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ゆきえ@ Re:「戦争はなくせませんが減らすことは出来ます」(他者の視点を持つ)(01/08) 自分の勝手な思い込みの長文を、コメント…

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森の声

森の声

2026.06.05
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カテゴリ: カテゴリ未分類
多くの日本人が大好きな「ふるさと」という童謡があります。
ネパールで「日本の歌を歌ってくれ」と言われたときにもみんなで歌いました。


小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)


というものです。この歌詞を見ても分かりますが、ただ単に「生まれ育ったところ」が「ふるさと」なのではなく、「子ども時代の物語に組み込まれた場所」が「ふるさと」なんです。「物語を育んだ場所」とも言うことが出来ます。
これは山や川だけではありません。子どもの時に、家族との間に楽しい物語をいっぱい作ることが出来た子は、「家族の風景」も、懐かしい「ふるさと」の一部になります。
それを私は「心の原風景」と言っています。

ですから、周囲にいっぱい山や川のあるところで育っていても、公園のベンチに座ってゲームをしているだけなら、その山や川は「ふるさと」になりません。家の中から出ずに、一人で遊んでいたらなおさらです。
そういう子ども時代を過ごした人に「子どもの頃の想い出」を聞いても、なかなか出てきません。人の記憶は「物語」として定着するように出来ているからです。(その原理を使って、知識を物語化することで覚える暗記法もあります。)

家族と同じ家で暮らしていても、家族との間に楽しい物語が作られていなければ、「懐かしい想い出」としての「家族の記憶」は残りません。虐待などされていた子は「苦しい想い出」として残ることはありますけど。

仲間といっぱい遊んで育った子は、「仲間」も「ふるさと」の一部になります。「竹馬の友」とか「同じ釜の飯を食った仲間」などという言葉がありますが、この言葉を聞くとその相手との「物語」が分かりますよね。「物語」を共有して遊んだ子が「仲間」なんです。


でも、一緒に木登りをしたり、わらべ歌をしたり、いたずらをした子は「仲間」です。ですから、「子どもの頃の想い出」に出てきます。
名前や顔は忘れても「仲間がいたこと」は忘れないものです。そしてそれが「ふるさとの想い出」になっていきます。

「ふるさとの想い出」は、自分と自然、自分と仲間、自分と家族との間に生まれた物語そのものなんです。
子どもはやがて大人になり、ふるさとを離れます。でも、大人になり、ふるさとを離れても、心の中に書き込まれた「ふるさとの物語」は消えません。心の奥底に沈み、心の土台となって、子どもの心をしっかりと心を支えてくれるのです。
そして、その土台があるからこそ、子どもはその土台の上に「自分の物語」を創り始めることが出来るのです。

でもいま、この「心の土台」としての「ふるさとの物語」を育てることが出来ない状況で育っている子がいっぱいいます。そういう子は簡単に、心の迷子になってしまうのではないでしょうか。





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Last updated  2026.06.05 08:57:09
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