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みらい0614さんComments
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藤原桜扇こと島岡久子さんが亡くなった。昨年の11月27日のことである。
ぼくは亡くなる10日ほど前に入院していた飯田市の健和会病院に見舞ったが、そのときには深い昏睡状態で、呼びかけても応答がなかった。
一昨年の暮れ近くにご夫婦でぼくのところを訪ねてくれて、その1週間後に脳梗塞で倒れて入院したから、1年近い入院生活であったがその間、穏やかに弱ってゆき、まことに静かな別れとなった。
彼女にこんな句がある。
病室の窓の美しすぎる月
神様に近づく鈴を振りつづけ
川柳人としてはぼくの大先輩であった藤原桜扇さんが紆余曲折を経て信州に住むようになり、島岡幸義さんとの老後結婚をして以来、車で2時間ほどの距離があったが、親しくお付き合いをして戴いてきた。
島岡夫妻には、それぞれに波乱に満ちたドラマチックな人生があり、長い長い助走のすえたどり着いた運命的な出会いがあった。そのふたりを結びつけたのが“林檎”である。
島岡幸義は単一品種としては日本一ともいわれた林檎農園を経営してきた。そこで生まれる林檎がふたりを引き寄せ、人生の晩年のドラマを彩った。
淋しさはすすき千本抱いたとて
ふたりの紆余曲折、さまざまな葛藤を経て、七〇歳を超えた再々婚同士のカップルであった。
周辺からは、さまざまな好奇に満ちた視線や陰口もあったようだが、ぼくから見る島岡夫妻はじつに豊に老後を過ごしておられ、でき得ればぼくの老後もかくあらんと思えるような、理想的な夫婦像をみせてくれた。
思いつくと二人で旅に出かけ、美味しい店ができたと食べに行き、好奇心のままに日本中の何処にでもでかけて、ぼくら夫婦を食事に誘っては土産話を聞かせてくれた。
地方のマスコミでも大きく紹介されたこともあって、本を希望してきた人が何人もいた。見知らぬ人から「これが川柳なのかと感激した」「心のどこかにひそんでいた想いを代弁してくれた」といった感想の手紙が数十通に及んだ。
そして、本を通じて島岡夫妻の人柄を知った人々との新たな交流が拡がった。
ふたりの文学的下地や人柄もあってのことだが、互いの誕生日には手紙を交換しあっていたという。ぼくも原稿の間に紛れていたその一部を目にしたことがある。
そこには、さりげなく互いの健康を気づかう、じんわりと体温を伝えあうような温かみのある文章が綴られていた。
“愛”の形はさまざまなものがある。
肌を触れあい、家族としての気持ちを深めあうといったことの無くなった年代になっても、すべて超越し、ありのままにお互いの人生を許し、労り合う、長年の歳月を寝かせた古酒の味わいのような夫婦の姿として、ぼくには見えた。
そのひとつに、川柳にも関わってきた人ならではの、印象的な言葉が、強くぼくの脳裏に焼きついている。
それは、「いつまでも二人の朝が続くように…」というものだ。
若者の言葉としてであれば、色っぽさも感じようが、残された時間を噛みしめてゆく年齢になっての言葉であることを噛みしめれば切実な希いである。
ぼくは、その一行のなかに「晩年」という痛みを互いに労り合う姿を認め、新鮮な感動を覚えた。
花の芯しんから泣いてひとり旅
先日、島岡幸義さんを訪ねてきた。
先立たれて1ヵ月を経た島岡さんは、看病のときと打って変わったやつれようが痛々しかった。言葉にも、ところどころに錯綜が見られ、妻を亡くした現実を受け入れ難いようにも感じられた。
「カアちゃんが居なくなると、男はダメなものだよ。何をしていいのか、何から手をつけたらいいのかちっともわからん。生きていてくれるだけで良かったのに…」と、繰り返し繰り返し、つぶやく言葉にはかつての生気がなかった。
仏壇に向かっては「ほんとうに死んじまったかのう」と語りかける姿に、慰める言葉もなく別れてきたが、立ち直るまでにはもう少しの日数が必要であろう。
あの世からこの世へかかる糸電話
ところで、故人の句集『桜扇』がぼくの手元に預かっているものが20冊ほどある。もし、読んでみたいという人がおれば、差し上げますからご連絡をください。
