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ポンボ @ Re:まもなく発刊予定です(04/01) Oh ! My ! Great ! 自費出版! You are α …
msk222@ Re[1]:まもなく発刊予定です(04/01) ポンボさんへ ところが、これは著作と編集…
ポンボ @ Re:まもなく発刊予定です(04/01) いいなぁ ご自分のご商売ですと、実費だけ…
msk222@ Re[1]:被災地支援(01/07) みちのくはじめさんへ ぼくの場合、感情の…
みちのくはじめ @ Re:被災地支援(01/07) こんにちは。みちのくはじめです。 私たち…
aki@ Re:被災地支援(01/07) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

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2012.12.29
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カテゴリ: 日替わり日記
ことしの夏がなつかしい…


 しかし、ベイスセラーといってもこの本を読んだ人は国民の数からいえば0.1か0.2%程度であろう。残念ながら話題としては流行語大賞となった「ワイルドだろぉ」に負けている。
 ともかくも僕にとっては、長年抱いてきた疑問に答えてくれ、これほどひとつの感慨を抱かせてくれた本はない。 もちろん、書かれた内容について、すべて肯定していいのかという多少の違和感はあった。
 例えば、岸信介や佐藤栄作が自主派で、対米追従派としての池田勇人、中曽根康弘、小泉純一郎はともかく三木武夫までが対米追従派というようなくだりなど…。しかし、戦後日本の名宰相として名高かった吉田茂が、ときとして米国の犬として働いたというような新たな指摘には唖然とさせられた。
 最近のアメリカ国立公文書記録から明らかになったが、アメリカのCIAは日本を米国にとって都合のよい国にするため、多くの重要人物をスパイとして使って日本の政治動向に深く関わってきていた。たとえば読売グループの正力松太郎や岸信介もA級戦犯からの恩赦とその後の処遇と引き替えに、米国の(都合の)ために働いてきたとされている。
 その岸信介が、巣鴨拘置所に収監され、死刑を覚悟していたのに突然、釈放され、忠実な親米派に変身し、十数年後に首相にまでなったのは戦後日本憲政の謎とされてきた。
 その謎解きをしたのが、ピュリッツアー賞を受賞したニューヨーク・タイムズのティム・ワイナー記者の『灰の遺産 CIAの歴史』だった。そのごくさわりの部分につぎのようなくだりがある。

 CIAは、情報提供に対する報酬の形で将来性のある自民党政治家に資金を与えた。
 岸は1955年に自由民主党を結成し、幹事長に収まるが、CIAの工作を利用して保守勢力を糾合した。そうして政権トップを目指した岸は、安保条約の改定を米国に約束した。岸との連絡役になったのはCIAのケース・オフィサーであるクライド・マカヴォイであった。
 1957年3月、岸が首相になる日、国会では安保条約に反対する動きが顕在化していた。それについてマカヴォイは、「岸と私はその日のクーデターを流産させた」と次のように語った。
 「米国と日本は合意に向かって動いていたが、日本共産党は投票が行われるこの日、国会で反乱を起こす計画を立てた。それを社会党本部職員の通報で知った私は、天皇に謁見する予定だった岸に緊急秘密会談を申し入れ、モーニングにシルクハットの装いで現れた岸に、共産党が国会で反乱を企てていると伝えた。国会では午前10時半か11時に食事などのため審議を中断させ休憩することになっていたが、岸は休憩を取るなと自民党議員に命じ、自民党以外の議員が退席したすきに法案を採決した」

 1957年6月に岸は訪米し、新任の駐日大使に決まっていたマッカーサー将軍の甥・ダグラス・マッカーサー2世と会って、米国が権力基盤強化を助けてくれれば、日米安保条約は成立し、左翼を押さえることができると語った。そうして、内密の支払いではなく、CIAによる恒久的な財政支援を求めた。
 アイゼンハワー大統領は自民党有力者へのCIA資金提供を承認した。相手によっては米企業からの献金と思わせ、少なくとも15年間、4代の大統領にわたって資金提供は続いた。

 というような内容だった。この岸信介が対米自主派だったとはにわかに信じられない。
 このように部分的流れとして、どのように解釈して著者が記述したのかは僕にはわからなかった。しかし、戦後の歴史的流れと重ねて読むと符号するところが多く、重い視点として受け止めざるを得ないと感じた。
 「清濁あわせ飲む」というのが戦後保守政治家の常としても、この時代のいっぱしの政治家たちにはそれなりの志や識見はなかったのだろうか。あるいは「対米追従」を装いながらも、大局では国益にかなうように動いていた、という一面もあったのではないだろうか。ここまでいうのはいかにも日本人的性善説かも知れないが…。
 いずれにしても、外交に関わった人々を単純に2分類したのは、日米の構図をできるだけわかりやすくしようという著者の意図であったかも知れないが、それでも若干のクエッションは残る。

(前の日の日記につづく)






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Last updated  2012.12.29 21:55:27
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