PR
サイド自由欄

名前:よしだ まりこ
性別:女性
愛車のママチャリ”チャーリー”に乗って、片道2時間ほどのサイクリング。どこへでも行っちゃいます!
ゆる~い感じで、毎日、更新しています♪暇つぶしにでも遊びに来てください。
当ブログの詳細は
ホーム
をご覧ください
公式サイト

↓
LINEスタンプ・絵文字 ↓
⇒
スタンプ・絵文字
↓↓
Twitter ↓↓

@myc3389d
↓↓
Facebook ↓↓
↓↓
Threads ↓↓
↓↓
Instagram ↓↓
●ブログのイラスト専用
@myc3389d
●漫画シリーズ
myc3389d_manga
●シルバニア村の人形劇
@myc3389d_sylvanianfamilies
#私シルバニア村に引っ越しました
思っていただいた方
お友達を、大募集中です ★
前回、2回続けて、花隈城めぐりでした。
「 花隈城に、行ってきました!
」
「 福徳寺:花隈城の天守閣に、行く。 」
1578年にあった、”有岡城の戦い”にて、花隈城に荒木村重が逃げ込むのですが、それに立ち向かった池田恒興。この池田氏の陣を構えたのが、生田神社。
実際に、行くと、歴史については、源平合戦のことしか記載がなく、この有岡城の戦いのことを書いたものを、見つけられませんでした。

源平合戦のことは、また改めてします。
「 第21回 生田神社 生田の森
」

鳥居は、こちら以外に、この先に続く、生田ロードを、海側にいくと、ありますが、今回はスルーしました。
追記:再び、行ったときに、その鳥居も撮影してきまいた。

この道を”生田ロード”といい、この道を山側に行くと、先ほどの鳥居の前につきます。
山側へ進みます。
久しぶり。。

この中には、 神さんが沢山います。
池田氏は、どのへんに居たのでしょうか
ちなみに、この池田氏は、親子(父:恒興、子、輝政)で戦い、1580年に陥落しました。
その後、輝政が、姫路城主となり、そして、輝政の八男が、今の明石城の前の、船下城の城主となるのです。
本日も最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
当ブログの詳しい説明は、 こちら をご覧ください
【明治時代】明治天皇大久保御小休所 2025.06.29
【江戸時代】明石城 とき打ち太鼓 ~閉… 2024.10.20
ついに杉山家が判明する 2024.10.01
カレンダー
カテゴリ
キーワードサーチ