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力を持てば優位に立てます。権力とか財力とか、暴力とか。これは、相手に対して上位の位置に立てるからです。ですから「ケンカが強い」というのは、それだけで優位です。あるいは「怖い」と置き換えてもかまいません。これは、怖れる気持ちが自分の気持ちを押し隠してしまうわけですね。怖いから、それ以上怖くならずにすむようにしてしまう。相手を怖がらせる事ができる、って言うのは自分を満足させます。優位に立てるから。基本的に「力」というのは、相手を屈服させる時に行使する当人に満足を得させてくれるのです。つまり、「屈服させる」事に対して人間は欲をもつわけです。未熟な集団の人間関係においては、これを味わうためにいろんな事が行われます。そして、満足というのは慣れます。飽きます。さらに強い刺激がほしくなります。5人を屈服させたら、10人。50人。屈服させたい相手は敵として認識します。屈服させた後の気分は独裁者です。もう誰も止められません。だって、止めるものがいないという事が気持ちいいわけですから。麻薬みたいなものです。さて。5歳のガキ大将がいたとします。周囲の中では王様です。誰もかないません。ケンカして負ける事がない。15歳の中学生に、この5歳児がケンカで勝てるか?ここには「力」で得る優位性の限界があります。「力」は「力」に負けるのです。そして「力に負ける力」は、負けるまで自分より強い力が存在することに気が付きません。気が付いても見ようとはしません。当たり前です。自分の存在意義が否定されるからです。そして、力だけで得る優位性には「個の力」以上の力を期待できません。たとえば「軍事力」のみに頼る優位性は、軍事力そのものの能力しか発揮できないのです。軍事力に優位性がなくなれば、その存在意義全てが否定されかねません。ケンカだけが強いガキ大将は、ケンカに負けた時にすべてをなくすのです。自分より強い力が出現したときに、その力はなんの意味ももたなくなるのです。また、自分の持つ「力」で対処できない問題に出くわした時に、まったくの役立たずになるのです。個人の力がどれだけ強くても、銃口を前にしたら基本的にはその力は0です。女性に告白する時に、腕力を見せるより花束を見せた方が強い力を発揮するでしょう。子供たちがまだ幼かった頃、話した事があります。ケンカの強さは、どれだけ強くても限界がある。子供は大人には勝てない。たとえばプロレスラーはすごく強い。でも、銃で撃たれたら多分かなわない。でも、子どもでも持つ事ができる強い力があるのを知っているか?それは「ありがとう」って思ってもらう事ができる「思いやりの心」です。これなら、こどもでも持てる。この強さは、相手を屈服させるような力ではありません。でも、屈服ではなくて「親愛」でいっしょにいてくれるきっかけになる力です。暴力のような「力」で集められる力は、その力がなくなった時にいっしょになくなります。でも、思いやりの心で広がった力は、自分ひとりでは迎えるであろう「限界」を乗り越えてくれる力を持ちます。自分がもってなくてもいい。お互いを思いやる心が力を携えてきてくれます。こどもでも持つ事が出来る力。たとえばそれは、すぐには芽が出たようには見えないかもしれない。でもね。気が付かないうちに広がっているものです。身近な暴力に怖れている時、その暴力の外側には何もないかもしれません。その暴力の壁はとても大きく見えるかもしれない。でも、その向こう側には何もないかもしれないのです。暴力を取り囲む力は、その暴力よりはるかに大きいかもしれないのです。だから、その暴力は人に知られることを嫌がるのです。その力には勝てない事をしっているから。勝てなくなった瞬間に、自分たちの立場が崩れる事を知っているから。さて余談。人類史上最強の力を持った人は誰だと思いますか?私はイエス・キリストだと思います。暴力などまったく使わずに、思いやる心と、受け取る人が「愛」を感じられるという力だけで、現代に続く最強の集団(キリスト教)の礎を作りました。恐怖も力も何も使わず、多くの人々の心という、大きな力をあつめたのですから。暴力もこの力の前には、なんの意味ももちません。だから思いやりの心で生きましょう。この心が、君を支える大きな力に変わっていくんだよ。10年後の事を正確に予想できるか?1年後の事を正確に予想できるか?…できるなら、占いで生計を立てることをおすすめするよ。今のままでずっと進んでいく、というおめでたい考え方ができる方が珍しいのだ。
2006.10.31
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寝ます。いじめ問題について書こうかと思ったけれど、書こうとしてるうちに限界がきてしまいました(汗)これについては書くかどうかは未定です。
2006.10.30
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カードでの支払い、経験のある方の方が多いと思います。便利ですしね。小銭持ち歩いてなくても大丈夫だし、いざという時現金をもってなくても大丈夫だし。支払う時に、レジを打ってる人に聞かれたことあると思います。「お支払いは一括でよろしいでしょうか?」私の同僚。私よりやや年上の女性の社員の何年か前のエピソードです。レジ業務を行っている際に、30代の女性のお客様に向かって・・・ 「『一発』でよろしいでしょうか?(^^)」 その女性のお客様。 レジの横に座り込んで笑い転げたそうな。 もうひとつついでに。 別の従業員の話です。会話の中で、「私、きょにゅうだから~(^^)」と平気でのたまう彼女は、いくら服で分からないからと言って、 決してきょにゅうではない(爆)「なあ、その『きょにゅう』の『きょ』の字ってさあ」「なあに?」「『虚しい』の『虚』?」「やかましいっ」 虚乳・・・それならわかるぞ(笑) 昨日のネタの反動みたいなネタ(汗)
2006.10.29
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世界史履修問題。ま、ガキンチョだからしょうがないか。辛らつなこというようですけど…あ。記事はネットと新聞しか見てませんからね。実際に高校生にインタビューしたわけではありません。うちの1号には聞いてみたけど。ちゃんとやってるらしい。ちゅうか、やる予定らしい。1年生でやる科目ではないらしいですね。そういやそうか。私の時代も2年生か3年生でやったような覚えがあります。さて。当事者の高校生の意見は、やはり「受験への影響」が多いようでした。そりゃそうでしょう。18歳は子どもです。自立なんざ、はるか向こうの遠い話です。自分の人生の責任は、最終的には自分でとらなくてはいけないという事がまだよくわかっていません。その未熟な精神状態にとっては、受験は人生そのものです。落ちたらそれはもう大変な事です。だから「受験のための大事な時期」という事になるのでしょうね。それより大事なことはないんだから。受験に合格することが、高校三年間の目的だったりするのでしょうね。だったらさ。高校行かずに3年間受験勉強に専念してれば、そっちの方がよかったんじゃないか?大検、っていう手もあるし。大学受験資格は高校卒業してなくてもとれるでしょ。あ。そうか。大学受験資格を、試験をうけなくても手に入れられるもんね。高校なら。私、自分の子どもが受験に受かろうが落ちようが、知ったことではありません。そりゃ受かれば「おめでとう」は言うし、うれしいですよ。でも、こどもにははっきりと言ってあります。受験は人生の一部である。一部でしかない。真剣にやるものだが、人生を賭けるものではない。だから自分が行きたいと思う高校があるなら、それに向かって勉強しなさい。自分がやらなくちゃいけない、と思うなら勉強しなさい。だからといって「勉強」を最優先にはしてはやらない。洗い物かたづけろ。夕飯作るのを手伝え。今勉強してる?こっちが先だ。もし高校落ちても、それもひとつの道だ。落ちたのなら自分の力が足りなかっただけって事だ。その時、調子が悪いとかっていうのは理由にならない。調子に関係のない実力をつけていなかった自分が未熟なだけだ。えーと。私の祖父は学校の先生でした。子どもの頃、よく言われたもんです。「テストの前に勉強してるんじゃない。きちんと学んで身につけておけば、テストのための勉強などする必要がない」私は、テストの前の勉強どころか、普段から勉強しませんでしたが(笑)高校受験も大学受験も「受験勉強」というものをやった事がない…それもどうかと思うけど。ちょっとたとえ話としては離れますが…球速130キロの投手が、いきなり150キロを投げるというのは可能でしょうか。がんばったら投げられるかもしれません。しかし、投げ続けることは多分大変だと思います。もし、投げ続けられる力を身につければ、150キロのスピードは彼にとって普通のことになります。学力、ってのはそんなもんでしょ。がんばればなんとか、国立の大学に合格できる学力があるとすれば…公立の高校の入学試験は簡単でしょう。150キロを投げられる投手が、130キロを投げるようなものです。では、たまに150キロを投げられる投手が、常時150キロを要求されればどうなるか。受験ってのは基本的にはそういうことでしょう。何キロ出せるか、チェックがはいる。この大学ではこのレベルが必要ですよというチェック。つまり「基準となる球速」があるようなもの。それを「時々出せる」球速で合格しようとするのか、常時出せる「球速」で合格しようというのか。時々出せる球速で合格して、入学してから、常時その速度を要求されるようになるかもしれません。出し続けられるかな?そして実は、球速だけでなくコントロールや配球も高いレベルを要求されるようになるのです。この問題は、単に履修ができていない、というだけの事ではありません。高校は「大学受験のために運営されている」と自ら認めたようなものです。高校生は、「高校は大学受験の準備のためにある」と思っているということです。受験は、すべてに優先して行われることであり、自分たちの学力や学びは受験に特化して伸びていけばいいと多くの人が思っているということです。おかしいな?と思っても、声をあげる人がいなかったか、いても聞く人がいなかったということです。これはね、数学と英語がもしも受験科目にないのなら、それが行われていなかっただろう、というだけですよね。高校へ何しにいくの?高校は何を教えるの?高校生の将来を考えるのなら、高校生に教えたい事がいろいろあるはずです。予備校はその点、はっきりしてますよね。「合格するために必要なことをしっかりと身につけてください」って事ですもんね。高校がいわゆる「塾」ではなく「学校」であるならば高校生に教えておきたいことがあるはずです。いいじゃん。今から世界史を時間通りにやれば。その分、受験用の授業を余分にやってきたから、その恩恵はしっかり受けてるはずでしょう?受けてない、とか言うなら甘えてただけだね。あ。そうか。まだこどもだったんですよね。まだまだ甘えたいよね(笑)高校側。これ「産地偽装」みたいなもんですよ。本来のルールとは異なる事を行って、不当な利益(学力)を得てるんですから。普通の会社だったら、大変なことになっていますよ。ルールやコンプライアンスを無視するというのは、今の世の中、許されることではないのです。
2006.10.28
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中学三年生二人。高校生一人。家にいる時は、私の部屋でパソコンで遊んでいます。自分の好きな音楽を父親にすすめます。…そのパンクロックは全部同じに聞こえるんだよっ(ーー;)自分の好きな映画を父親にすすめます。…なんでゾンビとかホラーばっかりなんだよっ(ーー;)自分の読んでいる小説を解説します。…ライトノベルはよまねえんだよっ(ーー;)少年ジャンプを置いていきません。…置いてけっ(ーー;)勉強する~??…邪魔してやる…勉強したけりゃ、その邪魔をかいくぐって勉強してみな(笑)
2006.10.27
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決まりましたね。おめでとう、北海道の皆さん。…と、言えてしまうチームですよね。ダイエーは福岡、ロッテは千葉。楽天は仙台。地名とチーム名がピンポイントで結びつく。北海道は広すぎるといえば広すぎるかもしれないけど(笑)九州が島ひとつで「九州道」(なんか修行中みたいだ)とかだったら、九州の代表みたいになるんだろうな。ロッテのすごさはね、「関東のチーム」のイメージになってないところだと思います。「千葉」のチームなんですよね。チームのカラーが鮮明になって、千葉県民でなくても応援する時に応援しやすい。高校野球で、自分の出身県とか関係なくても応援したりするじゃないですか。そこの地域が喜んでるのをみてると、なんだかうれしくなったりするじゃないですか。オリックスとかはね、千葉ロッテの人気は巨人とかぶるはずなのに、これほど確立された理由を考える必要があるのではないでしょうか。ドラゴンズも「名古屋」のイメージがあるんですけど、「中部地区」のイメージがかぶってしまう。やや拡散されてしまう。どうして喜んでるのかわかると、なんだか見てる方もうれしくなるじゃないですか。東海・近畿・中部。それぞれに含まれる県名を正確にいえる人、どれくらいいるでしょうか?どちらかというと、阪神・中日は全国区のチームになってるんですよね。ファンはいっしょに喜びたい。悔しがりたい。一体感を味わいたい。そのためには、プレーヤー側(球団側)も、ファンの「気持ち」が参加できるようにできればいいと思います。選手ができること、球団(会社)ができること、球場ができること、それぞれ違います。ただ、選手が出来ることは「いいプレーをして勝つこと」だけではありません。球団や球場が出来ることは「入場者に配り物をする」だけではありません。さて、新庄選手。新庄選手が泣いていた理由って、達成感だと思うのです。ただ「優勝できた」だけではない。彼が出来ること。それは毎試合のプレーであり、お客様に「新庄」を見せること。それは他の選手がしていることでもあるけれど。彼にしか出来ないこと。彼以外の誰が行っても、不自然である事をやって見せること。チーム全体を空回りすることなく、鼓舞すること。彼は「プレーを楽しもう」と言っていた、と多くの報道で言われていました。それは、ファンを置き去りにして自分たちが楽しければいい、という意味で言っているのではないことはわかりました。彼は、自分も含めたチームをセールスする為に、自分の置かれた立場と自分に出来ることを正確に把握し、マネジメントしたのだと思います。新庄以外の誰が、彼の行ったパフォーマンスをやれると思いますか?彼は「自分だからできる」事をあきらかにわかっている。そしてそれが、自分を通して日本ハムというチームと、そのチームが本拠としている北海道をアピールする事になることをしっていたのだと思います。「目立つのが好き」だった選手が、「目立つ事の意義」を知って、形に変えていったのだと思います。ねえ。そりゃもう、自分の経験や力をすべてを賭けてやってきたプロジェクトが成功したようなもんですよ。満足感は計り知れない、と思いますね。とりあえず。ふたたび。おめでとう。お疲れ様。
2006.10.26
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高校で、世界史の授業が必須になってて、それをやっていなくて単位不足…てなニュースがありました。受験に関係ないからな~。基本的に、高校生の勉強は受験のために行われているんだろうし。違うとは言わせない(笑)受験テクニックを完璧に身につければ、高校の勉強の完成です。いいも悪いもありません。そういうものでしょう。学びたい気持ちは、受験という目的がモチベーションとなるのですから。世界史は、学べばすごく楽しい分野です。私だけかな?日本史にしろ、世界史にしろ、史実を年表で羅列するだけなら、出来事を覚えるだけに過ぎません。しかし、「学ぶ」という気持ちで年表を見た場合、書かれていないことが楽しくてしょうがなくなります。つまり、学ぶ楽しさを得られるのです。自分から興味を持って学ぶ楽しさを得やすい。だってさー。世界史を最初から最後までやったら大変だよ。世界は広いし歴史は長いし。自分の好きなところを学ぶだけでも、人生の足しになるし(笑)最近、私が大好きなローマ帝国。(ちょっと前はヴェネチアに夢中でした)要は塩野七生さんの著作が好きなんですけど。たとえば「すべての道はローマに通ず」という格言。「ローマは一日にしてならず」という「千里の道も一歩から」と同じ格言。どっちも史実です。ローマという国は「インフラ整備」が国の発展と繁栄維持のためには最重要であることを、建国の初期から認識していました。流通と通信のためですね。他国と争って属国にすると、そこへ向いて舗装された道路を作ってしまっていたわけです。ヨーロッパの多くの地域を傘下におさめた国ですから、多くの国に道路網を伸ばしたわけですね。でもって、属国とは言っても、あくまでも同じ立場の国であり、古代において多民族・多宗教国家を作り上げたローマ政府は、公共施設とサービスは基本的に国内ならどこの場所においてもその恩恵を受けられるべきである、と考える国家だったからです。「ローマは一日にして成らず」ってのは、もうそのまんま。やってくる敵を撃退してるうちに、国がでっかくなっちゃった。撃退した国を完全に支配すると、駐屯させる軍隊は必要だし統治させるための人員も必要です。そうなると金がかかるし、そうそう人材も手配できない。もうそのまんまおいておいたそうです。同盟契約と反乱を起こさない程度の税率で税金を課して、後はそのまんま。政府も何もかも基本的には残したそうな。ローマの支配から逃げよう、っていう国の方が少なかったそうな。これだけでも、現代に通じることが学べると思いませんか?注。ローマ帝国は無駄な道路までバンバン作っていたわけではないと思います(笑)ま、その辺りは本読んでみようっと。
2006.10.25
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休みの日、双子と2号と3号をつかまえて頼むことがあります。「2号!2往復頼むよ」肩から腰にかけてのマッサージです(笑)手のひらを背骨の両側に当ててゆっくりと押してもらうだけなんですけどね。「3号!」「しょうがねえなあ…」3号の担当は足裏マッサージ。痛いけど気持ちいい…(笑)なかなか素直でよい子達だ。中学3年生で素直に親の腰をマッサージしてくれるってのはある意味すごいぞ。1号は…あいつがやるわけない(爆)
2006.10.24
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あのー。もうすぐ年末ですよね~(汗)あっという間に日々が飛んでいく…多分ね、人生の折り返し点は通り過ぎてると思うんです。いや、今が折り返し点だとしたら、最終地点は80越えます。80の時に、走れてるわけがない。てえ事は、走れるのはあと数年でしょう。その後は歩いて行くことになるんですよね。うーん。使い方によっては短いぞ。
2006.10.22
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先日、どうしても片付けなければならない仕事があり、休日に仕事場へ行きました。ネクタイしようか迷ったんですけど、動きやすさ(私服で仕事をするのは違和感があります)も考えて、通常モードででかけました。店長が近くにいたyumiさんに、「ああやって家には『仕事』って言って出てきて悪いことしにいくんだぞ~きっと(笑)」って言ってたよ~(笑)って教えてくれました。「そりゃ自分がしてたんだよ(笑)」「みんな通る道よね~」「どんな道だよ(ーー;)」で、仕事を片付けてたらトラブル発見。他店へ対処に走らなければいけない事になりました。ま、商品が足りずに手配しようとしたものの、自分で走らないと間に合わない。行き先は古巣。4月まで配属されていた店舗です。ちょうど退勤時間になったyumiさんが、「ツァオさんの前の店、私も一度見てみたいな~」「じゃあついてくる?」店長や他の従業員からも、「あ、あの店は一度見ておくといいよ。いっしょに行ってくればいい」「私も行ったことあるけど、広いから参考になるわよ」というおススメもあり、いっしょに行くことにしました。私 「店長、それじゃちょっと悪いことしてきます(爆)」yumiさん「相手は私かよっ!」店長 「苦笑」車の中で、「ねえねえ、ツァオさんと私、帰ったらうわさになってるかな~?(^_^)」「過去の経験から言って、だ~れもなんにも言わないね」「どうして?」「俺がさー、女の人とつれだって歩いててもなんの違和感もないらしいんだよ(ーー;)」「それ、なんだかつまんないよねえ(笑)」…ほんっとになんの話も出ませんでした(笑)仕事だから、とかって関係ありません。きれいごとを抜きにして言えば、みんなこういう話って大好きなんです。だから普段から気をつけてはいるんですけどね。定着したキャラってのは強いです(爆)
2006.10.21
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レンタルで借りてきて見ました。第二次大戦末期、日本はもう国ではなかったのでしょう。国家としての判断ができなくなった政府は、国を代表できません。神風特別攻撃隊にしろ、この映画の中で描かれる沖縄へ向かう大和にしろ、それは結末を先送りにして、さらに取り返しのつかない結末を迎えるだけのことです。もう、勝つ要素は残っていないのに「認めなければ負けではない」という理論ですね。借金を「返せない」と認めるまでは、返済中ということです。さらに借金を重ねても。さらに言えば「返せない」と認めるときに自分がそこにいなければいいわけで。なんとしてでも生き残れば、再び立ち上がる力を蓄えられるようになる。国敗れて山河あり、とはよく言ったもの。その、再び立ち上がる力を、自ら摘んでいくような事をしているのでは…自分たち以外は、残らなくてもたいした問題ではないと言っていたようなものです。ただ、国家を代表する政府を作るのは、やはり個人です。国を動かせるだけの理念と力を持った政治家がいなかったのでしょう。今は?あやしいよなあ…(笑)戦争反対運動を否定はしません。しかし、運動であって「平和への戦い」であってはいけないとは思います。戦ってはいけないのです。争ってはいけないのです。武器を放棄するというのならば、それを主張する以上戦ってはいけない。武器は「争う心」が持とうとするのです。守ろうとする心が持とうとするのです。相手を自分の支配下におこうとする心が持たせるのです。「自分の心が自由でありたいと思うように、誰の心も自由であるべきだ」古代ローマのユリウス・カエサルがこんな風に言っています。自分に反対する主張であっても、それを止める事は決してしなかった。敵対するものであっても、勝負が決すれば許した。許した敵対派に暗殺されてしまうのですが。平和への戦いが必要なら、武器も必要になる。私たちの国はどちらを選ぶのでしょうか。武器を持たずに乗り切れる世界ではない、と思いますけど。武器を持つ必要があっても、それを使わずにすむバランスを保てますように。
2006.10.20
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「頑固」ってのはどういう事でしょ。自分の意見を曲げない。間違いを認めない。自分のやり方を変えない。ネガティブなのばっかりだな(笑)じゃあ、信念をもって行動している。まわりに左右されない。流されない。って書くとすごくいい感じに聞こえる…つまりですね、頑固にも二種類ある(笑)迷惑な頑固者と、尊敬に値する頑固者と。迷惑なのを「頑迷」と表現したりします。イメージ的にご老人のイメージがありますが、実は年齢は関係ない。私が勝手に師匠と仰ぐ、塩野七生氏いわく「年齢が人を頑固にするのではない。成功体験が頑固にしていくのだ」と言っています。うまく進んだ物事の経験から、人はなかなか離れられない。今までと違う事をする勇気が持てない。若い年齢で変わった事ができるのは、他に成功した経験がないからです。安全策というのは、過去に経験があって「うまくいった」という実績がある事です。成功体験や経験を否定しているのではありません。事に際した時に必ず新しい方法を試していたら、それはそれでリスクが大きすぎます。その人が持つ成功体験が的確な判断を誤らせるとき、それが「頑迷」と呼ばれるのです。と、いうお話は、ビジネスの本とかでよく聞くお話です。でもね、私たちの仕事場のような社員とパートの従業員の間とか、親と子の間でもありえるのです。たとえば、親と子で言えば…学校の成績がよければ、とりあえず安心します。なんの保障にもならないんですけど、学校の成績がよければ明るい未来を感じます。私もそうですけど。多分一般的にね、あれは「学校の成績がよければ喜んでもらえた」という成功体験があるんです。勉強していれば喜んでもらえた、という成功体験が。学びたくて学んだ、その喜びを伝えたいから、という方もいらっしゃると思いますが。社会に出たら必要になるのは、学校の勉強ではなくて勉強に立ち向かう姿勢であり、その姿勢は勉強でもスポーツでも趣味でもなんでもいいんですけど、でもやっぱり勉強がいい。親も子も、この感覚から離れられない。会社で言えば、仕事のやり方を変えられない人がいます。「こちらの方が早いよ」と教えても、今のやり方を変えられない。新しい事に進むのを、避けるんですね。「年だから」とか「機械に弱いから」などという理由付けは、実は理由にも何にもなっていない。ただ単に、自分に制限を加えているだけです。新しい仕事を覚えたくない、という事は、とりもなおさず「今の位置から動きたくない」ということ。今、うまく行ってるからそこから動きたくないんですね。でもって、不満が多い。自分がこの位置で頑張っている事のアピールでもあるんでしょうけど、だからといって、楽になる方法を教えてもやろうとはしなかったりする。あるいは、自分たちの仕事を改善する方法を、他力にしか頼らない。他力が入ると、文句をつけるんだけど(笑)とりあえず増員を頼る。自分たちのやり方に間違いはないわけだから、人数が増えれば楽になるはずなわけですね。これ、見分け方はあります。どの作業に対してどれだけの時間の人手が必要か言えるかどうか。そして、なぜそれだけ必要なのかを具体的に説明できるかどうか、ですね。あとはねー。ひとりで仕事ができるかどうかです。結構いるんだよ。二人いると、同じ場所で同じ作業をしてる人(笑)恋でもそっかな~。同じパターンで恋する場合って、結構ありませんか?いや、自分だけの話じゃなくて、周囲の人でも(笑)成功体験は成功体験として、それ以上の何かを手に入れたいって思うんですよ。それはね、ただの「笑顔」だったりすることもあるんです。
2006.10.19
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定期試験じゃありませんが。パートさんにも研修があるのは珍しいことではありませんが、昇格試験もあります。全員受けてください、ってわけじゃないですけど、推薦して受けてもらうという事になります。昨今、パートナー従業員の処遇や立場についていろいろ言われています。私の職場でも100人以上のパートナー社員の方に助けてもらっています。で、パートの皆さんはそれぞれに事情や考え方というのは違います。将来的に社員となる道も考えておられる方。社員というわけにはいかなくても、責任ある立場に立って業務を遂行できる方。決められた時間内でしか働けない方。出勤曜日に制限がある方。出勤時間帯に制限がある方。それぞれ事情はお持ちです。だからこそ「パート」つまり「制限」の中で働いていただくわけです。ただね、この「パート」という単語でひとまとめにしてしまうから話はややこしい。正社員だと話は簡単なんです。「とりあえず普段は仕事を最優先」にしてくれよ、って事ですね。「時間がきたから帰る」んじゃなくて「時間がきたら帰れる」状態にして帰れ、ということです。ところが、パートさんの中には社員より頼りになる人がいるんですよ。「この人がいるから大丈夫」って人が。仕事をコントロールして管理できる人がいてくれたりするわけですね。新人の医者とベテランの看護士のどちらが頼りになるか、っていうのと同じで(笑)で、その場合。パートさんの中でも時間給に差がつくのは当然だろう、と。社員の方が高い給料になるのはきちんとした理由が必要だろう、と。社員はボーナスも出るんだから。…いきなりお引越し、とかいう事はあるにしてもさ。でもね、こいつには基準が必要です「あなたはがんばってくれてるから、これだけの待遇にします」じゃダメなんです。なぜその金額なのか、っていうルールと根拠が必要です。あたりまえですね。社員の場合はやっぱり簡単なんですよ。「数字」ってやつで評価されますから。この「数字」ってのは売り上げだけではありません。評価の基準にするために、いろんな事をなんとかして数値化するわけです。売り上げがすべて、な組織になったら大変でしょ。さて、パートさんの場合、社員の下につく事がおおくなります。その社員がロクでもないやつだと、たまったものではありません。ですから売り上げとかではない部分の評価もあります。それも含めて、推薦制度+試験を行うわけですね。「がんばってる」が「どうがんばってるのか」とか、いろいろあるんです。がんばり方を間違ってる場合もあります。たとえばですけど、極端な間違え方の一例を。20メートルの距離を重い商品を一箱ずつ抱えて、50個移動しました。がんばりました。…いや、がんばったかもしれないけど。台車つかったら、もっと楽にできますよね?がんばり方を考えて見ましょうよ。という話になるだけなんです。さて。今日は朝からメールが入ってきました。「起きて教えて~昼から試験なんだけど、この問題がわかんないから」そこには営業数字の練習問題が。…昨日までのうちに質問しろよな…おうちで子どもに「普段からきちんと勉強しなさい」って言ってないか?(笑)
2006.10.18
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ま、どっちかというと「言葉を使う」よりも「言葉に使われてしまう」事のほうが多いような気がします。それでも、何かを伝える為には言葉を使うしかない。…いや別に「ボディランゲージ」でもいいですけど。…「目と目でわかりあう」のもいいですけど。一般的には、言葉でわかりあうのが普通だと思います。だから使用言語の違う人同士が、通訳なしで意思の疎通をはかるのは非常に難しいですよね。「腹減った」とか「眠い」とか基本的な事は、それこそジェスチャーで伝わるとは思いますが、「あなたが好きです。明日の夜、いっしょにすごしませんか?」って伝えようと思ったら大変です。でもって、通訳を介しても意思は伝わりにくいのではないでしょうか。使用言語が違うという事は、思考する方法が違うと考えても間違いではないかもしれません。一般的に、言葉で考えますよね?考えてる時は考えを自分の中で言葉に直して考えますよね?「これでよし」って思う時は『こ・れ・で・よ・し』って頭の中で言葉にしていませんか?日本語は、述語が最後です。「あれがこうで、これがこうなって、それがどうなるから、それは可能です」英語の場合、文章の順番はこうなります。「それは可能です。あれがこうで、これがこうなって…」もうね、普段話している言葉からして「結論を決めてから」でないと前へ進まないようになってる。日本語の決定権は最後に来ますんでね。最後になるまで「だからどうなる」のかがわかりません。日本語ってのはあいまいにできるんですよね。さて、上の方で書いた「あなたが好きです。明日の夜、いっしょにすごしませんか?」というのも、もしかすると伝わらないかもしれないのです。「明日の夜」…何時から?何時まで?どこで?いっしょにすごして何をするの?「いっしょに星をながめませんか?」などというロマンティックな想いで伝えたのに、もしかしたら相手はすでに「ホテル行って朝までえっち」のつもりかもしれません(爆)ことほどさように、こちらの想いとあちらの想いがかみ合わない事というのは、さほど珍しくはない。角を立てないように打った相槌が、「あの人も同じ事を言ってた」事になってしまった経験をお持ちの方少なからずいらっしゃるのではないでしょうか気が向いたら続きを書きます。今日は眠くってもうダメ。おやすみなさい。
2006.10.17
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Googleのトップページの「more」というメニューへいくと、いろんなお手軽なソフトが紹介されています。そこに「Mozilla Firefox」というソフトがダウンロードできるようになっています。これ、要はインターネット閲覧ソフトです。同種でいっちばん有名なのがインターネットエクスプローラーってやつですね。という事で、現在この「Mozilla Firefox」を愛用しています。多分、皆様お使いのインターネットエクスプローラーのバージョンは6だと思うんですよ。もうすぐ7になりますけど、まだ正式版としては出てなかったと…。一応、最終チェック用バージョンが公開されていて、使えるようにはなっています。…結構新らしもの好きなところがあるので、さっそく使ってたんですよ。…やたらに止まる。軽くフリーズはしょっちゅうです。それから、YOU TUBEの動画の一部が再生できなくなってしまい、いろいろ設定いじっても動かない。てな事をかんがえていたところにこのソフトを発見。使い方が、その固まる「7」といっしょです。てえか、「7」とこのMozilla Firefox、どっちが先に発表されたのか気になるところです。すごーく似てるんだけど…7の新機能とこれと。YOU TUBEの動画も見えるようになりました。ちょっと字の大きさの設定が違和感あるけどね。
2006.10.16
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5時半起床でした。ちょっと時間切れ。じじいは徹夜なんてできないし~。
2006.10.15
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いや、今年のプレーオフじゃなくて。プレーオフシステムについてですね。お金のため。ぶっちゃけ、それでかまわないと思います。確かに「ペナントレースって何?」っていう意見はあるけどさあ。どうしてここまで割り切るかって言えば、プロ野球って興行だから。しかし、稼ぐためなら何やってもかまわないのか?そんな馬鹿な、ですよね。私の勤務しているスーパーは、「グレーな事も許さない!」です。法律に触れないかどうかは当然として、倫理としてどうか、が基準です。昨日、某スーパーが公正取引委員会に摘発されてましたが、正直「げ?そんな事まだやってたの?」って思いました。3位が1位になってしまうこのシステム、これでかまわないのか?納得いきませんよねえ、これ。さて、ここから先は私の意見。宣言しときますけど、私は野球好きです。1970年代から1996年までの野球の話なら、余裕で付いていけます。そりゃ出身高校まで覚えてるわけじゃないけどさ。1996年以降は、ゴジラ松井を見てたけど。暫定措置として、プレーオフというのは必要だと思います。その理由は、結果オーライではあるけれどあれだけ盛り上がったじゃないですか。ファンが楽しんだこと。そして、選手が「特別な試合」として力を発揮できたこと。今、日本のプロ野球のファン離れが騒がれている中、ファンの注目を集めるイベントを開催できるのは、大変重要なことです。先日の日記でも書きましたが、プロ野球は長いリーグ戦で行われます。毎年行われます。基本的に同じチームで行われます。毎日のドラマ、毎年のドラマ、積み重なって選手個人のドラマになり、チームのドラマになります。それは、プロ野球の歴史になるのです。それこそ、プロ野球の最大の財産です。シーズンが終わった後、野球について語れる・読める。思いをはせる。かつて近鉄バッファローズが西本監督の下で悲願の優勝を果たした時、あれは前年から引き継いだドラマがありました。プロ野球の1試合は、その1試合だけの重みでは済まないものを含ませる事ができるのです。福岡ダイエーにはドラマの伏線ができました。去年のロッテ、今年の日本ハム。各チームのファンが「祈りたくなる」試合が作られていくのです。これは、過去に積み重ねてきた試合から生まれるしかありません。プロ野球は時代とともに変化します。かつて「野武士」のような選手や「真剣勝負」があればいい、と思われた時代もあります。勝つ事が至上であり、それが目標のすべてだった。「俺たちは試合をするから、見たい人は見てくれ」プロ野球選手は、野球がすごい人、だった。これならアマチュアでもできる。しかし、これでよかったってのも確かです。日本人は真剣に働くだけ働いて突っ走ってきました。その時々の時代を映すのであれば「ファンサービスよりも勝負に気合で望め」という時代だったのでしょう。「家族サービスよりも働く」サラリーマンが日本を豊かにしたのだから。(車を持ってて、学生が携帯電話を持ってて、テレビもビデオも、電化製品もそろってる。これは「豊かな国」です。ベンツやBMWに乗ってて「生活が苦しかった」とのたまわれても説得力がないのと同様、他国から見たら豊かな国に見えるでしょう)今、そういうわけには行きません。特に人気が定着し始めた地方をフランチャイズにする各チームにとって、その地で始まるドラマが必要です。ファンが語り合えるドラマが。そして、多くのファンがその瞬間を共有できると、語り継がれてやがて伝説となっていきます。今年の日本ハム対ダイエー。9回裏へ向かうドラマは、きっと語り継がれることでしょう。それは日本ハム側からもダイエー側からも。余談ですけど「江夏の21球」という有名なノンフィクションがあります。あの時の相手は、上記の近鉄バッファローズですからね。ドラマが幾重にも重なっているのです。じゃあ、暫定措置というならば、じいにはどんなアイデアがあるんだ?といわれた場合ですね。「プレーオフをやる」という前提で。思い付きですけど。まず両リーグのペナントレース1位。こりゃ当然でしょう。二つ目。どうせ交流戦もやるんです。日本を東西に分けてしまいましょう。東日本と西日本と分けて、地区内で1位をつくる。三つ目。両リーグの「交流戦での」最高勝率チーム。ぜーんぶ同じチームになっちゃう可能性もあるけどさあ。そりゃもう「完全優勝」って事で。そこまで強けりゃやりようもないだろうしさあ(笑)昔みたいに「前期」「後期」制ってのもいいとは思うんですけどね。強すぎたんだよなあ、阪急ブレーブス(笑)ちなみに。プロ野球人気の低下が叫ばれますが、これって「巨人人気」が昔に比べて極端に落ちたんだと思います。だって。今、パ・リーグの試合、お客さんたくさん入ってるもん。私が子どもの頃のパ・リーグなんて、選手はめちゃくちゃすごいのが揃ってるけど、お客さんは揃ってなかったもんなあ…
2006.10.14
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仕事中、制服の女子高生に背後から声をかけられました。「おじちゃ~~ん」「(…まったく今どきの高校生は、もうちょっとちゃんとした呼びかけ方はできないのかっ?)はい、いらっしゃいませ~」…姪っ子でした(爆)…「おじちゃん」は間違ってないが(汗)
2006.10.13
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野球はもう、ほとんど見ていません。見てる暇ないし。ラジオで聞いてることは多いんですけど。しかーし。かつては野球オタクだった私。今だって、野球は大好きです。小学校の通知表に「学校で野球の話しかしません」と書かれて、「そんなのあたりまえじゃないのか?」と思ってたほどの野球おばかです。語らせたら長いんだよ、ほんとは(爆)今日のパ・リーグプレーオフのお話です。実際にはニュースでしかみていませんが。プロ野球の魅力というのは、長いペナントレースにあります。高校野球の「負ければ終わり」というドラマではありません。「負ければ終わり」には刹那的に輝くものがあります。その一瞬に光ればそれですべてが報われるような。プロ野球は違います。球場へお客様に来てもらって、自分たちにはできない異世界を見てもらう。自分たちが毎試合つみあげるものの中に、お客様に参加していただく。私たちの楽しい毎日を、いっしょに楽しんでください、という事ですね。ここでいう「楽しみ」とは、ただ単に「笑顔」というだけではありません。すべての感情を解き放つような疑似体験を、チームといっしょにしませんか?ということです。「ファン」とはこういうものではないでしょうか。…私はそうでした(爆)だから、プロ野球の楽しみ方は様々。選手の裏にあるドラマを見るもよし。一試合一試合を見るもよし。一球に的をしぼってもいいし、対決に的をしぼってもいい。もちろん「イイ男」に的をしぼるのももちろん。プロスポーツです。興行です。見てて、お金を払うだけの価値を見せつけてもらいたい。今日の試合。生で見たかったような試合です。もし、ニュースでもなんでも、見る機会があればぜひ見てください。結末は、両チームの先発投手が譲らず0対0で迎えた9回裏。2アウト走者1.2塁。打者のセンターへ抜けようかという当りをセカンドが追いつき、二塁封殺を狙ったのですが間に合わず、俊足の2塁ランナーがその間にホームへ帰りサヨナラで優勝が決まりました。野球のスポーツとしての独特な点は「文章に書ける」という事ですね。上の文章で、野球を知っている人ならば、状況の緊迫感と結末の爆発ぶりは目に見えるはずです。技術を極めた先は、精神力や運で決まってしまう。その「運」にしたところで、引き寄せるものはあるんでしょうけど。9回裏、サヨナラの場面は、負けたチームの誰も責めることができない結末でした。高校野球とかで思うんですよ。サヨナラの場面があるじゃないですか。「野球の神様、頼むから誰の責任でもない終わり方にしてください」連投のエースが投げているんだったら、きれいな三塁打と敬遠策で満塁にした後、サヨナラの押し出しがいい。これなら、だれか一人が悪者にならない。1撃できまるなら、サヨナラホームランでもいい。今日の9回裏は、ある意味すごかったですね。追いついたセカンドもすごかったけれど、とまらずに走っていたセカンドランナーも見事だった。それまでに投げていたエースも、見事としか言いようがない。今年は、北の大地に女神が降りてきた…これでいいんじゃないのかなあ。来年。プロ野球には来年もあるんです。そしてドラマはつながっていく。
2006.10.12
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仕事じゃなくて、このブログ。ちと疲れましてございます…
2006.10.10
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テポドン成功してたら、やらなくて済んだんでしょうけど。手の中にジョーカーがある事を証明して「大富豪」やってるようなもんです。というか、ジョーカーを持っているという事を明かして、相手が切り札を使うタイミングをずらそうとしてるように見えますね。軍としても、この実験の成功によってテポドンの失敗を取り返しておきたい。国としても、なんとか不利な態勢を逆転したい。使える手段はこれしかない。てなもんでしょう。いや、ひょっとするとマジで「うちは核もってるぞ~言うこと聞かないとしらないぞ~」って思ってるかもしれないけど。まあ、この国も我々の常識では測れない国です。先日、「短波ラジオの電波で平壌に呼びかける」って言うのが実行されていましたが…あの放送を聴けるラジオを所持していたら、所持している事がバレた時点で家族まとめて政治犯収容所送りです。北朝鮮のラジオとテレビは、自国の放送しか聴けないようにチューナーをハンダ付けで止めて、封印されてしまいます。封印のないテレビやラジオを持ってるだけでアウトです。町外、あるいは市外へでるのに許可証がなければ出られないし。この国との話し合いは不可。なんせこっちの話を聞かないんだから。ブッシュ大統領、イラクで手間を食ってなかったら、次はここだったと思うよ。
2006.10.09
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地方交付税交付金。国庫支出金。これの説明がスラスラできる1号を見て、思わず「おおおおっ。」3号はテストの答えに両方ともただ単に「税金」と書いたそうな。いや、私も知らなかったです。1号に言わせると「中学生ならば常識」だそうな。もうひとつ。クイズを出しました。「昭和元年と昭和64年は1週間しかなかった。なぜか」「あ、わかった」と1号。ま、簡単だしね。「太陰暦と太陽暦と入れ替わったんだろ」(ーー;)言うに事欠いてなんちゅうボケを。マジボケでございました(爆)
2006.10.08
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1号(高校1年生)と、この事件についてのお話です。「おい、おまえはこの事件についてどう思う?」「酒はまずいだろ酒は~」「じゃあ、おまえがこの事件に名を連ねていたら、お父さんはどうすると思う?」「俺はぼこぼこにされる」いやー、ちょっと違うね。一発はいくけどな。ゲンコツじゃなくてビンタだな。この事件「高校生が酒を飲んだ」ということについては、私もさほど目くじらを立てるわけではありません。「高校時代に酒を飲んだことがない」という人の方が少ないはずです。立場上、しからなければいけないんですが(そうやってルールを守ることと、そのリスクを知っていく)それは、役目としてです。問題はね、人数と場所。そして、現在の法律。未成年がお酒を飲んではいけない、というのはルールです。法です。法律という事は、その遵守について警察という国家権力が介入するということです。彼らは「法律違反」である事を知らずに酒をのんでいたのか?…そんな馬鹿な(笑) そんなバカだったら、小学校といっしょで、夕方5時になったらおうちにかえってろ、ってなもんです。じゃあ、法律違反と知ってて居酒屋で飲んでたのか?現在の法律では、未成年の飲酒は本人の補導では終わりません。だいたい、スーパーマーケットやコンビニで、未成年に酒やタバコを販売したら検挙されるんです。それも、店だけではなくてその時レジを打った個人がですよ。彼らは、自分たちがお店で酒を飲むという事がいかに迷惑をかけることかわかっていたのか?「お金を払ったら客だし、自分の責任は自分で取れる」という事ではないのです。これでもって店側が損害を受けた場合、それは店側が我慢するしかありません。店の入り口で案内をしたであろう、多分アルバイトかパートの従業員も検挙されても我慢するしかありません。でね。これだけの人数がいきなり居酒屋に行く、と考えたって事は。リーダーシップをとった連中がいるはずです。まとめるやつがいなければ、集団はひとつの方向を向きません。かなりの人数が「ついていっただけ」でしょう。ということは。普段から居酒屋に行く、という事が珍しいことではなかったという事です。行ったことがあるからこういう時に「行こう!」って言えるんでね。まったく行った事がなければ、「断られるかもしれない」とかって考えるでしょ、普通。居酒屋へ行こうって考えるのは、普段から、高校生が入っても止められないからです。店もわかんないよね。普通のかっこうされて、二十歳ですっていわれたら。私は高校生のときに30越えてるって思われることはしょっちゅうでしたからね(爆)だからといって、店が悪いっていうのは責任転嫁ですからね。止めないほうも行く方も、どちらも責任は負わなければなりません。法律とはそういうものです。でなければ法律の意味がない。1号にはこう言いました。「これから先、法律を破って検挙されることもあるだろう。たとえば駐車違反や速度違反とか、まるっきりつかまらずに終わることの方が少ないはずだ」「ああ」「その時に、逃げるな。つかまったら処罰が来る。その処罰から逃げるな。自分の行動の責任は自分で背負えるだけ自分で背負え」「わかった」私たちが学生の頃から、高校生は居酒屋にいましたよ。確かに。そんなに変わってるわけではないんです。世の中にはルールがある。そのルールを踏み越えるときもあるでしょう。そのとき、こそこそ隠れるな、甘んじて受けよと言いたいんです。ばれちゃったけどできる限り隠してみよう、言い逃れしてみようというどこかの組織といっしょになるな、って事です。「あいつらだって同じことやってるじゃん」って言うのは「自分もそいつらと同程度と判断されてもいいので、そいつらと同じ扱いにしてください」って言ってるようなものです。実は私、この手の言い逃れはプライドにかけてできません。責任も同じ。自分がとるべき責任は、自分のプライドにかけて他人にはまかせたくない。子どもにも、同じようにあってほしいと思います。義務と責任、自分の本分。プライドにかけて人任せにするな、という事です。飲むんだったら、見つからないように飲め。その前にだな~。高校生くらいなら、酒なんぞなくても盛り上がって見せろよな。酒の力を借りるのは、もうちょっと先でいい。そのうち「お酒のせい」にしたくなるときも出てくるんだから。
2006.10.08
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事件の概要は、ネットで検索すればすぐにでも出てきます。だから詳しくは書きません。「アーミッシュ」と呼ばれるキリスト教の一宗派の人々の子弟が通う小学校に男が押し入り、銃を打って女の子5人を射殺した、という事件です。痛ましい事件です。アメリカで「またしても銃か」という事件ですね。でもまあ、ここではそれはおいておきます。その事を話題にすれば、だいたい話がみえてきちゃうし。この事件、被害者家族の加害者家族への対応が、多くの人を驚かせています。被害者の家族が、加害者の家族の家をたずねて、許した、という話です。加害者の家族がたずねてきた時、ではありません。被害者の家族が加害者の家族を訪ねて、です。また、殺害された少女のうちの最年長の女の子は、「私を撃って。他の子は助けてあげて」と自ら犯人の前に立ったそうです。私は、何度かこの状況についてこのブログ内で書いたことがあります。国家としての防衛戦力の是非について、をテーマにする時はついつい書いてしまう話です。自分の家族や大切な人が危険な目にさらされる時、あるいは被害を受けたとき、あなたは報復を捨てられますか?自国民を守れない国家など、国家ではない、と。迷うことなく、彼らは報復という選択肢を捨てています。哀しくないわけではない。ただ、報復や暴力という選択肢は捨てています。われわれは、彼らを手本とすべきなのか?私はそうは思わない。彼らは、彼らの心の奥深くまで神への信仰があります。神を信じる心に迷いがないから、神の教えの通りに行動するのが当然の事になっているわけです。彼らを手本にするならば、彼らの行動だけを手本にしても意味がない。もし、行動だけを真似ても心まではまねることができない。彼らの神を信仰するところから始めなくては、意味がない。彼らにとって神は、すべてを司り、生も死もはるかに超えたところにいる。えーっと。すっごく身近なところでたとえ話をしましょうね。誰かが、あなたにひどい事をしました。その時、あなたが「この人には世話になっている。この人の言うことを聞くのは自分にとって普通のことだ」とまで思っている人が、「許してあげなさい」とあなたに言いました。「この人が言うんだから、許してあげる事にします」と、あなたはひどい事をした人を許しました。この感じならわかると思います。これのはるか延長線上にあるのが、今回のアーミッシュのみなさんの行動です。自分の娘が理不尽に殺されても、怒りや悲しみに支配されるのではなく、神とともにいる。彼らは怒りや悲しみを忘れたのではなく、自らの意志の力でその感情を抑えているのではない。彼らの中に、神への信仰と祈りがあるだけなのでしょう。亡くなられた皆さんが、神様のそばにおられますように。でも、こういう考え方は…普通の人に、そんなのは無理です。さて、完全なる非暴力を貫くのがキリスト教でしょうか?否。非暴力のキリスト教の方がめずらしいよ。「神のために戦う」のも大好きだもんねえ、昔から(笑)
2006.10.07
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おかしい。一日休んですっきり回復するはずだったのに。今朝はいい感じで動き出せたんだけどなあ…午前中で息切れしてしまったのです。熱はさがってんだけどね。動き続けられない。立ち止まると次へ行けなくなってしまう。頭の中に何か残ってる。…いや、だから。風邪引いてんだから書いてないで早く寝ればいいんだけど(笑)周囲に気が付かれないように、今日はデスクワークを中心におとなしく仕事をしてたんですけど、さんざん「大丈夫か?」と心配されました。…いつもより静かなので、かなり違和感があったらしい。「俺ってそんなにやかましいか?」「ツァオさんが休みの日は、お店が静かだよ~(爆)」「俺だってだまって仕事する時はあるんだよ」「それは普通じゃないね~」すいません、日頃迷惑かけてるんですね(汗)
2006.10.06
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今日はもう1件。今日は2号と話をしました。3号は2階でテレビを見てたんでいなかったんですが。1号は、だいたいその辺でうろうろしてるんでいたんですけどね。1号の夢は警察官。3号の将来は消防士。ま、今のところですけど。2号は特に決まっていませんでした。「お父さん、俺は論理を勉強したい」「ほお。なるほど。そりゃ、そういう本を探して読んでみるといいな」こいつかあ。最近、ネットの履歴の中に妙な論文みたいなページが入ってることが多かったんですよね。論理の矛盾や証明について書かれたページがちらほら。「たとえば、数学の証明とかも論理を勉強するのなら役に立つ。あれは『どれとどれが同じだからこれは証明できる』ってことだろ」「う。まあ。」「提示されているデータの中から、必要なデータを抽出して答えを導き出す。これを日本語でやればいいわけだ」「うん」「ま、後は普段の生活の中で『あれ?どうして?』って思うことがあったら、それを最後まで考えてみるんだな。そんなのおかしい、じゃなくてどこがどうおかしいのかまで」「なるほど」他にもいろんな質問をされましたが、ま、いろいろと。論理がおかしくないかどうかわかる、というのは言ってみれば道具です。「おかしくない論理」を作るのが目的ではなく、矛盾がないかどうかを見極める為の道具の一つです。英語ができたからといって、それだけでは役に立たないのと同じで、それを使ってできることがあるかどうか。学ぶべきことはたくさんあるよ。でも、学びたいと思って学ぶのはちょっと違うとは思うけど。
2006.10.05
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別に一人も二人も変わらない…ってのが正直なところなんですけど。あの、タイトルに深い意味はありません。このタイトルに興味を持って来られた方のために、簡単にうちの子どもの構成を書いておきますね。高校1年生がひとり(1号)、中学3年生がふたり(2号・3号)。年子で双子です。幼いころは三つ子みたいなもんでしたね。職場でアルバイトの大学生に聞かれました。「ツァオさんのお子さんは双子さんって聞いたんですけど」「おう、そうだよ」「僕も一卵性双生児なんですよ」「あ、そうなんだ」「ツァオさんとこ、双子って仲はどうですか?うちは仲悪いんですけど(笑)」そのアルバイト君の話によると他にも、お母さんが「双子」である事を意識しまいとして、服をはじめとして全部別にしたそうです。そういえば、うちの場合は普段の生活の中で「双子」がいると言うことを意識することはありません。服をいっしょにしたいとか、そんなことすら思わない。だけど、いっしょに二人分買うから同じ服を着る事が多いってだけでした。もう中学3年ですからね。家の中に15年3人の男の子がいるわけです。意識もへったくれもなくて当たり前の風景ですわね(笑)最初は大変ですけど(なんせ二人だし)徐々に楽になります。うちの場合、長男がいたから特に思ったんですけど、双子だと「遊んであげる」必要が少ないんですよね。ふたりで遊んでるから。自分で服を着替えて、ごはんを食べるようになったら後はずーっと二人でいてくれます。ケンカしてるのは小学校の高学年あたりから見た事がありません。言い争いもほとんどない。たぶん誰が「兄ちゃん」になるかという意識も希薄なんじゃないか?3人ともお互いを名前で呼んでます。「男の子3人だと、家の中が大変でしょう?」ってよく言われます。このオヤジといっしょで片付けはしないよ(笑)…それを大変っていうのか(汗)3人とも物静かで、長男が1番よくしゃべるくらいです。くだらないテーマで4人で熱く議論することもたまーにありますけど。くだらない冗談は3人とも大好きですが。…双子の育て方ってタイトルだったな。ほっといても育つ(爆)でもひとつだけ。幼い頃に甘やかすと、15年後に取り返しがつかない。個性を伸ばすのとルールを守らないのとでは意味が違います。たとえば「仕事場では制服を着る」というルールを受け入れないのが個性を尊重することにはなりませんよね。…服を着なくちゃ出せない個性を個性とは認めないけどな(笑)生まれた時は誰でも赤ちゃん。つまり、出発点は同じ。でも、向かう方向が微妙にずれたとすると、何キロも先では大きく外れるのと同じように、幼い頃「許されたこと」は「許されること」としてインプットされます。たとえば、機械に間違ったプログラムを入れた場合、それは機械のせいではありません。しかし、事故を起こすのはその機械なのです。幼い子どもは素直に親の言うことを聞くものです。だからこそ、長男が幼い頃から、間違ったインプットは子どもの将来に対する「超長期計画的虐待」であることを意識したいと思いましたね~。いまのとこ、うまいこと育ってますねv
2006.10.05
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何時に起きるかは知らないけれど(笑)休める~うん。まだちょっと変ですな。
2006.10.04
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風邪ひいちまったみたい。鼻水がとまらず寒気がして、間接が痛い…でも書いてる(爆)
2006.10.03
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これ、まだバリバリに上映中だからネタばれはまずいだろうなあ、と言うことで。OMITAさんは2回見に行ったらしいですが…わかる気がする。私、ほとんど予備知識なしで行ったんですよ。だいたいですね、今日は映画を見に行くつもりはなかった。休みだったんですけど、朝から仕事を片付けなくちゃいけないのがひとつあって、その後夕方には前の勤務先に行かなくてはいけない用事があり、時間があいちゃったんですね。で、行く途中にシネコンがあるんで、立ち寄ったらたまたまちょうどいい時間帯にやってたのがこれだったという。もう1本が「ウルトラマン」だったんで、これはちょっと(笑)「イル・マーレ」はSFじゃなかったんですね(爆)いやー、バリバリのラブストーリーでした。結末も書くわけにはいかないけど。って、これリメイク版らしいですね。てことは書いてもいいのか??犬の演技が細かくって好きだったな~。見た人はわかると思うけど。何の変哲もないラブストーリーです。悪いやつは出てきません。かわいそうな(!)扱いを受けることになる男は出てきますけど。個人的には、雰囲気にひたれる映画でした。大騒ぎをするわけでもない。感情が爆発するわけでもない。スペクタクルもない。でもなー、なんだかよかったんだよ。分析して解説してもいいんですけどね(笑)ちょっとだけ(爆)この映画、簡単に言えばメル友から発展する恋のお話です。単純に、必要だからお互いの連絡方法を手に入れた二人が、その連絡方法の異常さに気づき、その誰にも話せない(そりゃ誰も信じないだろうから)という「秘密の共有」が二人を近づけていく、というお話です。「会いたいけど会えない」という古典的手法と「文通」という廃れてしまいつつある通信方法を、「2年の時を超える郵便ポスト」という小道具で、ふたつまとめて違和感を解消しました。文通なんだけど、リアルタイムで通信できるわけです。同じポストに入れるわけだから。それは映画を見ていただければすぐにわかりますけど…こりゃもう、誰にでもわかりますね。携帯メールと同じことです。メールの着信音が鳴るのを待つように、ポストの「ことっ」という音を待てる。後は、恋がどのように育まれていくか、と言う話です。気になる人と、メールでやりとりをした事のある人なら、かなり身近に感じられるかもしれません。ま、男ひとりで見る映画じゃないね(笑)
2006.10.02
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