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これは、アカデミー外国語映画賞のカナダ映画『みなさん、さようなら。』の原題である。映画はかなり良かった!父親が死ぬまでのことを淡々と描いている誰が出ているか分からないようなつまらない映画かと思ったらとんでもない。やはり最初の15分か20分は知らない国の知らない映画なので、自己紹介で打ち解けるのに時間はかかる。でも、そこからがグッと面白い。いつも言っているのだが、地味な小さい映画ほど過激で、アイディアに溢れたものである。(本来はそうあるべきなのに日本映画の製作者はそれがまったく分かっていない)この映画はまあ確かにギャグのセンスが日本的でなく西洋的で(いや、貴族的と言おうか)少々お下品ではあるが、刑事や院内?ギャング、ジャンキー、娼婦、売人まで出てきて若者も十分に見ごたえのある内容になっている。決しって気をてらった出方ではない。ストーリー内容と必然でしっかり結びついているのだ。そして笑わせ、感動させる。しかしそれにしても一人の父親の死を扱っているにもかかわらず、この原題はなんだろう。『蛮族の侵入』このチンケなタイトルを見る限り、作家の膿が出たとしか言いようがない。事実、監督が脚本を執筆中にあの9.11テロが起こって、歴史家を自認する監督は、歴史家としての立場からこの事件を映画の中に取り上げずにはいられなかったのだ。主人公も歴史の先生なので、彼に考えを代弁させようと思ったのだろう。そして監督は作品の中では至極もっともなことを主人公に熱く語らせている。その辺はぜひ見てもらいたい。しかし『蛮族の侵入』とはいかに差別的な考えの元に付けられた名前だろう。当然あのニューヨークの9.11テロ事件を言っている。「蛮族」つまり「バンディット」のように荒々しい無法者、富を奪う盗賊。ジョージ・ハリスンが製作した映画「バンディットQ」のようにチビで醜く、愚かな怪物のような異界の生き物たち。蛮族とはそういうイメージだ。そして侵入とは、今までアメリカ本土は直接攻撃をされたことはなかった、主にそのことに対して侵入といっている。文明社会への宣戦布告とも受け取っているのだろう。この西側以外の諸国民=「蛮族」という考えは以前どこかで聞いたことがある。そうだ!かのノストラダムスの予言だ。ノストラダムスは、世界がとうとう大変なことになって「全てのジュネーブに逃げよ逃げよ!」と訴えたその後の世界について(つまり、第三次世界大戦か何かのあと?)同じことを言っているのだ。世界は「蛮族」どもがはびこり、盗みやレイプが日常茶飯事になると、そんなようなことを…。予言にある「蛮族」という考え方と、この映画のタイトルの「蛮族」という考え方は一致している。つまり、両方ともヨーロッパの特権階級の人間から見た、東側諸国の人間に対する蔑視の言葉なのだ。この蛮族という考え方はなにも珍しいことではなく、歴史の中で繰り返されている。日本だって中国から蛮族だとバカにされていたし、モンゴル人はロシアから蛮族と恐れられていた。アメリカの先住民族、インディアンも部族同士でお互いを蛮族と言い合っていたし、グリフィスのモノクロ映画『国民の創世』に見るまでもなく、アメリカ人も黒人たちの事を蛮族扱いしていた。要するに歴史上変わったことではないのである。常に人間は隣の蛮族におびえて暮らしてきた。そして、蛮族、蛮族と恐れるほど、たいして怖いものではないはずである。日本が終戦後、鬼の米兵がやって来ると恐れたアメリカ人も、確かに決して許しがたい悪いことも未だにしているが、所詮人間であるには変わりない。良い人もいるし悪い人もいる。そう願いたい。特に今回言われているのは我々、東側の人間のことである。我々のことは我々が一番良く知っている。確かにイスラムの人たちまでのことは分からない。しかし、彼らの一人一人は、他人のことを蛮族と呼ぶ裕福な連中よりは人間的であることをアメリカの選挙時の新聞のインタビューや、戦争報道の雑誌、テレビで知った。(それより一番分からないのは昨日の日記の、同じ日本人かもしれない)この監督が日本に来日した時の様子がDVDに収められているので私たちも見ることが出来る。日本版タイトル『みなさん、さようなら。』も、かなり気に入らなかったみたいだ。蛮族よりはましだろう!日本をあまり好きではないようだ。それ以上に蔑視しているのが見て取れる。日本軍がパールハーバーでアメリカ本土を奇襲アタックしたことを恨んでいるとは思えない。彼には根っからのエリート(特権)意識と、東側諸民族に対する差別意識がある。それは確かに彼やノストラダムスから見れば、東側の人間はチビで、醜く、野蛮で、西側の富を追いつけ追い越せで奪おうとしている者たちに見えるかもしれない。しかし、そんな考えしか持てないようなら、イスラムや東側の人間の怒りを駆っても仕方あるまい。自然の摂理である。バランスのないところには均衡をもたらそうと神はするのである。他人を蔑視すれば蔑視が返ってくる。監督は今回、この映画では自分を主人公に見立てて描いたそうだが、主人公の死が彼自身の死である以上に、図らずもヨーロッパ(アメリカも含む西側)の死、終焉の象徴となっている。蛮族に侵される日が来る前に、自ら静かに、幸せな仲間たちに囲まれて先に死にたいという、監督自身気づかなかった願望が出ている映画なのだ。
2005.01.26
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昨日の日記『なぜ資本主義ではダメか?』に付け足しておくと、昨日たまたま、テレビ番組の『爆笑問題のすすめ』でマネーゲームについて話が出た。バブルで失敗した経験を持つ、株評論家の木戸さんは顧客が自殺し「君だけは死ぬな」という遺書を受け取ったという。そして「マネーゲーム、マネーゲームと軽率に言う人がいるが『マネーゲームは、命を落とすゲームなのだ』」と、強く語っていた。バーチャルなゲームに慣れてしまったオタクたちはゲームと付けば、現実ではない感覚を持っているのではないだろうか?彼らの言うマネーゲームとはほんの小さいもので、自らリスクを背負っているものではないのではないか?実際、世の中弱肉強食で弱いものが死ぬのは当たり前と言ったその人物も、派遣社員で何のリスクも背負ってはいなかった。しかも考えている夢というものが、金になる商品のネット上での転売だという。なんというちっこい事を考えているのだろう。そんなものは夢ではないと思う。消費者のために少しでもなるものならいいが、安いものを更に余計な値を上げて売るということしか考えていない。金儲けのための金儲けでしかない。(まあ、金儲けにもならないだろうが)そんな人物が、不況で自殺者が次々出てきても、世界で不平等に苦しむ人々がいて病気になったり、死んでいても、「弱肉強食で弱いものが死ぬのは当たり前」なんて冷酷な大富豪が言うようなことを言ってしまう間抜けさ…。笑ってしまうほどだ。日本はやはり狂っているのだ。自分たちの都合のいい民主主義(資本主義)を維持するため、誰か我々をコントロールしている者に我々は、そんな浅知恵しか与えられていないのだ。
2005.01.25
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現世 ”心 ”を失った人は多い。あなたの身近にも、ほらそこにも、すぐに見つけることは簡単だ。そういう人は自分が心を失っているとは思っていない。ただ単に意見が違うだけだとも思っていない。相手を否定し、自分があくまでも正しいと信じている。それが心を失っている証拠である。人には仕事上など非情さも必要な時がある。彼ら、彼女らには目的があり、それを達成するために周りが見えないでいる。周りを見ないようにしている。目的を達成するために。しかしそんなやり方で本人も幸せになれるのだろうか?誰かに操られているだけだとは当の本人はまったく気が付いていない。その点では自分の世界しか見えていないので幸せである。もちろん人は自分が大事である。人のことなんか考えてられない。しかし「利己主義と個人主義は違う」のである。歴史は繰り返す。人間は何百年、何千年経ってもたいして進化はしていない。考えることはそんなには進歩していない。進歩しているように思えるのは過去のデータの集積、過去に作られた便利な機械等によって検証、検討するからであって、その本人自体は脳が過去の人間よりも数倍に発達し、考えることの能力が数段ハイレベルになっているわけではない。人は結局くだらないことを考えることの方が多いし、発想のひらめきは訪れても、そのひらめきは同じ条件なら、何百年も何千年も前の人が持ったとしてもおかしくないものなのだ。だから文明が発達してこんな世の中に住んでいるからといって、自分が特別賢くなっているわけではない。それに、思っているほど利口な世界に生きているわけではない。人間には驕り(おごり)は禁物なのである。おごりは、ローマ帝国のように自滅をもたらす。それはお寺の坊主でも一国の首相でも同じである。おごれば破滅する。人間皆平等なのだから。自分だけが頑張っている。自分だけが賢いのだと思っても、結局は過去の人間、他者の”おかげ”があってこそなのだということに気づいていない。昔からよく言う「お釈迦様の手のひらで踊らされている」という謙虚さがないのだ。人間、根本的にはそう変わっていないと同時に、昔からの戒めの言葉はいまだ効果があるのだ。人間が根本的に変わってない以上、心の教えも通用する。そして、自分の考え、目的が自分自身の物のように思っているが、実際は過去に作られた環境や現在の条件によってそれらは判断、発想されている限り、自分自身の物であるとは言い切れないのである。あなたがやっていることは誰かの仕組んだ考え通りなのかもしれない。資本主義は人を惑わすのが仕事だ。資本主義は民主主義と切っても切れない関係なのだろう。だから資本主義のトップ、アメリカの大ボスが声高に何度も世界に向かって「自由、自由」とふれまわるのだ。かつてのローマ帝国と同じように、民主主義は人民の声を大切にする。「人民の、人民による、人民のための政治」だという建前である。だとすると、富を独占しようとする一握りの特権層の者たちは、うまい具合に民衆を操る必要があった。自分たちの都合の良いようにウンウン賛成してくれる人たちを増やし、育てる必要があった。そういった世の中には情報操作が不可欠になる。民衆の扇動が手っ取り早い。今バブルを迎えたと言われている中国は、反日感情が高まっているように見える。それもアメリカがそう仕向けているらしい。中国が日本とうまくやって日本に儲けてもらいたくないからだという。日本に回すくらいの無駄があるならアメリカが全部吸い尽くしてやるということだ。自分の考えたことだと思っても、大きく見れば(場合によっては大きく見なくても)誰か得をする人間に操られているのだ。日記「ロックの魂」で書いた ”the man ”だ。競争や駆け引きが好きな人もいる。もちろん私も資本主義全部が悪いとは思わない。良い方向に持っていけば、資本主義で更に良い世の中にすることが出来るかもしれない。もう既にそういう活動を知らず知らずに、あるいは分かっていて率先してされている方もいると思う。成功までとは行かないまでも、こじんまりと誠意を持ってビジネスをされている方も当然いる。過去の富豪や成功者の中にもそういう方はいたと思う。今までは、そういう考えを持っていたからこそ成功した人の方が多いかもしれない。しかし、これからはそう上手くはいかない難しい世の中に入ってきていると思う。いけないのは初めから富(金儲けのチャンス)を独占している者である。金持ちがますます金を生む。虐げられた人たちにはその”チャンス ”すらない人たちが世界中には大勢いるのだ。そして環境の悪さから、貧しさから餓え、死んだり、病気になったり…。知っているだろうか、インドには階級があって、下層階級の人々の住む地域に行った事があるが、見たこともない奇形の病気にかかった人たちでいっぱいだった。ただれた、まるっきり象のような人たち。彼らがなぜ貧しくなければいけないのか?そんなことを他人事と冷たく「関係ないね」とか「ならそういう環境から抜け出そうと努力しないのが悪い」などとうそぶく日本人には耳を覆いたくなる気持ちだ。そればかりか欲に執着して自分を見失った言葉を平気で言う。誰かに吹き込まれているとしても恐ろしいことがよくも言えると思う。なんという自分勝手な思いやりのかけらもない人々。だからこそ世界中で日本人はカモにされ続けているのだ。仲間だと思っている先進諸国にさえ、いいカモにされている。そうやって自分たちは偉いと思っているのだ。なぜ日本人はそうも冷血になれた?(やはりオタクは嫌いです。皆が皆じゃないけど、ある種のナチズムの傾向を持っている)富を、つまるところ地球の資源を独占している人たちが、少しでも分かち合う精神があるならば、限りある地球の資源でも、十分に全人類が潤うほど資源や富は行き渡るはずだ。インドで出会ったような、世界中のそういった人たちがもっとましな生活が出来るはずなのだ。そうは一瞬でも思わないのだろうか。この欲望のはきだめ列島である日本の利己的な遺伝子じゃなく、利己的な単細胞たちは。。。自分に出来ることしか出来ないのは当然である。しかし隣で死にかけてる人がいて、彼らは無視できるのだろうか?冷たい言葉を吐けるのだろうか?彼らは無視できる勢いだから怖いのである。そんなのは大戦中のナチス・ドイツくらいのもんだ。そういう人々は、お互いに需要を作り出していて生活は出来るかもしれないが、幸せにはなれない。ヨーロッパが富を得たのは中世に植民地政策を展開できたからである。植民地を幅広く手に入れ「働かずに」!富を手にした。その植民地を手に入れるのに、原住の人々を何百万人、何千万人と殺しているのだ。これこそホロコーストだ。次の日記に書くが、映画「みなさん、さようなら。」の中で言っている通り、911など問題ではない人数だ。アメリカもネイティブを虐殺し、追いやって、奪った土地で自分たちが嫌って出てきたヨーロッパを猿真似し、アフリカの黒人を奴隷としてこき使って自分たちは仕事もせず舞踏会に明け暮れる。資本主義の歴史は殺戮の歴史だ。そんな恐ろしいことの上に資本主義は成り立っている。先に挙げた日本の人たちは、資本主義の仕組みが、誰よりも先に出来るだけ大きい資本を手に入れている者の方が有利だ(生き残る)ということを十分知っているにもかかわらず、そんな世の中を弱肉強食は当然なのだ。強い者が生き残るのだといって”楽しんでいる”!分かったようなことを!人生の半分も生きていない奴らが。若さゆえの冷酷は当然ある、しかし、彼らのは問題外の冷酷さだ。彼らは仕組みをわかっていて、ではその巨大な資本を西側諸国はどうやって手に入れたかを考えないのだ。彼らが「苦労したからだ、尊敬する」という成功者?奴らの脳みそでは想像もつかないような?その更に上のにいる一握りの特権的な人々は、大勢の民の血に濡れた金を握っているのだ。極端に言えば、政治とはそういった人々の私腹を肥やすためにあるともいえよう。先に言った資本主義とは民主主義と切っても切り離せない関係にあるとすればだ。実際、現代でもアメリカは自分の私腹を肥やすために戦争まで仕掛けているのだ。数々の国際社会に貢献する調印を蹴って、なんの平和(より良い世界環境)への協調性も示すことなく。しかし現在、アメリカの世論は二分されている。アメリカでも民衆はそう愚かではないのだ。日本人よ!目覚めよ!利己主義と個人主義は違う。利己主義は自己の利益のためなら他者をも否定してしまう。個人主義はまず自分で、自分を大切にしながらそれでも他者への思いやりや協調性は捨てないでいる。このことは個人だけでなく、国にも当てはまる。人は大概の人が、生まれて来た決まった環境の中でしか生きられない。環境を甘んじて受け入れなければならない。その中で、ゲームというならばゲームをしなければならないのは仕方ない。新しい、自分に合った環境を目指して旅立てる人はそうはいない。いや、ほとんどはそのことさえにも気づかない。皆マネーゲームに夢中にさせられて、心を忘れている。この点だけは、細木数子に賛成したい。
2005.01.24
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今ピークを迎える細木数子ブーム。年末(12/20)の「隣国で歯止めの効かない大災害が起こる」発言がスマトラ沖地震(12/26)だということで当たってしまった。そしてさらに、日本でも『歯止めの効かない大災害』が起こるという。それは昨日の発言で日本の東京であり、地震と津波による災害であるということが明らかになった。実のところ私自信は、一昨年前から東京にただならぬ気配を感じていて、早く脱出するように心がけてきた。そして何度か試行錯誤して、去年やっと田舎に移った。田舎の唯一の取り柄は自然である・・・。細木さんは「これは予言ではない、決まっていることなのだ」という。その背景には、人間の自然(大神)に対する森林伐採や、環境破壊などのおごりや、文明社会(?と言えるのかはなはだ疑問だが)のテクノロジーや他人を押しのけてまで自分を肥やそうとする市場競争社会に浸かってしまって、人間が”心”を失ってしまったことなどが挙げられた。いまだ東京に住んでいる友人たちや、罪のない普通の人々に、そんな被害に遭っては欲しくないと心から願ってはいる。しかし、東京は荒れている。ごくごくノーマルで、大きな視野から客観視すれば、明らかに異常なくらい狂った街である。それはなにか、海に流出した毒物にやられて奇形した魚に似ている。快楽と憎悪によって奇形したまだ若い魚だ。多くの外国人の若者が、東京に行ってみたいと言う。それはなぜだろう?快楽が待っているからだ。アメリカによって快楽の街にさせられたのだ。国民の目を現実からそむけるために。私が外国から久しぶりに東京に帰ってきて、上野のマクドナルドの窓から夜の東京を見下ろしたとき、そこには地獄が広がっていると感じた。地獄に帰ってきてしまったと思った。夜の暗闇の中、女がサラリーマンの男に絡まれて騒ぎ、浮浪者が徘徊するすぐ側を十代の少女が着飾って歩いている。異常だ。唯一、これに似たことを外国でも感じたことがある。それはニューヨークだ。ニューヨークでは昼間でも女性が車の中でとめどなく号泣し、公園では白人のOLがはやし立てる黒人ギャングたちの前でストリップを始める。それを一緒にいた彼氏がギリギリになってから止める始末。レストランでは鉛筆で真っ黒になった紙に更に何かを書き込もうと夢中になっている狂った老人がいて、夜になれば叫ぶ女をレイプ目的で追いかける黒人男がいる。イエローキャブが行き交う街には常に地下から煙が立ち上がり、人々は薄暗くなった超高層のビルの谷間を肩をすくめ歩いている。かなたに小さく見える空を仰ぎ見ることもなく地上を這いずり回っている。向こうからやってくる人がタバコを吸おうと懐に手を突っ込もうものなら、銃(GUN)でも抜くんではないかとビクビクしながら!まさに地獄だ!これを言うとアメリカ人、ニューヨーカーは凄くがっかりする。ニューヨークほどすばらしい街はないじゃない!そんな風に思ったなんて悲しいわ、と。確かに、私の行ったのは市長があのすばらしいジュリアーニになる以前のことだった。だから地下鉄は落書きだらけで、昼間でも危なかった。そんな時と今は比べられないかもしれないが。とにかく、ニューヨークに感じた地獄と、その時の東京の地獄は、私にとって同じものだった。上野といえばそんなもんだよ、渋谷や銀座とは違うよ。と言う方もいるかもしれない。いや、同じである。東京全体が狂っている。それは少し視野を広げれば分かることだ。普通の、ノーマルな思考で考えれば分かることだと思う。でも、あくまでも私個人の感想だが。要するに、東京は危険だと感じた。今に神の天罰は下ると。神でなくても細木数子の罰は下るかもしれない。それ以前に、北朝鮮の核は危険であることは言うまでもない。しかし、そんな脅しに屈するようではいけない。あくまで私が言うのは、東京は何らかの罰が下ってもおかしくないほど、狂っているということだ。もうバカなことは辞めようではないか。それには資本主義さえも辞める必要がある。以前からこのホームページでも言っているが、まったく新しい社会、社会の仕組みを作るべきなのだ。それには日本が最適なのだ。日本という国は、他のどの国とも似ているようで似ていない。遠く離れた島国だったからか、独自の文化と考え方がある。それはまるで中立国スイスのようなもの。日本は日本の立場で言える個性と発想を持っている。先進国以外では日本の立場を親近感を持って受け止めてくれる国は多かった。その良さを、この国自身が無くしてしまおうとしているのかも知れない。世界を変えるまではおこがましいが(それに出来ないだろうが)新しい道を提案することはできる筈なのに!この日本ならそれができる筈なのに、アメリカの快楽(エロと娯楽という武器)による洗脳と、政治的干渉によって日本の良さと、個性が奪われている。その結果が、東京という都市が、巨大快楽都市へと、快楽のはきだめ都市へと、生まれ変わってしまった理由だと思う。くれぐれも言うが、悔い改めて、新しい道を見つける努力を創めなければならない!(ちなみに上野の話は、仏陀ゆかりの地を巡るためインド、ネパールを旅して数ヶ月ぶりに日本に戻ったところでした)PS.テレビを見ていなかった方のために、火災が発生した場合のために透明のビニール袋を常に携帯すると良いそうです。非難時に、顔全体に当てれば目も見えるし、煙の中空気も4、5分は持つでしょう。就寝時は、近くにスリッパを置くと良いそうです。非難時に裸足では瓦礫で足をケガしてしまいます。寝巻きで逃げなければいけない場合、タオル一枚用意しておけば、首に巻いたら体全体が暖かいそうです。顔を拭くことも出来るので常備しておいても良いかも。くれぐれも災難が起こらないことを祈ります。
2005.01.22
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聖書の言葉に「災難は、悪く考え、悪く行動する者より来たる」という言葉があるらしいことを最近知った。これを知って、聖書を読んでみたいという気持ちになった。今まで聖書なんて聖人がどうしたこうしたとか、イスラエルの民がナチの陰謀ほど悪者扱いにされていることくらいしか想像つかなかった。『災難は、悪く考え、悪く行動する者より来たる』まるで恐ろしい、呪いの言葉のようではないか。ここでも、考えたからこそ、行動に移す、というパターンが見て取れる。頭で考えることなしに行動は起こせない。世の中は誰かの考えたものが形になって表れている。ビルも、社会も、法律も。もし彼が、良いことも考えれば二つの選択肢があったはずだ。そして彼は災いにはならなかったかもしれない。間違った行動は、間違った結果を生む。神は、よく笑う人間が好きだと聞いたことがある。笑顔で明るく、よく笑う。確かに正義の味方「黄金バット」はよく笑う。過去のヒーローたちはほとんどそうだ。しかし、悪人も良く笑う。バットマンなんかは正義の味方より、悪人のジョーカーだっけ?の方が良く笑っている。気味悪いくらい陽気に。要は神が好きなのは、無邪気で、物事を素直に捉え、常に前向きである人なのだろう。それと、悪人であるかないかは関係ないのだと思う。悪人でも社会的に成功する人、している人もいる(しかしツケは必ず回ってくると信じている、精神的にも)。善人なのに何をやってもうまくいかない、不幸な人もいる。それは悲しいことなのだろうか?そう、不幸は悲しいことだ。世の中には、目に見えないところでも、ある一定の法則が働いているのだ。笑いは病をも治す。当然のことながら皆笑って生きたいものだ。卵が先かニワトリが先か、笑ってるから(否定的な考えを持たないから)上手くいくのか、上手くいくから笑えるのか。新社会人になるとき、中身がまだ不十分なら、まず形(外観)からでも入りなさいと聴いた。そしてPTOとかいってスーツを着用するよう教えられた・・・。無理にでも笑っていればいい事があるかもしれない。^ー^
2005.01.17
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最近、大規模災害や疫病がはやっている。それも思ってもみなかった様な事が次々と襲ってくる。世の中少しおかしい。気分を害する人もいると思うが、私のホームページは本来はノストラダムスの予言に関しての解釈を書いたものだった。もちろん当たった外れたは起きてから言える事で、私の解釈は(そんなたいそうなものじゃないが)起きてしまってハッキリしたことをさらに予言と照らし合わせて検証するというものだった。今までの研究家の空想じみた解釈が外れていたからノストラダムスは当たらなかったといわれているだけで、私は私の知る限りでは過去と照らし合わせると(911など)怖いほど当たっていると思う。もちろん大体の占いや予見がそうであるように具体的な1999年七の月とかいう数字や地名などは少し違っていたりずれていたりはする。しかし、その数字にしても、当時の何百年も昔の人からすれば、さほど外れてはいなかったと思う。彼は言ったそうだ。「世界の終わる時期を教えて欲しい。どうすれば皆それを知ることが出来る?」という問いに対して、時期は近づけばおのずと分かるはずだ「それは、世界中で大きな天災が立て続けに起こり、各地で疫病が蔓延した後やってくる」というようなことを。そして今、それは数年前からいくつも起こっている。この先も続くかもしれない。それでも終末は来ないかもしれない。しかし、人類への警告として受け止めておいた方が良いように思う。まだまだ気を抜いて安心していられない情勢だと(いや、逆に事態は悪化しているとさえ思う)思いませんか?それこそ「天災は、忘れた頃にやってくる」と、ただ、予言のおどろおどろしい文句に惑わされて翻弄されることは望ましくないと思っている。皆が嫌うように、間違いなく彼はネガティブな予言者だ。しかも西側の一部の人間の立場に立って予言した少々東方の人間に差別的な予言者だと思う。しかし、このまま世界が変わらず進み続けるなら、非常に危険だと感じているからこそ、彼の予言を借りてでも警告したいだけなのです。誰かが叫び続けなきゃいけないと思う。いや、叫ばずにはいられないから叫んでいるだけなのです。間違った行動を起こせば、間違った結果を生む。それは個人に対してだけ言えることじゃなく、世界に対しても当てはまることだと思う。ただ、少し安心出来るのは、彼の予言は地球が生命体を維持できなくなる頃まで続いている。ということは、人類はその頃まで生き延びるということ。完全な滅亡はない、ということではないか?いずれにしても、これ以上愚かなことは、もう止めよう。天罰が下る前に。正月のたけしの番組で、アメリカの数々の陰謀を描いていた。日本人が満員電車の中でエロ漫画を堂々と立ち読みするくらいセックス好きになってしまったのも、アメリカの陰謀らしい。セックスや娯楽の文化で洗脳され、文句も言えないように脳みそを麻痺させられている。政治に目を向けないようにコントロールされている。タバコもそうだ、ヒッピー外人ならいつも言う、ハッパは習慣性がないがタバコは中毒になる、中毒にさせられて買わされて、タバコ吸ってれば嫌な事忘れて文句も言えないよう政府に飼いならされているんだと。仕事がきつくてもタバコを吸ってさんざん働らかされて、しまいにはお役ごめんの頃には身体を悪くしてガンかなんかで入院するか死んでしまう。病気になっちまったら文句も言えない立場になる。全てはアメリカの陰謀らしい。冗談ではない。私はまじめに受け止めている。アメリカと共謀するような政治は国民を裏切っているといえる。う~ん、確立20パーセント!と、一応書いとくか。災害にあわれたり、疫病でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。
2005.01.09
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監督、クリント・イーストウッド。いわずと知れた、アメリカでも成功した俳優で、映画監督としても、市長として政治家でも成功している。そんなアメリカンドリームを手に入れた男がなぜこのような映画を監督したのか?ストーリーは、ごく普通のミステリーである。見ようによっては話のつじつまが取れていない三流のミステリーと口の悪いものは言いそうな話である。ただ、ドラマとして、または監督としての手腕的には悪くはない、見応えは十分にある。出演者も贅沢で作品全体に渋みが感じられる。ヒューマンドラマの佳作といえよう。そんな映画の中に私が最後に見たものは、監督であるクリント・イーストウッドの悲痛な叫びだった。正しくそうだ。彼の個人的な、ごくごく個人的な”叫び”なのだ。映画は後半、大きな過ちを犯した(殺人を重ねながらのうのうと生き延びている)主人公の一人(ショーン・ペン)を肯定すらしてしまう。(それは「ダイ・ハード」から始まって、ごく最近まで描く価値のあるドラマは家族愛だとばかりに父親の愛を描き続けたアメリカ映画に対する反逆でもあるように思える)しかしそれは見せかけで、監督イーストウッドはラストにそんな極悪人をハッキリと否定する。ラストはアメリカの表の顔的な地方のパレードで終わる。国旗たなびく中、主人公たち”国民”がそれぞれの思いを秘めてその場に集う。ショーン・ペン演じる極悪人は、そんな中ぬけぬけと笑顔さえ見せる。彼こそアメリカだ。アメリカが、苦悩の中(無知で弱く、エゴイスティックな普通の人間であるが故の?)に重ねてきた悪事をイーストウッドは否定しているのだ!アメリカ自体を否定しているのだ。前にもこんなような映画をイーストウッドは作ったことがあった。それは「許されざる者」だ。そこでもイーストウッドはアメリカを否定した。このとき、「従来の西部劇を否定するような新しい西部劇を作った」という評判だった。もちろん、彼が否定したのは銃社会に代表される暴力そのものだった。しかしそこに留まらず、彼は「西部劇」をも否定し、今考えると「アメリカ」自体をも否定していたのだ。よく呑み込めない方もいると思う。しかし映画は記号で作られている。記号を読み取ると、映画の中で言いたいことが良く分かるのである。暴力と身勝手なエゴイズムと、浅知恵による愚かな行為とで汚れてしまったアメリカ。競争社会の論理をそのまま世界に押し付けて、戦争まで幾度も犯してしまったアメリカ。その染み付いた血は、ぬぐえない。よく堂々とこのような映画を作れるものだ。ある程度アメリカンドリームを実現し、自分の地位をアメリカという土壌で築き上げてきた人間がだ!・・・そこに感心した。イーストウッド、やるもんだと。さすがわ私の幼い頃のヒーローだ。PS.前回書いた「努力について」だが、誤解を招かないように書き足しておく。好きなことをしていれば苦にならず、それこそ努力なぞ要らないと言う方がいるかも知れない。いや、私もそう思わなくはない。しかしそれは錯覚というか、間違いである。論争するつもりはないが、楽しい努力であっても、いつか壁にぶつかるときは来る。必ず来る!それが来ないならそれは趣味だ。ただでさえ夢中で何かしていれば腹も減るだろう、お金も必要だ。しかし、他者の批判や、妨害、もっともっと練り上げなきゃいけない、自分を高めなければ追いつかない、追い越せない、世間が認めてくれない、そういった時は必ず来るはずだ。他者との戦いもさることながら、自分との戦いも必ずやって来る。その時が、苦労のしがいの時であるといえよう。しかし、確かに基本的に楽しくもないのに苦労は必要ない。
2005.01.08
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あの「もののけ姫」も実は努力は要らないといわれていた当時の世相に物申すということで作られた。昔(少し前)努力は要らない、努力は努力と感じないものであるということがある時期通説となっていた。経験のない若い者は本当なのだろうかと信じ込んだ者もいるだろう。しかしそれは嘘だ。同じようにその時代、通説となっていたことが今では嘘っぱちであることが結構ある。例えばこれまた昔(?)よくマスコミで言われていたことだが「最近の新人類と言われる若者たちは気味が悪い。若いくせに老後の心配をして貯金を積み立てている。若いうちはそんな心配などするものじゃない!」などと言われていた。そして金を使わせようとしていた。それがどうだろう、数十年もたたないうちに、年金を納めろ!の、老後の計画なくしてどうするんだと、世の中の言うことが一変してしまった。戦時のプロパガンダはもちろんだが、他にハッキリ分かりやすいのはテレビでよくやっている健康に関することや食べ物のことだ。寝る前の牛乳が良いといえば、数年後には実は寝る前に飲むと良くないとなる。○○には○○が良いと言っていたのが、実は○○は身体に悪影響があるとくる。投資関係もそうだ。あれが儲かる次はこれだと言っておいてあれは実は危なかった、ヤバかったとなる。我々は情報に翻弄されている。つまり、第三者の都合のいいように踊らされている。アメリカの田舎に「ボスの弾くバイオリンで踊る」という言葉がある。我々は気づかないうちに音楽でのせられ、踊らされているのだ。さて、努力の話だが、確かに好きなことをするのには楽しいのだから努力は要らない、ということは言えるかもしれない。しかし、私がハッキリ今!これからの若い人たちのためにそれを否定しておこう。そんな甘っちょろいことを言うやつは、実際に努力をした事がない人間である。そんな人間は長続きはしない。神に無限の才能を与えてもらっている幸福な人ならばそれも分かる。いわゆる天才肌の人間だ。あるいは誰もが認める美人?しかしそれでも、努力なしに成功することは出来ない。そういう人は、成功してからもっともっと努力が必要になる。逆に、妬まれて失脚するかもしれない。努力したことが無いので、人生の大切な選択を誤るかもしれない。競争の激しい業界ならなおさらそうだろう。ひとつ言えば、その「努力は要らないうんぬん」で、スポーツの世界において、昔型のがむしゃらな体育会系トレーニング(といえるのか?)法が無くなって、頭を使う個々のペースを大切にしたトレーニング法に変わったのは良い事だった。そしてオリンピックなどで物怖じしないで試合に臨む若い世代が出てきたことは良かったと思う。これも思い切った「努力は要らない」説がなければ出てこなかった現象かもしれない。確かに古い考え方は非常に害をもたらす事がある。そういう時は思い切ったことを提案して、既成概念を先ず破壊し!人々の考えを新たな思考に向かわせる必要がある。その意味では、その考えは時代に必要だったのかもしれない。しかし、何度もいうように、完全に踊らされてはいけない。人は新しいことを突然言われると、思考能力が低下する。軽いショック状態で訳が分からなくなる。そこに提出された思考を定着させないことだ。よく考えてみることだ。その検討の仕方に、日本古来の考え方と照らし合わせてみることを私はお勧めする。『努力は裏切らない』そういう古い言葉がある。こんなにハッキリとした”保障”があるのなら、私は当てにならない「努力は要らない」という言葉よりも、こちらの方をお勧めする。あの宮崎駿のアニメ「もののけ姫」も当時言われていたことに、宮崎駿が「このままでは若者たちに誤解を与えてしまう」という危機感を抱いてアンチテーゼ?として作られた意味合いもある。だからこそ、主人公の少年が、苦労して努力してドロドロになって村を救おうとするのだ。(この辺はアニメ雑誌の宮崎さんのインタビューに本当に詳しい方はご存知だと思うが、アニメ雑誌じゃなかったかな?)私はある時期、東洋思想に影響を受けた西洋哲学に傾倒する時期があったが、所詮そんなものは営利主義の国で生まれたご都合主義の思想でしかないことに気が付いた。そこまでたどり着くというか、経験を重ねるのに何年かかっただろう。私には無駄ではなかった経験も、これからの若い人たちには非常な無駄になる。私は結局、日本の昔から言われている先人の教え、ことわざ、言い伝えを信頼するようになった。回りまわってそこにたどり着いた。結局、足元に答えはあったのだと、今でも信じている。
2005.01.04
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