かりん御殿

かりん御殿

May 27, 2008
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カテゴリ: 旧(身内話)
つい最近、英国最大の文具書籍系列店WHSmithで
黒い合皮覆い付きの帳面を買った。
覆いは取り外してA5版の書籍に取り付けられる。
中の帳面は、表紙が固く、しっかりとした作りで
罫線ではなく升目。
値段は、9.99ポンド(潔くない10ポンド)
日本の2千円感覚で、英国の帳面としては
かなり合理的な価格だ。

これに、日記を書いている。


児童の頃、大晦日の夜、母が枕元に「こっそり」
置いてくれる新年の日記帳の贈り物が楽しみだった。
母からの贈り物だとわかっているのに
クリスマスプレゼント並みに心がときめいた。
しかし、この日記帳と私の関係は
いつも、蜜月(長くても2月まで)
自分の誕生日が近づくと思い出し
また、ちょこっと付け、
後は、思い出した時に、1ヶ月に1回くらい
短い覚え書きを書き留めた後
急に12月になって、また、せっせと書き始める

(って、どんな?)関係を続けていたのである。

書く時には、1日1ページでは足りない。
しかし、書かない所は、まっしろ。
それでも、少なくとも3ヶ月分は書いてあるので、
小学生時代の日記帳は、「乙女情報」満載型だったので

捨てるに捨てられなかった。
もったいないので、余白の部分に
マンガを描いたりしていた。

当時の日記帳は、兄のもとにあったが
兄が入院して家を引き払った際に、父が
処分したのかもしれない。
今となっては、わからない。

今、その日記帳が手元にあったら
面白かっただろうなと惜しくは思うが
私の過去の記録も母の記録も、写真も含めて
殆どが、兄の入院とともに、過去の封印の様に
行方不明になってしまったので
懐かしい気持ちはあっても、諦めている。

ただ、高校時代や大学時代、日記をつけていたか否か
全く記憶に無い。
日記帳が再び私の人生に登場するのは
欧州に来てからだ。
その頃には、既に、日記帳も、小型の
「手帳」形式の物を求めるようになっていた。
母が亡くなってから、引っ越しの多い人生となり
少しでも荷物は少なくしたかったからだ。

それでも手帳と日記帳は買い続けた。
文具が好きだったのも理由の一つだ。

旅行先では、手帳を必ず買った。
お気に入りは、「学生手帳」
これは、中学生用の手帳で、授業に関連した
情報などが載っているのが面白かった。
ノルウェイ、スウェーデン、
東西ドイツ分裂時代の、西ドイツと東ドイツ
イタリア、スペイン、フランス...
残念ながら、全てが手元に残っているわけでは無い。

同時に、質の良い皮の手帳型日記帳も好きで
結構な金額を払って、イタリア製の日記帳などを
買ったりもしていた。
ドイツで買ったオーストリア製の黒皮の
がっちりした表紙の細長い文庫本程度の大きさの
本のような日記帳は、今でも、手触りが良い。

つい3,4年前までは、Quo Vadisの
美しい発色の合皮の覆いが付いた
見開き左側が一週間の予定
右側が罫線で自由記入欄になっている
手帳型日記帳を愛用していたのだが
その、英国で17ポンドという値段と
相変わらず3ヶ月分しか使わないという点が
もったいないような気がして来て
買うのをやめ、結局、10~11月頃の
英国の一般的な女性月刊誌に付録として
付いて来る日記帳のみを使う様になっていた。
この付録の日記帳も、情報は満載だし
なかなか使い勝手が良かったのだ。

しかし、つい最近買った冒頭の帳面は、全くの帳面だ。
中には何の情報も無い。日付も無い。
気が向いた時に、思いついた文章やら
詩やら、息子達への愛の言葉(笑)などを
書き留めておこうと思って買ったのだった。

それが、何故か、毎日、日記を書いている。
最初は、手書きが、かったるかった。
思いつくままに書いて、後で編集するという
コンピューターでは当然の書き方に
慣れてしまったので、まず、頭で文章を作って
書くという作業を思い出すのに戸惑った。
もちろん、漢字にも苦労している。
変換キーは頭の中にしかない。
辞書をひくか、時には、ひらがな
カタカナで、ごまかしつつ
一字一字、マスを埋めて行くのが楽しい。

楽しい、楽しいんだが
我が家には「困ったちゃん」がいる。
配だ。
何故か、私がブログや日記を書いていると読みたがるのだ。
もちろん、政治家や作家の日記の様に
読ませるための日記というものも存在するが
私のは、単なる、日々の感情や出来事の記録だ。
それを、夫は、
「夫にも読ませられないなんて」だの
「読ませられないのは秘密があるからだ」だの
五月蝿い。

40年前の中国大陸で育った彼には、
「個人個人の領域」という概念が皆無なのだ。

もっとも、夫婦間で秘密を持つべきでは無いという
考えの人は、「個人領域概念」の有無に拘らず
世界的規模で見ても意外に少なくないのかもしれない。
そして、そんな人は「秘密」を「やましいもの」と
認識しているのではないだろうか?

秘密は、やましいものでも何でもない。
やましい事を秘密にしている人も
もちろん、いるには、いるだろうが
秘密は、単に、家族も含め、どんな他人にも
公開したくない部分に過ぎない。
子どもは成長とともに個人領域を形成するものだ。
成熟した個人領域を持つ成熟した大人が
何故、その領域を他人と共有しなくてはならないのだ?
それは矛盾だ。

知られたくないから公開したくないのではない。
個人領域のものだから公開したくない
個人領域の中へ他人に入られたくない、
というだけのことなのだ。
私にとって、個人領域は、非常に重要なのだ。


単に帳面でしかない日記帳を選ぶのに
材質にせよ、手触りにせよ、一枚一枚の頁にせよ、
微に入って、拘るのは、
日記帳が、個人領域を象徴しているからなのだろう。






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Last updated  June 3, 2008 09:15:51 PM
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