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なんか最近常連さんが次々とホムペ閉鎖したり1年くらい更新してなかったり、ここも寂しくなってきたなぁ。ここのところ良い本に巡り会うことが多い。最近巷で流行ってきたが、これもシンクロニシティ(共時性、偶然の一致が必然である)だと思っている。この有名な心理学者が書いた「たくましい人」は、生きていて誰もが感じていたはずであろうものすごく残酷な世の中の実態を暴いている。人間には二種類いる。優しくて搾取される人と、ずるくて搾取する人だ。この間江原啓之が「(虐める人がいて虐められる人がいる)そういう役目の人がいるんだって言う人が出てきてるんですよ。もうそういうこと言う人が出てきていること自体が世の中おかしくなっている。相手に対する思いやり、想像力が無いんですよ!」と言うようなことを言っていた。その問題はこの本に書いてあるその二種類の人間がいることに起因していると思う。もっと詳しく書くと本は、優しくて弱くて搾取される人と、ずるくて強くて?搾取する人の二種類だという。自分は果たしてどちら側なのかと考えてみるといい。私に関して言えば、田舎でのほほんと暮らしてきて悪いやつに搾取されててもそうとは気づかなかったときに比べ(若いと自己分析できないし鈍いものである「東京タワー」が懐かしいね)東京に出てきて一気に不動産屋やら大家やら会社の上司やら、この悪者である搾取する人に出会って、思いっきり考えられないような方法で虐められてやっと世の中の矛盾に気づき、これは強くならないとやられてしまうと思い始めてから早数十年たつ。そこそこ鍛えられてきたつもりだが、未だに厄介な連中は周りに後を立たないで次から次ぎに登場する。そして私をなめてかかって付け込んで来た人のうち何名かは私が思わぬ手ごわい相手であったことにすごすごと退散する。もちろん立場の違いというものもあるが、立場の上下関係無しにそういった悪い奴らは人につけこんでくるものだ。そして立場の違い関係無しに表づら人の良さそうな顔をした悪い奴らにヤラレてしまってこちらが退散しなければいけないことも沢山ある。未だにだ。弱くて優しい人は、ずうずうしくて強い人にやられてしまって知らず知らずのうちに病気になって死んでいく。苛められて自殺してしまう。そんなニュースが絶えない。この本はそれは立派な殺人だという。そんな人が私の周りにも沢山いる。都会に出て行ったはいいがまじめなばかりに搾取されて過労死で死んでしまった人、浮浪者に落ちぶれた人。いやいや都会ばかりではない、田舎の方がもっとドロドロしてなんでもありで怖いものだ。下手をしたら運転中の諍いで殺されかねない直情的な野蛮人のような人が田舎にはいる。女の子はなおさら怖いだろう。フランケンシュタインの話を思い出す。少女は優しく分け隔てなくフランケンシュタインの作り出した怪物にも優しく接する。そして怪物はその優しさを、こいつから何か取れるんじゃないか?こんなに優しくするのは俺から何か取ろうとしているんじゃないか?弱いからそれを隠すために優しくするんじゃないか?こいつを上手く利用できるんじゃないか?と考えて彼女を殺してしまう。そんな怪物が溢れる世の中でまともに生きていけるか?だから最近の若者は結婚しない。愛する人を持ってしまったら守りに入ってしまい、いつ失望するか分からない。いつ愛する人を守れないで失って、悲しみのどん底に落ちてしまうか分からない。そうはなりたくないからなるべく初めから身軽にいるのだ。そう思っていなくても深層心理の中ではそう感じているだろう。今の世の中では社会も政治も、警察も守ってくれない。何も信用できないのだ!とも本は語っている。実際警察に駆け込んだが無視された上に嘲笑され、挙句の果てに殺されてしまっている殺人事件が後を絶たない。学校での苛めもそうだ。考えてみると、学校の先生によく聞くのは最近の父兄が物凄くうるさいという話だ。しかし、そうやって苛める側の生徒の父兄がうるさいくらい学校に噛み付いてきて自己主張するのに比べて、苛められる側の父兄はたいがい激しく文句も言えない人が多いのではないだろうか?世の中騒ぎ立てる悪いやつがのさばるとしたら悲しい現実どころか、それで人が死んでいるとしたら決して許せない事実である。これは本当に法律で何とかしなければいけないのかもしれない。いや、本当に悪いやつは笑顔で人の権利や金や人権まで奪ってしまう人だ。そういうずうずうしい人がのさばっている。人生はこういうものだとしたら、皆が仕事、家族や近所のごたごた、友達関係その他で酷いやつらに利用されたり陥れられたりしているとしたら(もちろんしているのだが。していない人は幸せだ。しかし本には「私はそんな目に合ったことがまったく無い」という人は同じ悪者であると書いてある)こんな大変な世の中は無いのではないか?人がした親切につけ込んで裏切るのが当たり前の人が人間の半分以上いるとしたらこんな恐ろしい世の中は無いのではないか?世の中には理解不能な人間がうようよ存在するのだ。人生は人間は生きづらいものだ。最近のバラバラ殺人でもそうだ。本によると「夢」が大きすぎるから失望が大きく、自分はどうしようもない、どうにもできない感でいっぱいになり、怒りが生じ、その怒りのやり場が無い場合殺人や自殺に至ってしまう。そのどうにもならない行き詰まり感を持ってしまった人は弱くなる。競争心を失い、内にこもる。怒りが自分に向けられるのを怖れてなにも感じなくする。弱い人は沢山いる。弱くて良い。しかし自分がどういった社会の犠牲になって弱くなっているのか、自分は強いのか弱いのか、ハッキリさせたほうが良い。世の中にはモヤモヤと考えていたこと以上に法則や真理が存在するものだ。その人生と世の中の真理をこの本でやっとある程度掴めた様な気がする。私自身はまだこの本を読んでいる途中だが、この本とあわせて「怒らないこと」と、「心は病気」というう本を読んだほうがいいように思っている。この二つの本は仏教的な立場からの対処法を教えてくれている。しかし人は悟ってないからこの世に生まれてきてるのだから、克服するのはなかなか難しいものだ。「人は皆生まれながらに悪を背負っている。でなければ生まれてこないのだから」だっけ?いったいこの映画『ブルー・ベルベット』のようなおぞましい世の中をどうやって生きていったらたくましい人になれるのか、この本の後半に期待したい。大方の本は問題だけ提示してたいした解決法を提示できない場合がおおいように思うので。
2007.01.21
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フランス映画でピアニストとくれば殺人とか思い出すが、これは殺人がないまでも立派なフィルムノワールだ。しかし、もっと現代的にもっとリアルに描かれている。しかもテーマが違う。この映画の冒頭にある男?(この男が誰であるかはまったく分からないし、映画の常識を踏まえないで二度と出てこない)が主人公に告白するように、重い重いテーマである「老い」について描かれている。「老い」とは失望なのか?もちろん青春映画といって差し支えないのだが、30になったばかりの主人公にしてもピアニストになるというかつての夢を忘れ切らずに再度挑戦する、そして・・・もう若くはないのに夢を追うという映画だ。もう夢は夢で俺たちを置きざりにしていってしまっているのだ。もう夢を追う事はできない。それが老いの始まりだ。年老いた親の面倒を見て初めて自分が老いていくことを知る。そして夢もなくなってしまう!この映画は、リアルには描かれているが誰にでも起こりうる現実を、象徴的にシンプルに提示している。誰もが社会に放り出されてから感じる屈辱感、仕事仲間たちとの違和感、価値観の崩壊、利用ばかりされる者の孤独、知性も金も豊かな人間への憧れと反感。そう「タクシー・ドライバー」にあったあの感覚が蘇る。しかし彼は、銃によってそこから脱出しようとしたのではない。彼は自分の好きな唯一の物「ピアノ」で社会に銃口を向けようとしたのだ。これほどの衝撃的事実を(他の映画の)他の誰も言わなかった。この映画を観終わって、体が震える思いがした。かっこいい俳優も出ていない、知っている役者もいない。殺人も起きない。事故も起きない。事件も持ち上がらない。。。現実のパリにロケーションした安上がりな作品だ。しかし、心あるものはしっかりとこの映画を観たほうがいい。ここには若者の挫折と、現実がある。さあ、これを見終わった後に君はどうする?さあ立ち上がって挑戦するんだ。失敗したとしても。
2007.01.13
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