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今週は月曜日から雨模様が続いています。先週、息子とOaks Parkへ行ったときは夏のような暑さだったのですが翌日から雨となり、それが今だに続いている状態です。でもそれだからこそ、我が州では木々が多いのだと思いますが。。この前のシフトでも、心の中も雨模様の患者さんに出会いました。患者のAさんは、ERから新しいアドミットとして私たちの病棟に運ばれてきました。患者の運搬をする人が、「まあ、よくこんな悲しい病棟に勤めていられるわね~!?」とバンバンと肩を叩きながら、話しかけられたのですが患者Aさんの目は泣き腫らしたせいで真っ赤になっていました。Aさんはまだ50歳。20年間喫煙をしていたため、それが元でCOPDやら気管支炎やら、いろんな症状に悩まされてきました。吐き気や動悸、息切れ、そして胸の痛みなど具合もずっと良くなかったらしく、すぐドクターに診てもらえばよかったのですが「医療保険」がなかったために、ずっとお家で安静にしていた、とのことでした。ところがある日、咳をした際に吐血してしまい、ものすごく心配になったAさんはついにERへ来たのでした。そして胸のレントゲンを取り、そしてCTスキャンをしたところ肺にかなり大きな腫瘍があることが分かりました。Aさんはドクターから腫瘍が見つかり、それが癌のようだ、と告げられ、パニックになり、ずっと泣いていたようです。Aさんにはすぐ痛み止めを投与し、そして病棟に来たばかりだったのでアセスメントをし、更にいろんな質問をしなければいけませんでした。“きっとものすごくショックだろうな。。”と思いましたがこんな状況でもAさんは何だか気の毒なほど周りに気を使っていました。AさんがPuffy eyes(泣いて目の周りが腫れた状態)を気にしていたので冷たいタオルを渡したら、「泣いてばかりで迷惑でしょう?」と言われたので、「You know, it's okay to cry. (泣いてもいいんですよ。)」と言うと、また堰を切ったようにAさんは泣き始めました。Aさんにはもう一つ、身体中に赤紫色の瘤がいくつもありました。ドクターがそのうちの一つを切開したため、そこにも消毒してガーゼをあてていると「私って本当に醜いわよね。」と独り言のようにつぶやいていました。こんなときは、通常どんな言葉も慰めにはならないので私はただ黙ってAさんの言うことに耳を傾けていました。この瘤が、実はエイズ患者が発症する癌の特徴に似ていたためその後、Aさんからは再度の採血を行いHIVのテストもすることになりました。Aさんは、どうしてもこの癌について自分の家族、特に娘たちには今は絶対に知らせたくない、という考えでした。翌日は腫瘍部分からバイオプシーをして、悪性腫瘍かどうか診断が下される予定だったので「まずは自分でその結果を聞き、それから子供たちにも真実を伝えたい」との意向でした。私がナース・ステーションにいると、早速Aさんの2人のお嬢さんが来て「お母さんはどうなんですか?結果はどうなんですか?」と質問されてきたのですが「私たちもまだ結果を待っている状態なんです。今の時点では私たちも分かりません。」と答えさせてもらうしかありませんでした。Aさんはその後Antianxietyの薬が欲しい、と言われたのでリクエストどうり投与したら、そのまま少し眠れたようでした。癌である、という新しい診断が下されるとき、やはり患者さんにとって家族のサポートはとても大切です。翌日はやはりAさんが肺癌、しかも末期の状態である、ということがほぼ確実となりました。その時はAさんのご主人も病室に来ていました。本当にこのときのショックはやはり経験している本人しか分からないものです。ご主人はAさんの病室にいるときは少しジョークなども飛ばしていましたが後から一人で病棟の空の部屋で、ポツンと一人座って頭を抱えているのが見えました。「何か飲みますか?」(<-もちろんお酒のことを言っているわけじゃないですよ)と声をかけると顔をあげたAさんのご主人の目も真っ赤になっていました。本当にこういう状況は、見ているこちらとしてもつらいものです。 ***先日、この前日記に書いた患者のGさんが亡くなった、と聞きました。ステイ先のナーシング・ホームで亡くなったそうなのですが、Gさんとのことは何度もお世話させてもらったので私もいろんな思い出があります。意識がもうろうとしてノックアウト寸前状態なかでも、更なる量の痛み止めの他にAtivanまで欲しがるGさんと「言い合い(話し合い、ですね)」をしたこともありましたし、Gさんが「ありがとう」と温かいハグを何度もしてくれたのも忘れられません。そんな思いがぐるぐると頭の中を周っていました。最後に会ったとき、Gさんはかなり混乱状態にいましたがそれでも私の名前も覚えていてくれたGさん。そして手元には、既に天国にいるお母さんの写真をしっかり握り締め「お母さんが、ちゃんと薬を飲んでいるかラマ子助けてあげてちょうだい。」と繰り返しつぶやいていました。今はもう痛みもなく、愛するお母さんとも天国で会っていることを祈ります。。。RIP
2010.03.30
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最近同僚のMが「お家を買ったのよぉ!」と早速新しいお家の写真を見せてくれました。彼女はシングルで大きな犬と一緒に暮らしています。家を購入することは、一生のコミットメントになるのでMは何軒も何軒も家を観て周ったあげく、ついに「これだ!」というお家に出逢えて即決したそうです。今の職場にはMのように自分のキャリアを持って独身をつらぬいている人が結構います。また他のケースとしては、結婚はしているけど「子供は作らない」という人たちも多いです。当時私が勤めた会社(特に日本/日系の会社)では女性は「結婚/出産退職」が当たり前に考えられていたところがあったので彼女のような存在はやっぱり新鮮に感じます。(あ、でも今は日本の会社も状況が変わっていると思いますが。。)私の日本にいる友達のうちの2人はまだシングルです。一人は心理学者を目指していて、もう一人は香港で働いています。2人とも出逢いがあれば結婚したいみたいですが、それまでは旅行へ行ったり、気ままなデートをしたり、とにかく自分の時間を楽しんでいるようです。私個人の意見としては「人(私)は一人では生きられない」という考えなので結婚も出産もして良かった、と思っています。大学を卒業して1年間の就労ビザで働いた後、今のダンナと結婚したのですが、当時はグリーンカードがもらえるまで働けなかったので結婚後1年くらいは専業主婦をしていました。「新婚」ということで主婦業も楽しんでいましたが当時は子供もいなかったので、ダンナが仕事中は自分の時間を持て余していたように思います。ついに家にばかりいることに限界が来て、いくつか仕事をしたけれど、どれも「これが一生の仕事!」と思えるものではありませんでした。実は看護学校へ行き始めたのは、息子の妊娠が分かったときでした。妊娠はつわりもなく、とてもラクだったので出産の2週間前に期末試験を受けることもできました。不思議なもので「子供のために」と思うととてつもないパワーが湧いてくるものなんですよね。そしてダンナも私も希望する仕事に就けたので、それはとてもラッキーなことだったと思います。専業主婦であれば、きっと毎日家族のために美味しい夕食も作って家族ともたくさん時間を過ごして(これが今一番つらいかな。)他の専業主婦友達と毎週のようにお茶なんかできたりすると思うのですがでも私はやっぱりこうやって外にでて仕事もしている方が合っているんだと思います。ご飯なんかあんまり作らないし、掃除も週に3日すれば良い方でダンナがアイロンかけや息子のランチなんかも作ってくれるので主婦業にかけては、かなり「グータラ状態」なんですが(汗)何よりもフルタイムで仕事をしていることでダンナとの立場が対等になれるところが嬉しい。子育てや精神的な面ではお互い依存するところがあるけれど。千葉敦子さんの「寄りかかっては生きられない」という本があるのですが彼女は乳ガンにかかりながらも、最後までジャーナリストの仕事をやり遂げたスーパーウーマンです。私は彼女ほど「タフ」にはなれないけれど、この本は私の人生において、いろんな刺激を与えてくれたものの一つではあります。人生にはいろんな「生き方」があり、どれが正しいということは決してないのですがでも後でやらなかったことを後悔するような道には進まないようにこれからも前を向いて、ずっと歩いて行きたいと思います。
2010.03.29
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今週は息子が春休みでした私も5日間お休みだったので、息子と一緒に時間を過ごすことができて良かったです。彼はその中でもOaks Parkというアミューズメントパークに行けたことが一番嬉しかったようです。Oaks Parkは結構古くて、かなり長い歴史があるようですが何だかまるで「古き良きアメリカ時代」を思わせるようなアミューズメントパークです。お馴染みの観覧車からジェットコースター、そして中には乗ると酔ってしまいそうな乗り物も結構あるのですが子供も大人も楽しめる場所だと思います。その日はOaks Parkでいっぱい遊んだ後、近くにある日本食レストランで夕食をいただきました。このレストランも息子がお気に入りの場所でPortlandへ行くたびに行っているかも??ウエイトレスやシェフの人達が皆日本人で特にウエイトレスの女性とは私たちが頻繁に行くので顔馴染み状態です(苦笑)いつも素敵な笑顔で迎えてもらえるのが嬉しいです。そんなわけでたくさん遊んでリラックスできました。そしてまた今週も後半から仕事に戻りましたがいきなりBBBD (Blood Brain Barrier Disruption) とEsophagectomy(食道がん切除の手術)の患者さん達がアサインメントに入ってました。BBBDは脳腫瘍の患者さんが受けるものですが太腿からおそろしく長いカテーテルを挿入して脳の悪性腫瘍に対して直接抗がん剤の投与を行います。その後は1時間ごとにNeuroチェックと尿(抗がん剤の種類によってはPhも追加)のチェック、そして2時間ごとのバイタル。結構Fluid balanceがオフになったり、Seizure(癲癇)が出たりと、それだけでもかなり忙しいので通常であればICUの患者さんになるのですが、なぜかこの患者さんはありがたいことに、いつも私たちの病棟に送られてきます。そしてEshophagectomyの患者さんは通常術後は一日ICUで過ごし、翌日うちの病棟に送られてくるのですがチューブの数が半端じゃなくすごい。首の付け根からJPチューブがさがり、反対側の首にはセントラル・ライン、NG(鼻から入れて胃まで通す)チューブは吸引機につながれ、脇からは肺に通してあるチェスト・チューブがあります。もちろん尿を貯めるカテーテルも挿入されています。そしてJチューブと呼ばれる小腸に通してあるチューブからは常にTube feedingが流し込まれている状態(絶食状態なので)。この患者2人だけでもかなり忙しいのですが、加えて担当した他の患者には何とサプライズでインスリン・ドリップもあることが分かり(1,2時間毎の血糖値チェック)もう病棟走り回り状態でした(汗)さすがにこの日、アサインメントを決めたチャージは私がかなりヘビーなアサインメントを受け持つことになったことに申し訳ながっていました。本当はBBBDとEsophagectomyの患者が既にヘビーなので後はライトな患者を2人つけようとしたつもりがそのうちの一人に実はインスリン・ドリップがあったことを申し送りの際に聞いていなかったとのこと。でもどの患者さんも比較的状態は良好だったので何とか無事にシフトを終えることができました。良かった、良かった!大学病院のような大きい総合病院で働く利点、と思うことの一つに例えばこのようなBBBDやEsophagectomy,そしてWhipple(すい臓がん除去の手術)などの大々的な手術を受けた患者さんを看ることができることがあります。やはり小さい病院では、このような大掛かりな手術はまず行われません。(スタッフまたは設備不足のため)ナースになりたての頃は、初めてこのような患者さんを受け持ったとき内心Freaked outでしたが(笑)逆に今はこのような患者さんを看ることが当たり前な状態になってきました。そして日が経つにつれ、チューブの数も少しづつ減っていき、体力も回復して、自分で立って歩けるような状態になったときには本当に良かったなぁ、と感じることができる毎日です。それにしてもヒトの回復力には本当に驚かされます。。。
2010.03.29
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うちの病棟にブラッドくんというとても有名な患者さんがいました。彼も末期癌で抗がん剤投与のため幾度も入院していたのですが、残念ながら昨年21歳の若さで亡くなりました。彼はなぜとても有名だったかというと、入院している間、友達や家族とともに病院内をダンスして周っていたからなんです。彼の姿は他の患者さんや病院のスタッフにもたくさんの勇気を与えてくれました。私は残念ながら、なぜか彼が入院するたびに非番になったりして(悲)彼の担当にはなったことがなかったのですが彼のことは同僚のナースたちからたくさん話を聞いていました。一度でも会って、私も一緒にダンスをしたかったです。。彼が入院している間、たくさんのダンスビデオを作成したそうです。この“Forever Dancing”というビデオでは彼の今までのダンスのダイジェスト版で彼をお世話したナースたちがブラッドについて語っています。(本当に“Awesome”な同僚たちばかりです:-)最初にこのビデオを観たとき、涙が止まりませんでした:-(今だに何度観ても飽きないくらいです。ビデオではブラッドくんや友達、ドクターやナースも一緒にダンスしています。実はこのビデオをあのトークショー・ホストのEllen DeGeneresに送ることになったと聞きました。多くの人に勇気を与えたブラッドくんのことをたくさんの人たちに知ってもらうためにとても素晴らしいアイディアだと思います!ブラッドくんの家族が彼の生前の姿を残すために彼のウエブサイトを作成したので私のブログでも是非ともシェアしたいと思いました。Forever Dancingウエブサイトのアドレスをクリックして、そのまま少しスクロールするとビデオが観れます。
2010.03.09
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また一週間が終わりました。先週受け持った患者さんの半分は以前に何度か受け持ったことがありました。いつもこのような患者さんを診るたびに、『また会えた!』という気持ち半分、『また(病院に)来てしまったんだね、ごめんね。』という気持ち半分でなんとも複雑です。大半の患者さんは抗がん剤投与の目的で入院してくるので毎月来なければいけない患者さんも多いのです。患者さんの一人Sさんは脳腫瘍が見つかりました。彼女の抗がん剤投与はとても特殊で脳まで直接カテーテルを通して投与するため術後のケアもNeuroと尿のチェックが一時間おきに行われます。バイタルは2時間おき。それが入院中続きます。脳腫瘍の患者さんは「てんかん」など起こす可能性もとても多いので頻繁なチェックでその分かなり忙しくなります。もう一人の患者さんJさんはまだ20歳の女性ですが彼女も抗がん剤投与のために入院していました。こちらもお馴染みの患者さんで、本当に“スイート”という言葉が似合う女性です。いつも両親が入院中も一緒に病室に泊まってサポートしています。家族のサポートはとても大切なのですが病院に自分の子供とずっと泊まる、ということはその間、仕事も休まなければいけないし、そうすれば当然給料も減ってしまうので家族の負担も相当なものになります。しかも彼女の場合、最近CTで癌が他にも転移していることが分かりました。彼女と両親の気持ちを考えると何とも言えません。そしてあと2人の患者さんは腫瘍を摘出する手術をした患者さんでした。先週いつものように病棟をせわしなく歩いていると「ラマ子!!」と誰かが呼ぶ声が聞こえたので「誰だろう??」と周りをキョロキョロしていたら「私よ!」と何と病室から声がしました。声の主は実は患者さんのGさんで、彼女も抗がん剤の投与を受けている患者さんの一人でした。Gさんが入院していることは知らなかったのでビックリしました。彼女のことは何度も受け持ったことがありました。Gさんは乳がんなのですが、脊髄にも癌が転移しているため神経を圧迫したものすごい痛みと常に戦っています。痛み止めも通常の人なら耐えられないくらいの量を服用しています。そのくらい服用しても、まだ執拗な痛みが襲ってくるのです。「Gさん、痛みはどうですか?」と尋ねると(ちなみに「お元気ですか?」とは必ず聞かないのです。「元気」だったら、病院に来るはずはないので。。)Gさんは「大丈夫よ。あなたの痛みはどう?もう薬飲んだの?」と、とんちんかんな答えが返ってきました。いつも痛みがすごくて、いつも痛み止めばかり欲しがっていたGさんだったのに。しかも以前のGさんと何か違う。他にも言っていることが全然つじつまが合っていない。もう天国に行ってしまった自分のお母さんの写真に向かって何かぶつぶつと話していました。早速Gさんを担当していた看護師に尋ねるとGさんは抗がん剤も抗生物質も、痛み止めさえも拒否しているとのこと。しかもかなり混乱している状態なんだと言っていました。「でも痛み止めを飲まなかったら、すぐPain crisis(ものすごい痛みで耐えられなくなる状態)に陥っちゃうよ!」私はGさんのそんな姿を何度も観ているので担当の看護師と一緒にGさんに痛み止めだけでも飲んでもらうことにしました。最初は混乱状態で「やだやだ」と言っていたGさんでしたが、それでも何とか痛み止めだけは飲んでくれました。Gさんは、その後も意味不明なことを繰り返していたのですが時々私の手を握って「ラマ子、助けてちょうだい。」とまるでオウム返しのように何十回も繰り返し、繰り返し言ってきました。私はGさんを過去に何度も担当したので、名前だけは覚えてくれていたようです。Gさんを見ながら、なんだか私も切なくなりました。彼女の主治医は「おそらく彼女の癌は脳にまで転移しているのかもしれないな。。」と話していました。以前Gさんはいろんなことを話してくれました。家族のこととか、自分の生い立ちのこととか、好きなレストランの食べ物とか。前回退院する前には、笑顔でハグまでしてくれたGさん。本当に癌という病気が憎いと思いました。Cancer sucks!あれからGさんや、その他、一生懸命癌と戦っている患者さんたちのことをいろいろ考えていました。私にできることは、そんな患者さんたちが入院している間、心を尽くしてお世話をさせてもらうことだけです。
2010.03.08
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先日、仕事へ行くために眠い目をこすりながら早めの夕食を食べていた時のこと何気にジャパンTVにチャンネルを変えたらちょうどトヨタ社長の公聴会を放送している最中でした我が家はず~っとトヨタ車に乗り続けているので、もちろん人事とは思えませんそのまま夢中になって公聴会を観てしまいました当日、日本人で出席していたのは、トヨタ社長の豊田氏とトヨタ北米担当の社長でした。豊田氏は同時通訳の女性と一緒に公聴会に出席していました彼が装着したイヤフォンからは、同時に通訳が聞けるようにもなっていました豊田氏は、アメリカでMBAを取得したくらいなのに、『本当に取得したの~??』と思うくらい、通訳の女性に頼りきっていた感じ(に見えました)更に残念に感じてしまったことは、トヨタ社長の説明がとても『日本人受けする日本的な説明』だった、ということですそれが何だか彼の立場を更にネガティブにしてしまったような印象を受けましたその大きな例が、質問の回答に対してとにかく前置きが長いでもそういう文化に育っているのだから仕方のないことなのかもしれませんが。。日本では論文を書くとき、まず状況説明から始まり、また他の説明をいろいろして、ついに結論へ、というパターンが一般的だと思いますところがアメリカでは逆で、まずは結論、それからそういう経緯で結論にいたったのかという説明をします。(そして最後にまた結論)アメリカ人は結構『イエスかノー』または『ブラックかホワイト』と何事も明確に位置づけるのが好きな傾向にあると思いますところが日本人は黒白よりもグレイの部分を好む、つまり曖昧な部分も残しつつ、分かる人には分かる的な説明をする部分があったりしますもちろんどちらのやり方が正しいか、ということではなく両方のやり方はそれぞれの国で普通に受け入れられているだけの話ですとにかくビジネスにおいてはアメリカ人はグレイの部分を嫌う傾向があるのは確かです何事もダイレクトに行くのが(大抵の)アメリカ人のやり方だと(思います)トヨタ社長はアメリカでMBAの取得までしているのだから、その点、もっと“アメリカ人受け”するような回答もできたのでは?と疑問に思ってしまいました。。テレビで彼の説明を聞きながら、思わず『こんなふうに説明した方が良いのでは??』と思ってしまったことが何度かありましたその点、トヨタの北米担当の社長(彼も日本人です)は日本人訛りの強い英語にもかかわらず、説明がはるかに上手だったと思います彼はさすがにアメリカ在住だけあって、質問に対しても自分で英語で回答していましたやっぱり通訳を通すより会話がその分スムーズに進みます私が今回とても感心してしまったのは、豊田氏の同時通訳をしていた女性です英語だけ観ると、トヨタ北米担当の社長の英語が一番自然だったと思いますが、でも彼女はあのトヨタ社長の説明をとても忠実に通訳していましたしかも公聴会はかなり長かった(3時間くらい?)にもかかわらず、あれだけ集中して通訳ができる彼女はすごい!と思ってしまいましたしかもあの緊迫した会場で、こんな大役をこなすことができるのですから(当然、ハリウッドスターの通訳とは訳が違います)彼女はきっと日本でもトップクラスの通訳を勤めているのでは?と思いましたしかしトヨタ問題、早く国民の信頼を取り戻して以前のように『世界のトヨタ』という威厳をまた備えて欲しいものですリコール問題はトヨタだけではなく、他の企業でもよく起きていることなので今回なぜこれほどまでにトヨタだけが攻撃を受けなければいけないのか、ということにも疑問を感じるところですが。。トヨタ、頑張れ~
2010.03.01
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