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アンタルヤのお天気、快晴。青空。ソーラーシステムも熱湯が出るぐらい。日中は日向にいると、暑い。でも日がかげったとたん、ゾクッとくる。今日はトルコ生活14年目にして、初めてメルジメッキ・チョルバス(レンズ豆のスープ)を作った。一般的なもので、日本の食卓でいうと、みそ汁ぐらいの位置にあると思う。ほとんどトルコ料理を作らないせいもあるけど、誰かが作っているのを見ない限り、レシピだけじゃ作る気がしないという怠け者精神も手伝って、今回初チャレンジ。作ってみると別にどうってことなく、作れてしまうんだけど、これで息子のためのトルコ料理レパートリーがひとつ増えた、って単純に喜んでしまう。・・・っていうか、いままで作っていないという方が問題。Rちゃんは無事にアイシェのもとへたどり着き、天気もよいので、絨毯用の縦糸でも張ったことだろう。1平方mぐらいの絨毯を織る。3週間~1か月弱の予定でいるが、頑張り次第である。Tちゃんもトメルの7段階がもうすぐ終わる。1年前に来たときはメルハバも知らなかったのに、それがいまでは普通に会話しているし、理解している。もちろん足りない部分もあるけど、日常的にはなんの不自由もない。私との携帯のメッセージもなぜかトルコ語。なんだか不思議である。来月の25日に鹿沼市の国際交流協会で国際理解講座トルコが開かれる。講師は現在、帰国中の夫。インスタントだけど、トルコのスープとデザートの試食。トルコの話をするそうだ。2月1日の8時半から先着順受付なので、興味のある方は鹿沼市の国際交流協会まで。洗濯物も外に干せた。毛布と布団も。春はもうすぐ・・・・・。
2006年01月29日
クルマを所持していて、毎年2回、とても嫌な日がある。それはクルマの税金を支払う日。納税することは別に義務だから、構わないのだけど、長い列に何時間も立ったまま並ぶ苦痛と言ったら・・・・。1月と7月の2回。車検証を持って銀行へ行く。今は違うんだけど、2、3年前までは Z銀行のしかも特定の支店でしか受け付けてくれなかった。期間が決まっているので、そのいずれかの日に朝から銀行の列に並ぶ。2、3時間立ったまま待たされるのである。しかも1月と7月であるから、アンタルヤの場合、クソ寒いかクソ暑いかどちらかである。最初は頑張って並んでいたけど、あまりにも大変なので、クルマを持っている誰かについでに頼むことを覚えた。そうこうしているうちに、他の支店でも支払えるようになり、最近ではたいていの銀行で支払いができるから、以前のような列を待つことはなくなった。今年も1月末までに支払わなければならない。金額は昨年5月に新車で購入したプジョー・パートナーで26000YTL(約237万円)に対して年間486 YTL(44200円)の支払い。2回に分けるからその半分を今回支払えばいい。さっそくアドナンに、彼の家のクルマとペリンのクルマのついでに近所の銀行に支払いに行ってもらった。ここならたいした待ち時間もなく支払いができる。ところが問題が発生。支払いができなかったのである。なんと弊社のクルマの登録ナンバーから検索すると、名義は弊社名なのに、n納税者の氏名が全く知らない人になっているという。このまま支払いをしてしまうと、その人が納税したことになり、弊社には税金未納の通知が来るだけ・・・・という、わけのわからないことになっていた。知り合いの交通課の人にアナウンスでナンバーの問い合わせをしてもらったら、返事は銀行の人が言ったのと同じで、警察としては問題ないけど、納税で問題がでるだろうと言われ、プジョーに連絡する。そこからがトルコらしいんだけと、普通だったらプジョーで買ったんだから「お調べしてご連絡します」とか「こちらで処理いたします」とか言うよね。でも言われたのが「私たちができることは何もないわ。代行業の人の電話番号教えるから、そちらに聞いてみて」。代行業の人に電話すると「やってやるから、税務署まで来い」。私はプジョーに文句言いにいくつもりだったけど、文句言っても時間の無駄と、自分の気分が悪くなるだけなので、自分たちでやることにして、まず税務署に行った。待たされた結果、警察に行って、クルマの登録の書類を持ってこいと言われた。そこで遠く離れた警察までいき、またまた待たされて、それに交通課で印を押してもらい、税務署に戻った。税務署に戻って書類を提出すると、「この書類不要ね。だって、納税者名もちゃんとお宅の会社になっているわよ」と。この数時間の手間はなんだったんだ。ここまで来たついでだから、税務署に直接支払おうと思ったけど、すごい列であった。300人以上は並んでおり、列は外までつながっている。で、銀行に再び支払いに行った。ところが状況は変わっていなく、納税者は他の人。このナンバー、以前他の人が使用していたものの再利用で、税務署以外で検索すると、その人の名前が出てきてしまうようである。ってことは銀行での支払いは不可能で、税務署のあの長い長い列に並ぶしかないのである。プジョーのせいで、私は今年は一番大変は税務署の列に並ばなきゃいけなくなったわけである。やっぱり一言でも文句を言いにいくべきだった、と思ったけど、それも時間の無駄。というわけで、明日は通関の仕事はアドナンに任せて、私は税務署で順番待ちで1日を過ごすということである。今から憂鬱。ホテルのフィットネスにもいけないから、その分だと思うことにするか・・・・。こうしてトルコ生活で、戦うことよりも、あきらめることを覚えていくのであった・・・・。
2006年01月26日
ああ、もうビックリ。犠牲祭で来るはずが、オトガルまで迎えに行って待ちぼうけを食らい、そのまま連絡も途絶えていたトルコ人の友人。今日、突然メッセンジャーがオンラインになったので、「ちょっと、あんた生きていたの!?」と会話が始まった。2週間全く連絡がとれないまま、また彼女からも連絡が来ないまま、私はいくつかの理由を自分なりに考えていた。1.事故、病気で死んでしまった。2.事故、病気で自分から連絡がとれないほど、または友人に頼めないほど重症。3.家族ともめた。3の可能性を考えたのは、1,2であれば、何かの形で家族から連絡が来ると思っていたから。結果からいうと、理由は3で、私もこれを思いついた自分をトルコ人のこと、よくわかっていると自負してしまったのだが・・・。実は彼女はアンタルヤにインターネットで知り合ったトルコ人の男性に会いにくるはずだった。私は見たことも話したこともないが、お互いにネット上で交際を続け、恋人と呼び合っていたという。彼女の家庭はそれほど保守的ではないと思うのだが、問題になったのが、彼は離婚歴があり、子供がいるということであった。「たぶん、家族から反対されると思う。いっそのこと、彼のもとに逃げちゃおうかな・・・」と言っていたことがあった。アンタルヤへ来るのも、もちろん最初は彼のことを隠して、私のところに来ることだけを告げていたそうだ。ところが前日に職場の友人、事情を知っていた甥っ子から、母親と兄の耳に入り、大もめとなったようである。彼に会うこと自体はそうもめることではなかったと思う。彼女は20代後半で、トルコでは適齢期を過ぎている。母親もネットで話をしている男性がいるらしいということは知っていた。ただ子持ちのバツイチということは隠しており、それが問題になり、母親と兄が会いにいかせないために、あれこれ手を使ったようである。彼女はそのあたりのことを「今は思い出したくもない。次に会ったときに説明するから・・・」と語らないので、想像の範囲でしかないのだけど。もめて、家族から威圧され、24時間どこにも行かないように監視され、全てが嫌になって、自暴自棄になったそうだ。それで仕事にもいかず、電話もメッセンジャーも全てオフにして、誰とも連絡をとれなかったし、とらなかったし、連絡されることも拒否したそうだ。もしくは彼と連絡をとらせないために、電話も家族にとりあげられているのかもしれない。外に電話をかけにいくにも、一文なし。何もできなかった。もうどうでもいいや、と思っていたけど、今日、急に私のことを思い出して、インターネットカフェまで抜け出してきたと言った。2週間経って、家族の監視も緩んだのだろう。「私、バカみたいにオトガルであなたを待っていたのよ。普通、来れないなら来れないって1本電話するよね?」何を言っても「聞かないでくれ」「あとで説明する」「自分の状況は最悪だ」・・・・いいけど、私に何の罪がある!? 心配させられて、事情も飲み込めず、いずれ彼女の墓前に花を供えにいく自分を頭に浮かべてしまったんだからね。今日の彼女はかなり変で、最初は本当に本人かと疑うほど、言うことが普段と違っていた。たぶん、どこかでビールでも飲んで酔っ払っていたのかもしれない。その勢いでインターネットカフェまで来たのかもしれない。トルコでは家庭にもよるが、目上のものからの威圧に逆らうことはできない。最後は母親に泣かれて「親を捨てるか、彼を捨てるか」という選択を迫られるのであるが、親子べったりのトルコ人家庭では親を捨てるということはありえないであろう。こういうパターンは通常、母親と息子の関係に多い。よくある話であるが、嫁は捨てるが母親は捨てない。親も子離れができない。子供も親離れができない。 20歳を過ぎた一人の人間として、自分の人生の選択すらできない場合もある。書き出すと、いろいろ身近でも例があるので、キリがない。でも私まで頭が痛くなってきたので、とりあえず今日は終わり。それにしても少しは他人のことも考えてほしいものである。連絡ももらえず、わけもわからず、ただただ心配した2週間。だけど、今となっては私にとっては2週間分の悩みも怒りもどうでもいいや・・・って。彼女が生きていてくれただけで・・・・って思うことにする。
2006年01月25日
4日間の出張から帰ってきた。北からの寒波で雪天気が心配されるなか、天気予報とルートと時間帯を考えながらクルマを走らせた。おかげで雪で足止めをくうこともなく、それどころか快晴と初めて通った山越えルートで思いがけなく楽しいドライブになった。20日から行く予定の各地で雪が降るかも・・・という予報。出発したのは19日の早朝。アンタルヤは温かかった。しかしアンタルヤからフェティエ方面への山越えで、霧と吹雪。最初は雨だったのが、標高が上がるにつれて雪に変わり、道路に積もりはしないこそ、横殴り。おまけに霧で前5mがやっと見える程度で、フェティエまで通いなれている道だから恐怖は感じなかったけど、ゆっくり運転。緊張して目と肩の筋肉が疲れた。19日と20日はそれぞれエーゲ海方面の小さな町で滞在。天気は青空。風が吹いて寒かったけど、雨もなくて、ラクした。21日は問題の山奥へ。エーゲ海地方だが、標高が1500mほどの山頂まで上がり、そこから反対方面に下りるルート。短い距離を急勾配で一気にあがるのである。冬は積雪や凍結で、軍隊がゲートで場合によっては通行止めで引き返さなければならないと覚悟していたが、天気もよいので問題ないだろうとすすむ。道には何もなく、反対車線からクルマも来る。山頂には雪が積もっており、ここはスキー場でもある。山頂からの景色は素晴らしく、ついクルマを停めて記念撮影。反対側のくだりにはまだ雪が残っており、日陰のカーブでは滑らないよう気をつける。でも道としてはそれほど心配するほどのことはなく、ただ初めて通るルートなので道の様子がわからないということだけ。日中に移動してよかった。もし夜だったら凍結も怖いし、何より村も山頂の村ぐらいしかないので、真っ暗。ガソリン切らした日には動きがとれない。そして22日の今日は曇り空。しかも雪の多い地方に宿泊したので、雪が降らないうちにアンタルヤへ帰ろうと、お昼には出発した。途中に1か所。雪だろうと心配される山越えがあるが、知り合いに電話をして雪がないのを確認。でも雲行きがあやしく、いつ雨になり、それが雪に変わるかわからない。途中、山越えでは霧にたたられた。19日の霧より濃く、山頂付近では全く前が見えなかった。来るクルマのライトも、いるはずの前を走るクルマのテールライトも見えない。山を下って晴れて、肩の力を抜くことができた。そうして途中、食事休憩1回以外はノンストップで3時半にはアンタルヤの家に戻れた。今回は目的地では用事を駆け足ですませただけで、全体としては天気に恵まれたけど、なんだか帰路の霧の道で緊張して疲れたみたい。でも積もる雪に悩まされることもなく、チェーンを巻くこともなく、移動できたので、その幸運には感謝している。今回の収穫は、村民バザールで集めた古い手芸品。こんなところでこんなものを見つけていいのか!? ってものを見つけましたよ。それはまた次回。追記:今回4人での旅。一人お酒が飲める人がいると、夜は毎晩酒を飲むことになる・・というのが出張の常。酒飲みが3、4人も集まった日には(以前、そんなこともあったなあ、と振り返る)毎晩宴会で、飲めない私はつきあうけど、翌日がとても辛くなる。Aくんも相手がいれば飲む。今回はお酒の強いRちゃんがいたので3晩とも酒入り。私は初日だけ1本おつきあい。2晩目はAくんとRちゃんだけ飲んで私はチャイをおかわり。3晩目は私はさっさとホテルの部屋へ戻り、二人は地元の友人とバーへ飲みに行ったようだ。酒に弱いっていうのはつまらない・・・。
2006年01月22日
年末年始~犠牲祭の9連休と続いて、なんだかずっと休みみたいなもんだったけど、やっと始動開始。明日から4日間の地方出張。今回は寒気の影響で、大雪と寒波がくるって話だから、大丈夫だろうエーゲ海方面なんだけど、そこから内陸部に入り、北上するつもりの予定はどうやら変更になりそう。しかたがないので、前回曜日違いで行けなかった、村民バザールだけは見てこようと思っている。このまえはその隣村のバザールで、実際に着られた民族衣装のシャツにあたるものを見つけて買い占めてきたけど、今回の村のバザールは周辺の村落から村民が持ち込む量が多いので、さらにおもしろいもの、オリジナルのものが見つかること、期待しよう。クルマにチェーンだけは積んで。地中海・エーゲ海の沿岸道は大丈夫だとしても、アンタルヤからフェティエに降りるまでのコルクテリやエルマルなどの山間部は、ちょっと降られそうだし、イズミルの村も上にあがるとわからない。その先が天気次第。寒いと絶対雪の降るところだから・・・。インシャッラー、天気に恵まれ、最初の予定通りにまわれることを祈ろう。金曜日以降、大雪の可能性があるので、アンタルヤへ無事に戻れるルートを確保しておかなきゃ。最悪は全部海伝いに戻らなきゃいけなくて、そのときはあと1日プラスだな・・・。ああ、それにしても寒いときに出かけるって・・・・。
2006年01月18日
今日のアンタルヤは温かかった。と、思ったら、東京も春の陽気だったそうで。村のアイシェのところへ、Rちゃんとアドナンと息子と行った。アイシェはドルマとチェルバを作って待っていた。夕べ夜勤だったお父さんも起きてきて、みんなで昼食。我が家の息子は村に来ると、とたんに食欲旺盛になる。普段は食べないトマトやきゅうりも自分から進んで食べる。おいしい空気と、みんなで食卓を囲む雰囲気が食べさせてくれるのだろう。Rちゃんは、今月末からアイシェのもとで村滞在しながら絨毯を織る。1平方mぐらいのものを予定している。約3週間の期間。今年はアイシェは薪ストーブを組まなかった。アンタルヤの冬が温かく過ぎてしまったせいだが、2月になれば温かくなるアンタルヤではあと少しの我慢。それに今日みたいな気候がであれば日中は全く問題ないし、日が落ちてからもガスストーブか電気ストーブがあれば部屋は暖まる。外のテラスにアイシェの織った絨毯たちを広げて、日向ぼっこ。太陽エネルギーを身体に充電した、って感じ。息子もクルマの心配のない家の前でボールを蹴ったり、近所の子と遊んで上機嫌。遊ばせておくにも心配ないので、親ものんびりできるし。お土産にアイシェお手製のユフカと、村で採れた果物をもらって帰宅した。9連休の最終日。
2006年01月15日
何が残り2日かというと、9日間の犠牲祭関連の連休である。実質は昨日の金曜日で犠牲祭の4日目が終わり、今日と明日は週末の連休である。長かった・・・・・。一言で言えば、ただただ長い連休であった。普段、こんなに家にいることないし、何もしないこともないから、余計に辛かった。子供がいるから、好きな時間に寝て過ごせるわけでなし。寝れたとしても、寝ないことには慣れているけど、寝ることに慣れていないから、寝るっていったって・・・ねえ、なのである。トルコ人の友人の行方はまだ不明で、それも気にかかる。早く無事でいることがわかれば、すっきりするけど。本人の携帯が不通な以上、他に連絡する場所を知らないから、向こうの誰かから連絡が来るのを待つしかないんだよね。待つのはいいいけど、それも心配しながらだから、つらい。今から、最悪の場合も覚悟もしている自分がいる。思い返せば、最後に連絡をとったとき、かなり具合が悪そうだった。彼女の仕事はかなりハードで、しかも連休前に山積みの仕事で大変そうだった。冗談で「これで死んでも墓参りには来ないでね」なんて言われて、私も「何の花が好き?」なんて言ってしまった。でもこういうことは考えちゃいけない、いけない・・・・。Tちゃんはトルコで4台目の携帯を買った。というかこの1年で4台目と言った方が早い。番号は同じものを使えるので、登録に行って、1時間後には開通。いまや携帯がない生活は不便そのものだし、盗まれた携帯は、以前みたいに売買できないから、どこかに捨てられているだろうけど、見つかる可能性は低いだろうし、見つかっても使える状態かどうかわからないから、とりあえず買おうということになった。普段からぼおっと警戒しない私も、身近でこういう事件があると、一応気をつけなくちゃという気持ちになる。クルマでの行き来のおかげで、いままで何もなく来たけれど、トルコって安全なところって頭で生きているから、実際、無用心。私にとって、長い長い連休になってしまった。天気だけが見事に晴れ続きで、外に出かけなかったことがもったいなかったけど。あと2日間。今日はホテルのハマムへでも出かけてこよう。
2006年01月14日
今日は今朝から何かがおかしい。今朝、イスタンブルからトルコ人の友人がアンタルヤへ来るはずだった。3日前に連絡をしたとき、今朝の昼頃到着の夜行バスで来ると話していた。前日の夜、念のために出発予定時間の15分前に電話をすると、携帯を切ってあった。バスのなかでは携帯は切らなくてはならないが、まあ気が早いなあ、と思いつつも、バスに乗ったのだと信じていた。そして今朝、バスターミナルに迎えにいった。ところが乗っているはずのバスに姿が見えない。バス会社に確認しても、また乗務員にも確認したが、本人の姿がない。見過ごしたか・・・・? それとも驚かせようと隠れているのか・・・。最初はそんな風に気軽に考えていたけど、最後まで姿が見えない。でも行き違いになったとしても、携帯に電話をくれるはずである。・・・・もちろん私からも携帯に連絡をし続けたが、携帯は切れたまま。もしかして、予定のバスのチケットがとれなかったのか、と他のバスをあたったが、それらしい姿を見つけることができなかった。それからアランヤまで乗り越してしまったのか、それで戻ってくるまで携帯に出られないのか・・・・などと、可能性のある全てのことを考えた。もちろん、携帯で連絡をとろうと試みるのだけど、切れたままである。もしかして携帯が盗まれてしまい、連絡のとりようがないとか、私の番号がわからないとか・・・・。それなら最悪、インターネットを開けておけば、どこかのインターネットカフェから連絡いれてくるだろう、少なくともメッセージを残してくれるだろう、と待っていた。・・・・がそれも連絡なし。電話が通じないまま、24時間以上行方不明なのである。病気で入院しているにしても、本人の意識があれば、なんとか連絡してくるはずだと思う。以前もそんなことがあったが、連絡はとれた。それか事故に巻き込まれた。・・・・なにを、どう考えても悪いことしか頭に浮かばない。思えば、バスの出発時間の15分前に切れていたが、もしかしたら、もっと前から切れていたのかもしれない。3日間は電話をかけていないので、いつから通じないのかもわからない。それで携帯番号しかしらないので、家や仕事場に確認しようにもできない。普段は携帯で連絡が済んでしまうので、尋ねたこともなかったけど、こういう場合のことを考えて、ほかに連絡とれる場所を聞いておくべきだったと後悔・・・・・。まさにミステリーなんだけど、連絡が来るのを待つしか方法がないのである。携帯に出ない理由さえわかれば、すっきりするのだが、胸騒ぎで、寝るに寝れない。いずれ何かの形で仕事場の人か、家の人が私に連絡をとると思うが、それはそれこそ、最悪の場合である。そんなことがあったかと思うと、夕方我が家に遊びにきたTちゃんが、ホームステイ先のお家に帰る途中、ひったくりにあった、と戻ってきた。現場にいた目撃者の家族がすぐに警察を呼んでくれたり、助けてくれたのだが、大通りをバス停に向かって歩いていると、3人組の20歳前後の若者がバックを奪って逃げたそうだ。パスポートはなかったが、クレジットカードと携帯と現金が入っていた。クレジットカードはインターネットで調べて、すぐに日本にコレクトコールで盗難の連絡を入れた。携帯がなくなり、ホームステイ先の電話番号もわからず、遅くなることを連絡できない。本人に何もなかったことを不幸中の幸いと思う。私は子供がいて付き添える状態ではなかったので、近所に住むアドナンに付き添ってもらい、警察に行って、調書をとったり、被害届を出したり、最後にTちゃんをホームステイ先の家族に送り、アドナンが家に戻ったのは午前2時半頃だった。事件から5時間経っていた。家族の人たちも連絡がないまま帰ってこないTちゃんを心配したことだろう。遅くなったにしても、事情がわかってほっとしてくれたと思う。イスタンブルの友人の件も、彼女と同じような状況なのか。それとも・・・・。わかれば、なんだあ・・・・と思うようなことであって欲しい。「バスの中で素敵な人と知り合ってさあ・・・そのままバカンスに行っちゃったのよ」なんて、ケロっと現れてくれたら、私は怒るどころか、それだけで大喜びしてしまう。でも脳裏を過ぎるのは・・・最悪なことばかりである。
2006年01月13日
我が家には今、動物とか植物とか生命のあるものは人間以外ない。嫌いかというとその逆で、大好きである。でも大好きだからこそ、面倒が見れない現在の生活では飼わない(買わない)ことにしている。私の親も動物好きで、とくに犬は私が生まれる前からついこの間までかならず家にいた。途中で自分から姿を消した犬もいたけど、ほとんどは最後を看取る形で終わった。私も動物のいない生活は今が初めてである。トルコに来てからも、シェパートの子犬を飼い、それが7か月目ぐらいのときに動物泥棒に盗まれ、そのショックから立ち直れないでいるときに野良犬を拾い、それを店で飼い、日本人の友人が日本から連れてきた小型犬を置いていったので、それを預かり、ワン猫の子猫を育て、婿を2匹もらい、子猫が2匹生まれ・・・・・。一番多いときは犬が2匹、猫が4匹いた。猫は母猫と子猫2匹は家で飼っていたので、家と店の往復をクルマに3匹乗せて連れてあるいた。母猫は肩に乗る猫で、どこに行くにも肩に乗って着いてきた。私に子供が生まれ、しばらくは動物たちも飼っていたし、妊娠時に猫は飼わない方がよいと言われるが、医者から免疫も十分あるから問題ないだろうと、そのまま飼い続けた。私の子供にも動物を日常的に愛でる気持ちを持ってもらいたかったから、動物との生活を続けたかった。動物のために帰国もできるだけ控えたし、外出も動物たちを連れていける範囲でしかしなかった。でも日本での仕事が増えるごとに、人に預けて帰国したが、それも期間が長くなったり、回数が増えることで無理がでてきた。最後は動物のことを考えて、大切にしてくれる人に、時期をズラしながら、里子に出した。犬の1匹はとても頭のいい犬で、それを察してか自分で姿を消した。探しても見つからないままである。最後にワン猫のメスが1匹残ったが、彼女も泣く泣く人手に渡した。それが3年前ぐらいのこと。私には動物たちとのそれぞれの別れは今でもつらい思い出だし、その瞬間を思い出しただけで、涙が出てしまう。そのときに、動物たちを結果的、捨てた自分が嫌だったし、動物も植物も最後まで面倒見れないのだから、二度と飼わないと決めた。それからどんなに欲しくても、動物を飼わないし、植物も切花以外は家に入れたことがない。家の中がさっぷうけいで、観葉植物でも置こうと思ったりするけど、われに返ってやめる。猫にボロボロにされたソファーもそのまま。また動物を飼えば、ボロボロにされるから、このままでいいや・・・・って、決心と実際頭を過ぎる考えは別もの。最近、5歳になる私の子供が動物を飼いたがる。昔の写真を見ているとき、犬や猫と一緒にいる赤ん坊の自分を見つけてのこと。無責任に動物を飼えないこと。動物たちを連れていけないので、その分、日本に行く回数や期間が短くなること。飼えない理由を説明してみるけど、実は私も犬を飼いたい気持ちが限界にきているので、子供に言われると「そうだよね。日本にいかなきゃいいんだよね」と思ってしまう。やばいやばい・・・。・・・というか、店の階下のチャイ屋に、置き去りにされた犬がいる。飼い主が生まれたばかりの娘と妻と、犬を捨てて、行方不明になってしまったのである。犬は飼い主にべったりで、どこにいくにもついて歩いていた。飼い主がいなくなり、面倒みる余裕のない妻に代わって、飼い主が働いていたチャイ屋に預けられているのだが、ドアが開くたびに飼い主じゃないことにがっかりしているのがよくわかる。大型のねずみぐらいの小型犬。預かってくれる人を探しているんだよね・・・・・。
2006年01月11日
トルコで鳥インフルエンザの話題があがった以後も、鶏肉を普通に食べていたんだけど、今回は死者がでたことで、ちょっとは気にしはじめたところ。でも先日、生で食べちゃいけないトルコの卵を生で食べたし、肉と言えばビーフカレーの牛肉以外は鶏肉メインの我が家の献立。昨日も世間は犠牲祭で牛肉か羊肉か山羊肉を食っているだろうから、私は鶏肉でから揚げかチーズ挟みフライか・・・って買った。今日は犠牲祭の初日なんだけど、私は何も用事がないし、誰も店に来る予定もないので、フィットネスに行った帰りにララ方面のスーパーに寄った。午後から作り貯め用の春巻きを作る予定で、他の材料はそろえたので、鶏肉のひき肉を買おうと思ったのである。ところが鶏肉のあるはずの場所は空っぽ。販売されていないのである。牛肉と羊肉はいつもと同じように販売されていた。これも鳥インフルエンザの影響か・・・・。それとも単に犠牲祭との関連か・・・・。別のスーパーに行こうと思ったら、そこはお休み。3軒目もお休みで、結局、1軒目のスーパーでなぜ鶏肉がないのか、よくわからなかった。せめて子供には鶏肉とか卵とか食べさせるの、控えようかと思ったりするんだけど、加熱したら大丈夫と言われたり、これは検査済みだから問題なしとか・・・実際はどうしたらいいのでしょうね。今日行ったスーパーで、たまたまか、はたまた鳥インフルエンザの影響か、鶏肉が販売されていなかったことで、ちょっとビビッたミフリ社長でした。(・・・って、本当にビビッているのか・・・・また死語を使ってしまった・・・・)。
2006年01月10日
アンタルヤは温かい。とくに今年はありがたいほど温かい。アンタルヤで11年目の冬を迎えて、こんなに温かい冬は初めてかもしれないなどと思ってみる。今日も青空が広がっている。犠牲祭がらみの大型連休でトルコ人観光客もぼちぼち来始めているようだし、彼らにとてはラッキーなことだろう。トルコや日本の天気予報をテレビで見ていると、0度とか-○度とか、この時期それが普通なんだろうけど、私しゃ、昨晩などはサンダルで出かけてしまったほど(・・・っていつもサンダル履いているだろ、と突っ込みたくなるだろうけ・・・最近は靴履いていたもんね)。息子の保育園が月曜日も休みになり、結果9連休になってしまった。知っていたら、思い切って日本にでも行っても良かったんだけど、合間に中途半端に用事ができてしまったものだから、いまさらどこにも行けなくなってしまった。後半はアンタルヤ近郊どこかに遊びに出かけようかな・・・・。今日は犠牲祭の前夜祭で、明日は犠牲となる牛や羊、山羊たちが切られる日。数日は庭先や家庭内で焼肉か、天気がよければピクニックに出かけて焼肉をする家族連れを見ることができるだろう。トルコに親戚なしの母子家庭にはちょっと辛い光景だけど、普段の平安を考えたら、友人・知人はいてもいいけど、トルコ人の親戚はいらんかも・・・・。私たちは連休に入って、何をしているかというと、1日目はフィットネスに行き、家に戻ってから2キロ分の小麦粉と12個の卵でドーナツを山のように作り、作ったらそれで満足してしまい、できあがったものは食べるわけでもなく、友達におすそ分け。2日目は家の掃除をして、夜になったらカレイチのペリンのところに遊びにいった。ついでに夕飯をご馳走になって帰ってきた。3日目の今日は、朝から天気もよくて、どこかに遊びにいきたいところ。とりあえずフィットネスにこれから行って、午後は店に顔を出す。・・・・ってことで、じつは退屈しているんです。
2006年01月09日
日本から小包が届いて、なかにはお餅と着物姿の女優のカレンダー。ちょっぴり日本のお正月気分を味わった。・・・と思っていたら、明日7日(土)から15日(日)までトルコの官公庁は9連休。犠牲祭が10日(火)~13(金)にあって(12日(木)までだっけ?)、ついでに月曜日も公休にして土日が2回。結果9日間の休みになった。お役所、学校関係はお休みなんだけど、一般の商店などは開いているし、いまどき犠牲祭の初日でもアンタルヤじゃ通常生活ができるから、そんなに不便はない。むしろ観光客が増えて、ホテルや商店街は大忙しになるだろう。私もせっかくの休みだし、(・・・いつも休んでいるじゃないか・・って!?)3泊ぐらいのツアーで海外旅行でもしようと思ったけど、トルコより北は寒いし、南と言えば北キプロスにカジノでもしにいくか、エジプトにでも行くしかない。子連れだからどうも個人旅行は面倒で、ツアーでいけるところって条件だから選択の余地がないし、北キプロスならトルコ語も通じるし、ホテルでゴロゴロしていればいいや、って思ったら、これが意外と高い。3泊のイスタンブル発北キプロスのツアーで、新聞広告には4万円前後で書いてあるのだけど、実際問い合わせてみるとどこも6万円台から。しかもアンタルヤからイスタンブルまで飛行機チケットを手にいれなきゃならないし、なんのかんのと8~10万円になってしまう。10万円あれば日本までの往復チケット買えてしまうなあ・・・と思ったら、行く気がしなくなった。ヨーロッパ方面への旅行の方が安いツアーがある。寒いから行かないけど・・・・。フィットネスにも通うからやっぱり旅行はいけないや・・・・とか。店は基本的にお休み。ミフリ社長はアンタルヤ近辺にいると思うから、ケイタイで呼び出してね。
2006年01月06日
あけましておめでとうございます。実はカウントダウンを逃してしまい、気がついたら年が明けていた。予定通り、今年はアンタルヤの5つ星ホテルで年越しパーティー。宿泊つきなので、正午から入れるのだが、何もないところなので、カップルでもない限り、ホテルの部屋で退屈してしまうだろうと、私たちは夕方、でかけた。部屋にチェックインして、暖房の効いた部屋で、浴槽を泡のお風呂にして、ゆったり。それから用意をして1階の会場へ。かなり広い場所だが、ほぼ満席。約600名の宴会だったようだ。プログラムは8時からスタートし、歌やダンス、抽選会。その間に食事。前菜の盛り合わせ、ボレキ、サラダ、ターキーに栗とぶどうのピラフ、クリスマスケーキ(トルコじゃ年越しとクリスマスは同じ日)、チョコレートのかかったシャーベット、最後は飲んだあとお決まりのイシュケンベチョルバス(胃袋のスープ)。飲み物は飲み放題。でもお客の数に対して、ガルソンが少なく、ドリンクのオーダーが追いつかなくて、酒飲みどもはイライラ。で、1杯ずつ頼まないで、一度にたくさん頼んで何とか間に合った会場に来ている子供たちは、別室で子供だけのパーティー。大人たちがゆっくりできるようにとの配慮だが、人見知りのうちの子供はみんなと遊べず、私も気になって様子を見にいったが、大人たちが入れ替わり、立ち代り、様子を見に行ってくれた。いったい、誰が本当の親なのか、ホテルの人は迷ったことだろう。・・・というわけで、11時ごろには私は息子と13階の部屋へ戻り、テレビを見ながら年越し睡眠。目が覚めたときには2006年になっていた。下の会場では、カウントダウンとキスの嵐。ベリーダンサーの登場で盛り上がったよう。一番先に席をはずしたのは私なので、その後はあとで聞いた話。私の次に部屋に戻ったのは社長(日本人)。Aくん(トルコ人)はいつもより飲みのペースが早く、しかもミックスで飲んで踊りまくったもので、カウントダウンの前にかなり酔っていた。そして気がついたら姿が消えていた。同じテーブルにいた若い女性が仕切りにモーションをかけていたので、もしかしたら・・・・ということらしい。相手を選ばないと友人たちに言われ続けられている彼だが、この日の彼の名言は「このグラスも女も僕にとっては同じこと」。う~ん、このままでは彼の将来が不安である。それからS夫妻(日本人)。S妻はとくにお酒に強く、メンバーのなかで一番たくさん飲んだけど、なんともなかったのだからすごい。こういう飲み放題の場では、彼女なしでは元がとれないのである。そのあとはペリン(トルコ人)とジャン(中国人)。ジャンもラクをかなりのんだけど、彼の場合、静かな酒で食べ物もしっかり食べるので酔っ払うことはない。ペリンも自分のペースで飲み、食べ。2時ごろまで残ったそうだ。お開きまでいたのはトルコ人の友人とその知り合いたち7名ほど。そして彼らは泊らずにそのまま帰宅したそうだ。なんだか基本的な体力が違うのかな・・・・って思ってしまう。私はビール2杯を桃のジュースと交互に飲んでいたので、まったく酔うことはなかった。っていうか、子供が気になって、飲める気分じゃなかった。明け方の4時に一応お開きで、友人の7歳になる娘もその時間まで起きていたようだ。私は息子を23時まで寝かせられなかったことに罪悪感持ってしまったけど、トルコの子供たちは結構夜更かしが多い。ベリーダンサーと一緒になって踊りまくっている小学校低学年もいたらしいし・・・・。翌朝はホテルで朝食をとって、帰宅。息子は翌日の月曜日から普通に保育園があるので、家で親子でのんびり過ごして早めに寝た。そして2日の朝には日常モード。子供を送り出し、朝はフィットネスに行き、午後から用事をすませ、夕方には帰宅。そして明日も通常通り。あっけない年越しで、お正月ムードは終わってしまったけど、新しい年を健康に幸せに迎えられたことを喜ぼう。みなさま昨年はお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。そしてみなさまの健康と幸福を遠くアンタルヤからお祈り申し上げます。
2006年01月02日
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