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釈迢空(しゃく・ちょうくう / 折口信夫、おりぐち・しのぶ)山の際まの空ひた曇るさびしさよ。四方よもの木こむらは音たえにけり 歌集「海やまのあひだ」(大正14年・1925)
2009.05.29
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坪野哲久(つぼの・てっきゅう)憂うれふれば春の夜ぐもの流らふるたどたどとしてわれきらめかず歌集「桜」(昭和15年・1940)憂いの中にあって月の光に照らし出された春の夜の雲の流れているのを見てもいかにも間抜けで鈍重で私もまた限りなく燻んでゆく。註普通の感覚では、ほのぼのとしたのどかさの象徴である駘蕩たる春の夜の雲のゆったりとした動きを、たどたどしくて憂鬱を倍加させ苛立つようなものとして捉えている。さすがというべきオリジナルな感性だと思う。凛冽尖鋭、秋霜烈日な厳しい歌風で鳴った大歌人の面目躍如たる一首。
2009.05.26
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島木赤彦(しまき・あかひこ)高槻たかつきのこずゑにありて頬白ほほじろのさへずる春となりにけるかも歌集「太虚集 *」(大正13年・1924)高い槻の木の梢にとまってホオジロが朗らかに囀る春になったんだなあ。註タイトルの「虚」の字は、虎構えに丘(「虚」の異体字)。
2009.05.16
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)やはらかに柳あをめる北上きたかみの岸辺目に見ゆ泣けとごとくに第一歌集『一握の砂』(明治43年・1910)柔らかに柳の葉が青く色づいた故郷渋民村の北上川の河畔がふと目に見えた。私に泣けと言うかのごとくに。註現・岩手県盛岡市玉山区渋民。* 改行は原文のまま。
2009.05.11
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木下利玄(きのした・りげん)牡丹花ぼたんくわは咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ歌集「一路」(大正13年・1924)
2009.05.11
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木下利玄(きのした・りげん)庭の面ものむらさきつつじ晩春おそはるの夕冷え時を艶やかに冴ゆ歌集「一路」(大正13年・1924)註艶やか:「あでやか」と「つややか」の読み方がある。この場合はたぶん「あでやか」かと思うが、「つややか」でもおかしくはなく、断定できない。いずれにしても、エロスを湛えた濃美なさま。なまめかしいさま。
2009.05.11
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木下利玄(きのした・りげん)岨そばみちの蕨わらび折りためゆきしかば手つめたしも山のさ霧に歌集「一路」(大正13年・1924)切り立った崖の険しい道の蕨を折り取って溜めながら歩いて行くと手が冷たいなあ、山の霧に包まれて。
2009.05.11
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)朝山のみどりが下の道ゆけば露ふりこぼす百鳥ももどりのこゑ歌集「山桜の歌」(大正12年・1923)朝の山の鬱蒼たる緑の中の道を行けば梢の露を振り零すほどのたくさんの春鳥の声。
2009.05.11
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)蹌踉さうらうと街をあゆめば大ぞらの闇のそこひに春の月出いづ歌集「路上」(明治44年・1911)酔ってふらふらと街を歩めば大空の漆黒の闇の彼方に深々と春の月が出ていた。
2009.05.11
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近所の公園で、昨夜写す。岡本かの子桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命いのちをかけてわが眺めたり狂人のわれが見にける十年まへの真赤きさくら真黒きさくらおのづからなる生命のいろに花さけりわが咲く色をわれは知らぬに美しき亡命客のさみえるに薄茶たてつつ外とは春の雨あはれあはれ寒けき世かな寒き世になど生みけむと吾子見つつおもふ *歌集「浴身」(大正14年・1925)*吾子(あこ):長男、画家・岡本太郎。
2009.04.11
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)春の雪銀座の裏の三階の煉瓦造れんぐわづくりにやはらかに降る第一歌集「一握の砂」(明治43年・1910)
2009.03.17
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)うつつにしもののおもひを遂ぐるごと春の彼岸に降れる白雪歌集「暁紅」(昭和15年・1940)この現実の中に、ものの思いを遂げるかのように、春の彼岸に降っている白々とした雪。註近代短歌最大の巨人であるとともに、精神科医・知識人でもあった茂吉の内省的な持ち味がよく出ている。茂吉が、正岡子規・伊藤左千夫らから継承、依拠した根岸アララギ主流派の「写生説(写実主義・リアリズム)」だったはずだが、多くの実作品は、この枠組からはみ出すことを図らずもしばしば裏切り示し betray 続けたといえよう。その作品が、写実を突き抜けたある種の境地にあるということは、同時代から現代までの多数の評者が認めているところである。この茂吉全盛期の作品では、自然観照および対象への自我の没入(場合によっては「憑依」といってもいいか)が絶妙の平衡を成している。とても単なる写実とは思えない。(うつつに)し:この「し」に特定の意味はなく、語調を整える強調の助辞。ものの:「もののあわれ」や「もののけ」に見られるように、名状しがたい、いわく言いがたいが確かに存在する何者か。そのようなもの(くまんパパ解釈)。【参考】穂村弘の斎藤茂吉論、およびそれと対比された最近の現代短歌の傾向論抜粋(「短歌の友人」より)私見では、斎藤茂吉の作品を頂点とする、このような近代短歌的なモードをささえてきたものは「生の一回性」の原理だと思う。誰もが他人とは交換できない〈私〉の生を、ただ一回きりのものとして引き受けてそれを全うする。一人称の詩型である短歌の言葉がその原理に殉じるとき、五七五七七の定型は生の実感を盛り込むための器として機能することになる。すべてがモードの問題に還元されるような感覚を突き詰めるとき、その根本にあるものは死の実感の喪失である。モードの多様化は、自分自身が死すべき存在だという意識の希薄化と表裏一体になっている。私自身を省みても、モードの多様性を受容するスタンスの背後にあるものは、自分は永遠に死なずにいつまでもここで遊んでいられるような感覚だと思う。
2009.03.17
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落合直文(おちあい・なおぶみ)簪かざしもてふかさはかりし少女子をとめごのたもとにつきぬ春のあは雪「萩之家歌集」(明治39年・1906)かんざしで積もった雪の深さを測っていた少女の着物の袂に付いた春の淡雪。
2009.03.15
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服部躬治(はっとり・もとはる)あたたかき君が玉手に掬むすばれてあとなくとくる春のあわ雪歌集「迦具土」(明治34年・1901)あたたかい君の玉のような手に掬(すく)われて跡形もなく解ける春の泡雪。
2009.03.13
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)梅はたゞ一ひともとがよしとりわけてたゞ一輪の白きがよろし歌集「独り歌へる」(明治43年・1910)梅は、ただ一株咲いているのがいい。とりわけて、ただ一輪の白梅がいい。
2009.03.13
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会津八一(あいづ・やいち)もちかげのふじのふるねによるしかの ねむりしづけきはるのゆきかな歌集「鹿鳴集」(昭和15年・1940)望月の光に照らされた富士の古嶺に寄る鹿の眠りも静謐に、しんしんと降る春の雪だなあ。註もちかげ:望影。満月の光。「鹿の眠り静けき」と「静けき春の雪」が掛かって、つながっている。古今和歌集風の伝統的技法。
2009.03.13
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若山牧水(わかやま・ぼくすい) 第一歌集「海の声」より安房あはにて忍びかに白鳥しらとり啼なけりあまりにも凪なぎはてし海を怨ずるがごとああ接吻くちづけ海そのままに日は行かず鳥翔まひながら死うせ果てよいま接吻くちづくるわれらがまへにあをあをと海ながれたり神よいづこに山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君ともすれば君口無しになりたまふ海な眺めそ海にとられむ君かりにかのわだつみに思はれて言ひよられなばいかにしたまふ夕やみの磯に火を焚たく海にまよふかなしみどもよいざよりて来よ春のそら白鳥まへり觜はし紅しついばみてみよ海のみどりをくちづけは永かりしかなあめつちにかへり来てまた黒髪を見る第一歌集「海の声」(明治41年・1908)註この歌に読まれているのは、当時、牧水と熱烈な恋愛関係にあった園田小枝子という女性。
2009.01.17
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)白鳥しらとりはかなしからずや空の青海のあをにも染そまずただよふ第一歌集「海の声」(明治41年・1908)註僕は若山牧水が大好きである。第一歌集「海の声」などを読んでいると、清冽な抒情とロマンティシズムの塊が連なっており、どれを取ってみても名歌だと思う。いったいどこから、これほどの珠玉の言葉が続々と湧き出して来るのかと、いささかいぶかしむほどである。アルコールが大好きで、日ごと日本酒の文字通り一升酒やらウィスキーのお湯割りなどを飲みながら、次々と名歌を繰り出したと伝えられる言うまでもなく、稀に見る天才である。上古語から現代語までを自在に往還しつつ、明治・大正当時としては、最尖端・最前衛といってもいいような言葉の実験も試みている。わたくしごとだが、僕の祖父母は戦前、根岸アララギ派系の下手な写実短歌を詠んだりしながら、地元歌壇(下野歌壇)の事務局的立場でもあり、牧水とも交流があったらしい。・・・羨ましいと同時に、ちょっと誇らしい。
2009.01.17
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明治天皇睦仁陛下 御製(おおみうた、ぎょせい)あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな明治37年(1904)初冬新緑のように生き生きとした青色が澄みわたった大空の広大無辺を自分の心と出来たらなあ。註欧米以外で初めてこの国に偉大な近代化を齎した英邁なる君主にふさわしい、まことにおおどかで気宇壮大な名歌。「明治天皇御集」明治37年の御製の前後の配列から見ると、初冬(年の瀬)の作品と見られる。もがな:詠嘆を込めた強い願望を示す終助詞。「・・・であったらなあ」「・・・と出来たらなあ」。願望を表わす上古語終助詞「もが」に、詠嘆の終助詞「な」が付いたもの。上代では「もがも」の形で、万葉集などに頻出する。この語尾の「も」も詠嘆。
2009.01.17
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木下利玄(きのした・りげん)街をゆき子供の傍そばを通るとき蜜柑みかんの香かせり冬がまた来る歌集「紅玉」(大正8年・1919)
2009.01.16
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)いつしかに正月しやうぐわつも過ぎて、わが生活くらしがまたもとの道みちにはまり来きたれり。歌集「悲しき玩具」(明治45年・1912)註啄木の歌には、くどいくらいに、全ての漢字にルビ(振り仮名)が振ってある。また、改行・句読点も原文のまま。
2009.01.09
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正岡子規(まさおか・しき)あらたまの年のはじめの七草を籠に植ゑて来し病めるわがため歌集「竹の里歌」(明治37年・1904、子規没後刊行)
2009.01.07
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)呼吸いきすれば、胸の中うちにて鳴る音あり。凩こがらしよりもさびしきその音 !第二歌集「悲しき玩具」(明治45年・1912、作者の死後刊行)
2008.12.20
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岡本かの子あはれあはれ寒けき世かな 寒き世になど生みけむと吾子あこ見つつおもふ歌集「浴身」(大正15年・1926)註1句目、5句目の字余り破調や、3句目~4句目の当時としては大胆な句跨(またが)りの技法などが、いかにも岡本かの子らしく奔放で、ハッとさせられる。この「寒き」は、冬の寒さというよりは、世相などの抽象的な事柄を言っているように思われるが、どうも現在の世相にもマッチしているような感じを受ける。これに先立つ1923年が関東大震災、このあと1929年が(前回の、というべきか)世界恐慌の年である。なお、この歌に詠まれた「吾子あこ」は、のちの画家・岡本太郎。
2008.12.14
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吉井勇(よしい・いさむ)牧羊神パンの髯ひげいとながながと吹きみだす神無月かみなづきともなりにけらしな歌集「酒ほがひ」(明治43年・1910)註牧羊神パン:古典ギリシャ語パーン παν。古代ギリシャ神話の半獣神。牧神。ラテン語ファウヌス。フランス語フォーン、英語パン。同時に、混乱と恐怖を巻き起こす荒ぶる神でもあり、「パニック(恐慌)」は「パン的(な現象)」が原義。19世紀末のフランス象徴派詩人ステファヌ・マラルメの「半獣神の午後/牧神の午後」は、近代西洋詩の最高傑作。「ピーター・パン」がこれと関係があるのかどうかは知らない。
2008.10.26
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与謝野鉄幹(よさの・てっかん)神無月かみなづき伊藤哈爾濱ハルピンに狙撃さるこの電報の聞きのよろしき詩歌集「相聞(あいぎこえ)」(明治43年、1910)神無月十月、伊藤博文氏がハルピンで狙撃されて亡くなった。この電報を聞き、日本男児として見事な生き方、死に様だったと、私はいっそ痛快にすら思った。註初代内閣総理大臣で当時の前・朝鮮総督府総監だった伊藤博文は、明治42年(1909)10月26日、当時満洲のハルピン(現・中国黒龍江省都)駅頭で、韓国人過激派活動家・安重根(アン・ジュングン、あん・じゅんこん)に狙撃され暗殺された。その知らせを聞いた作者鉄幹は、伊藤の生き方・死に様を、日本人として、政治家として、男として立派だったと称えている、一種の追悼詠。この目も眩むような凶報を、明治時代の日本人がどのように受け止めたのかが分かる貴重な肉声であり、短歌の形で示された歴史的証言であるとも言えるだろう。漢字を多用し、「聞きのよろしき」という聞きなれない言い回しの硬質な文体を用い、遺憾なく重厚鮮烈な表現になっている雄編。なお、初句「神無月」は、縁語である「紅葉」を暗喩し、鮮血の赤のイメージを響かせているとも取れる。
2008.10.26
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岡本かの子鶏頭はあまりに赤しわが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ歌集「浴心」(大正15年・1926)鶏頭(ヒユ科)
2008.10.25
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会津八一(あいづやいち)かすがののみくさをりしきふすしかのつのさへさやにてるつくよかも歌集「南京新唱」(大正13年・1924)春日野の深草を折り敷き臥す鹿の、角さえくっきりと照る月夜だなあ。* 細かい分かち書きの原文は、やはりどうも読みづらいというか、興趣が殺(そ)がれるように思うので、まことに僭越ながら、普通文に直した。春日野奈良観光ホームページ
2008.09.26
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与謝野晶子なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな歌集「みだれ髪」何となく、あなたが待っているような気がして秋の花が咲き乱れる野に出てみたら大空にぽっかりと浮かぶ上弦の月の夜だった。註花野といえば、萩などが咲く秋の野の意味。こういうのは、問答無用の伝統文化である夕月:上弦の月。早くも夕方には東の空に出る。
2008.09.24
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与謝野晶子鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな歌集「舞姫」
2008.07.19
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与謝野晶子夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり歌集「舞姫」
2008.07.19
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伊藤左千夫夕涼ゆふすずの河岸かしのたたずみ細々ほそぼそしわがおもふひとのただ白く立つ左千夫歌集
2008.07.19
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若山牧水(わかやまぼくすい)いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや男なれば歳とし二十五のわかければあるほどのうれひみな来こよとおもふ君見れば獣のごとくさいなみぬこのかなしみをやるところなみくちつけをいなめる人はやゝとほくはなれて窓に初夏の雲見る恋といふつゆよりもいやはかなかるわが生よのなかの夢を見しかなみじか夜のころにはじめてそひねしてものゝあはれを知りそめしかな山に来てほのかにおもふたそがれの街にのこせしわが靴の音歌集「独り歌へる」(明治43年、牧水25歳)註うれひ:憂い。憂鬱、憂愁。思い悩み。来こよ:古語動詞「来(く)」の命令形。「来い」。やるところなみ:遣るところ無み。捨てるところがないので。くちつけをいなめる人:接吻を拒んだ人。つゆよりもいやはかなかる:露よりも弥儚かる。露よりももっとはかない。若山牧水歌集
2008.06.25
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斎藤茂吉おしなべて人は知らじな衰ふるわれにせまりて啼なくほととぎす歌集「白き山」おおかたの人は知るまいな、衰えゆく私にひしひしと迫って来るほととぎすの啼き声。
2008.06.24
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佐佐木信綱人の世はめでたし朝の日をうけてすきとほる葉の青きかがやき歌集「常盤木」
2008.06.24
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島木赤彦(しまき・あかひこ、1876-1926)いとどしく椿の花の明るみに面おもわ近づき来る童女はも月の下の光さびしみ踊り子の体くるりとまはりけるかも椿の蔭をんな音なく来きたりけり白き布団を乾しにけるかも寝られねば水甕みづがめにゆきて飲みにけりあな冷たよと夜半よはにいひつる俎まないたの魚いきいきと眼をあけり暮れ蒼みたる梅雨の厨くりやに歌集「切火」(大正4年・1915)
2008.06.02
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与謝野晶子夕風や煤すすのやうなる生きもののかはほり飛べる東大寺かな歌集「佐保姫」註かはほり:蝙蝠(かはほり→かうもり)。*宮崎駿のアニメーション映画の代表作「となりのトトロ」などに出てくる「まっくろクロスケ」や、それに準ずる生きもののイメージは、いったい何がモデルなのかな~と思っていたが、この歌を読むと、コウモリなのかも知れないな~と思わされる。僕も、生まれてこのかた、地元下町の川沿いの地域に住んでおり、コウモリは一年中宵の口になると目にしているし、子供の頃は虫取り網で捕まえたりしたこともある。「豚の悪魔」みたいな顔をしている、(翼を除けば)とってもちっちゃくて、可愛くてけなげな哺乳動物である。おそらく、天敵の鳥類がねぐらに帰る夜にだけ捕食するように特化した、スキマ(ニッチ)な進化の典型的な動物である。そういう意味でも、あわれで可愛い。
2008.05.24
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佐佐木信綱(明治5年-昭和38年)願はくはわれ春風に身をなして憂うれひある人の門をとはばやゆきゆけば朧月夜となりにけり城のひむがし菜の花の村春の日の夕べさすがに風ありて芝生にゆらぐ鞦韆ゆきはりのかげ明治36年春の日は手斧てうなに光りちらばれる木屑の中に鶏にはとりあそぶちらばれる耳成山や香具山や菜の花黄なる春の大和に我が行くは憶良の家にあらじかとふと思ひけり春日の月夜大正元年註とはばや:訪ねられたらなあ。鞦韆ゆきはり:しゅうせん、ブランコ。
2008.03.07
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島木赤彦軒の氷柱つらら障子に明あかく影をして昼の飯いひ食ふころとなりけり歌集「柿蔭集(しいんしゅう)」(大正15年)
2008.02.12
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吉井勇(明治19年・1886-昭和35年・1950)衣に寄す炉辺ろべにゐて妹いもと語れど珠衣たまぎぬのさゐさゐ沈むこころなるかも吾あを見ても妹袖振らずよしさらば詰むるもよしや妹が長袖わび住みの燈火ともしび暗く古妹ふるいもは袖詰むるべく針をこそ持てもの思へば心うつらに古衣ふるぎぬの肩のよまひも寒しとおもはずわびぬれば橡つるばみ染めの衣きぬを着て炉の辺へに寒くありぬべきかなかたくなの心を持てば人よりも炉に親しみて穢なれごろも着る註珠衣たまぎぬのさゐさゐ沈む心:美しい衣がさやさやとしな垂れるやうに心も沈む。柿本人麻呂「珠衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来て思ひかねつも」(万葉集 503)の本歌取り。妹いも:妻。古妹ふるいも:古女房。よまひ:不詳。大きな辞書にも載ってない言葉である。・・・どうもこれは、「まよひ(まよい)」(糸のほつれ)の誤植ではないかと思われる(岩波文庫「吉井勇歌集」224ページ)くまんパパ、新発見か!?・・・鬼の首でも取ったよう??橡つるばみ:クヌギの実。どんぐり。穢なれごろも:古びて汚れた衣服。
2008.01.22
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斎藤茂吉(明治15年・1882-昭和28年・1953)とほき世のかりようびんがのわたくし児ご田螺たにしはぬるきみづ恋ひにけり赤光しやくくわうのなかの歩みはひそか夜の細きかほそきこころにか似むしろがねの雪降る山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり自殺せし狂者きやうじゃの棺くわんのうしろより眩暈めまひして行けり道に入日あかくにんげんの赤子を負へる子守居りこの子守はも笑はざりけりいんしんと雪降りし夜にその指のあな冷たよと言ひて寄りしか死に近き母に添寢そひねのしんしんと遠田とほだのかはづ天に聞ゆる母が目をしまし離かれ来て目守まもりたりあな悲しもよ蚕かふこのねむりのど赤き玄鳥つばくらめふたつ屋梁はりにゐて足乳根たらちねの母は死にたまふなり第一歌集「赤光」(大正2年)註1首目、斎藤茂吉が客観写生(リアリズム)だなんて、誰が言ったのかと思う。かりようびんが:迦陵頻伽。想像上の鳥。雪山(せつせん)または極楽にいて、美しい声で鳴くという。上半身は美女、下半身は鳥の姿をしている。その美声を仏の声の形容とする。わたくし児ご:私生児。非嫡出子。玄鳥つばくらめ:燕。足乳根たらちねの:「母」にかかる枕詞(まくらことば)。 斎藤茂吉歌集
2008.01.21
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)幾山河越えさり行かば寂しさの終はてなむ国ぞ今日も旅ゆく第一歌集『海の声』(明治41年・1908)どれほどの山河を越えて行けば寂しさが尽き果てる国なのだろう。今日も旅ゆく。註若山牧水の第一歌集に収められた傑作で、人口に膾炙した短歌史上の名歌だが、擬古的な言い回しを駆使しており、意味が分かりづらいという方も意外と少なくないだろう。事実、文法的にもけっこう高度で、仔細に見るとなかなか難解である。・・・もしかすると、すでに発表当時、レトロ(古めかしい)な文体だった?幾山河:幾つかの文献によると、「いくやまかは(やまかわ)」と読むらしい。個人的には、湯桶読みであっても、「いくさんが」の方がいいんじゃないかと思うんだけどね。さり:現代語「去る」の語源だが、古くは「行く」、「来る」、「去る」など、方向を問わず「移動する」意味。古典文学では「来る、訪れる」の意味で使うことが多い。「春されば」は、「春が来れば」の意味である。文脈によっては「遠ざかる」意味にもなる英語 come と一脈相通じるものがある。行かば:「行けば」ではなく、未然形「行かば」になっているのは、「(どれほど流浪してみても)寂しさが果てることはない」という含意を示唆している。また、発想の原点に、「海行かば」の歌(大伴家持)があったかも知れない。終はてなむ:動詞「はつ」に、強意の助動詞「ぬ」の未然形「な」と、推量の助動詞「む」の連体形がついた形。「む」は終止形ではなく、「国」にかかっている。初句の「幾」と合わせて疑問の意味となる。「尽き果てる国なのだろうか」。すっきりした現代語訳は困難。
2008.01.15
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北原白秋おのづから水のながれの寒竹の下ゆくときは声立つるなりいそがしく濡羽ぬればつくろふ雀ゐて夕かげり早し四五本の竹冬の光しんかんたるに真竹原閻魔大王の咳しはぶきのこゑ女犯戒にょぼんかい犯し果てけりこまごまとこの暁あけちかく雪つもる音歌集「雲母集」(大正4年)
2008.01.13
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窪田空穂(くぼた・うつぼ、明治10年・1877-昭和42年・1967)湧きいづる泉の水の盛り上がりくづるとすれやなほ盛り上がる冬空の澄み極まりし青きより現はれいでて雪の散り来る我が開く掌たなごころにしさし来たる天あめの光は愛かなしきろかも 巷にと出て行く自分を、妻は子を連れて送って来、暫くを護国寺の側の草原に遊んだ。ここにとて子を坐らする冬の日のさし来て光る枯芝の上に冬空をあふぎし我が眼移し見れば妻もあふげりこの冬空をわれ呼びて追ひ来こし妻はかがまりて裾より取りつ草の枯葉を歌集「泉のほとり」(大正6年・1917)
2008.01.13
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けさ、自宅にて写す。宮沢賢治(明治29年・1896-昭和8年・1933)霜腐れ青きトマトの実を裂けばさびしきにほひ空に行きたり。霜枯れしトマトの氣根しみじみとうちならびつゝ冬きたるらし。大正5年(1916)
2008.01.10
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太田水穂(明治9年・1876-昭和30年・1955)ほがらほがら明くるあしたの空の色にたぐひて年も立ちかへるらん歌集「つゆ艸くさ」(明治35年・1902)
2008.01.10
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石川啄木(明治19年・1886-明治45年・1912)いつしかに正月も過ぎて、わが生活くらしがまたもとの道にはまり来きたれり。歌集「悲しき玩具」(明治45年・1912)
2008.01.10
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佐佐木信綱春ここに生るる朝の日をうけて山河草木さんかさうもくみな光あり最終歌集「山と水と」(昭和27年)註明治、大正、昭和の三代を生き抜いた歌人のこの歌の「生るる」の読みは、「うまるる」とするのが普通であろうが、孫で歌人の佐佐木幸綱早大教授は、字足らずであっても、「あるる」もありだと主張している。なるほど、「生む」の受動態である「生(う)まる」に比べ、「在り」と語源的関係もあると言われる「生(あ)る」の方が、より根源的で古拙(アルカイック)な響きを持っており、ふさわしいかも知れない。
2008.01.04
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与謝野鉄幹二十九にじふくのこの朝なにをさとりたるわが門松のさてもさびしき歌集「紫」(明治34年)(30代を目前にした)29歳になったこの元旦、俺はこれまで、いったい何をモノにしたと言えるだろうか。ウチの門松の、何とも寂しいことだ。註普通、当たり障りのない表現に終始する新春詠に、主観と実感を詠みこんだ、当時衝撃的だった一首。また、門松という縁起物に、およそ似つかわしくない「さびし」という形容詞を組み合わせて、象徴的表現を試みている。糸井重里のコピーの代表作「おいしい生活」より数段スゴイ!?合理的・数学的な「満年齢」が普及したのは、つい最近のこととも言える。僕の子供の頃は、こちとら田舎の年配の人々の間では、まだ「数え年」が普通だった。数え年は、生まれた時点で1歳、正月元旦ごとに1歳を加えたので、1月~2月生まれの人など、満年齢と比べると最大2歳近い誤差があった。大雑把というか、ある種の宗教的なニュアンスも感じられる。明治時代の男の29歳は、今なら39歳という感じだろうか。そう考えると、すごくよく分かって身に迫る名歌だと思う。僕も、40を前にした39歳ごろは、「あ、やべっ!人生半ばを越えてしまった!!俺はいったい、何をやってるんだ!?!」と焦りまくった記憶がある。短歌には若い頃から興味はあったが、本格的に詠みだしたのもその頃、そうした焦燥感の中だったと思う。それにしても、与謝野鉄幹って人は偉い。破天荒な天才歌人であった妻・晶子の暴走を時にそそのかし、時になだめすかしつ、インテリ正岡子規の近代的リアリズムの主張に対抗し、「明星」という砦に拠ってロマンティシズムの灯をともし続けた。日本男児の、国を憂い民の心を思い恋に身を焦がす赤裸々な魂を、激しく美しく表現し得た、希少なる歌人であり、傑物であった。・・・誤解を恐れずに言えば、「明治のサザン桑田佳祐」ってな感じかな~?!?ちなみに、与謝野馨・前官房長官は、この夫婦の孫である。
2008.01.02
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北原白秋病める子はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑(ばた)の黄なる月の出指先のあるかなきかの青き傷それにも夏は染(し)みて光りぬ太葱の一茎ごとに蜻蛉(とんぼ)ゐてなにか恐るるあかき夕暮歌集「桐の花」(大正2年)
2007.08.10
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