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MoMo太郎が調べたラジオ体操発祥の地紹介します。第2回は文京区の大塚公園です。(大塚公園については、2020年09月22日~2020年09月24日のブログ記事で紹介していますので、大塚公園にはそちらで紹介していますので、参考にして下さい。)こちらが、北側にある入口です。石柱に文京区大塚公園と刻まれていますが、ひよっとして豊島区にかかっているかもしれませんね。この地図の赤い線が区の境界線です。地図の北側(上側)は豊島区、南側(下側)が文京区です。ちなみに大塚公園の北側にある山手線の大塚駅は豊島区にあります。公園の中には、大塚子育地蔵尊の石仏が数体ありますが、大塚の町内に置かれていた石仏を集めてここに移設したそうです。春日通りに面した入り口広場です。は、石張り路面と奥の藤棚、そして中央の銅像が西洋風というかモダンな雰囲気ですね。この銅像「EVE」(イヴ)と言う名前です。やっぱり旧約聖書に出でくる女性に因んでいるのでしょうか。こちらはテラスになっていて、ヨーロッパ調のデザインですね。園内には、洋風のものはかりではなく、神社も鎮座しています。「住好(すみよし)稲荷社」という名前です。戸時代に松平家の下屋敷(当地は桑名藩の抱屋敷)にあった邸内社であったのが、明治43年(1910)に、町の人によって復興した稲荷神社だそうです。多分、この台の上にラジオ体操の指導者が立って、広場に集まった人たちがラジオ体操をするんでしょうね。ラジオ体操発祥之地を示す銅像です。でもラジオ体操にこんなポーズするところあったんですかね?(→→→こちら)台座に刻まれた碑文です。文京区ラジオ体操発祥の地文京区のラジオ体操は,昭和4年1月13日,大塚仲町(現大塚4丁目42番)の 本伝寺 境内に 町内有史が集まったのを始まりとする。その後,隣接各町会の有志が合流し,3月27日,会場を当地に移し, 大塚公園ラジオ体操会と称した。ラジオ体操60年にあたり,これを記念する。平成元年3月27日 文京区教育委員会ラジオ体操会の立て看板です。「会員募集」ってありますが、勝手に集まってラジオから流れる音楽に合わせて体操するだけではなく、会員にならないと参加できないかも。そして会費とか徴収されるんですかね。公園なので、会場借り上げ費用は発生しないかもしれませんが、ラジオ放送を聞くためのスピーカーなどの備品にかかる費用は必要でしょう。さらにNPO法人全国ラジオ体操連盟(→→→こちら)という団体があって、ラジオ体操・みんなの体操(以下「ラジオ体操等」という。)の健全な普及発達を図り、国民の健康の維持増進、明朗な精神の育成、地域の発展等に寄与することを目的としているのですが、まあ、ラジオ体操の家元(?)なんですかね。家元ですから、会員になるための入会金や会費当然のこと。NPO法人全国ラジオ体操連盟公認指導者資格認定試験というのがあって、その資格取得のための費用が必要になりますね。そのほかにも、ラジオ体操のテキストや伴奏のCD、指導者用ユニフォームなどの販売も行っています。家元も暴力団も構成員から上納金を集めるというシステムは変わりないですね。【つづく】人気ブログランキングラジオ体操発祥の地めぐり(その2) 大塚公園
2021年07月22日
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MoMo太郎が調べたラジオ体操発祥の地を紹介します。第1回は足立区の千住本氷川神社です。(この内容は2021年4月20日で紹介したブログ記事の再構成になります。)こちらが、千住本氷川神社です。こちらが拝殿。氷川神社のご祭神は天照大神の弟神で八頭蛇退治で知られているように智・仁・勇の御徳を具えられた神様の素盞鳴尊(すさのおのみこと)です。こちらの神社には千寿七福神の大黒天がまつられています。千寿七福神は平成5年(1993)に地域の活性化のために、地元の商店街などによって設定されたそうです。こちらが、足立区の有形文化財(建造物)に登録された旧社殿。足立区教育委員会設置の掲示板では、以下のとおり記されていました。千住本氷川神社は、徳治2年(1307)に千葉氏によって、牛田に千葉山西光院と共に、氷川神社として創建されたという。千住が宿場町として栄え始めた江戸時代の初期、現在地に地主の土地奉納によって分社が建てられた。その後、明治43年(1910)荒川放水路建設のため、牛田氷川神社を合祀し、さらに昭和45年に社殿を新築したため、旧社殿は末社として保存されている。旧社殿向拝は、千鳥破風、その前面が唐破風となり、二重の破風を形成し、頭貫や虹梁の部分には、龍や鳥類の彫刻が目立っている。本殿は方一間余りの木造で、切妻造りの平入り形式をなし、屋根は箱棟こけらぶきで、勾配が美しい曲線を呈している。軒回りは二重橑となり、組物も巧緻で処々に彫刻が施され、趣きのある社殿である。こちらが、ラジオ体操発祥之地の石碑です。揮毫は、衆議院議員だった故鯨岡兵輔(→→→こちら)。福島県四倉町(現 いわき市)の出身ですが、4歳の時に東京都足立区千住に転居し、足立区議会議員、東京都議会議員を経て1963年に衆議院議員に初当選。2000年6月に政界を引退した方です。選挙区が足立区、葛飾区、江戸川区だった縁で、揮毫されたのですね。昭和27年に、当時の千寿第一小学校(現千寿本町小学校)の夏季休暇中のラジオ体操の場として境内を貸したのが始まりだそうです。昭和30年頃からは年中無休の行事となったそうです。【つづく】人気ブログランキングラジオ体操発祥の地めぐり(その1) 千住本氷川神社
2021年07月21日
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都営地下鉄の終着駅を見に行くシリーズ、最後となります第三回目は浅草線の西馬込駅です。 浅草線は泉岳寺経由で京浜急行へ乗り入れるのが主役みたいで、西馬込と泉岳寺だけを折り返し運転する列車が運行されています。 ちなみに、西馬込駅は相対式のホームになっていて、どちらからも泉岳寺方面行が発車するので、次の発車はどちらのホームからなるのかを確認しておく必要があります。 この先は浅草線の車両基地である馬込車両工場につながっています。また多摩川を越え川崎まで延伸してもよさそうですが、計画は立ち消えになっているようですね。 南口の改札から地上に出てみました。 駅前は大きな道路が走っていて、スーパーなどの商業施設も並んでいました。 この道は、第二京浜道路と呼ばれている国道1号線です。近くには池上本門寺などの名所もあり、住んでみてもいい街でした。 【了】 人気ブログランキング 都営地下鉄の終着駅(その3) 西馬込
2021年07月04日
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都営地下鉄の終着駅を見に行くシリーズ第二回目は大江戸線の光が丘駅です。 線路は続いているように思えますが、折り返し点となっているようです。また、この先は大江戸線の高松車庫につながっているそうです。 大江戸線の改札口には大抵、壁画のようなものが描かれていますね。こちらは青が基調で明るく若々しい印象ですね。 こちらから地上に上がりました。 光が丘駅は光が丘団地(→→→こちら)と呼ばれる大規模団地の中心部にあります。光が丘団地の都営・公団住宅への入居が始まったのが昭和58年(1983)から、この大江戸線(開業した頃は都営地下鉄12号線と呼ばれていました)の光が丘駅が開業したのは平成3年(1991)ですから、開業までの8年間、この団地は鉄道がない陸の孤島(?)だったのかも。 また、近くに光が丘公園が広がっています。 また、周辺には大きなショッピングセンターもあり、 いつもはビルの地下や2階の店舗が多いサラリーマンの食事処、大戸屋さんも路面店でファミレスの佇まいですね。 光が丘、なんかいい雰囲気の街のような気がしました。 【つづく】 人気ブログランキング 都営地下鉄の終着駅(その2) 光が丘
2021年07月03日
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都営地下鉄の終着駅に行ってみました。終着駅といっても新宿線の新宿はそのまま京王線につながっているし、本八幡は確かに終点ですが、JR総武線との接続駅になっているし、また京成八幡にもつながっているので、行き止まりの終着駅感がありません。同様に乗り入れのある浅草線の押上はそのまま京成線につながっているし、三田線の目黒も東急と乗り入れているので、終着駅という感じがしないので、今回は、西高島平(三田線)、光が丘(大江戸線)、そして西馬込(浅草線)の3駅に行ってみました。まず、三田線の終着駅、西高島平駅です。この先のレールは車止めがあり行き止まりです。確かに、地下鉄の終着駅ですね。さて、駅の改札口の様子です。構内は広いのですが、閑散とした雰囲気。構内にある売店だと思われますが、シャッターが閉まったままでもう営業していないのかも。高島平新聞という無料で配布される新聞が、置かれていました。駅の南側、高島通り側の様子です。駅前に住宅街や商店街があるわけでもないようです。近くの高島通りと国道17号線新大宮バイパスの交差点を渡る陸橋にあつた近隣の施設への道順を紹介する看板です。なんとなく公共施設はあるようです。こちらは、車止めのある高架の部分を外側から撮影したものです。高架橋が途切れた形になっています。三田線の高架の先を横切るように、国道17号線の新大宮バイパスが通っています。上の高架橋は首都高速5号池袋線です。三田線の高架橋を延ばすには首都高速と大宮バイパスの上下の隙間を抜けないといけないので、工事は難しそうですね。駅の北側です。左手は板橋トラックターミナルや東京都中央卸売市場板橋市場が広がるエリアとなっています。ただこれだけ自転車が置かれているということは、地下鉄に乗るために自転車で駅までやって来る人が相当いるようですね。西高島平、東京都心部の北のはずれという感じがしますね。また、三田線を延伸することも難しそうです。そんなことを思いながら、西高島平から三田線に乗って帰りました。三田線の車両の優先座席って、クロスシートになっているのですね。地下鉄にしては珍しいなと思いました。【つづく】人気ブログランキング都営地下鉄の終着駅(その1) 西高島平
2021年07月02日
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菊屋橋公園にある柄井川柳碑から歩いて5分くらいのところある三筋2丁目交差点のある茶色い石碑 「川柳発祥の地」の石碑だそうです。 文字は読み取りにくかったのですが、碑文にはこう記されていました。 宝暦7年(1757)8月25日、当地(旧浅草新堀端天台宗龍宝寺門前)里正柄井八右衛門、無名庵川柳と号し、初めて万句合を開巻す。爾来文運旺んに、遂には文芸の名をもって呼ばれ、今日至る川柳隆盛の礎を開く。本年その250年に当たって、後学相語り、一碑を建てて開祖の遺業を顕彰し、永く歴史に留めん祈念するものなり 平成19年(2007)8月25日 川柳250年実行委員会また、石碑の背面には、この石碑の建立に尽力した方の名前が記されていました。こちらは白い文字がはっきりと読み取れました。 【追伸その1 尾身先生らの提言】 五輪「無観客が望ましい」尾身氏ら提言、感染状況問わず(→→→こちら)政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長らは18日、東京五輪・パラリンピックの開催に伴う新型コロナの感染拡大リスクに関する提言を公表した。皆さんはどう思うかわかりませんが、これって職場で新規のプロジェクトなんかを始めようとする時に、消極的な態度というか、プロジェクトの欠点をチクチクと言って、反対かなと思わせてといて、部長や役員の上の人がやりましょうと言うと、賛成はしてくれるけど・・・。 そのプロジェクトが失敗した時は、「あの時、問題点を指摘していたのに真剣にMoMo太郎が対応しなかったから、プロジェクトは潰れたんだよ」と言い。成功した時は「あの時、問題点を指摘しておいたので、それを踏まえてMoMo太郎が取り組んだので成功したんだよ。感謝してもらいたいな」と言うような人のやり口に似ていませんかね。 そもそも尾身先生、立派な先生で感染症対策の専門家なのかもしれませんが、今までやってきたことといえば、人流を抑えるために、飲食を控えろとか、旅行するなとか、人の行動変容についてしか提言してこなかったのては。まあ、これは間違っていないけど。 新型コロナウイルスというどんな暴れ方をするのかもわからない、しかもそのうえ変異して感染力をパワーアップしてくる未知の敵に対して、もっと積極的に戦う方法について。 例えば、積極的なPCR検査、抗原検査そして抗体検査による感染者の発見や疫学的な調査分析、ワクチン接種への医療関係者の積極的協力体制、新型コロナウイルス感染者急増に備えた医療体制の運用(これこそリスク管理ですよね尾身先生) 専門家の尾身先生や脇田先生はどのように指揮をしてきたのでしょうか。 そういう実績のない人の意見ですから、自己保身のために上手く立ち回っているだけのように感じるのはMoMo太郎だけでしょうか。 【追伸その2 職員食堂委託業者の決定方法】 6月17日のブログ記事「孤独のグルメ 台東区役所でランチ」において、職員食堂の委託業者の決定方法について、「入札で決めるのては」というコメントをいただきましたが、実際、どのように決めるのか少し考えてみました。 まず入札とは、「売買・請負(うけおい)で、一番有利な条件を申し出た者と契約するという定めに応じて、その金額・条件をそれぞれが書いて差し出すこと。」という意味ですから。 職員食堂の事業者を募集する場合。役所側で、条件を明示する必要がありますね。例えば、メニューは洋食、和食、麺類の3種類で、営業時間は〇時~〇時まで、会議などで出すお弁当やコーヒーは一人前〇〇円程度、など、そして役所が予定価格があって、それ以下の価格で入札した事業者に決定されるということになります。 役所で使用するコピー機の購入や発注する道路工事などでは、この価格競争の入札でいいのかもしれません。また、食堂の経営そのものを役所が行い、調理人や給仕する人を雇うだけの場合は価格競争でいいのでしょう。 しかし実際は、食堂の経営は、つまり、食材の仕入れから、調理、会計まで委託事業者が行うのでしょうから、価格競争による入札を行うとすると、役所が所有する調理施設やテーブルや椅子、什器を貸すので、食堂やってみませんかという募集をして、一番高い賃借料を払ってくれる業者と契約するという方法でしょうか。 しかし、社員食堂の運営という立場から考えれば、例えば衛生管理への取り組み、メニューの種類、価格やご飯の量、そして提供価格なども大事ですし、その他にも、例えば高血圧などの生活習慣病予防のために脂質を控えたメニューの提案、場合によってはイスラム教徒の社員向けのハラ-ルへの対応や、ビーガンの人向けの料理も提供できますという業者がいるといいと思うでしょう。 ということで、価格競争による入札ではなく、それぞれの委託事業者の経営姿勢や実績みたいなものを比較して事業者を決めるのではないのでしょうか。 人気ブログランキングへ 川柳ゆかりの地 川柳発祥の地の石碑
2021年06月19日
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上野と浅草の間にある台東区元浅草三丁目の菊屋橋公園です。今は元浅草三丁目と、「ああ浅草の近くなのね」とわかりやすいですが、昔は浅草菊屋橋一丁目・二丁目、その前は浅草栄久町、阿部川町、森下町そして南松山町と細かく分かれてたそうです。菊屋橋はかってこのあたりの中央部を南北に流れていた新堀川に架かる橋の名前で、下谷と浅草を結ぶ、浅草通りの橋でした。この菊屋橋公園にある柳の下に「柄井川柳碑」という石碑があります。柄井川柳(→→→こちら)はこの近くの浅草新堀端に住み,竜宝寺門前町の名主だった人で川柳の始祖になるそうです。まあ、川柳は俳句に似たような五・七・五の定型詩だそうです。俳句には季語があって、川柳には特にないとかの違いがあるそうですが、なんといっても個人の名前が文芸のジャンルの呼称になるというのは珍しいですね。人気ブログランキングへ川柳ゆかりの地 菊屋橋公園にある柄井川柳碑
2021年06月18日
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中央通りの御徒町付近にあるコンビニの前です。今ではコンビニですが、実は明治22年(1988)当時、ここには日本最初の喫茶店ができた場所だそうです。可否茶館は、外務省に勤めていた鄭永慶が開業したお店で、現代の喫茶店の原型になったといわれているそうです。店内には娯楽品や国内外の書籍、化粧室やシャワー室が備えられそうですから、インターネットカフェみたいなところですね。日本で初めて開業した喫茶店「可否茶館」。コーヒーを広めるきっかけになったのでしょうが、当時は蕎麦が八厘から一銭なのに対し、コーヒーは一銭五厘だったという高級品。そんなこともあって、経営そのものはふるわなかったようです。可否茶館は明治25年(1892)に閉店し、鄭は日本を去り、アメリカ合衆国へ密航したといわれています。多額の借金を抱えてしまったのですかね。人気ブログランキング喫茶店発祥の地
2021年05月04日
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4月25日、藤まつりで賑わう亀戸天神です。藤の花ざかりでした。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態にもかかわらず。みなさん、もうコロナ慣れでしょうか。MoMo太郎も、折角来たので、お参りを。でもあいにく小銭の持ち合わせがなかったので、お賽銭は後日にさせていただきました。そのうち、PASMOやPayPayでお賽銭も済ませるようになるのかも。だいたい、落語や時代劇だとこういう神社やお寺の参りにかこつけて、きれいなお姉さんがいるちょっといかがわしい場所、いわゆる「花街」に立ち寄っていく輩がいるものです。勿論、この亀戸にも花街がありました。また花街のことを、お堅くいえば、「三業地」と呼ぶそうで、三業とは、料理屋・待合茶屋・置屋(芸者屋)のことをいうそうです。まあ、昭和32年(1957)に売春防止法が施行されて、そういうおじさんたちが期待することは、もっと別の場所でやられているのでしょうが。で亀戸天神に三業地があった証拠として、こちらの亀戸にある香取神宮の明治通りに面した鳥居の門柱。この門柱を寄進したのが、亀戸三業組合という団体。三業があると監視するために、こちらの社号碑の裏には、亀戸警察署の文字が、しかし、昔の警察とか行政機関は、神社へ寄付してよかったんですね。ということで、藤まつりを見に行くついでに、亀戸天神裏の昔の花街の残像を探してみました。こちらは亀戸天神町会会館となっていますが、むかしは亀戸三業組合事務所で、いわゆる見番で客席に出る芸者の取り次ぎや玉代(ぎょくだい)の計算などの事務を扱った所らしいです。この建物、今は普通の住宅のように見えますが、なんとなく料理屋さんだった風ですね。こちらの建物もそんな感じ。この細い道の先には「天祖神社」があります。ここも閉まっているようですが、料理屋さんですね。その隣は、町会会館がありました。しかし、町会でこういう建物を所有しているということは、町会って会社なんかと同じ法人なんですね。普通の任意団体だと、町会の代表者が所有者になってしまって、相続とか税金の問題がややこしくなりますものね。こちらは古くからありそうな、床屋さん。やっぱり、きれいなお姉さんに会いに行くなら、男性もちょっと髭ぐらい剃って身ぎれいにしたいですよね。【追伸:命を選択することになるのかも】高齢者入院「優先順位下げざるを得ない」 幹部がメール大阪府の医師職のトップである府健康医療部の医療監(次長級)の男性が、保健所宛てに「年齢が高い方は入院の優先順位を下げざるを得ない」と記したメールを送っていたそうです。まあ、その医療監は「DNAR(延命治療を求めない蘇生措置拒否)の方は高齢の方が多く、『年齢が高い方』としてしまった。年齢だけで療養を判断する意図はなかった」として、表現を誤ったと釈明したそうです。しかし、これは実際に患者さんを診ていない人からみれば、案外、本音かもしれないなと勘ぐってしまいますね。勿論、実際に患者さんを目の前にした医師や看護師は、高齢者であれ、若者であれ、外国人であれ、命を差別することはなく、何とか助けたいと思うのが当たり前でしょうが(と、信じたい)。軽症中等症の患者さんを50床、60床と受け入ている国公立の病院で、その中で一割の患者さんが重症化すれば、新型コロナ感染者とそうでない患者さんを一緒に同じICUに入れるわけにもいかないので、重症患者も、軽症中等症の患者さんと一緒に一般病床で人工呼吸器を装着して治療しないといけません。そうなると、他の患者さんを診ている時に人工呼吸器のアラームに対応できないケースも想定されます。そんなところで、公立病院を所管する大阪府の偉い人が重症化のリスクが高い65歳以上の人や基礎疾患のある人は避けたいと思っても当然ですよね。とはいえ今、猛威を奮っている変異株は、基礎疾患のない若年層も重症化する傾向にあるそうですから、外部の私たちが思う以上に医療の現場は大変な状況ではないかと思います。【2月1日~4月30日のアクセス数】2月1日から4月30日のアクセス数です。沢山の方に拙いブログを見ていただきありがとうございました。人気ブログランキング亀戸天神裏に花街の名残りをさがす
2021年05月01日
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イタリア街からJRのガードを抜けるとあるのがこの公園。 汐留地区にあるタワーマンションに挟まれた港区立イタリア公園(→→→こちら)です。 「日本におけるイタリア2001年」を記念し同国から寄贈された公園だそうです。 本格的なイタリア式庭園の外観でイタリア製の彫刻、噴水があるのがいいですね。 こちらは、ミロのヴィーナスですね。 イタリア式庭園の特徴である軸線(ビスタ)の中心にあるのが、この噴水です。 この泉という彫刻の抱えた壺からは水が流れ出ています。 【了】 人気ブログランキング 新橋ブラブラ(その7) タワマン住人はイタリア好き。イタリア公園
2021年03月30日
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山手線に乗って新橋駅をでて浜松町に向かう途中で見かけるこの建物日本中央競馬会の「ウインズ汐留」です。浅草や錦糸町にあるウインズとはちょっと違った雰囲気ですね。この近くの広場は、イタリア街と呼ばれています。確かにイタリアと言われればそうなんでしょうが、イタリアに行った事がないのでよくわかりませんが、デートスポットにはいいかも。【つづく】人気ブログランキング新橋ブラブラ(その6) 汐留にあるイタリア
2021年03月29日
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環二通りとJRが交差する付近にある神社。高層ビルの谷間にある赤い鳥居が大都会にある神社という感じ。住所は港区東新橋二丁目なんですが、社号は「日比谷神社」(→→→こちら)です。正確な創建時期は不明だそうですが、元々は日比谷公園内にあったとされる大塚山(心字池付近)に鎮座し、日比谷稲荷明神旅泊(さば)稲荷明神と称されていたそうです。慶長11年(1606)、江戸城増築に伴う日比谷御門造営によって、氏子と共に芝口に移動し九か町の産土神となり。寛永7年(1630)、芝口御門造営により町名が日比谷町から芝口町に改称されたが、社号は現在に至るまで「日比谷」のまま。さらに、関東大震災の影響で昭和3年(1928)の都市計画区割整理の対象となり、愛宕下町2丁目(現・新橋4-13-9)に換地され遷座し、以降新橋の鎮守として崇敬を集めてきましたが、平成21年(2009)に、環状2号線の建設によって再遷座し、現在地に鎮座したそうです。遷座する以前からあると思われる手水舎には「洗心」とあって、心を込めてお清めください。「日陰町壱丁目有志」と刻まれた石碑がありました。日陰町というのは今の新橋二丁目、三丁目あたりのことで、日当たりの悪いところだったんでしょうか。こちらが社殿となっていて、やっばり新しいですね。扁額も新しいと神々しいですね。【つづく】人気ブログランキング新橋ブラブラ(その5) 新橋にある日比谷神社
2021年03月27日
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JR新橋駅烏森口から左へ進んだ新橋4丁目あたりから、虎の門の新たなランドマーク「虎の門ヒルズ」を結ぶ広い道。「環二通り」(→→→こちら)という名称がついていますが、地上街路部は「新虎通り」と呼ばれています。またその昔「マッカーサー道路」とも呼ばれていました。日比谷通りと交差する新橋四丁目交差点付近から、汐留の方を撮影しました。こちらは虎ノ門方面を撮影しました。道路の真ん中にある高層ビルは「虎ノ門ヒルズ」(→→→こちら)です。また、この道路の中央部にはこのような歩道がある区間があります。この環二通り沿いにあるのが、この和菓子店、「新正堂(しんしょうどう)」さんです。創業は大正元年(1912)、新橋で大正元年に創業したので「新正堂」と名付けられたとか。ここの名物と言えば、あんこの量が多すぎて、皮が閉じていない「切腹最中」(→→→こちら)です。サラリーマンが、ミスを犯したときにお得意様にお詫びのお土産として重宝する和菓子です。どうして切腹最中と言う名前かというと、暖簾に染められた家紋が、浅野内匠頭の家紋「丸に違い鷹の羽」と大石内蔵助の家紋「二つ巴」。そして、新正堂さんの近くには浅野内匠頭が切腹をした田村右京太夫の屋敷跡があります。そういえば、このあたりむかし田村町と呼んでいましたね。ということで、忠臣蔵に因んだネーミングのようです。決して、近くの慈恵医大病院で手術を受ける患者さんへのお見舞いの品としてつけた名前ではありません。【つづく】人気ブログランキング新橋ブラブラ(その4) 環二通りの笑って許して切腹最中
2021年03月26日
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こういう看板を見ると、新橋って18歳未満立ち入り禁止の大人の町だなと思います。本当に女子大生が働いているのかどうかは???。でも、最近は親も経済的に大変で、学業の為にこういうところで働いている苦学生の女子大生が増えているかも。そして、それは日本社会の貧困の一側面とも言えるでしょう。こちらは最近、某食品メーカーのCMでよく見かける広告ですね。【つづく】人気ブログランキング新橋ブラブラ(その3) 新橋の気になる看板
2021年03月25日
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新橋のこんな路地のお店へもちょくちょく通っていたこともありました。そして、この路地を奥に入っていくと、こんな風になっていて、その奥にまた、こんな通路があって、烏森神社(→→→こちら)に出ます。恥ずかしながら、若い頃は物を知らず、烏と鳥の区別もつかなかったので、新橋で飲んだ時、ここに来て「とりのもりじんじゃ」と読んで先輩に笑われたことがあります。折角、素面の時に来たので、お参りしておきましょう。こちらが手水舎です。手水舎のところに黒御影石の銘板があり、烏森神社の縁起が記されています。初穂料がもったいないので、例のごとくご朱印はいただきませんでした。こちらが、烏森神社の正面です。さらに烏森通りから入ってくる、こちらが表参道(?)です。戦後の闇市のレガシーを引きずっているようなこの建物。焼き鳥屋さんで、まだ営業しています。【つづく】人気ブログランキング新橋ブラブラ(その2) 烏森神社と古くからのお店
2021年03月24日
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ここ新橋駅前といえば、テレビニュース番組でサラリーマンやOLへの街頭インタビューなどでよく登場するところですね。この駅前広場には蒸気機関車が静態保存されています。多分、MoMo太郎が子供の頃からここに展示されていた思いますが、子供の頃は、物も余り知らずに蒸気機関車といえばデゴイチと呼ばれるD51形蒸気機関車だとずっと思っていましたが、社会人になって新橋で飲んだりする頃になって、これはC11形蒸気機関車だということに気がつきました。新橋駅といえば、東側の汐留口側にも鉄道関連のモニュメントがあります。「D51形蒸気機関車の動輪」と「鉄道唱歌の碑」があります。こちらがD51形蒸気機関車の動輪です。そして、鉄道唱歌の碑です。碑の中央の銘板には作詞者の大和田建樹直筆の鉄道唱歌第1番の歌詞が刻まれています。「♪汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として」という歌い出しのこの曲を耳にするとね鉄道の旅が始まるワクワク感がありますね。【つづく】人気ブログランキング新橋ブラブラ(その1) 鉄道モニュメント
2021年03月23日
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南桜(なんおう)公園の位置はこちらです。 この公園.の周辺は、江戸時代には多くの大名屋敷があった場所で、幕末には老中の堀田正睦の中屋敷だったそうです。そして、明治10年(1877)に南桜小学校(当時は南桜学校)が開校し、昭和4年(1928)に関東大震災の帝都震災復興事業により小学校に隣接して公園が開設され、昭和25年(1950)に東京都から港区に移管されました。 そして、南桜小学校は平成3年(1991)に、児童数の急速な減少により、隣接する桜田小学校、鞆絵小学校とともに新設の御成門小学校に統合されました。閉校後も小学校の建物は港区住宅公社(2009年3月解散)や福祉会館などに使われてきていたのですが、平成22年(2010)に校舎跡地が南桜公園となり、公園が拡張されました。 そんな経緯もあって、敷地の中には、小学校にありがちな「みんな手をつないで」というテーマのモニュメントや、 創立80周年を記念した板碑とか、 むかしの小学校の必須アイテム、二宮尊徳像などが残されていました。 その他にも、防災拠点としても目的もあるのか、非常時には「かまど」になるベンチや 手押しポンプの井戸もありました。 人気ブログランキング 南桜公園について
2021年03月11日
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湯島天神にお参りする時は、その他にも行くルートは勿論ありますが、上野広小路の松坂屋の前から黒門小学校を通って、この石段を登っていくことをお勧めします。石段があるのは、湯島天神が本郷台地のへりに位置するからだそうです。かなり昔の「ブラタモリ」(→→→こちら)で説明されていました。この石段の名称は「天神石坂」といそうですね。「学問のみち」という幟があって、学問の神様を奉る湯島天神、正式には「湯島天満宮」というそうですが、へお参りするにはピッタリの名前ですね。学問のみち、やはり、石段を登るように一歩一歩進んで行かなくてはいけないのでしょうね。石段を登りきると、「講談高座発祥の地」の石碑がありました。講談の「高座」発祥の地とされる湯島天神境内に、講談師で人間国宝の一龍齋貞水さんがその由来を示す記念碑を建立したそうです。この湯島天神は、雄略天皇2年1月(458年)、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられているそうです。そして、南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀したことから、湯島天満宮として崇敬を集めています。ちなみに、天之手力雄命という神様は、天照大神が天岩戸に隠れた時に、その岩戸を引き開けたという力持ちの神様ですから、湯島天神にお参りすると文武両道のご利益があるかもしれませんね。人気ブログランキング学問のみち
2021年02月12日
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町を歩いていたら見かけた貼り紙です。喫茶店の閉店のお知らせでした。地元の人の話だと、この喫茶店は昭和11年(1936)5月5日創業だったそうです。閉店の理由はわかりませんが、経営者の人の高齢化でしょうか。人気ブログランキング閉店のお知らせ
2021年01月28日
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錦糸町で見かけたこの居酒屋さん(→→→こちら)お店のシステムとしては男性がお金を支払い(550~650円/10分)、女性は無料で見知らぬの者同志が相席して、まあ出会いを求めるということらしいです。ところで、うちの姉さんにみたいに還暦を過ぎた女性にも無料は適用されるのでしょうか。姉さん結構お酒好きです。そして、女子大生だった頃、志賀高原にスキーに行ったとき、ナンパされたことがあると、いつも自慢しています。人気ブログランキング年齢も無制限かな
2020年12月30日
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古くは日本の本州を指して秋津島(あきつしま)と呼んでいたそうですが、秋津(アキツ、アキヅ)とは、古い日本語の「トンボ」の呼び名だったそうです。日本神話においては、神武天皇が国土を一望してトンボのようだと言ったことが、その由来だそうです。ところで、トンボの飛び方って器用だと思いませんか、長い2対の翅をそれぞれ交互にはばたかせて飛ぶのですが、まっすぐ飛んでいるかと思えば突然、上下左右に向きを変えたり、そのまましばらく空中に静止したり、さらには、バックしたり、宙返りをしたりすることもできるそうです。こういう乗り物を発明すると自由に空が飛べていいですね。トンボの飛び方→→→こちら人気ブログランキングトンボ
2020年10月16日
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京葉道路沿いの駐車場で見かけた自動販売機。テレビで話題になっているとは知らなかった。確かに、売っているのは「だし」でした。「あごだし」は800円。高いのか安いのか、よくわかりませんが。ちなみに「あご」とは「トビウオ」のことだそうです。ペットボトルの中に魚が入っていますね。こちらはTKG(卵かけごはん)に合うそうです。すっぽんスープは1,000円とちょっと高いですね。しかし、こういう自動販売機、結構他にもあるのかな。人気ブログランキングだしの自動販売機
2020年07月11日
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錦糸町に最近オープンした店です(→→→こちら)。錦糸町にしては、キレイな店構え。前を通って気になった提灯の文字「原始焼き」。どんな調理方法?人気ブログランキング原始焼き?
2020年07月10日
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秋葉原には、よく行く方ですが、初めて見つけました。おでん缶の自動販売機。テレビの報道番組やバラエティ番組で「秋葉原の知られざる名物」として取り上けられているのは知っていましたが、どこにあるのか気にもとめていなかったのですが、秋葉原ジャンク通りと呼ばれるパソコンの部品なんかを扱っている店の多い通りで、偶然、お兄さんがこの自動販売機で買っていたのを見て気がつきました。清涼飲料などもありますが、ほとんどが「おでん缶」です。一缶、320円でした。話のタネに今度買ってみてもいいかな。人気ブログランキングおでん缶の自動販売機
2020年06月17日
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兵庫県西宮市にある謎のトンネルです。これは「マンボウ(→→→こちら)」と呼ばれる歩行者用のトンネルで歩行者専用の小さなトンネルです。「マンボウ」の名前の由来は、坑道、炭坑の穴などを意味する日本語の「間府(まぶ)」が語源という説が有力らしいです(→→→こちら)。もともとはこのあたりは水田で、そのために作られた用水路を、水田が宅地に変わったので、人が鉄道の下を行き来できるようにしたものなんでしょうね。人気ブログランキングへ神戸・大阪へ行ってきました2020(番外編)謎のトンネル
2020年02月21日
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道の駅、駐車場と直売所があるくらいのものだと思っていたら、最近はすごく進化していますね。茨城県筑西市の国道50号線沿いにあるこの道の駅、隣にはいちご狩りのできる農園がありました。道の駅で遊べますね。バス停も設置されています。車がなくてもバスで来ることもできますね。こちらが道の駅の建物です。施設の配置図です。こちらは道の駅の総合案内所。健康計測機器メーカーのタニタが監修する健康スペースもあります。レンタルサイクルも置いてました。こちらは道の駅の裏側になります。展望デッキがあって見晴らしがいいです。展望デッキからの眺め。この広場も道の駅の施設です。遊具もあって子供も楽しく遊べますね。ということで、道の駅もちょっとしたレジャーランドになっています。グランテラス筑西の場所はこちらです。人気ブログランキング道の駅は進化する
2020年02月11日
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神田川にかかる「お茶の水橋」、現在補修工事が進められています。橋の路盤強化工事でアスファルトをはがしたところ、明治時代から太平洋戦争中まで走っていた都電の遺構が見つかったそうです。線路と敷石がちゃんと残っていますね。多分、まだ工事されていない写真の左側にも同様に線路と敷石が残っているのかもしれませんね。この路線は、1904(明治37)年に東京電気鉄道が開業した外濠線がその前身で、御茶ノ水・新常盤橋間がいつからか錦町線(にしきちょうせん)と呼称されるようになったそうです。戦時中の1944(昭和19)年、不要不急路線として休止されそうです。人気ブログランキングへ神田駿河台あたり(付録) お茶の水橋の都電の遺構
2020年02月05日
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駿河台は、東京都千代田区の台地で、秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置するあたりのことをいいますが、その周辺も含めてぶらりとしました。かえで通りにあった、ちょっと壁面に凝った装飾がある建物。池坊東京会館(→→→こちら)です。池坊といえば、華道の家元ですね。つまり、東京やその周辺の人でいけばなを学びたい人はここに集まるのでしょうか。この壁面の装飾、「いけばな」に関係しているのでしょうか? こちらは千代田区のコミュティサイクル「ちょくる」(→→→こちら)です。いわゆる自転車シェアリングサービスの自転車です。これからは、こういうサブスクリプションが流行し定着していくのでしょうか。【了】人気ブログランキングへ神田駿河台あたり(その10) 池坊東京会館
2020年02月04日
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駿河台は、東京都千代田区の台地で、秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置するあたりのことをいいますが、その周辺も含めてぶらりとしました。水道橋駅から御茶ノ水駅に向かって、JR中央線沿いの皀角(さいかち)坂(→→→こちら)を登り、かえで通りに入ると、この建物があります。一般財団法人石川武美記念図書館(→→→こちら)です。この図書館は、図書館法(最終改正:平成23年12月14日法律第122号)第二条2項に定める「私立図書館」ということで、この法人は、2021年に財団設立80周年を迎えるそうです。で石川武美(いしかわ・たけよし)(→→→こちら)とは、主婦の友社を創業し、日本の出版界において多くの業績を残した実業家・編集者です。雑誌『主婦之友』とは、付録に初めて「家計簿」を付けた婦人の方向けの雑誌でした。MoMo太郎の家にもあったことを覚えていますが、いつの間にか廃刊になってしまいましたね。その石川武美記念図書館の隣にあるこの立派なビル。看板には、公立学校共済組合(→→→こちら)とありました。公立学校共済組合は公立学校職員のための共済組合で、神戸市須磨区の市立東須磨小学校で20代の若い教員をいじめていた4人の教員の方々(→→→こちら)も組合員だったりして。ちなみに、組合員の健康管理のため病院も持っているそうで、福岡市南区にある「九州中央病院」(→→→こちら)なども経営しているそうです。【つづく】人気ブログランキングへ神田駿河台あたり(その9) 石川武美記念図書館と公立学校共済組合
2020年02月02日
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駿河台は、東京都千代田区の台地で、秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置するあたりのことをいいますが、その周辺も含めてぶらりとしました。日本眼科学会に用はありませんが、とちの木通りにあるこのビルの横に、「女坂」と呼ばれる坂があります。駿河台一丁目七番地の端から猿楽町に下る坂道は一直線の急坂で「男坂」と呼ばれていますが、それに比べると、こちらは中途で中やすみするようになっているので、「女坂」と呼ばれているそうです。女坂を下って行きます。上から見ると、確かに中休みできる踊り場はありますが、結構、急な坂道です。下から見ても、急な階段ですね。坂道を降りると、ちょっと古いビル。卓球場のようでした。卓球といえば、平野美宇さん、髪の毛茶髪にして、ちょっと大人な雰囲気になって、いいですね。ファンです。こちらのシブイ建物は神田教会(→→→こちら)です。【つづく】【付録】 2019年11月1日~2020年1月31日のアクセスレポートです。毎日2,000前後の訪問をいただいています。本ブログをご覧いただきありがとうございます。これからもよろしくお願いします。人気ブログランキングへ神田駿河台あたり(その8) 女坂
2020年02月01日
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駿河台は、東京都千代田区の台地で、秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置するあたりのことをいいますが、その周辺も含めてぶらりとしました。 とちの木通りを歩くとこんな銘板がありました。文化学院(→→→こちら)創立の地だそうです。2014年に文化学院は両国に移りましたが、2018年4月1日には、学校法人文化学院は、学校法人了德寺学園と合併して閉校となりました。ということで、今はBS11(→→→こちら)になっています。BS11は、 既存テレビ局の関わらない無料BS放送局ですね。むかしの文化学院の雰囲気はそのままのこしているのでしょうね。さらにとちの木通りを進むと、この建物があります。アテネ・フランセ(→→→こちら)です。フランス語で有名な語学学校です。【つづく】人気ブログランキングへ神田駿河台あたり(その7) アテネフランセ
2020年01月31日
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駿河台は、東京都千代田区の台地で、秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置するあたりのことをいいますが、その周辺も含めてぶらりとしました。 明治大学リバティタワーの横にこんな看板が、ということで、この緩やかな坂道を登ってきました。明治大学の敷地内にはこんな石碑が。これが「山の上ホテル」(→→→こちら)です。なかなか歴史のあるホテルのようですね。このホテルから暫く歩くと、こんな立派な建物があります。なんかお金のありそうな団体の建物でした。そして、この雰囲気のある道を歩いてみました。「とちの木通り」(→→→こちら)という通りです。ということは、道の両側に植えられているはとちの木ということですね。【つづく】人気ブログランキングへ神田駿河台あたり(その6) 山の上ホテルからとちの木通りを歩く
2020年01月30日
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駿河台は、東京都千代田区の台地で、秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置するあたりのことをいいますが、その周辺も含めてぶらりとしました。 日本大学病院の隣にあるYWCA(The Young Women's Christian Association )です。東京YWCA(→→→こちら)は、キリスト教の基盤に立ち、青少年と女性にフォーカスし、人権・健康・環境が守られる平和な世界を実現することを目的に、世界の仲間とともに活動していまるそうですが、貸しビル業みたいなこともやっているのでしょうか。こちらは、駿河台の下、神田猿楽町にあるYMCA(Young Men's Christian Association)の建物です。YMCA東京日本語学校(→→→こちら)です。こちらの学校は在日本韓国YMCAが運営する日本語学校だそうです。学校の前にある自動販売機では、外国人らしい人がドリンクを買っていました。まあ、YMCAと聞くとこの曲を思い出すのですが、【つづく】人気ブログランキングへ神田駿河台あたり(その5) YWCAとYMCA
2020年01月29日
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駿河台は、東京都千代田区の台地で、秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置するあたりのことをいいますが、その周辺も含めてぶらりとしました。 明治大学や日本大学など有名大学のある駿河台、それらの大学へ入学する準備をするための学校も駿河台にはあります。これは昔から名前をよく聞く予備校ですね。特定の大学向けの専門のコースもあるみたいです。やっぱり、この大学へは特別な勉強が必要なのかも。【つづく】人気ブログランキングへ神田駿河台あたり(その4) 予備校
2020年01月28日
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駿河台(するがだい)は、東京都千代田区の台地で、秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置するあたりのことをいいますが、その周辺も含めてぶらりとしました。 駿河台は学生街。駿河台には明治大学、日本大学があり、神田川を挟んだ対岸の文京区側には東京医科歯科大学や順天堂大学があります。まず、明大通りで目立つこの建物。これが玄関のようです。明治大学のリバティタワー、正式名称は「明治大学創立120周年記念館」なのでしょうか。明治大学のロゴですかね。その明治大学の向かい側にある建物。この建物は日本大学です。日本大学の窓ガラスには明治大学のリバティタワーが映っていました。その隣の建物です。こちらは日本大学病院です。診療科目も多いですね。さらに、日本大学、大きい大学だけに同じ駿河台にまた別校舎も構えているんですね。明治大学も日本大学も、この駿河台だけではなく、あっちこっちにキャンパスを持っていますから、受験する時は場所をちゃんと確認しておかないといけませんね。【つづく】人気ブログランキングへ神田駿河台あたり(その3) 明治大学と日本大学
2020年01月27日
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駿河台(するがだい)は、東京都千代田区の台地で、秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置するあたりのことをいいますが、その周辺も含めてぶらりとしました。 明大通りにあるこのお店。「エチオピア」というアフリカにある国名のお店だけど、インド風カレーライスが有名で、あっちこっちに支店も出しているようです。下の自家焙煎珈琲の方がエチオピアらしいけど、面白いですね。この店で、MoMo太郎も何度かカレーライス食べましたが、美味しかったですよ。そしてコーヒーは頼んだことがありません。駿河台下交差点にあったこの広告。銀行口座から掛け金が自動的に引かれるっていう仕組みなんでしょうか。なんか怖いですね。やっぱり、競艇とか競輪っていうのは、現金持って、競艇場や競輪場に出かけて、そこで帰りの電車賃くらいは残る程度に負けて帰って来るというのがいいのでは。【つづく】人気ブログランキングへ神田駿河台あたり(その2) インドカレーのエチオピア
2020年01月26日
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駿河台(するがだい)は、東京都千代田区の台地で、秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置するあたりのことをいいますが、その周辺も含めてぶらりとしました。 JRの御茶ノ水駅を降りて明大通りを歩くと楽器店が多く目につきます。 このクロサワ楽器は、結構ギターなんかの品揃えが豊富ですね。 明大通りを駿河台下の交差点まで下って行くとある三省堂書店。ここも専門書など品揃えが豊富ですね。 Victria、スポーツ用品をお求めなら取りあえずこの店に行きます。 駿河台下交差点から靖国通りを小川町の交差点まで行くとあるのが、この和菓子屋さん。 小川町交差点の近くの本郷通り沿いにあるこの看板のお店。 顔のYシャツ、オーダーでワイシャツを作ってくれるお店だそうで、北朝鮮の偉大なリーダー、金日成のワイシャツをオーダーしたという話があるそうです。 【つづく】 人気ブログランキングへ 神田駿河台あたり(その1) 名店めぐり
2020年01月25日
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総武線で秋葉原駅から浅草橋へ向かってのすぐに見える首都高速1号上野線です。 この路線で渋滞しているのを見たことが、まだありません。まあタイミングもあるのかもしれませんが。 人気ブログランキングへ 首都高速1号上野線
2019年12月29日
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日本経済の中心地、大手町にあるビルです。立派ですね。摩天楼(skyscraper)というのでしょうか。"skyscraper”、まさに"sky(空)" という語と "scraper(こするモノ)" という語を組み合わせから「空をこするほどに高い建物」。「摩天楼」の「摩」という漢字には「こする」という意味がありますから、「摩天楼」の「摩」が "skyscraper" の "scraper" に対応し、「天」が "sky" というわけですかね。人気ブログランキングへ摩天楼
2019年08月09日
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大手町で見かけたこのベンチ。ベンチの両側に座っている銅像は、漫才師の中川家がモデルとなっているようです。モデルになるのに肖像権とか、ちゃんと事務所の許可をとっているのでしょうか?とっていないと闇営業になるかも???まして、丸ノ内で働く反社会勢力の方が、このベンチに座って記念撮影でもしたら大変なことになるかも。人気ブログランキングこれは闇営業?
2019年08月03日
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街でこういう看板を見かけました。ところで、何歳くらいから熟女になるのでしょう。この店の経営者に意見を伺ってみたいものです。人気ブログランキングへ熟女は何歳から?
2019年08月02日
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最近、よく見かけるタクシーですね。トヨタが開発した”JPN TAXI”(ジャパンタクシー)というそうです。残念ながら、まだ乗ったことはありませんが、早く乗ってみたいです。でも、今まで使われていたセダンタイプのタクシー車両から、いずれみんなこんな車になっていくのでしょうかね。人気ブログランキングへ最近、気になっているタクシー
2019年06月30日
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平安時代、朝廷に反逆し下総で討死した平将門の首が京の都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされたそうで、そのうちの一カ所が、ここ大手町のビル街の真ん中にあります。こちらが将門塚の入り口です。丁度、神田祭の前だったので、神田祭の看板も置かれていました。伝承地としては長い歴史をもつものの、史実としては、実際に平将門の首が埋葬されたとは到底考えられない遺跡ですから、「史跡」の要件を満たすことは難しい一方、記念物ではあり、歴史の正しい理解のために必要な遺構として文化財(都旧跡)に昭和46年3月29日付をもって指定されたそうです。この石碑は、史蹟将門塚保存会(→→→こちら)によるものです。これは近隣の企業が参加して維持管理を行っている団体だそうです。 こちらが、首塚で参拝され人が絶えないようです。こちらが将門塚と将門鎮魂碑だそうです。首塚はケースで保護されています。平将門の怨念がすざまじく、その怨念を鎮めるためにこの首塚は大切にされているのでしょう。その怨念にまつわる噂話のひとつに、昭和の高度成長時代、首塚の一部が売却され、その地に建った日本長期信用銀行の首塚に面した行員が次々に病気になる事態が発生し、お祓いしたという話があるそうです。人気ブログランキング平将門の首塚(将門塚)
2019年06月28日
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「親友が刑務所に」、でも女性の方は笑顔ですが、心配していないのですかね。友情というのも頼りないものですね。こちらの方は、同僚が刑務所に入ったそうです。業務上横領でしょうか? それとも交番の警察官から拳銃を奪ったのか?いえ、これは地下鉄の駅に貼られていた、刑務官募集のポスターでした。刑務官、大切な仕事ですし、それになにより国家公務員、安定していますよね。人気ブログランキング親友が刑務所に入りました。
2019年06月19日
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浅草橋界隈で見つけたもの、こんな名前のホテルがありました。これがホテルの近くまで行って撮影した建物です。建物は普通みたいでしたが。やっぱり、「変なホテル」と看板もありました。宿泊してみると、とんなホテルかわかるかも。最後は、浅草橋にあった「ミニストップ」ど白桃のソフトクリームを食べて帰りました。美味しかったです。【了】人気ブログランキング浅草橋界隈で見つけました(その5)
2019年05月10日
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馬喰町の方まで足を延ばしてみました。現在の馬喰町、江戸時代のように馬市(いち)が立ち、馬喰(博労(ばくろう))=家畜商や馬薬師(うまくすし)(馬医)=獣医さんがいるわけではなく、洋品雑貨から繊維製品卸売業者の集中する問屋街になっています。というわけで、こんな注意書のあるお店もありました。問屋だけではなく、個人向けのお店もあったのですが、この店は完全閉店するそうですね。再び浅草橋の方へ戻ると、神田川沿いに屋形船のお店がありました。この階段にちょっと変な注意書を発見。台東区では階段を自転車で昇り降りするのでしょうか。【つづく】人気ブログランキング浅草橋界隈で見つけました(その4)
2019年05月09日
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神田祭りも近いので、玄関にしめ縄を飾っているのでしょうか。神田川にかかる橋です。旧町名の由来を紹介している看板です。ということで、この橋は「左衛門橋」です。読み方は「さえもんはし」と橋を濁らないで読むようです。この橋を渡ると、「日本橋馬喰町(ニホンバシバクロウチョウ)」になります。江戸時代、この付近は奥州街道の出発点にあたり、馬市(いち)が立ち、馬喰(博労(ばくろう))や馬薬師(うまくすし)(馬医)が多くいた所であったことが地名の由来だそうです。GUNDAIと書いてありますが、「郡代」という名前の飲食店のようです。【つづく】人気ブログランキング浅草橋界隈で見つけました(その3)
2019年05月08日
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浅草橋駅西口を出ると、目に入ったのがこのお店。「日本焼肉党」牛のお尻が、ちょっとインパクトありました。 80円の自動販売機、激安ですね。ちょっと目立たない石碑を発見。福井松平藩邸跡の記されていました。その藩邸跡に区立福井中学校というのがあったそうですね。【つづく】人気ブログランキング浅草橋界隈で見つけました(その2)
2019年05月07日
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長いと思っていたゴールデンウィークも最終日。MoMo太郎はゴールデンウィーク恒例の我が家の大掃除で、遠出もせずに家で引きこもり状態でした。そんな中で、JR総武線の浅草橋駅界隈で見つけたものを紹介します。こちらは浅草橋駅西口ですが、東口には、浅草橋にお店がある人形店のショーケースが。人形といえば、この甲冑、端午の節句には欠かせませんが、こういうものを飾っているお宅って今もあるんでしょうね。こちらは桃の節句に欠かせないひな飾り。【つづく】人気ブログランキング浅草橋界隈で見つけました(その1)
2019年05月06日
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西鉄気久留米駅前にある予備校です。ここに通えばニュートンみたいな数学者になれるのでしょうか?人気ブログランキングへニュートン予備校
2019年03月19日
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