加超楽しい岡崎と飲み最後の北多摩文化祭行った俺誕生日インカレお疲れ飲み10月就職ガイダンス始まる東京西部九十九里蓮沼ツーリング220km房総カップ彼女秋公演いろいろとやらかした男会ディズニー男気じゃんけん大会彼女とディズニーシー11月地味に就活カオルさんと飲みなおと誕生会じゃんけんしたりチロルチョコ積んだりラーメン食べたりしながらだらだらしてた12月地味に就活専大納会鋸南10週年パーティ四次会までやってたクリスマス男会なにやってんだ俺ら鋸南忘年会2012年はライフセービングを一生懸命やった年でした。半年も経ってから思い出しながら書いてるから全然内容がないw2013年まとめはちゃんと来年になったらすぐにやる!以上!
2013.07.18
やあやあお久しぶりです。なんだかんだこのブログ消してないのよね。立ち上げてからもう七年が経ちました。毎日更新してるわけではないけれど、過去の自分が何を考えていたのかを知る貴重な資料です。日記つける習慣とかないからね(笑)最近のこと。今年で大学四年生になりました。大学入学なんてつい先日のよう、高校卒業だって昨日のことのように思い出せます。とは言うけど、歳食ったなぁと思うわけだよ。本当に。志望校に入れなかった自分を認められずに悩み、世界はモノクロで何もかもつまらなかった大学一年。何が正しいか分からず価値観を定めるために自分を探して周りにもたくさん迷惑をかけた大学二年。自分は他人に何をしてもらって何をしてあげられるのかがやっと掴めてきた大学三年。心の整理をして余裕が生まれ、社会に出る準備をしている現在、大学四年。まるで中学生のようだった。自分では高校卒業まで小学生の心で育ったと思ってる(笑)彼女もよく離れていかなかったものだ。最近また将棋を指している。本当は就職活動で頭を使うと思ったから、そのトレーニングのためだったんだけれども。やっぱり将棋は面白いね。負けたら相当悔しいし。本気で勝負できる。ライフセービング。最初から本気でやらなかったことをこれほど後悔したことはない。たくさんのことを学ばせてもらったし、身体を鍛えることもできた。今年は学生最後の夏だけど、どう活動するかはまだ決められていない。まずい。最近の大学生活は本当に楽しい。深く考えずに刹那的に生きているからなんだろうし、ちゃんとした生活をするにはそれじゃまずいんだけど。学生なんだからいいじゃない。楽しむよ。ビールくれ。近況は常にTwitter(@tourerplus)で垂れ流しています。気が向いたらフォローしてください!分かりきったと思い込むことはよろしくないので、謙虚に生きて行きます。まだまだ卒業は先なのに、大学生活まとめみたいになってしまった。残りの大学生活も楽しもう。では。
2013.05.09
新年あけました!おめでとう!とりあえず短い日記書くよ!今日はフルーツジュースが美味しかった日だよ!以上!最近はずっとTwitter(@tourerplus)で活動してます。気が向いたらフォローしてね!ではでは、今年もよろしくお願いします!
2013.01.04
夏真っ盛りだよ!武者だよ! お久しぶりです。 鋸南のガードが始まって早一週間。 あと16日間しかない。短すぎる。 今年の夏は最後までちゃんと走りきる。 全日本ライフセービング選手権大会に審判員として参加することにしたよ!ガクブルだよ! 研修会行ってないけど大丈夫かなヽ(・_・;)ノ 先輩に教えてもらお。 三月についに車の免許を取りました。運転まじ楽しい。 最近海に行くときはほとんど車です。 アッチでも移動手段があるのはホントに頼もしい。 そろそろ取ってから3ヶ月過ぎるから、事故らないように気を付けよう。 携帯電話が水没してぶっ壊れた。 いやもう直って戻ってきたんだけどさ。 電話帳含めた中のデータ全部消えた。ショック。 そんなわけでこれからテスト受けてきます。 終わったら夏休み! では。
2012.08.03
総武本線なう。 カワサキヤに夜いりしようとしてるんだけど、電車の時間をミスった。おかげでこの寒さの中バス停で40分以上待つことになりそう。 近くのコンビニに避難しようかな。近くって言っても徒歩五分くらいなんだけど。 今日は久々にハヤブサに行って、店長さんたちと話した。 久々って言っても二週間くらいご無沙汰だっただけなんだけどさ。前はちょっとハヤブサに行く頻度が高すぎただけだよね。週2とかだったし(笑) バイトのなんやかんやとか妹の高校受験が終わったこととか最近のなんだかんだとかaikoっていいよねとかいろいろ話した。 やっぱり居心地がいい。まああんまり行きすぎても迷惑になるだけだから、ちょいちょいにしよう。 この一週間くらいはめっちゃ忙しかった。忙しいっていうか飲みまくった。 1/27金曜日 テストが一段落。 夕方は大学で友達と論理学の勉強。 夜は中学の友達と飲み。 ↑実は忘れていた 1/28土曜日 朝からバイト! 夕方までバイト! バイト終了後そのままカワサキヤに夜いり。 からの飲み会。みんなで濁り酒空けるまで帰れまてん。 1/29日曜日 南総練。 朝はフラットだったのに、次第にオフショアが吹きはじめて波はぐちゃぐちゃに。 ファンレースでレスキューボードが飛びまくった。 夜に帰宅しテスト勉強。 1/30月曜日 テスト最終日。 六法を忘れたおかげで憲法統治機構論は御臨終。論理学は勉強した甲斐があった。 テスト終了後立川へ。ロフトで手帳を買った。 夜は日野の友達とバイト後に二人で飲んだ。 友達が一人で帰れないくらいアレだったので、家まで送ったら終電を逃してしまい泊めてもらうことに。 1/31火曜日 友達の家で起床。 日野の松屋で朝飯を済ませて帰宅。 家で風呂入ったり寝たりして、自動車教習のお金を振り込んでからの夕方からバイト。 バイト後彼女と会った。 2/1水曜日 昼間は何やってたのかあんまり覚えてない。 夜は南大沢に住んでる高校の友達の家に他の友達と泊まりに行く予定だった。時間もあるので自転車で行くことにした。 →八王子山多すぎ 南大沢に到着。明らかに頑張るところを間違えた。 イトーヨーカドーで酒を買い込んで友達の家へ。 23時ごろ、別に騒いでもいないのにいきなり友達の親の機嫌が悪くなり追い出される。 仕方がないのでカラオケへ。 2/2木曜日 朝5時にカラオケを出て友達と別れ、自転車で帰宅。 ペットボトルホルダーのアクエリアスがシャーベットになった。どんだけ寒かったんだ。 家で風呂に入ったりご飯を食べたりしてから昼寝。夕方からバイト。 バイト後はバイトの友達と二人で飲んだ。 ここ一週間でお金を使いすぎたので、しばらく自重しなければ(´Д`) って日記を書いてたら松尾のバス停についた。寒い。 バスが来るまであと30分。 (´Д`)
2012.02.03
第08MS小隊いいよね。 宇宙世紀の中では一番好きな作品です。 最近ちゃんと起きれてないな。現状に甘えてる。 とりあえず夜更かしやめて朝起きないと、まじで体調崩れる。 また海に行けなくなるなんて嫌だ。せっかくカワサキヤ飲みも楽しくなってきたのに。 てかどうやったらこの昼間の眠気を払拭できるんだろう。眠い。低血圧になったかな? 朝も異常に寒いし。昨日の夜の部屋の気温は2℃でした(´Д`)意味がわからん。 最近Twitterをちゃんと使ってる。mixiだと反応が気になるけど、Twitterだと反応なんてどうでもよくなるからどうでもいいことを投稿できる。 あー今日自転車乗りたかったなー。スネのウォーマー買おうかしら。 新しい手帳も早く買わなきゃ。 もうすぐ九段下。 そんな雑記。
2012.01.27
いやっほう 武者だよっ今日は曇からの雨からの雪なんて降っちゃったね。あーあ。雪が積もると聞けばワクワクして真っ白な街を想像する反面交通機関は死ぬんだろうな道は歩きにくいんだろうな登山靴でも履こうかと現実的なことで悩む。成長したね。今こうしてホットミルクを飲んで日記を書きながらぼーっとネットサーフィンをやるってのもいいじゃない。ありきたりだけど。部屋の中でちゃんちゃんことダウンを重ね着しなきゃいけないのも現実なんだけどさ。一階の北西向きの和室は寒いよ。純粋なポジティブ思考とネガティブ思考の割合でどんだけ年食ったか分かると思うんだ。より若い方がこれからの人生長いもんね。そりゃ前しか向けないわ。前しかないし。ポジティブでいられるほどエネルギーも生まれるし若く楽しく生きられる。現実を踏まえた上でポジティブになろうそうしよう。あー、勉強する宣言したのに結局テストは一夜漬けにしてしまった。しかもちゃんと漬かってないし。塩味薄いよ。キムチ食べたい。キムチは唐辛子だけど。国際法やらなきゃなー。教科書買わなくても単位は取れるんだということを証明しなければ。でも来年からは教科書買う。そんな20歳の冬。俺。
2012.01.23
ヘイヘイヘイ 今日は奥多摩駅までチャリで行ってきたよ! 今朝は11時30分に起床。遅すぎるね。 本当は昨日のうちにカワサキヤ夜いりして今日は海に入る予定だったんだけど、病み上がりでぶり返したら洒落にならないので取り止めた。何ってテスト期間だし。 で、今朝は見事に寝坊してこんな時間に起きたワケ。 調子よくなってたから、ご飯食べて自転車乗ろうかどうしようかうだうだ悩みながらパソコンやること二時間。いかんいかん。 14時過ぎ。出発。 この時点では行き先未定→んーとりあえず青梅行こう。 新奥多摩街道をひたすら走る。 15時過ぎ。青梅までは一時間ちょいでついた。 まだ明るいしこのまま帰るのもったいなくね?→そうだ奥多摩行こう。 16時20分。奥多摩駅到着。 酷いヒルクライムを覚悟していたら意外とあっさりついて拍子抜けした感はあった。いや疲れたけどさ。 途中で会ったおっさんに「道路が凍る前に帰れ」と助言をもらう。確かに。 それに日が沈んだらおもいっきり暗くなるのは分かりきっていたので、それまでには帰りたかった。 というわけですぐに引き返した。 帰りやべえめっちゃスピード出るよそして寒いよ。 最高時速52km出たからね。スポルティーフなのに。 来た道をそのまま下る。 18時。帰宅。 福生までずーーーーっと下りだったお陰で家まで一時間半で帰れたすげえ。 今まで青梅方面は全然走ったことがなかったんだけど、行ったことがないところは新鮮でいいね。空気も綺麗だし。漕いでないとすぐ冷えるけど。 次はもっと早い時間に出発して奥多摩湖を目指したいな。 東京都福生市熊川~東京都奥多摩町奥多摩駅往復 走行距離:63km 最高時速:52km/h 平均時速:23km/h 以上、本日の走行記録でした!
2012.01.14
2012年1月9日月曜日 武者は成人式を迎えました。 成人式からの同窓会、めっちゃ楽しかった! 久しぶりに会うやつとか中学以来のやつとか名前が一発で出てこないことも。ごめんなさい。 卒業アルバムで予習をしていけば良かったね(´Д`) 俺のことは結構みんな覚えていてくれたみたいだったので、余計に申し訳なかった。 式が始まってからも会場は終始ガヤガヤしていて、結構うるさかった。 市長さんとかが話をしてるときくらい静かにしようぜ全く。 夜は同窓会飲み! 学年の半分の約80人が参加。居酒屋の席を半分以上占領してすごいことになってた。八割がたビールだったし。 行き帰りは飲まない友達が車を出してくれて楽だった。 なんか来年またやるらしいから期待しないで待つ(笑) そう言えば昨日の満月はキレイでしたね! では。
2012.01.11
いやーすごいね。もう2012年とか。 今年で世界終わっちゃうんでしょ。え?違うの? もうすぐ大学3年とか嘘みたいだよまじで。就活とかライフとか勉強とかいろいろやべえ。 モラトリアムももうあと2年かー正直もっと欲しい。院?(笑) 今年はもっといろんなことに挑戦していろんなところに行ってたくさんの人と友達になりたい。まじで。 そして他人に対する愛を高めよう。リアル人にやさしくだな。はいこれ今年のDIYに決定。 2012年にやりたいことも行きたい場所も欲しいモノもたくさんある。 書き出そうと思ったけどありすぎてダメだったぜ(´Д`) とにかく今年も一年楽しんで生きていきまっしょい!
2012.01.01
いやいやいや、大晦日ですね。 2011年もあっという間に終わりっつーことで、自分まとめ。 何してたんだろ自分。 ◆1月 バイト始める テストやべえ死ぬ→死んだ 海にも結構行ってた ◆2月 バイト研修終わる 専ライフでスキー行く→右手首捻挫 ◆3月 彼女と初ディズニーシー 赤十字救急法講習→地震で応急手当編中止 東日本大震災 ┣北多摩卒業式→立川で被災 ┗彼女と合流→車に乗せてもらい相手の親と初対面 水泳部バンガロー中止 バイト先非常事態営業 自転車通勤開始 地震だし原発だし海に行かなくていいや ◆4月 春休み延びた 新歓バタバタ バイト三昧 ママチャリ改造開始 ◆5月 新学期!神田キャンパス最高! 初自転車ツーリングfor吉祥寺 彼女誕生日 履修登録科目多すぎ死ぬ レ・ミゼラブル鑑賞@帝国劇場 図書委員ご飯@吉祥寺 ◆6月 自転車ツーリングfor羽田空港130km→ママチャリの限界を知る スポーツ自転車購入! ┗ライトウェイ・ソノマ・スポルティーフ ブルーハーツとウルフルズにハマる 鋸南合宿 ◆7月 鋸南バッチ→震災後初の海 鋸南出陣式 大宮大成鉄道村泊まりからの鉄道博物館 テスト死ぬ 鋸南2011年度ガード開始→自分のポンコツ具合やべえ ジロリアンデビュー ◆8月 テスト死んだ 鋸南絶賛ガード中 スーパーオーガニック野郎タチカワさんとの出会い おっとり系変態女子ミツタさんとの出会い 自転車ツーリングfor多摩湖 サマラン騒動 北多摩3G同窓会 バイト三昧 うわあああああ ◆9月 専大合宿@御宿海岸 自転車ツーリングfor新宿 鋸南お疲れ様会 俺誕生日 バイト三昧 後期開始 暑い ◆10月 ダイチん家泊まり 図書委員飲み ゼミ決まんねー的な レイトショーで映画見始める ライフセービング房総カップ ソノマのタイヤをパナツアラーに交換→走りやすい! ◆11月 自転車ツーリングfor東京湾一周270km ライフに対して地味に前向きになる 北多摩1H飲み 雲取山登山 ロックだぜ!ラブアンドピース! ◆12月 専大納会 南総練→オフシーズン初の海 九十九里クリスマスパーティー 800mタイム測定 北多摩水泳部忘年会 彼女と水族館→ノリでアフター6ディズニーランド 鋸南忘年会 図書委員忘年会 自転車ツーリングfor世田谷祖師ヶ谷大蔵杉並成田70km うーむ箇条書きにしてみると思ったよりいろいろあったのね。 来年はもっと楽しくしてゆこう(`・ω・´)
2011.12.31
いやーほんとに冷え込んできたね。手が痺れるくらいだもん。やばいね。 まだ咳が止まらなくてマスク装着中だよまったく。早く治れ。 さて、ここ二、三日の日記をば。 ●24日 前日の水泳部忘年会でグロッキーに。。。なってると思ったら大したことなかった。 どうやら俺は焼酎メインで酔わなければ二日酔いにならないらしい。 午前中はぐだぐだして、午後は自転車でハヤブサに行って店長とダベってた。クリスマスイブになにやってんだとか言われたけどこっちが聞きたいよ。えぇ。 夜は家族で食事。クリスマスだし。家族で過ごすモノだよね!まあそのあとお呼び出しがあったので結局国分寺まで行ったわけなんだけど。 ●25日 朝からバイト\(^O^)/ 夕方までバイト\(^O^)/ 夜は家のコタツでぐだぐだ\(^O^)/ でもたしかお迎え行ったかもかも。 ●26日 クリスマスって込むよね。ってことで1日外してました。 この日は葛西臨海水族館に行きました。 早く行こうって言ってたのに、朝から寝坊しやがって着いたのは結局12時30分くらいとか。 まぁ水族館が予想外に早い時間で回れちゃったので問題なかったんだけども(-ω-) この水族館の目玉なだけに、マグロの水槽はやっぱり大きかった。 ちょうどバウムクーヘンの真ん中にいるような感じ。わかる? でもやっぱり一番インパクトがあったのは、エントランスに展示されていた鰯の群れだな。あれが一番凄かった。まさに出オチ。 水族館のあとはパフォーマーのパフォーマンスを見たり観覧車に乗ったりしてだらだら。 そのあとノリで観覧車から見えた千葉ニーランドにアフター6で入ることになった(笑) TDLは25日を外したおかげでそこそこ空いていて回りやすかった。 ナビゲーターが優秀だったので、アフター6で入ったのにアトラクション8つくらい見て回れた!ほんと頼りになるわー というわけで、割と有意義なクリスマス前後だったわけですよ。 そんでもって今日は鋸南忘年会!有楽町とか遠すぎわろた。今日帰れるのか? あー早く飲みてー! 有楽町までまだまだですが、とりあえずこの辺で。
2011.12.28
ていうか今日風強くね? 頭痛くね? 咳やばくね? 俺風邪で寝込んでね? というわけで一昨日から風邪っぽくてアタマぐわんぐわんしてたわけですよ。 まあ昨日がピークで今日はだいぶ調子も良くなってきたんだけども。 今夜は北多摩水泳部の忘年会だからなんとしてでも治さないとね。ていうか幹事ですしワタクシ。 クリスマスが近づいてるよー プレゼントは今日買うつもり。ヘッドホン! 妹にも何か用意しようかしら。資金はかつかつだけど(´Д`) やはりこの時期はイベントが多くてお金なんて羽の生えたように飛んでゆきますねorz この前の日曜日は南総練。 自分にとってはオフシーズン初の海練だった。 コンディションは内房かと思うくらいのどフラットで、南総としてはまあいつもと変わらない感じだったんじゃないかと。 昼に近づくにつれて徐々に波上がってきたけどねー インアウトの練習は頑張って一番になることを目標にしてやった。 先輩にも褒められたし、モチベーション上がったぜ! とりあえず年が明けたら本気出す← さーてそろそろ準備して立川行くか! その前に一眠り(-.-)zzZZ
2011.12.23
いやー 一人暮らしをしようと思ってましてね。 部屋を探してるんですよ。探してるなう。 生活騒音が聞こえないくらいの防音 フローリング 6畳以上の広さ 風呂トイレ付き 都市ガス 二口コンロ 室内洗濯機置き場 中央・総武線沿線 最寄り駅から徒歩20分以内 家賃4万円代 管理費・共益費込み 礼金なし 敷金あり いやね、分かってるんすよ。一見無理な条件だってことくらい。 でもねー探せばあると思うんすよねーてかあってほしい。 西荻窪、高円寺、阿佐ヶ谷あたりがいいな。 1月には入居したいから早く探さねば。 バイトなんてあとからついてくるだろうし。 でも月10万くらい稼がなきゃ。 独立は大変や(´Д`)
2011.12.07
アツくなって全力で何かをやったのって、高3の文化祭が最後なんじゃないか。 あー物足りない。アツくなって、全力で打ち込みたい。 アイツがうらやましく妬ましく見えるのはそのせいだ。 自分が情けないよまったく。 辛いことがあるからこそ、より楽しくなれる。 嫌なことがあるからこそ、より好きになれる。 苦しいときがあるからこそ、より嬉しく思える。 何かに打ち込むってそういうことだ。 何かを楽しむってそういうことだ。 それらを仲間と共有するのは、かけがえのない経験だ。 やっと分かった。間違いない。 今の俺に足りないのはアツさだ。
2011.12.04
やあやあ。もう12月ですね。 2011年も残すところあと1ヶ月ですよ。早いもんだ。 今日は3限が休講だから2限だけ出ればいいんだけど、電車の遅延のおかげでその2限すら出れるか分からないという。なんてこった(´Д`) 物権法ェ。。。 昨日は千駄ヶ谷の国立競技場で、サッカーの試合を観てきた。野球は観たことがあったけど、サッカーは初めてだ。しかもなでしこ。女子サッカー。 試合レポは出来ないので、率直な感想をば。 日本とイギリスのクラブチーム同士の対戦なんだけど、クラブの名前を忘れたので日本チームとイギリスチームでいきます。澤選手とか川澄選手とかその他日本代表と元代表がたくさんいるチームだったしね。名前分かるのこの二人しかいないんだけど。 まず初めてサッカースタジアム入ったんだけど、あの神々しい雰囲気は一体なんなんだ。ゴールが入ったときの観客の一体感とかもすごかった。 サッカーの試合って試合が全然途切れないから、気が抜けなかった。まさに手に汗握るって感じ。 あとイギリス人でけえ。パンフレット見たらゴールキーパーとか183cmあったし。なんだよ183cmって。うちの父親と同じじゃん。でけえ。 それとやっぱり騒がれたりするだけあって、川澄の運動量はやばかった。よくあんなに動けるよなー。長友? とにかく見に行けてよかった。 スポーツ観戦が趣味になる人の気持ちが分かった気がする。 ではでは、もうすぐ中野です。 今日は寒いね。
2011.12.01
おはようございます。 今日も1限をサボってしまった。 ぬあーちゃんとやれねばネバダ(´Д`) すんげー恥ずかしいことを今から言うよ? めっちゃクサいよ?おーけー? やっぱ世界は愛がなくちゃうまく回らないと思うんだ。 優しさとか厳しさとか思いやりとか大事にすることとか好きになることとか、全部その人に対する愛なんだ。ホントにその人のことを考えて、思って生まれる感情。 そこには嫌われたくないとかこう言えば喜ぶとか、そういう保身や打算的な感情なんてないんだぜ?関係ないんだ。 人はみんな不器用だから、そんな真っ直ぐには生きられない。好き嫌いもある。 でもやっぱりそういう生き方に近づこうとしてるはずだ。気付いていないだけなんだ。 あと他人ばっかりじゃなくて自分を愛することも大切だ。疲れちゃうからね。 そのバランスがうまくとれなくて、みんな苦しんでる。 俗に言う「LOVE&PEACE」はダテじゃないと思うんだ。
2011.11.30
11月26日、雲取山に登ってきた。~遡ること3週間前~友達「山行かねえ?」俺「行こうか」友達はその時「岳」にハマっていて山に興味をもったらしいので、俺は正直どんなレベルの山を想定しているんだと焦った。どこの山行く?高尾山?いやいやあそこは参道じゃね。じゃあ雲取山は?東京都で一番高えし。よしそこ行こう。こうして雲取山に登ることはすんなり決まった。ガチで登山をやるなら必要なモノはたくさんあったけど、何をおいてもとりあえず登山靴が最重要だという結論に達した。吉祥寺のエルブレスや神田のさかいやスポーツを見て周り、おのおの靴を買った。来る11月26日。奥多摩駅→バス→鴨沢→登山口(鴨沢コース)→雲取山頂→東のまきみち→石尾根(まきみち経由)→奥多摩駅登山:3時間30分 下山:5時間30分午前6時:奥多摩駅到着。すぐにバスがでるらしいので、文字通り飛び乗った。予定よりだいぶ早いバスなので得した気分になった。テンションあがるわー。バス停「鴨沢」で降りてとりあえず奥多摩湖周辺の紅葉に感動。紅葉やべえ。めっちゃ綺麗。いい時期に来たもんだ。そして紅葉の美しさがわかる歳になったのか俺。奥多摩湖から湯気みたいなものが立ち上ってたんだけど、あれはなんなんだ。奥多摩湖面の水温が気温よりも高いのかな?なにそれすげえ寒い。同じバスに乗っていた5、6組の登山客は皆俺たちより先に出発していった。友達が朝ごはんを食べ終わるのを待って、最後尾で出発した。午前7時:登山開始。登山靴を履き慣らさないで当日を迎えていたため、早くも脚が痛くなる。が、しばらく歩いているとそれにも慣れてただの疲労感に変わっていった。登山靴ってアレだね。クッション性を高めて脚の疲労を軽減するとかじゃなくて、ガチで脚を守るためのものなんだね。あの登山を通してよく分かった。特に足首。すげーよく守られてるのが実感できた。登ってる時に友達と何度も繰り返したよ。マジで靴買っといてよかった。今回のルートは時間的にかなり強行なルートだったので、最初から結構なハイペースで登った。俺たちよりも先に登って行った登山客を全員追いぬいて、このコースの最初の山小屋である七ツ石小屋についた。真正面には富士山。眺望最高。富士山がすげえでかく見える。めちゃくちゃ綺麗。それまでの疲れが全部吹っ飛んだ。この日は快晴で、時間も早かったためか空気もものすごく澄んでいて、あらゆる眺めが最高だった。ちなみにこの七ツ石小屋では湧き水を無料で手に入れることができる。山では貴重な水場だ。ここの山小屋の主人は夏は富士山の山小屋にいるのだそうだ。来年の夏、富士山で再会する約束をした。七ツ石小屋を出て、そっからまた進む、登る、ただひたすら歩を進める。午前10時26分:雲取山山頂到着。山頂きたあああああ!空気の純度が違え!遠く向こうの連峰も見える!もちろん富士山も見える!てか太陽近っ!飛行機雲めっちゃ綺麗!達成感ハンパねえ!標高2017.1mからの眺めはまさに絶景だった。他の登山客に記念撮影をしてもらってから、持ってきたおにぎりを食べた。座ると寒い。じっとしてると寒い。山頂の風は冷たくて、登ってきてかいた汗で体が冷えてしょうがなかった。持ってきたジャージを着込んでしのいだ。午前11時30分:下山開始。山頂を名残り惜し見ながら、下山開始。日帰り登山の俺達には時間がない。雲取山荘をちらっと見てから、石尾根ルートをひたすら歩く。歩けども歩けども歩けどもまだまだ続く道無き道。膝と太ももにとんでもない負荷がかかっているのがわかる。脚に疲労が溜まっていく。やべえ。足がうまく上がらない。崖から足を滑らせて落ちるかもしれないという恐怖を初めて味わった。山は下山するときに一番事故が起きやすいのだ。しかも今回は時間がない。この石尾根ルートは本来7時間くらいかけて歩くルートらしい。しかし7時間もかけて歩いていたら日が暮れてしまう。そうなったら最後だ。念のため懐中電灯は持ってきていたけど、歩ける気はしなかった。やべえどんどん暗くなってくる。急ぎたいけど足をくじいたら洒落にならないので、そこには気をつかった。降りられないかもしれない、と怖くなった。まさに日没との戦いだった。午後5時:奥多摩駅到着。ギリギリだった。本当にギリギリだった。いやマジで。7時間かけるコースを5時間半で歩いてしまった。脚がめっちゃガクガクする。何この安心感。あとある意味山頂についた時よりも達成感を感じていたかもしれない。家に帰るまでが登山です。電車に乗って小作で友達と別れ、家に帰った。風呂の気持ちよさったらもうね。コトバニデキナイ。雲取山山頂の眺めは最高だった。登るのも下るのも死ぬほど嫌だし疲れるけど、あの一瞬のためにならすべてがどうでもよくなってしまう。山頂の空気、眺め、達成感、疲労感、安堵感、他の登山客と意味なく笑いあうこと。あれらを味わうために、また山に行きたい。写真はまた後日アップします。ではみなさんおやすみなさい。
2011.11.27
今日も朝からめっさ寒かった。マフラー欲しかったよマフラー。もうまじで冬なんですね。特に何でもないけどブログ書く。ブログをやり始めたころのよくある衝動だよね。なんもないけどなんか書きてえええ的な。マックのナゲット100円があまりに売れすぎてやばいことになって全店舗で販売中止らしい。その代わりに本日限りでポテトが100円なんだとか。とりあえず帰りはマックに寄ってみようか。ついでにビッグマックも食べよう。200円券今日までだし。そういえばツイッター始めました。気が向いたら探してみてください。Twitter>@tourerplusさて、そろそろ帰ろうか。
2011.11.25
やったやった、マウンテンパーカ買ってしまったよ。からし色の。 からし色とかあずき色とか宇治金時カラーもとい抹茶色とか渋くていいよね。 昨日カイジ2を観てきた。 前作をちょこっとしか観てないのでeカードとか分からない部分もあったけど、それでも面白かった。 何って伊勢谷友介がかっこよすぎるよね。 イケメンおっさん最高。まじでかっけえ。 あと生瀬勝久。表情豊かすぎるでしょ。香川照之はなんでもできるね。すげえ。 個人的には藤原竜也の演技はあんまり好きじゃないです。息の荒げ方が好きじゃない。 とりあえず前作も観なければ。 最近結構映画を観てる。ステキな金縛りとかモテキとか。レイトショーは安くて良い。 次はマネーボールかなー。 そう言えば昨日夕方16時ごろ、立川駅北口前で救急の現場に遭遇した。 70代くらいのお母さんと、50代くらいの娘さん。お母さんの意識が急になくなったらしい。俺が自転車で通り掛かったときには、お母さんは通り掛かりの人と娘さんと近くの交番からきた警察官に支えられて駅前の生け垣になんとか座っている状態だった。 とりあえず自転車を停めて近寄った。大丈夫ですか。警察官に「あなたは看護士か何かの資格を持っていますか」と聞かれた。 一瞬迷ったけど、ライフセーバーです、と答えた。 お母さんの首を保持して気道確保。口を固く結んでいて顔は白かった。 俺の体勢からだと呼吸確認することができなかったので、よりお母さんに近い娘さんに、自分の耳をお母さんの鼻にあてるように指示。呼吸があるか確認してもらった。 呼吸あり。 嘔吐物が喉に詰まっている場合も考えて、回復体位にすることにした。 しばらくすると、口を少し開き始めた。 救急車が到着。救急救命士にバトンタッチ。 それとほぼ同時くらいにお母さんはうつろながら目を開けた。意識が戻ってきた。 救命士がいくつかお母さんに質問をして、意識レベルを確認。 お母さんは質問にしっかり答えていたので、問題はないようだった。 警察官の人にもう大丈夫だよと言われたので、帰ることにした。 娘さんにすごく感謝されて連絡先教えてみたいに言われたけど、俺はなんもやってない。寝かせただけ。 あとは全部救急救命士がやってくれた。 自分が指示を出したとき、警察官が「ライフセーバーの言うことなら大丈夫だ」みたいなことを呟いていた。 資格の重みを改めて実感した。 救急救命士がめちゃくちゃ頼もしく思えたのは、そういうことなんだろうな。
2011.11.24
最近夜更かしするのが日課になってるよまずいまずい。昼間は眠いしやばいやばい。 自分のアタマで考えて動くようになって、自分には経験や知識が圧倒的に足りないことに気が付いた。 特に経験が足りない。 偏見や先入観をとっぱらって、いろんなことに対してまずは素直に触れてみようと思った。 これっていわゆる「無知の知」ってやつ? 敷かれたレールの上を生きていくのはすごく楽なことなんだ。 というわけでまずはいろんな音楽を聴いてるわけなんだけど、最近はYUKIの曲と声が素直に身体に入ってくる。 てかメランコリニスタのpvかわいすぎ。エロすぎ。 朝になったらCD買いに行こうかな。 そろそろお休み。 明日は早く寝ます。
2011.11.21
11:11:11まで合わせるのはめんどくさいわけでありまして。 無駄に昨日から今朝5時30分まで起きてました。 おはようございますまじ眠い。 画像は愛車です。 最近また良からぬ感情がよぎったりよぎらなかったりで、大学も楽しいわけなんですよ。 一人暮らしを40パーセントくらい本気で考えているのだけれど、いかんせん覚悟と勇気がない。勢いに任せていくのもオツなんだけどさ。 ていうか結構まじめに考えてる。 家賃45000円くらいで東西線と中央線かぶってるとこがよいから三鷹~中野間でちらっと探したんだけど、これがなかなか住んでも良いかなってところが結構あるんですよ。是非引っ越したいね。 あと必要なのは仕事。お金がなきゃお話にならない。楽に月10万稼げる仕事がいい。できればライフガードがいいな。昭スポの先輩に聞いたら武蔵野市立の室内プールがいいんじゃないかとのこと。とりあえずこの先2週間くらいは三鷹~中野間の沿線にある室内プールを探して行ってみようと思う。ヒマだし。 そういえば先週、友達と自転車で東京湾を一周してきた。 立川-八王子-横浜-横須賀-久里浜-フェリー-金谷-富津岬-木更津-千葉-九段下-新宿-小平-立川 しめて二日間で約270km。 初のロングライドはめっちゃ疲れたけどめっちゃ楽しかった。 もうね、まず明朝3時に立川のマック集合してね、朝マックですよ。3時30分にマックを出て走るわけですよ。国道16号をひたすら南下。久里浜まで予想外に遠かった。85kmとか。 午前10時久里浜着。フェリーがね、もうね、海風とかめっちゃ気持ちよくて甲板のベンチうとうとしたよ。朝早かったもん。 金谷着。 もうここゴールだよね。それでいいよね。よくないよくない宿は木更津です。 金谷から木更津まで最短40kmくらい。途中で富津岬に寄り道していたので、宿に着いたときは走行距離は148kmになっていた。 宿。 家族旅行向けのモーテルみたいなとこ。一部屋最大四人まで泊まれるように、ダブルベッドが2つ置いてあるという仕様ワロス。一泊朝食付き4200円。夕食は買い出し。 二日目。 疲労やべえ。疲労感じゃなくて疲労。身体に疲労が蓄積されているのが分かる。手に取れそうだったよ。疲労。 朝8時30分に宿を出るはずが、走り始めたのは10時15分。どうしてこうなった。いや眠かったんすよ。 内房線に沿って千葉方面へひたすら漕ぐ。漕ぐ。 ちょうどお昼頃に千葉到着。うどんが食べたかったんだけど、うどん屋が見つからないので結局スタ丼を喰らった。いやまじでスタミナ欲しい。千葉駅のガード下でライフの先輩に遭遇。終始高めのテンションでいらっしゃった。いつもの先輩で安心。 国道14号。 京葉道路をひた走る。錦糸町駅前を通過し東京へ。両国橋から見えたガスって輪郭しかないスカイツリーが印象的だった。 靖国通りからの九段下。せっかくここまで来たので神田校舎に寄った。 新宿。路面の反射板に乗り上げてしまい落車した。後ろから車来てたらひき殺されてたよまじで危なかった。コラムが変な方に向いていたのでアーレンキーで修正。後日8823(自転車店。はやぶさと読む)で見てもらったけど異常なしとのことで安心した。 そっから青梅街道と五日市街道で西多摩方面へ。小平で友達と別れ、立川を通って福生に帰った。 翌日のバイトでは身体が動かなかった。 サドルバッグとリュックというスタイルはなかなか良かったので、これからもしばらくこのスタイルで自転車旅行しようと思う。 東京湾一周記のが長くなってしまった。 ではそろそろ中野に到着しますので。
2011.11.10
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