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昨日は朝から姫路城。搦手周辺が特別公開されるので18きっぷで京都から戻る途中に寄る。1000円と高いが維持費を考えると受益者負担としてまあ妥当かな?姫路市は3倍に値上げ検討と報道されてたがそれはいくら何でも高すぎるだろう。国の所有なんだから国がもっと予算を計上すべきだ。インバウンドで落とす金で国は潤ってるはず。そうそうすべての櫓と門に入れるのなら1万円でも支払うけどね。暑い〜9月なのに、こんなに暑いのに城に登れるのか?多分みんなそうなんだろう、外国人さんは多かったけど、日本人は少なかった。観光客誘致を目指し、実が伴わないのに世界遺産指定を目指そうと馬鹿な自治体が幻想を抱くのも分かる(笑)。四国遍路世界遺産指定なんか意味不明。良好に保存された遍路道の史跡指定には賛成だけど。国宝と重文をどの程度見たら既見にするかはルールがあるわけでない。姫路城では、門は通過したら既見、但し櫓門は櫓に入るか、中をのぞくかで既見。櫓は、どの階でも中に入るか、内をのぞくかで既見。土塀は裏でも表でも遠望でも近寄ってでもそれと確認した場合を既見とすることにした。天守に向かうには、い・ろ・はと門を通って行くが、何故か、いの門方向には直行出来ず、西の丸経由になる。搦手に行くには、いの門をくぐって、ろの門の手前を右に曲がり二の丸経由で搦手に向かう。で西の丸に、ワの櫓東方土塀、カの櫓北方土塀、化粧櫓南方土塀を確認。一度戻って、ろの門西南方土塀、いの門東方土塀、ろの門東方土塀、二の丸の太鼓櫓南方土塀を確認。またまた戻って、はの門南方土塀、はの門西方土塀、ロの櫓西方土塀、ロの櫓東方土塀、はの門東方土塀、にの門東方下土塀、にの門東方上土塀、イの渡櫓南方土塀(ほの門)、水の水の一門北方築地塀、ロの渡櫓、水の一門西方土塀、ニの櫓南方土塀(水の三門)。水の五門南方土塀(水の四門)。ここで天守に入るが、台所櫓の外観を見て、東小天守を通り渡櫓を通って、備前丸に出た。階段は混雑してたし、登るの疲れそうだったから。元々私、縄張りは好きだけど天守そのものにはそんなに心惹かれない。本物はまだしも適当に復元された有料天守なんかだと入らない。だから高松城天守再建には大反対。太鼓櫓北方土塀、井郭櫓南方土塀を見てから、井郭櫓を見てから200円払い特別公開エリアに。ちの門、トの櫓、トの櫓南方土塀、ヘの門西方土塀、への門東方土塀、との一の門西方土塀、とのニの門、トのニの門東方土塀、との四門東方土塀、との四門(搦手門)、との四門西方土塀と見る。昔搦手から普通に登ったことあったはず。徳川の城なら多門櫓のところ、財力か地形か土塀を多用。土塀がこれだけ残ってる城は少ないから貴重。今回、一方通行やら通行止めやら、工事の都合でそうなるのなら理解する。一方通行も多量の観光客をさばくのに必要だろう。でもね、それだと見られないところが出てくるんですよ。お城好きが見たいところを見られなくするのは間違ってると思う。
2024.09.09
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昨日は朝から京博。国宝は知恩院の法然上人絵伝。カウント既見だけど全48巻を意識したことがなかった。弟子たちを描く巻43,44,46,47をじっくり見る。重文は別尊雑記(仁和寺)、桃李園金谷園図(知恩院)、達磨図(南禅寺)、琴高群仙図(京博)、涅槃図若冲(京博)、蛮絵袍(東寺)、蓮池蒔絵経箱(勧修寺)。これくらいの点数だと何を見たか思い出せる。特別展でもないし空いてるなぁと思って見てた。東博、奈良博は自館所有と承認あるの撮影可。京博も写真撮影を許して欲しいな。突然外国人さんが団体で50人くらい入ってきた。昔から東博は外国人さんが多いけど、京都は神社仏閣が多いためあまり博物館では見かけなかった。暑いからかな(笑)。
2024.09.08
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芝居が跳ねた後、帰りのバスまで時間があるのて藤田美術館へ。重文は、治承二年賀茂社歌合。十二番右は散位正四位下源朝臣頼政とある。この1178年に清盛の推挙で従三位に昇り源三位と呼ばれる。1180年以仁王の挙兵に組みし宇治平等院で敗れる。そこそこ人はいるし、お茶屋も人気。入って鑑賞して気づいたけど国宝重文の展示が各1点だけ。曜変天目は人気。静嘉堂のは稲葉天目と呼ばれるけど、藤田のは水戸天目とは呼ばれないな。どちらも徳川家が天下を取ったとき手にしている。所蔵の重文は50点以上、3ヶ月単位だから各1点でも同時に3点見られるのに。まぁ指定と価値や好みは別物だけどウォッチャーとしてはかなり寂しい。
2024.08.26
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昨日は奈良博に。朝から暑い。近鉄駅前から歩いて行く気力がなく、ふと見ると100円バスが、東大寺駐車場まで行くがもちろん乗った。開館時間前に30人程度の列が、いつの間に博物館に来る人が増えたのか?涼しいし700円で楽しめるからかな。「泉屋博古館の名宝」、バロン スミトモの収集品である。青銅器はまるで分からないので前を歩くだけ。未見の重文は画文帯同向式神獣鏡、弥勒菩薩立像、水月観音像。「フシギ!日本の神さまのびじゅつ」子ども向けの体験型企画。重文は生駒宮曼荼羅図、天神像(與喜天満神社)、蔵王権現像(大峯山寺)、東大寺大仏縁起 中巻・下巻(東大寺)、沃懸地太刀(談山神社)、金銅琵琶(和歌山 丹生都比売神社)、舞楽面 陵王(氷室神社)、獅子頭(手向山八幡宮)。なら仏像館は駆け足で。重文は6月から入替えがあって、未見は聖徳太子立像(成福寺)、釈迦如来立像(清凉寺式)かな。
2024.08.26
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三ノ宮から青春18きっぷを利用したので、お手軽なところと考え和歌山に。これで元が取れる。ここは吹上と呼ばれる昔の浜堤。バス停は県庁前、その県庁は久野丹波守屋敷跡にある。和歌山県立博物館の特別展 聖地巡礼−熊野と高野−。暴れん坊将軍が出迎えてくれる。重文は勧学院本尊の大日如来坐像(金剛峯寺)、蘇悉地羯羅経(高野山大学図書館)、白河上皇高野山御幸記(西南院)、奥之院出土遺物(金剛峯寺)、五大力菩薩像(北室院)、狩場明神・丹生明神像(金剛峯寺)、師子狛犬(丹生都比売神社)。写真撮影不可が悲しい。北を見れば和歌山城、江戸時代は武家屋敷かな。常設展は撮影可だが、複製が多くて興ざめ。近代美術館との敷地は共有で黒川紀章の変なカプセルが展示してあった。
2024.08.25
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昨日は昼食の後、リニューアルなった大阪市立東洋陶磁美術館のコレクション展「シン・東洋陶磁」。中国陶磁、高麗・朝鮮陶磁965点からなる安宅コレクションがその中核。総合商社安宅産業の経営危機で膨大な東洋陶磁は散逸の危機だったが、住友グループ21社が寄付金を募り大阪市に寄贈。大阪市は美術館を建設した。その後も寄贈・購入でコレクションを充実させてる。国宝の油滴天目茶碗(南宋)が有名。他にも飛青磁花生(元)、これら2件は既見。淀屋橋から歩いたのでその前に重文の大阪市中央公会堂に寄る。1918年開館、今も現役の会議室や宴会場として利用されてるので、地下を一回りしただけ。美術館は堂島川に面した中之島にある。重文は白磁刻花蓮花文洗(北宋)、青磁象嵌唐草文水注(高麗)、三彩壺(奈良時代)、白磁銹花牡丹唐草文瓶(金)、青磁刻花牡丹唐草文瓶(北宋)、緑釉黒花牡丹文瓶(金)、木葉天目茶碗(南宋)、青磁鳳凰耳花生(南宋)、青花蓮池魚藻文壺(元)、青花牡丹唐草文盤(元)、青花枇杷鳥文盤(明)、法花花鳥文壺(明)、瑠璃地白花牡丹文盤(明)の13件。やはり青磁耳花生が綺麗だ。でも私には中国の青磁と朝鮮の青磁の区別がつかない(笑)。入口が現代風のさりげない造りでどこから入るのか悩んでしまう。中も部屋の番号順に観覧することが分からないと迷ってしまう。
2024.08.25
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昨日の午後は日本橋へ。重文高島屋東京(日本橋)店へ。昭和8年竣工の冷暖房完備の昭和を代表する建築。百貨店が文化の先端だった時代の意匠がたっぷり。エレベータガールが案内するエレベータに乗って屋上庭園に向かったが、ビアガーデン時間帯以外は開放してないよう。7階の甘味処 梅園で白玉クリームあんみつ990円を食べる。元々は安政元年に浅草寺の梅園院の一角に開いた茶屋がルーツ。
2024.08.06
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昨日は十日町からの戻りに高崎駅で途中下車し、史跡観音山古墳へ。指定名にズレがあるな。綿貫町にある綿貫古文群の一つが綿貫観音山古墳。ここから出土したのが国宝に指定(文化庁所有)群馬県に長期貸与され群馬県歴史博物館に展示されている。古墳は墳丘が97メートルある前方後円墳。石室も残ってる。古墳から歩いて、炎天下、群馬の森まで20分ほど。博物館の常設展は2回目だけど国宝になって初めて(重文時代は見ている)綿貫観音山古墳出土品を見た。これで国宝既見1086件に。他にも博物館内には、重文が、縄文晩期の千網谷戸遺跡出土品(桐生市)。伊勢崎市、北米岡遺跡出土の岩板(歴史博物館)。太田市にある塚廻り古墳出土埴輪(文化庁)。郡馬の森は、複合施設。日曜なので駐車場はいっぱい、バス(ぐるりん)の便は悪い。前回来たときはバス停に屋根があった記憶があるけど、今は屋根なし炎天下で待つ。記憶違いかな(笑)。
2024.08.05
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昨日は朝に上野を立って十日町に。十日町市博物館で国宝の笹山遺跡出土深鉢形土器(火焔型土器)を見るために。先月に続いてである。何故かって?国宝指定は57点だけど、この2回ですべて見られるから、コンプである(笑)。今回指定番号1の火焔型土器を見たが素晴らしい!多分今までもどこかで見たことあると思うが、大きいし立派。それにしてもホクホク線は本数が少ない。イベント称してトンネル内で映像流してるけど…。浅鉢は土器・土製品として、石斧などは石器・石製品として、ベンガラ塊も附として指定されてる。博物館の案内所でマンホールカードもらった。そうそう火焔土器とは1936年に長岡市関原町の馬高遺跡で発見された1点の土器の愛称で、その後発見されたこの形式の土器(火焔型土器と呼ぶ)の標準様式となった。
2024.08.05
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昨日は、開館直後と夜間開館にトーハク。一番の目的は国宝室の十六羅漢像の第三尊者。「国宝 東京国立博物館のすべて」展でも8幅の展示しかされず、やっと十六羅漢像コンプ。重文は1階では、増長天立像(仁和寺)、大日如来坐像、聖観音菩薩立像(観心寺)、文殊菩薩騎獅像及び侍者立像、銅蝶形磬 宮渕出土。2階では、源氏物語、松藤文兵庫鎖太刀拵(文化庁)、太刀銘吉宗 拵(筑波山神社)、太刀銘力王 拵(鶏足寺)、慶長十九年林道春及五山衆試文稿(金地院)。法隆寺宝物館では、伎楽面30面。もう一つの目的の特別展「神護寺−空海と真言密教のはじまり」は夜間開館時間帯に、そこそこの混雑。重文は、神護寺略記、弘法大師像、真済僧正像、文覚上人書状案、紺紙金字一切経のうち大般若経巻第一 巻第二、紺紙金字一切経経帙、紺紙金字一切経箱、足守庄絵図、神護寺絵図、紀伊国桛田庄絵図、十二天図屏風、日光菩薩立像、月光菩薩立像、愛染明王坐像、頼朝寄進状・下文・書状、太政官牒、以上神護寺。弘法大師行状絵巻第六(東寺)、崔子玉座右銘断簡(大師会)、秘密曼荼羅十往心論巻第九(仁和寺)、性霊集巻第二(醍醐寺)。途中で1箇所撮影が出来る。昨年6月からをカウントを始めた(ほとんど遡ってはない)重文の既見件数が1000件を超えた、と言っても全体の8%に過ぎない、次の指標の10%まではまだまだ〜。
2024.08.04
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昨日の午後は、根津美術館と出光美術館。まず根津美術館、ここの混雑は異常、なぜこんなに外国人に人気になったのか?企画展「美麗なるほとけ」という館蔵の仏教絵画名品展を開催中。国宝は既見の那智滝図と禅機図断簡。重文は、絵因果経、十二因縁絵巻、五百羅漢図、大威徳明王像、大日如来像、金剛界八十一尊曼荼羅、墨画羅漢図、愛染明王像(法勝寺)、愛染曼荼羅図、春日宮曼荼羅図、春日補陀落山曼荼羅図、阿弥陀如来像、普賢十羅刹女像、善光寺縁起絵、釈迦如来阿難像、宝相華銀平文袈裟箱、月礀文明墨蹟。説明も親切でなかなか良い展覧会。出光が「日本・東洋陶磁の清華」展。出光美術館は帝国劇場と同じ建物に入ってるが、建て替えのため今年で一時閉館する。重文は、色絵芥子文茶壺 仁清、色絵鳳凰文壺 仁清、平沙落雁図、透彫経箱、壺形土器、銹絵松樹文蓋物 乾山、色絵花鳥文八角共蓋壺、禅院額字 選佛場、大燈国師墨跡 與作、赤楽兎香合 光悦。丁寧に説明してくれてるが、私には中国青磁と朝鮮青磁の違いが分からない(笑)。
2024.08.04
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昨日は法隆寺夏季大学の最終日、終わった後、チャリで法輪寺と法起寺巡り。その前に法隆寺のおさらい。塀もパンフレットの斜線があるのが重文と判明。それによると東院の東・南・西の大垣。西院の東・南・西の大垣。西院の護摩堂と湯屋の北面の築垣、向かい合った西面と東面の築垣は重文らしい。東大門の北の大垣は途中まで重文らしい。初日に見た大宝蔵殿の常設の阿閦如来像と3日目に見た大宝蔵院の釈迦如来脇侍(飛鳥)、押出阿弥陀二比丘尼像、木心弥勒菩薩坐像、聖徳太子坐像(七歳)を確認。大宝蔵院は講義の前と合間に複数回入館。で講義は学者先生の法隆寺再建論争と天台宗の僧侶の生き方としての仏教。終了後、法輪寺へ。太子の病気平癒を願って山背大兄王が建立。ここは夏季大学のコースに含まれてないからか独り占め状態。リストとの照合で疑義が残ったけど、パンフレットで重文は、吉祥天立像、弥勒菩薩立像(平安)、虚空蔵菩薩立像、十一面観音立像、薬師如来立像、地蔵菩薩立像、鴟尾瓦(飛鳥)。三重塔は落雷で焼失し西岡棟梁によって再建。食事は史跡中宮寺跡の隣。現在の中宮寺から東に400メートル。5年振り。もちろん誰もいない。そして法起寺へ。山背大兄王が太子の遺命に従って岡本宮を寺に改めたという。ここは夏季大学のリボン付けた人がポツポツ来る。暑い中ご苦労なこと。木造十一面観音立像確認。5年前は台風の余波で土砂降りだった。もう一つの重文は奈良博で確認したよなぁ。その後史跡の三井瓦窯跡を訪ねたら草茫々。法輪寺や法起寺の瓦を焼いた登窯らしい。またまた法輪寺の方に戻って、史跡三井へ。聖徳太子が掘ったとされる3基の井戸の一つで赤染井と伝えられてる。4日間で5万7千歩+チャリ7キロ、よく歩いたけど自転車は電動じゃないとちょっとした坂道も登れないくらい体力が落ちてた〜。
2024.07.30
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昨日は法隆寺の護摩供養の後、大阪に行って中之島美術館の醍醐寺展後期。途中の休憩所で桜ミクが見られるそうだけど、私のスマホは位置情報が制限されてるのか見られない(笑)。未見の重文は、螺鈿如意、山水屏風、大威徳明王像、虚空蔵菩薩像、普賢延命像、阿弥陀三尊像、輪宝羯磨文戒体箱、醍醐花見短冊、舞楽図屏風、調馬図屏風。これにカウント既見の墨画密教図像。前後期2回見たが、やはり国宝展の表記は誇大広告だと考える。2階にこんな展示もあった。
2024.07.29
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昨日も朝から法隆寺大学。3日目の講義は、奈良博館長の「法隆寺と奈良国立博物館」、興正派の司教の「愚の系譜」。午後からは大宝蔵院(百済観音堂)へ。その手前にある細殿を確認。晴れた暑い日だったが…。六観音の観音・勢至・日光・月光菩薩立像、唐代の如意輪観音坐像、塑像吉祥天立像、伝峯薬師胎内仏、金銅火舎、塑像梵天・帝釈天立像。塑像四天王立像、舞楽面の還城楽と二ノ舞、行動面の阿修羅、大般若経499,大唐西域記、十七条憲法版木、飛天図、調布、蜀江錦、百萬小塔、十萬節塔、一萬節塔、水瓶・手洗を確認。まるで分からないのは除いたから多分合ってると思うけどリストとの照合はやはり難しい。護摩供養に行こうと出たら、メガネが曇るほどのサウナ状態(笑)。雨が降ったんだ〜、涼しくなるのかと思ったが異様に暑くなってる。護摩供養で、長谷川棟梁が作った護摩堂の不動明王及び二童子立像を拝観。
2024.07.29
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昨日は法隆寺大学2日目。起きたら暑かったし、熱中症警戒アラームも発令中。休もっかな〜(笑)。まずは法隆寺駅から歩いて途中の伊弉冊命神社を参拝。重文の本殿。御祭神は天照大神の父神の伊弉冊命。法隆寺に着いて中門の重文金剛力士立像、講義の合間に夢殿の木造聖徳太子立像を確認。講義は東大寺別当の東大寺の歴史と奈良文化財研究所長の日本庭園の成り立ち。法隆寺は木陰がないので暑い〜。
2024.07.28
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昨日は朝から法隆寺。観光旅行の家族旅行、出張の合間。国宝ウォッチャーとなって聖霊院拝観、夏季大学参加、涅槃像拝観、天蓋拝観、上御堂本尊拝観は記憶がある。朝でも暑い。テーマは重文拝観。西園院上土門、唐門、大湯屋表門と重文建造物を確認する。そして4日間にわたってて開催される法隆寺夏季大学へ。国宝愛好家は初日の午後に開催される伽藍特別拝観が目的。極端な話し、昔、受付けをすまして一般拝観、午後の伽藍特別参拝を見て帰った猛者もいた。会場の聖徳会館までに、妻室、宗源寺四脚門、会館脇の福園院本堂、羅漢堂を見る。昔は、朝一に国宝聖霊院で勤行と法話があったが、今は聖徳会館から始まる。会館は満員、年齢層は老人クラブといったところ。管長(前回参加時には執事長だった方)の第一講のあとの二講目は若草伽藍跡の見学付。食事のあと、時間があったので、中宮寺拝観と東院に。南門、四脚門、廻廊、絵伝舎利殿、北室院表門の重文建造物をみる。午後の部は、記念撮影、放水訓練に続き、上御堂、聖霊院、大宝蔵殿、東院伽藍、西円堂の5箇所が内部まで見られる特別拝観(昔は金堂壁画も見られた)。お坊さんに付いて回る計画は猛暑のため自由参拝に切り替わった。重文の上御堂を拝観し四天王像を確認。大講堂の四天王像と金堂の阿弥陀像を確認。聖霊院では重文の弥勒菩薩像と地蔵菩薩像を確認。大宝蔵殿では重文仏像多数拝観もリストと照合出来ない。舞楽面の八仙と陵王、行動面の獅子頭。夢殿で阿弥陀如来坐像。絵殿舎利殿転法堂では重文確認が出来なかった。時間ギリギリで西円堂に入ったが、重文十二神将像の説明があったので確認とする。法隆寺くらいになると国宝だらけで、重文は扱いが落ちるというか手が回らないので、案内板や表示がない場合が多数ある。塀なんかどこが重文なのか分からない。もっとひどいのは仏像でで同じ指定名があり、正式な指定名と指定年月日と現在の安置場所の照合表でもないと、どれを見たのかさっぱり分からない。炎天下16時の鐘が鳴って終了、みんな汗だらけ。こんな暑さでは夏季大学はもう無理かもね(笑)。時間が足らない〜。
2024.07.27
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昨日は福山からの戻りに倉敷へ。途中の西阿知駅で降りて遍照院三重塔を。無人駅で18きっぷはインターホンで確認か〜と思ってたら、通って良いとの掲示が。室町前期。三重塔を2周し西阿知駅に戻る。倉敷駅から歩いて倉敷美観地区に。何年ぶりだろうか、文楽聴きに来たとき以来かな。倉敷考古館で津山市郊外の古墳から出土したと伝わる8世紀後半とされる重文の奈良三彩壺を見たが、寄託の銅鐸は見逃した(笑)。今回パスした大原美術館と一緒にまた今度にも。白壁が美しい重文井上家住宅に。享保年間の建築。主屋をあちこち見て回ってると若い男性が説明してくれた。聞くと16代目当主だそうだ。10年かけて解体修理と耐震補強を行ったそうである。納屋は見られなかったが、三階蔵は外からと奥の間の正面に見えた。次は重文大原家住宅。寛政年間から建築が始まった大原美術館を作った大原家が住んだ家。外から立派なことは分かるが中は土間と中倉と離れ座敷しか入れないのが残念。ここは見物客が多い。倉敷中央通りをはさんで少し離れた位置にある重文大橋家住宅。ここも寛政年間のもの。幕末に大改造がなされた。立派な家だけど、長屋門だけで玄関を作らなかったのは身分制度のためだそう。大橋家は直島で塩田開発を行い帯刀を許されたとか。米倉と内倉も重文指定。美観地区の賑わいはここまでは届かず私の他には誰も来なかった。
2024.07.21
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昨日から、夏の青春18きっぷ期間が始まった。同好の士も多数発見。誤解を恐れず言えば、紙を印刷するだけで1万円以上手に出来ると考えたらボロい儲け。善通寺駅からは兵庫県の西か広島県の東辺りが無理せずコスパを発揮出来る。で、福山駅前の広島県立歴史博物館の企画展「名宝が織りなす歴史物語」。国宝は既見の絹本著色普賢延命像(持光寺)のみ。重文は、横帯文銅鐸・細形銅剣・銅戈(個人)、矢谷古墳出土品から特殊器台特殊壺(県歴史民俗資料館)、木造千手観音立像・木造薬師如来及び両脇侍像から木造日光菩薩立像・木造月光菩薩立像(北広島町)、木造狛犬(御調神社)、木造神像、随身立像から1号2号3号4号女神像・2号3号男神像・童子形(南宮神社)、白描遊行上人絵第2巻第1段と第5巻第2段(常称寺)、四季山水図屏風(ウッドワン美術館)、岩倉具視関係資料から東京奠都の詔勅案・福岡孝弟意見書(海の見える杜美術館)。他にカウント既見の草戸千軒町遺跡出土品と菅茶山関係資料。展示目録にさりげなく指定名称を書いてくれてるのが嬉しい。これって意外に少なく国宝ウォッチャーから重文ウォッチャーに転じて特に感じる。既見リストの整理がし易かった。常設展では広島の歴史、草戸千軒ミュージアムの愛称の元となった再現と出土品の展示、「菅茶山の世界」と「福山市城と福山藩関連資料」の展示があった。博物館は堀跡か三の丸跡の文化ゾーンにあるが、これらの施設を建てるため城の遺構が破壊されてることが文化に対する皮肉というか嘆かわしい。城好きの私、何度も書いてるがボラが遊んだ堀を埋め立てたのが福山最大の失敗。終戦間際の8月8日空襲で旧指定国宝天守を失ったことより大きい…。
2024.07.21
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昨日はサントリー美術館の「徳川美術館展 尾張徳川家の至宝」。開館30分前には誰もいなかった。目玉は最後に展示されてる国宝の源氏物語絵巻 柏木(三)と初音蒔絵旅眉作箱であることは間違いない。一番に並ぶのも恥ずかしかったので探検して戻って来たら行列に(笑)。でも国宝はどちらも前後期一点ずつなのが残念過ぎる。マニアがそんなにいなく国宝もちょっと待てばゆっくり見られた。カウント既見だけど国宝も区別出来るものは個別に見た日をリストに記入することとしよう。重文は、尾張徳川家の家宝第一といわれた脇差 無銘貞宗(名物 物吉貞宗)を見た。
2024.07.08
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昨日の夜は千葉市美術館、土曜は20時まで開館してる上に、入館料が半額の700円に。摘水軒コレクション中心の企画展「岡本秋暉 百花百鳥に挑んだ江戸の絵師」と「江戸絵画縦横無尽!」。コレクションのルーツは、江戸時代、柏村の名主を務めた寺島家の水戸街道沿いの居宅「摘翠軒」が、当時の文人墨客が集う文化サロンの役割を果たしていたことにある。「摘翠軒」にちなみつつ、「翠」を育んだ地域と人とを「水」に象徴して「摘水軒」になったそうな。重文は岩佐又兵衛の弄玉仙図(摘水軒記念文化振興財団蔵)のみ。写真はそこそこ撮れるので気に入ったのを撮ってみた。熱心なファンがいるようだ。この美術館の建物はなかなか面白い。
2024.07.07
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上野まで戻ってトーハク。法隆寺宝物館館。まずは重文の摩耶夫人及び天人像、これはカウントしてなかったが特徴的なので見たことを覚えてる。その他の重文の仏像は区別がつかない(笑)。2階に上がって、奥の部屋に、さまざまな褥として、重文の唐花文夾纈羅円褥2枚、葡萄唐草文錦褥 表裂 芯裂、葡萄唐草文錦褥 表・芯裂 裏裂 、狩猟文錦褥 、山菱文錦褥 、黄地纐纈平絹褥 裏裂、花鳥蝶文錦褥 。でも指定名と展示名が異なるのでどれを見たかよく分からない。部屋を出た廊下脇の展示コーナーに、重文の大桝 、一升桝 5口 、 栴檀香 、白檀香 、沈水香、青磁四耳壺、青木香 、草花銀絵漆皮箱。平成館・本館に戻り、特別展の「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」は、清風会会員証の押印欄が満杯で欄外8回め利用だけど、問題なく入れた。木の長椅子には腰掛けたけど、何が何だか分からなかった。重文の足形付土製品が見られたから良しとしよう。1階仏像コーナーで重文の雲中供養菩薩像(文化庁)を見る。それにしても大規模特別展が開催されてないのに混雑。
2024.07.07
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本来の目的の十日町市博物館の夏季企画展 『すべて見せます! 「国宝の土器」 』。笹山遺跡出土品国宝指定25周年記念。大きく分けて、深鉢(国宝)と浅鉢(附)。深鉢を分けて火焔型と王冠型とその他。附の土器や石器他も展示されてた。すべてとは、前期と後期を合わせて国宝指定の土器57点と附5点合わせて62点すべてが見られるということ。まだ35点(32点と附3点)しか見ていないし、教科書に載ってる1番も展示されてなかった。重文と書かれてたのでえっ重要文化財?と思ったが明治期以降なので調べたら重要民俗文化財の十日町の積雪期用具と越後縮の紡績用具及び関連資料も展示されてた。よせば良いのに4キロ弱離れたところにある信濃川右岸の河岸段丘上にある出土場所にも汗をかきながらチャリで。この位置だったら星名家から回ったら数キロ節約出来た…(笑)。
2024.07.06
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そばを食べた後、またチャリで河岸段丘上の県道を北に走り重文星名家住宅に。信濃川と山に囲まれた雪国地帯の妻有郷随一の豪農にして豪商の住宅。信濃保科から移り住んだらしい。公開はしていない。見学会が博物館主催で毎年行われてるよう。東は雑木林みたいでどこまでが敷地か判明しないけど、5,6反は敷いてる。旧新潟県中魚沼郡川西町上野は江戸時代は桑名藩が治めてたそうな。幕末を扱った小説にそんなこと書いてあったな。
2024.07.06
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昨日は雨も止んでたので朝から奈良を散策。奈良の朝は早いと聞いてたけどどこが、それに蒸し暑い〜。親愛幼稚園を横目にならまち辺りへ。カフェも開いてないし、今西家、元興寺、十輪院、福智院どこもまだ。拝観は早くて9時からやがな〜(笑)。9時半開館の奈良博を見てから仕切り直し。春日大社の重文一の鳥居を横目にまたまた福智院に。多分ここは見てる!なぜって、門前のうどん屋で食べた記憶があるから(笑)。元は興福寺大乗院の地蔵堂。今は西大寺に属する真言律宗の寺。鎌倉時代の本堂と地蔵大仏(地蔵菩薩坐像)が重文。光背と化仏と本尊の数を合わせると576体。56億7千万年に由来するという。次に重文今西家住宅。拝観料と合わせて1000円払ってアイスを食べる。元々は興福寺大乗院の坊官を勤めた福智院家の書院を今西家が買ったもの。今西家は造り酒屋さんで「春鹿」の酒粕が入ったアイスモナカ。ここも来たことある。座敷と庭と蔀戸、記憶がある。
2024.06.30
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色々あって昨日は開館前に奈良博に到着。特別展が終わってるので新館は閉館中、なら仏像館だけ開館。待ってるのは2,3人。重文をカウントするようになって問題が、同じ名称の指定が複数〜。国宝だと写真がたくさんあるので比較も出来るが重文の写真はあまりない。時代が違えばまだ判断可能だけど、時代も微妙だと指定年月日で探すことになる。それも同じだと…。奈良博所有の十一面観音菩薩立像、平安時代作で新薬師寺伝来。あと重文は、観音菩薩立像(文化庁)、大黒天立像(西大寺)、阿閦如来坐像(西大寺)、誕生釈迦仏立像(愛知 正眼寺)、誕生釈迦仏立像(悟真寺)、菩薩半跏像(神野寺)、菩薩立像(法起寺)、観音菩薩立像(法隆寺)、観音菩薩立像(大阪 金剛寺)、如来立像(光明寺)、広目天立像(興福寺)、宝冠阿弥陀如来坐像(當麻寺)、観音菩薩立像(文化庁)、観音菩薩立像(勝林寺)、十一面観世音菩薩立(地福寺)、千手観音菩薩立像(滋賀 園城寺)、十一面観世音菩薩立像(勝林寺)、十一面観音菩薩立像(新薬師寺)、阿弥陀如来立像 裸形(兵庫 浄土寺)、救脱菩薩立像(秋篠寺)、十一面観音菩薩立像(西光院)、明星菩薩立像(弘仁寺)、地蔵菩薩立像(大福寺)、不動明王坐像(京都 正寿院)。力士立像と如来三尊像、これは前回も写真を撮ったな。前にも書いたが、原則、奈良博所有のしか写真を撮れない。もう少し広げてくれれば嬉しいのに。
2024.06.30
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昨日の夕方は京博。大阪では大雨だったが、小雨になった。平日だけどそこそこ見てるなぁ。国宝はカウント既見の法然上人絵伝巻二と巻三十八(知恩院)と金峯山寺の出土品だけ。藤田や静嘉堂のように目玉を何らかの形で見せるというのは大切だと思うけど…。重文の展示は充実してて、3階銹絵水仙文茶碗 仁清作(天寧寺)、富雄丸山古墳出土品、山城国花背別所経塚出土品(文化庁)、金銅三角五輪塔(滋賀 胡宮神社)。2階十六羅漢像のうち12幅(滋賀 大練寺)、巌樹遊猿図屏風、蘭亭曲水図屏風(随心院)。1階の仏像が薬師如来立像(京都 長源寺)、千手観音菩薩立像(京都 光明寺)、如意輪観音半跏像 (廬山寺)、如意輪観音坐像(京都 透玄寺)、地蔵菩薩坐像(滋賀 御影堂新善光寺)、伝観音菩薩・勢至菩薩立像(清水寺)、地蔵菩薩立像(秋篠寺)、薬師如来立像(阿弥陀寺)、地蔵菩薩坐像(京都 新町地蔵保存会)、菩薩坐像(伝文殊菩薩像・伝普賢菩薩像)(大阪 清泰寺)、釈迦如来立像(文化庁)。1階の小部屋、縹糸威胴丸 兜 大袖付、刀 銘 長曾禰興里入道乕徹(個人)、黒韋肩白糸威胴丸 大袖附(京都 橋弁慶山保存会)、白韋威腹巻(天野山金剛寺)、熏韋裹腹巻(天野山金剛寺)、朱漆角切盤・角入盤・擎子(愛知 真清田神社)、芦辺懸盤大中小・椀・飯器(高台寺)。特集展示で「豊臣秀次と瑞泉寺」があったけどどこが悲しいな。秀次が生きてたら豊臣の世は続いたろうに…。金曜は夜間開館だけど疲れたので早々に退散。
2024.06.29
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昨日はランチのあと中之島美術館の醍醐寺国宝展前期。国宝展、前後期合わせて国宝14件!とあおるけど前期で国宝らしいのは文殊渡海図くらい。これで国宝展とはウソ・大げさ・まぎらわしいに該当する(笑)。重文は、僧網牒、上醍醐五大明王像のうち大威徳明王像と金剛夜叉明王立像、如意輪観音坐像、線刻如意輪観音等鏡像、線刻阿弥陀五尊鏡像、吉祥天立像、帝釈天騎象像、両界曼荼羅図、閻魔天牛像、不動明王坐像 快慶作、不動明王図像、金剛童子図像、愛染明王像、五秘密像、大日金輪像、地蔵菩薩像、金銅如意・九鈷・五鈷鈴・盤、螺鈿説相箱。ここでロビー。操作すれば桜とともに舞うのが見られるようだが、よく分からない(笑)。醍醐寺新要録、義演准后日記、金銅三角五輪塔(浄土寺)、上醍醐五大明王像のうち金剛夜叉明王立像。この美術館は3回目になるかな?今までで一番空いてた。ゆっくりと眺められるのは良いが、スポットライトの照明が漏れてガラスに反射して見づらい。スタッフは展示したあと確かめたのかな。
2024.06.29
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昨日は朝から、三の丸尚蔵館。雨は嫌だなぁと思ってたら、大手門前の交差点に着いた頃には小雨に。国宝は、既見だけどまずはこれだな。永徳の唐獅子図屏風、奥の部屋に真っ先に見に行き独り占め(笑)。そして既見だけど、国宝になってからはまだ全福を見ていない若冲の動植綵絵。老松孔雀図・諸魚図・蓮池遊魚図・芙蓉双鶏図の4幅。これで国宝答申後に30幅のうち25幅見たことに。これはそもそも全巻見ていない春日権現記絵の巻一の第二段第三段。これが展示の一番に初めに飾られてたが、多くの人が時間をかけがちな絵巻を最初に飾るのは止めたほうが良いと思う。混雑するだけ。特に部屋の角は最悪。展示室の大きさを考慮せず選ぶなら今回なら唐獅子図が、遠くからでも見られて、混雑しても流れる。重文は、萬国絵図屏風。都市の絵を見てると楽しくなる〜。新指定の重文天子摂関御影 天皇巻も。鳥羽天皇から後醍醐天皇まで。崇徳天皇もいらっしゃる。三の丸尚蔵館は、答申された国宝や重文をそれと表示してなかったので、私も何故って何回か聞いた事があるが、そんな意見や営業上の理由からか、やっと表示。最終日の日曜だったこともあるが、やはり人気の若冲。動植綵絵が展示されるか否かで入場者数が激変する。
2024.06.24
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昨日は開催初日の静嘉堂「超・日本刀入門」を17時から。土曜のため本来閉館は17時だけど1時間延長。夕方は刀剣女子もちらほらとなり見やすかった。国宝は既見の稲葉天目と太刀 銘包永のみ。全展示品のうち曜変天目だけ撮影禁止。重文が充実している。太刀 銘國光、太刀 銘寶壽、太刀 銘 安綱、太刀 銘髙綱 と拵、太刀 銘行光、太刀 銘五月六日友成、小太刀 銘真長、短刀 銘安吉。 でも一番の見どころは、静嘉堂が所蔵する重文の慶派による木造十二神将立像を7躯全部展示しているところ。
2024.06.23
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先々日と先日はトーハク。本館1階で、木造不動明王立像、木造慈恵大師坐像(滋賀 金剛輪寺)、厨子入愛染明王坐像、菊桐紋蒔絵角赤手箱(石川 菅生石部神社)、中蓋及び蒔絵経箱(愛知 七寺)、蓬莱蒔絵鏡箱(熱田神宮)、太刀 銘備中国住守次作、短刀 銘備中国住次直作、太刀 銘包永(姫路神社)、太刀 三条宗近(福井 若狭彦神社)、巴透鐔。2階で、「阿弥陀如来のすがた」から阿弥陀如来倚像及び両脇侍立像法隆寺献納、木造阿弥陀如来立像 永仙、行動面 菩薩 25面のうち2,3,7,8,11,18。吉備由利願経、三島廃寺舎利容器、十六羅漢像 第十三尊者(禅林寺)、智証大師伝、祈雨法日記、清水寺縁起絵巻、継色紙、山水図屏風 百川筆、山野行楽図、紙本著色兎道朝暾図、紙本松巒古寺図、絹本著色公余探勝図、黒紅熨斗藤模様小袖。東洋館1階で、銅造勢至菩薩立像、4階で、十六羅漢図軸(第二・第三・第八・第九・第十三)、十六羅漢図屏風(千葉 法華経寺)、3階で、白磁金彩雲鶴唐草文碗。表慶館では、カルティエと日本 半世紀のあゆみ「結 MUSUBI」展─美と芸術をめぐる対話が開催中。清風会の会員証で追加料金無しで入れた。国立博物館に興味がある人はどこに住んでる人でも、京博の清風会への入会がお勧め〜。華やかな展示だったが縁が無いのでよく分からないなぁ(笑)。
2024.06.23
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昨日は東京、雨のなか根津美術館へ。収蔵品のみの展覧会。多分年間パスポートを持ってなければ行ってない。こんな日だし来る人は少ないだろうと思ってたら外国人さんが団体や個人で来館。外国人さん向けの何かで紹介されてるのだろうか。企画展の「古美術品かぞえうた」。未見の重文は釈迦多宝二仏並坐像と華厳五十五所絵(6面のうち3面)だけ。国宝の展示もないし少し寂しい。私はマスキングテープを会員10%割引の270円で買っただけなのに、数万円もお土産を買ってる外国人がいた。日本の国力の衰えを感じた(笑)。
2024.06.22
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昨日は朝から高松市の御厩の重文 小比賀家住宅。江戸時代初期に建てられた大庄屋を務めた豪農の屋敷で4反半以上の敷地がある。外堀から土塀と午門(長屋門)を望む。馬舎・牛舎に使われてた午門を入ると主屋が、土塀の向こうには築山庭園。座敷から南から西に広がる庭園を。座敷の北の中庭の向こうにあるのが土蔵かな。北側から屋敷を見ると裏門の手前に米倉がある。第3日曜のみ見学(500円)できる。瓦に武田菱を探したが発見出来なかった。小比賀家は甲斐武田氏の末裔のようで、パンフレットにも武田菱は載ってたのに…。今の小比賀家の家紋は隅切り角に橘だそうだ。
2024.06.17
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昨日の朝は大阪日本橋の重文高島屋東別館。元々は昭和初期に建てられた松坂屋大阪店。昔、御堂筋が賑やかになる前、堺筋は北から三越、白木屋、高島屋、松坂屋と百貨店が立ち並ぶメインストリートだったそうな。今はデパートではなく、フードコートやホテルになっている。3階には高島屋史料館があり、当時のままのエレベーターホールも見学出来る。「人間栖鳳 」展が開催中で『アレ夕立に』も展示中。
2024.06.09
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昨日は、高速バスで大阪へ。働き方改革で朝一のバスが4人掛けになったので1本遅らせたら、天王寺には昼頃に到着。あべのハルカスの「尾張徳川家の至宝」の後期、入場券を買うときに思うが1800円はやはり高過ぎる。展示替えでの重文は熊野類懐紙の花有歓色、井上馨旧蔵。説明があったのでちゃんと読めた(笑)。国宝はカウント既見の胡蝶蒔絵掛硯箱と多分見たことがある源氏物語絵巻宿木三。ここの点数が少ないのが満足出来ない理由の一つ。
2024.06.08
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昨日の午後から、高松市の利剣山弘憲寺の重文不動明王像。高松城下の寺町は城の南にもあるが、ここは西の寺町にあたる。高野山真言宗。生駒家の菩提寺のひとつで天平時代に今の飯山町に開かれた法勲寺を生駒親正の子の一正が移し諡の弘憲公から名付けた。重文木造不動明王立像は年に2回だけ開帳される。15時過ぎに着いたとき弁天堂でみんなお勤めをされてたので、誰もいない本堂の不動明王にそっとお参りをした。旧法勲寺から伝えられたという平安仏。本堂の裏には親正夫妻の墓がある。生駒家は四代にわたって讃岐一国17万石を治めたが、四代高俊の代に生駒騒動のため出羽矢島に1万石で転封された。そのあとを治めたのが水戸黄門の兄だけど、西讃は山崎家(後に京極家)に分割された。
2024.05.28
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昨日の午後は帰りの時間まで、まだまだあったので、あべのハルカスから藤田美術館へ。相変わらず茶屋が人気で最初のときより机が増えてる。国宝は既見の紫式部日記絵詞第四段・第五段だけ。第五段が廊下に出た道長が大きく描かれてる有名なやつ。重文は刺繍釈迦阿弥陀二尊像、法華経巻六残闕 扇面写経。新しくなって床がきしむことはないけど、昔の倉庫の展示室のときはもっといっぱい展示されてた記憶がある。新しくなって展示数は激減してる、もう少し増やせないかな。それとスマホで説明を聞くシステムで展示リストがない、それは良しとしても過去の展示記録はサイトから発見できなかったがどこに保存してるのかな?
2024.05.26
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昨日は奈良から大阪に戻ってあべのハルカスの徳川美術館展『尾張徳川家の至宝』。源氏物語絵巻が目玉だけど徳川美術館が所蔵する15巻のうち4巻だけそれも各期1巻ずつ、で1800円は高すぎる〜全国3箇所を巡回してすべて行ってもコンプ出来ないのも不親切〜。源氏物語絵巻全巻見られるとか初音の調度全部見せますだと安いと思うけど…。で国宝は源氏物語絵巻は早蕨のみ、初音の調度は蒔絵旅櫛箱だけ。重文は織部銘冬枯、霊仙院千代姫所用の銀檜垣に梅図香盆飾り、純金葵紋蜀江文薬鍋と茶碗。元々歴史的な展覧会をするにはスペースが狭く価格帯が見合わないと思う。まぁ石川五右衛門が秀吉の寝室から盗み出そうとしたとき鳴いたという千鳥(青磁香炉銘千鳥)が見られて良かった(笑)。
2024.05.26
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昨日は朝から奈良博。空海の後期展。ちょっと早めに着いてびっくり!長蛇の列、正倉院展かと思ってしまう。まぁ定刻5分前に列が進み定刻5分後には入場出来たけど。でも人数制限が充分でなく、また西の典籍を展示してる部屋は狭く鑑賞環境は劣悪。平常展の奈良博なら落ち着いてひたれる良い場所だろうが、入口と出口が共通のこの部屋は大人数では身動きが取れなくなる。うつむいて展示品と対峙するから混雑は加速する。ここを選択したことが誤りだろう。国宝は既見の高雄曼荼羅金剛界(神護寺)、五大尊像5幅(醍醐寺)。重文は真言八祖像8幅(神護寺)、不空三蔵表制集巻第三(石山寺)、三教指帰(東寺)、性霊集巻第五(醍醐寺)、弘法大師行状絵詞巻第三(東寺)、恵果和尚之碑文(東寺)、秘密曼荼羅付法伝巻上巻下(東寺)、弘法大師請来目録(宝厳寺)、弘法大師御勘文下巻(奈良博)、密要鈔後七日差図 胎蔵界・金剛界(仁和寺)、二荒山碑文(神護寺)、崔子玉座右銘断簡(宝亀院)、八宗論大日如来像(善集院)、金剛峯寺根本縁起後醍醐天皇手印並御跋(金剛峯寺)、弘法大師二十五箇条遺告(奈良博)、高野山水屏風(京博)。重文巡りをしながら奈良博に来てた国宝仲間と偶然出会い、JR奈良駅経由で戻るならと途中にある傳香寺を紹介される。工事中の興福寺五重塔を経由してぶらぶら訪ねる。筒井順慶の菩提所。本堂と春日地蔵が重文。大和地蔵十福という巡拝の札所。奈良の三名椿の一つである武士椿とお水取りが重なる3月12日に来ると本堂で裸形の地蔵の着替えが見られると案内される。あと7月23日も。
2024.05.26
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昨日は抽選に当たったので滋賀県大津市の石山寺に近い重文の伊庭貞剛旧宅、住友活機園を見に行く。伊庭貞剛は住友財閥の2代目総理事。その隠居所。58歳で隠居しているが…。集合時間の15時までは余裕があるので石山寺に参拝に行くことにする。2つの距離は歩いて20分ほどかな。石山寺は国宝を多く所蔵するが公開の機会が少なく国宝愛好家泣かせの寺である。重文の東大門を入り、1100円を納め石段を登り、蓮如堂、御影堂、本堂内陣の不動明王坐像、塑像金剛蔵王立像心木、毘沙門天立像、持国天立像、増長天立像。三十八所権現社本殿、経蔵、多宝堂大日如来坐像、柱絵、宝篋印塔、豊浄殿で旧前立ちの如意輪観音像、鐘楼と次々に重文を見る。でも同名複数の指定がある毘沙門天や如意輪観音はどっちを見たか不明。さて活機園では一組44人、正門を入って受付けを終え、苔むした道を歩き芝生にある東屋で紙コップでお茶飲んでると説明が始まる。南を通る新幹線と高速の騒音がうるさいが、今残る敷地はそれらに取られ当時の5分の1だそうな。半分のグループに分かれて、共通の玄関を入り洋館・和館・新座敷と1時間半かけて説明を受ける。附の和館棟札も飾ってあった。細工は細かいが、和館の柱は新座敷を含め今の普通の住宅と同じ3寸5分、耐震という考えがなかったので数寄屋造りでは細さが求められそうなったのだな。
2024.05.25
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昨日は国際博物館の日!で入館料1400円が無料だった香川県立ミュージアムの特別展『美が結ぶ 皇室と香川』。国宝は、年に一回は公開される離洛帖(県立ミュージアム)と若冲の芍薬群蝶図と向日葵雄鶏図(三の丸尚蔵館)のみ。若冲は国宝指定前に全三十幅を見てるが、指定後はコツコツ観覧、これで十四幅目。重文は空海関連の展示室にあった「光厳院宸翰御奉納心経。伊勢神宮と石清水八幡宮と春日大社に奉納しようとした般若心経。善通寺ゆかりの展示品としては、伝 空海の「孫過庭書譜断簡」と「与本国使請共帰啓」、光琳の「西行物語絵巻 巻第三」の善通寺の松、「画帖(善通寺町献上)」の五岳連峰。画帖は他のも見てみたいなぁ。
2024.05.19
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でトーハク。半年前飛行機の予約をしたときには新指定国宝展が開催されることは発表されてなかったのでラッキー。新国宝は木造准胝観音菩薩立像と木造地蔵菩薩立像(大報恩寺)、金峯山出土紺紙金字経(金峯神社)、金峯山出土紺紙金字経(金峯山寺)、三重県宝塚一号墳出土埴輪(松阪市)の4件。これで国宝既見1085件。新重文は展示されてたのは全部見た。でも同じ組織になった三の丸尚蔵館の分を展示しないのは何故だろう?常設展2階の重文は、十一面観音菩薩坐像(小松寺)、阿弥陀如来像(禅林寺)、阿弥陀聖衆来迎図(奈良 長谷寺)、拾遺古徳伝絵巻 巻第一(常福寺)、慈円願文(東博)、為家本時代不同歌合絵(東博)、松下達磨図 一山一寧賛(東博)、法語 石室善玖(東博)、青磁琮形花入(東博)、金銅鶴丸紋散兵庫鎖太刀(熱田神宮)、太刀銘長船経家 拵(北口本宮冨士浅間神社)、黒肩妻取威胴丸(東博)。1階は、初瀬山蒔絵硯箱(東博)、金銅灌仏盤(東博)、線刻十一面観音鏡像(東博)、銅鰐口(東博)、金銅蓮華唐草文透彫華鬘(金剛輪寺)、行道面 8面 丹生都比売神社由来(東博)、追儺面 2面丹生都比売神社由来(東博)、行道面 菩薩(浄土寺)、行道面 菩薩(重蔵神社)。開催中の特別展『法然と極楽浄土』は比較的空いてた。トーハク限定の重文は、法然上人絵伝 巻十八 巻十九(當麻寺奥院)、拾遺古徳伝絵 巻第三(常福寺)、善導大師像(百萬遍知恩寺)、浄土五祖絵(光明寺)、阿弥陀如来及び両脇侍立像(いわき市)、紫檀塗螺鈿厨子(千體寺)、貞享本(當麻寺)、徳川家康坐像(知恩院)。仏生山法然寺の立体の涅槃像、これが今回の目玉かも。実は今回のトーハク、国宝仲間のオフ会というイベントも。前回集まったのはコロナ以前。13人集まりレストランゆりの木で2時半から3時間近く語り合う。奈良から一人、静岡から三人、他の客から見たら怪しい集団だな(笑)。
2024.05.12
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昨日の朝はと言っても10時から重文建物内にある静嘉堂文庫美術館の特別展『画鬼 河鍋暁斎✕鬼才 松浦武四郎』。重文は、松浦武四郎関係資料(松浦武四郎記念館)から各種。他には慈覚大師伝(静嘉堂)。重文の明治生命館本体も見学出来ると聞いてクラッシックなエレベータで2階に上がる。重厚な造り、下の階を見ると実際に活用されているようだ。
2024.05.12
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昨日は歌舞伎のあと、根津美術館とサントリー美術館。どちらも年会費を払ってるので、いつでも優先で見られる。まず根津。カキツバタの季節に『国宝・燕子花図屏風 デザインの日本美術』外国人が多い。目立つ言葉はフランス語。重文は、春日山蒔絵硯箱・色絵山寺図茶壺・銹絵染付金彩絵替土器皿。残念ながら、カキツバタはもう終わりに近かった。次は金曜は夜もやってるサントリーのコレクション展。観覧者は仕事帰りという人たち。国宝の政子所有と伝わる蒔絵手箱。重文は西洋双六盤・四季花鳥図屏風・泰西王侯騎馬図屏風。酒伝童子絵巻・善教房絵巻・独楽型鉢・八角大壺・三脚大皿・金彩薄文蓋物。前後期で所蔵する国宝重文が全部見られるが、後期には来られないなぁ。
2024.05.11
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月照寺を拝観したあと島根県立美術館に。「畠山記念館名品展」が開催されてると聞いたので観覧。サントリー美術館の会員割引が使えた。現在畠山記念館には何度も行ってるので多分見てると思うけど、見たと断言できるのは、油屋だけ(笑)、これは笈と内容品に記憶がある。重文は水指銘古岸、茶碗銘毘沙門堂、花入銘からたち、茶入銘油屋、茶椀銘細川、躑躅図、天球瓶。日の入りは遅いので、宍道湖を見ながら茶どころ松江の和菓子アイスを食べて時間を過ごす。島根県立美術館は夕陽が名物なので目当ての人が集まってくる。
2024.05.05
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昨日は松江城天守に登った。米子と違い松江は完全な観光地、人が多い。中学生のとき、出張で、スタンプ押しにと少なくとも3回は登ってるけど、国宝に指定されてからは初めて。国宝既見1081件。天守の入場はそこそこ観光客は多い、でも彦根みたいに入口に列が出来るほどではない。その前に家老屋敷跡が松江歴史館になってたのでちょっと寄る。企画展「神々の美術」で重文観音・独鈷杵・三鈷杵の懸仏(法王寺)、木造十一面観音立像(浄音寺)、彩絵檜扇(佐太神社)を見た。周回バスに乗って史跡松江藩菩提所月照寺に。ここは中学生のとき以来。初代から九代までの藩主の廟所。不昧公のが見晴らしも良く一番立派だな。
2024.05.05
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昨日は善通寺市の古墳の日。史跡有岡古墳群6基のうち宮が尾・王墓山・野田院の3古墳の制限区域内に入れるほか重文の石棺がZENキューブ公開された。宮が尾古墳は円墳で7世紀初頭の装飾古墳。馬や船が描かれてる。王墓山古墳は前方後円墳で6世紀。出土品はZENキューブ内の郷土館で展示。野田院古墳は大麻山の標高405メートル付近。前方後円墳で3世紀末の積石塚。途中の道は離合出来ない箇所が複数あり、イベントが行われると道は大変。私は往復で10数台ほどとすれ違ったが下りで4回ほどバックした。磨臼山古墳から出土した重文の割竹形石棺がZENキューブで扉を開けて公開された。古墳時代前期後半(4世紀後半)に造られたものとされる。石は国分寺町の鷲ノ山石で造られ、鷲ノ山石出来た石棺は大阪の古墳でも出土しているそうだ。各古墳ではカードをもらい。同じく郷土館前ではピンバッジを作った。
2024.04.30
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昨日は朝から大阪城に。多聞櫓と千貫櫓と乾櫓の内部が公開されるので11時開演の文楽との隙間時間で行ってきた。「千貫」のいわれ覚えてるので多聞も千貫は入ったことあるのだろう。外堀端で乾櫓から大手門方向を望む10時からだけど、乾櫓は西の丸庭園内にあるから9時の開園以後にそこから入るのは分かる。他の2櫓はどこから入るのだろうか?どこでチケット売るのか?色々な疑問を持って9時前に到着。西の丸係員に聞くと、9時半から既存の売り場の前のテントで売るそうだ。そして3櫓とも西の丸から入ることに、昔は違ってたよう。まだ時間があるので、重文の六番櫓に行ったが当然入れない。そうこうしてるうちに9時20分。戻るとテントは設営中。一番だった。だんだん列が伸びて12人。1500円!ちょっと高いと感じる。一番遠い乾櫓に向かう。10人くらいが並んだ。スタッフは、多聞櫓から順に見ることを想定してたらしい。中で説明するボランティアさんには悪いが最初に並んだ人達はマニアが多いのでそれに響くような内容にして欲しい。2階には上れない。駆け足で乾櫓を見て、駆け足で多聞櫓に向かう。こっちは外国人さんが多い。千貫櫓も2階には上れない。10時15分に千貫櫓を出て駆け足で地下鉄に向かう。大手門も塀も重文だったっけ。この多聞櫓とに囲まれた枡形、少数派の左折れ。それにしても大阪城っていつからこんな世界的観光地になったのか(笑)。
2024.04.28
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昨日の最後は京博の特別展『雪舟伝説ー「画聖」の誕生ー』。夕方だったからか驚くほど閑散としている。目玉は雪舟の国宝6件の展示。ただ残念なことに山水長巻は3期に分けて展示。重文は山水図拙宗・四季花鳥図・倣粱楷黄初平図・四季山水図巻・山水図画稿小西家伝来(京博)、四季山水図(東博)、西湖図(石川県立美術館)、倣李唐牧牛図牧童・倣李唐牧牛図渡河・倣高克恭山水図巻(山口県立美術館)、倣玉澗山水図(岡山県美術館) 、山水図襖(隣華院)、月夜山水図屏風(近江神宮)。雪舟を見せるのではなく、雪舟の広がり影響がテーマだけど、閉館間近は雪舟の国宝を独り占め出来る(笑)。
2024.04.27
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昨日は混雑する奈良博を早々に切り上げて京都に。絶対こっちの方が空いている。目的は龍谷ミュージアムの春季特別展『弥勒信仰と太陽神』。ちょうどバスが来たので時間短縮に七条堀川まで乗る。興正寺から西本願寺にかけてのツツジが綺麗〜。ミュージアムは思いのほか混雑。重文は仏所行讃巻第二(愛知 七寺)、弥勒菩薩半跏像(大阪 野中寺)、弥勒菩薩立像(東大寺中性院)、高僧伝巻第五(愛知 岩屋寺)、弥勒如来坐像(奈良博)、兜率天曼荼羅(岐阜 誓願寺)。
2024.04.27
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昨日は朝から高速バスに乗って阪神、近鉄を使って奈良へ。何故か奈良は大混雑。時間が惜しいので奈良博までバスに乗ったけど歩くより遅くなった。特別展空海ー密教のルーツとマンダラ世界ー。奈良博と思えない混雑。取り敢えず胎蔵界だけだけど未見の高雄曼荼羅(神護寺)を見る。全体に黒くて色がない。これで国宝既見1080件。混雑の中、駆け足だけど国宝、重文は全部見たはず。でも今整理してると思い出せない(笑)。中国の西南碑林博物館からの一級文物文殊菩薩像だけ撮影可。空海ということで、金剛峯寺と東寺のが多いな。重文は、 大日如来座像 漆箔887頃・血曼荼羅・板彫胎蔵曼荼羅・板彫両界曼荼羅・即身成仏品・金銅独鈷杵三鈷杵五鈷杵五鈷鈴・山水屏風・弘法大師丹生高野両明神像(金剛峯寺)。金剛頂第三・恵果和尚之碑文・伝法灌頂相承略記、弁顕密二教論、弘法大師遺告(東寺)。善通寺からは国宝錫杖だけ。弘法大師坐像(元興寺)、両部大壇具(室生寺)、不動明王坐像(和歌山 正智院)、五部心観(和歌山 西南院)、高野大師行状図画巻第二(和歌山 地蔵院)、胎蔵図像・伝教大師求法書等(奈良博)、性霊集巻第五巻第八(杏雨書屋)、金銅四天王五鈷鈴(弥谷寺)、高雄曼荼羅図像胎蔵界(長谷寺)、不空三蔵表制集巻第一(東博)、覚禅後七日(勧修寺)。
2024.04.27
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