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一 霊界では雨乞いのような祈りは問題にしないのでしょうか? 「しません。 たとえ誠心誠意のものでも、何の効果もありません。 法則は変えられないのです。 自然現象を色んな予兆と結びつける人がいますが、あれは全て迷信です。 私たち霊が訴えるのは、知性であり理性です。」
2016.03.15
あなた方を悩ます全ての問題と困難に対して、正直に、正々堂々と真正面から取り組んだ時 一 解決のために、ありったけの能力を駆使して、しかも力が及ばないと悟った時、その時こそあなたは何らかの力、自分より大きな力を持つ霊に対して、問題解決のための光を求めて祈る完全な権利があると言えます。 そして、きっとその導き、その光を手にされるはずです。 なぜなら、あなたのまわりにいる霊、霊的な目をもって洞察する霊は、あなたの魂の状態をありのままに見抜く力があるからです。 たとえば、あなたが本当に正直か否かは一目瞭然です。
2016.03.14
一 われわれが死ぬ前と後には、霊界の医師が面倒を見てくれるのでしょうか? 「見てくれます。 霊体をスムーズに肉体から引き離し、新しい生活に備える必要があるからです。 臨終の床にいる人がよく肉親の霊や知らない人が側にいるのに気づくのは、そのためです。 魂が肉体から抜け出るのを手助けしているのです。」
2016.03.13
一 人間が寿命を全うせずに “死ぬ” ことを、神は許されるのでしょうか? 「神の意図は人間が、より素晴らしい霊的生活への備えを、地上生活で十分に身につけることです。 熟さないうちに落ちた果実が不味いのと同じで、割り当てられた地上生活を全うせずに他界した霊は、新しい世界への備えが十分ではありません。」
2016.03.12
精神障害などがある場合は別として、一般に正常と見なされている状態では、自分の言動に全責任を負わねばなりません。 これは厳しい試練です。 行為こそが絶対的な重要性を持ちます。 いかなる立場の人間にも、人のために為すべき仕事、自分の霊性を高めるチャンス、魂の成長を促進するための機会が与えられるものです。 有徳の人や聖人君子だけが与えられるのではありません。 全ての人に与えられ、そのチャンスの活用の仕方、ないしはおろそかにした度合いに応じて、霊性が強化されたり弱められたりします。
2016.03.11
地上の出来事で埋め合わせのないものは何一つありません。 もしも神の働きが妨害されて、当然報われるべき行為が報われずに終わることがあるとすれば、これは神の公正を嘲笑う深刻な事態となります。 私が指摘しているのは、埋め合わせの原理が厳として存在すること、そして進化の法則に逆らった行為を犯しながら、神の法則とは別の結果が出るように、いくら望んでみたところで、神の計画は少しもごまかされないということです。
2016.03.10
私にとっては、どの人間もみな “肉体を備えた霊魂(スピリット)” です。 私の目にはドイツ人もイギリス人もアメリカ人もありません。 みなスピリットであり、神の一部であり、神の子供です。 時にはやむを得ず対症療法として、罰を与えねばならないこともあるかも知れませんが、新しい世界は憎しみや復讐心からは生まれません。 全ての人類のためを思う願望からしか生まれません。 復讐を叫ぶ者 一 目には目を、歯には歯をの考えを持つ者は、将来の戦争のタネを蒔いていることになります。 全ての人間に生きる場が与えられております。 理性と常識によって問題を解決していけば、全ての者に必要なものが行き渡るはずです。
2016.03.10
大半の人間は地上だけが人間の住む世界だと考えています。 現在の生活が人間生活の全てであると思い込み、そこで物的なものを 一 いずれは残して死んでいかねばならないものなのに 一 せっせと蓄積しようとします。 戦争、流血、悲劇、病気の数々も元はと言えば、人間が今その時点において立派に霊的存在であること、つまり人間は肉体のみの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。 人間は肉体を通して意識を表現しているスピリットなのです。 それが地上という物質の世界での生活を通して、魂を成長させ発達させて、死後に始まる霊の世界での生活に備えているのです。
2016.03.08
一つ一つの生命が、それなりの貢献をしています。 その生命が高級になればなるほど、つまり愛他性を増し排他性を減らすにつれて、変化に富む創造の世界に美しさを加えています。 画家や音楽家や詩人だけが、美の貢献をするのではありません。 あらゆる生命が 一 そのつもりになれば 一 美をもたらすことが出来るのです。
2016.03.07
内部に宿された神性を発揮しさえすれば 一 高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ、神が意図された通りの生き方が出来るようになります。 自己を捨て、世間に目を向け、身体の不自由な人を癒し、苦しむ人に手を差しのべ、飢えた人に食を与え、渇いた人に水を与え、道を見失った人に勇気と指示を与え、優しさと思いやりと愛情を、必要とする全ての人に与えてあげるようになるでしょう。 そうなった時こそ、自分を役立てていることになります。 それが唯一の宗教なのです。 それ以外の宗教を私は知りません。
2016.03.06
魂の静寂の中に引きこもることです。 一切の世間的喧騒を忘れ去ることです。 そして身のまわりに存在する霊的生命の、かすかな、そして霊妙なバイブレーションを感得なさることです。 そうすれば人間が物的身体を超越できることを悟られるでしょう。 知識に目覚めることです。 理解力を開くことです。 いつまでも囚人であってはなりません。 無知の牢獄から抜け出て、霊的自由の光の中で生きることです。
2016.03.05
自分を愛するごとく隣人を愛せよ。 苦しむ者に手を差しのべよ。 人生に疲れた人、潤いを求める者に真理を語って聞かせよ。 病の人を癒し、悲しみの人を慰め、不幸な人を訪ねてあげよ。 こうした教えは遠い昔から説かれてきた真実です。 こうしたことを実行しさえすれば、地上は一変し、二度と恐ろしい悲劇をもたらす戦争も訪れなくなるでしょう。
2016.03.04
相手が誰であろうと、恐れず真実を述べることです。 あなたも神の僕(しもべ)です。 間違いは拒み、虚偽は論破すべきです。 恐れてはいけません。 恐れる必要は少しもありません。 大堂伽藍を建て、妙なる音楽を流し、ステンドグラスで飾り、厳かな儀式を催したからといって、それだけで宇宙を創造した神が心を動かされるものではありません。 神を一つの建物の中に閉じ込めることは出来ないのです。
2016.03.03
死に際して悲しみを抱くことは、まだ進化が足りないことを意味します。 本当は地上に留まること自体が苦痛であり、地上を去ることは苦痛から解放されることであり、暗黒の世界から出て光明の世界へ入ることであり、騒乱の巷(ちまた)から平和な境涯へと移ることを思えば、尚のことです。 霊的知識を得た者が、なぜその知識と矛盾する悲哀に心を傷めるのか、私は理解に苦しみます。
2016.03.02
一 霊界では雨乞いのような祈りは問題にしないということでしょうか? 「しません。 たとえ誠心誠意のものでも、何の効果もありません。 法則は変えられないのです。 自然現象を色んな予兆と結びつける人がいますが、あれは全て迷信です。 私たち霊が訴えるのは知識であり理性です。」
2015.07.16
一 われわれが死ぬ前と後には霊界の医師が面倒を見てくれるのでしょうか? 「見てくれます。 霊体をスムーズに肉体から引き離し、新しい生活に備える必要があるからです。 臨終の床にいる人が、よく肉親の霊や知らない人が側にいるのに気づくのは、そのためです。 魂が肉体から抜け出るのを手助けしているのです。」
2015.07.15
一 人間が寿命を全うせずに“死ぬ”ことを神が許されることがあるのでしょうか? 「神の意図は人間が、より素晴らしい霊的生活への備えを、地上生活において十分に身につけることです。 熟さないうちに落ちた果実が不味いのと同じで、割り当てられた地上生活を全うせずに他界した霊は、新しい生活への備えが十分ではありません。」
2015.07.14
(精神障害などがある場合は別として)一般に正常と見なされている状態においては、自分の言動に全責任を負わねばなりません。 これは厳しい試練です。 行為こそが絶対的な重要性を持ちます。 いかなる立場の人間にも、人のために為すべき仕事、自分の霊性を高めるべきチャンス、魂の成長を促進するための機会が与えられるものです。 有徳の人や聖人君子だけが与えられるのではありません。 全ての人に与えられ、そのチャンスの活用の仕方、ないしはおろそかにした度合いに応じて、霊性が強化されたり弱められたりします。
2015.07.13
地上の出来事で埋め合わせのないものは何一つありません。 もしも神の働きが妨害されて、当然報われるべき行為が報われずに終わることがあるとすれば、これは神の公正を嘲笑う深刻な事態となります。 私が指摘しているのは、埋め合わせの原理が厳として存在すること、そして進化の法則に逆らった行為を犯しながら、神の摂理とは別の結果が出るように、いくら望んでみたところで、神の計画は少しもごまかされないということです。
2015.07.12
大半の人間は、地上だけが人間の住む世界だと考えています。 現在の生活が人間生活の全てであると思い込み、そこで物的なものを 一 いずれは残して死んでいかねばならないものなのに 一 せっせと蓄積しようとします。 戦争、流血、悲劇、病気の数々も元はと言えば、人間が今その時点において立派に霊的存在であること、つまり人間は肉体のみの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。 人間は肉体を通して自我を表現している霊魂(スピリット)なのです。 それが地上という物質の世界での生活を通して、魂を成長させ発達させて、死後に始まる本来の霊の世界における生活に備えているのです。
2015.07.11
一つ一つの生命が、それなりの貢献をしています。 その生命が高級になればなるほど、つまり愛他性を増し、排他性を減らすにつれて、変化に富む創造の世界に美しさを加えています。 画家や音楽家や詩人だけが、美の貢献をするのではありません。 あらゆる生命が 一 そのつもりになれば 一 美をもたらすことが出来るのです。
2015.07.10
自分を愛するごとく隣人を愛せよ。 苦しむ者に手を差しのべよ。 人生に疲れた人、潤いを求める者に真理を語って聞かせよ。 病の人を癒し、悲しみの人を慰め、不幸な人を訪ねてあげよ。 こうした教えは、遠い昔から説かれてきた真実です。 こうしたことを実行しさえすれば、地上は一変し、二度と恐ろしい悲劇をもたらす戦争も訪れなくなるでしょう。
2015.07.09
一体、何を悲しむと言うのでしょう。 死に際して悲しみを抱くということは、まだ進化が足りないことを意味します。 本当は地上に留まること自体が苦痛であり、地上を去ることは苦痛から解放されることであり、暗黒の世界から出て光明の世界へ入ることであり、騒乱の巷(ちまた)から平和な境涯へと移ることを意味すると思えば、尚のことです。 霊的知識を得た者が、なぜその知識と矛盾する悲哀に心を傷めるのか、私は理解に苦しみます。
2015.07.08
ー 霊界では雨乞いのような祈りは問題にしないということでしょうか? 「しません。 たとえ誠心誠意のものでも、何の効果もありません。 法則は変えられないのです。 自然現象を色んな予兆と結びつける人がいますが、あれは全て迷信です。 私たち霊が訴えるのは、知識であり理性です。」
2014.12.20
ー われわれが死ぬ前と後には、霊界の医師が面倒を見てくれるのでしょうか? 「見てくれます。 霊体をスムーズに肉体から引き離し、新しい生活に備える必要があるからです。 臨終の床にいる人が、よく肉親の霊や知らない人が側にいるのに気づくのは、そのためです。 魂が肉体から抜け出るのを手助けしているのです。」
2014.12.19
ー 人間が寿命を全うせずに“死ぬ”ことを神が許されることがあるのでしょうか? 「神の意図は、人間がより素晴らしい霊的生活への備えを、地上生活において十分に身につけることです。 熟さないうちに落ちた果実が不味いのと同じで、割り当てられた地上生活を全うせずに他界した霊は、新しい世界への備えが十分ではありません。」
2014.12.18
地上の出来事で埋め合わせのないものは、何一つありません。 もしも神の働きが妨害されて、当然報われるべき行為が報われずに終わることがあるとすれば、これは神の公正を嘲笑う深刻な事態となります。 私たち霊が指摘しているのは、埋め合わせの原理が厳として存在すること、そして進化の法則に逆らった行為を犯しながら、神の摂理とは別の結果が出るように、いくら望んでみたところで、神の計画は少しもごまかされないということです。
2014.12.17
ー 祈りは叶えられるものでしょうか? 「叶えられる時もあります。 祈りの中身と動機次第です。 人間はとかく、そんな要求を叶えてあげたら本人の進歩の妨げになる、あるいは人生観をぶち壊してしまいかねない祈りをします。 そもそも祈りとは、人間が何かを要求して、それを私たち霊が聞き、会議を開いて検討して、イエスとかノーとかの返事を出すのとは違います。 祈るということは、叶えられるべき要求が、自動的に授かるような条件を整えるために、自分自身の波長を高めて、少しでも高い界層との霊的な交わりを求める行為です。」
2014.12.16
一つ一つの生命が、それなりの貢献をしています。 その生命が高級になればなるほど、つまり愛他性を増し、排他性を減らすにつれて、変化に富む創造の世界に美しさを加えています。 画家や音楽家や詩人だけが、美の貢献をするのではありません。 あらゆる生命が ー そのつもりになれば ー 美をもたらすことが出来るのです。
2014.12.15
自分を愛するごとく隣人を愛せよ。 苦しむ者に手を差しのべよ。 人生に疲れた人、潤いを求める者に真理を語って聞かせよ。 病の人を癒し、悲しみの人を慰め、不幸な人を訪ねてあげよ。 こうした教えは、遠い昔から説かれてきた真実です。 こうしたことを実行しさえすれば、地上は一変し、二度と恐ろしい悲劇をもたらす戦争も訪れなくなるでしょう。
2014.12.14
一体、何を悲しむというのでしょう。 死に際して悲しみを抱くということは、まだ進化が足りないことを意味します。 本当は、地上に留まること自体が苦痛であり、地上を去ることは苦痛から解放されることであり、暗黒の世界から出て光明の世界へ入ることであり、騒乱の巷(ちまた)から平和な境涯へと移ることを意味することを思えば、尚のことです。 霊的知識を得た者が、なぜその知識と矛盾する悲哀に心を傷めるのか、私は理解に苦しみます。
2014.12.13
ー われわれが死ぬ前と後には霊界の医師が面倒をみてくれるのでしょうか? 「みてくれます。 霊体をスムーズに肉体から引き離し、新しい生活に備える必要があるからです。 臨終の床にいる人がよく肉親の霊や知らない人が側にいるのに気づくのはそのためです。 魂が肉体からぬけ出るのを手助けしているのです。」
2014.07.12
ー 人間が寿命をまっとうせずに“死ぬ”ことを神が許されることがあるのでしょうか? 「神の意図は人間がより素晴らしい霊的生活への備えを地上生活において十分に身につけることです。 熟さないうちに落ちた果実がまずいのと同じで、割り当てられた地上生活をまっとうせずに他界した霊は新しい世界への備えが十分ではありません。」
2014.07.12
地上の出来事で埋め合わせのないものは何一つありません。 もしも神の働きが妨害されて、当然報われるべき行為が報われずに終わることがあるとすれば、これは神の公正を嘲笑う深刻な事態となります。 私が指摘しているのは、埋め合わせの原理が厳として存在すること、そして進化の法則に逆らった行為を犯しながら神の摂理とは別の結果が出るようにいくら望んでみたところで、神の計画は少しもごまかされないということです。
2014.07.11
一つ一つの生命がそれなりの貢献をしています。 その生命が高級になればなるほど、つまり愛他性を増し排他性を減らすにつれて、変化に富む創造の世界に美しさを加えています。 画家や音楽家や詩人だけが美の貢献をするのではありません。 あらゆる生命が ー そのつもりになれば ー 美をもたらすことができるのです。
2014.07.09
自分を愛するごとく隣人を愛せよ。 苦しむ者に手を差しのべよ。 人生に疲れた人、潤いを求める者に真理を語って聞かせよ。 病の人を癒し、悲しみの人を慰め、不幸な人を訪ねてあげよ。 こうした教えは遠い昔から説かれてきた真実です。 こうしたことを実行しさえすれば地上は一変し、二度と恐ろしい悲劇をもたらす戦争も訪れなくなるでしょう。
2014.07.08
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