しばらく遠ざかっていたのですが
ひさびさにマカロンを焼きました
この気温と湿度なので
スイスメレンゲにしたのですが
ちょっと油断
ヒビが入ったコックがいくつかできてしまいました
でもお味はまあまあ
実は
2月の中旬ごろのこと
高齢の父に何かがおきたようで
診察を受けたところ膵臓癌でした
即、総合病院に紹介していただき入院となりました
膵臓癌というのは
末期にならないとなかなか見つからないそうですね
手術となれば年齢的にとても耐えられるものではなく
まずは減黄処置としてカテーテルを挿入されました
これで食事もとれるようになるとのことでしたが
その後満足な食事はできませんでした
父は自覚症状がまったく無い上に
全身黄疸が出ていることを教えても
すぐに忘れてしまう状態でしたし
入院すると「せん妄」というのが起きまして
「ここはどこだ、なぜ自分はここにいる、家に帰らねば」
と看護師さんたちに訴えます
娘の私がそばについて
何度でも教えてあげられたら良いのですが
コロナ対応で面会禁止
それでも着替えを持ってきたとか
洗濯物を取りに来たとか
理由をつけて毎日ちょっとだけでもと
会いに行きました
行くたびに
なぜかとても汚れているのです
体だったり着衣だったりシーツだったり
それ全てだったり
ナースステーションにお願いして
きれいにしていただくのですが
そばにいてもっとお世話してあげたいのに
話をきいて
なぐさめたり、励ましたり、
一緒に思い出話をしてあげたいのに
短時間で早く出なければいけません
日に日に弱っていく父の姿と
毎日増えていく緑色の胆汁の嘔吐
胃瘻やバイパス手術の提案もいただきましたが
認知症状とせん妄があり、食欲もなく衰弱の激しい父に
私たちは緩和ケアをのぞんだのです
ホスピスへの転院をお願いしましたが
お待ちになっておられる方々がすでにおられるとのことで
すぐには転院することができません
そして
入院から二ヶ月たった
4月も終わりに近づいたころ
父は89年の人生を終えました
ホスピスは間に合いませんでした
心に悔いは残ります
コロナウィルスなど現れなかったら
もっと早くホスピスで過ごせていたら
もっと良い時間が過ごせたのではないか
もっと苦痛をとりのぞいてあげたかった
もっと、もっと、もっと......
もしもそれがかなっていたとしても
どうしたってやっぱり「もっと」は心で繰り返されるでしょう
病院にご迷惑をかけながらも
ギリギリのところで毎日会いにいって
私にとっての最善を尽くしたと
私の中で繰り返される「もっと」に
答えてあげようと思います
父には一度もマカロンを食べてもらわなかった
父は和菓子、あんこが大好きで
母のつくったおはぎを朝に昼におやつに晩にも食べる甘党で
そして、おはぎや羊羹と同じくらいに
野球を愛し、青春時代は野球に明け暮れたたひとでした
お父さん
今はもうお母さんと一緒にいるのですか
お父さんからもらった愛は今も私をつつんでくれています
本当にありがとう
仕事始めは命がけの出張と「鬼滅の刃」 2021.02.18