撮影日記 0
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EF80牽引:客車列車・荷物列車EF80は、昭和37~42年に掛けて製造された、EF30に続いて量産された交直両用電気機関車で、63両が製造されています。通常の電気機関車は、1軸の動輪に対して1つの電動機(モーター)が作用するのが一般的ですが、EF30やこのEF80は2軸(1台車)に対して1つの電動機としています。EF30は関門間の接続のみでしたので、特に高性能にする必要もなかったことからこの方式が採用されたようですが、走行距離の本格的な運用に対応するEF80は、交直流機器及び電気暖房装置の搭載による重量増を抑制するため、電動機を減らして軸重軽減に対応したという点において、EF30とはかなり趣旨が異なるようです。EF80は、大きく分類すると1次型と2次型があり、さらに電気暖房装置を搭載した客貨両用と電気暖房装置を持たない貨物用があります。※ただし、ブルトレなど客車に電源装置を持つ列車については、電気暖房搭載の有無に拘わらず運用されていました。今回は、EF80の写真のうち、普通列車や荷物列車を牽引している写真をご紹介したいと思います。昭和52年頃 上野駅にて EF8018牽引 下り普通列車地平20番線で発車待機中の普通列車。昭和54年頃 上野駅にて EF8018牽引 下り普通列車偶然にも上の写真と同じ18号機。何故かEF80牽引の旧客列車でカラーだったのはこの1枚だけでした。昭和57年頃 上野駅にて EF8019牽引 下り普通列車57・11ダイヤ改正を控えて、上野駅における特急列車の発着の情景を撮りに行った時の写真。鶯谷寄りの跨線橋の上から撮影。昭和57年8月23日 我孫子駅にて EF8042牽引 下り普通列車多分、大回り乗車中に我孫子駅で偶然押えた写真。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF80牽引 上り普通列車 車番は不明です。写真では判りにくいのですが、EF80の次位にスハニ64と思われる客車が連結されています。この頃ですと、合造車は殆ど姿を消していましたので、配置換えや廃車にしても何故この列車に連結されていたのか謎です。常磐線では、この頃の客車は全て保全工事施工車で青色。荷物車はマニ37、郵便車はオユ10と、編成が青一色で変化に乏しかったと言えます。おそらくこのスハニ64は茶色でしょうから、カラーで撮っていればかなり変化があったのではないかと悔やまれる1枚です。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF8012牽引 下り普通列車下り列車なので、郵便・荷物車は最後尾の連結となります。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF8021牽引 上り荷物列車私が写真を撮った中で唯一のEF80牽引荷物列車。次位には偶然旧型のマニ36が連結されていますが、荷物列車も終盤を向かえ、マニ50が多勢を占めていました。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF8060牽引 上り普通列車今回アップした写真で唯一の後期型。ヒサシがなく、テールライトも外バメ式となっており、1次型とかなり印象が変わります。この列車は郵便車等の連結が無いようです。昭和57年11月14日 上野駅にて EF8030牽引 常磐線普通列車上野駅にとっては、この日が大転換となった日、といっても過言ではないでしょう。ごく一部の列車を除き、上越系・東北系の電車特急、短距離系の夜行列車、そして、昼間の急行が1日にして無くなってしまったわけですから。首都圏でも53・10改正以後、最後の牙城となっていた常磐線の客車普通列車。夜行急行も含めて、旧型客車はこの日を境に一気に姿を消してしまうことになってしまいました。EF80牽引:貨物列車
2024.09.05
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ED75700番台牽引 50系客車:奥羽本線 普通列車奥羽本線及び羽越本線では、全線電化を前後としてED75700番台による電機牽引の運用が始まっています。秋田地区を中心とする普通列車は、旧型客車や一部気動車による運用でしたが、50系客車の登場後、民営化後も同様のスタイルが続いていました。私自身、秋田地区の撮影というのは殆どなかったのですが、民営化の直前と民営化間もない頃にそれぞれ1度ずつ撮影に行ったことがあります。メインはあくまでも上野口では撮りづらい寝台特急及び日本海縦貫線を走破する特急列車でしたが、合間に走っていた普通列車を数枚撮影していました。それまでスキャニングすらしていなかったので、今回はプリントからスキャンしたものをご紹介したいと思います。昭和61年9月9日 撮影地不詳 ED75700番台牽引 普通列車クルマの免許を取得した翌年、東北をぐるっと回ってきました。まだ国鉄時代です。50系化された普通列車などまるで興味はなく、当時の愛車を入れた記念写真のつもりで撮影しています。写真をアップにしてみると、50系客車が4両は繋がっているようですが、最後部がオハっぽく見えますので、5両程度が連結されていたかもしれません。荷物扱いは廃止となり、マニ50は連結されていなかったと記憶しています。平成4年8月18日 八郎潟~鯉川間(又はその前後)にて民営化後に訪問した際に撮影した写真をまとめて。1枚目は遠過ぎて番号は不明。2枚目はED75723、3枚目はED75752と読み取れます。編成全体が写っていませんが、殆どの列車が2~3両程度だったように記憶しています。これならば気動車でも十分ですが、本線運用は時間が掛かりますので、全てを気動車するにはタマ数が足りなかったのではないでしょうか?もちろん、運転士(機関士)の運用の問題もあったと思います。こちらもまともに撮ろうという気が無いのが構図から見ても判ります。秋田地区の客車列車消滅について、詳細な情報は手に入らなかったようですが、電車化のために製造された701系基本番代の誕生が平成5年となっていますので、この平成4年に撮影した客車列車は最晩年の活躍だったと推測します。旧型客車世代の私にとっては、50系客車の存在は邪道にしか思えませんでしたが、ED75700番台という当時の最新鋭の機関車が牽く真新しくも短命に終わってしまった50系客車との組み合わせは、ここにまとめた写真以外には残っていませんので、貴重な記録であることには間違いないようです。
2024.09.03
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ED77牽引:貨物列車(磐越西線)磐越西線を行くED77の続きで、今回は貨物列車編です。磐越西線は下りの磐梯熱海~中山トンネル間及び上りの広田~翁島間が距離の長い連続勾配となる路線であり、編成長に制限があるために比較的に重量は大きくないですが、それでもこの勾配を考慮して貨物列車に関しては重連で運用されていました。昭和62年6月13日 撮影区間不詳 ED7711ほか重連牽引 貨物列車昭和62年6月13日 磐梯町~翁島間にて ED7715ほか重連牽引 貨物列車貨物列車のダイヤを知らなかったためか、民営化後のED77が牽引する貨物列車の写真はこの2枚だけしかありませんでした。既に黒屋根貨車の扱いは廃止されてしまったようで、コキを基本にタンク車が繋がる程度だったようです。日中の貨物列車は1往復のみと記憶しており、撮影の機会には恵まれませんでした。平成5年に路盤強化工事が終了し、ED75形が入線可能となったため、7両全てのED77がここで生涯を終えています。新製から25年弱、短い生涯でした。昭和57年3月21日 磐梯町~翁島間にて ED771牽引 下り貨物列車高校卒業時、既に臨時雇用員として国鉄で働いていましたが、休日に高校の友人と日中線へ出掛けました。その帰りがてら、撮影としては初めて訪れた磐越西線。この頃はまだ1号機が健在でした。通常、同線貨物列車は重連仕業の筈ですが、この列車は単機牽引になっています。この頃は殆どが一般貨物でしたので、途中駅での入換を考慮して重連運転をしていなかったのでしょうか?この日は生憎の雨で最低のコンディションでしたが、同駅間約10Kmを1日掛けて歩きました。3月でかなり寒く、途中立ち寄った更科信号場で、声を掛けてくれた職員の方がストーブにあたらせてくれたのを今でも覚えています。ED77牽引 50系客車:磐越西線 普通列車
2024.07.27
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ED77牽引 50系客車:磐越西線 普通列車磐越西線のED77が牽引する普通列車をご紹介したいと思います。ED77は、ED75が入線できない路線への入線を可能にした交流電気機関車。昭和40年にED93として試作車が製造され、各種試験ののち、昭和42年に量産車が誕生しています。量産車はED75と同スタイルとなっていますが、中間台車を備える関係で車体長が長くなっています。また、客車列車の牽引に備え、電気暖房装置を搭載しています。ED93も量産化改造が実施され、非貫通型に貫通扉を設けるなど、大きく外観が変わり901号機として共通運用されました。国鉄時代に901号機及び1~15号機の16両態勢で福島機関区に配置され、会津若松区常駐となっていましたが、民営化時点では9~15号機の7両のみがJR東日本に継承されています。昭和62年4月5日 翁島~更科(信)間にて ED7713牽引民営化直後に撮影したED77牽引の普通列車。当時としては旧型客車から50系に変わってガッカリしていた頃ですので、完全に興味の対象外でした。平成2年7月1日 翁島~猪苗代間にて平成2年7月1日 猪苗代~川桁間にて ED7712牽引山形新幹線の開業直前に板谷峠へ撮影に行った際、帰り掛けに立ち寄った磐越西線。この頃は殆どの普通列車が455系化され、客車列車は2往復のみになっていたと記憶しています。50系客車への思い入れは相変わらずありませんが、客車列車そのものが貴重になっていたこと、ED77がED75化されるという情報もあり、数少ないチャンスを確保していました。ED77の写真は結構撮っていたように記憶していたのですが、貨物列車や臨時列車も含めた記憶であり、50系客車に関してはあまり残っていませんでした。
2024.07.23
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EF80牽引:貨物列車EF80は、昭和37~42年に掛けて製造された、EF30に続いて量産された交直両用電気機関車で、63両が製造されています。通常の電気機関車は、1軸の動輪に対して1つの電動機(モーター)が作用するのが一般的ですが、EF30やこのEF80は2軸(1台車)に対して1つの電動機としています。EF30は関門間の接続のみでしたので、特に高性能にする必要もなかったことからこの方式が採用されたようですが、走行距離の本格的な運用に対応するEF80は、交直流機器及び電気暖房装置の搭載による重量増を抑制するため、電動機を減らして軸重軽減に対応したという点において、EF30とはかなり趣旨が異なるようです。EF80は、大きく分類すると1次型と2次型があり、さらに電気暖房装置を搭載した客貨両用と電気暖房装置を持たない貨物用があります。※ただし、12系や14系、ブルトレなど客車に電源装置を持つ列車については、電気暖房搭載の有無に拘わらず運用されていました。今日は、EF80の写真のうち、貨物列車を牽引している写真をご紹介したいと思います。昭和56年8月30日 北小金~南流山間にて EF8020牽引 貨物列車と言いましてもねぇ~、コレじゃ何を牽いているかさえ分からないですよね。まあ、この当時は客車列車がこの区間を通るなんてありえませんでしたので、基本的に貨物列車だと思ってください。常磐線←→武蔵野線の短絡線です。写真の20号機は1次型で、写真では見づらいですが電気暖房の表示灯が付いています。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF8035牽引 専用貨物写真は、1次型で電気暖房装置を持たない35号機です。1段凹んだヘッドライトとヒサシが特徴の1次型で、貨物専用機は電暖表示灯が付いていません。あまり詳しくはないのですが、おそらく「日立セメント」の専用貨物ではないでしょうか。ホキ5700やタキ1900が連なっているようです。また、この頃はまだ緩急車(車掌車:「ヨ」又は「ワフ」)が連結されていて、バリエーション的にはやや魅力に欠けますが、昔の貨物列車らしい編成ですね。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF8036の牽く一般貨物逆光で側面がつぶれ、貨車が見づらいのが残念ですが、この区間の宿命ですので仕方ありません。まだタイガーロープが張られてなく、スッキリした写真が撮れた頃の同区間です。様々と言いますか、雑多な車両が不規則に連結されている楽しさがある貨物列車。現在では車種のバリエーションが非常に少なくなってしまい、昔ほど魅力を感じることができなくなってしまったのは非常に残念です。写真の36号機は、35号機と同じ機能に分類され、現在でも大宮総合車両センターで大事に保管されています。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて EF8043牽引 コンテナ貨物コキフ50000以下、高速貨物ですね。良く見ると、4両目辺りにもまたコキフが繋がっているようです。我が住まいの方では、比較的に昼間のコキ50000系の高速貨物の設定が無かったようで、殆ど撮ったことがないんです。なので、そういった意味でも、私的には貴重なワンシーンなんです。昭和60年4月14日 南流山駅にて EF8035牽引 コンテナ貨物偶然にも2枚目の写真と同じ35号機です。59・2のダイヤ改正後ですので、一般貨物が大幅に減少し、コンテナ中心の輸送に変わり始めた頃です。昭和60年4月14日 南流山駅にて EF8063牽引 C56160の回送列車「つくば万博」関連で水郡線にSLが走った際に送り込まれたときの回送列車をキャッチしたものです。はるばる京都から運ばれてきたC56160を牽引する、ラストナンバーの63号機です。もちろん2次型で、ヒサシがなくヘッドライトは普通に飛び出ています。同機は、碓氷峠鉄道文化むらで現在も保存されています。生涯常磐線を離れることなく活躍してきたEF80ですが、貨物列車の大幅な削減、ブルトレ・普通列車を含む客車列車の度重なる廃止により、昭和62年までに全廃となりました。
2024.07.16
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JR貨物 ED7950番台:重連貨物列車ED79形交流電気機関車は、青函トンネル専用機関車として、国鉄時代末期に余剰となるED75700番台の改造により誕生しました。基本の0番台と補機専用に搭載機器を一部省略した100番台があり、民営化時には全てのED79がJR北海道に継承され、昭和63年3月、青函トンネルの開業時において貨物列車を含むすべての列車の牽引を行っていました。青函トンネルが開業してまもなく、貨物列車の増発により増備が行われることとなりますが、増備車全てが貨物列車牽引用名目となったためにJR貨物の発注となり、改造では無くED790番台をベースとした新製車として誕生しました。そして、これらは50番台の区分が与えられ、平成元年~2年に掛けて10両が誕生しています。その後、老朽化したED75の置き換えを目的としてEH500が誕生し、東北地区のED75を淘汰するとともに、青函トンネルのスルー運転も実施されるようになると、ED79牽引の貨物列車も徐々に運用をなくしていきました。平成24年3月13日 ED7955ほか牽引 99レ 青森信~油川間にて写真は、下調べもせずに撮影に行き、偶然に捉えることのできたED79牽引の貨物列車です。後で調べてみますと、この時点でも既に定期2往復程度しか残っていなかったようで、日中に撮影することのできる列車もこの1本くらいしかなかったようです。本当にラッキーでした。青函トンネル開業後、北海道へは6度ほど行っていましたが、殆どがC623や道東・道央を絡めた撮影であったため、海峡線や江差線では1度も撮影したことがありませんでした。また、トンネル通過には「はつかり」か「北斗星」、「はまなす」と言った列車しか乗ったことが無く、快速「海峡」ですら写真に収めたことがありません。そんなこともあって、貨物列車の撮影もこの回が最初で最後となってしまいました。北海道新幹線開業に備えたEH800が徐々に完成し、ある程度の両数が揃うと、習熟を兼ねて定期運用に入るようになりました。そして、平成27年3月ダイヤ改正においていよいよ定期運用から離脱となり、特にイベントが行われるような様子もなく、静かにその生涯を終えることになってしまいました。誕生からわずか25年程度。近年の電気機関車としては非常に短命でした。
2023.12.24
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EF71&ED78牽引 :貨物列車(奥羽本線)過去ログ『EF71&ED78牽引 50系客車:普通列車(国鉄時代)』『EF71牽引:普通列車(JR改軌前)』で奥羽本線を往く客車普通列車をご紹介していますが、今回は同時期に撮影していた貨物列車の写真を集めてみました。昭和55年8月14日 福島駅にて EF713牽引 貨物列車ED71の写真を撮るために福島へ出掛けた際に撮影したもの。初めて北海道へ行く際に急行「津軽3号」を使用したため板谷峠を通過したことはありましたが、夜中の通過のためEF71やED78を実際に見たのはこの回が初めてでした。まだ貨物輸送の大合理化前で、次位のコンテナ車もコキ5500形であることから、一般貨物列車と思われます。バックに写るタンク車も特徴的で非常に気になるのですが、画像が粗くて番号が読み取れず、良く判りません。※番号が?3052までは読み取れ、会社名か製品名?が「〇-〇ライト」のようです。カーボライト?昭和60年6月19日 大沢~板谷間にて 上り貨物列車友人の運転するクルマで遠征した際に撮影したもの。板谷峠としては初訪問です。梅雨時で天気が悪く、さらに遠景からの撮影なのでカマの種類の判別もできません。既に緩急車の連結は省略された専用貨物列車のようで、タキ1900っぽい感じのタンク車を連ねています。※こちらは正体が判明し、貴重な編成と分かりましたので、別記事でご紹介したいと思います。昭和60年6月19日 大沢~板谷間にて EF713+ED78牽引 下り貨物列車こちらも専用貨物のようで、背の小さいコタキを5両の小ぢんまり編成です。とても重連牽引の必要性はなさそうですが・・・昭和60年6月20日 大沢~板谷間にて ED78+EF71牽引 上り貨物列車翌日は少し天気が回復。狙いとは逆向きに下り貨物列車が・・・。貨物大合理化後ですが、編成はその昔の一般貨物列車のようです。黒屋根車としてトラの姿はあれども、黒ワムやワラの姿は既にありません。もしかしたら、工場入場の配給回送かもしれません。平成2年2月18日 赤岩駅にて EF716牽引 下りコンテナ列車平成2年2月18日 赤岩駅にて EF717牽引 下りコンテナ列車板谷峠の4連続スイッチバックが廃止されることとなり、その前にと訪問。この時は、なんと大糸線でシュプール群の撮影をしてからの強行軍となりました。列車での訪問のため時間が自由にならず、赤岩駅にとどまっている間に多数の列車を撮影できました。他の3駅は一面雪景色でしたが、赤岩駅だけは積雪が殆どなし。この赤岩駅ではシェルターがないため、本線を往く列車を効率的に撮影できました。JRになってからコンテナ列車ばかりとなって面白みは無く、以前のような重連運用もなくなってしまったようです。そんな寂しさも束の間、改軌工事により貨物列車も経由することが無くなってしまいました。旧型国電はファンの方のおすすめHPEF71形(1次形)【TOMIX・7151】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」【中古】Nゲージ KATO(カトー) 3080-1 ED78 1次形 2022年ロット 【A】KATO 3080-1 ED78 1次形 Nゲージ 電気機関車 カトー 鉄道模型 単品
2023.06.28
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EF71&ED78牽引 50系客車:普通列車(国鉄時代)奥羽本線の福島~新庄間が改軌の上、山形新幹線が走るようになって久しくなりますが、かつては東北山形~秋田方面への幹線として、東北本線の迂回路として重要な役割を担い、多数の長距離直通列車が運転されていました。東北本線が優等列車や貨物列車で飽和状態になっても、上野発奥羽本線経由の青森行きなんていうような普通列車が何本も走っていた時代もありました。山形新幹線への工事にあたっては、複線区間では片側ずつ改軌し、改軌が完了してから719系の標準軌版を導入したため、特に板谷峠を擁する区間については、改軌直前まで50系客車による普通列車が運転されていました。昭和60年6月19日 ED78+EF71牽引昭和60年6月19日 ED78+EF71牽引昭和60年6月19日 EF71重連牽引友人のクルマに乗って初めて訪れた板谷峠。まだ免許を持っていなかった頃なので、地図を見ておらずどの辺りなのか良く分かりません。今の地図に照らし合わせると、板谷~関根辺りではないかと思われます。生憎の雨模様で、気分もすぐれませんでした。昭和60年6月20日 EF715牽引昭和60年6月20日 EF7115牽引昭和60年6月20日 EF78+EF71牽引翌日は天気が回復しました。ここは地図から大沢~板谷間であることが判りました。1日目は重連ばかり、2日目は単機牽引もありました。旧型客車時代に比較すると短編成になりましたが、それでも客車が3~5両程度、荷物車も連結されたりと、なんとか客車列車の名目を保っていました。民営化後の50系もありますのでいずれ。
2023.06.22
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国鉄 ED75形電気機関車:ED75501北海道初の交流電化用として昭和41年9月30日に誕生したED75501。極耐寒型ED75として試用されたのち、それらの性能は量産型のED76500番台に引き継がれました。北海道ではまだ旧型客車が主力であり、蒸気暖房装置が必要であったことから、暖房装置を持たないED75501の使用場面はかなり限定されていたそうであり、現役時代に北海道に訪問したことはありましたが、実物を見たことはありませんでした。昭和61年に引退後、北海道鉄道記念館で保存され、現小樽市総合博物館に引き継がれ保存されてきましたが、令和5年8月を目途に解体処分される方針であることが発表されました。「準鉄道記念物」の保存車両が解体へ 今週一週間の鉄道ニュース原因は同機に搭載されている変圧器にPCBが使用されていることのようです。PCBに関してはその有害性が認められてから使用が禁止され、機器交換が義務付けられてきましたが、処分方法が確立していなかったため、発生したPCB製品に関しては使用者に対して厳重な管理が義務化されました。私も一時期配置された事務所(もう20年位前)に大量のPCB製品が保管されていたこともありました。特に、昨年度は我社のいくつかの事務所からPCB処分に関する委託契約の支払が出て来たことを知っていますので、全国数か所あるPCB処理施設の受け入れ態勢が本格的に稼働するようになったのではないかということは感じていました。北海道鉄道記念館 ED75 501にて実車には会ったことのなかった501号機でしたが、実兄が北海道ツーリングに行った際に撮影した写真をもらっていました。記憶は定かではありませんが、私がまだ結婚する前だったと思いますので、平成初期頃、保存されて間もないことではないかと思われます。写真のアングルがアレですが、テツではない実兄にはこんな感じでしょう。展示方法も現在とは全然違っており、これはこれで貴重な記録であると思います。
2023.06.12
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EF81133牽引:訓練運転先日EF81133が廃車回送されたため、急遽特集を組んでいます。今回は、尾久~黒磯間で頻繁に行われていた訓練運転の写真を集めてみました。平成22年12月28日珍しく単機により行われた訓練運転のようで、前日にも同様の記録があります。ただし、時間がいつもの黒磯訓練とは違うので、運転区間や目的が違うものと思われます。平成23年2月5日 回9502レ平成23年2月6日 回9501レ配置車両の関係からほぼすべてにおいて尾久車両センターの「北斗星」用客車である24系25形が使用されましたが、何故か期間限定で高崎の12系客車5連を使用したことがあります。しかも、24系25形4両と併結されたため9両編成と言う、通常の訓練運転では考えられない長大編成となりました。地元メンバーから訓練運転に12系が連結されているとの情報で、午後からの出場。時間的には厳しいものでしたが、この頃からデジイチに切り替えていたので辛うじて撮影することができました。平成24年4月28日 回9501レこちらが自然な編成の訓練運転。ただ、通常は5連程度が多い中、7連は珍しいものでした。後年になると4連と短くなってしまいましたが・・・。平成24年5月5日 回9502レ同じGW期間中の運転でやはり7両編成です。しかし、このときは黒磯方にカニ24正向きが連結されたため、さながらミニ「北斗星」のような理想の編成となりました。通称黒磯訓練では、田端区のEF81かEF65PFによるものでしたが、「北斗星」や「カシオペア」が定期運転されていた時代でもあり、EF81の割合が多かったと思います。しかし、当時は貨物運用もあったことでEF81も潤沢にあり、133号機の出番もそれほど多くはなかったようです。10-1720 12系客車 JR東日本高崎車両センター 7両セット[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》
2022.03.27
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EF81133牽引:安中貨物先日EF81133が廃車回送されたため、急遽特集を組んでいます。今回は、JR貨物からの委託を受けて首都圏の貨物牽引に使用されていた頃の安中貨物の写真を集めてみました。殆ど定点撮影に近いもので変化が無い点はご了承を。平成21年8月9日平成21年11月18日平成22年3月14日平成22年6月12日平成22年11月30日平成23年2月23日こうして並べると本当に同じ写真ばかり。下りの貨物線はアングルが限られるので仕方ないんですけど。今では安中貨物自体が上下列車とも武蔵野線経由となり、地元で見ることはできなくなりました。
2022.03.26
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EF81133牽引:団体列車「カシオペア紀行」先日EF81133が廃車回送されたため、急遽特集を組んでいます。今回は、団体列車「カシオペア紀行」。数回の牽引実績があったようですが、こちらもどうも相性が悪く、1回しか撮影できなかったようです。平成29年1月7日 EF81133牽引 下り「カシオペア紀行」この写真、実はペンタックスのデジイチにアダプタを介してキャノンのFD200mmF2.8を取り付けて撮影したもの。画質が甘くなってしまったのは、日照が無く暗かったものを加工したことに加え、アダプタを介したことによりピンの距離がずれてしまっていることに要因しているようです。しかし、ディストーション補正をしていないにもかかわらず、架線ビームが全く歪んでいないのはさすがです。暗い条件だったので初めてテストした日がたまたま133号機だったわけですが、その後も同機に当たる機会はなく、良い記録を残せなかったのは残念です。
2022.03.25
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EF81133牽引:寝台特急「北斗星」令和4年3月23日、田端区に所属していたEF81133号機が廃車のために秋田へ回送されたそうです。同機は、田端に139号機が異動して来るまで唯一のヒサシ付きEF81であり、ヒサシ付き星ガマとしても唯一の存在となっていました。そう言えば、最近は「カシオペア紀行」とかでも見なくなりましたが、運用から外されていたんでしょうかね。引退を記念して、今回は花形運用であった寝台特急「北斗星」の写真を集めてみました。平成21年1月12日 2レやられました・・・平成21年12月27日 2レ行けた!と思ったらスカートに影・・・平成22年3月3日 1レEF81田端機唯一のヒサシ付き133号機。インパクトはありましたが、「北斗星」としては縁がなかったようです。
2022.03.24
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