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昨日のバス旅行で見かけた キャンピングカーもどき。軽四に 炊事道具とベッドを組み付けた 代物である。リタイア後の 気ままな一人旅として 分からぬではないがちょっと淋しい気がする。それでも 目減り 支給遅延 と先行きの暗い 年金生活という現実を前にした お父さんには これも わが城かもしれない。「極楽とんぼ」を自認する 住人も だんだん 自分が見えてくるようでつらい。
2006/10/29
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職場のバス旅行に参加。すしの食べ放題と秋の大井川鉄道の旅。浜松の航空自衛隊に寄って、航空機の見学もあったのだが、沿道のそこここに カメラを持った連中が陣取っていた。なにごとかと 思ったら 明日が航空祭だという。航空ショーのために 浜松に来る ブルーインパルスを写そうと言うことらしい。せっかくのチャンスなのに スケジュールを変更するわけにはいかない。団体ツアーだから 仕方がない。すしは 食べ放題とはいえ 4人に一桶が用意されているだけ。食べ終わったら 追加してくださいとのこと。1回の追加は20個以内、食べ残しは追加料金などと書いてある紙に 各種4個づつ計20個記入して注文。私以外は おばさんばかり、半分は一人で平らげた。腹いっぱいにはなったが なんだか さみしい食事風景であった。食後、1時間以上かけて 大井川鉄道の乗車駅までバスを走らせ、SLに乗車。なつかしい石炭のにおいに感激していたら トンネルで 煙が流れ込み 不便だった昔を思い出した。木の床、木製の網棚、かたい座席。なつかしいけど 決して快適とはいえないものではある。車両の入り口のガラスに三等車とある。二等車は覚えがあるのだが、三等車ね。当然 高嶺の花「一等車」もあった。普通車とグリーン車、差別語を使わないという 変な風潮は いつから始まったのだったか。
2006/10/28
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胃カメラを飲んで帰宅すると わが家には 昼前から「ムギ」の姿。すっかり腹回りが でかくなり 遠出の お供はムリと 次女が預けて行ったのだ。あと3週間ほどで 生まれるらしいのだが どこまで でかくなるのだろう。 ごらんの通り、おっぱいも ずいぶん大きくなった。おっぱいは 9個ついている 1個足りないのだそうだ。いったい 何匹生まれるのか。先日 病院に連れて行ったのだが エコー装置が 故障していて 調べてもらえなかったそうである。次女は もらい先を あれこれ 選んでいる。わが家にも 1匹 くれるそうだが子犬を 次女宅に置いて わが家には ムギを 返してくれると うれしい。
2006/10/27
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出歩く折々 風変わりな看板に出合ってカメラを向ける。家に帰って 改めて見ると 面白さは半減している。「やはり 野に置け れんげ草」とは 言い得て妙。でも せっかく撮ってきたのだから 世に出してやりたい親心。まず 先週19日 とある団体の旅行で行った知覧、武家屋敷での1枚。 心無い仁の多き世ではある。次に 21日岐阜城のトイレで見たもの 殿(方)用。ついで姫も撮ってきた。やはり接写は気が引ける。だれもいない時に さりげなく そっと 撮ったゾ~。
2006/10/23
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21日 9時過ぎJR大垣着。城までの ルート確認のため寄った 駅案内所で「奥の細道結びの地」までの水門川コースを勧められた。大垣城から墨俣城を経て岐阜城まで20数キロの道のりを考えると あまりゆっくりして居られないのだが せっかくだから途中まででもと回り道することにした。駅前を左に折れて向かった先には きれいとはいえない水の流れる小さな川があった。川には 風情ある橋がかかり傍に石のモニュメントがある。「二人でワハハ」しばらく歩くと句碑がある。観光マップによれば 結びの地までの2キロは「ミニ奥の細道」として句碑が建てられ 芭蕉の足跡をたどることが出来ると言う。あいにく、達筆の句碑は読めないのだが 案内板と見くらべれば なんとかわかる。 無風流な身には 句碑よりも 次々に行き会う橋のデザインが橋名にちなんだものになっていることに興味を引かれた。 橋の数々、句碑と案内板の写真を撮りながらぶらぶら歩いた上 記念館にまで立ち寄り ようやく上がりの「結びの地」にたどり着いた時には10時をとっくに過ぎていた。われに返って急ぎ足で大垣城をたずね場内を見物。外観はリッパな城だが内部は歴史博物館でしかないのは残念。(この日の 墨俣、岐阜も 同じだった。 姫路城を見たばかりだから よけい見劣りがする。)天守からの眺めは良い。先日言った関が原の南宮山、そして これから行く 岐阜金華山もはるかに見える。あわただしく天守を降り墨俣を目指して歩きはじめたら11時過ぎていた。ここから20数キロ、岐阜城に入れる時間までに着けるだろうか、足が速まってくる。揖斐川大橋を越え長良川に達すると墨俣の一夜城はすぐそこであった。まるで映画のセットみたいな城である。小さな城なのに5階まである。疲れた足で登って、ざっと見渡す。ここでも金華山を望み、今から行くぞと気合を入れる。ここからは長良川の土手を上流に向かって歩く、自動車道とは離れているので のんびりできる。やがて穂積大橋に近づくと、自動車道に合流する、歩道はない、大型車がびゅんびゅん走っている。行き交った拍子に風で帽子が飛ばされた、怖い。以後、大型が来ると立ち止まり帽子を手で押さえる。もうひとつ上流の橋で長良川を渡る予定だったが 穂積橋を渡ることにした。渡り切ると岐阜市。金華山上にお城が見えてきた。 しかし岐阜市は広い、それからも延々と歩く。3時過ぎには着けると読んでいたが、金華山のふもとに着いたときは もう4時少し前。岐阜城は4時半まで開いていると聞いて ロープウエイに乗り やっとたどり着いたのは4時20分であった。帰りのロープウエイは5時が最終というので あわただしく天守にのぼり四囲を眺める。絶景である。少しかすんではいるが、遠くの山並みと 目の下にみえる近くの山、夕日に輝く長良川。ここまでの 歩行距離26km。きつかった。この次は 岐阜城下だけにして 麓から歩いてあがろう。
2006/10/22
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朝、携帯にメール着信。3女からだ。 出張で丸亀に泊まることになった うどんを たっぷり食べてくるよ。近くに丸亀城がある。行ってみたいけど誰の城?先日購入した「城と城下町100選」で調べる。京極氏の城だと返信。ついでに 讃岐の特産 サヌカイトをお土産に頼む。サヌカイトとは たたくときれいな音の出る石との説明も入れる。折り返し どこで買うのと着信。お土産やで買うように言ってやる 高いから代金はお父さんが払うと 付け加えておいた。わが家では 携帯のメールは 家族のコミュニケーションの大事な道具。これがあるから 娘たちと 親父が 共通の話題を交わすことが出来る。嫁いだ次女からも 行かず後家見習いの長女も かみさんからもひんぱんに メールが入る。5年くらい前は 面と向かって しゃべることなどなかったのにいつもメールをしているせいか 娘とは たまに会っても話題に困らない。かみさんとも じかに話すより メールのほうが 親密になる。これは 少し 異常か。夕方 また着信。高松城は 誰の城?松平氏だと答えてやる。親父の趣味を 持ち出すのは 使いすぎて 小遣い不足の前触れか。そうと知りつつ うれしいのは いかに。親父は 明日 大垣城・墨俣城・岐阜城を巡るハードウオーキングを予定している。
2006/10/20
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愛犬ムギを わが家において 次女夫婦は おでかけ。このところ ウオーキングに力を入れすぎの感もあり 本日は完全休養日。喫茶店も車で行き 戻りがけに散髪もした。午後は 犬たちと 久しぶりに遊んだ。2週間ほど前から ムギが妊娠していると言っていたが それほど目立たなかった。今日は 明らかに おなかが大きくなっている。この写真では よくわからないが、こちらでは 明らか犬の妊娠期間は 短い 2ヶ月ほどだと言うから 来月の上旬には 生まれるかもしれない。生まれたら 子犬をくれるというが 子犬を娘たちのところに置いて 私はムギをもらいたい。ムギの子供もいいのだが 初孫の兆候が一向に見えないのは どうしたことか。
2006/10/15
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週末ウオーキングも このところ頑張りすぎたので 今日はJRさわやかウオーキングで お茶をにごすことにした。車で行った方が早いくらい近場の 東海道三ケ根駅から蒲郡駅まで14.4kmのコース。このごろ さわやかウオーキングの人気が上がっているという。今日も 快速電車が臨時停車すると大勢の人がホームに降り立った。駅員が感嘆のまなざしで客を迎えている。大半の参加者が 私と同じくらいの年恰好。リタイヤした団塊の世代が ライフワークさがしに とりあえず参加したという図。 早朝の雨があがって雲の多い空模様の下、案内どおりに歩きはじめる。車で何度か通った道も 二本の足で歩くと 新たな発見の連続。温泉街、古いお寺、由緒ある神社、そして海岸通り。自分の住んでいる町の すぐ近くにこんな風景が画あったことを 今まで気づかなかった。でも 14.4kmの距離の割りに 見所が少なかったので ちょっと長く感じた。来週は また 自分で組んだコースを歩こう。
2006/10/14
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9日姫路城下ウオーキングの時 千姫八幡宮におまいりした。境内の横手に なにやら由緒ありそうな 赤レンガの塀がある。近所で そうじをしていた おばさんに尋ねたのだがだれかの別荘跡らしいとしか分からなかった。気になる。
2006/10/11
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姫路ご城下ウオーキングで立ち寄った「お菊神社」の看板。播州皿屋敷とある。「番町皿屋敷」ではなかったの?お菊神社由緒書きには祭神 三菊大明神菊姫命「播州皿屋敷『お菊物語』の菊女は、姫路2代目城主(当時姫路城は2層)小寺則職(のりもと)の奥女中として仕え、主君則職若くして病床に伏し、菊女病気平癒祈願のため、当十二所神社に参篭し、心願叶い則職全快す。病気全快に事よせて、悪家老青山鉄山は町ノ坪弾四郎等一味と語り、天正二年(1505年)増井山に観桜の宴を催し、則職に鳩毒を盛った酒を勧め、主家を横領せんとしたが菊女の内通により衣笠靭負介等忠臣の知るところとなり、危うく難をのがれ則職は家島により再起を計る。主家を横領した鉄山は、小寺家の家宝「赤絵の皿」十枚に珍味を盛り祝杯を上げた。皿の管理を命ぜられた菊女は、弾四郎の奸計により皿一枚をかくされ、皿改めの場に引き出され、日夜はげしい折檻を受け古井戸に吊るされ、二十一才の妙令を一期に無惨な最后を遂げました。菊女の霊は、主君則職を家島より導き、青山鉄山、町ノ坪弾四郎等悪の一味を滅亡し本懐を遂げました。小寺加賀守則職は菊女の忠節に感じ、神徳あつき十二所神社の境内に祠を建て、霊をまつりて、ねんごろに慰めたと云う。」番町の旗本 青山某の話と ずいぶん違っている。
2006/10/10
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今度の3連休は中身が濃かった。土曜日は足助城と祭り。日曜日は 朝早くの「のぞみ」でふるさとへ。小学校・中学校の同窓会。60歳の定年を迎えた面々が 今回は30数名集まった。楽しい半日を過ごして1泊。帰りの新幹線を姫路で途中下車。遠くからお城を眺めながら ぐるりと1周。さすが国宝姫路城、どこから見てもすばらしい。天守の中も広くて立派。ただ実物を目の前にした感動はあるのだがどこから見ても いつかどこかの写真で見た光景。有名すぎる代償か。そこで あまり観光客が訪れない場所に行ってみた。男山八幡からのワン・ショットそして おまけがこれ
2006/10/09
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週末ウオーキング、本日は3女と 地元 参州足助城と足助祭り。昼過ぎ 3女の車で足助へ。昨年は 万博で見た山車の勇壮さにひかれて かみさんを伴って訪れた。前回は本楽(本祭り)だったが 今回は試楽(宵祭り)。2時過ぎに到着、まずは 足助城にむけてウオーキング。途中、山車に祝詞をあげる神事に出会い 火縄銃奉納の予行演習にでかける一隊とすれちがい 山の頂の城をめざして息を切らす。ようやく たどり着いた山頂は少々風が強く肌寒い。足助城は これまで見た城とはちがい山砦の趣が濃い。なんだか「7人の侍」の舞台みたいだ。本丸の屋根は瓦でなく 柿葺き(コケラぶき)といって 木の板を重ね合わせたものだ。秋の日差しの中 高級カメラをもった熟年の男女が さかんにシャッターを切っている。これもまたよし。 頃合いを見計らって 山を下り足助の街へ帰ると 各町内で山車の引き回しが始まっている。 足助の家並みを通り抜けながら4つの山車を見ることが出来た。夕方6時から山車に提灯が灯されるはずと 待っていたが、日が落ちるにつれ肌寒くなってくる 腹はへる。家に電話し 晩飯は回転寿司屋で落ち合うことにして 帰路に着いた。すし屋には嫁いだ次女も来ていて 久しぶりに かみさん、3人娘そろっての食事となった。
2006/10/07
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夕方から雨も上がり青空がみえていた。今週2回目のスポーツジムの窓から月が見えていた。家に帰って 写真を撮ろうと思っていたら 月にむら雲。今日は旧暦8月15日。韓国では秋夕(チュソッ)、天安のNさんは 釜山へ帰るといっていた。朝方、中国娘が きれいな包みを持ってきた。「今日は 仲秋節です。これ プレゼント」中には 天然石の腕輪(ブレスレッド)。ありがとう。月餅でも 買っておいてやればよかったな。家に帰ると 月見だんごが1個。今日は 禁酒。日記を書いているうちに 空が晴れてきたようだ。今度は 本当の「仲秋の名月」 でも 満月は明日だと 長女が言っていた。ん?
2006/10/06
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8月末に 中国人研修生3名を工場に受け入れた。折から 工場監督が突然退職した。 その代わりを務めながら 研修生の教育もやることになった。最初の1週間は てんてこ舞いだった。工場の片隅で 現場を見渡しながら 娘達に作業の「いろは」を教えた。口でいってもわからない。「やってみせ、やらせてみて、また やってみせ、やらせてみては やってみせ」1日8時間 つきっきり。3日目には 現場のラインの一つに入れて やらせながら教えることにした。日本語の多少できる子が まず覚えた。この子を通じて 他の子の間違いを指摘、やり方を教える。作業は出来ても チェックができない。何度も中断して ホワイトボードに確認と書き 中文でも書き 「カクニン!」以後 間違えるたびに「カクニン!」パートの おばさんたちも 横目で見ている。飛んでくる。出来映えが よくないという。これくらい とは思うが彼女達のプライドが許さないらしい。何度も やり直す。2週目、なんとか 様になってきた。「OK、いいよ その調子、ハオ」娘達に 笑顔がうかぶ。おばさんたちの目も やさしくなる。休憩時間には 中国土産にもらったという 菓子をくれる。教えることの楽しさに目覚めた。3週間目、3人すべて 「一人で やれる」レベルに達した。半日は 現場に任せることが出来るようになった。4週目、別の工場で まるで違う仕事の教育に入る。仕事に必要な日本語が ある程度理解できているせいか今度は 覚えが早い。過ぎてみれば 1ヶ月は あっという間。彼女達は 私の手をはなれて 現場の作業者から手ほどきされている。まだ会話に不自由を感じている。「アー」「オー」の連発。日本語教師をやってみたいと思っている結婚失業中の次女がボランテイアで週1回 教えてくれることになった。昨日 2回目の学習だった。教科書を使っての 初歩会話は出来ているのだが日常的な会話は まだまだではある。でもこれは時間が解決してくれるだろう。この日曜日、3人娘に昼飯をおごった。餃子、ラーメン、マーボ豆腐、酢豚、エビチリ。日本味の中華料理は 甘すぎて口に合わないみたいだった。帰り際 3人の会話の中で 私のことを「パーパ」といっていた。ホロリときた。わが家の3人と合わせて6人の娘ができた。
2006/10/04
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犬山城ウオーキングの途中、犬山遊園駅前で見つけた看板。専門家に発注したのだろうか ずいぶん立派な出来だ。よほど 腹に据えかねたのだろうね。
2006/10/01
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