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会場は金沢文芸館。20人のメンバーは中学性2人高校生1人大人が多く年配者は1人だった。私は中学性の女の子の横に座った。ノートはさすが綺麗なサインペンで大事なことを囲ってあった。何を書いたらいいかわからない人がほとんど。4回出席で自分の短編小説をみんなと合わせて本にしてくださる。小説とは何か。人間を描くこと。良い短編諸説を書くにはいい小説を読むこと。芥川龍之介 少々難しすぎます夏目漱石 若いこと嫌いな作家だったが、晩年好きになりました。志賀直哉 小僧の神様心打つ、テクニック有り、引き込まれる、文章力がいい作家は永井龍男三浦哲朗書き出しで惹きつける川端康成 ての小説チェーホフヘミングウェイフラナリーオコナーアリスマンローレイモンドカーバー 村上春樹が好きな作家フォークナー「エミリーにバラを」メリメ「マテオファルコネ」宮本輝「魂が震えるとき」中高生に人生3回読んでください中学高校時代30歳50歳プロになりたい、ずっと小説書きたい人に文章まねてください。これは誰の小説かわかるようにしてください。地元で活躍している団体。月1000円程度の費用負担です。雪嶺文学桜坂北陸文学題材は人の中に入って探すエッセイは感動したもの、小説は心の中を覗いて描写する私小説は9割以上の作家は幼年期屈折しています明るい人は国語が苦手です。それは私です。何で苦しまなければ生けないのと悩む人は文章力があります。短編小説でエピソードや事件は出来るだけ少なくし深く掘り下げる。場所は大幅に移動しない単一主人公の視点で通す登場人物を多くしない。4人まで世界文学は宗教観が入っていますね。
May 12, 2015
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公開された図書館の本からひもとく。京都造形芸術大学の美術の勉強の成果である。日本人の鋭い感性は,四季のある日本の自然環境がはぐくんだ自然主義的な人間観に帰する。琳派は,安土桃山から江戸時代を経て明治に至る三百年以上に渉って続いた日本の装飾美術の結晶ともいえる日本美の粋や数奇といったダンディズムやカッコよさなどは、日本人特有の細やかな情緒性と自然観が最もよく現れっているのが琳派と浮世絵である。日本の伝統色と呼ばれる色は自然をもした色が多く、西洋の伝統的色彩より当然のことながら遙かに色数も豊富です。住居の間取りや障子襖のような端正な定型の中にも自然の形を見てみると,丸、三角、四角の形を取り入れようと自然素材を生かし,加工しないままの美しさを見せるように心がけ、ひずんで曲がった形の床柱、欄間にはめ込んだ不規則な自然の形の装飾から,いびつな茶碗や花入れまで好んで選びました。西洋人は自然はあくまで人間の支配の元にあり自然は征服されるべき対象であり、美の対象はあくまで崇高な人物像。人間主体美学を持っていました。琳派が誕生する土壌作りを作り上げる大きな契機となったのは狩野派の台頭です。狩野派は新しい濃絵とよばれる金地と濃密な色彩の障壁画を生み出すことです。狩野永徳は、初代大和絵と水墨画の良さを融合させた新しい表現を擁立し永徳のと雨情に酔って御用絵師達の集団が誕生します。洛中洛外図 投句の人物も近くの人物も同じ大きさの細密な濃絵の技法で表現されている.これは日本は明治まで遠近法が確立していなかった。そこで日本独自の雲を意匠化し不合理不要な部分を消し隠し、表現したい部分を際立たせる手法のです。歴史的に恒に二次元の平面に描写され、対象から抽象的な要素を捉え、形に表す抽象の美学をいち早く取得していたからこそ成り立ちました。琳派から学ぶべき点が多いと感じるのは、実はこの水と風流の装飾表現における美の普遍性と抽象性なのです。室町時代には、すでにポルトガルやスペイン渡来の南蛮絵など異国文化の影響を受けたバサラと呼ばれる荒っぽい破調の美と派手な華麗さを競う風潮が見られました。国宝指定名称:八橋蒔絵螺鈿硯箱(写真) 本阿弥光悦の様式を継ぎながら独自の作風を確立した琳派の中心的芸術家、尾形光琳(1658-1716)の硯箱である。 全体の形は、角を丸くとった長方形で、蓋を身より大きく造った被蓋(かぶせぶた)造りである。二段重ねの上段を硯箱とし、中央に縁を金地に仕立てた硯と、長方形の銅製水滴を置く。下段は料紙箱としている。 意匠は、光琳が好んで採り上げた『伊勢物語』第9段の「八橋」の場面による。表面には黒漆を塗り、蓋表と身の側面に燕子花(かきつばた)と板橋を描く。燕子花には厚手のアワビ貝を打ち欠いて用い、葉と茎は金の蒔絵で表現する。板橋は腐食させた鉛板で質感を出し、橋杭は銀板である。蓋表と側面には流水を表さず、内部の上下の箱の底に金の蒔絵で波文を描く。 蓋表は斜め上から見た図であるのに対し、連続する身の橋は真上から見た構図であるが、不自然さはまったくない。黒と金銀の対比、主題の本質を取り出す構図とも、光琳の繊細な感性と緻密な計算によって表現された大胆な造形である。琳派を取り巻く日本文化は公家や武家のような上流階級から町人まで身分や職階を超えて平等に教授できた装飾美術であり芸術文化であった。インテリアとして大画面で室内空間を飾る必要から迫真的なリアルさよりも次第に洗練された装飾美術的要素が求められるようになりました。浮世絵は流行を追い、格式よりも当世の風俗表現に心さいたのに対し,琳派あくまで高邁で雅の美で粋を追い求め、族から当座過労とした表現性を追求しつづけた。暈かしの中に美しい自然や色の景観が次第に変化していくうつろいの美を感じ取り美術や工芸品の装飾・紋様に好んでこの技法を採用しました。一面紋様で埋め尽くすのではなく、ほどよく余白を生かし.部分的に紋様を配するレイアウトや散点的な散らしの配置が平安時代後期からすでに試みられたことです。具象の情景と組み合わせるいわばコラージュのごとく異質な要素を一画面に融合させてしまう現代造形さながらの技法も会得した。同じ紋様でも大小さまざまな大きさの相似形紋様をランダムにレイアウトする、まさしく粋で風流な意匠も編み出されました。琳派には,自然界の何気ない風景や花鳥を美の対象とし抽象化や紋様化という高度なデザイン処理を経て表現する事に粋を感じる美学があります。日本人は古来よりハレの日の派手さとケの禁欲的な地味さが兼ね備わった美意識を受容するに至った。琳派の金銀泥で飾った華麗な屏風絵も簡素な雪舟の水墨画や、わびちゃのしつらえと同じ様で、日本人の美学は粋にあります。この粋という精神性は平安時代の雅の心やこれに続く風流、そして安土・桃山時代以降の粋に辿りつきます。小袖の衣裳は肩模様、裾模様、あるいは散点的な紋様配置です。琳派の表現性で最も卓越した特徴は平面性という特徴が挙げられる。西洋の写実が究極的に芸術のための芸術という純粋美術を至上目標としたのに対し,日本画は写実と装飾、つまり衣裳性を共存した美学哲学を有していた。ピータードラッカーは日本画の中の日本人の中で日本美術は装飾的というよりデザイン的である。日本美術の根底には空間概念があり余白が大きな意味を持っている。対象を見つめた現実と描写された表現との乖離を埋めるためにさまざまな技法を作り出し、暈かしの技法、描写のモチーフを中心位置に置くシンメトリーのコンポジションではなく画面のどちらかに寄せ、反対側に余白を作り出す非対称の配置法でした。先に述べた非対称の構図では断ち切られた主題のモチーフと相対する余白の空間を結ぶ目に見えない斜めのライン、いわば力線があります。
May 5, 2015
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