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何事においても、成功する人と成功しない人の差は、紙一重だろう。自分の知識と経験の範囲でモノゴトを考えたり、『無理だ』『難しい』と言ってるようでは絶対に出来ない。想念を明確に描き、錦の御旗を高く掲げて、自らの使命に気づき、経験に裏打ちされた信念を持って、どうしても《やるんだ》という決意のあるところに成功のキッカケがある。そして自分だけではない、自らのネットワークの衆知を集めなければならない。何故なら、『智』は《智》で磨かれ、《智》と混ざり合うことによって《叡智》になる。それが法則・理論といわれるものだ。最後の決め手は、明るくコツコツコツと実践すること。そして、初めて成果という形になって現れてくる。
2004年10月29日
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本当の大将は負けたと思ったらぱっと逃げる。大将でなくても、負けだとわかれば即座に逃げるだろう。逃げると言うことは、つまり『負け』を自覚すること。『負けた』という自覚がなければ逃げたりはしない。『負けた』いう自覚がなければ、負けを自覚するまで戦いつづける。そして誰もいなくなって気付く。自分の中に《勝ち負けの基準》を正しく持つことの出来る人が、生き残ることが出来る。負けたことに気付かない、或いは負けを認めない大将が戦う。全員が死ぬまで戦う。《バカな大将、敵より恐い》強い大将が生き残るのではなく、負けを自覚できる大将が、そして直ちに逃げる決断の出来る大将が生き残る。
2004年10月28日
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上司に何かを期待することは悪いことではなく、正しいことだと思います。ただ、職位の高さと人間性の高さがイコールかと言うと、そうではない。そうではないと感じた時に、どう対処するかがいつも問われているのが人間だ。期待してはいけないと気付いたにもかかわらず、何かを期待するのは甘え。社会のあらゆる『企業』に『職場』に、また『家庭』にそのような人は存在しています。アナタの生きがい、人生の目標が明確にならない限り、自分では《どうにも出来ない現象》に左右される自分がいます。嫌いだと思っている人に、ダメだと思っている人に、左右される自分がいます。アナタも同じではありませんか?ダメな上司に『一喜一憂』している自分がいませんか?せめて自分の人生、自分が主体となってつくり上げていかなければ・・・と思いませんか?自立しなければ、自分が正しいと思っていることをやってみなければ、人に左右される自分がそこにはいる。いつも出来ない言い訳をしている自分がいる。今日も、明日も、明後日も、言い訳している自分がいる。
2004年10月26日
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人は皆、ひとり一人異なった『天与の適性や才能』というものがある。それは生活集団の中での個人の役割、生産集団の中での公人としての役割と言い換えることができるだろう。或いは、人類の必然として、ひとり一人が異なった生き方を運命づけられているとも考えられる。私は『人の幸せ』を『天与の適性や才能を、そのまま完全に活かし切ること』ではないかと考えています。そのためには《そうなる環境づくり》を行い、その環境に身をおかなければなりません。だから、人は《明朗・素直・謙虚・感謝・尊敬》という自分を磨く『心の習慣』を身につけなければならない。そして成功というのは、『天与の適性や才能を、そのまま完全に活かし切ること』の結果として、社会(人間という集団)に貢献するということではないかと思います。それが人間として正しい生き方であり、自分も満足すると同時に成果に結びつき、その結果として《周囲の人びと》《社会》をも喜ばすことになるのではないでしょうか。そういう意味で、これこそ《人間としての成功》と呼ぶべきではないかと考えます。
2004年10月21日
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《紙に書くのは科学の始まり》とか《文字に表すと技能が技術になる》とか言われている。人間は自分の体験や考え方を文字に表すことによって文化、文明を残してきた。我々も自分の文化・文明を残すためには、自分の経験や考え方を自分なりに書き残しておかなければならない。日記でもメモでもレポートでも・・・。上手く書こうと思わなくていい。今の気持ちや考えをありのままに書くと、アナタの人生がとても個性的で魅力のある文章になる。意識をすれば文章のネタはいくらでも、どこにでもある。更に、意識することによって今まで何気なく見過ごしてきたことに気付くことが出来る。現象を現象として見過ごすことなく、本質を考えるようになる。そして、自らの成長に繋がる。メモやノートに書き残した量だけアナタの人生は変わっていく。
2004年10月19日
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道徳の『道』は、生産にかかわるそれぞれの役割の中での自らのスキルの向上。道徳の『徳』は人間性を高めること。それは、《素直に学び、明るく考え、コツコツ実践する》ことによって実現する。
2004年10月18日
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娘に会いに名古屋の自宅を8:00に出発し、帰って来たのが18:30。娘が勤務している大阪の羽曳野市にあるDolce Piatto(http://www.granpiatto.co.jp/)でパスタランチとドリンクを娘の奢りでいただいた。それにしても、娘の笑顔はかわいい。大阪まで来た甲斐があった。それだけでも十分だったが、貧乏性なもので大阪在住の友人(ビジネスの戦友)と2時間30分のランチしながらのビジネス談義。今日は有意義な一日でした。次回は娘のような《楽友のREIさん》に会いに行こう。
2004年10月16日
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明日は長女に会いに大阪に行く予定。羽曳野市にある勤め先の様子を見に行こうと思っている。今日は長男の28回目の誕生日。そろそろ孫の顔を見たいのだが・・・。
2004年10月15日
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宇宙、自然の法則の中で、生物として生かされている自分が、人として生きる喜びを知ることにより《明るさ》を手に入れることが出来る。生きる喜びとは、『自らの人生の目的を見出し、実現に向かって進む』ことによって感じるもの。それは、『生きがい』と言い換えることが出来る。そして、明るさは人生のベースとなるものであり、『素晴らしい人生を送る前提条件』となる。そこから始まる(素直・謙虚・感謝・尊敬)《素直》になることにより、すべての人の声に耳を傾けることができる。素直になるとは『先人の智恵に学ぶ』ことなんだろう。《謙虚》を知ることにより、今の自分の姿と未来のあなたの姿が見えてくる。謙虚になるとは『正しくモノゴトを見ることが出来る』ということだろう。《感謝》に気づけば、出会いの機会が与えられ、アナタの周りに人が集まってくる。感謝はヒトとの『コミュニケーションの原点』といえるだろう。そんなアナタが、人を《尊敬》することが出来れば周りの人が活きてくる。尊敬できるということは、《相手の素晴らしさを認め学ぶ》ということだろう。そしてそれは人間本来の生き方、生活そのものだ。だからアナタが人間集団の中で人として活かされる。自然の中で生き物として生かされているアナタが、真にヒトとして活かされる人になる。いつも書いてることですが、今朝、車を運転しながら・・・フト考えました。
2004年10月14日
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《うまいもの》を提供することは、食堂業の最低条件ではあっても、食堂業としての十分な満足条件ではない。同じように、食堂業は《おもてなし》を提供するホスピタリティ産業だというコンサルタントがいるが、何も食堂業でなくてもできる。食堂業が食堂業であるためには、料理を『商品』として提供していること。商品であるということを抜きにしたら、食堂業以外の食事を提供する機関と全く違わない。フードサービス業の存在理由は、提供される料理が『商品』としてお値打ちがあること。フードサービス業の基本理念は、提供する料理が『商品』としてのお値打ちがあるかないかで決まる。それでは、商品としての料理と、家庭などの機関で提供する料理との本質的な違いは何か。《うまさ》とか《ホスピタリティ》ではない。商品としての料理が提供されるかどうかの違い。商品としての料理と、そうではない料理との本質的な違いは、《商品としての料理には価格がついている》ということ。すべてに当てはまる本質ですよね。
2004年10月13日
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人は、《共存共栄》《切磋琢磨》することが大切だということは頭ではわかっている。しかし、一方ではつぶし合いをしている。外食企業では、『従業員の幸せ』、『美味しいものをお客さまに』と言うことを錦の御旗に、行われているのは《つぶし合い》というのが、過去、現在における外食企業の姿。近くにお店が出来たら《安売り》をして対抗しょうとする。《切磋琢磨》して、お互いが成長できるようでなければ、いつまでたっても外食産業の未来はない。ともに発展繁栄するには、競い合って磨きあうことは○だが、つぶし合いをするような考えでは×。お客様に喜んでいただける店が生き残り、その店を参考にし、更なる店づくりを行うことによって、お客さまの絶対数が増えていくというのが本来の外食産業のあり方ではないかと思う。それでは、そのような状態から抜け出し、《切磋琢磨》する前提として、何が必要かというと、人間としての意識革命ではないかと思います。どれだけ大きな『利利関係』を構築できるかが重要なポイントとなるでしょう。どれだけ大きな夢を描くことが出来るかが問われている。真に『生活者のための外食産業の発展繁栄』というものをはっきり見極め、心からそれを切望するというような一人ひとりの意識革命が、外食企業の中で醸成されていくならば、求めずして繁栄はやってくると思うのだが・・・。今日、大分から名古屋に戻ってきました。
2004年10月11日
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人は《自分の能力以上の成果は出せない》と肝に銘じておく必要がある。何故ならば、人は自分の力を過大評価する傾向がある。知識でしか知らないのに、技術を習得したと錯覚してしまう。人にさせる術を知らないのに、出来ると錯覚してしまう。そうやって自分の力を能力以上に過大評価してしまう。そして人は、《自分は出来ると錯覚》していることに気付かず、出来ないことに苛立つ。或いは、使命感と責任感が強すぎて自己評価を誤ってしまう。それがストレスとなる。自分でストレスを作っている。そして落ち込んでいく。後ろ向きになる。暗くなる。dakara、人は《自分の能力以上の成果は出せない》と肝に銘じておく必要がある。社会に出て間もない自分の力なんて、たかが知れている。自然体になればいい。自然体になるには、自分の限界を知ること。自然体になれば、自分の力に気付くことが出来る。アナタの経験では出来るはずがないと気付くことが出来る。《素直に学び、明るく考え、コツコツ実践すれば》いい、力はついてくる。ただし時間が必要だ。慌ててもしょうがない。一生懸命にやりさえすれば力はついて来る。今出来ることを一生懸命やればいい。
2004年10月07日
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私は、前向きに行動する人が好きだ。たとえ今苦しんでいてもいい・・・、愚痴を言ってもいい・・・、でも何とか前向きに考えようとしてもがいている人が好きだ。もちろん、ただ考えているだけの人はノーサンキュウ。実践行動の繰り返しの中で、成果に結びつかないことはオーケーだ。そうやって人は成長するもの。諦めた時が、夢を捨てた時が、終わり。30才でもいい、40才でもいい、50才でもいい、60才でもいい・・・。生きてる限り、希望はある。顔晴れ!!!腹八分の一生懸命。
2004年10月06日
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肉体の衰えを感じながら年を重ねるか・・・いつも何かに向かって挑戦しているか・・・肉体的年齢と精神的年齢と差はそこから生まれる。溌剌とした意識が年を置いてきぼりにしてしまう。そう、思いませんか?書き込みして頂いているのに、なかなか返事を書来ませんが、きちんと読ませて頂いています。ありがとうございます。
2004年10月05日
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人間の心は自由奔放、自由自在なもの。《苦難・困難・試練》、どんな問題が起きようが、アナタの心はアナタの意識の指令によっていかようにでもなる。もう辛抱できない、あしたにでも自殺したいという場合でも、意識を入れ替えたら、一転して、あたかも広々とした大海を進んでいくクイーンエリザベス号に乗って旅をするような悠々とした心境にさえなれる。それが人間の意識というもの。我々は仕事を通して集団での行動・意識のあり方を学び、生産のための知識・技術を習得し経験を重ねる。だから我々は、仕事を通して心を磨き、自己を成長させる必要がある。そうすることによって、善い意識が育まれ《知識・技術・経験》を積み重ねることにより、必ず大きな成果を生み出すことが出来る。
2004年10月04日
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人は、ひとり一人の適性も才能も全部違う。しかし社会は、すべてを『一つの型』にはめよう、規制しよう、同じ道を歩ませようとする。そのようにしょうと思っているわけではない。個性を活かした教育を知識として知っている。だろうが、手法を知らない。ひとり一人に合った道を探し指導するには、『感性と技術と経験』が必要。幼児教育、小児教育が悪いのではない。指導する人を育てるシステムがない。教育の重要性に対する社会の認知度が低い。社会の尊敬と報酬が連動していない。間違っているのは先生ではなく国。先生のやっていることは正しい。言われたとおりにやっているのだろうから。。。採用基準が正しければ、間違いは採用担当者。現場を知らない、現場から遠ざかっている人が採用するからおかしくなる。
2004年10月03日
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人間的成長の過程では、やはり愚痴を言うことが多々ある。そんな時期、愚痴のはけ口があるといい。間違った方向に行ってしまう前に、修正する機能としてのはけ口はOKだ。そうするとリフレッシュして、前向きに考えたり、積極的に行動することができる。ただし、愚痴を言う相手は、配偶者の役割としたほうがいいだろう。会社の上下関係や同僚と言ったビジネスに関係のない異性の役割とするほうがいい。愚痴を適当に受けて、うまい具合に機嫌をとれる人がいい。同性の上司、同僚、部下でない方がいい。なぜなら後を引くから・・・。人間、気持の切り替えがスパッとできればいいが、やはりとらわれた心が人間関係の邪魔をする。人格の形成には時間がかかるが、年齢を重ねるのと同じように徳を重ね、愚痴を言わなくても意識の切り替えが出来るようにならなければならない。そして、聞き役に回る、・・・社会にお返しをしないとね。朝4:15に自宅を出発し、東名高速で東京に行って来ました。先ほど帰り着き、今は一人で缶ビールを飲んでいます。
2004年10月02日
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