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岡本かの子(おかもと・かのこ)かの子かの子●●●●●●●はや泣きやめて淋しげに添ひ臥す雛に子守歌せよ歌集『愛のなやみ』(大正8年・1919)* 「かの子かの子」の傍点は、実際には読点「、」ですが、画面上に表示できませんので、ご了承下さい。
2014.03.02
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)春の雪銀座の裏の三階の煉瓦造れんぐわづくりにやはらかに降る第一歌集『一握の砂』(明治43年・1910) * 改行は原文のまま。 パブリック・ドメイン江戸東京博物館蔵 銀座煉瓦街模型
2014.02.04
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穂積忠(ほづみ・きよし)鬼遣やらふ木魂返しの大らかに節せちの夜深く谷くもりたり第一歌集『雪祭』(昭和14年・1939)註木魂(こだま、木霊、木魅)返し:いわゆる「こだま」、やまびこ。ギリシャ神話では「エーコー(英語エコー)」。 吉田神社追儺 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.02.03
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木下利玄(きのした・りげん)鎌倉の山あひ日だまり冬ぬくみ摘むにゆたけき七草なづな歌集『みかんの木』(大正14年・1925)鎌倉の山峡の日だまりは(北風が弱く)冬でも温ぬくいので摘めば豊かな七草なずな。註冬ぬくみ:冬をぬくみ。上古語の「ヲミ語法」。冬(も)温いので。
2014.01.07
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)七草のなづなすずしろたたく音高く起れり七草けふは歌集『黒松』(昭和13年・1938)俎まないたに春の七草のナズナや大根を載せて囃はやしながら包丁でとんとんと刻む音が高く起こった。はや七草の日なんだなあ、今日は。註七草をたたく:七種ななくさの節句の前夜または当日の朝、春の七草を俎に載せ、「七草薺なづな唐土とうどの鳥が日本の土地に渡らぬ先にトントンバタリトンバタリ」などと唱えながら打ち囃して叩くことを「七草を囃す/七草囃し」という。「七草を打つ、薺打つ」は俳句で新年の季語。当日の朝、この叩いた菜を入れて粥を炊き、七種の粥として食べる、わが国古来の良俗。
2014.01.07
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正岡子規(まさおか・しき)あらたまの年のはじめの七草を 籠こに植ゑて来し病めるわがため歌集『竹の里歌』(明治37年・1904)新たな年の初めの七草を笊ざるに植えるように並べて持って来てくれた。病に臥した私のために、恢復を祈って。註あらたま:粗玉、荒玉、璞、新玉。土から掘り出したままで磨かれていない珠玉、原石。「あらたまの」は、音と意味から「年、月、日、春」などに掛かる枕詞(まくらことば)。
2014.01.07
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)春ここに生あるる朝の日をうけて山河草木さんかさうもくみな光あり歌集「山と水と」(昭和27年・1952)註「生(あ)るる」の読みは、作者の孫である歌人の佐佐木幸綱氏が確認している。上古語動詞「生(あ)る」の連体形。「生(あ)る」は「生まれる」の意味だが、「生まれる」が「生む」の受身形であるのと違い、能動的・自発的であり、また神秘的・超越的な存在が出来(しゅったい)するニュアンスがある。現代でも短歌表現ではしばしば使われる。語源的には「あり(在、有)」と関係があるかも知れない。したがって、韻律上「朝」は「あした」と読むと思われる。
2014.01.03
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)つきつめておもへば歌はさびしかり鴨山かもやまにふるつゆじものごと歌集『つきかげ』(昭和29年・1954)註鴨山:岩見国(いわみのくに、現・島根県西部地域)にある、歌聖・柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)終焉の地。* この歌の作歌年代は現代(戦後)ですが、検索の便宜上、斎藤茂吉作品はすべて「近代短歌」カテゴリーに入れることといたします。
2013.11.12
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)白玉しらたまの歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ歌集『路上』(明治44年・1911)註酒をこよなく愛した名匠の酒の秀歌。係り結びでないにもかかわらず、文末「けり」が連用形に活用している初出の形。のちに作者自ら、文法的に正しく(無難に)「飲むベかりけり」と改作したが、上掲の方に独特の情感と味わいがあると見るのは私だけではないだろう。多少の文法的破格は、詩的許容(ポエティック・ライセンス)の範囲内と思う。
2013.11.12
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)ウヰスキイに煮湯にえゆそそげば匂ひ立つ白しらけて寒き朝の灯ほかげに歌集『黒松』(昭和13年・1938)* 原文にルビは振ってありません。
2013.11.12
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)吾木香(われもかう)すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ歌集『別離』(明治43年・1910)吾木香、芒、刈萱秋草の寂しい極みを君に贈ろう。註吾木香(われもかう):ワレモコウ。かるかや(刈萱):カルカヤ。
2013.11.12
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひとひらの雲歌集『新月』(大正元年・1912)註今では誰もが、映画技法(カメラワーク)の用語を用いて「ズーム・アップとパン・アップの歌」というようになった近代の名歌。100年以上前にこのダイナミック(動態的)な視点を発見していた佐佐木翁の偉大さ。格助詞「の」を6つも畳み掛けて対象をぐんぐん絞り込んでゆく話法も、今の目で見てさえ斬新に感じる。「短歌人」11月号掲載の拙作「透きとおるみどりの瓜の粕漬の光食みたり夏の昼餉に」での「の」の多用も、この歌が頭の片隅にあった。なお、万葉集に詳しい短歌ブロガー仲間の けん家持さん からコメント欄に、この歌は志貴皇子の「石走る垂水の上の早蕨の萌えいづる春になりにけるかも」(万葉集 1418)の本歌取りではないかとのご指摘があった。なるほど、言われてみれば肯けるふしが多々ある。こちらは「ズーム・ダウン」の視野で、「(来る)春」と「行く秋」もちょうど逆になっているが、それが好対照とも見え、「の」を畳み掛ける言い回しの共通項も含めて、ご指摘の通りである可能性は小さくないと思う。けん家持さん、ありがとうございました。和歌・短歌が他の詩形と違うところは、歴史の長さ以外にもいろいろあろうが、一つにはこうした言葉遊び・パズル的な面白さと表現が緊密に一体化していることもあると思う。
2013.11.11
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)吾が心よ夕さりくれば蝋燭に火の點つくごとしひもじかりけり第一歌集『桐の花』(大正2年・1913)註さりくる:おとづれる。やってくる。蝋:原文は「蠟」(正字体)。點:「点」の旧字体(正字体)。ひもじ:ここでは「(心が)飢え渇いている、(何かを)渇望している」の意味。「ひもじ」は、もと「ひだるし」(空腹)を「ひ文字」と忌みつつ洒落て言った女房言葉。「目通り」を「おめもじ」というのも同じ類い。
2013.10.01
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木下利玄(きのした・りげん)遠足の小学生徒有頂天うちやうてんに大手ふりふり往来とほる子供等らは列をはみ出しわき見をしさざめきやめずひきゐられて行く歌集「紅玉こうぎよく」(大正8年・1919)
2013.09.29
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)秋の日の白光びやくくわうにしも我が澄みて思おもひふかきは為すなきごとし歌集『牡丹の木』(昭和18年・1943)秋の日のおだやかな白光びゃっこうに私の心は澄みきって深く満ち足りた思いはもはやこの上何もなすべきことはないかのようだ。
2013.09.28
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長塚節(ながつか・たかし)馬追虫うまおひの髭ひげのそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし明治40年(1907)作長塚節歌集(昭和8年・1933)ウマオイの長い髭が風にそよぐようにそよろそよろと来る秋は瞳を閉じて想い見るのがいい。註ウマオイ:直翅目(バッタの類)キリギリス科の昆虫。俗称スイッチョ。長い触角を持つ。
2013.09.28
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与謝野晶子(よさの・あきこ)やは肌のあつき血汐ちしほに触れも見で さびしからずや道を説く君第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)このやわ肌の熱い血潮に触れてもみないで寂しくないのですか。滔々と道学を語っている あなた。燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの俵万智『みだれ髪 チョコレート語訳』(平成10年・1998)註君:のちに夫となる与謝野寛(鉄幹)。結社「明星」を主宰する歌人であると同時に、(今でいう保守派知識人論客のような)憂国の士でもあった。* 8月30日からオンエアされているトヨタの新型ハイブリッド車「SAI(サイ)」のCMで、真木よう子がこの歌を「朗詠」しているが、これが実によくはまっていてカッコいい。口説きなサイ、ってこと。○ トヨタ・ハイブリッドSAI CM(真木よう子)・・・いじわる。
2013.08.31
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岡麓(おか・ふもと)かたかげになれりと立ちて帰りゆく人おくり出しあと見おくりぬ宿墨詠草(昭和32年・1957)註かたかげ(片陰):何かのちょっとした陰。部分的な陰。この歌では、昼の日差しが傾いて、辺りにそういう陰が差す頃(夕刻)のニュアンス。
2013.08.25
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)春の雪銀座の裏の三階の煉瓦造れんぐわづくりにやはらかに降る第一歌集「一握の砂」(明治43年・1910) * 改行は原文のまま。 パブリック・ドメイン江戸東京博物館蔵 銀座煉瓦街模型
2013.04.21
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)ふるさとの訛なまりなつかし停車場ていしゃばの人ごみの中にそを聴きにゆく第一歌集「一握の砂」(明治43年・1910)註改行・ルビは原文のまま。停車場ていしゃば:上野停車場ていしゃじょう(現・JR上野駅)。ちなみに当時、山手線の環状線化はまだ完成していなかった。上野-新橋(汐留)間が全通したのは大正14年(1925)。明治37年(1904)時点の東京の鉄道網新編 啄木歌集【送料無料】価格:903円(税込) パブリック・ドメインTokyo_rail_network_1904_ja.
2013.04.21
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正岡子規(まさおか・しき)桜さく上野の岡ゆ見おろせば根岸の里に柳垂れたり雨にして上野の山をわがこせば幌ほろのすき間よ花の散る見ゆ大川の川の堤つつみにさく花の薄花雲はたなびきにけり桜さく隅田の堤人をしげみ白鬚しらひげまでは行かで帰りぬ明治34年(1901)註上野の岡:東京・上野公園。(上野の岡)ゆ:~より。~から。根岸の里:自宅(現・子規庵)付近。幌ほろ:人力車であろう。(すき間)よ:「ゆ」に同じ。~より。~から。大川:隅田川の通称。人をしげみ:上古語の「ヲミ語法」。人が多いので。(病気の作者にとって)殷賑に過ぎるので、雑踏を避けて。白鬚しらひげ:隅田川東岸の現・東京都墨田区東向島付近の地名。地名の元となった白鬚神社がある。付近には、隅田川に架かる白鬚橋や向島百花園などがある。この歌では白鬚橋を指すか。
2013.04.01
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与謝野晶子(よさの・あきこ)清水きよみづへ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき歌集「みだれ髪」(明治34年・1901)註与謝野鉄幹(寛)との熱烈な恋愛のさなかに詠まれた作者の代表作の一つ。この至福感たるや他に類を見ない。三句目は、のちに作者自身が「花月夜」と改稿した(現在の岩波文庫版「与謝野晶子歌集」もそうなっている)が、引用した初版本の「桜月夜」の方が、字余りであっても私個人は好みである。なお、この改稿の経緯などについては、この歌を以前にご紹介した際に、何人かの方々から懇切なご教示をいただいたので、当該記事にリンクしておく。→ こちら
2013.04.01
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岡本かの子桜ばないのち一ぱいに咲くからに 生命いのちをかけてわが眺めたり歌集「浴身」(大正14年・1925)
2013.03.31
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)夕庭は一樹ひときの梅の寂しづかなる光のもとにわが一人ある『佐佐木信綱歌集』
2013.03.17
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)梅はたゞ一ひともとがよしとりわけてたゞ一輪の白きがよろし歌集『独り歌へる』(明治43年・1910)梅はただ一本咲いているのがいい。とりわけてただ一輪の白梅がいい。
2013.03.17
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岡本かの子(おかもと・かのこ)かの子かの子●●●●●●はや泣きやめて淋しげに添ひ臥す雛に子守歌せよ歌集「愛のなやみ」(大正8年・1919)* 「かの子かの子」の傍点は、実際には読点「、」ですが、画面上に表示できませんので、ご了承下さい。
2013.03.01
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)やまぶきの花にふる雨細くしてこれの世を楽しとおもふ一とき歌集『瀬の音』(昭和15年・1940)
2012.04.27
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正岡子規(まさおか・しき)桜さく上野の岡ゆ見おろせば根岸の里に柳垂れたり雨にして上野の山をわがこせば幌ほろのすき間よ花の散る見ゆ大川の川の堤つつみにさく花の薄花雲はたなびきにけり桜さく隅田の堤人をしげみ白鬚しらひげまでは行かで帰りぬ明治34年(1901)註上野の岡:東京・上野公園。根岸の里:自宅(現・子規庵)付近。幌ほろ:人力車であろうか。(すき間)よ:・・・ゆ。・・・より。・・・から。大川:隅田川の異名。人をしげみ:古語の「ヲミ語法」。(病気の作者にとって)殷賑に過ぎるので、雑踏を避けて。
2012.04.16
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岡本かの子桜ばないのち一ぱいに咲くからに 生命いのちをかけてわが眺めたり歌集「浴身」(大正14年・1925)註長男の太郎の芸術にも受け継がれた灼熱の情熱が漲(みなぎ)る名歌であると同時に、首都圏を中心に10万人以上の犠牲者と甚大な被害が出た関東大震災の直後という時系列の中に置いてみると、また異なる切迫したニュアンスが感じられる一首。
2012.04.13
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島木赤彦(しまき・あかひこ)高槻たかつきのこずゑにありて 頬白ほほじろのさへづる春となりにけるかも歌集「大虚集」(大正13年・1924)註高槻たかつき:高い槻の木。槻は欅(けやき)の古称。
2012.03.20
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会津八一(あいづ・やいち)もりかげのふぢのふるねによるしかの ねむりしづけきはるのゆきかな歌集「鹿鳴集」(昭和15年・1940)森蔭の藤の古根に寄る鹿の眠りも閑けき春の雪の夜だなあ。自註鹿鳴集【送料無料】 価格:693円(税込)
2012.03.16
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服部躬治(はっとり・もとはる)あたたかき君が玉手に掬むすばれて あとなくとくる春のあわ雪歌集「迦具土かぐつち」(明治34年・1901)あたたかい君の玉のような手のひらに掬すくわれて跡形もなく解け去る春の泡雪。
2012.03.10
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)しみじみとけふ降る雨は きさらぎの春のはじめの雨にあらずや歌集「くろ土」(大正10年・1921)註きさらぎ(如月):陰暦二月の称。新暦のほぼ3月に当たる。語源は、「生き更(さら)ぎ」(草木の生命が更新すること、広辞苑)説が有力か。三月の「弥生(いやおひ → やよい)」とも符合する。よく言われる語源説の「着・更・着」は、民間語源的であると思われ、信じがたい。
2012.03.10
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窪田空穂(くぼた・うつぼ)我が開く掌たなごころにしさし来たる天あめの光は愛かなしきろかも歌集「泉のほとり」(大正6年・1917)註(掌たなごころに)し:上に付く語を強調・指示する副助詞。種々の語に接続する。訳語は特定出来ない。(愛かなしき)ろかも:深い詠嘆を表す上古語の語尾。古事記歌謡と万葉集に用例がある( → 次のエントリー参照)。以上の二首は、近代短歌史に銘記さるべき秀歌と思うが、一定の権威を持っていると見られる岩波文庫版「窪田空穂歌集」(選集)に収録されていない。非常に不満であり、編者の見識を疑う。歌は歌詠み(例えば、歌人であり見巧者でもある高野公彦氏など)に任せた方がいいのではないか。
2012.03.05
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窪田空穂(くぼた・うつぼ)冬空の澄み極まりし青きより現はれいでて雪の散り来る歌集「泉のほとり」(大正6年・1917)
2012.03.05
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木俣修(きまた・おさむ)うち晴るる雪の野に舞ふ白鷺の羽のひかりは天あめにまぎれぬ第一歌集「高志」(昭和18年・1943)
2012.03.05
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)君かへす朝の舗石しきいしさくさくと雪よ林檎の香かのごとく降れ歌集「桐の花」(大正2年・1913)
2012.02.25
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)女犯戒にょぼんかい犯し果てけりこまごまとこの暁あけちかく雪つもる音歌集「雲母集」(大正4年・1915)
2012.02.25
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)かるたとりうめばすなはちとりいでゝ 吹くはもにかも春の夜の曲自筆詠草カルタ取りに倦(う)んだらすぐに取り出して吹くハーモニカも春の夜の曲。□ 若山牧水の未発表短歌見つかる、かるた遊びの子供詠む【読売新聞 22日付朝刊】 宮崎県日向市の若山牧水記念文学館は21日、同市出身の歌人、若山牧水(1885~1928年)の未発表の短歌1首が見つかったと発表した。牧水は旅と酒を愛した歌人として知られるが、見つかったのは牧水の子どもたちが自宅でかるた遊びをする様子を詠んだ歌。伊藤一彦・同館館長は「牧水の家庭人としての一面をうかがわせる作品。東日本大震災で絆の大切さが見直される中、このような歌が見つかったことは感慨深い」と話している。 掛け軸(全長1メートル95、全幅45センチ)に牧水の直筆で、「かるたとりうめばすなはちとりいでゝ吹くはもにかも春の夜の曲」と書かれている。 同館によると、古物の収集家から昨年12月、寄託の申し出があった。鑑定したところ、筆跡や歌の内容などから牧水が静岡県沼津市で過ごした晩年の作であることが分かった。4月14日から同館で展示する。□ 若山牧水の未発表歌発見 家族の情景歌い掛け軸に【時事通信 22日】 明治から昭和にかけて活躍した歌人・若山牧水(1885~1928)の未発表短歌1首が見つかった。 収集家から宮崎県日向市に寄託された掛け軸に書かれており、牧水の孫で沼津市若山牧水記念館(静岡県)館長の榎本篁子氏が真筆と確認、21日記者会見した。 歌は「かるたとりうめばすなはちとりいでゝ吹くはもにかも春の夜の曲」。書かれた時期などは不明だが、子どもたちのかるた取りやハーモニカ演奏といった、牧水晩年の家族の情景を描いたものだという。 若山牧水記念文学館(宮崎県日向市)の伊藤一彦館長は「旅と酒の歌人というイメージが強い牧水の、家族を愛する家庭人としての側面に光を当てる歌」と評価した。 掛け軸は4月14日~5月13日まで同文学館で一般公開される。
2012.02.22
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生方たつゑ(うぶかた・たつえ)この国のはたてに散りて没る冬日流人るにんのごとくあふぐ日もあり歌集「雪明」(昭和19年・1944)註にわかに感情移入しがたい歌のようだが、この作者の基調とも思われる、ある種の疎外された局外者(アウトサイダー、よそ者)意識がやや劇的に表現されている。はたて:果て。際涯、涯境。没る:「いる」と読むのだろう。あふぐ:仰ぐ。
2012.02.22
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)春ここに生あるる朝の日をうけて 山河草木さんかさうもくみな光あり歌集「山と水と」(昭和27年・1952)註「生(あ)るる」の読みは、作者の孫である歌人の佐佐木幸綱氏が確認している。上古語動詞「生(あ)る」の連体形。「生(あ)る」は、「生まれる」の意味だが、「生まれる」が「生む」の受身形であるのと違い、能動的・自発的であり、また神秘的・超越的な存在が出来(しゅったい)するニュアンスがある。現代でも、短歌表現ではしばしば使われる。語源的には「あり(在、有)」と関係があるかも知れない。したがって、韻律上「朝」は「あした」と読むと思われる。
2012.01.03
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)最上川逆白波さかしらなみのたつまでに ふぶくゆふべとなりにけるかも歌集「白き山」(昭和24年・1949)註巨匠晩年の代表作。「逆白波さかしらなみ」は造語という。
2011.12.16
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)最上川もがみがはにごりみなぎるいきほひを まぼろしに見て冬ごもりけり歌集「白き山」(昭和24年・1949)故郷山形を流れる最上川の濁り漲る勢いを幻に見ながら私はぽつねんと冬籠りに入ったのだなあ。
2011.12.16
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伊藤左千夫(いとう・さちお)松の上にいささ雪つみ松が根の土はかぐろし今朝のはつ雪左千夫歌集松の上にわずかに雪が積もり松の根方の土は黒いけさ降った初雪。註いささ:「いささか」「少し」の意の接頭語。名詞「雪」を修飾している。かぐろし:黒い。「か」は接頭語。
2011.12.09
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)ゆふされば大根の葉にふる時雨しぐれいたく寂しく降りにけるかも歌集「あらたま」(大正10年・1912)註ゆふされば:夕方になって。夕刻が来て。時雨しぐれ:晩秋から初冬にかけて、ひとしきりぱらぱらと降る雨。
2011.12.03
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)ゆく秋のわが身せつなく儚くて樹に登りゆさゆさ紅葉こうえふ散らす歌集「大和」(昭和15年・1940)
2011.12.03
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)あかあかと紅葉もみぢを焚たきぬ いにしへは三千の威儀おこなはれけむ歌集「天平雲」(昭和17年・1942) 註赫々としたもみじ葉の焚き火を見ながら、作者は何らかの古代の儀式を思い浮かべているのだろう。
2011.12.03
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)ウヰスキイに煮湯にえゆそそげば匂ひ立つ 白しらけて寒き朝の灯ほかげに歌集「黒松」(昭和13年・1938)* 原文にルビは振ってありません。
2011.12.02
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひとひらの雲歌集「新月」(大正元年・1912)註今では誰もが、映画技法(カメラワーク)の用語を用いて「ズーム・アップ、パン・アップの歌」というようになった名歌。すでに100年前に、この動的(ダイナミック)な視点を発見していた佐佐木翁は、偉すぎ~っ!
2011.11.29
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)白玉しらたまの歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけれ歌集「路上」(明治44年・1911)註係り結びではないにも拘わらず、文末「けり」が連用形に活用している初出の形。のちに作者自ら、文法的に正しく(無難に?)「飲むベかりけり」と改作したが、こちらの方に独特の味わいがあると見るのは私だけではないだろう。多少の文法的破格は、詩的許容(ポエティック・ライセンス)の範囲内。
2011.11.29
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