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ノストラダムスのあの大予言の詩の中に「アンゴルモアの大王が蘇る」とあった。「アンゴルモアの大王」とは「中世ヨーロッパで野蛮な民族として虐げられていたマイノリティの民族」のことである。その虐げられていた人々が復活する。ヨーロッパから見た「アンゴルモア」。しかも「大王」なのである。それはアジアだ!大国中国を初めとするアジア民族。それが復活する。少なくとも経済の世界では復活し始めている。我々日本人も目覚めなければいけない。
2010.11.23
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日本人は道に迷っている。道を見失っている。外国人が作った未来のシナリオに「いつの間にか」参加させてもらえず、ヒノキ舞台で仲間はずれにされている。それどころか、舞台上の吸血鬼に生き血(マネー)を吸われているのだ。それもアメリカの後にくっついて、未だに「鹿鳴館」ビジネス(猿真似)を行って得意になって己を省みなかったせいだ。それも、自分では気づかずに誰かに踊らされているせいだ。聞いてみると日本の行政機関や会社重役は考え方が狭い。いや、日本人全体が考え方が狭い。いわゆる島国根性だ。ヨーロッパの先進国は優しさ、つまり「自由・平等・博愛主義」の考え方から行政なり会社経営なり行っている。総合的に国を企画・運営しているといっていい。しかし、日本人はどうだ?己の利権を守るのに精一杯でろくに考えもしないで未だに猿真似を続けている。昔は大変立派な猿真似だった、だが今は?只の猿真似以下だ。海外からシステムや考え方を持ってきて自分に都合のいいところばかり勝手に抜粋してつじつまが合わなくなり、余計にヒズミを作り出すような事なっている。日本人は、商品は質が良ければ高くても売れるという考え方だそうだ。確かに資本主義競争の理論からして質のいいものが売れるということがある。しかし、程度が悪くても安いから売れるという事もあるのだ。その程度が悪いという考え方も一概にこれは程度が悪い、これは程度がいいと判断できるものではなくなってきている。確かに日本製品は世界から、特にアジアから品質の良さで高く評価されている。しかし考えてみれば、程度がいいから高くても売れるという考えは我々日本人が作り出した概念ではないのだ。元々は資本主義が始まった場所、ヨーロッパから来ているのだ。しかも日本にはヨーロッパほどの歴史がない。到底ヨーロッパの猿真似でしかないのだ。技術力はどうだろう?世界に誇れる日本の技術。確かに高い技術力は未来のアイデアを現実的な形へと変えていくための大切なものでもある。その中に多くの可能性も秘めている。しかし、今の時代はもう技術力ではない。日本の技術力は国内が不景気なために中国に次々売り飛ばされている(提携という形で)。技術力だけで生き残れる企業はほんのわずかだ。今はむしろ大きな考え方の転換が必要なのだ。新たなハードを開発するなり、新しい生き方を提案するなり、まったく新しい、今までの考え方では発想できなかったような何かが必要なのだ。その何かが経済の世界も、さらに政治の世界も動かしていく。世界全体を動かしていく。もう3Dテレビを作ったからといって嬉々としている時代ではないのだ。マニファクチュアは大事だが、もうマニファクチュアの主役の時代は終わったのだ。かといってバーチャルマネーなどの実体を伴わない経済は人間の身を滅ぼす。もっと、実のある新たなビジネスの形が求められている。それこそ「自由・平等・博愛」の考え方から発する新たな誠意の経済システムである必要があるのだ。私の言うことが間違っているだろうか?間違ってはいないが具体的なものの形が見えてこない?それを皆で考えようじゃないか。個々人で、企業、企業で。ミーティングのたびに。あなた一人一人が、その大切なものが何かを常に念頭に入れながら。
2010.11.23
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