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その時期は母は2ヶ月間にずっと昏睡状態で居た時の事です。
その事を娘として年をとり弱って居る父に話すのをとても可哀相で出来なかった。
私も主人も悩み苦しみ考えての決断だったのだが
温厚だった父に怒られてあと後まで恨まれる事となった。
今、考えて見れば立場の違い、夫婦の絆の強さが分からなかった
私のせいかも知れないと今日になって思って居ます。
その父も母の後を追う様に3ヶ月後、「大好きだった母の思い」
私はこれで多重介護が終わったと思った。
その時には自分の体がぼろぼろである事に気が付かずに
居たのです。
父の葬儀が終わるとしばらくは主人が側居て下さって
慰めて下さった、まーちゃんがショートステイから
帰って来て私たちだけの生活が始まった。
まーちゃんと主人がデイサービスと仕事に出かけて
行って誰も居なくなった家・・・・・・・。
私の心、体の全部がとてつもなく壊れて行く
「誰も居ない家で一人で居る事へ恐怖」
から来る不安、体調不良など・・・・・。
鬱がどんどん深くなって行く
人恋しさに表へ出れば買い物依存症になった。
主人はこの事が理解できず何度も「病院へ連れて行って
くれ」と言っても「行く必要が無い!」と怒鳴って言った。
「介護うつ」は今では理解して下さる方が多いのですが
その時は「両親が亡くなって寂しいから」と思って居た様だ。
うつ病の私に何度も何度も怒って離婚を口
にして居た、主人も体調が悪かった様だった。
うつの方を怒っては病気を深くして行くのです。
家庭の破壊になる事だって有るのです。
その時は専門家に相談するしか御座いません。
大事な人に理解して頂けない「空しさ、悲しさ、悔しさ
怒る声の怖さ、恐怖」はもう決して味わいたくないです・・・。
そんな私を支えたのは友人たちと発病してから
3年目に出会ったパソコンでした。
それと病気に良いと思われる事は何でも試しました。
サプリメント、整体、アロマ・・・・・。
それらにも主人はお金が絡む事ですから辛口でした。
その結果、両親が逝ってから12年たちますが
病院の先生含めて支えて下さった沢山の友人たち
のお陰で体調も少しは良くなり少々無理しても
耐えられる体力は備えて居る様ですが
前の病気の他に「ぜんそく」が有りますから
無理はしない様にして居る今日この頃です。
下記は12年前、亡くなった両親です。

