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本日は母と待ち合わせ。昨日から薬は飲んでいないけれど、やっぱり眠気は猛烈。枕に糸引くような引力の眠気。そしてカビキラーを吹いた浴室にいるような頭痛。硬めの白米(久しぶり)を炊いて、納豆と目玉焼きと、しじみの味噌汁の朝ごはん。でも食が進まない。大宮で母と待ち合わせ。本日は着物を選ぶのだ。母は落ち合うとさっそくランチに連れて行ってくれる。母のステイタス、いつもの和牛ステーキのお店である。普段なら嬉しいけれど、服用を止めて一日たってもまだ全く食欲というものがない。だけれどそのことを母に言うことはできない。そして何よりもわたしがガツンと食うことを一番知っているのが母親なのだ。一番肉の小さいステーキランチにしてもらう。食べることがこんなに苦痛に感じるのなら、もう本当に飲みたくない。食後、母と広告にあった着物屋へ。着物屋独特のねっちょりした(失礼!)を、切り捨てながら、お目当ての附け下げのコーナーに突き進む母。「こちら作家もので、○○先生の・・」「いらないわよ作家なんか!」「こちら当社上場10周年を記念いたしまして、通常の販売店より格段の・・」「だからって高い買い物には変わりないでしょうよ!」「こちら辻が花の・・」「いいから値段から見せて頂戴!」「ほら、驚きのお値段でしょう」「なんのかんの言って結局40万にはなるんじゃないの!」と飛ばすこと、飛ばすこと。斬り過ぎですって。しかし、このくらいしなければ京都が本社の着物屋には勝てないのか。妹の結婚式に着て行く着物を買いにきた。イギリス人のあちらの家族が皆着物で式にもパーティーにも出席というので、こちらも気合いを入れなければいけない。そして普段ちょこちょこ着物を着て、日本舞踊を習い、着付モデルもしているわたしが着物で出ないと、やっぱり御期待に添えないらしく、母は着物資金を結婚式費用とは別に用意していたのだった。妹は直前までイギリス、わたしは夫と芝居のことでバタバタ、そして一人で仕事と家事と祖母の介護をしながら、結婚式のための雑事に追われる母の心配事を一つでも片付けるべく今日のお買い物ツアーが組まれたのだった。着せかえ人形になることは(いろいろな人の面子を立てるために、だって長女だもん)成人式で終わりかと思っていたけれど。でもこれは妹のためでもあるし、母なりの国際交流でもあるのだ。どっちにしろこういうことには慣れている方だと思う。そんなところに使ってくれるお金があるなら、芝居に注ぎ込ませてくれ!とは思っていても言わない(言えない)。もちろん「振り袖買うなら車を買って」とも言える二十歳でもなかったけれど。だから着物選びの主導権は母にある。とは思っていても、選びかねて疲れも出てくると、「結局着る人の好み」という委ねられ方になる。うーん訪問着。本当はわたしは今年すごく着物が欲しかったし、今も欲しい。でもそれは普段に着れる麻や綿のざっくりとした着物なのだ。自分の収入と余裕と、趣味の深まり次第で、まあおいおい手に入れる楽しみを味わえればいいかと構えていたところなのである。絞りや附け下げ、銀糸(ラメ)の織り込まれたもの。落款の押された作家もの。国際的メンツと言われればついつい派手になるし、高い買い物で長く着ようと思うとついつい地味を選ぶ。基本的には青系の色味が似合わないので、ピンク・紫・イエロー系から探す。あんまり迷うと、普段は敬遠しているのに、ついつい年輩の着物着用の販売員さんの意見を求めてしまうマジック。ふらっときそうになると母の厳しい突っ込み。このくり返し。でも、久々に着物を体に合わせ続けると、自分の中から克己心というか、凛としようとする自覚というか、華やかさが引っ張りだされて来る気がする。だからなんとなく後の方に合わせた着物に、よい印象がある。そして薄紫の刺繍入り・虹のような光沢のある織り模様あり、紫の華やかな絞りの附け下げ(片身ずつ柄が違う)、などで迷ったものの、着物通には怒られそうな黒地に大正ロマン風の柄の入った着物が気に入ってしまう。なぜかわたしは黒地の着物にとても惹かれる。憧れてしまう。あまり成人式で着られる色ではないし、着物屋に行くと「若いうちはもっと華やかな色を」とピンク系などを勧められてしまう。でも、着てみたい、着てみたかった。黒地の着物は、冠婚葬祭以外だったら、玄人さんの着る色だという。また歌舞伎などでは、花魁以外だったら、「常軌を逸した状態」を表す狂乱ものの女性の衣装である。藤娘だったり、隅田川であったり、玄人さんともども「情念」を表す、決して日常生活には纏わない色という意味合いがあるのだそうだ。一度、学校の授業の中で藤娘の衣装を実際に使った。(わたしは浴衣でしか踊ったことがない)誰か着てみるかと問われて、ちょっと個性的なドレッドヘアの大柄な女の子が、その黒地に藤の花をあしらった、赤い裏の衣装を羽織った。なかなか素敵だった。それをみたら吹けば飛ぶようなわたしだったら、絶対に似合わないだろうと思った。でも年月が過ぎて、ふっと古着屋で、黒の小紋を手にとって合わせてみた時、自分にも着られるような気がしてきた。自分がどうのというよりも、黒い着物が自分をしゃっきりさせてくれる、着物が引き立ててくれる、そう思った。黒い服を着過ぎないようにしている。くすんだり、地味に見えたくないから。うっかり気を抜くと北関東のバンド大好き少女のどこか貧乏くさい、鬱屈した黒になりそうだから。でも着物として仕立てられ、帯を締め、姿勢を正すと、不思議と華のある黒が、なんとかわたしでも息づいてくるかもしれない。大正ロマン風の柄というのは、甘さがある。甘さには、長いことは着れないというリスクがある。これでもミセスだし、あっと言う間に40は来そうだし、黒はある意味大袈裟であって、地味な藤色の方がつぶしがききそうではある。でも捨てがたかった。襟に赤や、オレンジを合わせてみる。赤みの入った帯もいいかもしれない。唐織の黄みがかった帯に、赤い帯締め。とすれば帯揚げはシンプルに行こうか・・・と着物が決まると、あとの小物選びは楽しい。ああだ、こうだしてお買い物は終了。「これだけ買ったんだから、どれくらい引いてくれるの?」と母。「特典として○○のお皿をプレゼントしてます」「皿なんかいらないから、安くして、それかサービス券」と母。もっともだ、もっともだ!わたしも何かのきっかけでこの母のように、強くなれるんだろうか?仕立て代、加工代、長襦袢、小物、そして消費税。貧乏暮らしのわたしには、ちょっと複雑な買い物である。でも経済というのは、結構こういう風にまわっていくような気もしている。一月後にはあの着物はわたしのものだ!ということに実感が持てない。だけれど、久々に着物に、着物を纏うことに元気をもらいました。
2004.09.09
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一昨日の夜から処方された薬を飲み始めた。朝と夜。穏やかな効きめと聞いていたし、効果が現れ始めるのは、一週間から10日とも言われたし、あまり眠気が強かったら半分に割って飲んで下さいと言われたくらいで、何の気なしに飲み始めた。本当に小さい錠剤を一粒ずつ。昨日はバイトに遅刻をした。起きられなかったのは、実家で携帯の電池が切れてアラームをかけるものがなかったから。それに母は成人してから、わたしを起こさない。前の日、家を出る時間を聞いておきながら「あれ、もう出る時間じゃなかったの」というタイミングで声をかけにきて、朝食を食べて出ないと許さない人である。少し違和感を感じ始めたのは、接客中だった。ろれつが少し怪しい。そして声が低くなっている(わたしは生理前に声が低くなるが今はその時期ではない)。なんというか微妙に声をまわしている場所が違うのだ。言葉がいつもいったん通っているどこかを経由していない感じ。本当に息の通り道だけ使って、喋っている感覚なのだ。そして人との距離感。妙に近い。平気で人に近付いていけるし、おざなりに言葉を吐くことができている。なんて言ったらいいのだろう。改めて気づいたのだ。今までのわたしは、人と向かい合うと、距離というか抵抗を感じていたのだ。ちょうど相手の前にも、自分の前にも見えない風船がある感じ。風船が小さい人も大きい人もいるし、張り詰めている人もいれば、空気が緩くしか入っていない人もいるというような。わたしは人と接する時、まずその風船の感触を確かめる。そしてその圧に合わせて、自分の出方を決めていたのだ。でも今は近付こうとすれば押し返す、お互いの持つ風船の存在を感じられない。うかつに相手の中に土足で踏み込んで行けそうな気もするし、目の前にいても、いっさいを遮断してしまえそうな感じもある。楽といえば、楽なのかもしれない。でも多分、その風船を押し合うこと、波の上でバランスをとるような緊張感こそが、わたしの人間関係のファーストコンタクトであり、そこにわたしが接客業を選び続ける理由もあったのではないかとふいに考えてしまった。何度か人から指摘されたことがある。「あなた部屋に入ってくるとまず空気をみるでしょ」と。今ここにいてもいいのか、ここにどんな空気があるのか、まず「見てる」という。だからといってわたしが社交的なわけでも、気がきくわけでもないので、決して長所とはなりえないただの傾向の一つなのだけれど、そうやって世の中や、人の中にいたのかもしれなかったのだ。そして無意識のうちに、風船を確かめる、人との距離を推し量ろうとする傾向が、わたしが役者として他がどんなにダメでも、利点として働いてきたのかもしれない。3時頃寝たせいか、薬の効き目か、今朝も起きられなかった。夫に寝床から引きずられるようにして起こされる。危ないとはわかっていたから目覚ましもかけたはずなのに。そういえば昨日も実家で、隣の部屋の目覚まし時計をセットして眠ったのではなかったか?そして地下鉄の中で爆睡。そういえば昨日もひどく長く深く電車の中で眠っていたような気がする。いつも定刻より数分遅刻することが多いのだけれど、本日も3分ほど遅れる感じで、ロッカールームに入る。鏡にひどい顔をした自分が映っている。爆睡あけ、二日酔いの次の日か徹夜で試験勉強をした中学生の時のような眠り方をさっきまでしていたせいだ。昨日から薬を飲んでいるという負い目がふと顔を出す。そして自分の風船がないことを感じる。「遅れても、元気よく出勤しなくては」という気持ちにどうしてもなれない。緊張もしないし、焦らない。心がどうにも動き出さない。ぽきんと折れたように、出勤する勇気をなくした。もちろん薬のせいじゃない。昔、ホテルで早朝から昼過ぎまで、ピリピリしながら働いていたころ。手術の直後だったけれども、雪でも、風邪でも、卒業式の日さえも休まず働き続けた。でもある日、うっかりロッカーの鍵を忘れてしまった。ロッカーには制服と靴が入っている。早朝なので1時間に数本しか電車がない。「ロッカーの鍵忘れちゃいました」と恐くて言い出すことができず、その朝から二度とその職場に行けなくなってしまった。そんなふうな人間関係しか、作れなかったのだ。働く気持ちがあって、ここまで来たのに店の人に会うのが恐い。ここまで来ていて、働きたいという気持ちがあることを、誰にも伝えることができないという絶望感に苛まれる。どうしていいのかわからず職場の近くのコーヒーショップに入る。一昨日から全く食欲がなくなっている。コーヒーの香りすら好ましいと感じられない。それよりなにより身体の中から重たくだるく、気がつくとまた深い眠りに落ちていた。2時間程眠っていたらしい。その店でバイトをしている友だちが声をかけてくれた。こんな状態で久しぶりの挨拶をする。わたしは人目がとても気になる。買い物が嫌いなのは、特に化粧品や洋服や靴を買うのが嫌いなのは、店員に声をかけられるからだし、他のものでも何を買ったのか人から見られているような気がするからだ。店内放送がうるさいツタヤで、会員カードは持っているが、実際に選んで借りるというところまでいくことはめったにない。でも今は全く気にならない。しかしそれは何かを克服したというプラスの成果ではなく、鈍くなることで無理矢理遮断したというものでしかない。もちろん恐さがないということは、ある部分自由な感じもしなくはない。丸善で幾分ずうずうしく振る舞う自分(いつもの被害者意識の裏返しの抵抗ではなく)を感じたりもする。でもこうして人目を気にせず、丸善のベンチで弛緩している自分が、本当はどこにいるのかわからなくなってくる。自分の中のだるさだけが、自分の中心にあり、感じるもので、まわりのことが気にならないというのは、なんという寂しいことだろう。自分の中だけで世界が終わってしまっているようだ。そんな状態で薬の本を調べる。詳しいことはわからないけれど、穏やかで、中程度と示されている薬の持続時間は10時間~12時間だった。効果が強くて、服用に気をつけなければいけない薬を飲んだ経験なんて、ワーファリン(血栓をできにくくする作用のある薬、心臓や血管の手術の後や治療に飲む)くらいしか飲んだことがない。そのワーファリンと同じくらいの持続作用がある。病気でないと言いながら、なぜそんな薬を飲まなければいけないのだろう。焦りや不安やそわそわ感とその悪寒はなくなった。けれどあまりにも強い眠気や、だるさや、感覚の鈍さは日常生活の足をこんなにも引っ張る。もう充分に支障をきたしているといっていい。それでも今日やらなければならない用事がある。食事をとって身体だけでもしっかりさせていなければと、移動中にある一人でも入れるレストランに入る。こんなときにお気に入りの店に入るんじゃなかったとすぐに後悔した。食べるということに関しては、本当に無邪気で、執念深いわたしが、食べられないのだ。そして一人で、皇帝の御馳走を大広間で食べているような、ものすごく何かを無駄にしているような、空しく、寂しく、悲しい気持ちになってしまう。泣きながら飯を食う。恋愛のもつれの話し合いの食事でもないのに。用事の一つを済ませにセルフコピーの店に入る。機種が古くて、系列の他の店に比べて、やたらに落丁が多い。効率の悪さと、余計な手間に店員の前で、平気で悪態をついてしまう。普段は悪態をついたことに、自分が後で恐くなってしまうのだが、言いっぱなしである。そして帰りの電車の中でもまた深く眠る。あまりに眠ったような気がして、途中の駅で乗り過ごしたような気がして慌てておりてしまったり。もちろん何もかもが薬のせいじゃない。悪い時期が重なったのだと思う。そして多分破たんではなく、何かを壊す時期が近付いているようにも思う。そうでなければ、成人して10年かそこらで積み上げてきたものが、これからずっとこのまま続いて行くなんてことになってしまう。確かにわたしには無理があった。それは近い内に多分壊れる。壊さなければならないと思う。勇気を持って、壊れることを受け入れたい、ただただ今はそう思う。
2004.09.08
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昨晩悲しいお知らせがあった。今日から稽古の始まる『みずうみ』の、もっともセリフと登場場面とインパクトとおいしいところの多い役、「岡野」という役を、無理を押してお願いしていた役者さんが、某イベント(お化け屋敷のような)に出演したところ、子供に股間を蹴りあげられ、かなりの重症に。入院・手術・安静を医者に宣告され、やむなく降板とのこと。今度ばかりは、事故である。役者さんにも、わたしたちにも落ち度はない。悪いのはガキ。ここにきて、物語りを引っ張る重要な役を、また一から(つまりもう直接面識のない人から)探さなければならない。『みずうみ』全く受難続き。どうしたらいいんだ!ともあれ稽古は始まった。気づいたら、決まっていない役がまだ4つあるではないか。一応配役は決まっているものの、登場回数の少なく、まあ身内ということで、読み合わせではほとんどが代読。気分は代役、気楽だけれどいつエンジンがかかるのやら。初日の飲みもする余裕はなく、入稿の諸作業と、あちこちへの連絡のため夫婦ともども徹夜の作業。ここへきてチラシのイメージの食い違いが大きくなったり。それでも舞台の幕はあくのか、多分あく、でもまだそれが到底信じられない稽古初日である。
2004.09.07
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バイトに行ってそわそわと落ち着かなかった。時間まで、上島珈琲に行くも、何も手に着かず、隣の女性二人がものすごく喋るので何も考えられない。ここ最近甘いモノへの欲求がすごくて、結局一日一回は食べてしまう。気がつくとお菓子売場にいる。買い物は苦手なので買いははしないけれど。どよーんと何かが沈み込み、時間の感覚もなくなっている。ケーキを食べてしまってからどれくらいこの店にいたんだろうか?携帯の電池が切れ、オシャレな商業施設には時計がない。公衆電話の時報で時間を確かめ、築地まで歩き出す。怖いし、とにかくそわそわする。場所をわかっていたつもりが、思ったところに見あたらず、交番でお巡りさんに道を聞いてしまう。病院リストをめくりながら、「何科の病院だかわかる?」と聞かれて、ちょっと迷ったけれど「精神科です」と答える。やはり何度も通ったことのあるところにあった。ドキドキしながら入ってみると、待合室は狭くて、混み合っていて、場所柄サラリーマンとOLさんがほとんど。歯医者の待合室となんら変わらぬ雰囲気。初診なので問診票を書かされる。「何が気になるか」「どんな症状があるか」「いつから発症したのか」「それは何がきっかけだと思うか」そして出身地と最終学歴、そして親の職業、既往症。あなたの本来もっていると思われる気質。いろいろな言葉に誘われて自分が大げさにならないようにと思ってしまう。そわそわして、考えも行動もまとまらない。落ち着かなくて、何も手に着かず、時折感情的になってしまうことがある。それが気になること、具体的な体の症状はない、落ち着かなさで悪寒がくることはしょっちゅうだけれど。とにかくそういう話をした。現状を中心に。子供の頃から、気がつくと周りとまったく違う行動をとっていたことなんかまで話はいかなかった。ずっとそうだったけれど、もう限界で破綻することが目に見えていること。舞台と家の引越が重なったこともあるし、自分が出演して、制作していっぱいいっぱいの演出家状態の夫と暮らすことも経験した。なんとかなったと言えば公演自体はやりおおせたかもしれない。でも、至らないところが多いから、人が思うように集まらないし、興行を重ねても何かが底上げされていくという蓄積がない。今回ばかりは夫も、そのことに本当にまいってしまった。やり続けても、わたしという穴が空いている限り、認められ支えられる日は来ないんじゃないかと思える。10年やれば・・というし、続ける大事さも分かっているけれど、今は10年先にも夫やわたしが生きていられるのかも信じられない。ここ最近の公演中、わたしは無職だった。つまり仕事の心配はせず、芝居のことだけやっていればいい状態でもあった。そんな状態ですらいたらないのに、今回は仕事もあり、おまけに公演中に妹の結婚式に出席するという離れ業までこなさなければならないのだ。他人の結婚式だったら出席するだけで終わる。けれどイギリスからやってきて全員着物で出席したいというむこうの親族の着物の手配や気付けや滞在中のケアや、一人そのことで忙殺されている母の金切り声や、自分の結婚式に冗談でも欠席をほのめかされたりしたときの嫌な感じを思えば、結局何もできないけれど、心配だけはてんこ盛り状態はさらに悪化するのだ。馬鹿みたいだけれど、わたしにはそこを頑張りきる体力がない。頑張って乗り切ってしまえば、ストレスは一つずつなくなる。できないからできなかったこと、手に着かなかったことの残骸に埋もれてしまう。虚弱な体を呪いながら、できないことが気持ちの問題でもあり、体の問題にもなってしまう。どちらにしろダメ女だ。お医者さんはわたしの話を聞くと、「自分で決められないことに振り回されるのはストレスです」「でもその外からのストレスの要素を排除することが現状でできないのなら、お薬でストレスは軽減できます」と説明を始めた。なんていきなりなアプローチだろう。「あなたは病気ではありません(病気の範疇ではありません)」と「だから薬を飲みましょう」というのは。そりゃ生きていればストレスはあるさ。雨が降れば、雨に当たる。雨の中、バイクで走れば雨粒は体に痛いほどぶつかってくる。雨が体を通り抜ける日は来ないわけで。抵抗といってもいいのか、反発といっていいのか、耐久といっていいのか、軋轢というのか。そういうことが美しさを作っていたり、成長だったり、機微であったりもするだろうに、ストレスと名前をつけられてしまう味気なさよ。因数分解という言葉を思い出した。宗教にしつこく誘われた時に、神や仏で人生を割り切ったり、構築したい人はいるのだということに気づいたこと。その時わたしは若気の至りにみちみちていたので、その切り口はアートだった。経済が全てのキーワードでこれを持って分解していけば、世界平和もそこに行き着くという人もいた。一つのタームで何もかもを紐解き始めると、たちまちその世界の住人になれる。言葉にはだから整合性がありすぎるのだ。そうして、わたしはストレスこそ諸悪の根源と考えるワールドに本日踏み込んだのであった。わたしは自分の身のまわりのことを、ストレスと感じたことはない。ストレスを和らげたいというようりも、自分のことが知りたいという欲求の方が強かったのかもしれない。母は小さい頃からわたしを「自閉症の子」と呼んでいた。わたしにとっては叱られるときの常套句で、「アホの子」とか「ヨソの子」くらいの意味にしかとっていなかった。もしもともと自分に何かが激しく欠けているのなら、いまこそその正体を知りたかったのかも。診察は、演劇教育・演劇療法などを勉強し、俳優修行もそれなりに積んだ身から言わせて貰えば、「あーそんな感じですか」という感想。そして薬だ。わたしはとにかく自分の病気なり、気質なりを知りたかった。そして目に見えている危機に備えて、有効な行動や考え方、生活改善などのアドバイスや指針が欲しかった。もちろん薬も選択肢には入れていた。副作用の話になり、思わず聞いてしまう。友達のことを。抗鬱剤やらいろいろと処方された薬の副作用で、彼女には起きているのに眠っていうるような鈍さがあった。目つきはとろんとしてしまい、芝居をするような体ではとてもなくなってしまった。怠さと眠気と、吐き気などの症状で劇場に来ることさえままならない時もあった。医者はいとも簡単に「ああ、でますね。そういう症状」とまるで共通の出身地であるのがわかった時のような嬉しそうな顔で何度も頷く。「個人差はあります」という。そんな状態になってしまうのなら、なおさら迷惑をかけてしまう。「でもこのままストレスとなるものを除くことは不可能な状態ですよね」と医者。「でもそんな状態はもう役者ではありません」とわたし。「それもそうですね」と医者。折衷案として、感情が高ぶったり、ものすごく波があるなあと感じたり、爆発してそのあと自己嫌悪に陥ったりしたときに頓服的に軽い薬を処方するということになりそうになる。でも、わたしは常にそわそわと、落ち着かず、緊張したような状態で、人も怖いし、何もできないということが辛いことなのだ。波があることを問題にはしていない。そういうとその薬を朝晩飲み続けるように言われる。薬の効果はだいたい2週間くらいから現れるという。診察を終え、会計を済まし、薬局へ処方された薬を取りにいく。病院には薬だけを処方して貰いにいく人も多くて、さっき見かけたサラリーマンが「ハルシオン40錠です」なんて処方されている横で、ワイパックスという薬を出された。ハルシオンなんて路上で売り買いする麻薬というイメージしかないわたしは、普通の(特に神経質そうでもなく、ちゃんとした服のセンスもある)サラリーマンが、鞄の中そんな薬を忍ばせて世の中に出ていくのかと思ったら、すごくすごく悲しくなった。普通の人がそこまで無理をして、普通に働いているなんて。知らなかった、本当にごめんなさい(何に?)という気になってしまった。出された薬を飲むか飲まないかは、少し考えてみる。そしてあの因数分解の世界の違和感と、自分は何をもって世界や人生を解いていくのが自分らしいのだろうと考えながら、実家への電車に揺られた。
2004.09.06
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本当に何をしていても、ひどく落ち着かなくなってきてしまった。寒さではなく、気持ちの方が主体になって体が時折ぶるぶるっと震える。曇り空の下、秋祭りで賑わう中野の町を散歩しながら、オムライスの昼食。カーシェアリングのチラシ。昼寝を起こす、祭りの山車。午後も落ち着かない。自分の部屋に籠もるも、ビワ子が激しくじゃれる。噛まれないために右手を握るけど、握った手を噛まれる。生傷だらけの右手。本も読めない、おちおちじっとしてもいられない。ビワ子が眠った隙に、黒ガムテープを切って山型の眉毛を作って貼り付ける。そうして気づいた。ビワ子は由利徹に似ている。おしゃまんべ。夕方、落ち着きのなさはいっそうひどくなる。しばらくパソコンの前に座っていない。部屋の片づけをするけれど、余計にちらかったまま。出演者はまだまだ決まらない。稽古場の未定もある。チラシの入稿もまだ。パソコンの前に座る時間がなくて、あらすじをまだデザイナーに送っていない。そのことを夫はまだ知らない。母に妹の結婚式には着物で出席できないかも、舞台にはでることになったとまだ報告していない。夫はそのことを一秒も早く直接母に会って、話して欲しいという。今日の夜になって「今日実家に行ってくれるんじゃないの」なんて言う。母にも都合があろう、電話したら母は旅行中だった。家にいて、夫といると本当に落ち着かない。朝食、昼飯、夕御飯。3度も自らのことを中断して、お伺いをたてて、決めなければならない。洗濯、片づけ、掃除。それらが決して嫌なのではない。面倒なのではない。むしろ徹底的にやれた方が気持ちいいだろう。でもそれにも遠慮がある。自分のことに没頭できない。没頭ということもよくわからない。ただただ落ち着かなさに追われる。ご飯を食べてしまって、ぼうっとテレビをみていると落ち着かない。じっとしていると落ち着かない。でも何かしてもいけないような責められるような気がして、気持ちだけ、カタチだけなにかに手を出したふりをする。それは結局のところ何もしていないということで、その無駄な「ない」という蓄積に押しつぶされそうだ。休みの日には家から一歩も外へ出ない。夫に連れ出される以外は。だから先週の連休も、レッスンとお葬式以外は外出しなかった。昔から休みは平気で3日も1週間も一歩も外へ出なかった。休みに家から出るのは非常にたいへんなことだと思う。家族と住んでいた頃と、夫と住む今でもその労苦はかわらない。自分から外へ出ては行けないような気がするのだ。大きな罪悪感と、自分なんかがという劣等感と、じわじわと自分に染みてくる恐怖。連休は通販のカタログを眺めて過ごした。夫はその真剣さに驚いていた。新しい下着を何十着買ったところで、わたしに何があるのだろうか?
2004.09.04
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久々の仕事。久々なりにやっぱり上手く行かないことも多い。そして本日は水着持参。帰りに泳ぎに行くのだ!日本橋から月島のプールへ。中央区のスポーツ施設の回数券がまだだいぶ残っているから。サイズと運動不足が気になるので、緩めの水着を選ぶ。オリンピックのせいか、新学期が始まってもまだ夏休みのテンションを持て余しているのか、小学生たちが激しく泳いでいる。ビワ子が来てからは、温浴施設ばかりだったので、まずは水中歩行から。しつこく、しつこく水の中を歩く。小学生の団体が一コースをまるまる借りているらしいので、他のコースがやや混み合う。25メートルを往復する完泳コースで、泳いでみる。久しぶりなので、15メートルも泳がないうちにもう怖くなってくる。何が怖いのかということを、うまく説明できないのだけれど、とにかく息が苦しくなるということが怖い。水が怖いと言ってもいい。わたしはジョギングやマラソンは疲れると分かっていても大好きだから、水はやっぱり怖いんだと思う。溺れることも怖いし、音や水の様々な不快感(耳や口に水が入る)も怖い。だいたい公共プールの水温は快適だし、大人になって足もちゃんとつくし、スイミングスクールのように男の子たちに隙を狙っていじめられることもない。わたしはフォームもしっかりしているし、虚弱児だった昔から成長していて、きちんと泳ぎ切るだけの技術も体力も今はあるはずなのだ。だけれど泳ぎ始めると、やすやすと怖いという気持ちに負けてしまうのだ。わたしにとって泳ぐということは、フィットネスというよりも、精神的な課題というか、レッスンの比率の方が高いような気がする。実はわたしは泳ぎがとても早い。(手が長くて、背泳の選手になることを勧められたこともある)でもそれは疲れや焦りから逃れるために、とても都合がいいのだ。(そして心臓にとって危ない)だからとにかく、いろいろなものをイメージしながらゆっくりゆっくり泳ぐ。ゆっくりは本当に厳しい。気持ちの方を、体の方に合わせさせるというのは、けっこう時間のかかる手順だ。2時間かけて、やっと楽(気持ちも体も)になるときもあるし、30分で掴めるときもある。きっかけも様々だ。だいたい修練にきているのではないから、「恐怖心が・・」などと考えながら泳いでいるのではない。具体的には息継ぎのタイミングや、腕の角度や、キックの数を数えたりすることに頭と意識は使っている。息継ぎのタイミングを何度か体で改善しているうちに、ふっと気持ちも体も楽になっていることに気がついたり、体が暖まったり、プールに日差しが一段明るくなった事で楽になることもある。今日の場合、前を泳いでいた人が平泳ぎで、意外な感じで前に進まなかったので、なるべくゆっくり泳ごうとセーブしていたら、ふっと楽になっていた。水泳を大人になって自分から始めたのは、池澤夏樹の小説『真昼のプリニウス』を読んだ時。「泳ぐというのは自分の体を金魚鉢をのぞくように見ることができる」というような文章にすごく興味を持ったのだった。確かにそうだった。わたしがもしかして落ち着いていられるのは、今の生活では泳いでいる最中だけかもしれない。自分の体と自分の変化、呼吸とキック、より苦しくなく前に進む方法だけに集中している。何度か目に水から上がるとき、自分がビワ子のことも夫のことも考えていないのは随分久しぶりのことのように感じた。水というのは全身を使えるということばかりでなく、人の目を随分気にしなくてすむ環境なんじゃないだろうか。化粧はなく、水泳帽は被らなければならないし、ほとんどの人が裸眼にゴーグルだ。それに競泳水着とくれば随分匿名性が増してくる。誰も泳ぐわたしを見ていないし、泳いでいるわたしは人目を気にすることができない。そこまで整った「落ち着ける場所」はなかなかない。わたしがただただ一人になるのでは多分ダメで、そして自分の中と向かい合わざるをえない状況というのが、泳ぐことなのだ。プールに行ったら2時間きっちりキロ単位で泳ぐという、まっとうな水泳習慣の方々からみれば、本当にへなちょこなスイマーである。できたらわたしも黙々とタイムをチェックしながら、距離を確認するようなスイマーに早くなりたい。「人は自分の中の暗さよりも、むしろ光を恐れる」という言葉をプールではよく思い出す。たくさん泳ぐことがまだまだ怖い。50メートルですら怖い。「泳げる」ということの方を信じられないし、そこに踏み出せないのだ。「できる」自分の方を恐れる、不思議といえば不思議なことだ。本日は45分ほどで切り上げ。振り袖状の二の腕が、ぷるぷる引きつってくるのを感じた。やばいかもと思い、感涙プリンのアミータナカヤに直行するもお休み。別のところで甘いものをいただいてしまう。痩せる気あるのか!と自分に突っ込みつつ、でも何かを補給しなきゃいけないような気も切実にしたのだ。今日は体の方向性と軸についてちょっと思った。子供の一生懸命のクロールがなんだか、水たまりで溺れている片羽の虫みたいに見えることがあるでしょ。見てても大変そう。自分が子供でああいう泳ぎをしたらすごくしんどい。大人は手の掻き方や、息継ぎ、キックの形や強さについてはたくさん教えるけれど、あのひっくり返りそうな泳ぎ方の改善方法については何もアドバイスしないんじゃないかと思う。体重が軽いとか、体積が少ないということは仕方がないにせよ、もっと楽に、進む方法とか感覚の持ち方って教えられるんじゃないかなと思う。わたしのように泳ぐ辛さや苦しさばかり、記憶した大人にならないように、ちょっと考えてみようと思った。
2004.09.02
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