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数日前からダルいし、目がかゆいし、くしゃみばかりしている・・・・。年とって体調が悪いのかな、なんて思ったのだけど、そういえば花粉症の季節である。この時期、絨毯屋なのに、絨毯が近くにあるだけでくしゃみと涙の日々。お客さんに絨毯、キリムを広げてみせるときはもう大変である。今年は加えて頭が重い、思考回路がとまっている。家でぼーっとすることってほとんどないんだけど、昨日、今日とフィットネスもさぼって、出勤時間まで寝てしまった。夫がこの時期、アレルギー性鼻炎で苦しむのだが、彼も家で寝ていなくていけないぐらい重症になる。今年は日本にいるので、どうなっているかわからないけど、今年は私も重症かも・・・・。しかもこういうときに限って仕事が忙しい。そしてどういうわけか暇なときって健康なんだよね。これからお客さんが来たり、地方出張が毎週のように続くのだけど、これ以上悪くならないことを祈るばかりである。アドナンは今年は目にきているようで、涙目で苦しそう。以下、欲しいもの。いわし系のふりかけ(大袋)おしょうゆカレールー棒ラーメン鼻炎の薬アレルギー用の目薬お湯を注ぐだけのトムヤムクンスープそうめんセロテープ
2006年02月28日
・・・実に6日ぶりにホテルのフィットネスに行った。ちょっと具合が悪いような気がして、家で4日間過ごし、5日目の月曜日は弁護士さんとの用事があったのでそれで行けず、火曜日の昨日、久しぶりに身体を動かした。マシンを使っての歩行や自転車こぎ、筋肉強化(・・・適切な日本語知らないもんで・・・すみませんねえ)、約2時間。それからサウナで15分。シャワーを浴びて終わり。エアロビも水泳もスカシュもしなかったんだけど、終わってみたら身体のあちらこちらが痛いのである。5日さぼったせいなんだろうな、って思うけど。一夜あけても肩とか足とかまだ痛い。トルコ人の知り合いで筋肉トレーニングが趣味の青年がいる。もともと拳闘をやっていた人だけど、約1年前からはじめて、腕も胸もお腹もモリモリである。同じクラブに通っているわけではないので、夜にメッセンジャーで時間があれば話をする程度なんだけど、彼もやはり数日行けないと、気持ちが落ち着かないし、筋肉痛で身体が痛くなる・・・と言っていた。もちろん、彼と私の筋トレはレベルが違いすぎて、話にならないんだけど、彼でも身体が痛くなると聞いて、安心したけど、やっぱり続けていないとつらいんだなあ・・・って。フィットネスに通い始めたころ、15分の歩行で翌日足がはれた。身体のあちらこちらが痛くなり、帰りに階段をあがるのも面倒になるほどであった。でも気がついたら身体の痛みもなくなり、気分爽快で仕事に行けるようになっていた。週に5日~6日も行っていたら、そりゃ慣れるわね、であるが、逆に今回のように週に5日も行かないと、また1からのスタートみたいで、慣れるまで苦痛の日々・・・・。40代で肥満防止のために、週に2時間半ぐらいは運動したらいいらしい。本当はフィットネスに通わなくても、徒歩で通勤すれば済むことなのだろうけど、最近、どうもアンタルヤも物騒で、以前みたいに時間と場所を選ばず歩けない。私は引ったくりとか、スリとか遭っていないんだけど、人から話を聞くと、ガキんちょが小遣い欲しさに自転車やバイクで引ったくりしようとついてきたり、なかにはナイフを持っているのもいるから、気をつけてもどうしようもない例もある。トルコ人たちにもお前はだらしがないのだから、気をつけろ、気をつけろ、と念を押されるし、大都市化していくアンタルヤとしては、仕方がないのかなあと。私のなかでの13年来の憧れのトルコはだんだん消えていくんだけど、いい国、いい人たち・・・っていうのだけでは、済まなくなっている事実を、私自身が受け入れたがっていない部分がある。油断と隙だらけの私のトルコ生活。これじゃいけないと思いつつ、でもこうじゃなきゃね、って思いつつ・・・。どうも話がそれました。
2006年02月22日
実は木曜日から3日間、具合が悪いような気がして、家にいた。アンタルヤの気温の変化に身体がついていけなくて、最近、風邪をひいたり、具合の悪い人が周囲に多いんだけど、私もそれかな? って感じ。で、天気も悪いし、なんていっても寒いし(アンタルヤにしては・・・って意味で)、出勤せずに家にいた。用事はアドナンにいっさい任せて、一歩も外に出ない生活を経験したのである。寝て過ごすかと思ったんだけど、これが意外とできない。普段の生活習慣のせいで、朝は7時に起き、息子を保育園に送りだし、そのあと、寝てもいいわけだけど、なんだか寝むれない。仕方がないので衛星放送でトルコの古い映画を見て、それもあきたので、何か作って食べて、ほかにすることもなく、でも掃除するとか、洗濯するとか、食器を洗うとかも、面倒で、ただぼーっと過ごした。ときどきインターネット。でもこれもすぐにあきる。ホームページの徘徊はほとんどしないから、友人とチャットするぐらいなんだけど、平日の昼間からチャットできる人もあまりいないし、ネタないもんね。夜になっても早寝もできず、結局深夜1時ごろ、就寝。この生活を3日続けたけど、つらい、つらい。明日は4日目。具合もよくなったので、フィットネスにでも行こうと思うんだけど、普通は病み上がりで行かないよねえ。でも限界・・・。家にひきこもって何もしない生活もいいな、って思っていたけど、これはこれで結構大変。人と接触しない生活も私には無理かも。プライベートな時間もあんまり必要ないし、一人でいるよりは誰かといる方が楽しい。365日24時間営業のコンビニエンスストアな生活でいいや・・・・って。
2006年02月19日
バカバカしくて書く気にもならないけど、一応報告(いったい誰にだ!?)。先週の木曜日の夜中から明け方にかけて、マフィアがらみの借金の返済と、母親から見捨てられたことを理由に自殺をはかったはずのトルコ人青年Cくん(28歳)。連絡はとれないけど、理由がわかっているから心配しないようにしていたけど、そこは優しい(自分で言うけど、頭にバカもつく)ミフリ社長、気にして、暇を見ては電話をかけていた。しかし携帯は不通・・・・墓参りにどうやっていこう・・・と考えていた。5日後の昨日、ふとかけたら通じた。しかし本人、電話をとらない。あれだけ騒いだあとにあわせる顔はないよね、たしかに。夕方になって、Cくんから電話がかかってきた。私の着信を見てのことだと思う。生きていたのね、よかったね。である。当夜は睡眠薬10個とビールを8本用意して、でもビールは2本飲んで私とメッセンジャーで会話したあと、記憶がないという。朝になって、母親が発見し、息子が死んでいる!? と大騒ぎ。息があることがわかって、病院に担ぎ込まれた。その後、マフィアたちに2日間、監禁され、脅されたそうだ。どうやって開放されたかというと、Cくん曰く、「キミのおかげだよ」という。どういうことかというと、私が言ったとおりに言ったという。「僕を殺すなら、殺せばいい。でもそのときは僕名義のものはなにもないから金は1文もとれないんだぞ。命か金が選べ」と。本来ならマフィアの方が「命が惜しければ金返せ」と脅すところだが、その逆を言ったら、マフィアの方が「じゃあ、分割でいいから支払え」となったそうだ。もちろん、話はそんなに簡単にすまなかったと思うが、最後は兵役に行く息子に代わって、父親が自分が支払いをするという約束をして、開放されたという。まあ、甘ちゃんだよね。周りを騒がせ、心配させたあげく、本人ケロッとしていて、睡眠薬を飲むほど大変だった、と自分のことばかり。そうじゃなくて、「キミにも迷惑かけて悪かったね」の一言が欲しいよ。それを言ったところで、「僕はすごく大変だったんだよ、ストレスで苦しかったんだよ」と「ごめん」の代わりに言い訳が続くだけなんだよね・・・。どうしてこう甘ちゃんばっかりなんだろう・・・・。もう一人、トルコ人青年のAくん。家族に、外国人であるガールフレンドとのつきあいをあまりよく思われていないようで、かと言って、自立して生活できるほどの力もない。今、行き場をなくしかけていて、なにかといえば、「ストレスだらけだ。どこか遠くにいきたい。家族は俺がいなくなって悲しめばいい」。本人自覚ないけど、彼のこねる理屈も自分勝手で自己中心。思うようにいかないと、周囲のせいにして、あたりまくっているし、かといって自分で努力をするわけでなし・・・・。こんなのばっかりで、次は私がストレスを感じて、キレるかな!?
2006年02月16日
借金の返済ができず、母親にも見捨てられ自らの命を絶った(そう思うことにした)Cくん。連絡がとれない理由がはっきりしているから、もう心配するのをやめることにした。このままじゃ、私の胃がどうにかなりそうである。そのうち、その後日談が出てくるかもしれないけど・・・・。週末はベランダと窓の鉄格子のペンキ塗りを頼んでいた。さびが出ないように、と思ってのこと。さて終わってみると、塗れていないところがたくさんある。「やれるだけやったけど届かないんだ」「この鉄格子ははめる前に塗るべきだったんだ」「次回は非難用の長いはしごを持ってきて試してみるよ」なんとか、かんとか・・・・・。でも見積もりの段階で、1階であること(日本風に言うと2階)、窓が開かないけど、ベランダから手が届くこと。などなど伝えてあった。はしごが必要なことも・・・・。そのうえで「大丈夫、任せておけ」と言っていたくせに・・・・・。下塗りと上塗りをするはずだったのに、最後はかな手抜きをして、さっさと帰っていった。部屋からみるとなんだか塗り残しだらけで不満。見た目にもそうだけど、さび防止を目的にしているのに、塗り残していたら意味ないじゃん・・・・。でも言い訳の相手をするのが面倒なので、あとで自分でやるわ、って思って黙って帰した。で、私がベランダから手をのばしてやってみたら、裏側もちゃんとできたし、細かい塗り残しも完成させた。要するに面倒で手抜いたわけだよね。誰かさんが「ベランダの鉄格子塗りはプロじゃなきゃ、できない。キミには無理だよ」・・・・なんていうから、ペンキ屋に頼んだけど、自分で丁寧にやったほうがよほどよかった。っていうか、やる方にプロ意識がないよね。隣のおじさんに、タダでペンキ塗り手伝ってもらったわけじゃないんだから。これもトルコの日常的風景・・・。
2006年02月13日
マザコンの国である。コレに関しては断言する。言い方を変えれば、家族の絆が強いとか、母親思いの息子とか・・・言えないこともない。でも母親が絶対なので、その母親に見捨てられたときのショックは私の想像を超える・・・・ようだ。さて、昨夜はトルコ人青年Cくんの自殺騒動があった。・・・というか、まだ継続しているんだけど・・・・・。理由は「母親に見捨てられたのがショックだったから」。Cくんは28歳。4年生の大学を卒業して、会計士として働いていた。彼はどうやら賭博でその筋のお方に21500YTL(約203万円)の借金を作ってしまった。借用書をかかされ、サインをした。そのうち、そのうち・・・・と思っていたら、期限が来て、でも支払いができなかった。そりゃそうだよね。給料がいくらいい方だと言っても、月に約10万円の収入である。クルマもあって経費がかかるし、趣味のパソコン機器にもお金をかけている。身の周りもこぎれいにしているし、床屋通いも頻繁である。催促されているけど、まあ、いいか・・・と思っていたら、なんとサイン入りの借用書が、その筋の方の大元へ(つまり地元の誰もが知っているマフィア)の手に渡ってしまった。そこからはお決まりの通り。脅され、すかされ、「いついつまでに払わなきゃ、どういう目に遭うかわかっているだろうな」と。期限は1週間。Cくんはまず自分のクルマを売り、兄に泣きついてクルマを売ってもらい、お金を作ってもらった。さらに妹夫婦にお金を借りた。それで支払えたのが15000YTL(約142万円)。まだ61万円足りない。Cくんはそれでも楽観視していた。母親名義の家を抵当に、銀行から借りて、月々約2万円ずつの返済をしていけばすむだけだ・・・・って。実際は春から兵役に行くので、父親が自分の代わりに、毎月銀行に支払いをしてくれる、って勝手に決めていた。それを母親に説明し、頼んだが母親の返事はいいものではなかった。「私が住むところがなくなる」父親も「俺は知らない」。村育ちの無知な母親にとって、家が抵当に入るということは、銀行に家をとられる、という感覚なのである。毎晩、母親を説得したが、よい返事はもらえなかった。期限は近づいてくる。マフィアには「払えなきゃ、家に押しかけるぞ」と脅されている。彼の借金なんだから、家はとられることないし、自分名義のものはもう何もないという。法的にはわかっている。でも相手は地元のマフィアで、怖いものなしであるから、何をするかわからない。脅されて、リンチを受け、家族の誰かを人質にとられたら、どんなに理不尽なことにでもサインをするしかない・・・・と、疲れ果てていた。明日になったら、マフィアたちが大勢で家に押しかけて、家財道具をいっさい持っていく、家も取り押さえられるかもしれない。そして僕はリンチされ、涙と悲しみだけの日になる。家族はパニックを起こすだろう、僕はその光景を見たくない。だから、陽が明けるまでに自分の人生を終わらせるんだ。キミにも最後のあいさつをしておこうと思って・・・。私とCくんは、知り合いの知り合いとして知り合い、住んでいるところが遠いため、その後は、ごくたまにメッセンジャーで会話をする程度のつきあいである。メッセンジャーには母親、妹、兄夫婦、姉夫婦、甥っ子たちも集まって、いつも賑やかであった。それが今日はカメラの前に誰の姿も見えなかった。「実は母親と大喧嘩して気分は最悪、部屋に鍵もかけている」で始まり、最初は理由もいっさい話したがらないCくんに、なんとか口を開かせた。話はじめたら彼もとまらなくなったようで、上記の事情がわかったというわけである。私とメッセンジャーで会話している間も、友人・知人に疲れた顔で「最後の」電話をかけまくっていた。相談できる相手はいないの?法的には何もできないんだよ、脅しに乗らなきゃ、何もおきない。パソコンでもテレビでも何でも持っていかせたらいいよ。それで済むなら、また働いて買えばいい。家族とこれからでももう一度話し合いをしなよ。何度でも頭を下げてお願いするんだよ。明日そんなことが起きるぐらいなら、協力してくれるよ。もういいんだ。僕は疲れたよ。どちらみち、数時間後には大勢のマフィアが家に来るんだ。今からお金が用意できたとしても、手遅れなんだよ。全てのことをあきらめた。僕がいいときは周囲に友人・知人が集まってきた。でも状況が悪くなったとたん、みんなが去っていった。家族だけは違うと思っていた。親は最後まで僕を支えてくれると思っていた。でも違ったよ。人は一人なんだ。父親に相談しても、僕のことを心配すらしてくれず、まるで他人事。なにが悲しいかって、母親が家を抵当に入れるのを拒否したことだ。わずか6500YTL(約61万円)のために、僕は自分の意思とは無関係に人生を終わらせなきゃいけないんだ・・・・。なんとか、かんとか・・・・。飲めない酒を無理矢理飲んで、もう決めたことだ、死ぬしかないんだ。死んだあとのことは知らない。僕を支えてくれなかった家族は悲しめばいいんだ。母親が僕を助けてくれていたら、お金も返せて、僕はこんなに苦しまなくてすんだのに・・・・・。ああ、僕は何でこんな話までを他人のキミにしているんだろう・・・・。いままでこんなにたくさん話をしたことなかったね。・・・って。自分がしてはいけない所から借金をしてしまったこと。その返済をそのうちそのうちと怠っていたこと。相手を怒らせて、借用書をマフィアに手に委ねさせてしまったこと。最後は母親名義の家を勝手にあてにして、お金の工面に奔走しなかったこと。彼の落ち度は大きいし、それで結局、返済の最終日を迎えることにビビッて「死んでいっさいの苦痛から逃げる」ことを考えているわけである。そしてその最大の理由が「母親に見捨てられたこと」。かなりショックだったようである。そこまで追い詰められてしまったわけであるが、逃げても何も解決されないことである。マザコン男が、いざ母親に見捨てられるとかなり弱い。Cくんは、実際はそんなに弱い人間ではないと思う。自信家で兵役後の将来のプランも持っていた。私は前回の行方不明の友人事件以降、不通になったら役立たずの携帯電話の存在を信用できないので、家の電話番号を聞き出そうとしたが、彼は「忘れた」で、「さようなら、僕のことを時々思い出してほしい」とカメラの前で倒れこんだ。かなり酔っていたのだと思う。そのままメッセンジャーのカメラも閉じられ、返事も返ってこなかった。今日、一日、彼は仕事にも行っていないようだし、パソコンが開かれることもなかった。もちろん携帯も不通のまま。Cくんと私の共通の知り合いにも連絡してみたが、「昨夜、たしかに急に電話がかかってきたけど・・・」と、彼もまたCくんの携帯の番号しか連絡方法を知らないという。どちらにしても、今日1日は電話にでられる状態じゃないだろうし、パソコンも持っていかれてしまったんだろう・・・・。また、私の心配の日々が続くわけである。なんだか最近、こんなことばかりである。すごく深刻なことなんだけど、心配していると、ある日、ケロっとして連絡してきたりするから、正直言って、どうしたらいいのかわからない。
2006年02月10日
北や東、内陸部ではまた寒さがぶり返したようだが、アンタルヤは雪ではなく大雨と雷。2月のこの天気は珍しいことかもしれないけど、やはりアンタルヤの冬には雷と前が見えなくなるほどの大雨がかかせない。「アフィヨンのカイマク(生クリーム)、コンヤのマニアック(頭のおかしい人)」「カラデニズリ(黒海地方の人)の頭は午後から動く」など、その土地の人のことを皮肉ったいい方があるが、(その土地の人にとっては不本意な、または面白くない言われ方だろうが)、アンタルヤにもある。「アンタルヤの天気と娘たちは信用できない」アンタルヤの天気はころころ変わる、娘たちも気分次第でころころ変わる・・・ってことなんですかね。娘たちは知らないけど(知っているけど)、天気に関してはその通りと思うこともある。例えば、ここ数日の天気。朝は青空、気温も高い。これは今日もいい天気・・・・! なんて思っていると、雲が流れてきて、突然寒くなる。ポツリポツリの雨が、いきなり滝のように降ってくる。かと思うと青空が見えていたり・・・・。今朝もひどかった。朝、ホテルのフィットネスに行くのに、家を8時半に出た。太陽も出ているし、青空でなんだか暖かい。息子にも薄着で保育園に行かせた。クルマで5分のカレイチに向かい、ペリンをひろい、空港方面に走ること、約10~15分。雨がポツリポツリと降り始めたかと思うと、いきなりドシャーって大雨と横風。街路樹が海から陸側に傾くほど。水蒸気と雨で前が見えなくなり、点灯しワイパーを全開。前から来るクルマが見えないほどの大雨になった。道路はすぐに川と化し。お昼ごろにホテルを出るころには、ポツリポツリ程度になり、カレイチの店(正確には自分の店にはいかず、ペリンのレストランで飯食って帰宅になったけど)に行ったときには、雨は止んでいた。そして午後3時ごろ帰宅しようとしたら、突然の豪雨。クルマをペリンの店の前につけていたから、濡れずにすんだけど、家までの道筋では徒歩の人が気の毒なほどで、さらに道が川となっているから、歩いている人たちの靴には浸水、加えてクルマが通るたびに跳ね上げる水がまるで津波のよう。そして夕方にはまるで何もなかったかのように雨があがっていた。「アンタルヤの天気と娘たちは信用できない」昔の人たちは、無意味にこれらの言葉を言ったわけじゃないってこと・・・・!?
2006年02月08日
昨日、村のアイシェがボレキ、ユフカと酵母パンを焼いたから、朝食においで、と電話がかかってきた。日曜日だし、息子も家で退屈するよりは、遊びにいくか、と村まで小1時間クルマを走らせた。11時近くになってしまっていたが、朝食をとらずに待っていてくれた。ほうれんそうとチーズ入りのサチ・ボレイ。・・・薄く広げた小麦粉の皮に、事前に調理したほうれんそうと、白チーズを入れ、自家製のオリーブオイルをかけて、たたんで、鉄板で焼いたもの。それにチャイ、自家製のオリーブ、犠牲祭の山羊肉のカウルマなどなど。酵母パンは1cmほどの厚さで、薪ストーブで焼きなおして、間にバターを塗ってくれた。とうもろこしの粉を混ぜてあり、それがまた香ばしい。おしゃべりしながら、ついつい食べ過ぎてしまう。今、アイシェのところでは日本人のRちゃんが絨毯を織っている。10日間が過ぎたところだが、この村独特のデザインのオリジナルの絨毯を見本に、40%ぐらいが終わっていた。Rちゃんが織っているところをみなければ、初めて絨毯を織る彼女が織ったと誰も信じないだろうほど、上手に出来ていた。時間が限られているから、とにかく機の前に座り、織り続けているらしいが、できあがりが楽しみである。村のモンペを履いて、村の風景にみごと同化していた。部屋は薪ストーブのおかげで汗をかくぐらい暑い。息子は服を脱いで、下着1枚でまだ顔を赤くしていた。寝そべりながら、アイシェの悩みを聞き、フルーツを剥いてもらい、ピーナッツをつまみ、チャイを飲み、トルココーヒーを飲み、暗くなるまで・・・・・。アイシェの悩みはつきない。でも自分のことではなく、他人の話を聞くことで、まるで自分のことのように考えてしまう彼女の性格からくるものである。家庭としては円満である。いつもニコニコしてアイシェのお尻にしっかり敷かれて、でも文句も言わない夫と、頑張り屋で元気な大学生の娘と、いたずら坊主で「携帯買ってくれ!」が最近の要求である中学生の息子の4人。近い親戚に、嫉妬から娘の大学進学を快く思わない人がいるらしい。そのせいで彼女にいろいろ問題を持ち込む。知らないふりをしておけばいいものの、それができないから頭が痛くなる。また親戚ではないけど、遠くに住む知り合いが、何を勘違いしたのか、生活に干渉する。相手を傷つけないために何もいえないでいるようだが、お金や物で人の心は買えると思っているからこその行動で、アイシェは彼女の行動にプライドを相当傷つけられていた。自分たちのために、自分たちで支えてきた生活がある。貧しくても、それが自分たちの生活であって、他人から施しをしてもらうことを誰もが喜ぶとは限らない。お金や物を施してもらい、まるで彼らが喜んでいるかと思ったら、大きな間違いで、それらの思い上がった行動は、ただ彼らを傷つけるだけ、ということに気がついていない。同情とか、愛情という名のもと、自分のエゴを満足させるためにやっているから、そうなる。アイシェは時々、誰とも分かち合えない気持ちを、こうやって私に語ってくれる。それで彼女の気持ちが安らぐなら、私はいくらでも喜んで相手になる。そうこうしているうちに周囲が暗くなる。夕食の時間である。1日食っちゃ寝。動いていないからお腹はすかないのだが、この日のために、犠牲祭の肉を冷凍してわけておいてくれ、それを食べるまでは返さないというので、ご馳走になった。炭火焼きにする予定だったが、薪ストーブの中で解凍するうちに、おいしそうに焼けてしまったので、それを細かくしてさらにフライパンで柔らかく焼いた。ノフットの煮込みと、肉入りピラフ、オーブンで焼いた野菜、酢漬けなどでお腹がはち切れるほどに食べた。Rちゃんも言っていたけど、他の家で食べるより、アイシェの料理はうまい。私が思うには、彼女の絨毯の製作過程と同じで、手を抜くこと、省略することをしないからだと思う。手抜きをして早く仕上げることより、自分が納得すること、納得するまでやること、そのためには手間を惜しまず何度でもやり直しもする・・・彼女の行動の全てに通じていることである。泊っていけ、という言葉を振り切って、たくさんのお土産とともに帰宅したのは9時近くのことであった。
2006年02月06日
以下、トルコ観光局のページからです。1999年8月に20世紀最後の「皆既日食」が観測されたトルコにおいて、来年2006年3月29日、再び「皆既日食」観測のチャンスが到来いたします。 NASA(アメリカ航空宇宙局)は、皆既日食に関しての関連書籍において、トルコが最良の観測地点になっていることを公示しています。この皆既日食は、ブラジル、アフリカ、中東、およびアジアで観測出来る予定ですが、トルコにおいては南部の都市「アンタルヤ」(Antalya)周辺からトルコ北東部の黒海沿岸の町「ギレスン」周辺を横断いたします。トルコで14時前後に実現する皆既日食は、下記の各県(アンタルヤ、コンヤ、アクサライ、ネヴシェヒル、カラマン、カイセリ、クルシェヒル、ヨズガット、シワス、トカト、アマスヤ、オルドゥ、ギレスン)を通過し、約190キロの広範囲に渡り観測が可能です。現地時間 13:54に地中海沿岸部から観測が可能となり、太陽の動きとともに観測ポイントも北上、14:13に黒海沿岸に移動いたします。気候、気象条件の観点から、アンタルヤ海岸部分が最も容易に観測できることになります。是非、この機会に「皆既日食」という神秘の現象をご覧になられてはいかがでしょうか。皆様のトルコへのお越しを心よりお待ちいたしております。※トルコにおける皆既日食のスケジュール等の詳細については、下記サイトにてご確認ください。 http://www.eclipse2006.boun.edu.tr/eclipse_2006eng.html (英語)
2006年02月04日
今日も驚くほど、暖かい日。コートを着ていて、脱いでしまった。外で冷たいコーラが飲みたくなった。Tちゃんはトルコ語コースの7段階目を、当然なんだけど合格し、来週から8段階目。試験の結果も出て、住むところも決まり、安心したところ。新聞記者のフセインは、両親とサンドゥックルの温泉保養地に休暇をとって遊びに行っていたのだけど、内陸の寒さに外出もままならず、退屈して1日早く切り上げて戻ってきた。そしてアンタルヤの暖かさに感動していた。今、アドナンが店の模様替えをしている。どういうわけか、年に2回、彼は店の中の棚を全て移動する。おかげで棚の裏から、なにからきれいになるし、埃が何年も溜まったまま、ってことがない。私は手伝うと邪魔なだけなので、外で日向ぼっこをし、マクドナルドが宅配を始めたので、メニューをもらいに行った。ついでにお昼にビッグマックのセット(6.90YTL=640円)を買った。いったい日本では今いくらなんでしょうね。トルコの物価って安いのか、高いのか、本当にわからなくなった。ホームセンターに日本製のテーブルクロスが売っていたり、100円ショップに出ているプラスチック製品がある。でも値段が4~7倍するもので、金額的な問題というより、気持ち的に手が出ない。ガソリンスタンドで軽油を入れると60リットルで12000円。ガソリンだともっと高いわけである。給料所得者の月額の最低賃金が保険・年金代、税金を引いて380YTL(約35000円)。玄関に敷く、靴の泥落としの一番安いのが7YTL(約650円)。ノリで貼り付けただけの、品質も悪い最低のマット。中国製だと思う。日本で最低賃金って20万円ぐらい? もっとあるかな? 知らないけど、そうだとして、このマットの金額、トルコの最低賃金の割合から考えると1.86%を占めるわけだから、日本で手取り20万円をもらっている人にとって、3720円。うん、日本でこの値段で絶対買わない・・・・などと、どうでもいいことを考えていた。それより、いままで買いたくて買えなかったバスマット。5000円ぐらいするんだもん。最近2000円以下ぐらいの輸入品が売られていて、それを買ったけど、ちょっと欲しいなあと思うものはやっぱり5000円ぐらいはする。給料の7分の1のバスマット、買いますか?絨毯とかキリムじゃない、化繊の、ただの足拭きマット。日本の家用に買ったバスマット、1枚500円だったと思う。我が家は決して余裕のある生活はしていない。それでも支払いだけを見て、店が約22万円、家が約20万円、毎月最低かかる。これに商売の仕入れ費用は入っていないし、出張の費用も入っていない。家の出費も服は買わないし、日本への帰省費用も入っていない。それらを均すと・・・・考えるのもいやなので、考えないことにする。商売をしているから、これぐらいは仕方がないし、日本での家もあるから、その維持費を考えると、いくら稼いでも追いつかない計算である。だから稼ぐとか、儲けるとか、それで楽しい人生を・・・なんてことをあきらめて、とにかく日々の生活の維持を目標に生きている。日本でフリーライターをしていたときの収入が月100万円で、支出も100万円という時期があったが、今の生活もそれと変わらない。違いは稼いだお金を、フルに自分のために使えたか、そうでないか・・・。ここじゃ、経費がかかりすぎて、ついでに言えば税金が高すぎて、自分の手元には何も残らない。飯が食えて子供の教育費が出れば大満足、の世界である。相変わらず、靴下には穴があいているし、着たきりすずめだし・・・。トルコ生活、最大の贅沢は今通っているフィットネスクラブ。なんだかトルコにいるのに、経済面では日本での生活と全く変わらないのである。知り合いのトルコ人たちも言う。「2000YTL(約18万5000円)給料もらえれば、生活なんとかなるわよね」それだけかかっているということなんだよね。特別贅沢な生活しているようには見えない。クルマを持っていて、自分の買いたいときに洋服は買えているけど・・・。10年前を振り返ると、不便さもあったけど、割安感があったトルコ。でも今は違う。トルコは安い国ではない。むしろ日本のほうがいろいろ安くなったり、売り上げ面で期待できることもある。なんで日本に戻って商売しないの? ってよく言われる。日本で商売することに過大な期待と夢見ている人が多いしね。私の場合、トルコで生活できることに充実と幸福を感じている、ってことなんだけど。加えて慣れてしまったから、いまさら日本に移動するのも面倒だし。トルコの若者のこれからと、彼らが家庭を持ったとき、いったいこの収入と物価の高さで、どうやって家族を養っていくのか、はたまた世間の一般的な家庭はどうやって生活しているのか、最近、気になって、勝手に心配しているミフリ社長の一人言。たぶんアドナンとか、フセインとか、身近な若者を見ていて、人生設計はどうした? このままでいいのか? 共稼ぎも仕方ないし、でも子供はタダでは育たないんだよ、金の切れ目が縁の切れ目、って言われちゃうんだよ・・・などと、最近、説教しているんだけど、いやあ、どうなっちゃうんでしょうね。心配のあまり、将来、いざというときに困らないために、今のうちに、こういう資格をとったら? とか、これを習いにいって、免許もらっておいで、とか言っているんだけど、免許とか資格とかの重要さにまだ気がついていない。実力があっても書類が重視されるんだよ、ましてや実力がない場合は書類だけが頼りなんだよ・・・・と、繰り返すのだけど、馬の耳に念仏状態。どんなことしてもお金は稼げる、って口では言うけど、そんなに甘くないこともよくわかっているし、彼らの今の生活以下の生活は(クルマがないとか、パソコンがないとか、旅行にいけないとか、外食が出来ないとか・・・)たとえ家族のためといえ、耐えられないであろう。余計なお世話なんだけど、独身の彼らが家庭を持つには、金持ちの娘で親が家でも建ててくれ、跡をつぐ商売があるような嫁さんでももらうしか方法がないって、本当に思ってしまう。
2006年02月04日
Tちゃんは、今、アンタルヤのトメルのトルコ語コース7段階目に通っている。昨年の冬に4か月、1~4段階目を受講し、それぞれの進級テストに合格し、秋に他の都市で5~6段階目に通い、合格。そして昨年の12月にアンタルヤを再訪し、今年の1月から7段階のコースを受講していた。明日はその7段階目の進級テスト。問題なく合格するであろうが、彼女にはその合格よりも、次の8段階が開講するのか、どうかという悩みがあった。その以前に7段階が開講するという日。事前の確認では「絶対開くから大丈夫よ」というトメルの受付の言葉を信じて、登校したら、いきなり「人数が集まらなかったから、今回は開かないことになったの・・・・」と言われたそうだ。開講するから、アンタルヤで待っていたのに、そんなことなら最初に開くかどうかまだ未定と言ってくれていたら、他の都市のトメルへ行っていた! とTちゃんは激怒。アンタルヤのトメルは最低4人集まらないと採算取れないようで、開講しない。初日に3人しか生徒がいない、という理由で、開講しないといわれたのである。怒ったTちゃんはトメルの上役の人に直談判、「大丈夫よ」と言った受付の人も責任を感じてか、一緒に開講を懇願してくれた。結果、翌日から3人の生徒で7段階目が無事スタート。それが明日、最終テストとなり、終了する。ところが困ったのが、次の8段階。7段階の生徒が3人でスタートし、途中、用事ができた生徒が国に帰ってしまったので実質2人のクラスである。2人揃わない日もあり、Tちゃんは先生と1対1で1日4時間の授業を受けたこともある。このままでは8段階目が開かない可能性大。昨日まで8段階目受講の申込者もなく、Tちゃんも「1か月間待つか、他の都市に行くか・・・・」と悩んでいた。今日になって、明るい顔でやってきて「8段階目が開くことになったんです」と言う。留守で連絡がとれなかった受講希望者に連絡がとれ、また全く関係ないところから、急に受講希望者が現れて、なんとか最低の4人を確保できそうだということである。アンタルヤ・トメルはただでさえ、イスタンブルやアンカラに比べてトルコ語コースの受講者が少ないのに、6段階分の内容を半分ずつにして12段階に増やしたものだから、各段階が開講できる可能性がますます低くなった。だから今回のTちゃんのようなケースもあるわけで、でも夏になるとみんな仕事があるからトメルに通っている暇がなく、ますます生徒が減るから、受講するならオフシーズンの今なんだよね。まあ、なんにせよ、Tちゃんの悩みが解決してよかった、よかった。
2006年02月02日
階下のチャイ屋で働いていたトルコ人男性が帰ってきた。約3か月ぶりだろうか。乳飲み子と妻と犬を捨てて、誰にも何もいわずに行方不明だった。詳しくは本人もいやだろうから、聞かないで、ただただ「お帰り!」って言っただけだけど、今となっては誰が悪いのか、どうして逃げたのか、本人以外にはわからないことだろう。勤めていたチャイ屋の景気が悪くなり、仕事がなくなり、収入の道が途絶え、考えた末、夜に未許可のまま屋台で魚のサンドイッチを作って売っていた。許可をとらないから暗くならないと仕事ができない。家にお金を持って帰らないと、子供もミルクを飲ませることもできない・・・だから仕方がないんだ・・・と言っていた。彼、Vくんはまだ若いけど、妻子持ち。ただ近い人の話だと、子供ができてしまい、まだ結婚の準備が年齢的にも経済的にも精神的にもできていなかったが、結婚から逃げられなかった。屋台で魚を売って1週間も経たないある日。突然、姿が消えた。奥さん、奥さんの家族、友人たちも探したようだが、いっさい音信不通。噂でイスタンブルへ逃げたということだった。彼の後ろをうしろをついて歩くネズミほどの大きさの犬も、彼に捨て去られ、寂しい思いをしていた。彼が戻る前日、人が通るだけでふるえる、気の弱いこのワンちゃんがあまりにもかわいそうで、家に連れて帰って面倒みる決意をしたところだった。なんにせよ、飼い主が戻り、ワンちゃんはうれしさのあまり、気が狂わんばかりに彼のそばから離れない。3か月行方知れずだったVくんも、まるで何もなかったかのように、ここにいる。「いやあ、アンタルヤが暖かいって聞いたもんだから・・・・」などと言いながら。ハムディおじちゃんは言う。「彼が弱かったことはもちろんだけど、彼だけが悪かったのか、奥さんもしくは家族が彼を追い込んだのか、理由は他人にはわからないし、誰が悪いとも言えない」そりゃそうだ。妻子を捨てて、音信普通・・・となれば、他人は彼を極悪人だと言うだろう。でも事情は誰にもわからない。ただ、ちょっと問題が起きると、もしくは嫌なことがあると、逃げてしまうというのはこの国で少なくない現象だと思う。もちろん、お国を問わずあることなんだけど、あまりにも簡単なことでも、簡単に行方をくらまし、ほとぼりが冷めたころに、全く何もなかったかのようにしれっと現れる。残された家族や友人たちの心配など鼻にもかけない。(私は最近もこれを経験済みだもんで、つい強調してしまう)この精神的な弱さと自己中心的な部分って、前々から気になることのひとつ。で、家族としては行方不明で生死もわからず心配していた亭主が戻ってきたから、怒るどころか、それだけでもいい、って喜ぶわけだよね。Vくんもそれを感じるから、しばらくは働かず甘えていられるわけだよね。この結果を見越して、行方をくらませるわけだ・・・。(これも最近、経験されられたから、よ~くわかる)
2006年02月01日
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