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最後に朝の大連の街を散策したとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月2日、4日目。1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年12月19日
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狗不理包子で食べてたりして大連最後の夜を過ごした翌日、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月2日、4日目。1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年12月14日
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楽しみにしてた最終日の海鮮料理ががっかりやったとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年12月12日
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北海市場?でディープな大連の素顔をのぞいたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年12月11日
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つかの間の自由時間に、大連のロシア風情街を見学してるとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。同じ道を戻るのは避けて横道に入ったら、ディープな地元の市場があった。これは、北海市場やったんかなあ。近くに北海公園があった。入口のところは、廃品置き場のようなうらぶれた雰囲気。右手に、洋菓子屋さんがあった。アジアならではの、派手なデコレーションのケーキやロールケーキ、中華風のお菓子も並んでた。奥に入ると、野菜や魚を売る露店がいろいろ出てた。お客さんは、地元の人ばっかり。観光客は見かけへんかった。中華のお惣菜を売ってる店では、食堂もあってそこで食べられるみたいや。こういうとこの料理は、きっとおいしくて安いんやろうなあ。おいしそうな羊の肉を売ってるおばさんもいた。市場を出て、民楽街を行くと右手に廃屋のような洋風の建物があった。ここが、ロシア人街の名残なんかなあ。このあたりには、今は大連の低所得者が暮らしてるんかもしれん。 しばらく行くと左手に広い公園があった。ここが北海公園。地元の人がくつろぎ、子どもたちが遊んでる。東門から上海路に出ると、青空床屋さんがいた。アジアではおなじみの光景。おじさん、気持ちよさそう。白衣を着た床屋さんは、マスクのように口のところをタオルで覆って、野球帽のようなのをかぶって、さらにその上からスカーフまで巻いてる。えらい重装備やな。切った髪が風で飛んでくるからかな。上海路を勝利橋のほうへ歩いていくと、大連大学附属中山医院と看板のある建物があった。大連大学付属中山病院といえば、昔の満鉄大連医院で中山広場のほうにあるはず。ここは、別館か関連施設なんやろうか。たまたまできた1時間半ほどの自由時間やったけど、大連の地元民の素顔が見えたような気がして、楽しかった。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年12月05日
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雨の老虎灘公園を見学し、だんな様がラテックス高反発枕を買うたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。1時間ほど自由時間になったので、日航ホテルのところで宿泊者の人と一緒に下ろしてもろた。今回ツアーには入ってなくて行きたかった場所があった。日航ホテルからほど近いところにある、勝利橋を渡る。勝利橋は、鉄道の線路を跨ぐ跨線。帝政ロシア統治時代はロシア橋、日本占領時代は日本橋と呼ばれていたそうや。この橋を渡ると、ロシア風情街がある。帝政ロシア時代にロシア人が多くの住んでいた地域なんやそうや。入口のところに、「大連芸術展示館」がある。ここは、1902年にロシアの東清鉄道汽船会社社屋として造られた建物。日本の租借時代には、大連倶楽部、満鉄日本橋図書館などとしても使われていたそうや。戦後解体されてしもた。大連と姉妹都市である北九州市が、友好都市締結15周年を記念して、1994年門司港レトロ倶楽部のなかに、この建物の複製を建築し、「国際友好記念図書館」としてる。そのとき日本で造られた建材を輸入して、大連でも1996年に複製が再建され、「大連芸術展示館」となったそうや。そこから続くメインストリートの両側に、欧風の建物が並んでるけど、ほとんどは2000年にロシア風情街として改修したときに、想像して造られたもののようや。どことなくテーマパークのような雰囲気もする。売ってる物は、マトリョーシカやロシア風の帽子や手袋などもあるけど、ロシア製なのかどうかは怪しい。しばらく歩くと左手に、大連船舶技術学校」と書かれた建物があった。ここは、東清鉄道技師長でダーリニー市長を兼任したサハロフの官邸として1900年ごろに建てられもの。日本統治時代は、満鉄総裁公邸やったそうや。学校のはずやのに、1階中央にはロシア語が書かれた入口があって、バーみたいやった。ロシア風情街の突き当たりに、立派な建物が見えた。かつて「ダーリニー市役所」やったところ。帝政ロシアは、1898年に大連、旅順などを租借すると、「ダーリニー市」をつくった。「ダーリニー」はロシア語で「遠い」という意味。1900年に東清鉄道事務所として建てられたこの建物が、1902年に「ダーリニー市役所」になった。日露戦争の結果、1905年に租借権が日本に譲渡され、1907年に満鉄本社となる。1908年に満鉄本社が移転すると、大連ヤマトホテルとしても使われる。中山広場の大連賓館(旧大連ヤマトホテル)ができたのが1914年やから、それより前の話。それ以降も満蒙資源館になり、戦後は東北資源館、大連自然博物館となった。1998年に博物館が移転すると、この建物は使われなくなり、今は廃墟のようになってる。大連の歴史をずっと見てきた貴重な建物やねんから、なんとか残してくれるとええのになあ。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年12月04日
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大地春餅店ででおいしい昼食を食べたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。緑山展望台から望海街を通る。このあたりは、旧日本人街なんやそうや。ロシア占領時代に欧州区だった場所なので、建物は欧風な雰囲気やった。大連植物園もこのあたりにあった。とうとう雨が降り出してきた。中南路から老虎灘に出て、浜海南路を通って北大橋に到着。姉妹都市の大連と北九州市が友好関係締結5周年を記念するため1987年造った橋なんやそうや。景色がきれいやし、結婚式の記念写真撮影の人気ポイントで、ウェディングドレス姿のカップルがようけ来るねんて。新婚さんがこの橋を歩いて渡ると永遠に幸せになれる、という「伝説」もあるそうで、私たちも雨の中歩いて渡った。ここにいたのは10分ほど。老虎灘公園に着いたころには、土砂降りの雨になってた。それでもせっかく来たんやからと、私たちを含めて数人は雨の中、見物に。中国を代表する彫刻家で、北京オリンピックのマスコット・福娃のデザイナーだった韓美林さんの6頭の虎の作品「群虎彫像」があった。2年9か月かけて完成させたそうや。海のほうまで行ってみたけど、霞んでた。この後は、買い物タイム。中山区朝陽街にある龍源商店へ。2階の絨毯売り場を、高反発ラテックス寝具のコーナーに改装したばかりみたいやった。寝具と土産物の店が一箇所になったので、お買い物タイムが1回にまとまってよかった。まずは、2階の寝具売り場の奥のコーナーへ。高反発枕の素材である天然ラテックスや、その効用について専門家?から説明がある。その後、実際にベッドで寝てみて体験できる。だんな様はえらく気に入って、いびき用という大きくて高めの枕を買いはった。大きさや高さの違いで10種類以上あって、販売員の人が高さを確認してくれる。通常価格の30%引きで8000円。それをさらに交渉して、600元(約7500円)にしてもろた。大きな物やけど、圧縮してくれてバレーボールぐらいの大きさになった。高反発枕は、軟らかいんやけど、押し戻す力があるから、ちょうどいい位置で頭を支えてくれるそうや。通気性もよく、抗菌作用もあって、夏は涼しく、冬は暖かいにも優れ、温度変化にも強い素材です。さらにソフトな感触の中にもほどよい弾力があり、体圧分散性にも優れています。日本に帰ってから愛用してはって、すごく快適やそうや。大連の旅で一番の収穫やったと言うてはる。私は、ちょっと船酔いみたいな感じがするのであんまり好きやないけど。楽天でもこんなのがあった。1階にはいろんなお土産物。これは、値段も安くないし欲しいもんはなかった。ここには、1時間半ほどおった。バスに戻ると、雨はやんでた。ここでガイドさんから提案があった。夕食までに時間があるので、2つのプランがある。プラン1は、さっき雨で見学の時間が少なかった老虎灘公園にもう一度行くこと。プラン2は、ホテルに戻って1時間ぐらい自由行動にすること。みんなホテルに戻るほうを選んだので、プラン2に決定した。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年12月03日
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大連の路面電車に乗車体験したとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。二七広場から、また追いかけてきてたツアーバスに乗って、お昼ごはんの店へ向かう。車内では、桜桃かメノウの印鑑の販売。名前を彫ってくれて日本円で1000円やそうや。予定表では郷土料理となってて、期待してへんかったんやけど、着いたのは「大地春餅店」の東北路店。ガイドブックで見てて、行ってみたかったとこ。今回の食事で一番おいしかった。ビニールでパックされた食器が出てきた。でも、食器は欠けてたりして使い込まれてそう。清潔やとアピールしてるんやろな。ここでは、お茶ではなくお湯が出てきた。ガイドさんにお茶の葉が入ってないと言うと、春餅にはお湯のほうが合うからっていう返事やったけど、ほんまかなあ。ここのビールは、アルコール度数2.5の雪花やった。粟やヒエ入りのご飯ジャガイモとピーマンの和え物なすの揚げ炒めキャベツ、豚肉、春雨の炒め物卵とキクラゲの炒め物キュウリと岩のりと卵のスープ麻婆豆腐豚肉の細切り炒めササミの酢豚風インゲンの炒め物そして春餅春餅は、小麦粉を水で溶いて丸く焼いたクレープのようなもの。店名についてるだけあって、ここの春餅はおいしかった。でも、1人1枚ずつぐらいしかなくて残念。おかずもどれもおいしかった。今回のツアーでは、食事が最後になるほどどんどんおいしくなっていくと好評やった。1時間ほどのランチタイムの後、また大連市内の観光。バスは、緑山展望台に到着。労働公園の上のほうにあって、大連市内を展望できる。緑山の上には、テレビ塔がそびえてた。ここには15分ぐらいいた。ツアー中ずっと天気がよかったんやけど、雲行きが怪しくなってきた。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年12月01日
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大連ヤマトホテルに入り、満鉄旧本社は外から見たとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。次は、大連港へ向かうた。大連港務局(旧満鉄大連埠頭事務所)の屋上から、大連港を眺めたことは以前書いた。写真は、大連候船庁(旧大連第二埠頭)の前の石段のところから撮った、大連港務局。バスに乗って、次は路面電車の体験乗車。たぶん乗ったのは、201路(以前の203路)の華楽広場から。ガイドさんが、1台待って旧型の車両に乗るようにしてくれはった。この停留所は折り返し地点になってるようやった。1937年に日本で造られた3000型旧型車輌で、今は2200型と呼ばれてるみたいや。緑色に金色の帯の車体で、レトロやなあ。他に紺色やえんじ色に塗られた車輌もあった。行き先の表示は、LEDになってるけど、車内も昔の雰囲気が残ってる。照明もレトロガイドさんはまとめて運賃を払うてくれて、車内へ。運賃は、1元(約12.5円)均一(大連駅を越えて乗車すると2元)。いよいよ出発。ところが、車掌さんが大きな声で何か叫んでる。入口のドアが、半開きになったままやった。棒でたたいたり押したりして、無事にドアは閉まった。運転手さんは、女性が多いみたいや。ドアの故障も直って、華楽広場から春海街へ向かう。春海街から寺児溝へ この後、二七広場で降りて、また追いかけてきてたツアーバスに乗った。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 2輪(合計620輪)紅ちどりの開花 0輪(合計446輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年11月28日
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中山広場レトロ建築めぐりをしたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。大連ヤマトホテルやった大連賓館のロビーに集まり、10時までフリータイム30分。ロビーの床は大理石やろうか。モザイク模様もある。白と金の天井に、シャンデリアがきらめいてる。迎賓廳と書かれた部屋が開いてたので、入らせてもろた。ヤマトホテル時代には大広間として使用されてて、赤いじゅうたんに、革張りの椅子が並んでる豪華な部屋。中曽根元首相、竹下登元首相、村山富市元首相らが大連を訪問した際、大連市長と会談したのもこの部屋やったそうや。フロントの奥に廊下が続いてて、庭園喫茶店というのがあった。昔は吹き抜けやったような空間に、ガラスの天井がはめ込まれた中庭のような場所。2階にも喫茶店「大和」があって、ガイドさんや何人かのツアーの人はそこでコーヒーを飲んでたようや。コーヒー1杯40元(約500円)でおいしいらしいけど、日本並みの値段やなあ。大連賓館バスに乗って、すぐ近くの魯迅路にある戦前の満鉄旧本社(現 中国鉄路局大連支局)へ。ここは外から眺めるだけ。ロシアが建設中だった2棟の建物に日本が継ぎ足して同じように造って3棟になってる。ガイドさんは、左がロシア、右が日本って言うてはったけど、向かって右ということやったんか、建物の右部分ということやったんかわからへん。正面右手の塔は、満鉄旧跡陳列館になってるようやった。次は、大連港へ向かう。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 0輪(合計612輪)紅ちどりの開花 6輪(合計434輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年11月14日
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大菜市で卸売市場の果物を見たり、朝ごはんに灌餅を買ったりしたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。8時45分に大連渤海明珠酒店のロビーに集合して、この日は大連市内を観光する。中国では、10月1日は国慶節。大連駅前も帰省したり、遊びに出かける人や車であふれてる。ドライバーの孫さんが、バックで観光バスを出すテクニックに、社内から拍手が出た。日航ホテルに宿泊してる人を乗せて、中山広場の大連賓館の横にバスが着いたのは9時15分。前の晩、夜景を見たときの雰囲気とはずいぶん違うてた。ガイドさんは、この日は国慶節で交通量が少ないと言うてはった。大きなロータリーから放射線状に10本の大通りが出てて、信号はないので、普段は道を渡るのが大変みたいや。帝政ロシアの時代1898年に造られた直径200メートルほどの円形広場はニコライフスカヤ広場と名づけられ、日本統治時代には大広場と改称された。大通りのそれぞれの間には10棟の建築が広場を取り巻いて並んでて、趣がある。大連賓館の前から広場を横ぎり、向かいにある横浜金銀行大連支店(現 中国?行遼寧省分行)へ。ここは、横浜馬車道にある横浜正金銀行本店(現 神奈川県立歴史博物館)と同じ妻木 頼黄(つまき よりなか)が基本設計してる。横浜正金銀行は、東京銀行(今は三菱東京UFJ銀行)の前身で貿易金融・外国為替に特化した銀行やった。バロック式ドームが印象的。後方のガラス張りの大型ビルと繋がってるそうや。そこから時計回りと反対に、次は関東逓信局(現 大連市郵政局)。郵便ポストもクラッシック。次の、朝鮮銀行大連支店(現 中国工商銀行中山広場支行)はルネサンス様式の建物で、コリント式の柱頭がある。日本統治時代の朝鮮の中央銀行の大連支店で、ソウルにある旧朝鮮銀行本館(現 韓国銀行貨幣金融博物館)と同じ中村與資平の設計。中山路を渡ろうとしたけど、車の行き来が激しい。地元の人も地下道を通ってた。地下西通道は、エスカレーター付きやった。大連ではエスカレーターでは右側に立つみたいや。関西式。次は、赤いレンガ造りの大連民政署(現 花旗?行大?市分行)。花旗銀行は、シティバンクのこと。次にあった、英国駐大連領事館は取り壊されて現存してないそうや。その次が、大連ヤマトホテル(現 大連賓館)。ここは後で中にも入る。次は、大連市役所(現 中国工商銀行大連市分行) 。これは、京都府庁旧本館も手がけた松室重光の設計で、玄関は社寺建築のような唐破風、中央の塔は 祇園祭の山車(だし)をイメージしてるそうや。東洋拓殖株式会社大連支店(現 交通銀行大連市分行)と中国銀行大連支店(現 中信銀行中山支行)、大連人民文化クラブは写真を撮ってなかった。 次は、大連ヤマトホテル(現 大連賓館)の中に入る。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 1輪(合計612輪)紅ちどりの開花 0輪(合計428輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年11月13日
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トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。中山広場の夜景を見た2日目のことまで書いた。中国では、10月1日は国慶節。この日1週間連休になるみたいや。泊まってるホテル、大連渤海明珠酒店は大連駅の目の前にあって、部屋の窓からは駅の北側にあるバス乗り場が見える。土曜日ということもあってか、朝早くから帰省する人でにぎわってた。ホテルの朝ごはんには懲りたので、外に食べに出かけた。昨晩と同じ、大連駅西通路を通って、北広場へ。奥にある大菜市に入っていった。朝7時やのに、すごい人。ここは果物の卸市場みたいや。ナツメ、ぶどう、桃、リンゴ、ミカンなど、それにドリアンまで売ってる。道端で果物を売ってる人たちは、ここから仕入れてるみたいや。リヤカーで買いに来てる人もいて、通路も混雑してる。ここでの値段はわからんかったけど、すぐ外で売ってる果物の値段も安い。ナツメ 1斤(500g)5元(約63円)りんご 1斤(500g)4元(約50円)、3斤(1.5kg)10元(約125円)南果梨 3斤(1.5kg)10元(約125円)双興商品卸売市場っていうビルにも入ってみたけど、まだ営業前やった。朝ごはんを調達せな。おばちゃんが、目の前で焼いてるクレープみたいな灌餅(グァン ビン)4.5元(約56円)を買うてみた。鉄板に丸く広げた生地に、卵を割り落として焼き上げた物にタレを塗って、サラダ菜、湯葉、きゅうり、もやし、ニンジンなどをのせて巻いてある。ゆでとうもろこしは、1本2.5元(約31円)も。大連のとうもろこしは、モチモチしてて、甘味が少ない。野菜というより、主食なんやと思うた。それと、人気のありそうな店の肉まん10個10元(約125円)。これは、雑な味で塩辛かった。この日は、8時45分に集合で、大連市内を観光する。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 0輪(合計611輪)紅ちどりの開花 0輪(合計428輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年11月11日
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誕生日にだんな様がアレンジメントをプレゼントしてくれた。いくつになっても、花の贈り物はとってもうれしい。緑色のバラは、スーパーグリーンっていう品種みたいや。大清花餃子で晩ごはんを食べて、天照悠然の強烈な整体をしたしたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。整体で痛む体で、民生街を通って夜景がきれいやという中山広場まで歩いていった。パリの凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場を模して、帝政ロシア時代に造られたという大きな円形広場はロータリーになってて、10本の通りが放射状に延びてる。広場に面して、20世紀始めに日本やロシアによって建てられた欧風建築が取り囲んでる。中国のライトアップは、日本人には妖しく見える。黄色と緑、青のライトで一番目立ってたのが、中国工商銀行大連分行(旧 大連市役所)。大連賓館(旧 大連ヤマトホテル)は、控えめなライトアップ。シティバンクのロゴが目立つのは、旧 大連民政署、大連警察署。このゴシック様式の赤レンガのかわいい建物も、日本人の設計なんやそうや。中山路を通って、友好広場へ。勝利広場の地下街を歩いてたら、閉店時間で出口がわからんようになって、帰宅する食堂のスタッフの人たちと一緒にエレベーターに乗ってやっと地上に出ることができた。ホテルの部屋から見えてる大連駅の北側に行ってみようと、大連駅西通路へ。地元の人ですごくにぎわってる。通路を抜けると、食べ物の屋台がずらっと並んでた。串焼きの店が多い。肉、ソーセージ、魚、貝、野菜、キノコなどいろんな種類があって、注文してから焼いてくれるみたいやった。でも、ちょっと衛生状態が怖くて、食べへんかった。果物も売ってた。緑色の无花果(イチジク)が5個で10元(125円)。ホテルの部屋で食べたら、味が濃くってすごくおいしかった。朝から旅順を巡った長い一日がやっと終わった。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 0輪(合計611輪)紅ちどりの開花 12輪(合計428輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年11月10日
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星海広場の広さにびっくりしたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。バスは、大連中心部へ向かう。解放路から右に入った時に、右手に見えるのが以前東本願寺やった建物で、今は京劇の劇場「大連京劇団」になっていると教えてくれた。この日の夜のある、3900円のオプショナルツアー「大連の夜」はここで開催されるそうや。解放街に入ると、右手に旧満鉄病院もあった。今も大連大学付属中山病院(大連鉄路医院)として使われてるんやて。中山広場を通って、五五路へ。5時過ぎに着いたのは、大清花餃子。ガイドブックにもよく載ってる、有名な満州j餃子のチェーン店やった。店頭にはおいしそうな海老、蟹、赤貝、大蛤、イカなどの海鮮類並んでる。餃子だけやなくて、海鮮料理もいろいろあるみたいや。青島ビール25元(約313円)を別途注文。またまた、ようけ出してくれた。 きゅうりと葱のあえもの 小粒牡蠣のフリッター かぼちゃのフリッター イカとニラの炒め物 水餃子(卵と野菜) 水餃子(豚肉とセロリ) 蒸し餃子(豚肉とピーマン) 蒸し餃子(豚肉と白菜) 蒸し餃子(豚肉とセロリ) 焼き餃子(ニラ玉) 焼き餃子(ズッキーニと卵) 鶏とピーマンのピリ辛炒め ジャガイモと豚肉の炒め物 豆腐の蒸し物 トマトと卵のスープ 炒飯私は牡蠣が食べられへんけど、だんな様はこんなおいしいのは初めてやとうれしそうに食べてはった。餃子もおいしかったし、それ以外にもいろいろと出てきて満足。食事中に、午前中に行った旅順の水師営会見所で撮った集合写真の販売もあった。今回行った観光地の写真もアルバムのようになってて、1冊100元(1250円)。うちは買わんかったけど、ほとんふどの人は買うてはった。1時間ほどで晩ごはんが終了。ホテルまで送ってもろて、この日は解散。お宿の大連渤海明珠酒店ではなく、先にホテル・ニッコー大連(大連日航飯店)で降ろしてもろた。その近くにある天照悠然整体按摩院へ行ってみた。日本語フリーペーパーにも載ってたとこ。岩盤浴もあるそうやけど、時間がかかりそうやので中国整体60分でお願いした。1人118元がJALかANAードやと10元割引になって108元(約1350円)。 男性の更衣室は2階、女性は3階。上下着替えて、2階の治療室へ。だんな様と同じ部屋の隣のベッドでやってもらえた。私は肩こりがあるというて、女性が、だんな様は腰痛で男性のマッサージ師さんがついた。スタッフ全員が中医按摩師の資格を持ってるそうや。金川院長は、筑波大学大学院で体育健康学修士を取得して、日本の中国気功整体院にも8年ほど勤務した経験があるねんて。こんなに痛い指圧は初めて。ツボを押されるとビリビリくるし、筋肉の奥までほぐす感じ。体中アザだらけになって、鎖骨や肋骨にヒビが入るのではないかと覚悟したほど。でも一晩寝ると体が軽くなって、なかなか爽快やった。値段は高くなるけど、いつか院長先生にしてもらいたいなあ。千葉県柏市でも「中国気功整体」という店を持ってはって、院長先生は中国と日本を行ったりきたりしてはるみたいや。Whenever大連ローカル 天照悠然 整体按摩院この時点では、まだ痛む体を引きずって、夜景を見にでかけた。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 7輪(合計606輪)紅ちどりの開花 1輪(合計400輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年11月03日
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年賀状が発売された。いつもは近所の郵便局で買うてるんやけど、ネットでクレジットカード決済できるとこをみつけた。日本郵便がやってる、切手SHOP。1回のご注文で5,000円以上購入の場合は、送料が無料になる。つまり年賀状を100枚以上買うなら、送料がかからへん。会員登録が必要やったり、届くまで少し時間はかかるけど。切手SHOPすごく長く感じられた旅順観光をしたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。バスは旅順南路を通って、1時間弱で大連の南西部にある星海公園に到着。1909年に満鉄が総合リゾート地として砂利を敷き詰めた人工の海岸、星ヶ浦の一部を再整備して造ったものやそうや。海に突き出したところに高さ55メートルの塔が建ってて、バンジージャンプと海上を滑走するリフトのスタート台になってる。バンジージャンプは180元(約2250円)、リフトは80元(約1000円)みたいや。バンジージャンプをしてた人が見えた。飛び降りのも怖いやろうけど、ボートで助けに来てくれるまで逆さまに海の上に吊り下げられてるのも大変そうやった。岩場ではカップルや親子連れが何かを捕ってるみたいやった。潮干狩りなんか、小魚が捕れるのか、何やったんやろう。アジア最大の水族館「聖亜海洋世界」もあるそうや。ここに30分ほどいて、またバスで星海広場へ向かう。同じ敷地内にあるんやけど、広すぎるので車でも5分ほどかかる。1997年香港返還を記念して作られた星海広場は、総面積110万平方メートルとアジア最大。馬車が停まってて、これに乗ってまわることもできる。中央広場の、真ん中には、香港返還にちなんだ19.97メートルの華表という塔が建ってて、内側の円の直径は199.9メートル。これは、大連の市制100周年の1999年を記念した数字やそうや。広場の周りには、高級高層マンションがいくつも建てられてる。100平方メートルから300平方メートルの広さで、1平方メートル当たり、日本円で35万円ぐらいするそうや。3500万円から1億円以上。海が見えるのはポイントで、投資目的で買われることも多いらしい。煙が上がってて、ボヤがあったようやった。中央広場から海のほうへ行くと、市制百周年記念彫刻があった。こんな日本語の説明も刻まれてた。「市制百周年記念彫刻紹介大連市市制百周年(1899年~1999年)を記念するために建設した百周年記念彫刻広場は1999年9月19日に完成したものである。当彫刻は開いた本の形と羽ばたく翼の形にしている。銅で作られた80メートルの彫刻に老人から赤ちゃんまでました。銅で作られた80メートルの彫刻に老人から赤ちゃん、各業種にわたる代表人物1,000人の足跡が刻まれており、百年來大連市民がいろいろな困難を乗り越え、妥協せず、前向きにがんばっていることを象徴している。彫刻の突き当たりに二人の可愛い子供の像があり、子供達は大連が世界に進出し、新世紀に期待する姿を表現している。」ガイドさんによると、1列目は1899年に生まれた人の足型、最後の列は1999年に生まれた赤ちゃんの足型で、700人分は無料、300人分は有料やったそうや。1列目には纏足(てんそく)のものもあった。奥には、スケートボードリンクのようなのがあって、それが本と翼をイメージした巨大彫刻やった。本の先端まで上がってみたけど、スリルがあった。ほかにも、演奏してる人や、スケートボードする人、馬に乗る人などいろんなオブジェがあった。ここにも30分ほどいて、晩ごはんを食べに向かう。餃子料理やそうで、楽しみ。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 1輪(合計599輪)紅ちどりの開花 1輪(合計399輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年11月02日
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旧旅順ヤマトホテルに行ったとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。友誼路に出て、旅順軍港のゲートのようなところを右手に見て、解放橋を渡る。この橋は、日本領有時代は日本橋と呼ばれてて、旧市街と新市街を結んでる。奥のほうに軍艦のようなのも見えた。すぐ先左手に旅順駅があった。その上には、白玉塔の白い姿もある。旧旅順ヤマトホテルから5分ほどで到着。駅の反対側は、軍の施設があるので撮影禁止と言われた。バスから降りて黄河路越しに旅順駅を見るんやけど、これやったら車窓から見るんとほとんど変わらへん。近くまで行きたかったなあ。ロシア帝国ニコライ2世の時代に旧東清鉄道最南端の駅として1901年に建てられた木造ゴシック式建築の駅舎で、1903年に開通した。当時とほとんど変わらない姿を残してるそうや。日露戦争後の講和条約でロシアは長春(新京)以南の東清鉄道を日本に譲渡し、1906年に南満洲鉄道(満鉄)が設立される。1945年満洲に侵攻したソ連軍に接収され、中ソ合弁会社が共同所有する長春鉄路に、1952年中国に返還された。今、この駅を通る列車は、朝2本、夕方2本だけ。大連駅発が、6:42に出て旅順駅に8:25に着く風通列車の6331次と9:02に出て10:05に着くエアコン付快速のK7329次。旅順発が、9:02発 大連10:05着の快速K7330次と16:25発18:14着の普通6332次。ここに着いた列車は、道路を横切って駅の少し先まで行き、スイッチバックして戻ってくるそうや。軍港が近いため、外国人が利用できるようになったのは、2009年から。いつかこの列車にも乗ってみたいなあ。営業距離は61kmで、快速が7元(約88円)、普通が4.5元(約56円)のようや。大連と結ぶバスは10分おきぐらいにあって、早く着くみたいや。快速が8元(約100円)、普通が5.5元(約69円)。白玉塔もここから眺めただけ。日露戦争で戦死した日本軍兵士を慰霊するために、東郷平八郎と乃木希典によって1907年から2年以上かけて建てられたものやそうや。66.8mあって、当時は「表忠塔」という名前やったけど、1985年に山の名前とって「白玉山塔」と改名された。 ここにいたのは、5分ほど。戦跡ばっかり見てきたけど、旧市街はデパートもあって賑やかそうやった。バスは、長江路から旅順南路に入り大連へ向かうた。5時間ほどの旅順滞在やったけど、すごく長く、重く感じられた。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 0輪(合計598輪)紅ちどりの開花 0輪(合計397輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月30日
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平成19年と20年の医療費控除の還付申告をした。めんどうで、いつかしようと思いながらなかなか手をつけてなかった。年間(1月1日~12月31日)で家族の医療費の合計が10万円以上やと、所得税が還付されることがある。確定申告書に必要事項を記入し、明細書に医療機関名や治療の内容、交通費などを書いて領収書と一緒にまとめたものと給与所得の源泉徴収票、生命保険の入院給付明細書(この分は差し引かなあかん)などと一緒に地元の税務署に持っていく。1か月ぐらいで、指定口座に還付金が振り込まれる。還付申告ができるのは、その年の翌年の1月1日から5年間。平成18年分は、今年の12月31日までの申請適用になる。川島芳子が暮らしてたことのある粛親王府旧址へ行ったとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。バスに乗って2、3分で次の目的地、旧旅順ヤマトホテルに着いた。ここもボロボロやし、1977年に改築されて当時の外観とは変わってるみたいや。1階部分には、上海大肉面という食堂や喜鳳商店などのお店が入って営業してる。入口部分には、昔の面影が残ってるようや。ロビーがあったところは、何もなく優雅な階段が2階へと続いてるだけ。2階部分は招待所になってる。招待所というのは、中国人向けの安宿のこと。昔は高級ホテルやったのに、今は1泊70元(約875円)ほどなんやそうや。でも、外国人は泊まることができへんねんて。この建物は1903年に建てられ、1908年に旅順ヤマトホテルとして開業した。1909年には夏目漱石が宿泊し、1927年には川島芳子が19歳のときに蒙古族の巴布扎布(パプチャップ)将軍の二男で幼なじみのカンジュルジャップと挙式した場所なんやそうや。1931年には、ラストエンペラー愛新覚羅溥儀も長期滞在してる。建物の前には、露天の果物や野菜を売る店が出てた。リンゴ2個、南果梨(たぶん)2個、ナツメ3個で12元(約150円)やった。たぶん観光客用の値段やろうけど。南果梨は、ミカンぐらいの大きさで洋ナシをさっぱりさせたような味でおいしかった。生のナツメも初めて食べた。乾燥させたナツメは癖があって苦手なんやけど、これもさっぱりとした甘さでおいしい。そろそろ旅順ともお別れ。次は、大連駅へ向かう。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 4輪(合計585輪)紅ちどりの開花 1輪(合計395輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月25日
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旅順博物館で大谷探検隊の収集品などを観たとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。旅順博物館の向かいに、中ソ友誼塔をはさんで関東軍旅順司令部旧跡博物館がある。中ソ友誼塔は、旅順がソ連から中国に返還された1955年にできたものやそうや。てっぺんには、蓮の花の上に中国とソ連のマークがあって鳩が羽ばたいてる。関東軍司令部の建物を利用し、関東軍が使用した軍服や武器などが展示されているのが、関東軍旅順司令部旧跡博物館。ここは外から見るだけ。旅順博物館より、こちらを観たい人が多かったようでガイドさんに注文をつけてた人もいた。バスに乗って、すぐ近くの粛親王府旧址へ。ここは「東洋のマタ・ハリ」「男装の麗人」と呼ばれた川島芳子が、5歳から8歳ごろまで暮らした家。川島芳子の本名は、愛新覺羅顯(王子)(あいしんかくら けんし)。清朝の皇族、第10代粛親王(しゅくしんおう)愛新覚羅善耆(あいしんかくら ぜんき)の第十四王女。善耆には、正室1名、側室4名との間に王子21名、王女17名がいはったそうや。顕シは善耆の顧問であり、義兄弟の関係を結んでいた川島浪速(かわしまなにわ)の養女になり、1915年8歳のときに日本へ渡る。この家には、ラストエンペラー愛新覚羅溥儀と妻の婉容も滞在してたことがあるみたいや。でも、今は手入れもされずボロボロ。入口は閉ざされてて中に入ることはできないし、割れたガラスが外にまで散乱してる。窓ガラスの割れた隙間から部屋の中を写してみたけど、閑散としてた。ここには5分ほどいて、次は川島芳子が挙式した旧旅順ヤマトホテルへ向かう。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 1輪(合計581輪)紅ちどりの開花 0輪(合計394輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月24日
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水師営会見所でお昼を食べたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。水師営から旅順口に向かい、15分ほどで旅順博物館に到着。ここは、旅順新市街の中心地にある。ロシア将校倶楽部だった建物を改築して、1917年に関東都督府満蒙物産館として開館したのが始まり。1919年に関東庁博物館、1934年に旅順博物館と改称されてる。終戦後1945年ソ連の東方文化博物館、1951年に中国の旅順歴史文化博物館、そして1954年に旅順博物館に戻った。2006年7月から、一般の日本人も見学できるようになった。バスを降りて入口を入る。左手に見えてるのが、主館かと思うたけど、これは2001年にでき分館やった。主館と分館があって、今回観たのは主館だけ。入館料は、主館20元(約250円)、別館15元(約188円)。分館では、1階に大連古代文明、2階に日本画、日本・朝鮮古代陶磁器、古代インドの仏像、外国の切手などの外国の物を展示してるそうや。 主館はこの先の右手にあった。扁額は、郭沫若の揮毫。広々としたロビーを抜け、立派な階段を上がって2階の青銅器展示室へ。展示室に入ってため息が出た。格子の入った高い天井の部屋に、趣のある木製の陳列ケースがずらりと並んでる。なんて素敵な博物館なんやろう。ケースの中には、紀元前11世紀から771年 西周時代青銅の方鼎などが収まってる。青銅器は羅振玉氏のコレクションやったものが多いそうや。5世紀古墳時代 群馬県太田市出土の人首獣身土偶もあった。顔が人間、体か獣の小さな埴輪。首飾りや頭に模様がついてて、すごくチャーミング。旅順博物館には6万点以上の所蔵品があるそうや。そのうち3分の1の約2万点は、明治から大正にかけて西域(中央アジア)の仏教遺跡を調査した「大谷探検隊」が収集した「大谷コレクション」なんやて。大谷探検隊を主宰したのは、西本願寺第22代門主、大谷光瑞(こうずい 鏡如)。1899年12月、22歳の光瑞は父光尊(明如)の指示で、インド、ヨーロッパを経てロンドンへ留学する。留学中にヨーロッパ各地をまわり、欧州各国が中央アジア探検をしているのを見て、自らも仏教者として探検隊を組織することを決意する。大英図書館や大英博物館のスタインコレクションやパリのギメ美術館ペリオコレクション、スウェーデンのヘディンコレクションなどが、それらの探検の成果。第一次探検は、1902年8月に25歳の光瑞も含めた5人でロンドンから出発し、インドと西域を目指す。1903年1月に父光尊が亡くなったため、光瑞は門主を継ぐため帰国したけど、探検は1904年まで続いた。光瑞の指示で、第二次探検隊(1908年~1909年)、第三次探検隊(1910年~1914年)がシルクロードへ送られた。それらの費用負担や、日露戦争時の巨額の国債の引き受け、神戸の壮麗な別邸二楽荘の建設などで、教団の財政は悪化、疑獄事件にまで発展し、光瑞は1914年責任を取って門主を辞任する。探検隊の収集品の一部は、旅順にあった大谷家別邸に移され、それが関東庁博物館(今の旅順博物館)に収蔵されることになった。後に、そのうちの一部は、中国歴史博物館と中国国家図書館に移されてる。日本に残った収集品は、二楽荘とともに日立製作所を設立した久原房之助に売り渡され、さらに一部が初代朝鮮総督・寺内正毅のもとに送られ、朝鮮総督府博物館(今の韓国国立中央博物館)に収蔵される。日本にも、龍谷大学、東京国立博物館、京都国立博物館、その他の博物館や図書館などに分散してあるそうや。国際敦煌プロジェクト(IDP)日本コレクション旅順博物館の展示は、漆器室、エナメル工芸室、玉器室と続いていく。手の込んだ工芸品は、それほど古い時代のものやないけど美しい。東アジア陶磁器芸術室には、また展示ケースがずらりと並んでる。古い朝鮮と日本、ベトナムなどの陶磁器が展示されてて、うれしい。縄文土器まであった。海外に行くとそこの博物館には行くようにしてる。日本についての展示物は、あまり充実してないように感じる。日本においても貴重なものやとは思うけど、いろんな国の博物館に日本の歴史がわかるような美術品がもっとあれば、日本への理解も変わってくるように思うんやけどなあ。その点からも、旅順博物館の展示は頼もしい。その奥には、旅順博物館で一番有名な展示室があった。第三次大谷探検隊が、新疆ウイグル自治区トルファンのアスターナ(阿斯塔那)・カラホージャ(高昌故城)古墳群から発掘し持ち帰ったミイラ12体の内の2体。6世紀ごろの高昌国の身分の高い男女なんやそうや。ミイラといっても、古代エジプトのように人為的防腐処理したものではなく、非常に乾燥し暑い中央アジアならではの自然にできたもの。衣服を身につけ、足には足袋のようなものまで履いたまま。髪も爪も残ってる。男性は、麻布の外套のようなものを着て、腰には紐を結んでる。女性は、黒い長い髪を頭頂部でおだんごにまとめて、絹の服を着てる。骨格標本を元にで復元した等身大の蝋人形も飾られてた。1階へ下りて、仏像を展示してる部屋へ。インドパーラ朝の仏降魔成道坐像などは、大谷コレクション。古い貨幣や銅鏡を展示してる部屋もあった。貨幣のことはようわからんけど、銅鏡はさすがに立派な物を置いてあった。ミュージアムショップもあったけど、お土産みたいなものが多かったような。美術館のカタログみたいなのを、買うてくればよかったなあ。建物の裏にまわってみた。素敵な建物。地元の男の子たちが、ふざけて遊んでる。ここは、自由観覧で50分ほどいられた。ツアーの参加者の人たちには、つまんなかったようやけど、私には時間が足りないぐらいやった。また、ゆっくりとこの博物館に来てみたいなあ。旅順博物館大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 2輪(合計576輪)紅ちどりの開花 0輪(合計394輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月22日
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203高地へ登ったとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。203高地から10分ちょっと、11時40分ごろ、乃木大将とステッセル中将の会見がおこなわれた水師営会見所に到着。水師営は清の時代に設けられてた水軍の駐屯地のことで、旅順港から北へ5キロメートルほどのところにある。日本軍が1904年12月5日に203高地を、18日に東鶏冠山、28日に二龍山、31日に松樹山を占領して、1月1日にロシア軍から白旗があがる。ロシア軍旅順要塞司令官ステッセルから第三軍司令官乃木希典にこんな文面の書簡が届けられたそうや。「交戦地域全般の形勢を考察するに今後に於る旅順口の抵抗は不用なり 依て無益に人命を損せさるか為め余は会開城に付談判せん事を望む」日本軍はこれを直ちに受け入れ、2日水帥営で両軍の全権委員により旅順開城規約の調印が行われ、5日に乃木とステッセルが水師営で会見を行う。ガイドさんが払うてくれたんかなあ。入場料は40元(約500円)みたいや。こんな値段払ってまで来るのは、日本人だけやろうなあ。門をくぐったところからは、スタッフの女性が日本語で説明してくれる。屋根に雑草がはえてる藁葺きの家は元は劉さんが住んでた民家で、当時日本軍の野戦病院として使われていた所なんやそうや。もちろん文化大革命を経て当時のものが残っているはずもなく、これは1996年に忠実に復元されたもの。2間あって、右側の部屋が日本軍のj控え室。日露戦争の写真が壁一面に展示されてて、それをもとにスタッフが説明してくれる。会見に使われた机は手術台に白い布をかけたものやったそうで、天板に軍医が墨でそのことが書かいたのが残ってる。2台あって、そのうちの1台がこれで、もう1台は陸軍軍医学校に保管され、敗戦後は乃木邸に寄贈され、今も赤坂の旧乃木邸に保存されてるみたいや。その両側に置かれたベンチの高さが違って、奥が日本側で少し高いそうや。それは、勝った側であることと、座高の違いから高くしたとスタッフの人が言うてはった。隅に飾り棚が置かれてて、その中には水晶やラピスラズリ、琥珀などの石や満鉄時代の物だというオメガの懐中時計や満鉄マークの入ったガラスの器などが展示されてる。水師営の建物も雨漏りなどがしてるけど、中国政府の補助はなかなか出ないので、日本人観光客からも寄付を集めてる。1万円の寄付で、この飾り棚の中のどれでも好きな2点をさしあげるという。なんかなあ。庭には、ステッセル中将が連れてきて、乃木大将に贈ったアラビア産の白馬が繋がれていたという棗(ナツメ)の木もあったけど、4代目やという、か細いものやった。日露戦争終了後1908年2月、ステッセル中将は旅順要塞早期開城の責任を問われ、軍法会議でニコライ2世から死刑宣告を受けたけど、1909年4月、特赦により禁錮10年に減刑される。それには、乃木希典の助命運動の影響も大きかったそうや。敷地内の別の建物が資料館のようなお土産物屋さん。川島芳子、李香蘭、田中絹代、京マチ子、水の江滝子、山田五十鈴などを使ったお酒などのポスターや、古い看板、貨幣、オメガの懐中時計、切子ガラス、琥珀などが並んでる。日本占領時代のオメガの懐中時計ってそんなにようけ残ってるんかなあ。敷地の別の場所には食堂「瑞金餐館」があって、12時過ぎから郷土料理のお昼ごはん。お客さんは、日本人ツアー客ばっかりかと思うたら、中国人のお客さんもいはった。また、10皿以上お料理が登場。 茄子に衣をつけて焼いたの タコとピーマンの炒め物 昆布とじゃが芋の煮物 酢豚のようなの ワケギの炒め物 きゅうり、玉ねぎ、ピーナッツのあえ物 豆腐の煮物 干魚の揚げたの モヤシとニラ炒め クレープ(春餅)包み 岩のりのスープ 饅頭 炒飯ここのも春餅なんかな。ちょっと分厚くてボソボソしてて四角くたたんであった。細いモヤシの炒めたのが、なぜかすごくおいしかった。他の人も言うてはって、すぐにお皿が空になってた。40分ほどで食事が済んで、次は今回の旅で一番楽しみにしてた旅順博物館へ向かう。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 2輪(合計574輪)紅ちどりの開花 0輪(合計394輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月21日
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旅順の東鶏冠山北堡塁に行ったとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。東鶏冠山北堡塁には40分ほどいて、10分ほどで二○三景区と書かれた場所に到着。ガイドさんが払うてくれたけど、入場料は30元(約375円)。麓には桜並木や桜花園があって、桜まつりのときには大勢の人が訪れるそうや。そこから急な坂になってる遊歩道を10分ほど登ったところが、203高地のてっぺん。登山観光バスが2台停まってて、1人往復100元で送迎もしてくれる。バスとはいってもバンのような車。7人ほどが、その登山バスに乗っていきはった。ここは、日露戦争最大の激戦地。元は猴石山という名前で、海抜206メートルあったけど、激しい爆撃で削れて203メートルになったと、ガイドさんは言うてはった。日本海軍は、1904年2月、3月、5月と旅順港閉塞作戦を3回実施したけど、どれも失敗に終わってた。ロシア軍の太平洋艦隊が拠点とする旅順港の湾口は、老虎尾半島と対岸の黄金山山麓にはさまれて幅が270メートルほどしかなく、そのうち大型艦船が行き来できるのは水深の関係で幅90メートルほどなんやそうや。そこにバラストを満載した古い貨物船などの廃船を沈めて、港の中にいるロシア軍艦を封じ込めようという作戦やった。ロシアのバルチック艦隊が応援に向かっているという動きがあり、それが日本近海に到着する前に旅順の太平洋艦隊を壊滅させなければならないという状況にあった。乃木将軍率いる第三軍は、11月26日第3次旅順総攻撃を開始。今までと同様に、松樹山、二龍山、東鶏冠山といった旅順要塞を攻撃したけど、うまくいかない。翌日の11月27日、攻撃目標が203高地に変更された。203高地から旅順港を一望できるので、そこに観測所を設け、旅順港内のロシア軍艦への砲撃の精度を上げ、攻撃を優位に進めるためなんやそうや。28日朝から203高地への砲撃が開始され、その夜に一旦占領するものの、翌29日には奪還されてしまう。30日にまた占領するも、また奪還されと攻防戦が続く。この日、乃木希典は大将の次男である保典(やすすけ)がここで戦死してる。金州南山での長男勝典に続き、次男もこの戦争で亡くした。12月5日、ようやく日本軍が203高地奪取に成功する。重砲観測所を設置し、重砲を指揮して港内のロシア艦隊を砲撃。22日には、主力艦隊を全滅に追いやる。12月18日に東鶏冠山、28日に二龍山、31日に松樹山を占領して、1月1日にロシア軍から白旗があがる。この小さな丘で、日露あわせて2万人もの死傷者が出たとは。屍が埋めつくしてたんやろうなあ。山頂の広場の中央に、10.3メートルの爾靈山慰霊塔が建ってる。銃弾の形をした忠魂碑は、203高地で拾い集められた弾丸と砲弾の薬莢を集めて鋳直し、1913年にできたものやそうや。三十年式歩兵銃の三十年式実包の形かな。「爾霊山(にれいさん)」の文字は乃木希典の揮毫で、「二零三」と同じ発音。「爾」は「なんじ」とも読み、「あなた」という意味。「あなたの魂の眠る山」っていうことやなあ。よく見ると、ロシア語のものや中国語の落書きがたくさん刻まれてる。1954と書かれてるものもあった。側面には銃痕?のような穴がいくつも開いてた。砲弾型の上のほうだけ色が違ってる。文化大革命のときに先端部分が壊され、のちに復元されたみたいや。ガイドさんによると、下部の丸い穴は日の丸をイメージしてるそうや。「203高地の紹介」という案内板があって、日本語の説明も書かれてた。「203高地は1904年の日露戦争の主要戦場の一つである。日露両軍はこの高地を争奪するため、激しい強い争いをし、結果、ロシア軍側では死傷者は5000名余り、日本軍側では死傷者は10000名余りに達した。戦後、日本第三軍司令官である乃木希典は戦争で命をなくした兵士たちを記念するため、砲弾の残片でこの高さ10.3メートルの砲弾状の慰霊塔を建て、爾霊山という三文字を揮毫した。今は、この爾霊三はすでに日本軍国主義による対外侵略の罪の証拠と恥の柱となった。」中国語では最後の部分は「罪証和恥辱柱」。別に、「銘記歴史 勿忘国恥」と書かれた看板もそばに建ってた。中国人としてこの国辱を忘れてはならないという意味で、この慰霊碑を残してるっていうことやろう。中国のそれもかつて日本が占領した場所に、日本人が建てたものがそのまま残ってるっていうことのほうが不思議かもしれん。観光目的で残すにしても、大義名分が必要なんやと思うた。山の反対側に行くと、重砲兵観測所の址があった。案内板には「銃砲兵用探り所」とある。「1904年12月、日本軍は二〇三高地を占領した後すぐ、そこに銃砲兵用探り所を設置したことにより、銃砲を指揮して旅順口港へ猛烈な攻撃を行い、港に停泊したロシア軍艦を殆と日本軍の砲火に打ち壊された。銃砲兵用探り所は日本軍がロシア軍海軍の力に打撃を加え、ロシア軍陸上防御線を粉砕して最終的にロシア軍を打ち負かしたことにおいて、重要な役割を果した。」その奥には、日本軍の280ミリ榴弾砲が置かれてた。レプリカやろうなあ。そんな大事なもの日本軍は残していかんやろう。案内板には「日本式280ミリメートル榴弾砲」とある。「二〇三高地争奪戦で、日本軍は口径の異なる大砲を六十台余り使用して、高地に対して狂気じみた無差別爆撃を加え、全部で一万一千発以上の砲弾を撃ったが、そのうちに280ミリメートル榴弾砲砲弾が2254発あった。当該大砲は本体の重さが10.753トン、砲弾の重さが217キロで、射程が7800メートルだった。」砲弾の重さが、217キロってすごいなあ。砲弾をクレーンで吊り上げてから人力で押し込んで装填したみたいや。この日は天気がよくて、旅順港がよう見えた。山の中間地点から少し山道を下りたところに「陣地隔離帯」と書かれたところがあった。これも後からそれらしく作ったものやろうなあ。さらに下りると、「乃木保典戦死の碑」もあったんやけど、集合時間に遅れそうやのでバスに戻った。ここには45分ほどいた。次は、乃木大将とステッセル中将の会見がおこなわれた水師営会見所へ向かう。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 2輪(合計572輪)紅ちどりの開花 0輪(合計394輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月20日
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大連から旅順に向かうてるとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。旅順は、元の時代には「獅子口」と呼ばれてた。明を建国した朱元璋(太祖・洪武帝)が派遣した軍隊が平安無事に上陸できたので、「旅途順利」の意味から「獅子口」を「旅順」に改めたそうや。大連から旅順に向かう道は、北路、中路、南路と3本あって、南路は1920年代に日本が造ったものやそうや。その道を行く。脇には、高速道路を建設中やった。車内で、試食タイム。りんごのチョコレートかけ、甘栗、烏龍茶クッキーと申込書が配られ、気に入った人はお土産として購入することができる。どれも70元やった。こういうセールスなら、ええかもしれん。大連のホテルを出てから1時間15分、9時45分に東鶏冠山北堡塁(ひがしけいかんざんきたほるい)に到着。入場料は20元(約250円)。1904年(明治37年)5月にあった南山の戦いの跡地は前日に行ってる。ロシア軍は南山から旅順へ撤退し、辛勝した奥 保鞏を司令官とする第二軍は、遼陽へ向かう。乃木希典が指揮した第3軍が6月4日遼東半島に上陸し、旅順攻略に当たる。1か月以上かけてロシア軍の旅順要塞を取り囲むけど、十分な準備ができないまま8月19日に攻撃を始め、大きな損害を出して撃退される(第1次旅順総攻撃)。第2次旅順総攻撃が10月26日に開始される。日本から船と鉄道で28センチ榴弾砲運んできて攻撃したけど、またしても死傷者を多数出して失敗。11月26日に、第3次旅順総攻撃が始まる。ロシア軍が1900年から4年かけ中国人強制労働者を使って建設した堡塁は、砂利とセメントを混ぜたコンクリート製の巨大なトーチカ。周囲496メートル、面積9900平方メートルもあって、士官室や兵舎、厨房兼包帯所、食堂、弾薬庫、電話室、弾薬倉庫、井戸などを備えていた。周囲には堀があって、堀の外には高圧電流が流れる鉄条網まで設置されてたそうや。日本軍は、堡塁に向かって坑道を掘り、何度も爆破を試みる。そこから煙で燻し出す作戦も取ったそうや。12月5日、日本軍が203高地を占領。12月15日に堡塁にいたロシア軍司令官のコンドラチェンコ少将に日本軍の榴弾砲弾が命中して、戦死。12月18日、日本軍は2.3トンのダイナマイトを仕掛け堡塁を占領する。年が明けた1月1日、ロシア軍が白旗を揚げて降伏を申し出ることになる。満洲戦蹟保存会が1916年に建てた「東?冠山北堡壘」の石碑があった。乃木希典の故郷である山口県から運んできた青御影石でできてるそうや。「明治三十七年八月以来第十一師団ノ諸隊及後備歩兵第四旅団ノ一部隊之ヲ攻撃シ同年十二月十八日占領ス。陸軍大将男爵鮫島重雄碑名ヲ書ス 大正五年十月 満洲戦蹟保存会」と刻まれてた。近くに、「露国コンドラテンコ少将戦死之碑」もあった。コンドラチェンコ指揮官の武勲を称えて、日本が作った碑やそうや。当時のものやとガイドさんは言ってはったけど、ちょっと新しそうやったなあ。こんな生々しい戦跡を見たのは初めてで、すごく衝撃を受けた。ただ、ここも少しずつ観光地化されてるようや。次は203高地へ向かう。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 5輪(合計564輪)紅ちどりの開花 0輪(合計394輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月18日
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大連渤海明珠酒店に泊まったとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月30日、2日目。この日は、旅順観光。集合時間は8時半で、7時にモーニングコールがあった。混むかと思うたので、7時ごろ30階の展望レストランで朝ごはん。ツアーには、この朝ごはんも含まれてる。洋風のソーセージ、目玉焼き、トースト、ジュース、砂糖の入ったコーヒーなどあるけど、どれもおいしくない。中華の炒め物、餃子、お粥などもある。黒米粥、粟粥などは中国東北地方に特有なんかな。スイカもあって、それが一番おいしかった。次の日からは、ここではスイカだけ食べて、外に朝ごはんを食べに行った。ツアーには年配の方が多いので、集合時間にはいつも出発できてた。大連日航ホテルの宿泊者を迎えに行く。一度このホテルの1階のトイレに入ったけど、大連渤海明珠酒店のトイレットペーパーもなく臭いのひどいトイレとは大違いやった。旅順までは1時間ちょっと。人民広場の芝生はアメリカのもので、365日緑色やとか、満鉄の線路を利用して路面電車が走ってるとか、ブランド物などの贅沢品は日本より高いとか。こういう話は、現地のガイドさんならでは。大連ハイテクゾーン(大連高新技術産業園区)の入口に大きな黄色のモニュメントがあった。ここにはソフトウェアパーク(大連軟件園)もあって、パナソニック、ソニー、オムロン、アルパイン、住友電装、NECなど、欧米や日本、韓国、台湾、香港などの外資系企業がたくさん進出してるそうや。動漫(アニメ)産業基地もあって、アニメ産業の育成にも力を入れてるみたいや。周辺には、大連理工大学、大連海事大学、東北財経大学などの大学もあるし、ますます発展していくんやろうなあ。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 7輪(合計559輪)紅ちどりの開花 2輪(合計394輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月17日
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大連園飯店の海鮮楼餐庁で晩ごはんを食べたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月29日、1日目。食事の時間は45分ほどで、ホテルに向かう。まず、ホテル・ニッコー大連(大連日航飯店)に泊まる4人を降ろしてチェックイン。このツアーでは、1人1万円の追加でデラックスクラスの大連日航飯店にグレードアップすることができた。ちょっと迷ったんやけど、追加せんことにした。残りの21名は、スーペリアクラスの大連渤海明珠酒店へ。大連駅の目の前にある、30階建ての立派そうなホテル。でも、ロビーに入るとなんか薄暗くてしょぼくれてる。パスポートをガイドさんに預けて、チェックイン。禁煙ルームをリクエストしてて、大丈夫やということやった。パスポートを返してもろて、ルームキーと朝食券が配られ21階の部屋へ入った。タバコの臭いがして、灰皿まで置いてある。フロントに戻ると、まだガイドの李さんがいたので、交渉して部屋を替えてもろた。22階のその部屋へ行くと、またタバコ臭い。灰皿もある。もう、あきらめた。すると、部屋の掃除の人が来た。窓を開けて、灰皿を持っていった。禁煙ルームってそういうことなんかなあ。エレベーターには、このホテルの21階と22階は日本人フロアーと日本語で書いてある。別の階には、NO SMOKING FLOORと書いてあったけど、日本人のツアー客はダメみたいや。お湯が出るか、お風呂の蛇口をひねると茶色いお湯が出る。バスタブ3回分お湯を出して、やっとおさまった。元の21階の部屋のほうがましやったんかもしれん。部屋は広いし、冷蔵庫も湯沸しポットも、バスローブも、ドライヤーもあって、テレビはNHKが映るし、毎日ペットボトルの水も1人一本無料でくれはるんやけどなあ。だんな様は、日航飯店にしたらよかったとしきりに言うてはった。1997年創業で、2010年に改築もしてるそうや。私は、この値段のツアーならこんなもんやと思うけど、4つ星と言われると首をかしげる。翌朝ツアーの人たちも、電気がつかないとかテレビが映らないとかいろいろ言うてはった。部屋に落ちついたんが、7時過ぎ。まだ早いので、大連の街に出かけてみた。大連では初の地下鉄を2009年から造ってるそうで、来年末の開通予定やそうや。いろんなとこで、工事をしてて埃っぽい。ホテルから長江路を歩いて3分ほどのところに、糯米香というお店があったので入ってみた。甘味屋さんのようや。紅豆粥1碗4.5元(約63円)と餡の入ったお餅1個3.4元(約43円)を注文して、7.9元(約99円)。カウンターで欲しいものを選んで、レジで注文しお金を払ってレシートをもらい、またカウンターで品物をもらう仕組み。店内で食べた。紅豆粥はほとんど甘さのないおぜんざいのようなの。閉店間際で火を落とした後やったのか、ぬるかったけど、豆の味がしっかりしておいしかった。餡餅はお餅がちょっと固くなってたけど、その日に作ってる証拠やな。このお店が気に入って、もう一度行った。太平洋百貨にも行ってみた。1階は宝飾品が並んでて高級そう。地下にスーパーもあった。9時半ごろホテルに戻って、休んだ。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 1輪(合計528輪)紅ちどりの開花 16輪(合計375輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月10日
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大連のお茶屋さんに連れて行かれたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月29日、1日目。お茶屋さん中山区春徳街86号にある茗香園(めいこうえん) にいたのは、1時間ほど。それから、晩ごはん。10時半ごろ出た機内食しか食べてないので、お腹ペコペコ。5分ほどで、中山区五五路にある大連?酒店の前にバスが到着。1階の奥にある大連園海鮮楼 海鮮楼餐庁が、夕食の場所。日程表によると、中国東北料理が食べられるはずや。店頭には、料理に使う魚介類が並べられてる。野生大海老 1匹29元、大蛤肉 1斤(500g)46元など。ツアー代金には、飲物代は含まれてへん。食事のたびに、ガイドの李さんが注文を取りに来はった。ビールはどこでも500mlぐらいの小瓶が25元(約313円)。食後に、中国元でガイドさんにお金を渡す。ここでは、大連干?っていうアルコール度数4.4%のドライビールやった。アサヒのスーパードライが5%やから、ちょっと薄め。あっさりしたビールやった。円卓に6人で座ったんやけど、料理のお皿が次から次に運ばれる。 ナスの揚げ炒め 岩のりと卵のスープ 殻つきアサリのピリ辛炒め ゲソのピリ辛炒め 豆腐のピリ辛炒め 鶏のピリ辛炒め 青菜炒め 干し魚の炒め煮 炒飯みたいなの(白いご飯に少しだけ炒めた卵と葱を混ぜただけ) 饅頭 トマトと卵の炒め 豚肉の酢豚風激安ツアーやし、ほとんどお料理は期待してへんかったんやけど、思ってたよりおいしかったし、量もたっぷりでお腹いっぱいになった。毎回10皿ぐらい登場してた。中国のツアーは、安い素材なんやろうけどいろんなお料理が食べられるのでうれしい。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 2輪(合計527輪)紅ちどりの開花 4輪(合計359輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月09日
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紅ちどりは10月に入っても、けなげに咲いてくれてる。だんな様が自転車屋さんで、中古のかっこええ自転車を買いはった。6年前に買うたのが、さびてボロボロになってきてた。折りたたみやなくタイヤサイズも大きいのをと思うてたんやけど、同じ20インチの折りたたみになってしもた。前も、一度も折りたたんで使うたことはなかった。前のは税・送料を入れ新品で8,660円やったのに、今度のはリサイクル自転車で、税込み10,479円。防犯登録料500円と前の自転車の廃棄料980円を加えて11,959円。モスグリーンの色と前の持ち主が貼ったノースフェースのステッカーが気に入ったようや。G.R.Q Bicycle co.っていう、下北沢のストリート系インポートショップ「GRQ」のオリジナルバイクみたいや。私が買うんなら、ステッカーが貼ってある分を値引きしてもらうやろし、廃棄は粗大ゴミに出せば600円やったんやけど。金州南山に登って乃木大将碑を見たとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月29日、1日目のこと。南山にいたのは30分ほど。バスは大連市内に戻っていった。途中、イケア(IKEA)の黄色と青の看板が見えた。イケアまであるんやなあ。これから、ツアーお定まりのショッピングタイム。45分ぐらいで、中山区春徳街86号にある茗香園(めいこうえん)に到着。2階の個室に2つ詰め込まれた。チャイナドレスを着た女性が、日本語でお茶の試飲を勧めてくれる。お客さんのリクエストに合わせて、花茶、鉄観音、黒烏龍茶、一葉茶、ジャスミン茶など。お茶菓子のエビエキス入りピーナッツ飴、生姜ゼリーなど。最後のほうには「どうですか」攻撃で、すごい売り込み。「血中及び肝臓のコレステロール上昇を抑え、動脈硬化を防ぎ、尿酸値を下げる。通風予防、口内炎消炎と利尿作用」という効用にひかれて、だんな様が飲んでみたそうやった一葉茶。相当値切って買ったけど、それでも日本で買うたほうが安いぐらいやった。缶に入ってるんやけど、お茶の重量がいい加減。 値段は他のお客さんに秘密にしてって言われたから書かへんけど。販売員のお姉さんたちは、売上げに応じてお給料がもらえる歩合制なんやろうなあ。大連に詳しい人によると、大連の中国茶はあまりおすすめではないそうや。お茶の産地はもっと中国の南のほうやし。こういう機会に、中国茶のおいしさを知る人が増えるメリットもあるかな。だんな様が、飲んでみようと思いはったんやし、それで効果があれば安いもんや。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 0輪(合計525輪)紅ちどりの開花 4輪(合計355輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月08日
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インフルエンザの予防注射を打ってもろた。世田谷区のかかりつけのクリニックで3000円やった。効果があるのかどうかはわからんけど。金州提督府址で正岡子規の句碑を見たとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月29日、1日目のこと。提督府(副都統衙門)にいたのは10分ほどで、そこから10分ほど走った道端でバスが止まった。標高116.6mの南山が次の目的地。正岡子規が従軍記者として遼東半島に1か月ほど滞在した7年後に子規は亡くなってる。その2年後、1904年(明治37年)2月に日露戦争が勃発。海軍は、伊東祐亨海軍軍令部長、東郷平八郎連合艦隊司令長官。陸軍は、大山巌満州軍総司令官、児玉源太郎満州軍総参謀長。203高地や南山に関係するのは、陸軍。海軍による旅順港閉塞作戦が2月24日、3月27日、5月2日の3回とも失敗に終わり、4月12日海軍は陸軍に対して旅順要塞の攻略を要請する。陸軍は、黒木為(木貞 もと)を司令官とする第一軍が平壌近くの鎮南浦から3月14日朝鮮半島に上陸。5月1日、鴨緑江を渡り九連城を占領する。3月6日に編成された奥 保鞏を司令官とする第二軍は、5月5日から13日にかけて遼東半島の塩大澳に上陸。5月26日金州城と南山を占領する。金州付近は遼東半島の中でもっとも幅が狭く、くびれている場所。ここを占領すれば、旅順要塞を孤立させ、ロシア本国からの救援を食い止めやすくなる。ロシア軍の要塞は堅固で、日本軍は苦戦し、兵力の1割以上4000人を超える死傷者を出す。戦死者のなかに、乃木希典の長男25歳の乃木勝典少尉もいた。乃木希典の次男保典も、友安治延少将の率いる後備歩兵第一旅団の副官として来ていて、治療を受けていた兄を見舞ったそうや。次男も、半年後に戦死することになる。5月30日には、大連も占領。5月1日に乃木希典を司令官とする第三軍が編成され、6月4日に遼東半島に上陸する。南山は、そんな激戦があったとは思えんような小さなのどかな丘やった。途中に立派な碑が建ってて、これが日本の忠魂の碑かと思うたら、南山ロシア忠魂碑やった。その横に、鉄柵の門があって、その奥にソビエト兵の墓地があるみたいや。立派な碑のてっぺんには、共産党のシンボル鎌と槌と星のマークもあった。ロシア語と中国語で何か書いてある。「為撃敗?日本帝國主義 而英勇犠牲的蘇軍烈士們永埀不朽 1945年」と中国語は読める。南山の戦いのことやなくて、1945年に8月8日にソ連が対日宣戦布告し、満州国へ侵攻を開始したときのソ連軍兵士を称えてるみたいや。それに、この碑は別の場所にあったのを、ここに移動してきたのかな。さらに、草に生えた道を上がっていくと、頂上のようなとこに出た。南山日俄戦争遺址と書かれた石のプレートがある。これには、大連市人民政府1993年3月10日交付と刻まれてる。その奥には、階段状の台のようなものがあった。ここに日露戦争終結後、南山戦勝記念の戦跡塔碑と乃木将軍の「金州城外作」という漢詩の鎮魂碑があったそうや。 金州城下作 山川草木轉荒涼 さんせんそうもく うたたこうりょう 十里風腥新戰場 じゅうり かぜなまくざし しんせんじょう 征馬不前人不語 せいばすすまず ひとかたらず 金州城外立斜陽 きんしゅう じょうがい しゃようにたつ乃木大将が1904年6月7日にここを視察したときに、作りはったそうや。文化大革命のときに、両方とも壊された。ガイドの李さんは、ここは人が来ない場所で管理ができないので、取り外して、日露監獄旧址博物館に大事に置いてあると言うてはった。この小さな丘で1日のうちに、4000人以上の日本兵と1000以上のソ連兵が亡くなったかと思うと、胸が苦しくなった。南山の麓から見る金州の街は、当時とすっかり変わって、ビルがいくつもそびえてた。国立公文書館アジア歴史資料センター 日露戦争特別展大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 3輪(合計525輪)紅ちどりの開花 3輪(合計351輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月07日
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金州博物館でセーラームーンのような絵を見たとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月29日、1日目のこと。金州博物館から5分ちょっとで金州提督府址に到着。清時代は、金州副都統衙門やったとこ。でも、ガイドブックに載ってる提督府とは全然違う。ガイドの李さんは、金匯花木中心と書いてあるとこに入っていく。入口には、閑人免進 閉館! 謝絶参観! 「無用の者立ち入り禁止」「閉館」とまで書いた紙が貼られてる。お庭のようなところの突き当たりに、石碑があった。これが、正岡子規の詩碑。「行く春の酒をたまはる陣屋哉」と刻まれてる。明治27(1894)年7月、日清戦争が勃発。11月6日大山巌大将率いる第2軍が金州城を占領、11月21日には旅順を攻略。翌年の明治28(1895)年4月17日に、下関で日清講和条約が調印される。正岡子規が近衛師団つきの新聞「日本」従軍記者として遼東半島に上陸したのは、その2日前の1895年の4月15日。せっかくわざわざ来たのになあ。5月15日に出航してるから、大連におったのは1か月ほど。5月4日には、第二軍兵站軍医部長やった森鴎外に挨拶に行ってる。5月2日、旧松山藩主で近衛師団副官やった久松定謨(さだこと)から、金州第一の割烹店宝興園に招かれる。そのときのことを詠んだ句みたいや。米田 利昭 子規の従軍ガイドさんは、句碑が最近発掘されたって言うてはったけど、まだ新しそうな碑。ネットで調べてみたら、こんなのが見つかった。金州の句碑 従軍記者 子規文化愛媛という機関紙の2002年10月 49号に掲載されたものらしい。愛媛県出身の池内央(いけうち ひろし)さんが、子規の遼東半島での足跡を調べ「子規・遼東半島の三三日」という本を1997年に出版してはる。調査のなかで、昭和15(1940)年天后宮の境内に日本人篤志家が建てた子規の句碑があったと知って、その行方を捜しはったけど、わからずしまいやった。それが1998年に工事現場から埋められていた句碑が発見され、池内さんは句碑の再建に奔走しはる。苦労の末2001年に再建されたのが、この碑なんやそうや。こんな本も出てる。提督府(副都統衙門)の建物は、復元されたものやけど、それもボロボロみたいや。だから行かへんかったのか、時間がなかったのか、たいしたことないからなのか。道の向かい側には、新旧のオート三輪が停めてあった。7階建て、8階建てのアパートがいくつも建ってて、その窓にはすべて窓柵がついてる。ガイドさんによると、泥棒対策なんやそうや。提督府前にいた犬は、端正な顔立ちやった。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 5輪(合計522輪)紅ちどりの開花 3輪(合計348輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月06日
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1003nt style="font-size:14px;">金州の観光で響水寺にお参りしたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月29日、1日目のこと。響水寺から10分ほどで、金州博物館へ到着。途中、ロバの荷車やオート三輪を見かけた。金州は田舎料理を出す店がいくつかあって、人気が高いけど、値段は高めやそう。卵なども地卵でおいしいので、町の倍ぐらいするんやて。金州博物館は以前は町の中心部にあったそうやけど、今は郊外に移ってて、隣には金州図書館もある。1階には、昔の金州城の大きなジオラマが。2階には新石器時代の石器や青銅器など古いものがいろいろ。3階は工事中。1階だけ写真撮影ができる。とガイドの李さんから説明を受けて、館内へ。入口外の左側には「清道光三十一年(1841)金州城防鉄炮」と台座に書かれた大砲が置かれてた。入って左側が博物館。私たちのツアーが来てから、館内の電気をつけたりしてたみたいや。入館料もいったんかなあ。1階にはハイテクな展示もあって、床に鯉の映像が映ってて、その上に乗ると鯉が移動する。大きなジオラマを見ると、金州が立派な城郭都市やったことがようわかる。日本が占領してたころには、城郭は残ってたみたいやけど、その後文革時代に全て壊されてしもたそうや。2階には戦国時代の貨幣など貴重そうな物もいろいろあった。新しい建物でトイレがきれいと聞いてたけど、扉に鍵がなかった。大連のトイレでトイレットペーパーがあるとこはほとんどなかった。ティッシュペーパーは必携。1階のロビーのようなところで、「?瑩童年絵画作品展」というのをやってた。「?瑩」は、地名なんか、学校の名前なんか、人の名前なんかなあ?小学生ぐらいの子どもの絵が展示されてた。似たような女の子の漫画のような絵が多くて、目には星がキラキラしてて、長いお下げ髪。セーラームーンの影響なんやろうなあ。写真は「快樂的童年」という題で11歳の作品。ここには25分ほどいて、次は金州都督府へ向かう。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 2輪(合計517輪)紅ちどりの開花 7輪(合計342輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月04日
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大連周水子国際空港に到着をした、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月29日、1日目のこと。通常やと、1日目は大連の市内観光。でも、10月1日から中国は国慶節に入る。博物館が休館になる関係で、予定が3日目と入れ替わり、金州の観光になった。最初に向かうたのは、大黒山の北西のふもとにある響水寺。唐の時代からある道教のお寺で、響水観(?水?)や韻水寺とも言われてる。移動中にガイドさんの李麗君さんが、大連や金州について説明してくれる。大連市の総面積は1万2574平方km、人口は570万人。仙台とほとんど同じ緯度で、気候も似てるそうや。円から元への両替もしてはった。1万円を800元と5000円を400元の2種類。1元12.5円。大連国際空港のバゲッジクレームに中国銀行(BANK OF CHINA)のカウンターがあって、1万円が807元っていうてたから、1元12.39円。ほとんど変わらへん。成田空港では、同じ日の三菱東京UFJ銀行のレートが1元13.79円やった。1割以上も違う。5000円分を両替してもろた。クーラーボックスで冷やしたペットボトルの水も2本100円で売ってはった。至れり尽くせりやなあ。空港から1時間ほどで到着。車の入口のところで、ガイドの李さんが入館料を払って入る。一人15元(約188円)やそうや。大きな池が作られてて、龍の口から水が流れてる。池にはすごい数の赤い金魚が泳いでる。中国語で「金魚」と「金余」の発音が同じで、お金にゆとりがある、金運がもたらされると好まれる。金魚のえさ(魚食)は1元やった。仏教だけやなく道教でも、放生会(ほうじょうえ)があるんやな。功徳のために放す用の幸福鳥、健康鳥、招財鳥、金蛙、長寿亀などを売ってた。「白菜」の発音も「百財」に似てるからか、赤い布を巻いてお供えしてあった。いたるところに赤い布が巻かれてる。これもご利益があるんやろうなあ。正殿に入る石門をくぐると、右側に瑶琴洞があった。天然の洞窟で40mから50mの長さがあるそうや。奥には水が湧き出てて、その流れる音が琴のようなので「瑶琴洞」とも呼ばれてる。恐る恐る入ってみたけど、すごく狭いので5mほどで戻ってきた。正殿には「后土娘娘」が祀られてる。三清殿もあって、こちらには元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊がいはった。池の向かい側に、お線香を売ってるとこがあった。普通のは12本で20元、背丈ほどもある巨大なお線香は一本100元もする。ツアーに参加してる人が、その巨大なお線香を買いはった。ツアーにはいろんな人がいておもしろい。財神殿への階段を上がって、そこにお供えするそうや。ほんまに大きなお線香で、なかなか火がつかんかった。それを立てて、拝みに行きはった。すごいご利益がありそうやなあ。このお寺には40分ほどいて、次の目的地である金州博物館へ向かうた。大連の旅、続く。(旅行時の為替、1元12.5円で計算)原種ハイビスカスのロバツスの開花 1輪(合計515輪)紅ちどりの開花 3輪(合計335輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月03日
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大連の市内観光をした翌日、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅最終日4日目。朝は自由行動で、11時に集合して空港へ向かい成田へ戻る。大連駅に近いホテルから大連周水子国際空港まではバスで25分ほど。空港のすぐ横にまで、住宅街が迫ってる。新国際線ターミナルは、2011年9月9日にオープンしたばかりで、今までのターミナルは国内線に使われてる。金州湾三十里堡に新空港を作る計画もあって、2020年の完成予定。できあがればそっちに移るみたいや。今回のツアーのガイド李麗君さんとドライバーの孫さんともここでお別れ。二人ともとっても素敵でいいコンビ。楽しい旅の時間を過ごさせてもろた。チェックインする前に、すべての荷物をX線に通す検査がある。入国するときもそうやった。預けた荷物を受け取ってから、また全部の荷物をチェックして、空港の出口に行くことができた。チェックインにすごく時間がかかって、30分ぐらい並んでた。帰りは満席やった。WEBチェックインができれば、72時間前から窓際の席も取れたんやろうけど、大連のホテルにはネットのできるPCを置いてなかったのであきらめた。出国手続きのカウンターにはおもしろいシステムがある。「私の仕事を評価してください」と日本語で音声が流れてくる。入国審査官の前に小さな機械が置かれてて、対応を5つあるボタンのうちの1つを押して評価する。一番上が時間がかかって長いなどの「大変不満」で、真ん中が「普通」、一番下が「大変満足」。ボタンのところには、顔マークがついてて、それぞれに怒った顔から笑った顔までが描かれてる。「大変不満」とかを押したら、次に入国させてもらえなくなるんやないかとちょっと心配になる。それから、また機内に持ち込む手荷物のX線検査とボディチェック。ゲートを無事通っても、さらに人が触ってチェックしてた。国際線ゲートには、免税店やエルメス、ダンヒル、フェラガモ、カルティエのショップもあった。今のところ、大連空港にはプライオリティパスを使えるラウンジはない。帰りの飛行機もJAL828便もボーイング767-300ER。成田から11:50に着いたJAL827が13:00にまた成田に帰るんやろう。ツアーのお客さんは、ほとんどが最後尾にまとめられてた。1時に予定通り駐機場を出発。滑走路に着いたところで、軍事演習があるので離陸が遅れるとアナウンスがあった。民軍併用なんやなあ。1時間経っても動く気配がない。駐機場にいたときならモニターで映画でも見ることができるけど、滑走路にいるのでいつ離陸するかわからずそれもできないとキャビンアテンダントさんに言われた。2時間経った3時にやっと離陸することができた。それも、慌ててたみたいや。後で、機長さんの挨拶があったなかで触れてはったんやけど、管制塔から許可が出たらすぐに離陸しないと、許可が取り消されてしまうこともあるそうや。30分ほどで私の機内食がを持って来てくれた。帰りもヒンズー教食をリクエストしてたんやけど、出てきたのはアジアンベジタリアンミール(AVML)やった。インディカ米に大豆のトマト煮、カリフラワーのカレー炒め、ミックスベジタブルのカレー、サラダ、パン、マーガリン、オレンジゼリー。だんな様の普通の機内食は最後尾やから45分ぐらい後に来た。鰻丼、アペタイザー(白いんげん豆の煮物、山菜、しんじょ)、キノコ入りサラダ、ハーゲンダッツのバニラアイスクリーム。無理言って、私もアイスクリームをもろた。私は、「ツリー・オブ・ライフ」、だんな様は「ハングオーバー!!史上最悪の二日酔い、国境を越える」の映画を観てた。でも、両方途中で成田に到着。予定より1時間20分ほどの遅れやった。激安ツアーであまり期待してへんかったんやけど、楽しくて有意義な旅やった。このツアー、これから寒くなるからか12月初旬出発は25,900円(サーチャージ9,000円別)という日も設定されてる。歴史に興味ある人にはええかも。阪急交通社 JAL又はANA直行便!大連・旅順・金州4日間大連の旅、続く。原種ハイビスカスのロバツスの開花 5輪(合計514輪)紅ちどりの開花 9輪(合計332輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月02日
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全面開放された旅順に行った翌日、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅3日目。この日は大連市内の観光。中山広場、大連賓館、旧満鉄本社、大連港、緑山展望台、北大橋、老虎灘公園をまわった。途中、路面電車の乗車体験もあって盛りだくさんの内容。一番行ってみたかったのが、大連港。1926年に建てられた大連港務局(旧満鉄大連埠頭事務所)の屋上から見ることができた。母リコウランさんは、日本で生まれ満州で育った。何度か日本と満州を行き来するときに、この大連港を使ったそうや。母が日本から佐世保へ向かう引揚船に乗ったのは、壺蘆島(葫芦島)からやったけど、この大連港からも20万人以上の日本人が引揚げたそうや。貴重な満州体験記・そしてリコウランの人生いろいろ 屋上には当時の写真も展示されてた。当時のまま残っているのは、大連候船庁(旧大連第二埠頭)の前の石段と、鉄道引込み線だけやそうや。ツアー恒例、真珠などの買い物時間の間に、こっそりと第二埠頭の建物をのぞいてみた。幼い母が母親(祖母)に抱かれて、また手をつながれて、ここを通ったと思うと感慨深かった。それぞれの場所の詳しいことは、また別に書く。大連の旅、続く。原種ハイビスカスのロバツスの開花 3輪(合計509輪)紅ちどりの開花 5輪(合計323輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年10月01日
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トラピックスの大連・旅順・金州4日間の2日目。この日は大連から46.8kmの旅順 (りょじゅん)を巡る。旅順、大連市の旅順口区は日露戦争の激戦地。第二次世界大戦終結の年1945年8月ソ連軍が侵攻、旅順を占領し、中国に返還されたのは1955年。それ以降、軍事上の理由で原則として外国人の立ち入りが禁止されてきた。1996年から中国政府は少しずつ部分的に立ち入りを認めてきてて、203高地・東鶏冠山・水師営会見所などは行けたようや。2010年1月(観光客は5月から?)に軍の管理する施設(軍港遊園・電岩砲台・南弾薬庫を含む)を除いて外国人に全面開放された。在瀋陽日本国総領事館大連出張駐在官事務所旅順で行くことのできる主な観光地は、白玉山・203高地・水師営会見所・東鶏冠山・旅順博物館・旅順日露監獄旧跡博物館・日本関東裁判所旧跡・日本関東軍司令部旧跡・松樹山堡塁・西太陽溝砲台・ロシア軍指揮堡塁・蛇島自然博物館・旧粛親王府・旧大和ホテルなど今回のツアーでは、203高地、水師営会見所、東鶏冠山、旅順博物館に行った。白玉山、旅順駅、日本関東軍司令部旧跡、旧粛親王府、旧大和ホテルも外からやけど見ることができた。日本人を始め、ロシア人、中国人などものすごい数の人たちが、この場所で戦争で亡くなったと思うと心が痛む。どこも観光地としてきれいに整備されてるけど、怨念のようなものを感じた。この地に来て、改めて戦争を二度と起こしてはいけないと、強く感じた。それぞれの場所の詳しいことは、また別に書く。大連の旅、続く。原種ハイビスカスのロバツスの開花 0輪(合計506輪)紅ちどりの開花 10輪(合計318輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年09月30日
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だんな様の4連休に合わせて、9月29日からどこかに行こうと考えてた。最初は、阪急交通社 トラピックスの沖縄レンタカー付フリープラン 4日間を予約してた。航空運賃と沖縄ポートホテル3泊、レンタカーSクラス・免責別・カーナビ付4日間がついて1人36,900円(国内線旅客施設使用料340円は別)。無人島シーカヤックと洞窟探検まで無料で付いてる。美ら海水族館に行ってみたかったし、沖縄ドライブもええなあと。その後で見つけたのが、同じトラピックスの大連・旅順・金州4日間。観光と8回の全食事がついて、スーペリアクラスのホテルに3連泊して、29,900円(国内空港施設使用料2,040円 旅客保安サービス料 500円 海外出入国税 1,130円 燃油サーチャージ 9,000円は別)追加分を足しても1人42,570円と沖縄とあんまり変わらへん。観光と食事と移動も付いてるから、安いぐらい。急遽、大連へ行くことに変更した。JAL又はANA直行便!大連・旅順・金州4日間1週間前に、航空会社とホテルが決まった。往きが成田9:35発JAL827、帰りが成田16:55着JAL828。ホテルは4つ星の大連渤海明珠大酒店。激安ツアーやけど、72時間前からWEBチェックインで座席指定もできるし、マイルも50%ついた。集合時間は飛行機出発2時間前の7:35。6時過ぎに家を出て車で向かうた。ターミナル受け渡しのKYKパーキングに車を預けて、北団体カウンターへ。eチケットとアンケート用紙を受け取る。このツアーは添乗員は同行せず、現地ガイドさんと大連の空港で合流するタイプ。JALの自動チェックイン機で発券して、Gカウンターで荷物を預ける。時間があったので、楽天プレミアムカードで入れるプライオリティパスを使ってT.E.Iラウンジへ。ネットをしたりコーヒー飲んだりして過ごした。最近は、もう一か所のIASS Executive Lounge 2よりこっちのほうがお気に入り。9:15に搭乗、機材はボーイング767-300。定刻どおり出発。座席は3分の2ぐらい埋まってた。10時半ごろ機内食が出た。今回はヒンズー教食をリクエストしてた。出てきたのは、アジアンベジタリアンミール(AVML)。ナスのカレー、かぼちゃとインゲンのカレー、ターメリックライス、メロン、キウイ、ブドウ。お味はもひとつかなあ。だんな様は普通ので、京風おばんざい弁当。唐揚げチキンのとろっと玉子餡掛け、鯖塩焼きと厚焼き玉子、オクラとひじきの和え物、肉団子 甘辛餡掛け、春雨の酢の物 小海老添え、おかあはんの煮物、五色漬け、丸牛蒡の胡麻和え、野沢菜御飯、鶴丸アップルシャーベット。これは、おいしかったそうや。JALの新しい機内食コーヒーにこだわってるようで、おいしかった。JAL CAF? LINES長くなるので、ガイドさんと合流してからのことは、また別の日のブログで。大連の旅、続く。原種ハイビスカスのロバツスの開花 0輪(合計506輪)紅ちどりの開花 3輪(合計308輪)1日1回のクリックで、募金ができます♪
2011年09月29日
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