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3ヶ月前、ジムをやめるときに約束していた、品川のエアロビクス&ダンスの全国大会を見に行った。全国の予選を勝ち抜いてきた選手やダンサーたちが部門ごとに競うアマチュア大会で、お手本としてデモンストレーションの時間枠があり、そこに8月までジムでお世話になっていたHIPHOPのH先生と、ジャズのI先生の所属しているダンスユニットが出演するのを見るのが目的だった。先生たちはさすがにインストラクターたちでつくっているユニットだけあって、大人数でのスピーディーなHIPHOPは見応えがあり、かっこよかった!パワーをもらえた。リーダーのH先生は華があるし、I先生の躍動感は目だっていた。振り付けの中にはH先生のクラスでやっていたものもあり、とても懐かしく感じた。しかし、プロが踊るとまったく違ったレベルになるせいか、一瞬、自分のやっていた振り付けだとは気づかないほどだった。ほかにもデモでは、昨年の優勝チームや外国から招待された世界レベルのエアロビなどが披露された。その後キッズや高校生などのHIPHOPの競技を見た。みな生き生きと踊っていて、会場からの応援団の声援もにぎやかでホールは熱気にあふれていた。会場の脇や、すぐ外のデッキでは、ダンスの振り付けを確認しあう人、ガラスを鏡がわりにして黙々と踊る人、メイクを直す人、ストレッチする人・・本番前の緊張と至福がそこにはあった。そんな熱を間近に感じると、ジムをやめてから踊れていない自分がもどかしく恥ずかしく、そして羨ましく、複雑な思いだ。H先生もI先生も忙しそうだし、たくさんの方に声をかけられているので、このままそっと帰ってしまおうかとも思ったけれど思い切ってそれぞれにご挨拶した。笑顔で迎えてくれたのはやはり嬉しかった。来年I先生のイベントレッスンがあるらしいので、またお誘いしてくれることになった。ジムはやめたけど、こうして細くつながっている先生たちとの縁。複雑な気持ちにはなったけれど、しかしやはりそんな踊る人の場が好きだし、自分もそこにずっといたいと強く思った。
2007.11.25
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走墨で一緒のクラスのHさんからチケットをいただき、会社帰りに日本橋高島屋へ「20世紀書壇の巨匠 村上三島展」を見に行った。書だけの展覧会は初めてかもしれない。文化勲章まで受賞された村上三島(さんとう)という名前さえ知らなかった。中国風の書はとても力強く、男性的。時にちょっといかめしい。私は少しやわらかさのある作品のほうが好きだった。それから、良寛風というのだろうか、文字をかなり省略して弾むような点で多く書かれているものもよかった。抽象的に見える。空間と点と線。それらが素晴らしく呼応し、驚きと喜ばしさを感じさせる。彼は幼いころにカリエスに冒され、普通に歩くことができなかった。書の道に入り、紙の上で彼の筆は彼の足となり、歩き、走り、飛び跳ねたことだろう。しかし自由奔放に、というよりは中国の多くの書体をマスターし、自在に書体を操ってさまざまな作風の作品をきっちり書き上げる姿勢は、かなり几帳面で学究的に感じられる。20万枚書かなければならない、という村上氏の言葉があった。ある作品などは2ヶ月で3000枚書いて仕上げたという。1日約50枚だ。しかも畳よりも長い、大きな紙だ。私などととても比べることはできないけれど、私も大きく長い紙に漢詩を書く課題が出たときは、1枚書くのに30分はかかっていた。しかも集中するからどっと疲れが出る。それを思い出すと、あの数倍の大きさの紙で1日50枚ずつ2ヶ月書き続けるなんて、想像を絶する。なんというパワーと躍動だろう。ひ弱ではできない。村上氏の、書にまみれ、書に自己を埋没させるようなすさまじさを感じ、言葉が出ない。今回の展覧会のタイトルには"『書くことは生きること』~風格の書を求め続けた生涯~"というサブタイトルがついている。「書くことは生きること」・・・正にそのように生きたのだろう。まじりけのない言葉だけに、すさまじさを垣間見ただけに、この言葉はずっしり重く感じられ、自分に対してこの言葉を投げかけながら、会場を後にした。村上三島記念館というところがあるようだ。四国へ行く機会があったら寄ってみるのもいいなあ。
2007.11.05
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座禅体験のあとは、庭を見て回りました。裏庭は枯山水の様式。枯山水様式ってほんとに日本人の抽象的表現の最たるものですね。こんな表現をこんな古い時代に確立していたなんて、感嘆してしまいます。ぐるっと境内のまわりの廊下を歩いて庭を楽しみます。向こうの太鼓橋を渡ろうとしているのは一村雨さんです(こそっと撮りました、失礼~♪)何気ない庭の木に、いのちの輝きを発見するひととき。恵林寺庭園。夢窓国師によって造られた池泉回遊式庭園。上段に天上をイメージした枯山水、下段には心字池を配し世界を表しているそうです。想像よりこぢんまりとした庭でしたが、それだけにエッセンスが凝縮しているのかもしれません。ちょっとした台があったので、庭を前にして座り、一村雨さんと庭について話しました。が、時間がなくなってしまい、あまりゆっくりできずに残念でした。私は庭には詳しくないので、一村雨さんにいろいろ教えていただいたり、感想をもっと語り合ったりしたかったのに~。広間のほうでは走墨の準備が進んでいました。いよいよ広春先生のデモンストレーションが始まります。呼吸とともに一気に墨をぶつける瞬間です。やり直しは一切きかない、真剣勝負です。「会」という字の旧字を書いたこの作品は、住職さんに気に入られ、このお寺に奉納されました。自転車競技のアスリートの絵、線が生き生きと躍動しています。自由闊達な線が生まれ出る瞬間を見られて、感激です!普段なかなかない機会なので興奮してしまいます。デモンストレーションのあと、生徒や参加者はそれぞれ思い思いの文字を書きました。お手本を参考にしたり、好きな言葉を書いたり。私は「風林火山」を書いてみましたが、あまりうまく行きませんでした。普段は机で書くのですが、この日は畳の上でじゅうぶん場所が取れなかったり、事前に先生から、当日はお手伝いしてねと言われていたりしていろんなことが気になってしまい(その割にほとんどお手伝いできずにいましたが)ちっとも落ち着きがなかったです・・反省。それに比べ、一村雨さんは初参加ながら落ち着いて集中して書いてました。さすが達筆で、やはり文武両道の方なんだな~と感心ひとしきり。多分前世は芸事もたしなむ、武士とか武術の指南者だったのでは、と勝手に想像したり。座禅体験も走墨のイベントも終え、お堂を後にします。お土産を物色したり、最後にお庭を歩いたりして残りわずかな時間を惜しみました。夕方の日差しを浴びる三門。「心頭滅却すれば火もおのずから涼し」という快川(かいせん)和尚の遺げが掛けられています。信長の焼き討ちにあったときの言葉だそう。気丈に決然とした言葉をはなっての壮絶な最期。恵林寺にお別れする時間がきました。短いけれどいろんなことがぎゅっとつまった一日、さまざまな発見もあり、いい時間を過ごせました。同行くださった一村雨さんにはあらためて感謝です♪禅寺での座禅とお庭と走墨、また何か自分の中の世界が深まっていくような、そんな予感のする旅でした。
2007.11.03
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11月3日文化の日は、第2回走墨ツアーでした。前回は新緑の青梅だったけれど、今回は山梨まで足を伸ばしました。ブログで交流させていただいている一村雨さんをお誘いしたところ、快く承諾して下さり、ご一緒できることになり、もう有頂天な私。たまたまだけれど、同じ大学、同じ学部学科の先輩、そしてさらに美術鑑賞でも、人生においても大先輩です♪広春先生、オーナーのYさん、走墨の生徒やその他の参加者、総勢20数名、朝早くから大型バスに乗り込み、いざ山梨へ出発!連休ということもあり、途中、中央道がかなり渋滞していたため、予定されていた山梨県立博物館での広重・北斎展の鑑賞は削られてしまって残念。しかし一村雨さんに昨年の走墨作品展以来久しぶりでお会いし、仕事や美術館の話、北海道旅行の話、一村雨さんのやっている太極拳やお茶のことなどいろいろとお話できて、楽しかったので、渋滞でも飽きることはありませんでした。一村雨さんにはほんとにいつも刺激を受けます。感謝!さて、予定より遅れてようやく山梨の恵林寺に到着しました。精進料理をいただき、講談師の桃川鶴女さんのお座敷芸を楽しんでくつろいだあと、いよいよ恵林寺の境内へ。恵林寺は武田信玄の菩提寺でもある臨済宗の寺です。西芳寺(苔寺)や天龍寺などの名庭を手がけた夢窓国師によって開かれました。庫裏(くり)から入ります。庫裏とは台所であり、住職やその家族の住まいでもあるそうです。入り口にあるついたて。信玄ゆかりの寺らしく、風林火山の書のついたても。畳の広間で住職さんから恵林寺の略歴を聞き、その後、希望者は30分間の座禅体験へ。30分も足を組んでいられるか、すぐ足がしびれてびしばしっと叩かれるんじゃないか、小心者な私は一瞬ひるみそうになったけれど、一村雨さんは悠々と座禅体験会場へと当たり前のように進んでいくので、内心ひえ~っ(>_
2007.11.03
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10月25日、北海道旅行3日目。神威岬のあとは、地元の温泉で、紅葉の山を眺めながら露天風呂を楽しみ、その後木田金次郎美術館へ。積丹半島の西側の根元にある岩内(いわない)の町は、道も広く、低い建物ばかりで、どこか開放的で穏やかで、派手ではないけれど文化的な感じがした。港のすぐそばにある木田金次郎美術館に着いたのは夕方だった。有島武郎の小説「生れ出づる悩み」が10代の頃から好きだったけれど、そこに出てくる、芸術と漁師の生活との間で悩める画家に、実在のモデルがいるとは考えてもみなかった。この小説のモデルとなった画家、木田金次郎とその美術館のことを知ったのは、北海道旅行を決めてガイドブックを読んでからだった。心臓がぎゅっとなって、この美術館に行こう!と決めた。小説の中でしか知りえなかった漁夫である青年画家の荒々しい絵を実際に見ることができるなんて。断ち切られたラストシーンのあと、さらに言えば有島武郎の自殺のあとも青年の画家の人生は続いていて、今このように美術館まであり、その作品に出会う機会が、この小説に接して20年もしてから現実に私の前に立ち現れてくるとは、非常に不思議な気がする。木田金次郎美術館は、こぢんまりとしたきれいな美術館だった。何角形になるだろう?ほぼ円形に近い建物で、中庭を囲んでいる。他にお客さんもいなくてほとんど貸切状態で、1階と2階の展示室をじっくり見て回った。「春の落陽」あたたかい、懐かしい、黄土色の光のうねり。美しく、自分もそこに溶け入ってしまいそうな、荒々しくもやわらかで密度のつまった風景。じっと見つめていると、目の奥までじんわりとあたたまってくるような光の色。「海」先ほど積丹半島の岬で見てきた海の色がそこに息づいていた。輝く波頭。宝石のように貴重な海の色の輝き。日差しの色。黄、オレンジ、碧、水色。「菜の花畑」みずみずしい花の黄、くきや葉の緑。輝く色彩、特に黄色を見ていると、はじらいがちな心やときめき、ささいなものへの愛着、などを感じる。まぶしい気持ちで花を見つめる金次郎の目を感じられる。驚くほど繊細な人なのだろうと思った。「波」命のうねりを感じる。もだえ、つややかに流動する波。白、青緑、大赦色。心の流れ、命の流れ。走る走る、ひきつれ、もんどり打つ波。その波間の群青の影は、竜のひげのようであったり、飛び魚の羽のようであったり、水牛の姿のようにも、魚群のようにも見える。すべてを抱き込み、画面の左へ左へ押し寄せる波のエネルギー。「秋のテレビ塔」札幌の大通り公園の情景だが、まるでパリみたいだ。荒いタッチですばやく描かれているが、生き生きとした喜びにあふれた画面。ハイカラな空気が流れている。みずみずしい青とすみれ色の空。音楽が流れているよう。ごてごてした花、木々、草。わき返るように踊り、息づいている。1Fのカフェでお茶をしながら、参考資料や本をながめる。しんとして、暮れかかる岩内の空が窓から見えている。昔から好きだった小説の主人公のモデルが実在の人物と知り、ようやくここまで来た。東京から千歳空港に降り立ち、車で札幌、小樽、積丹半島を回って、こんなしんとした静かな小さな港町まで。その一端に触れ、作品に感銘を受け、さらにその人の言葉を読む。満ち足りた気持ちになり、心はさらに遠くへ運ばれる。この夏には美術番組の「美の巨人たち」で、木田金次郎とこの美術館のことが紹介され、普段は静かなこの施設に、問い合わせの電話が殺到したという。そして夏の訪問客は増えたということだが、それは2割増とパンフに書かれていた。たった2割増と知って、なんとも言えず、遠くまで来たなあと実感した。テレビ番組で放映されて問い合わせが殺到したなら、ある程度の街だったらもっともっと人は押し寄せるだろうに・・そんな北のはずれで、木田金次郎は生涯を貫いたということも感慨深い。生活と、芸術と。有島の自殺後、悩みぬいた末に、漁業を捨て、画業に専念した。有島の助言どおりに、都会へ出ることなく岩内の自然に向かい続けた。60歳過ぎてからほとんどの作品を大火事で焼失してしまい、「これまでの画業は手習いだった、これからが本当の仕事だ」と一から出発するその精神力。死ぬ直前まで自分の絵を探求しつづけた。風景の具象的表現から、抽象表現へと昇華していくことを目指していた点も共感できる。今の私にも声のない励ましと叱咤とを投げかけてくる。私はそれに打たれるために北海道まで来たのかもしれない。彼の存在、彼の作品に、私は自分自身を問われる。北海道旅行のおまけショット・・北海道の紅葉は本当にきれいでした。3泊4日の北海道旅行は、長く短く、本当に不思議な充実した時間でした。
2007.11.01
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