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岡本かの子(おかもと・かのこ)大地震おほなゐの底よりせちにひろひ来し ひとつのいのち湯にし浮きたり歌集「浴心」(大正14年・1925)註大地震おほなゐ(おおない):「なゐ(ない)」は「地震」の古語。「地震が起こる」ことを「なゐ振る」と言った。ここでは関東大震災のこと。大正12年(1923)9月1日発生。せちに:切に。大切に。(湯に)し:前の語を強く指示してその意味を強め、また語調を整える古語の間投助詞。「折しも」「必ずしも」「定めし」「なきにしもあらず」などに残滓的になごりがある。短歌表現では、現代でもしばしば使われる。過去の助動詞「き」の連体形「し」(この歌の「来し」)とは無関係の別語。
2011.11.12
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岡本かの子(おかもと・かのこ)鶏頭はあまりに赤し わが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ歌集「浴心」(大正14年・1925)ケイトウ(ヒユ科) なぜモテた? 岡本太郎の母・かの子のとんでもない恋愛遍歴〔ガウ! マガジン〕瀬戸内晴美(寂聴) かの子撩乱【送料無料】940円(税込)
2011.11.12
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岡本かの子(おかもと・かのこ)あはれあはれ寒けき世かな 寒き世になど生みけむと吾子見つつおもふ歌集「浴身」(大正14年・1925)註吾子あこ:長男・岡本太郎。
2011.11.12
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伊藤左千夫(いとう・さちお)秋草のいづれはあれど 露霜つゆじもに痩せし野菊のはなをあはれむ左千夫歌集(現在絶版)秋の草花はいずれ劣らずいろいろあるけれども露霜にしおれかけた野菊の花を私はしみじみとあわれんでいる。〔作者関連アフィリエイト・リンク〕伊藤左千夫 野菊の墓【送料無料】価格:368円(税込)伊藤左千夫 野菊の墓 春の潮【送料無料】価格:525円(税込)
2011.11.06
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伊藤左千夫(いとう・さちお)紅葉狩もみぢがり 二荒ふたらに行くとあかときの汽車乗るところ人なりとよむ左千夫歌集紅葉狩りに日光へ行こうとあかつきの上野駅プラットフォームは人々でどよめいている。註二荒ふたら:栃木・日光の古名。日光二荒山(ふたらさん)神社、東照宮、輪王寺などがあり、現在主な領域が「世界遺産」。ちなみに「日光」は「二荒」の音読み「にこう」の当て字との説が有力。あかとき:「あかつき」の語源である古語。あけぼの。「朝」よりやや早い時間帯。汽車乗るところ:現・JR上野駅。私鉄の東武日光線が開通したのは昭和4年(1929)。それまでは、宇都宮でスイッチバックする国鉄(現JR)の東北線・日光線のみだった。なりとよむ:音が鳴り響く。どよめく。
2011.11.06
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)ふるさとの訛なまりなつかし停車場ていしゃばの人ごみの中にそを聴きにゆく第一歌集「一握の砂」(明治43年・1910)註改行は原文のまま。停車場:上野停車場。現・JR上野駅。ちなみに当時、山手線の環状線化はまだ完成していなかった。上野-新橋間が開通したのは大正14年(1925)。新編 啄木歌集 【送料無料】価格:903円(税込)
2011.11.05
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)神無月かみなづき岩手の山の初雪の眉まゆにせまりし朝を思ひぬ第一歌集「一握の砂」(明治43年・1910)神無月故郷の岩手山に降る初雪が山の頭のてっぺんから「眉」のあたりまで迫った朝をふと思い出していた。註改行は原文のまま。神無月かみなづき:かむなづき、かんなづき。陰暦の十月の称。新暦のほぼ11月に当たる。
2011.11.05
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)誰たそ我にピストルにても撃てよかし伊藤のごとく死にて見せなむ第一歌集「一握の砂」(明治43年・1910)誰か私にピストルでも撃ってくれないか。伊藤博文のごとく死んで見せよう。
2011.11.04
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与謝野鉄幹(よさの・てっかん)神無月かみなづき伊藤哈爾濱ハルピンに狙撃さるこの電報の聞きのよろしき詩歌集「相聞(あいぎこえ)」(明治43年・1910)神無月伊藤博文がハルピンで狙撃されて逝った。この電報を聞き大和益荒男やまとますらおの鑑かがみだと私はいたく痛快に思った。註神無月:陰暦十月の称。新暦のほぼ11月に当たる。電報:今でいう新聞などの外信記事のことか。初代内閣総理大臣を務めたのち、当時の前・朝鮮総督府総監だった伊藤博文は、明治42年(1909)10月26日、当時満洲のハルピン(現・中国黒龍江省都)駅頭で、韓国人反日活動家・安重根(アン・ジュングン、あん・じゅうこん)に撃たれ暗殺された。その知らせを聞いた作者鉄幹は、伊藤の死に方を、日本男児として政治家として立派だったと讃えている、一種の追悼詠。漢字を多用し、「聞きのよろしき」という聞きなれない言い回しの硬質な文体を用い、重厚鮮烈な表現になっている。明治男の気骨溢るる勇壮な一首。なお、「神無月」は、縁語である「紅葉」を連想させ、鮮血の紅のイメージを滲ませているとも取れる。
2011.11.04
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)うらがれにしづむ花野の際涯はたてよりとほくゆくらむ霜夜こほろぎ第一歌集「赤光しやくくわう(しゃっこう)」(大正2年・1913)末枯れに鎮もる花野の果てよりももっと遠くへ行くのだろう寒い霜夜の蟋蟀は。註うらがれ(末枯れ):草木の葉先や枝先が枯れること。「うら」は「末」や「端」を示す上古語。
2011.10.26
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)吾木香(われもかう)すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ歌集「別離」(明治43年・1910)吾木香、芒、かるかや秋草の寂しい極みを君に贈ろう。註吾木香(われもかう):ワレモコウ。かるかや(刈萱):カルカヤ。
2011.10.21
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)しづやかに大天地おほあめつちに傾きて命かなしき秋は来にけり歌集「別離」(明治43年・1910)しずやかに大いなる天地に傾くように生命がひときわ愛しくかなしくきらめく秋はやって来たのだなあ。註実に茫洋たる歌であるが、細かい訓詁注釈的な詮索は要らないような気もする。さびしさとかなしみの歌人・牧水らしい、スケールの大きな一首。
2011.10.20
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)父のごと秋はいかめし母のごと秋はなつかし家持たぬ児こに第一歌集「一握の砂」(明治43年・1910)註いかめし:厳(いかめ)しい。峻厳である。家持たぬ児こ:作者自身の謂(いい)であろう。改行は原文のまま。
2011.10.20
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伊藤左千夫(いとう・さちお) 今朝けさの朝露ひやびやと秋草やすべて幽かそけき寂滅ほろびの光左千夫歌集(現在絶版)〔作者関連アフィリエイト・リンク〕伊藤左千夫 野菊の墓【送料無料】価格:368円(税込)伊藤左千夫 野菊の墓【送料無料】価格:525円(税込)
2011.10.18
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会津八一(あいづ・やいち)阿修羅の像にゆくりなきもののおもひにかかげたる うでさへそらにわすれたつらしけふもまたいくたりたちてなげきけむ あじゆらがまゆのあさきひかげに歌集「山光集」(昭和18年・1943)突然の激しい物思いに掲げた腕さえ空に忘れて立っているらしい。今日もまた幾人が立って溜め息を吐いているのだろう。阿修羅の眉の浅い日蔭に。註奈良・興福寺で阿修羅像(現在、国宝)を見て詠んだ。2首目によれば、昔は「アジュラ」と呼んだか。
2011.10.14
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会津八一(あいづ・やいち)かすがののみくさをりしきふすしかの つのさへさやにてるつくよかも歌集「南京新唱」(大正13年・1924)春日野の深草を折り敷き臥す鹿の角さえくっきりと照り映えている月夜だなあ。春日野奈良観光ホームページ
2011.10.14
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会津八一(あいづ・やいち)かすがのにおしてるつきのほがらかに あきのゆふべとなりにけるかも歌集「南京新唱」(大正13年・1924)春日野にくまなく照りわたる月のほがらかに秋の夕べとなったんだなあ。註歌集タイトルの「南京(なんきょう)」は、奈良のこと。京都に対していう。南都。春日野奈良観光ホームページ
2011.10.13
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木下利玄(きのした・りげん)遠足の小学生徒有頂天うちやうてんに大手ふりふり往来とほる子供等らは列をはみ出しわき見をしさざめきやめずひきゐられて行く歌集「紅玉こうぎよく」(大正8年・1919)
2011.10.13
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)吾が心よ夕さりくれば蝋燭に火の點つくごとしひもじかりけり第一歌集「桐の花」(大正2年・1913)註さりくる:おとづれる。やってくる。點:「点」の旧字体(正字体)。ひもじ:(心が)飢え渇いている。渇望している。
2011.10.07
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)歎けとていまはた目白僧園の夕ゆふべの鐘も鳴りいでにけむ歌集「桐の花」(大正2年・1913)嘆けとばかりに今ふいに はたと目白僧園の夕べの鐘も鳴り出したのだろう。註目白僧園:当時、東京・目白にあった「戒律学校」。→ 釈雲照。キリスト教カトリック・東京カテドラル聖マリア大聖堂であるとする説もあるが、たぶん誤りか。
2011.10.07
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)かき抱けば本望安堵ほんまうあんどの笑ひごゑ立てて目つぶるわが妻なれば歌集「雲母集」(大正4年・1915)
2011.10.06
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与謝野晶子(よさの・あきこ)ああ皐月さつき 仏蘭西フランスの野は火の色す君も雛罌粟コクリコわれも雛罌粟歌集「夏より秋へ」(大正3年・1914)註スタジオジブリの最新作は「コクリコ坂から」だそうなので、何となく便乗してコクリコの歌を一首。コクリコ:Coquelicot. 雛罌粟(ひなげし)のフランス語。■ Prairie de Coquelicot(コクリコの野原)
2011.07.23
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山川登美子(やまかわ・とみこ)手づくりの葡萄の酒を君に強しひ 都の歌を乞こひまつるかな歌集「恋衣」(明治38年・1905)註君:直接には、短歌結社「明星」主宰の師・与謝野鉄幹のことであるが、当時の文人に影響力を持ったイエス・キリスト(聖書)のイメージが重ねられているともいわれる。
2011.05.26
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山川登美子(やまかわ・とみこ)手づくりのいちごよ君にふくませむ わがさす紅べにの色に似たれば歌集「恋衣」(明治38年・1905)初出:「明星」第4号(明治33年・1900)「手づくりのいちごよ君にふくませむその口紅の色あせぬまで」註手づくりのいちご:在来種の野苺ではなく、外来種の栽培された苺(西洋苺、ストロベリー)のことをこう言った。現在でさえけっこう高級感のある果物だが、当時はきわめて珍奇で高価なものだった。東歌の相聞歌(恋歌)の名歌「多麻川(たまがは)にさらす手づくりさらさらに何そこの児のここだかなしき」(万葉集 3373)が連想される。作者も踏まえている気がする。
2011.05.23
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若山牧水(わかやま・ぼくすい) 摘草つみくさのにほひ残れるゆびさきを あらひて居れば野に月の出いづ歌集「路上」(明治44年・1911)
2011.05.07
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若山牧水(わかやま・ぼくすい) 旅人のからだもいつか海になり五月の雨が降るよ港に歌集「死か藝術か」(大正元年・1912)若山牧水歌集 岩波文庫価格:798円(税込)【送料無料】 ぼく、牧水!価格:820円(税込)【送料無料】
2011.05.05
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土屋文明(つちや・ぶんめい)この丘も墳つかの南を耕してこまごまと葱ねぎをうゑ萵苣ちさを植う歌集「少安集」(昭和18年・1943)註萵苣ちさ:キク科の一年草または二年草の野菜。ちしゃ。語源は「ちちくさ(乳草)」といわれる。今でいうレタス類の総称だが、品種が多く、この歌の「萵苣ちさ」がどれに当たるのかは不明。いずれも、キク科植物特有の爽快な芳香があり、柔らかくて美味である。■ 四季の野菜「レタス」
2011.04.22
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若山喜志子(わかやま・きしこ) うす青き信濃の春に一つぶの黒きかげ置き君去いににけり「若山喜志子全歌集」(昭和56年・1981)註明治45年(1912)春、若山牧水と知り合って間もなく、作者(当時・太田)喜志子の故郷である長野・塩尻付近で山歩きの逢引きをした折のことを詠んだ。作者は当時24歳、すでに新進気鋭の歌人として世に出ていた牧水は27歳。その1か月後、二人は結婚している。
2011.04.19
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若山喜志子(わかやま・きしこ) 春の野の下萌草したもえぐさの朝みどり危あやふくぞおもふ生おひ立つ子等こらを「若山喜志子全歌集」(昭和56年・1981)春の野に一斉に萌え出た草の朝の緑の上を走り回っている生い立つ子供たちを危なっかしいなと思って見ている。
2011.04.19
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)野にかへり幾億万の花のなかに 探したづぬるわが母はなし歌集「白鳳」(昭和16年・1941)註たづぬる:現代語「尋ねる」ではなく、古語「尋ぬ」の連体形なので、この形になる(意味は同じ)。例えば、「足りぬ(足りない)」(現代語「足りる」の未然形)と「足らず(足らぬ)」(古語「足る」の未然形)の関係のようなものである。短歌などの文語的表現では、古語の活用形は現代でも普通に用いられ、しばしばきわめて効果的なニュアンスをもたらす。この歌の意味内容については、リアル(現実)なのかシュール(超現実)なのか寡聞にして知らないが、美しさと寂しさの抒情を兼ねそなえた、モダニズム歌人の面目躍如の秀歌といえるだろう。
2011.04.06
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)国のまはりは荒浪くわうらうの海と思ふとき 果てしなくとほき春鳥のこゑ歌集「白鳳」(昭和16年・1941)
2011.04.03
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)いきものの人ひとりゐぬ野の上の 空の青さよとことはにあれ歌集「白鳳」(昭和16年・1941)註とことは(とことわ):永久。悠久。
2011.04.03
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吉井勇(よしい・いさむ)いまの世をいかにか思ふ かく問へど人にあらねば比叡は答へず今の世をどう思うか。こう問うてみても人ではないので比叡山は答えない。
2011.04.02
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斎藤史(さいとう・ふみ)白い手紙がとどいて明日は春となる うすいがらすも磨いて待たう第一歌集「魚歌」(昭和15年・1940)
2011.04.02
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)草深野月押し照れり咲く花の今宵の莟ふふみ満ちにけらしも歌集「風隠集」(昭和19年・1944)* 「莟(つぼみ)の膨らみが満ちたらしいなあ。」
2011.03.28
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)この大地震おほなゐ避くる術すべなし ひれ伏して揺りのまにまに任せてぞ居る世を挙げて心傲おごると歳とし久し天地の譴怒いかりいただきにけり歌集「風隠集」(昭和19年・1944)
2011.03.27
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【この断章も、悲惨な情景の写実的描写を含みます。お読みになる際には、あらかじめご承知置き下さい。】窪田空穂(くぼた・うつぼ) 関東大震災連作 抜萃〔5〕丸の内死ねる子を箱にをさめて 親の名をねんごろに書きて路に棄ててあり* ねんごろ(懇)に:(死んだ子の霊に、またそれを読む人に対して)懇切丁寧に。死ねる子を親の棄てたりみ濠ほりばた柳青くしてすずしきところ* 残暑なお厳しい九月初めの折柄、少しでも美しく涼しいところにという、せめてもの親心だったのだろう。哀れなその子の亡骸(なきがら)は、皇居お濠端に青々と茂って垂れている柳並木の涼やかな木蔭に棄ててあった。時計台時計台残りて高し十二時まへ二分にてとまるその大き針* 銀座四丁目交差点、服部時計店(現・和光)時計台。被服廠址ひふくしょうあとあたり東京に地平線を見ぬここにして思ひかけねば見つつ驚く* 墨田区横網・陸軍被服廠(現・東京都慰霊堂)/「東京に地平線を見てしまった。実にここで、思いがけないことだったので、見て驚いた。」焼瓦やけがはらうち光りつつはるかなり列なす人の小くもぞ見ゆる五重の塔焼原越しに立てる見つ何ぞやと我が怪しみしかな* 台東区・上野公園内、寛永寺の五重塔か。おそらく呆然自失の中で、焼け野原を見下ろして屹立するものを「あれはいったい何だろうと、私はいぶかしんだことだよ。」鉄橋の焼けとろけたり水にうかぶ一人一人は嘆かずあらむ* 「(もはや)嘆きもしないだろう。」川岸にただよひよれる死骸しかばねを手もてかき分け水を飲むひと〔引用、了〕* 難読と思われる字に、筆者の責任と読みで適宜ルビを振った。歌集「鏡葉」(大正15年・1926)
2011.03.26
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【この断章は、きわめて悲惨な情景の写実的描写を含みます。お読みになる場合には、あらかじめご承知置き下さい。】窪田空穂(くぼた・うつぼ) 関東大震災連作 抜萃〔4〕水道橋ほとり深溝ふかみぞにおちいりて死ぬる小ちさき馬 たてがみ燃えし面つらを空に向けてお茶の水橋妻も子も死ねり死ねりとひとりごち火を吐く橋板踏みて男ゆく神田錦町あたり石造の氷室ひようしつくづれ溶けのこる氷ひかれり焼原の上に氷室にひろへる氷背おひては男うろつく雫垂らしつつ京橋あたり焼け残る洋館の前に犬あわて人来る毎ごとに顔あふぎまわる* 主(あるじ)を失った犬なのであろう。人が歩いて来るたびに、すわ、ご主人様かと慌てて顔を仰ぎまわっている。一石橋一石橋いちこくばし石ばしの上ゆ見おろせば照る日あかるく川に人くさるあふ向きて浮かぶは男うつ伏してしづむは女 小ちさきはその子か人の上とえやは思はむ親子三みたり 火に焼かれては川に身のくさる* 「人の上(に折り重なっている)と思うだろうか」。* 難読と思われる字に、筆者の責任と読みで適宜ルビを振った。歌集「鏡葉」(大正15年・1926)
2011.03.25
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窪田空穂(くぼた・うつぼ) 関東大震災連作 抜萃〔3〕夜は月さやかにいとゞわびし電燈のつかざる店にはだか火の蝋燭ともり通りに月照る屋根がはら落ち残りては 軒先にかかれる見せて月さやかに照る大き荷を背負へる母の袖とらへもの食ひつつも童小走る遠望して大東京もゆるけむりの雲と凝こり 空にはびこりて三日みかをくずれず大東京もゆるけむりの日の三日を くづれずあれど鳴る鐘のなき神田区の家毎いへごとにゐる南京虫一つ残らじと笑ひてかなしきあやしくも凝りてかがやくましら雲木に蝉なけど人の音はなき震災のあとを見にと出づ人間のなるらむ相すがた眼にし見む悲しみ聞けど見ずはあり難き* 「人間の、こうなってしまうのだという真実の諸相をこの目で見よう。悲しみを聞いているのに、見ないでいることなどあり得ない。」歌集「鏡葉」(大正15年・1926)
2011.03.24
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窪田空穂(くぼた・うつぼ) 関東大震災連作 抜萃〔2〕甥きたるこの家に落ちつきてゐれば わが家もある心地すと甥のつぶやく平気にも舞ふ蝶かなとさびしげに庭見る甥のつぶやきにけり十夜とよ十日考へてのみゐたる甥 ばらつく建てむといひ出せりけり* ばらつく:バラック。二日の夜蝋燭のをぐらきあかりとりかこみ ゐならべる子らものをしいはぬ* ものをしいはぬ:「し」は強調の助辞。恐怖におののいて「(ひと言の)ものをさえ言わない」。地震来こばだきだしやらむ今は寝よと いへばうなづきわれ見る童* 「(もしまた)地震が来たら、抱いて連れ出してやろう、(だから安心して)今は寝なさいと」。/ 童:「わらは(わらわ)」または「わらべ」。路のべの戸板の上に寝たる子の 寝顔ほのじろし提灯の灯に家やの内のあかりは消せと鋭声とごゑして暗き門かどより人いましむるあかり消せる町は真暗なり鬨ときの声近く東の小路におこる夜警はじまる火あやふ夜も寝ぬるなと乱れ打つ拍子木の音そこにかしこに大雨にしとどに濡れて夜警よりわが子帰りぬしらしら明けを歌集「鏡葉」(大正15年・1926)
2011.03.23
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窪田空穂(くぼた・うつぼ) 関東大震災連作 抜萃〔1〕大正十二年九月一日の大震災に、我が家は幸さいはひにも被害をまぬかれぬ。あやぶまるる人は数多あまたあれども訪おとなひぬべきよすがもなし。二日、震動のおとろへしをたのみて、先まず神田猿楽町なる甥の家あとを見んものとゆく。燃え残るほのほの原を行きもどり 見れども分かず甥が家やあたり地はすべて赤き熾火おきなり この下に甥のありとも我がいかにせむ帰路焼け残り赤き火燃ゆる神保町三崎町ゆけど人ひとり見ず焼け残るほのほのなかに路もとめ ゆきつつここをいずこと知らず飯田橋のあたりに接待の水あり、被害者むらがりて飲む水を見てよろめき寄れる老いし人 手のわななきて茶碗の持てぬ負へる子に水飲ませむとする女 手のわななくにみなこぼしたり火のなき方へと、人列なしてゆくとぼとぼとのろのろとふらふらと来る人ら ひとみ据わりてただにけはしき新聞紙腰にまとへるまはだかの女あゆめり眼に人を見ぬ* 放心状態の女の「眼は常人のものとは見えなかった」。 歌集「鏡葉」(大正15年・1926)* 難読と思われる字に適宜ルビ(振り仮名)を振りましたが、原文にはほとんどないものです。ご了承下さい。
2011.03.23
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与謝野晶子(よさの・あきこ)空にのみ規律残りて日の沈み廃墟の上に月のぼりきぬ歌集「瑠璃光」(大正14年・1825)註おそらく関東大震災後の東京周辺の光景と思われる。晶子らしく、痛々しくもそれなりに美しい情景として捉えている。柿本人麻呂の名歌「東ひむがしの野に炎かぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾かたぶきぬ」(万葉集 48)を踏まえているのだろう。
2011.03.22
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坪野哲久(つぼの・てっきゅう)寒潮にひそめる巌いはほ生きをりと せぼねを彎まげてわが見飽かなく歌集「百花びゃくげ」(昭和14年・1939)寒い潮に潜んでいる巌だがしかし生きていると背骨をたわめて私は見飽きずにいた。註「生きをり」の主語が問題だが、「巌いはほ」であると同時に、それに仮託された「われ(私)」でもあるのかも知れない。厳しい歌境で知られた作者の透徹した眼差しの秀歌。結句の動詞は、現代語「見飽きる」ではなく古語「見飽く」なので、万葉調といえるこの活用形になる。
2011.03.21
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)あかあかと一本の道とほりたり たまきはる我が命なりけり歌集「あらたま」(大正10年・1921)註たまきはる(魂きはる):「うち」「いのち」「うつつ」「世」「わ」に掛かる枕詞(まくらことば)。
2011.03.20
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青山霞村(あおやま・かそん)白雪と朽葉の冬のほろびにも潜むがうれし春のいのちの歌集「池塘集(ちとうしゅう)」(明治39年・1906年)白雪と朽ち葉に覆われた冬の滅びにもすでに潜んでいるのがうれしい春の生命が。
2011.02.12
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)君かへす朝の舗石しきいしさくさくと雪よ林檎の香かのごとくふれ歌集「桐の花」(大正2年・1913)君を帰す朝の敷石にさくさくと足音がして雪よ 林檎の香りのごとく甘やかに降れ。註想像を逞(たくま)しゅうすると、この「朝」とは、たぶん男と女の後朝(きぬぎぬ、衣々)の別れのことだろうか。今なら、モーニングコーヒーでも一緒に飲んでいるところか?さらに推測だが、ここで白秋は女の立場になって詠んでいるのかも知れない。「新幽玄」を標榜した耽美派の白秋であるから、そのぐらいのことはやるだろう。あり得る解釈だと思う。
2011.02.12
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落合直文(おちあい・なおぶみ)しもやけの小さき手してみかんむく わが子しのばゆ風の寒きに萩之家歌集(明治39年・1906)註しのばゆ:偲ばれてならない。「ゆ」は自発を示す奈良時代の助動詞で、平安時代には滅びた。「あらゆる」「いわゆる」などに痕跡的に残る。したがって、この言い回しは擬古的である。ことさら(意図的)にではなく、おのずと(自然に)そうなる意味。
2011.01.30
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)味噌汁は尊たふとかりけり うつせみのこの世の限り飲まむと思へば歌集「つきかげ」(昭和29年・1954)註うつせみの:「身」「世」「人」「命」「妹(いも)」「むなし」「わびし」などに掛かる枕詞(まくらことば)。「実相観入」を目指し、「真率(しんそつ)、全身全霊」の表現を鼓吹した、近代短歌の巨人・茂吉らしい名品。威風堂々たる大真面目な味噌汁礼賛が、おそらく本人の意図せざる、たくまざるユーモアさえ帯びてしまっている。こういうのを読んでいると、真面目で頑固でいくらか癇癪持ちだった明治男の祖父を思い出す。敬愛すべき日本の先人と思う。
2011.01.28
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)現世のうまき品々あまたあれど味噌汁大根おほね吾は忘れず斎藤茂吉全集
2011.01.28
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)ミユンヘンの夜寒よさむとなりぬ あるよひに味噌汁の夢見てゐきわれは大正12年(1923)頃、留学先のドイツ・ミュンヘンにて作。歌集「遍歴」(昭和23年・1948)ミュンヘンの街が夜寒となった或る宵に味噌汁の夢を見ていた わたくしは。
2011.01.27
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