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(すいません、このところプライベートが忙しくて日記の更新が間に合っていません。12月2日に更新しています)朝、仕事に行くと、裏の店の方がいきなり、「おまえの友達死んだぞ」と言ってきた。”???(何言うとうねん、このおっさん)良く話を聞くと私のよく知っている私より一回りも下の男の子が寝ているときに変な呼吸をするから、おかしいと救急車を呼んだときには、既に心臓が止まっていたらしいと。体重が130、40キロを越えて、普段からも肩で息していたのは知ってるが、先週も市場に来ていて話したくらいなのに、信じられない。といっても、早朝なので知り合いに電話をかけて確認するのも気が引ける。少し前の日記に書いたのだが、別の友人も急死した。あのときも”嘘やろう”と思ったものだ。あまりにも突然で、実感が湧かない。(こうやって、2日経った今でも、市場に来て話し掛けてきそうな気がする)そんな一回りも違う友人がいる理由は以前にバイトしていたコンビニに彼がいたからだ。体はごっついけど、見るからに性格の良い奴です。中身も良いけどね。良い人は早く亡くなるって本当なんですかね。そのコンビニに配達途中に寄って話を聞くと、やっぱり本当だとわかった。そしてお通夜に出席していた時に考えていたのですが、こんな短い一生で終わって、何の為に彼は生れてきたのか?私にはわからない、何かを果たしてこの世を去っていったのか?と彼との思い出と共に考えていました。お焼香するときに、「すぐ生まれ変わって、俺のそばに出ておいでな。」と心の中で唱えました。私は人間ってずっと肉体という形を変えながらずっと生き続けていくものと思っているから、新たな肉体を持ってこの世に生れてきた時に、もう一度私と”ご縁”を結ぶ事ができれば、と思っています。どちらかというと、残されたおばちゃんが、一人になってしまってかわいそうです。機会を見て元気づけてあげればなあと思っています。
2004.11.30
(12月1日に書いている日記です。ご了承ください)昨日の酒が残っているのか朝起きて気分が悪い。昨日は遊びすぎたか?(笑)昨日、食事したレストランの話でも「いつも11月は暇」というのを聞いて再認識したのか、本当に仕事が暇、朝から注文のFAXにも少しだけ書いてあるだけ。来るお客さんもまばら。「月曜から暇だと今週もあかんわ」と更に”暇”の認識をする。今週はずっと暇でしょう。まあ、年末の忙しい時に備えて体を休ませてもらっていると思えばいいか。配達先のお好み焼き屋に知恵遅れ気味(こういう表現が適切かどうかはわかりませんが)の青年がよく出入りしている。その青年が、お店を経営している女の方に汚げな表現で話している。その青年を見て”もっと可愛げがあればいいのにな”と思った。しかし、店から出て車に乗ろうとする瞬間に”あっ、そうか”と認識した。可愛げの無いのは、その青年では無くて、私なのだと。そう思うと笑ってしまう。”私って可愛げ無いなあと”次の配達先のコンビニで、以前は愛想が良かったのだが、最近全然無視されていた店員さんが、ラベラーを持ってニコニコして待ち構えている。”この店員さん、バナナの袋詰が苦痛でよくぼやいていたから、機嫌悪いのかなあ”なんて思っていたのだが、違っていたのだ。認識したことによって、青年ではなくて、店員さんが、変わってしまったとは・・・。こんなの初めてのパターン。まあ、見るもの全てが自分なのだから、違う人が変わるのも当たり前か?と妙に納得してしまった1日だった。
2004.11.29
この日はお昼前から、妻のジャズダンスの舞台を見に行っていました。妻の所属しているスタジオが他のスタジオの自主公演にゲスト出演している形での舞台。妻は身内びいきを差し引いても、この辺りのスタジオの中ではピカ一のところに所属しています。(^^)さしずめジャズダンス観劇歴18年ほどを迎えていて目は肥えていますから。(笑)ヒモを使って、結ばれたり離れたりする人間関係を表現していて内容が濃いんです。さて、この舞台にはもう一つのスタジオがゲスト参加しています。はっきりいって、踊りは今2くらいですが、(おばさまジャズダンス教室という感じ。)しかし、そのスタジオの先生が舞台に出てきた途端に”華”があるというか、存在感があるんです。その先生、だいぶお年を召していてダンス自体は・・・なのですが、元宝塚の男役で結構有名だったらしく、映えるんですね。こういう”華”って身につけようとしても身につくものでなく持って生まれたものなのでしょうか?最後には投げキッスまでしていて、さしずめ宝塚観にいっている感じがしました。(笑)”華”って欲しいですね。別に舞台は上がらないけど。舞台が終わってから美味しいイタリアン食べながらワインを頂く。美味しい食事にお酒って最高ですね。その後、何年か振りのカラオケへ。"september"から”瞳を閉じて”まで3時間盛り上がりぱなしでした。いやあ、遊んだ、遊んだ。
2004.11.28
今朝来たかめおかゆみこさんの発行されている人気メルマガ「今日のフォーカスチェンジ」とシンクロしている内容です。(おい!何時書いている日記なんやと突っ込まれそう。白状します。11月28日です。(笑)26日付けの「縁を大事に」とまとめて更新しています。よければまとめてご覧になってください)昨日(この日記の日付の27日)にお客さんから言われたことがありました。「袋詰のメークインもらってこんと、自分とこの詰めや。そやから高くなるねん。お客さんに安く買ってももらわなあかんやろ」と原則として中央市場って小売はできないのですが、業務筋専門で降ろしている小売屋さんは、できるだけ在庫を持ちたくないので注文の分だけ買おうとします。ですので私ところの店はお客さんのご要望(笑)でばら売りしている訳です。私ところでメークインを競りで買ってもいいのですが、60ケース単位で買わないといけないのでイモ類を専門で扱っていない店が売りさばくには至難な数なのでもらってきているわけです。ここまでは説明っと。で、そのお客さんに対して「そんなことばかり思っているから儲かれれへんねんや」とつい口がすべりそうになるのをぐっとこらえました。どうしても自分だけ安く買って、お客さんにも安く買ってもらいたい。わかります。そうですよね。この気持ちが蔓延してバブルがはじけて以来デフレになっています。自分が安く買うということは、どういうことか?当然、その自分が買うまでの流通経路での業者の利益が減る、もしくは、業者自体がカットされているということです。野菜が高いからと普段見かけない韓国産の白菜、中国産のキャベツが大量に出回っています。ということは日本の農家→農協というラインがカットされています。自分が安く買う分、世の中の大勢の人が収入が減るということです。その収入が減れば、回りまわって自分の売上にも響いてくるということです。言い換えれば「自分が財布を開いてお金を払うというのは”自分に支払っている”ということ」なんです。外で美味しいイタリアンを食べた。会計の時にお金を支払う時に「ちぇ、払うのか」って思いません?(笑)車を買う事を決めて販売店に行って、試乗したりして、納車されるのが楽しみに待っている。しかし、楽しいのは納車されるまで。その日から支払いのことを考える。(爆)ちょっと待ってください。美味しい食事を食べた。かっこいい気に入った車に乗った。自分がいい気分になれたんです。自分が得してるんです。その代価としてお金を払うんです。自分に支払っているんですよ。このことを意識してから不思議とお金回りが楽になってきています。今日から”自分に支払う”ということを意識して財布からお金を出してみてください。【追記】実はこの日記で300回目なんです。自分でも良く書いたなあと感心します。
2004.11.27
日記リンクして頂いているリンリン竹ちゃんさんに日記を紹介していただいたお陰で自分ウォッチャーさんにリンクして頂ける事ができました。\(^o^)/本当にありがとうございます。これもネットでの”ご縁”です。さて”縁”って何でしょう。奥さん、旦那さん、子供、両親、兄弟、友人、同僚、近所の人・・・。縁って人だけじゃありません。入りたかった大学に入れない。入りたくなかった大学に入った。これも縁ですね。会社もしかり。結婚したくなかったのにできちゃったから結婚した(笑)というのもあるかもね。商売を始めたいと決意しても、手伝ってくれる友人がいたり、好意で宣伝してくれる仲間がいたり、良い条件での仕入先を紹介してくれる知り合いがいたり・・・お客さんもです。縁が無ければ、何をしようとしても始まらない。1人では何も出来ません。「僕の宝物は友人です」とか「縁を大事にしなさい」というけれどそれも当然。縁は宝物。 縁は自分そのものだからです。自分だから大事にする。当たり前ですよね。「縁が自分そのもの?へっ、笑かすなよ」って思う人もいるかも知れません。例えば、あなたが大成功を収めて働かなくても余裕で暮らせるようになった。これから寒いしバリ島で春まで暮らそう。周りの友人に「一緒に行かへんか?」と声をかける。その友人はこう言います。「仕事もあるし、そんな金どこにあるねん」って返ってくるはずです。そしてその友人とは疎遠になっていき、同じ生活レベルの人と縁が結ばれていきます。自分が変わると縁も変わる。自分が縁そのものという証明にはなりませんかね。そういう私も昨日、こんなことを思いながら、”縁を大事にしてきたか”と振り返ってみました。5年ほど前に中学からの友人を急病であっけなく失ってしまいました。全く予期でない死だったのです。お互い仕事が忙しくなって、会えなかった時でした。「もっと遊んでいたら」「もっと話していたら」と後悔の念ばかり出て来るんです。失ってから気付くんですね。その友人への友情や想いを。あるときは気付きません。みなさん、そうですよね。彼女や彼氏や奥さんや旦那さんにしても同じです。人が去っていったり、亡くなるというのは、そういう事を気付かせることもあると思います。だから”今”在る”縁”を大事にしなければいけないと再び心に刻む事が出来ました。ご縁に感謝、自分に感謝です。
2004.11.26
うっうっー。何を書こう・・・。書くネタには困らないくらいあって、一体その中の何を書こうか悩みます。相澤@無為自然さんにコメント頂いたのをきっかけに自分のメルマガ「マト謎」のバックナンバーを一気に読み終えてのことを書いても良いし、(でも楽天1周年が間近に近づいているから振り返るのはその時でもいいし、第一、メルマガの振り返りはメルマガでも良いわけで)日常にあったことでも良いし、一家惨殺事件の話でも良いしね。さて、何を書きましょう・・・(T T)結局悩んだりします(笑)日記なんだし、今日感じた事書きます。11月1日から運転中に携帯で話すどころか、メールを見ることも禁止になって配達中なんて電話がかかってくることが多いので、マイクつきのイヤホンをしています。この間、ダイソーに行くとこのマイクつきのイヤホンが売り切れになっていました。自慢では無いですが、罰則になることを春になる前から聞いていて3月には買っていました。だから「何で今頃買うの」なんて思うのです。”おい!自慢してるんちゃうんか?”って突っ込まれそうですが、実は自慢していたりしています。心で思っていることを口や文章では否定して書いたりするんですね。あえて否定してるときは、逆の事を思っているってことですね。こんなことを書きたいのではありません。当然、メールの着信音もイヤホンを伝って聞こえてきます。運転中に「You got the mail」と聞こえてきました。パソコンへのメールが着信したときに携帯へ着信通知のメールを送るように設定してあってその時の着信音が「You got the mail」なんです。私はパソコンのメールが主になっていて、仕事中も暇になれば気になって、携帯からWEBでアクセスして見たりしていましたが、パケット代も馬鹿にならず、メールで通知に切り替えていたわけです。そのメールが着信したときは、運転中だったので、配達先で車を止めた時に見ようと思いました。その時、「あっ、そうか」と気付いた訳です。電話はかかったその時に取らないといけないのだが、メールはいつでもいいんだと。物凄い当たり前のようですが、何時見ても良いメールを確認しよう、確認しようとするのは、結局の所、自分を確認して欲しい、認めて欲しいとの現れなのかなと。着たら着たで「You got the mail」とうるさいし、来なかったら、まるで自分が認められていないと思うくらい寂しい。自分を認めて欲しいと思っているんですよ。家に帰って早速、設定を変更しました。夜中に参加しているMLのダイジェスト版が次々来てうるさいのも今夜からありません。静かになります。(^^)
2004.11.25
朝の4時20分過ぎに玄関を出る。玄関を出るとすぐにエレベーターがある。私の出掛ける時間帯ってほとんどエレベーターに乗る人はいなくて大概止まっている。しかし珍しく上を目指して上がっている。下りたいので下向きのボタンを押す。そして14階で止まって、少し時間があって下りてきた。誰か乗ってるのかなあって考える。前にごみ捨てに1階に降りようとしているおばさんが乗っていて、扉が開いて私が居てびっくりされていた。こんな時間にエレベーターで出会うなんて考えていらっしゃらなくて、パジャマのまま素ッピンで乗っていたから。「しまったあ」なんて顔されていましたね。私自身も夜明けのこんな時間に人に会わないだろうと思っているから、たまに1階に降りた時にエレベーター待っている人に出くわすと「ドキッ」とする。エレベーターに誰も乗っていないときにも、さっきまで乗っていた人がどんな人か、匂いでわかったりする。酒臭い。タバコ臭い。きつい香水の香り。14階から自分の家の階まで下りてくる間に色々考えてる事に気付く。過去のデータから導き出して数分先の未来のことをあれこれ考えている。夜明けのエレベーターに誰か乗っているかという些細なことまでこれだけ考えているのだから、仕事、人間関係、お金、老後・・・ありとあらゆる未だ起こっていないことを過去の・・・大概良い思いをしていないので良くないことばかり考える・・・データから引っ張り出して悩んだり心配したりする。結局”今”に生きていない。考えるということは、過去のデータを使って未来のことを想うこと。思考しているときは過去に生きているのだ。その考えた未来は過去からスタートしているのだから、未来は結局、過去のコピー。だから心配事や不安が的中するんです。何も考えないって馬鹿みたいだけど、本当は一番良いこと、そして難しい。未だ来ていない未来の事だから、どんな予測もつかないはずなのに考えて予測するから、当たり前のつまらない未来がやってくる。何も考えなかったら、考えてもみなかった素晴らしい未来がやってくるかも。そうやってまるで映画を見る様にプロセスを楽しんで生きれば、ツマンナイ日常も面白くなるかもね。【追記】結局、エレベーターには誰も乗っていませんでした。何も無いところに一杯考えているものなんですね。
2004.11.24
これは、昨日の日記に書きたかったことです。奈良の小1女子の誘拐殺人事件をみなさんどう思われますか?歯を抜いたなんて聞いて”なんてエグイことするんや”と思いましたが、死んでからだったんですね。生きているときに歯を抜いたら拷問ですよね。どちらにしても憤りを感じます。これは余談ですが、警察も偉いですね、ネットの書き込みを見て調べるんですから・・・。それを聞いて現実とアニメとの境が無い倒錯してる世界というか、薄気味悪さを感じました。さてこれが昨日の日記の続きって関連無さそうに思われるかもしれませんが・・・。他人は自分の鏡とは言います。この日記でも散々書いていることですが、じゃあ、自分の鏡って他人だけなのでしょうか?世間で流れる事件、災害、戦争、環境も全て自分です。奈良で小学生の女の子が殺されても子供の無い私には関係の無い話なのかもしれませんが、TVで見て知ってしまったからには自分事なんです。TVや新聞で見る世間のことも他人事にせずに自分事として受け入れてみる。あの事件を見て”憤り”を感じたり、”薄気味悪さ”を感じるなら私もそういう面を持っているということです。この日記を見たあなたが、事件で憤りを感じたけど、「私には”憤り”なんて無いよ」って人いるかも知れません。ではあなたの肉親が目の前で殺されたら、その犯人に対して殺意が起こりませんか?「私は人は殺せない」「私には凶暴性は無い」そうやって過ごしているけどみんなそういう”殺意”や”凶暴性”を持っています。だからそういう”殺意”や”凶暴性”をTVなどを通して事件や戦争として見ています。別にそれが悪いとは言っていません。その反面としての”優しさ”や”思いやり”を持っているからです。”殺意”や”凶暴性”が存在しなければ、”優しさ”や”思いやり”も存在できないだけです。ただそれだけのことなのです。
2004.11.23
配達で車を運転していた時にふっと思った事です。よく”感謝しなさい””愛しなさい””人の為にしましょう”なんて巷では言っています。別にそのことについて批判をいうつもりはありません。素晴らしい事です。ただ、”感謝して””愛して””人の為に”の順番が違うような気がしたのです。最初に”感謝しなさい””愛しなさい””人の為にしましょう”から始まるのが少し疑問なのです。感謝したいから”感謝し”、愛したいから”愛し””人の為になりたいから”人の為にする”のではないのでしょうか?自分の目の前にみえるものが全て自分とわかれば、他人が自分だから”感謝し”自分だから”愛し”自分だから”自分の為に”できる。外に向って”感謝し””愛し””人の為”とやっても、その感謝、愛、”あなたのため”でその人に何も感謝されず、愛されず、裏切られれば、”感謝し””愛し””あなたのため”が続けられるのでしょうか?究極はすべて自分の為です。昔、正月にスキーで長野に行った帰りの電車が故障で大幅に遅れ、新潟で午前2時に着き、4日の正月明けから仕事がある人たちが、本当に他人を省みず、我先に電車を争って席を取ろうとしていたのを見ていました。あのときは「人間って怖いなあ」「究極のときは他人のことなんか考え無いもんなあ」「結局は自分が助かれば良いってみんなおもってるで」「地球が破滅してどこかの惑星に移住なんてなったらこうなるだろう(笑)」なんて考えていましたが、たまたま自分が5日からの仕事で、余裕でその様子を見ていただけで、自分も朝から仕事なら同じ事をしていたでしょう。白状します・・・。私もそうなんです。本当の本音は、みんな自分のためです。でもそれが、駄目な事とみんな思っている。そういう風に刷り込まれているに過ぎない。この楽天日記も自己満足のために書いている。その上で誰かに役立ってもらえば嬉しい、感謝されれば、自分が嬉しいんです。TOKIOが「自分のために」って曲を出しているのも、そういう世間の風潮のアンチテーゼのような気がします。
2004.11.22
今日は知り合いとこの日記で書いていることを話していました。仲間内では”コ○×△する”なんて言っていますが・・・。そこで、人によって態度がコロコロ変わる、要するに”ウラおもて”のある性格の話題になりました。この日記の主要登場人物(笑)私の叔父が、強面の相手にはヘーこらへつらい、弱い立場の相手には偉そうに言う、まるで漫画に出てくる典型的な嫌な奴って感じでその”ウラおもて”のある性格が嫌で仕方が無かったのです。その姿を毎日、仕事をしている中で見ていて「良くあれだけ態度変えれるわ」と半分感心しながら見ていました。ところが、ある日、自分も冗談が通じて仲が良いお客さんに対しては、偉そうに言ったり、生真面目そうなお客さんに対してはきっちりとした対応をする”ウラおもてのある”自分に気がついたのです。叔父がそのまんま自分ですね。そこに気づいてから、叔父のそういう”ウラおもて”のある態度を見なくなったのか、気にならなくなったのかどちらかわからなくなるくらいになっています。昨日書いたような2面性もあり、今日書いた”ウラおもてのある”という2面性もあり、色んな2面性を持っています。まあ、2面性だらけです。私たちって。
2004.11.21
得意先で働いている若い子と話していると「うちの会社のもん、アホばっかりで・・・」「俺ばっかり働いている・・・」と愚痴ってる。内心笑いながら「それは自分やで」と思っていたが、なかなかその言葉を口に出しにくい。(下手したら喧嘩になる)*「自分の逆が映っているねんで」と言えば少しは柔らかくなるのだが、「何で逆なん?」と忙しい朝にそんな説明してる時間は無い。(笑)当事者になかなか「自分の目の前にあるものは自分」というのを伝え難いのです。その方が人間関係に悩んでいるときに助言するのは非常に言いやすいのですが。楽天日記にも人間関係に悩んでいらっしゃる日記を書いている方にアドバイス書きたい欲求はあるのですが、(実際に書き込んでから消す事もしばしば・・・)単なるおっせかい、その人の気持ちを荒立てるだけだなと、辞めます。なので私がアドバイスを書いている方は、「この人なら大丈夫だろう。理解していただける」と確信している人にしか書いていません。結局”求められている方に話す”のが一番良いのでしょう。ビジネスも一緒。求めている所に求めているものを提供する。100%の世界ですからね。そこにあるのは。「そんなん、甘い。それでは売上上がらないやろう!」と怒られるかも知れませんが、断れるのを前提で押し付けの営業をして買って頂けても、ずっと買ってもらえる”本当のお得意さん”にはなって頂けないと思います。そんなしんどいこと辞めましょう。話はいささかそれましたが、当事者に話しにくいという事もあって楽天で欲求不満を解消しているのかも知れません。(笑)仕事でお客さんを相手にしているときの私はこの日記を読んでいる人には想像もつかないでしょうが、”あほなこと”ばかり言っています。朝から小難しい事を言っても敬遠されるだけでしょ。*少し受けると調子に乗って受けようとする関西人の持って生れた習性がそうさせるのか?まあ両面を持っているということですね。”あほなことを言っているわたし”と”自分を知ろうとしているわたし”どなたでも2面性で生きていらっしゃるとは思います。この2面を統合して”自分を知ろうとしているあほなことを言っているわたし”を目指さないといけないのでしょうが・・・。(笑)
2004.11.20
子供もいないのに大胆なのですが、子供に対しての接し方を書いてみたいと思います。昨日の日記も親子関係の話でしたし。私が書くのですから、当たり前のことは書きません。自分の目の前のものは全て自分という観点からです。まずはお子さんの事を信用してください。一番の子供の理解者である親御さんが子供を信用しないということは、「この子供は駄目」と烙印を押すようなものです。信用していないのなら、子供は信用できない行動をとります。別に子供に限りませんね。彼女、彼氏、旦那さん、奥さん、部下・・・全ての人に当てはまります。この日記で何回も書いていますが、他人=自分とすれば他人を信用できない=自分を信用していない→自信が無いということです。他人を含む全ての自分の目の前にあるものは、自分との関係性で映し出されます。例えば自分の子供が引きこもりだとすれば、自分が引きこもりだということです。(ひきこもりの子供を持つ親御さんがご覧になって気を悪くしないで下さいね)自分が引きこもりということは、自分で自分を閉ざしているということです。だからって反省しないで下さい。そのことに気付くだけでいいのです。気付く=自分を知ることで子供は変わっています。その子供は、自分の内の隠しているものを映し出しているだけです。幻想なのです。自分の目の前に映るものを自分と気付くだけで目の前にあるものが変わるのは、ずっとこの日記を読んで頂いている人には、わかって頂いていると思います。色々書きましたが子供を信用してください。それが子離れだと思います。
2004.11.19
深夜に関西TVでやっていたドキュメント番組を見ていた。朝3時半起きなのについつい見てしまいます。ドキュメント番組って一度見出すと途中で止められません。「ボーダー症候群」という精神に障害を持った人と正常な人の境目の人たちを取り上げて「すがる人々」という題でした。学生の頃から引きこもりの生活をしていたが、その引きこもりの時代の友人が音楽とTVで歌を歌いたいという思いから引きこもりからは脱したが過食症の症状を持つ27歳の女性をカメラは追いかけていた。彼女は4年前から歌手を目指して上京してデモテープをレコード会社に持ち込んではいるが、いい返事が無く週一回の歌のレッスンは欠かさずにはいたが、働いてはいない。彼女は夜中の1時からコンビニやファーストフード店でどっさり買い込んだものを2時間かけて食べまくる。まるで世界が今日で終わるみたいな食べっぷりとコメントしていた。過食症を治そうと催眠療法の先生にかかっている。退行催眠や色々な方法を試していたが、効果はなかった。レッスンを受けているスタジオが主催でライブハウスでコンサートに彼女が出れることになった。コンサート前でレッスンも厳しくなり自信喪失する彼女、1週間引きこもってしまう。しかし、コンサート当日、姉と母が上京して会場に来ていた。姉は会うのが数年ぶりで彼女は姉に楽屋でメークしてもらいながら姉がどれだけ心配していたかを聞く。ライブの合間に彼女はMCで「身近にある愛を知ったと語った」姉と母を前にして。その後、自炊するようになり過食症の症状は治まった。これを見て思ったのは、彼女が身内からも”愛されていない”と思っていた。その”愛されていない”ことの復讐として引きこもったり、過食を繰り返していた。身内に対する復讐だけでなく自分にも復讐している。それがライブを機に”愛されていた”ことに気付いて復讐を辞めた。愛されているのに気付かないのは、悲しいことですね。彼女もようやく気付いた。治そうとしても治らない。気付くと一瞬なんですね。「ボーダー症候群」の人は多いらしいです。そういう人たちが少しでも気付いて立ち直って欲しいですね。
2004.11.18
今日の市場での会話。今日もあまりにも暇なので市場の中を通りすがら知り合いに声をかける。トマトのパック詰をしていたので「仕事あってええなあ」なんて話から私の叔父の話になる。(何でやねんって感じ)その彼が「自分ところのおっさん、好きなんおるのか?」って話した。私は「そんなおっさんでも、好きなのもおるし、家族もいるで。××さん(彼のこと)にも家族おるんやし(笑)」自分が嫌いだったら世の中の全員がその人の事を嫌いだと思ったりするが、その人にも友人がいたり家族もいる。嫌いと言うのは自分の中の思いでしかない。自分=他人ということで考えると、誰かが嫌いと言うことは自分が嫌いということでもある。自分が好きにならないといつまでも目の前に嫌いな人は現れるのである。
2004.11.17
昨日の日記の同業者の社長は、今日も愛想良かったです。(笑)今日の話も”認識”の話です。今日は12月に行われるパーティーの打ち合わせがありました。その打合せは4時からでした。仕事が終わるのがいくら暇でも早くても4時なので、絶対無理だと思っていました。しかし、実際その日、その時間が来なければわからないのに、無理と決めてしまうのは、”思い通りの人生”を私たちが生きていることを考えると、やってはいけないことです。そして「仕事が早く終わる」と決めていたのですが、早く終わっても私の場合帰れない場合(叔父の配達の帰りが遅いと車があかないので家に帰れない)ことがあるので「4時に間に合う」と心の中で決めていました。朝から暇で順調に仕事が進み、何ヶ月か振りに3時に終わり、そのまま帰れました。(^^)4時きっちりには、打ち合わせには間に合わなかったのですが、遅刻も5分程度で打ち合わせ自体は始まっていませんでしたし。心の中で決めれば、決めたとおりにことが進むものです。どうしても出来ない理由や言い訳を自分の中でも一杯並べる癖があります。その癖を認め、自分の中の決め付けを外していくことです。打ち合わせの帰りにはおいしいお寿司とお酒を頂きました。口の中でとろける蒸し穴子なんて初めてでした。上手かったです。(^^)
2004.11.16
今日あった出来事について書きます。プロフィールをご覧頂いてもわかるように、中央市場に勤めております。野菜の仲買業者で働いています。この仲買業者は、市場の八百屋さんと違って、全ての商材を扱っているところはありません。さすが「八百屋」と言うくらいで野菜の種類が非常に多いからです。そんな訳でそれぞれの仲買業者は得意分野ができます。自分が扱っていない商材の注文を受けるとその商材を持っている同業者に融通してもらうわけです。私の担当している商材の中の得意分野にカット葱があります。市場の多数の同業者が私のところに買いにくるんです。その中でもたくさんのカット葱を買ってくれる同業者の社長さんは、会うたびに「おう、いつも手間かけさせてありがとうな!」と声をかけてくれ、パンやお菓子などもくれることもしばしば。ところが昨今の台風の被害で青葱の収穫が激減し、カット葱も注文した数が納品されない可能性がでてきたので、その同業者の従業員に「自分ところ(関西弁で相手を自分と言います)がカット葱取りに来ても渡されへんかも知れへんから、自分ところでカット葱買い」と言いました。まあ、それからその同業者はカット葱を仕入れだして、私の店に買いに来る事がなくなりました。それと同時にその社長が私に会っても挨拶さえもしてくれません。元々その社長、ヘンコ(関西弁で変わり者の意)で通っていて、社長である私の兄にも、つまらない一件から一言も話してくれなくなっています。電話で兄が取ると私の要件で無いのに「私に代わってくれ」と言うくらいです。そこで私は、その従業員に話した事の真意が伝わらずに、「おまえところにカット葱渡さない」と思われて怒っているのではないのかと思っていました。私の日記、特にテーマが「本当の自分探し」の日記は一貫して「自分の目の前に映るものは自分」を前提として書いてあります。今日は暇で、朝の間に伝票を配ろうとその業者さんの前に差し掛かる前に「いや、待てよ。私が社長が怒っていると勝手に考えているだけではないか?」と思いました。そして、その店でいくら愛想良く「まいどー!」と大きな声を出しても全く無視していた社長が「おー!ご苦労さん」と返してきたのである。びっくりー!こういう体験談をこの日記で書いている私も驚き!瞬間で変わるんですね。いやー!ほんま。昨日お届けした「マト謎」にも「今」の話書かせてもらいましたが時間は無いから、気付いた瞬間に変わっているんですよ。自分でもわかっているんやけど、少し怖くなりました。■昨日配信したメルマガ 映画「マトリックス」の謎を解く 30号フリーページにアップしますのでご覧下さい。
2004.11.15
さーって、100%叶う恋愛必勝法講座の始まり、始まり・・・。片思いの相手に振り向いて欲しいあなた。恋愛中で彼氏、彼女とうまくいっていないあなた。これをご覧になれば、たちまち相手はあなたに夢中。冒頭の文章、まるでメルマガの宣伝文句の様に書いてみましたが、(「マト謎」だけでも手一杯なのにそんなメルマガ書くつもりもありませんが)あながち冗談ではありません。昨日、ずっと通っているセミナーに行きました。そんな訳で顔見知りばかりです。私は電車でほとんど通っているのですが、車でいらっしゃっている方もいます。帰る方向が同じなのでいつも乗せて帰って欲しいなあと思っているのですが、口に出して言う勇気も無く、電車で帰っていました。この日記ずっとご覧の方はご存知でしょうが、「自分が見ている世界は全てあなたですよ」と書いています。セミナー中の師匠の言葉ににふっと気付いたんです。私は車に乗せてもらいたいと思っている。それは即ち認められたいと思っているんです。他人に認められないと、どうやってその人に認められようと考えます。さっきも書きましたが、自分の見える世界は全部自分だと書きました。他人と見えているのは自分です。他人に認められたいというのは、自分に認められていない=自分を認めていないのです。それなのに私は外側に「認められたい」「認められたい」ってやってるんです。それに気付いて、その瞬間に「認められたい」辞めました。そうするとセミナーの帰りに「車乗って帰りませんか?」って誘われました。私からは一切何も言ってません。ついでに晩御飯もご馳走になりました。(^^)「おーい、そのことが恋愛になんでつながるのー」と突っ込みの声が聞こえてきそうですが、おおいに関係があります。片思いの時、その相手に認められたいと思っていませんか?また、恋愛中の彼氏、彼女と上手くいっていないときに愛されたいと思っていませんか?外側の相手にいくら認めて欲しい、愛して欲しいとやっても無駄。認めて欲しい、愛して欲しい辞めましょう。どうでもええわ、ってくらいの心境になりましょう。簡単に言うと諦めましょう。究極に言えば自分を認め、自分を愛しましょう。他人は自分、自分を認め、愛せば、他人は認め、愛されるんです。これはこの世の絶対法則です。(って認めて、認めてって書けば誰も認めてくれないのね(笑))まあ、これ読んで、自分しか見ていないから、騙されても腹立たないし、お金も要らないのだから、やってみれば。
2004.11.14
一昨日の日記「生まれてくる目的とは 」に何故思い切って書きますと書いたのは、「この見て感じたもの(上の例ではマイナス)を自分だと受け入れるとその見ているものは消えます。(マイナスな出来事は消える)目の前の自分が隠しているものを自分と知れば消えるんです。」上の文章を見て、映画「マトリックス」の中の1シーン思い出しませんか?これを書いたらメルマガ書いている意味無いもんね。(何のシーンかわかった人も答えは自分の心にしまっててね)さて昨日、西武鉄道が上場廃止に追い込まれました。上場規定に引っかかることを40年に渡って知っていながら隠していたのが表に出てきたんですね。日本テレビ株も上場規定にひっかかって監理ポストに移動になっています。楽天に入団決定した一場投手も巨人、横浜、そして我が阪神も金銭を渡していたことが発覚しました。何か1リーグ制移行に関わってきた球団の不祥事ばかり出てくるのは何でだろう?少し前の三菱自動車、浅田農産、雪印上げれば切りが無い程、不祥事が相次いで表に出てきています。上の方にも書きましたが、自分の目の前に映っているものは自分が隠しているものです。逆に言うと隠した物は目の前に出てきます。そのことが、はっきりと認識されつつあるんですね。隠しても隠しても出てくるんです。目の前に。隠せば隠すほど、そのものは大きくなっていきます。隠さずにしっかり白状しましょう。自分に。受け入れましょう。認めましょう。それで、隠した物は目の前から消えるから。
2004.11.13
周りで風邪流行っています。私も喉が痛くて熱っぽいです。(これは12日現在の状況で更新している14日は、すっかり治っています(笑))みなさんも気を付けて下さい。風邪も単なる自分のバランスの崩れですからね。自分のバランスの崩れに気付けば治りますよ。本当に病は気からです。本当は西武鉄道上場廃止の話を書こうと思ったのですが、風邪の話に変更します。(その話は明日に)阪神大震災に遭って、その日は家の中も片付かず、母も怖がるので近所の避難所で寝ることにしたのですが、その日は仕事場から帰ってから近所に住んでいた彼女(今の奥さん)の家や兄の家を見にいったり、近所の様子を見に行ったりでその避難所に行くのが遅くなって部屋は満員で廊下に寝るしか無かったのです。その日は確かに寒かったのですが、後から思えばこの日に風邪をひいていたんですね。次の日の朝から市場は大した被害も無く、正常に機能していたので仕事に出かけていました。地震があったのが、連休明けの火曜日それから土曜日まで何もなかったのですが、緊急状態で神経が緊張していたのが、ほっとしたのでしょうか?喉が痛い、咳が出る、体がだるいなどの症状が全く出ずにいきなり寒いんです。ストーブの前にいてもブルブル震えるくらい寒い。病院に行こうと思っても一杯でいけません。帰りに配達に行く途中にガソリンスタジオに寄りました。すると、なじみの店員さんが、風邪で声が、ガラガラになりながら頑張っているんです。それを見て「風邪なんかひいている場合やない」と思ったんです。家に帰って熱を測ると39℃程あったのですが、バッファリンを飲んで寝たら翌日の朝には平熱に戻って治っていました。咳が出ていても人前で話すなど、緊張すると出ないんですね。昔、アトピーがひどかったのですが、緊張しているとかゆみが無いんです。病気の症状に意識が行くと、症状はひどくなるんです。緊張状態ということは、その症状以外に意識が行っているんですね。(震災の時は究極の緊張状態ですから)意識をフォーカスするとその意識した部分にエネルギーを注いでいるのです。病気にフォーカスするとその病気にエネルギーを注ぐ結果になります。病がひどく、死を宣告された人が、死を前にして今までやりたかった本当にしたいことをして助かる人がいるんです。これも本当にしたいことをやって夢中になっているので病気に意識がフォーカスされないんですね。本当に病は気からなんです。
2004.11.12
ふー。やっと日記追いつきました。叔父を通じて「自分を許し」、叔父の一切謝らない、反省しない、他人の責任にする姿を見て自分の中の一切謝らない、反省しない、他人の責任にする「片方の自分を知って」状況が変わってきたみたいです。叔父と叔母が不祥事を解決しようと動き出したみたいですし、叔母の話によると叔父が毎晩、晩酌する際に2本飲むビールを1本にすると反省の色を見せているらしい。これを機に思いっきって書いちゃいます。私達が生まれてきた目的を・・・。昨日の日記「心配すれば・・・」に書いた続きを。何故、自分の目の前のマイナスを見て受け入れなければ、永遠にマイナスを見続けるのか?私達が目の前に見えるものに感じることは、私達が隠しているものです。言わば自分です。この見て感じたもの(上の例ではマイナス)を自分だと受け入れるとその見ているものは消えます。(マイナスな出来事は消える)目の前の自分が隠しているものを自分と知れば消えるんです。嫌な上司も、一緒にいるのも嫌なパートナーも消えちゃいます。(実際に消えるとは言っていません。良い上司、良いパートナーになります)見える世界が変わってしまうのです。その自分を隠したり逃げたりしたら、「自分を知れ、自分を知れ」と追いかけられます。そうです。全ては自分ですから。人生は自分を知るゲームなのです。じゃあ、私達の生まれてくる目的は・・・そうです。自分を知ることです。よく精神世界で生まれてくるには使命があって・・・なんて話がありますが、その使命を生きている人は数パーセントです。その数パーセントは真の成功者です。ほとんどの人は使命を生きていません。(現在の私を含めて)使命を知るには自分を、エゴの服を脱ぎ去った本当の自分を知らなければいけません。古の時代から聖者、賢者達が「己を知れ」と言っているのも、このことを言っています。自己実現とは己を知ることなのです。
2004.11.11
今朝、注文している品物を引き取りに現場に行って、見てみると頼んでいる白髪葱が無い。どうも誰かに盗られたらしい。(無くなったことを申告したら伝票に記載されていなかったので実害は無かったが)ずっと前にも盗られたことが、あって、それから暫くは、品物の着く前日の間に品物を引き取りに行っていたが、面倒くさくなって盗られたことも忘れていたのだが、昨日、ふっとそのことを思い出し、引き取りに行かなければと思ったが、それだけ引き取りに行くのが面倒で取りに行かなかったのだ。こういう心配事って現実に起こることが多い。一説に拠ると、交通安全のお守りを車につけているほど交通事故を起こす確率が高いらしい。これは心配事では無いけど、昔高校生の頃、サンTV(神戸のローカルTV局)の夕方にやっていたMTVを流していた番組(名前が思い出せない)で映画「フラッシュダンス」の試写会の申込があった。(歳ばれそう)1枚だけハガキを出して当選して会場に行くと2人の同級生に出会った。同級生の1人が「ハガキ何枚出したん?」と聞いてきた。私「えっ、1枚だけやけど」同級生「10人くらいで1人何枚もハガキ出して当たったの私等だけやのに」私はローカルのTV局の主催だから出したら当たるだろうと言う感じで当選のハガキが返信されてきても当たり前の様に思っていた。心配すれば、心配した通りの事柄が起こる。言わば思い通りの人生。余計なことを考えなくていいんです。ネガティブな事を考えるといけないんですよ。ネガティブに考える=自分に対する評価がネガティブだということ。要するに自信が無いんですね。まあ、こういうことからプラス思考って始まったんだろうけど。ここで何回も書いてきたから「しつこい」って思われるかも知れないけど、元がマイナスでそれを打ち消そうとか、隠そうとする考え方がプラス思考なので、自分の内に隠したマイナスは必ず目の前に現れて、そのマイナスを認めない限り、永遠に見ることになるので、その人は益々、プラス思考をする→現実がマイナス→さらにプラス思考と永遠のループから逃げられません。(笑)まあ、文句のある人は「自分自身との戦いに勝つ」や「早起きの効用」に生きた証拠書いています。観て下さい。続きは明日の日記で。
2004.11.10
今日10日(水)にまとめて日記更新しているので、昨日付けの日記もご覧下さいね。「自分を許す」にも書いたのですが叔父のことを許せないのが叔父が自分でトラブルを起こしておいて叔父は一切謝らない、反省しない、他人の責任にすることなのです。その「一切謝らない、反省しない、他人の責任にする」が、自分の隠しているものなのです。が、なかなかそこが腑に落ちないというか、自分とは思えませんでした。昔良くやっていた、逆に考えることをしてみました。叔父の立場に自分がなって想像してみることです。自分の起こしたトラブルが発覚して、果たして自分が悪かったですと謝れるのか?自分が悪かったとは言うが、何か状況や他人の責任にするだろうなと。私は仕事が朝早くて寝過ごすことがあります。目覚まし代わりにしている携帯をチェックして、「ちゃんと鳴ったのかなあ」なんて思ったりするのです。単に遅くまで起きていた自分が悪いのに。自分も他人や状況の責任にしているんです。まさしく叔父に自分の姿を見ていたんです。ようやく腑に落ちました。叔父を見て「なんで謝れへんのや」と思うのは、そのときは自分が「すぐに謝る素直な良い奴」してるだけです。違う時は「謝らない他人や状況に責任をなすりつける」自分がいます。そういう両方の面を持っているのに片方の面でしか生きれないだけです。片方を自分がやっていたら他人が片方をやってくれているのです。そうやって片方の隠している自分を知っていくのです。
2004.11.09
私の日記は、自分を知ることをテーマに日常に感じたことと、現実はこうなっているんだという知識を主に書いています。その知識を実践して実感したことを自分も含めてシェアしています。こんなことをする前は知識と実践して実感して腑に落ちることが違うことさえ意識していませんでした。でも全然違います。本を読んだり、人の話を聞いたりして知識を深めますが、そういう他人の書いた文章、他人の話は、結局のところ、その他人のモノなんです。自分のモノにしようと思えば、実践して実感して腑に落とし入れなければいけません。いくらアメリカについての本を読んでアメリカを知っているといっても、実際にアメリカに暮らしている人とは「知っている」が違いますよね。(とあるMLで「知る」ということを書いて突っ込まれて、このことを返信に書いたのですが)言いたいことはそういう事です。「在るがまま」ってこういう事にも書いているんですが、私は「在るがまま」が腑に落ちるまで2年以上かかっていますから。キリストや仏陀も自分が文章を残していないことも、このことを知っているからでしょうね。実践しないと意味が無いと。
2004.11.08
この日記に書いている叔父とのやり取りについて知人からアドバイスのメールを頂きました。一般の倫理や周りの評価や自分の感情を無視して、「おじちゃ~ん、大好き!」って抱きついたら面白いかも。これを読んで私にはさすがにできないと思いました。(笑)できれば凄いですけど。叔父がどう変わろうと好きという感情は芽生えないような気がします。以前は叔父が警察にでも捕まらない限り、洗いざらい真相の全ては話さないだろうし、それでも自分が悪いなんて言わないだろうと思っていました。が、現在では、全ての事を白状し、関係者に謝罪すれば私は、O.K.だと思ったのです。この思ったことに気付いたのですが、私は自分で自分を許せないのだなと気付きました。叔父に映って感じるものは私なので、私は私を許せないのです。叔父との関係性が改善したお陰か、警察に突き出そうなんて思わなくなったけど、それでも許していない。自分を。警察に突き出そうなんて思わなくなった分、以前よりは自分の中で闘っていないし、自分をいくらかは許せているのだろうけど。自分のこと許します。というか、既に許しているのかも。
2004.11.07
つい、先程、私の日記のタイトルを「Marvinの自分探し日記」から【Marvinの自分を知る日記】に変えました。楽 一心さん、ゴメンなさい。折角コメント頂いている最中にタイトルとホームページの冒頭の紹介文を変更してしまって。でも、私の言いたいことが変わったわけではありません。「自分探し」と言う言葉に違和感を覚えて、「あ、そうだ!」と即実行しただけです。自分探しと書くと、自分が別にいるみたいじゃないですか?自分探しがブームでインドに旅行に行ったり、セミナー通ったり、資格をとろうとしたり、みなさんやっていますが、それは今の自分が嫌で、「私ってこんなんじゃない。違う自分がいるはずだ」と探しに行くわけです。(笑)今の自分が嫌で「逃げる」ために探しに行くわけですが、どんなに逃げても自分は居ます。どこかに行かなくてもずーっと、自分はここにしかいません。そういう意味で前にも冒頭に「どこかに旅しなくても自分は見つかります」って書きました。本当の自分を知ろうということです。1人で居る時に、自分の内面を見たり瞑想したりして、自分を知ろうとしますが、それは、自分の一部だけです。言ってしまうと1/4の自分です。外側に広がる自分があるのを知らないんですね。まあ、知らんわなあ・・・。嫌いな人を見て、うじゃうじゃ言ったりしますが、それも自分の1/4しか見ていません。「あなたのことがわかる」なんて言ってもそれは自分のことです。人間は他人のことがわかっても、自分の事を知れない。その他人のことも自分なんですよ。人間って1/4ずつしか見れないんです。残念なことに。全部見ようとすれば、自分から離れた俯瞰した目で見ないと無理ですよね。こういう見方は言ってしまえば、全ては自分だという見方ができているということですが。自分で投稿したテーマ「本当の自分探し」もこのことを書きたいのですが、60文字が制限なので書きたいこと書けないんですね。本当の自分探し=自分を知ることあ、書けるか・・・(爆)一度投稿したテーマ、変更できないしなあ・・・。なんかまとまりの無い文章で申し訳ない・・・。
2004.11.06
遂に2万アクセスを超えました。遊びに来て頂いた皆様のお陰です。来月で楽天日記1周年を迎えます。良く続いたものです。久しぶりに自分を知る日記です。以前に書いた日記「諦めないと仕方が無い」に、一緒に働いているずっと嫌いだった叔父が、私を見る目が、嫌な目をしていて、その目が自分が叔父を見ている目と気付いてから、余計な話をするのも嫌だったのに、普通に話してるし、私を呼び捨てにしていたのが、何と「ちゃん」付けで読んだり、帰る際にも挨拶しなかったのが、「ご苦労」と声をかけてきたり、変化は目に見えてあるのだが・・・。叔父が隣の店の従業員に迷惑をかけていて、そこの店の社長が、私に言った叔父に対する言葉が、「自分の言葉」だと気づいた時から何回その社長に会っても何も言われなかったのに、「いくら私から見えている全てが幻想だとはいえ、叔父の起こしたトラブルは消えないもんなあ」なんて考えていると、隣の社長が、「○○(叔父のこと)帰ってるかあ?帰ってきたら文句言わなあかんわ」と私に言った。「遂に聞いてもた・・・。聞いていなかったのに」一度認識すると不思議なもので、隣の店の従業員とは、別の叔父に迷惑を受けた人(A君としておく)が、「まだ、解決してないねん。」と聞かされ、全然、別の人に、「自分とこの叔父さんが、A君騙したという話って本当か?」と聞いてくるわ、立て続けにその関連の話ばかり耳に入ってくる。一度認識した幻想が次から次へと他の幻想を産んでいく。ある意味、自分の目の前は全て幻想だと再認識した訳です。叔父の起こしたトラブルもある意味、自分の意識の反映したこと。叔父の姿に感じたものから自分を知らなければいけません。私が頭を突っ込まなくても、私の周りの人も「自分」なんだから決着の方向に行きそうな気がします。私は静観するつもりです。
2004.11.05
フリージア@Hさんの「EQとIQのバランスが大事」を読んでインスパイアされたので書いてみたいと思います。この日記で何回か取り上げた話だけど。別に「金持ち父さん、貧乏父さん」の批判をしているわけではないが、著者ロバート・キヨサキが作ったキャッシュフローゲームに「無駄遣いカード」がある。金持ち父さんの考えが、「無駄なお金を産みださない【負債】を買わずにお金を産みだす【資産】を買え」なので無駄遣いになるんだろうね。では、この「無駄遣い」について考えてみよう。お金が有り余っていて、ベンツ買ったり、ヴィトンのバックを買ったりするのが、無駄遣いになりますよね。でも、この「無駄遣い」が無ければ、私を含めてみんな、ご飯を食べていけないんですよ。お金持ち含めてみんなが、ベンツを買わなければ、ベンツの販売店、メーカーは潰れる。そこの従業員は路頭に迷い、お金は入って来ないのだから、ご飯を食べに行ったり、教育を受けたり、旅行に行ったり出来なくなる。するとその関連の会社の売上に影響する・・・。結局は全ての人の収入に影響があるんですね。回りまわって元のお金持ちの懐具合にも影響する。「無駄遣い」に食べさせてもらっているんです。極端なことを言えば。お金は経済の血液っていいますよね。その通りなんです。循環しているのをどこかで止めると腐ってくるんです。お金って循環させると増えるの知ってます?私は、昔バイトしていたコンビニに野菜や果物卸しているんですけど、その時に体験しました。(って、そんな大袈裟な事ではない)それをはじめる際に2万円の仕入れ代金を用意しました。納品するたびに現金で代金を受け取るのです。元々2万円のお金が、1ヶ月で50万円の売上を作って、8万円程の利益を上げた。現金商売をしている人にとっては、こんなこと当たり前だが、循環する事で25倍以上のお金の流れを作り、4倍になった。私1人だけでなく、色んな所を循環する事によって、どんどん価値を増やす。お金を無くせば良いって言う人多いけど、本当の問題は誰かが止めているから。これが貧富の差を生み、犯罪を起こし、自殺が多発し、政治問題を起こす。日本の1200兆円とも言われる個人資産を消費に使えば、この1200兆円がいくらのお金を生み出すか想像できない。みんな、老後、年金の心配をしているが、心配して貯めている限り増えないよ。還流させて世の中に流せば、自分に想像も出来ないお金が流れてくる。お金の循環を取り戻せば、経済の問題は解決する。【追記】落語に爪に火を灯す生活をする人と、大酒飲みで空いた酒瓶を床下に捨てる人の話があります。何年か過ぎ、両方の人が亡くなった。すると爪に火を灯す生活をして残したお金より、酒の空き瓶を交換したお金の方が多かったという話。今回の日記とシンクロしたお話なので紹介しました。昔の人は知ってるんですよ。
2004.11.04
今日は1日も家を出なかったが、ふとこんなことに気付いた。かのフォードの創設者、ヘンリー・フォードは、ブレインを多く従え、記者からのどんな質問も、ブレインに答えさせた。「私が、一流大学卒でなくても、優秀でなくても、優秀なブレインを雇えば、優秀な答えが出てくる」ロバート・キヨサキの著作「金持ち父さん、貧乏父さん」の金持ち父さんも、「税理士、弁護士、その他、その道に精通するプロを雇いなさい。プロが時間とお金をかけて学んだ知識を買う事ができる。」と言っている。この二人の話を聞いていると、「ふむふむ、その道のプロを雇えばいいんだな」と思うが、果たしてそれだけでいいのか?例えば、会計士と同じ視点、言い換えると同じ場所にいたとする。到底、その会計士に会計の知識は及ばないのだから、もしかしたら騙されていてもわからないし、その会計士を使いこなす事はできない。その会計士を上から見れる地点に移動すればどうだろうか?全体の流れを把握できて、全部を見渡せる場所。そういう場所にいないと、その道のプロは使い切れないのでは、ないのでしょうか?全部を眺める事のできる場所から、この場所に会計士、この場所に弁護士、この場所には投資のプロ・・・と絵を書くことが、できなければ、ヘンリー・フォードはおろか、金持ち父さんの道も途絶えてしまうのでは?自分を含めた全体を眺めること=俯瞰できなければ、リーダーとしての資格は無いのでは?何かのリーダーをするだけでなく、自分の人生をも、俯瞰できなければ、自分をリードしていくことは困難なのではないだろうか?自分を含めて全体を見る事がこれから必要になってくると思う。
2004.11.03
今日、プロ野球の新規参入球団にお世話になっております楽天さんに決定しました。おめでとうございます。というわけで、楽天の三木谷社長に期待する事。TVで楽天に決定の報を伝えている際にオリックスの宮内オーナーの「12球団で経営がアップアップしてるのに球団を増やすなんて」のコメントが。球団を減らしてリストラするのが、プロ野球の繁栄の為か?実際、近鉄のファンが、いくら近鉄の選手が多数いるからって、今まで敵だったオリックスを応援できるのか?私もタイガースがジャイアンツと合併して来年から東京に行きますってなったら、野球見ませんよ。球団を減らす事はファンを減らす事になります。これが、プロ野球を本業とする企業があったら安易に合併の道を歩んだでしょうか?大リーグなどではマリナーズのように投資家が所有している例もあります。投資家は儲かると思う案件にしか手を出しません。即ち、プロ野球はやり方によれば儲かるビジネスなんです。アメリカだから・・・なんて言わないで下さい。アメリカで出来て、日本で出来ないことはないでしょう。日本のプロ野球は親会社の宣伝部、広告宣伝費としての価値しかありません。だから儲からなければ、売却、更に合併です。だから楽天にはプロ野球はビジネスとして成り立つんだと、旧来のオーナー連中の頭をガツンと言わせて欲しいですね。これが本業、野球が好き、愛するという経営者でなおかつ、ビジネスとして成立するということを見せ付けてください。期待して拝見します。(個人的には先に言い出した堀江さんにさせたかったけどなあ。でもビジネスとして成功させるのならどちらでもいいです)
2004.11.02
私は中央市場に働いています。この市場という所は同じ魚、果物、野菜を扱っている店が軒を並べて競い合っています。言わばライバル店が目の前で商売しているわけです。ライバルといっても別にギスギスとした付き合いは無いのですが・・・。まあ、それだけ沢山ある店の中から私ところの店、私から買ってくれるという事は、ある意味すごい事ですよね。他所で買っていた人が私から買ってくれる。私に任せてくれる。以前から嫌味ばかり言われて嫌なお客さんがいました。5年ほど前の私のしたミスからずっと言われていました。会うのも嫌で見かけると避けていたのですが、ずっと日記で書いていることを知ってから、受け入れるというか、嫌味を冗談で受け流すようになって、嫌味もあまり言わなくなって、(逆にこちらの方がいう事もある(笑))普通に私から買ってくれるようになりました。商売=人間関係なんですね。松下幸之助さんの逸話に、こんなのがあります。とある新幹線で幸之助さんと一緒になった方が、持っていたみかんを幸之助さんに「まあ、食べてください」と手渡した。そして幸之助さんが、広島で降りる時に、そのみかんをくれた人の窓の所に立って、見えなくなるまで頭を下げてお礼をした。そのみかんをあげた人は感動して、自分の経営している会社の使っている電化製品を全て松下製に替えたらしいです。いかに人間関係を良くして、自分のファンを増やすかです。そのためには他人を受け入れる人でないといけない。売り込む事が営業では、無いのです。
2004.11.01
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