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はい、こんばんわ、いよいよ明日いや今日
20万アクセス達成!です。 20万目のひとには、金の延棒をプレゼント(うそ)
そう、うそはいけません、うそはどろぼーのはじまりです、いろいろなさまざまな事件事故が起きている今、僕はあるひとつのことがすごくきになる、
「境界性人格障害」である、僕は精神医学者でもカウンセラーでもないが、この今の社会の変質のきっかけに、この障害があるのではないかとおもう、自己の感情の抑制が効かなくなり、他者への過激な暴力、もしくはひきこもりと、他のものとの交流ができなくなる、
先天的な脳の脆弱性、とあわせて、幼児期の虐待、少年のときにいじめをうけたり
親が干渉しすぎるか、無関心か、親子関係がいびつでかつ、家族の人間関係の不完全などが考えられるらしい。
社会を震撼させるような事件をおこしてしまう、ジャンキーはほとんどそれであるのかもしれない。
その犯罪が与える社会的な悪影響を考えると、根本的な問題解決をすべきだとおもうのです。殺人をするひとは自殺をするひととおなじ、それは命の尊厳を冒涜するということ、自分が死ねないから驚愕事件を起こす、これは「通り魔殺人者」の発想であり、あさがおさんのいっていた、昭和の時代にはすくなかったというもの、
では、なぜ平成になっておきたのか。
1980年代にもひどい事件はたくさんある、そこにはつまらくてもなんとか理解できようとする動機がみられた。
動機すらも理解できない。17人めの死亡者が出た放火男、記憶がないとかほざく、しかし、彼は、一応ひとなみに会社につとめ、結婚もし、普通に見える人生がそこにはあった。どこから外れたのか、どこへ行くつもりであったのか。
まったく、理解できない。秋葉原の加藤とは違い、殺意があったかどうかといえばわからない、しかし、「生きるのがいやになった」といっていたのは同じ。
生きるのがいやになったら、静かに山奥で死ねばいい、一人寂しく、
しかし、その勇気がない、
LOOK AT ME!
なんだろう、子供が親の関心を引くために泣くのと同じなのだろうか、
世間に対して無力な自分を、反社会的な行動で自分の存在を示そうとする。次元が低い発想であり、テレビなどのマスコミの影響もあるのだとおもう。
しかしだ、思いだす、ぼくは、
ぼくの中学では、山手の金持ちと浜手の貧乏が合流する学校であった、僕が今日思い出したのは母の弁当である。弁当やになった理由がそのへんにもあるんだけど、
ある日の弁当の時間、ふたを上げると、
高野豆腐一枚しか、入ってなかった、ぼくは、おどろいた、
昨日、なにかしたのか?おこらしたのか?とおもい、おもわず、弁当を隠した、山手の人たちは、松茸のたきこみや、ローストビーフなどが入る弁当、これ見よがしにきれいなマットをひろげ、食べる。
もぅすでに格差社会は始まっていた、
しかし、僕は社会がわるいとか、資本者が横暴だとか思うはずもない、中学生だから、それよりもどこかにコンプレックスをもつのだ、
弁当を豪勢にしたい願望がそこにあるのだ。
話を戻すと、いろんなことがあって人々が子供から大人になる、その間にその境界性人格障害に罹患してしまう。それも万人にひとりかどうか、しかし、人口が増え続けると、発生する人もふえ、連続殺人予備軍は日本全国で数百人潜在するわけで
抑制、抑圧、防御できる社会を形成しないといけないのだ、
(弁当の話とクロスオーバーした、??)
ぼくは、母が父がきちんと働き背中を見せて教えてくれたから、脳機能不全になることもな区今にいたる、
尾崎豊もそうであったのかもしれないという話がある。彼のライブは命を削るようなもので、また、興奮をし会場の屋根まで登り歌い叫ぶ、その抑制が効かないものはすさまじいものであった、そこがまた、いいのでもある。
しかし、問題は普通の日々のとき、普通の感情でいれなくなるのだ。
この先は、またいずれ、今夜はおわり。おやすみ。
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