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11月21日(金) ブログの書き方をすっかり忘れてしまった。 とりあえず、日記更新メールを利用して書き込んでいる。 マスコミ試写が始まって、相当の人が見に来てくれた。 だが、その反響は、来年になってからかかれるのだろう。 もどかしい感じだが、待つしかない。 神妙神妙。
2014.11.21
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-------------------------------------------------- From: > Sent: Sunday, November 16, 2014 10:14 AM To: ??????@mtg.biglobe.ne.jp> Subject: 16日の日記
2014.11.16
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2014.11.16
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久しぶりのブログだ。 いよいよ、マスコミ試写会が始まった。 会場は、シネマート六本木。 六本木交差点のすぐそばにある。 マスコミの人には会わなかったが、友人の監督たちが来てくれた。 おおむね好感を持って迎えてくれて、ほっとする。 11月に3回、12月に3回、 来年の2月7日の公開にむけて、宣伝活動も活発になる。 神妙に待つしかない。 -------------------------------------------------- From: > Sent: Sunday, November 16, 2014 10:14 AM To: ??????@mtg.biglobe.ne.jp> Subject: 16日の日記
2014.11.16
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久しぶりのブログだ。 いよいよ、マスコミ試写会が始まった。 会場は、シネマート六本木。 六本木交差点のすぐそばにある。 マスコミの人には会わなかったが、友人の監督たちが来てくれた。 おおむね好感を持って迎えてくれて、ほっとする。 11月に3回、12月に3回、 来年の2月7日の公開にむけて、宣伝活動も活発になる。 神妙に待つしかない。 -------------------------------------------------- From: > Sent: Sunday, November 16, 2014 10:14 AM To: ??????@mtg.biglobe.ne.jp> Subject: 16日の日記
2014.11.16
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先週の金曜・土曜と、鹿児島県の大隅半島にある大崎町に行ってきた。映画「私の赤い戦車 MY RED CHARIOT」の製作発表である。これは、思わぬ事故で車いす生活になった大崎出身の若い女性の物語である。すっかり生きる気力を失ってしまった彼女が、色々な仲間との交流して、新しく生き直すというドラマである。大崎町はじめ、大隅半島の4市5町が「はばたけ大隅実行委員会」を組織して、全面的に応援してくれることになった。撮影は秋のことだが、ようやくここまで来たという思いである。 取材には、朝日・毎日・読売・西日本新聞、南日本新聞、KTS鹿児島テレビの各社が来てくれた。実行委員会のみんなの町おこし・地域振興の熱意はすごい。その熱気に負けぬよう、きちんとした映画をつくりたちと思う。
2013.05.20
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5月14日に、ドキュメンタリー映画の上映をやります。「逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者」(2012 監督・飯基晴)会場は、練馬区光が丘区民活動センター 13:30~16:00(大江戸線終点光が丘駅下車1分)監督のトークショウがあります。会費は無料。カンパは、大歓迎。(詳細は、後日改めて)
2013.03.12
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最近、一番驚いたこと。なんと、ぼくに関するウキペディアができているのだ。それも、ごくごく最近。友人に言われて知ったのだが、誰が作ってくれたのか?ただし、作品データだけで、しかも映画やテレにドラマに関するのは少ない。これだけだとちょっと情報不足という感じ。どうせなら、〇秘風の情報があるといいのに、と思ったのでした。しかし、こんなの創るなんて、物好きだなぁ…。
2013.03.07
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初めて大島映画に出会ったのは、高校を卒業した年の6月。もちろん「青春残酷物語」である。 映画少年ではなかったので、それまで監督で映画を見に行くことはなかった。だが「松竹ヌーベルバーグ」が話題になっていて「大島渚」がその代表として論じられていたので、初めて監督の名に惹かれて映画館に行った。 そして…、 映画ってこんなに豊かにものが言えるのかと思ったのだった。子どもを堕した桑野みゆきのベッドの脇に座り込んだ川津祐介が、隣室の久我美子と渡辺文雄のボソボソと語り合う声を聞きながら、リンゴをかじる長い長いショットに引き込まれていた。 だからといって映画監督を目指そうと思ったわけではない。意識的に映画を見るようになったという程度である。 続いて「太陽の墓場」も見たが、「日本の夜と霧」はたった4日間で打ち切られたので見ることは出来ず、見られたのは大学3年になってからだった。 それから20数年後、監督協会の会員になり、あの「大島渚」と直接話をすることがあろうとは…。 協会の創立60周年記念のとき、実行委員になった。そのメインイベントとして「限りなき前進」の上映とフォーラムが行われた。その映画をやろうといわれたのは大島さんだった。(原案・小津安二郎、脚本・八木保太郎、監督・内田吐夢) フォーラムの担当者になったので、今までにないパネラーをと思い、大島さんのほかに、石井聡互、伊藤俊也、塚本晋也、山田洋次、渡辺孝好の方々に頼んだ。みなさん、快諾してくださった。大島さんは「司会は誰がやるの?」と言われた。「まだ決まってません」と答えると「そう」と言われただけだった。きっとシンポジウムの進み方が気になられたのだろう。後に司会が山名兌二さんに決まった時は、何も言われなかった。 フォーラムの前日、とんでもない事態が発生した。大島さんがロンドンの空港で倒れたというのだ。だが中止するわけにはいかない。急遽、実行委員長の恩地日出夫さんにパネラーになってもらった。「大島渚」という華はいなかったが、充実したシンポジウムだった。大島さんが見ていたら納得してくれたと思う。 83年6月、ぼくの初めての映画が「戦場のメリークリスマス」と同じ時に封切られた。(ヒットせず2週間で打ち切られたが)そのことは、ぼくの密かな宝である。
2013.02.13
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(久しぶりにブログ復活です。Facebookに書いたのだけど、木下映画を知ってほしいと思って、こっちにも転載します)今日は、東劇まで、木下恵介生誕100年祭に出かけた。お目当ては、「日本の悲劇」(53)。木下さんの中では、この映画が一番だと思う。初めて見たのは撮影所に入ってすぐのこと。ぼくは映画青年というほどではなかったので、好きな映画を時々見ていた程度だった。だが助監督になった以上、しかるべき映画は見ておかなくちゃなるまいと、ちょうど近代美術館でやっていた黒澤明特集、小津安二郎特集、木下恵介特集を見に通った。 木下映画は、小学校6年生のとき学校から見に行った「二十四の瞳」(54)しか知らなかったが、「日本の悲劇」を見て大感動したのだった。同じときに「女の園」(54)も見て、映画の面白さと力強さを知ったのだった。望月優子という女優さんを知ったのもそのときで、以来、日本の母というと、誰よりも望月優子だった。その後、ビデオでも見たのが、スクリーンでちゃんと見たのはあの時以来だから、実に半世紀...ぶり。色々と記憶違いに気づかされた。一番好きな、息子といっしょの墓参りの長いシーンはしっかり覚えていたが、最後の湘南電車に飛び込むシーンは思い違いが多かった。じっとベンチに座っていたように思っていたのだが、そんなことはなかった。階段を上ってホームに出たとき、入ってきた電車に衝動的に飛び込んだのだった。それにラストシーン。流しの佐多啓二と板前の高橋貞二の二人が、望月優子を偲ぶシーンはなかなかだった。あの頃はそれほどでもなかったが、今になってみると、何としみじみするものか。映画とはこういうものではないかと改めて思ったのだった。明日は、未見の「死闘の伝説」に行く。楽しみだ。
2012.11.26
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昨日は七草粥。一日遅れのアップですが、お許しあれ。 去年もそうだが、今年も近所で七草が摘めた。と言っても奥さんまかせだが。 初詣は、近くの鷺宮神社。暮の茅の輪くぐりでいった、由緒ある神社。元旦はこんでいて車を止める場所がなかったので、引き返す。3日に改めて出向いた。さすがにすいていて、すんなりお参りが出来た。終わって、近くの喫茶店へ。マスターがなかなかの凝り性で、じっくり入れるので待たされる。だが、その間のパフォーマンスが見ていて楽しい。コーヒーの味もなかなか。こういうコーヒーをお正月に味わうのは悪くない。写真を撮り損ねたが、想像力を働かせて…。その足で、新しい映画の脚本打ち合わせに向かう。ずっと抱えてうろうろしていたものだが、スポンサーがつきそうで、衣替えして始動し始めたのだ。こんどこそ、是非とも実現しなくっちゃ。いい年になりそうだ。
2012.01.08
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今年は、3月に新しい住処に越したので、高齢の茅の輪くぐりは、近くの鷺宮神社ですませた。 ここは、小さいながら、中野区で唯一の官幣大社である。源頼義が前九年の役の際に勝利祈願をしたということになっている。なかなか趣があってよろしい。 ただ、昨年までの赤坂日枝山王神社のように格式ばっておらず、神主の先導もなく、勝手に回ることになっているようだ。みんなはもっぱら、回り終わってのお神酒が目当てのようで、そっちにズラッとならんでいる。だが、こういう鄙びた雰囲気もいい。来年はきっといいことがあると思わせられる。きたいしよう。
2011.12.30
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「きつね」のチャプター分け 2011年09月22日 ビデオ部のM氏から「きつね」のチャプター表とその「抜き画」の案が送られてきた。「抜き画」というのは、チャプター紹介のコマである。このチャプターにはこういうドラマがありますよ、と紹介する画である。 チャプター分けをするのは、加藤泰さんの映画でやったことはあるので初めてではないが、抜き画を選択するのは初めて。そのため、一コマ一コマずつ見ることになった。 これまでにも、何度か見たことはあるものの、1コマずつ見るのは、撮影後の編集以来だから、28年ぶりのこと。M氏があげた候補の絵を確認するところから始めたが、それがPCで出来るというのは、隔世の感がある。あの当時は漸くビデオが見られるようになったばかりの時代で、撮影所の編集機でなくても家で見ることが出来るようにはなったものの、画質は悪かった。 しかも、ベータ。が一般的で、漸く2時間もの(B2)が売り出されたころだった。VHSはベータより劣るというので、テレビ局も全部ベータであった。だが、次第にVHSが追い上げてきて「コマオクリモデキマス」というCMが評判になったのだった。しかし、今のPCにはとても及ばない。「抜き画」は、みんなが見たい思っているであろうコマを選ぶようにしたら、チャプターが増えてしまった。普通は10程度だというのだが、特別に13のチャプターにしてもらった。 そのコメントは、M氏に任せたので、どんな仕上がりになるか楽しみである。 また、特典映像に撮影中のスナップ写真をつけることになった。どういう写真が載るのか、これも楽しみである。 非公開日記 (秘密日記は記入されていません) [トップページに戻る]
2011.09.27
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アマゾンでは早くも予約募集していると聞いたのでみてみると、「あの頃映画シリーズ」第1弾とある。「あの頃映画」って、なんだ?まあ、どんなネーミングでもいいか。 それで、きのうは、イマジカでDVDの作業を行なった。松竹ビデオ部のMさんが送ってくれたアドレス入りの編集版は、両サイドが切れている感じで、色合いも赤が出すぎている。それが我が家のモニターのせいなのか、そういう風に処理されているのかの点検作業である。普通ここまでやってくれるのはありえないことなだ。だが、初めてDVDになることだし、慎重やりたかった。そのことを松竹のスタッフもよく分かってくれての、作業となった。 画額は、正しく、1:1.85のビスタサイズになっている。やはり民生機(売られているTV=モニター)とプロ仕様との違いがあり、ある程度はやむを得ないそうだ。色合いも、モニターが勝手に調整してしまい、赤が出やすくなっているという。ミキサーは、ここでやったとおりに出るといいんですけどね、と嘆いていた。まあ、いろいろの疑問を話し合うことができたので、納得して送り出せる。あらためて、間近にみると、ロケとセットのつながりが実にいい。これはやはりキャメラマンの坂本典隆さんの腕というべきだろう。改めて感心したので、スタッフにも大宣伝した。 特典映像は、予告編以外にも、スチール写真や撮影風景の写真などがスライドショーで見られるようにしたという。普通はこんなこんなことはないので、楽しみだ。それにしても、「あの頃映画シリーズ」というくくりにはびっくりした。その第1弾だというのだが、後にどんなのが続くのだろう。期待して待つことにしよう。
2011.09.06
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先日、松竹から連絡があった。「きつね」がついにDVDになるのだという。 28年目にして、初の出来事だ。何で、今になって?と不思議に思って担当者に聞いてみると、ネットでの人気が大きいという。しかし、これで「幻の映画」ではなくなってしまうのが、ちょっと惜しい気がしないでもない。 最近の状況では、新作映画は別として、旧作の場合、一度ビデオになったものをDVD化しても余り売れない、という。そこで、一度もビデオになっていない作品が注目されるのだという。だが、何でもいいというわけにはいかない。そこで、ネット人気などが考慮されるのだという。おかげさまで、「きつね」はいろいろ話題になっているのでまず掬い上げられたそうだ。それは、少女(高橋香織)の魅力がおおきい。本当にいろんな変化を魅せてくれた。まずは、自主上映を続けてくれた「しろやぎ通信」のN君のおかげだ。彼には、真っ先に報告しなければなるまい。真っ先に、少女に魅せられたひとりなのだから。 発売は11月23日。まだ咲きの話で、いまはその作業中。特典映像には、各種の予告編が4本もつくそうだ。まずは、第1報ということで…。
2011.08.28
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先日、「車椅子で見た練馬」(監督・岡本圭子)の上映会があった。もっと早く書こうと思っていたのだが、何やかやと取り紛れて遅くなってしまった。 なかなか良くできている。特に、撮影(映像)はいい。コンテもなかなかである。とても初めてとは思えない。ラスト近くのラーメン屋のシーンは、一番良かったのではないか。撮影しながら技術を体得してきたというのが良く分かる。やはり、アシモフの世代と違って、映像のあふれるなかで育ってきたせいだろうか。なまじっかな、プロよりもいい感じだった。 だが、である。音声が悪い。悪すぎる。それが、とても残念だ。ちゃんとした録音機材が使えなかったせいなのだが、だからといってこれで満足してほしくない。映画は、撮影すれば終わりというものではないことは、岡本さんもよく分かったと思うが…。残念すぎる。で、改めてよく見ると、音声が聞えないから分からないのかと思うと、必ずしもそうではない。役者のいたらぬところ、演出のうまくいっていないところが見えてくる。脚本と映像の関係を、今度は岡本さんを講師として体験的に語ってもらうといいと思った。最後に、もっとスーパーインポーズを多用したらよかったのではないか。もちろん、音声の補いではあるのだが、さらに進めて、補うという以上に、「バリアフリー映画」として、聴覚障害者にも分かるように全面的にスーパーを使ったらいいのではないかと思う。アフレコでせりふをちゃんと聞えるようにした上で、さらに一歩進むということである。それが、『この映画のテーマにもかなうのではないかと思ってそのことを提言したのだが、残念ながら、彼女の理解を得られなかった。ともあれ、映画はずっと残る。それだけでなく、作者の手を離れて一人歩きしていく。だからこそ、細心の神経を払って創り上げなければならない。監督というのは、最後まで責任を取らねばならない。脚本の場合は、ある時点で監督にゆだねるということも必要で、それだけに最後は抽象的なもので終わってもいいのだが、監督の場合はそれは許されない。どれだけ具体的にするか。そしてsの具体を通して、抽象を描く(伝える)のである。岡本さんがこれで終わりにしないで、もっともっと新しい作品に挑戦してほしいと切に思う。
2011.08.17
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昨日、急遽、「大鹿村騒動記」を見てきた。いずれ見ようとは思っていたのだが、『昨日行ったのは、もちろん原田芳雄追悼の意味だ。市とは、ちゃんとした仕事はしていない。助監督の時、山根成之監督のテレビ映画でちょっと一緒になっただけだが、亡くなったのはショックだ。 T-ジョイ大泉に行ったのだが、人は少なかった。まだ、追悼で見に来るには時間が短かったかもしれない。映画は、原田芳雄追悼にふさわしい、ワンマン映画ともいえるものだった。こういう軽妙さは、坂本順治の持ち味のひとつでもある。「ぼくんち」の赴きも感じられ、十分大人の楽しめる喜劇になっていた。 大楠道代の存在も、意表をついていて面白かった。ただ18年ぶりに帰ってきたというだけでなく、認知症に近い病を抱えているというのは、なかなかのものだ。塩辛の瓶詰めのラストシーンは、ちょっといただけないかんじだが、まあ、これもご愛嬌か。やはり、これは、300年も続いているという村歌舞伎を見せる映画なので、それは良くやっている。だが、三味線や語りなどは村人なのだろうが、役者はみんな俳優なので、どこまで本物かは分からないところが惜しい。しかし、いい気持ちになって帰れる映画であった。
2011.07.20
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先日、やっと「マイ・バック・ページ」を見た。 あまり見たくはなかったのだが、周辺の評判がよくぜひみろとすすめられたので、でかけた。 だが、見たくなかったというのは、間違っていなかったように思う。 妻夫木聡も松山ケンイチも好演である。 妻夫木は熱演といってもいいし、松山の得たいの知れない狂気をはらんだ目つきはなかなかのものだ。 これは、監督の問題だと思うが、前半の学生たちのありようは、とても気になった。 美術の考証がしっかりしているといわれていたが、それほどでもない。 近い過去を描くのは難しいものだとつくづく思った。 後半は、自衛隊基地襲撃事件が中心になるのだが、松山演じる男になぜ妻夫木がのめりこんでいくのか、ロックが好きで、好きな曲が同じで…、ということでいいのだろうか。 事実がそうだたっとしても、ドラマとしては甘すぎるのではないか。 川本三郎の原作は読んでいないので、純粋に「映画」として見られるのだが、1971年の捕らえ方に疑問があった。 1971年はもはや全共闘の時代ではなかったはず。 全国全共闘なんて、まともには成立しなかったと思う。 東大全共闘のカリスマ的指導者といえば、山本義隆しかいないはずだが、彼はもっとカッコよかったのではないか。 日大全共闘の秋田明大と二大カリスマだったが、二人とも、実に鮮やかだった。 アジテーションがうまく、今風に言えばとてもイケメンだった。 山本義隆が地下にもぐっていて、久しぶりに日比谷公会堂の集会に現れたときの様子はとても鮮やかだったと、語り継がれていたのではなかろうか。 新左翼ってのは、カッコ付けが得意というか好きだったはずでで、それが魅力でもあったのではなかろうか。だから、あんな無様な捕まり方はしていないと思うのだが…。 まあ、そんなことは映画の本筋ではないというひとが多いと思うが、そうではなく映画の底流に流れるセンチメンタリズムがどうも居心地が悪いといえばいいのかもしれない。 監督はなかなか力のある人だとは思うが、何で今こういう作品を作ったのか、いまいちわからなかった。 ただ、週刊誌のポスターになった少女は、とても魅力的であった。
2011.06.26
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桜井秀雄さんが、6月5日、肺炎で亡くなられた。撮影所に入った年に助監督としてついたことがある。それ以来親しくしていただいた。そのせいで監督協会の会報に追悼文を書いた。その引用を。(まだ発行日前だが、著者ということでお許しあれ)。1965年、助監督になって2本目についたのが、桜井監督だった。作品は、「馬鹿っちょ出船」。 ♪ 赤いランプを ともした船が~ で始まる都はるみの歌が主題の、いわゆる歌謡映画である。 桜井さんはその年、ヒット曲「アンコ椿は恋の花」を撮ったのに続いて2本目の歌謡映画。まだ30代半ばの新進監督だった。映画作りのことは何も知らずに撮影所に入ったぼくにとって、初めての長期ロケは、あの「二十四の瞳」の憧れの地・小豆島であった。主演は竹脇無我と香山美子。二人は幼なじみの恋仲だったが、貧しい彼女は網元のボンボンに無理やり嫁がされることになる。そこで、無我は結婚式の前日、花嫁を奪って逃げる、というお話である。(名画「卒業」のパクリと思われるかも知れないが、それより3年前の作品である)ものすごく長い移動シーンがあった。都はるみが二人を追って走るシーンだ。ありったけの移動レールが敷かれた。師の木下恵介監督譲りの大移動ショットである(と、後で知った)。ぼくは、カメラから遠く離れたスタート地点の石垣に隠れて、合図を待っていた。もちろんはるみと一緒だ。彼女はまだ17歳。そこには付人も来ていない。二人きりだ。なかなか合図は来ない。彼女は心配そうにぼくを見る。ぼくにしたって助監督になったばかりなので撮影の段取りのことなどよくわかっていない。なぜ、なかなかスタートの合図が来ないのか、なんでこんなに待たされているのか。もちろんアイドルの扱い方なんか知らないし、二人ともほとんど口を利くこともなく、ただただ黙って合図を待っていた。(ケータイはおろか、トランシーバーすらなかった)でもその次の日、「お兄ちゃん」といって、はるみが話しかけてくれたのがうれしかった。助監督の部屋が毎晩の酒盛りの場所となっていた。将軍という仇名のチーフのAさんが音頭をとり、監督の桜井さんはじめ、キャメラマンの荒野諒一さん、照明の飯島博さん等々スタッフが集まって、夜中まで酒盛りが続いた。飲めないぼくは、ビール1杯でダウン。宴が盛り上がる中、ガマンしきれずに部屋の隅でうとうとと船をこいでいた。寝不足が続いて翌日のロケバスの中で眼を開けているのが辛かった。そんなことが続いたある夜、コックリコックリやっていると、桜井さんがスッと寄ってきて「ぼくの部屋で休んでいいよ」と言われた。ぼくはこれ幸いと、A将軍の目を盗んで抜け出した。監督の部屋は廊下の一番奥にあった。おそるおそる障子をあけると、真ん中にフワフワの布団が敷いてある。うれしくなって遠慮なく布団にもぐりこんだ。それは、果たしてその夜だけのことだったのか、毎晩のことだったのか、その後の記憶がない…。もし毎晩だったら、お酒が入ると人が変わったようになるA将軍に厳しくやられたであろうに、何かを言われた覚えもない。きっと、その夜だけだったのだろう。桜井組のスタッフはみな優しかった。カチンコを持ってどこで打とうかと、林立するライトの脚やケーブルを避けてうろうろしていると、照明チーフのFさんが手招きして「ここで打ちな」と場所を開けてくれた。おかげでライトを倒すこともなかった。新米なのに怒鳴られたこともいじめられたことも記憶にない。桜井さんの優しさがスタッフにもちゃんと伝わっていたのだろう。そのころは、宿泊ロケだと、ロケ手当てなるものが出た。だから10日もロケに行くとかなりの額になる。月給2万円の新米助監督にはありがたかった。だがそれがいけなかった。帰りのフェリーの中で、小道具のS君(ちょっと年下だった)にドボンなるものに誘われて、全部まき上げられてしまった。はじめのうちは2倍にも3倍にもなっていたのだが、夜が更けるにつれてどんどん減って行き、港に着いたころにはスッカラカンになっていた。もちろん後悔先に立たず。こういう苦い思いも初体験だった。なんやかやで、憧れの小豆島ロケから始まった桜井組の思い出は、いつまでも鮮明だ。こんなことが最初にあったから、映画つくりの世界から離れられなくなったのだと思う。桜井さんの思い出は、助監督になりたてのころの、ちょっと甘酸っぱい記憶とともにある…。
2011.06.25
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NHKが48分×8~10回のドラマの企画を募集していた。夜10時台の女性向けドラマシリーズである。その締め切りが13日。朝、Sプロに企画意図とあらすじと8回分のストーリーを送った。夕方になって、OプロデューサーがNHKに持ち込んで来たという連絡がはいったので、やっと一仕事終わった。先月の18日に話があって以来、ひと月たらずだったのと、同時にラジオの企画も考えていたので、結構せわしなかった。一段落してホッとしている。うまく通れば、内容をあかせるのだが、まだ企業秘密だ。その最中に、もう一本、ひらめいたものがあったので、その資料をTプロデューサーに送る。これは、締め切りには間に合わないので、別ルートで提案してもらうことにした。つい先日の新聞に出ていたもので、女性をターゲットにするには格好の素材だ。あさってT氏と会って具体的に詰めることになった。これも、内容は、企業秘密。みんな実現すればいいいのだが、そうはいかない。昔風にいえば、針の穴を通すようなものなので、あまり期待しないで待つのがいい。とはいえ…、なのだが。
2011.06.13
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シネマくらぶ第43回上映会は、「あの子を探して」(監督:チャン・イー・モー)。前からやりたかったのだが、若い人たちに字幕は得意ではないので見送っていた。だが、日本語吹き替え版があることを知ったので、上映することができた。 13歳の女の子が小学校の代用教師になるという設定が、日本では考えられないのだが、中国の山間部とあってはありうると納得させられる。担任の休暇が明けるまでの1ヶ月間、一人の生徒も減らなければ、10元余分にもらえるというのでがんばってしまう。そのけなげさ、いじらしさが、さわやかな作品になっている。大人たちのいい加減さ、狡猾さもチクチクと描かれていて、なかなかのものだ。ホクエーを探しに町へ行ってからのウェイの行動の描き方は、フィクションというよりはドキュメンタリーのようで、本当に心がいたむ。チャン・イー・モーには、「秋菊の物語」という傑作があるが、これも、町に出てからのドキュメンタリー・タッチがよかった。久しぶりにチャン監督作品を見たのだが、やはり名監督だという認識を新たにしたのだった。
2011.06.04
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岡山oniビジョンで3月に放送した「風の道伝説 おじいちゃんの初恋物語」のシナリオが掲載された「ドラマ」6月号が届いた。(発売は5月18日) CATVながら、昨年4月から毎月1本30分ドラマを放送するという画期的な企画だが、それが3月で最終回を迎えた。プロデューサーから最終回のシナリオを頼まれて書いたのが、「風の道伝説 おじいちゃんの初恋物語」である。 その作者ノートにも書いたのだが、みんなで作るふるさとドラマと名づけて地元の人たちからシナリオと出演者を募集したのだけど、出演者は数十名も応募があったのだが、残念ながらシナリオ(企画)の応募は2編しかなかった。そこで、大半はSプロデューサーの持ちネタになってしまった。 ぼくはそのオープニングと最終回を書かせてもらったが、ほかにゼミの受講生が3人、デビューさせてもらった。書いたものが初めて映像になったので、うれしそうだった。SくんととJさんは、撮影見学までしたほどだ。シナリオはデスクで書くけれども、それを具体化するのはまた違う作業なので、その現場に立ち会うとよく分かったと思う。これが励みになって、さらに飛躍してくれるとうれしいのだが…。
2011.05.14
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今月のシネマくらぶは、「フラガール」(監督・李相日)を見た。映画の舞台となっている「常磐ハワイアンセンター」は福島県いわき市にあることを、大震災が思い出させてくれた。 津波と地震でやられて、いつ再開されるか分からないという。そこで、震災地への連帯と被災者への追悼之思いで、上映することにしたのだった。そんなおり、フラダンスの踊り子(フラガール)たちが、再建されるまで全国巡業に出たというニュースに接した。そういういきさつがある成果、観客の心がひとつになって、前に見たとき以上に感動的だった。エンドマークが出ると、期せずして拍手が起きた。こんなことは、42回目にして初めてのことだ。 実際、こんなに涙腺が刺激される映画だとは思わなかった。始まるとすぐ、昭和40年という字幕が出る。昭和40年は、ちょうど大学を卒業した年なので、まさに青春の真っ最中。だから、最初に見たときは、同時代人としては素直には見られなくて、いろいろあらを探していたのだろうか。いろんなとこが気になってしかたなかった。だけど、今度はそんなことはなく、ドラマに浸って見られた。そのせいか、実に良くできたドラマだと感心。これなら日本アカデミー賞をもらったのも分かる。松雪泰子がよかった。前に見たのも、彼女目当てに行ったくらいなので、いいのは当然である。しかし、今回は、蒼井優にも、素直に感心した。なかなかの踊りだ。何回キャンディーズの静ちゃんもよくやっていた。父親が落盤事故でなくなったという知らせを聞いて、松雪泰子がみんな帰ろう、というのに、一人「踊ります」「躍らせてください」というシーンは、なかなかのものだった。 素直な気持ちで見ることができたのは、われながらうれしい。反響もいろいろあって、とてもいい上映会であった。 松雪泰子演じる教師にはモデルが実在していて、70歳を過ぎた今もなお現役で指導しているという。映画のでは振り付けのスタッフとしてクレジットされているが、彼女も先の銃運行のニュースに出ていた。 この元気な姿をご覧あれ。ますますのご活躍を祈ります。
2011.05.01
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3月で終わった「ふるさとドラマ」(oniビジョン)の題名の展覧会が行われている。題名展って何だ、と思われるだろうが、13作品それぞれのタイトルを、県内の有名書家が揮毫している、必見の書道展なのである。 この1年、ふるさとドラマに関わってきたが、地域主権がいわれている現在、町おこしもこういう文化的なことが重視されていくのは嬉しい。シリーズとしての企画は終わったが、これからも何らかの形で考えていきたい。 来月(5月)18日発行の月刊「ドラマ」6月号に、「風の道伝説 おじいちゃんの初恋物語」のシナリオが掲載されることになった、楽しみに待っててください。
2011.04.07
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大地震があったのは、引っ越して5日目。前のところは3階だったから、エレベータが動かなくなって大変だったろう。 なかなか壮大な建物でしょう! 前庭もすてがたいんですよ。 おかげで大地震も我が家には影響がなかった、と思っていたが、突然ショックなできごとが…。ガソリンがなくなったのだ。手動運転の車は、足というか生活の一部なのに、ガソリン切れでは話にならない。そのことに気づいたのは、ガソリンがそろそろないなあと思ってスタンドに行って仰天した。ズラーッと列が出来ている。じゃあ、あそこに行こうと、別のスタンドを目指したら、なんと売り切れの赤紙が…。あちこち行ったが、どこもみんな閉まっている。確かに、そういう話はテレビで聴いてはいたが、東北に近いところの話だと思っていた。こんなに身近なものだったとは…。あと3リットルくらいしかない。あした、早くスタンドにいってみようと思うが、スタンドを探し回っている間にガス欠になったらどうしよう…。こんな形で大地震の影響をこうむるとは…。
2011.03.14
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江戸時代以来の大地震だったという。だがテレビを見ていると、大津波のほうがひどいようだ。大船渡町や陸前高田市が壊滅しました、と報じられている。壊滅なんて言葉があっさり使われている。「ここには町がありました」と実況中継がいっているのがすごい。あのとき、ぼくは西武線の構内の喫茶店にいたのだけど、とても長い時間揺れ続け、しかも何度も揺れがあったので、横揺れとはいえ、恐怖だった。お客さんがみんないっせいにケータイをかけ始めたのが、さすがだなと思った。だが、ケータイはつながらない。ぼくのは古い機種のせいかと思ったが、そうでもないようだ。面白いもので、ケータイがつながりませんねえ、という会話で見ず知らずの者たちが突然親しくなって、恐怖を共有するという体験をした。時々、ネットにつながった人が、三陸沖だって、とか、震度6です、とか大きな声でいうのが聞こえると、ちょっと気が休まる。外へ出ると、広場でラジオを聴いているおっさんがいたので、一緒に聞かせてもらった。ラジオが伝える情報を聴きながら、「情報」というものがどれだけ不安を和らげてくれるかと、つくづく思った。何人かがぼくに続いてラジオに聴き入る。こんなときにケータイではなくラジオを聴いているなんてと感心したのだけど、おっさんは、ラジオを聴きながらコンビニの焼きうどんを食べている。で、気がついたのだが、どうやらホームレスらしい。比較的きれいな格好だったのですぐには分からなかったのだった。ホームレスのおっさんと親しく口を利いたのも初めて。広場からはエレベータで道路に降りるのだけど、動かないので、西武線の駅員さんに車椅子を抱えておろしてもらい、やっと車にたどりつき無事に帰ることが出来た。かえってからは、テレビにかじりつく。夜になると、電車が動かないので、帰宅難民のニュース。新しい家は新青梅街道沿いにあるので、夜遅くまで歩いて帰る人がひっきりなしに通る。車は渋滞。歩くほうが早いが、みな話もせず黙って歩いている。夜中になっておさまったが、いろいろとはじめての体験だ。おかげで、引越しの片付けはいっこうはかどらない。こうして21回目の引越しは、初めての体験と共に記憶されるのである。
2011.03.12
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3月に引っ越すと決まってから、ひと月。準備が遅々として進まない。とうとう、あと1週間になった。来週の日曜日は、新しい住み家である。整理するといっても、本とビデオしかないのだが、けっこう数は多い。さすがにベータは少ないが、8ミリビデオがかなりある。8ミリデッキは、かなり前にいかれてしまったので見ることは出来ず、全部捨てなくてはならないかと思っていたのだが、もしやと思ってネットで中古デッキがないかどうか調べてみたら、これがなんとかなりある。しかも高くはない。かつて調べた修理代よりずっと安い。これならテープは全部捨てないでもいい。落ち着いたら中古デッキを手に入れようと思う。さすがにVHSは多い。仕事のテープのせいである。テレビの仕事を始めたころはベータだったのだが、あるときからVHSになった。初期はテープ代が高くて、仕事をしても必ずしもそのテープがもらえるとは限らなかった。だから、仕事の全部があるわけではない。それがちょっと惜しい。最近は、仕事の作品もDVDになった。時の流れである。こんどの引越しは、生涯で21度目になる。最初は、4歳のとき。外地(北朝鮮黄海道)からの引き揚げで、三重県津市の親戚に身を寄せた。それから、富山県黒部市、神奈川県藤沢市、東京都武蔵野市とだんだん東上してきた。本籍は東京神田なのだが、一度もそこに住んだことはない。つまり親父の実家はなくなっているからだ。古い地図で詩選べると、首都高速の神田橋入り口付近である。つまり、親父は故郷喪失者。その流れでぼくも故郷はない。あるのは妻のふるさとの甲州だ。こんどの家は、バリアフリー。だから、もう引っ越すことはないだろう。つまり、終の棲家というわけだ。新居の住み心地は、いずれのちほど。
2011.02.27
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先月からTwitter を始めた。フォローというのがあって、いろんな人の「つぶやき」を知ることができる。またフォローされることも多くあり、あわせるといろんな人との交信が行われているわけだ。Twitterを始めてから、このブログに来る人も増えたし、面白いものだ。今日は、車椅子テニスの西村君と会った。ぼくの古い車椅子を譲ったのだが、なんでそうなったかというと、映画「車椅子でみた練馬」に出演してもらったとき、譲る約束をしたからだ。 (これは旧車ではなく、新車です)というのは、彼は麻痺ではなく切断なので普段は義足をつけて歩いている。(ただし、右足)テニスをやるときだけ車椅子に乗るのだが、それよりは、日常的に車椅子を使った方が、テニスの時にもうまく使えるからである。 彼は今はセミプロだが、ゆくゆくはプロになりたいと思っている。そのためには、もっと自己アッピールをする必要がある。そこで、Twitter をすすめた。おたがい近況を報告しあう中で、車椅子テニスに興味を持つ人が増えてくれるのではないか。これからは、大いにTewitterを活用してこうと、意気軒昂な再会であった。
2011.01.24
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岡山のoniビジョンの「みんなでつくるふるさとドラマ」の完結篇のストーリーがやっとできた。前にも書いたが、月1回30分ドラマを作って放送するという、ケーブルTVでは初の試みで、しかも俳優やスタッフを県民から公募して作るという画期的なことである。最初のモデルケースとして1時間ドラマの脚本を書いたら、それが思いがけなくケーブルTV大賞の審査員特別賞を受賞した。そのせいで、3月の最終回も頼まれていたのだが、なかなかすすまなかった。ともかく、「風の道」を舞台のドラマにしようと早くから考えていたのだが…。 倉敷方面には、むかし下津井電鉄という鉄道があったのだが、20年前に廃止されてしまった。だが、その廃線跡をサイクリングロードとして「風の道」と名づけたのである。その駅跡が残っているというのがいい。鉄道マンの話にしたいと思った。だが、下津井電鉄だけでは、難しい。そこで、下津井の港町も舞台にしたいと思った。 オーバーに言えば、正月返上で考えて、ようやく今日になってまとまったというわけだ。題して、「風の道~おじいちゃんの初恋物語」。プロデューサーのOKが出たので、早速シナリオにかかろう。
2011.01.13
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きょうは、鏡開き。鏡餅を割って、それをお汁粉にして食べる。 昔は講道館の鏡開きが有名だったが、ここのところ、そういう報道はなくなってしまった。鏡開きがすたれたのか、講道館が知られなくなったのか、どっちだろう。おずれにせよ、我が家は、こういう行事が大好きで、毎年欠かさずお汁粉を食べている。今年も、家族一同の健康を祈ってみんなでお汁粉を味わった。
2011.01.11
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早くも、七草粥の日。 例年と違って、きのうは七草摘みにいけなかったが、妻がちゃんと摘んできていた。ただし、せりだけはベランダで育てている。水辺のいい場所が年々少なくなっているからだ。今年の初詣は、いつも元旦は近くの天祖神社。 ここはいかにも地元の神社という感じで、静かで落ち着きがあっていい。 三日目は阿佐ヶ谷の神明宮と決めていたのだが、神明宮は改装して新しくなってて味がなくなってしまった。大晦日の日枝山王と一緒で、年々味がなくなっていく。来年は、新しい神社を見つけることにしよう。
2011.01.07
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今年も恒例の「茅の輪くぐり」に赤坂の日枝山王神社に行ってきた。6月の末日と大晦日、年に2回、茅で作った丸い輪をくぐって穢れを落とす、というのが「茅の輪くぐり」である。もう10年以上通っているが、年々人出が多くなっている。今年はこれまでの最高だろう。 まず、神主さんと巫女さんが厳かに祝詞を読む。そして神にささげものをする。神事が終ると、神主さんたちを先導に参拝客が輪をくぐる。最初はくぐって左に回る。続いて右回り、最後に左に回って終わりとなる。 例年、大晦日は寒い。今年は穏やかな気候で、神事に参加してもつらくはなかった。神事の最後は、和紙を切り抜いた小さな人型を胸に当てて紙ふぶきを散らす。このままごとめいたのが宗教くさくなくて好きだった。だが、今年はなんと有料だというのだ。しかも3000円も初穂料を出さないと人型がもらえないという。去年まではほんの気持ちでいいというので、3人家族で1000円のお賽銭を出しただけで十分だった。だから今年のやり方は一寸アコギな気がした。来年は、別の神社を探すことにしよう。帰りに原宿表参道を通ったら、参道がライトアップされていて、とってもきれいだった。 大晦日の都心をドライブするのは悪くない。やはり、来年も都心に出たくなりそうな気がする。さあ、帰って年賀状を書かなくっちゃ。
2010.12.31
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昔、松竹大船撮影所に名物助監督がいた。その名を佐光曠(さこうひろし)という。昨日は、その23回忌。親友二人と後輩二人の4人が、中華料理店に集まって、ささやかな宴を催した。だが、そこは大船ではなく、東映大泉撮影所のそばのお店なのである。佐光さんは、1988年12月24日の朝、突然逝った。あれからもう23年になるのか…。佐光さんがどういう人か一言で言うのは難しい。昔風のサムライといいたいが、決して豪快という風ではなく、太目の体型に似合わず小心で繊細だった。だが、監督やプロデューサーにはずけずけと意見を言う人だった。若い頃は特にそうだった。ダビングのとき、監督がOKというのに、その後ろに控えている佐光さんがもう一回と叫んでやり直しをさせたとか、監督のやり方が気に入らないと、「フンッ」と鼻を鳴らして皮肉な笑いを飛ばしたとか、その逸話は他社にまで鳴り響いていた。だが、佐光さん楯突くのは、権威に対してであって、後輩には実に面倒見がよかった。といっても、お互い貧乏な身だからおごってくれたわけではない。いつも割りかんであった。佐光さんが、一番よく仕事をしたのは先輩の山根成之監督のチーフ助監督だったが、もっとも敬愛して尽くしたのは深作欣二監督だったと思う。深作さんが松竹で仕事をすると聞いて、それなら佐光がいいと強力に推薦したのが東映大泉撮影所のKNさんである。佐光さんは、松竹よりも、他社の骨のある人たの付き合いの方が深かった。だから、クリスマスになると、もう一人、東宝のNHさんと共に大泉に集まるのだ。いつもは家が近いぼくをいれての3人なのだが、今年は大船の同期のNHも加わった。実は彼の方が、佐光さんとの付き合いは深い。 佐光さんの風貌を伝えたいのだが、残念ながらいい写真がないので、「きつね」の集合写真で我慢をしてもらおう。(「きつね」は、佐光さんが唯一後輩の作品のチーフ助監督をやったもので、そして、最後のチーフ助監督作品である) 真ん中の白い帽子の後ろの黒めがねの男が佐光さんである。(ちなみに向かって左隣は、岡林信康)飛行機が大嫌いだったのに、北海道出身だった佐光さんは、最後の作品だと覚悟して付き合ってくれたのだった。チーフは、「きつね」が最後だったが、助監督としては、「上海バンスキング」(監督・深作欣二)が最後だった。23年前、山根成之が葬儀委員長で、ぼくとNHがその下で働いたのだが、一介の助監督の葬儀になんと300人もが参列した。もちろん、松竹や各撮影所はもちろん、映画界を越えて多くの友人知人が集まったのだった。 佐光さんの話は、23年たっても、いつまでも尽きなかった…。
2010.12.23
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わが練馬映画「車椅子で見た練馬」(監督・岡本圭子)がクランクアップした。 10月から撮影を始めて、あしかけ3ヶ月。監督の事情で土日しか撮影ができなかったせいもあるが、初めての映画つくりとしては、ビックリするほどの長丁場」だった。スタッフといえるのは、kんとくとキャメラマンだけ。後は、入れ替わり立ち代りで、監督の妹さんや写真家のおじさん、区の街づくりの青年、その上司等々である。それでも、実にしつこく狙いのショットを取るべくがんばった。 主演の青年と少女は、日芸演技コースの学生だが、きっと初めての大役だったと思う。コーチ役のぼくの叱咤によく耐えたと思う。区からのわずかな助成金ではあるけど、こういう風にして作られる映画があってもいいのでは内科と思わされた。来年3月19日の試写会が決まっている。これからは、編集作業に苦戦必至だが、期待して待つとしよう。
2010.12.19
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わが地元練馬区で、区民による映画つくりが行なわれている。そのことが、12月1日の読売新聞朝刊の都内版に大きく掲載された。どんな映画かというと、去年区が主催した「映画をつくる講座」に出て学んだというOさんの脚本・監督の作品である。 (読売新聞より。撮影・平山一有)練馬区は「福祉のまちづくりパートナーシップ支援事業」というのをやっていて、区民から提案された企画を公開で審査して、可否を決める。この映画は、そのテーマ部門の企画として審査に合格し、ささやかな助成金がでて製作を始めたもの。約30分の短編である。バイク事故で車椅子になった札幌の大学生が、日本一周の旅の途中、練馬区の先輩夫婦を訪ねるという物語である。先輩や女子高校生との4日間の交流を通じ、バリアフリーの状況、認知症、子育ての問題等を取り上げている。監督のOさんは、素人はいえない度胸のよさで、着々と撮影を進めている。来年3月の完成がたのしみだ。
2010.12.01
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ふるさとドラマの12月放送が「渡り拍子の鉦が聞こえる」に決まった。高梁市川上町観光協会の原案で、ぼくがが脚本化した。渡り拍子というのは、岡山県の西部、広島県に近い地方に伝わる伝統芸能である。11月中旬の秋祭りに、村々の神社に奉納される踊りである。太鼓をはさんで4人一組になって飛び跳ねるようにして踊りながら、氏子の家をめぐる。 この踊り手を飛び子(跳び子)といい、もとは男児だけだったのだが、最近の少子化の影響で女子も踊るようになった。それどころか大人も入らないと維持できなくなっているという。川上町には大きな漫画美術館があるのだが、その存在を教えてくれたRikkyママのアイデアを借りたので、彼女と連名にしてもらった。 漫画美術館は、富永一朗という漫画家を記念して作られたものだが、寝転がって読める読書室があって、とてもユニークである。10万冊の漫画が所蔵展覧されているという。一度は行ってみたいところである。男の子二人の話は、岡山の作家、坪田譲治の「善太と三平」が有名だが、その味もちょっぴりいただいた。われながら、いい話になったとおもっている。
2010.10.28
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17日の日曜日は、練馬区最大のお祭り。第33回練馬まつり。例年15万人がさんかする。今年も、例年以上の賑わいだった。西武線練馬駅前の平成つつじ公園は、子供が主役の「ふれあい広場」、中央会場の総合運動場では模擬店がいっぱいの「出展ひろば」、それにステージで繰り広げられる「練ー1グランプリ」、その途中は、サンバやよさこいや阿波踊りのパレードで結ばれている。その中でユニークなのが、「バリア体験コーナー」である。視覚障害者福祉協会、聴覚障害者協会、身体障害者福祉協会の3団体が一緒になって、「点字教室」「手話教室」「車椅子体験」を行う。去年までは、つつじ公園で行われていたが、今年から中央会場に<ふれあいゾーン>が設けられて、テントを並べた。いずれも障害の当事者団体で、それを多くのボランティアが支えてくれている。 「車椅子体験」というのは、段差やスロープのコースを車椅子に乗って移動してみるのである。車椅子に乗るなんてことは日常にはないことで、初めて体験する人がほとんどだ。ボランティアの人に押してもらって乗るのだが、段差やスロープの越え方を体験してみると、ただ座っているだけではないことに気付く。車椅子に乗った人は、今度は介護の側にまわってみる。そうすると、車椅子の苦労がよく分かる。 車椅子は乗り物としては、実に珍しい乗り物でもあるので、子供たちにとても人気がある。今年も子供たちを中心に230人以上の人たちが体験してくれた。 ボランティアの「チームかけだし」のKさんとその仲間のみなさんの尽力で、なにからなにまでお世話になった。まずは、前日のコースつくりから、当日の介護指導の面倒見まで、Kさんなしでは始まらなかった。 お天気が心配だったが、晴れ男を自負しているぼくは「ぜったい晴れる」といい続けていた。だが、幸い天が味方してくれて、面目をほどこした。群馬から、車椅子テニスの俊英Nくんが駆けつけてくれた。(したの写真の右端。派手な車椅子は、テニス用の特別仕様である)だからとてもいい気持ちで、みんな楽しく過ごすことができた。 例年にない、充実した練馬まつりだった。
2010.10.19
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久しぶりのお天気で、やっとロケ日和に恵まれた。ねりま映画「車椅子でみた練馬」(監督・岡本圭子)のロケ3日目。これは、練馬区の「福祉のまちづくパートナーシップ」という企画でささやかな助成金を得てつくる映画である。スタッフは、去年、練馬区の青少年会館で行われた「映画制作講座」を受けた岡本さんとその仲間たち。仲間といっても、スタッフはわずか3人。ぼくは、パートナーシップの委員をやっているのだが、映画講座の話を聞いて、「映画作りなさいよ」とそそのかしたら、企画をたて、入選したのだ。この映画は、ドキュメンタリーではなくドラマであるのが新鮮だ。わずか一週間の講座を受けただけで映画をつくるというのは無謀ではあるが、岡本さんはなかなしっかりしていて、物怖じしないところがいい。シナリオがちゃんとしていれば何とかなるものと、手伝うことにした。新進脚本家のYさんにも協力してもらった。ストーリーは、バイク事故で車椅子生活になった札幌の大学生が、日本一周の旅に出ていて、途中練馬に住む先輩を訪ねるというものである。 俳優陣は、日芸映画学科演技コース准教授のOさんに頼んで、学生を紹介してもらった。 主役の柊に選ばれたのは、牛島僚太。その先輩に、上垣内譲、妻に上村梨乃。柊が練馬でであった高校生に長島菜々子。 ノーギャラのボランティア出演なのに、みながんばってくれている。撮影三日目なのに、岡本監督はなかなからしくなってきた。現場にずっとたちあっているのだが、自主映画はこうやってつられていくのだな、と納得させられることが多い。去年の講座の講師だったIさんがカメラの指導をしてくれているので、キャメラマンの瀧島君もだいぶ慣れてきた。これからどうなるのか、楽しみだ。
2010.10.11
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きょうのシネマくらぶは、「ゴジラ」(84 監督・橋本幸治)を見た。本当は第1作を上映したかったのだが、若い人にはかなり見にくい状態だったので、あきらめて1984年版にした。 最初の「ゴジラ」(1964年) は、当時の水爆実験で被爆した第五福竜丸事件をベースに作られたもので、水爆実験で目覚めたゴジラが東京に上陸して暴れる、というものだが、84年版はぜんぜん違う。「ゴジラ」生誕30周年記念に作られたものだが、大黒島火山が爆発してゴジラが目覚め、東京を襲うというものだが、米ソ対立の冷戦時代を象徴して、ゴジラをめぐっての国際紛争を描いている。ソ連が誤って核ミサイルを発射したので、アメリカが迎撃ミサイルを発射。それが東京上空で命中することになっているというので起こるパニックが、時代というものだろうか。主演の沢口靖子や田中健、宅間伸たちが若くてフレッシュではあるが、その分、ドラマが希薄である。肝心のゴジラも、暴れるといっても、残念ながら第1作のような恐怖の破壊していくというシーンはなく、すぐに廃墟になった光景が映し出されるばかりで、迫力はない。ゴジラが吐きだす火炎もCGの出来が悪く、青白く光るだけで怖くはない。第1作の、「キェーン」と絶叫するゴジラの哀切な声が懐かしかった。
2010.09.05
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新宿角川シネマで、伊藤俊也「閃光~ロストクライム」を見る。まだ封切っていないと思っていたのに、なんと7月3日封切で、まもなく終了だという。あわてて上映館を探すと、新宿で午前11時からだというので、早起きして見に行く。あの「三億円事件」の真相を、新しい切り口で描くというので、楽しみだった。だが…。真犯人は過激派だった、というのが、新説である。それをあばく定年間近のたたき上げの刑事奥田英二。好き嫌いの範疇かもしれないが、このパターンでは、「踊る大捜査線」のいかりや長介が先達としているのだが、遠く及ばない。そして、所轄署の若い刑事に渡辺大。伊藤俊也の新作だと期待したのだが、残念ながら、テレビの2時間サスペンスのような感じで、感心しなかった。脚本の問題もある。せりふが古臭い。「刑事の価値は履きつぶした靴の数で決まる」なんていうセリフが無反省に言わせている。何とかしてほしかった。ニセ白バイに使われたバイクも、気になった。あるオートバイ狂の説では、ヤマハのYD1だというのだ。当時、ヤマハのそれに乗っていた者は限られていたので、その線から洗えば犯人はすぐ分かったはずだなのに…、といわれていた。だが、そうしないで府中近辺のアパートを絨毯爆撃ならぬ絨毯捜査をしたのは、過激派対策であった。その意味では、犯人が過激派グループだったという説は自然である。が、新しくはない。だから、過激派だったというだけでなく、彼らが当時の警察の上層部の息子たちだったというのが「新説」である。それゆえに、真相は闇に葬られたというのである。最近、1968年が結構話題に上る。日大全共闘や東大全共闘が生まれた年だ。69年の1月が東大安田講堂の攻防戦になる。そのころの状況が白黒で回想されるのだが、今どれくらいの人が理解できるのだろうか。そんなことよりも、ニセ白バイが、キックではなくセルでエンジンがかかるのが問題だ。しかも、ヤマハではなかったようだ。身近な時代の考証は難しい。
2010.09.01
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きょうは、生誕何回目かの記念日だ。ケーキはいつものように、いろんなケーキを妻と娘が選んでくれた。 点火前の誕生ケーキ今年は特に暑い暑い夏だったが、ぼくは暑い方が好きだ。雪の冬も悪くはないが、暑い日を浴びてダラダラと汗を流しながら過ごす無為の時間が好きである。富山県黒部市にいた頃は、夏休みは毎日海に通っていた。あのころは、古橋広之進と橋爪四郎がヒーローだった。今の北島よりも人気があった。もちろんテレビなどなかったが、ときどき見に行った映画の前に上映されたニュース映画でみた泳法を真似したものだ。 フジヤマのトビウオ 両腕をぐるぐる回して泳ぐダイナミックな古橋、呼吸する方の腕を角度をつけて水を切る華麗な橋爪。みんなで真似をしたものだ。もちろん古橋の人気は高かった。1500メートル自由形18分19秒0という世界記録は誰もが知っていた。この記録は、後に山中毅が現れるまで、破られなかった。(今は15分台である)そんなことを、誕生日が来るたびに思い出す…。
2010.08.21
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「キャタピラー」(監督・若松孝二)を見る。有楽町の新しい映画館「ヒューマントラストシネマ有楽町」。昔の有楽シネマだったと思う。新しいビルの4Fに1館だけある。シネコンはないので、落ち着いて見られる。わずか160人の座席だが、気持ちのいい映画館であった。いや、映画館ではなく、映画を語らなくっちゃ。 主演の寺島しのぶが、ベルリン国際映画祭で日本人として35年ぶりに最優秀女優賞を受賞した。若松監督らしい、エロスと権力への怒り、反戦思想が結びついた奇怪で刺激的な作品だと、宣伝文にある。シゲ子(寺島しのぶ)のもとに出征していた夫・久蔵(大西信満)が、四肢を無くし、顔面の半分が焼け爛れた無残な姿で帰ってくる。3つの勲章を胸に、村で「生ける軍神」と呼ばれる久蔵だったが…。寺島しのぶは、前評判を裏切らない。言葉の少ない演技で、軍神の夫へのえもいわれぬ嫌悪と愛情と苛立ちを、夫を見つめる目であらわしている。堪能した。ただ、ラストがちょっと甘い気はした。敗戦の日、夫と妻のシーンが見たかった。二人はどんな顔をして見あうのかが見たかった。だから、妻が野良仕事に出ている間に、前庭に這い出て来るの夫が最後では、はぐらかされた感じもある。だが、若松孝二のセンチメンタルなところで、それがまた若松映画が長続きをしている要因かもしれない。ともあれ、寺島しのぶの感情の揺れにいちいち納得がいって、心地よく見られた映画であった。
2010.08.18
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今年は、いつもより戦争関連の情報が多かった。終戦65周年のせいであろう。わが家の8・15の昼食は、いつも「すいとん」である。いまや「すいとん」といっても分かる人は少なくなったろうが、早く言えば、小麦粉だけで作ったの団子の汁である。 だが今日の「すいとん」は、あの頃のように、団子だけというのではない。ダイコン、ニンジン、カボチャ、ニラ、キャベツ、油揚げ、のり等々が入っている。実に贅沢なものになっている。山梨の田舎育ちの妻によれば、あまっている野菜を適当にぶち込んだものだというのだが、都会の貧しい配給生活者では、こんなに豊かな野菜など、入れようにも第一、そんな野菜などどこにもなかったのだ。妻も、あの頃はこんなには入れなかったといいうので納得した。終戦の日についての各界の人の記憶をNHKが特集していたが、それぞれ職業の違いが記憶の特徴としてみられることに感心した。なかでも、松本零士の記憶が面白かった。地面に座り込んだ人の長い影があの日の記憶として残っているという。漫画家らしい映像的な記憶である。中村メイコは、父と母の違いについて述べていたが、父親が言ったということばが、あの日の気分を言い当てているだけでなく、父親の人間性がよくあらわれているものだった。「きょうの青空をよく覚えていなさい」なんとリベラルな人なんだろう。こういう人が、あの頃の日本にはいたということを、ちゃんと記憶しておきたいと思う。
2010.08.15
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今月1日のシネマくらぶは、「ひめゆりの塔」(82 監督・今井正)を上映した。8月は、6日が広島の原爆記念日。9日が長崎の原爆記念日。15日が終戦記念日と、忘れられない日が続く。今一度、あの戦争が何だったのか考えるてほしいと思った。それには、昨年来のオキナワを考える映画を選んだ。沖縄の女子高生の悲劇である「ひめゆりの塔」は、これまでに何度も映画になっているが、最初の「ひめゆりの塔」が忘れられない。津島恵子の先生と香川京子の生徒。二人が助け合って行進する姿は忘れられない。監督は今井正。脚本は水木洋子。だが、あれは白黒なので、今の若い人には少々しんどい。そこで、同じ今井正監督でリメイクした82年度版を選んだ。主演は、栗原小巻、古手川祐子。ほかに大場久美子、田中好子。男性陣は、篠田三郎、井川比佐志 地井武男、田村高廣。 昭和20年の3月、第一高女と師範女子部の少女たちは、特使看護婦として南風原陸軍病院に派遣された。陸軍病院というものの、崖下の壕を掘って作った防空壕に過ぎない。アメリカ軍がすでに慶良間島に上陸していて、連日艦砲射撃にさらされていた。一方、空からの攻撃も絶え間なく続き、空海両方からの攻撃にさらされていた。いよいよとなって、一同はさらに南部に移動することになった。それは、さらに悲劇をますばかりであった…。上映時間 142分と長いので、途中休憩をいれた。 いつもの若い人には少々きつかったようだが、途中退席したのは二人だけだった。最年長のAさん(80歳)は、もう一度見ておきたいと思ったからと、息子さんに連れられて来てくれた。一番若いのは、25歳。みんなで20人と、今までで最高の人だった。それぞれ、しっかり見てくれたのがうれしい。最後に、さだまさしの主題歌というかイメージソングが♪しあわせですか、しあわせせですか…と、クレジットタイトルに流れるのだが、とても軽く聴こえてよくなかった。そんなものじゃないだろう、と思った。
2010.08.02
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遅ればせながら、やっと「春との旅「(脚本監督・小林正広)を観た。いろいろと批判的な感想を聞いた後だったのでどんなものかと思っていたが、どうしてどうしてなかなかのものである。観てよかった。足の不自由な元漁師の祖父忠男(仲代達矢)と仕事を失った18歳の孫娘・春(徳永えり)は、祖父の生活の面倒を見てもらおうと疎遠だった親類縁者を訪ね歩く旅に出る。いうなれば、「リア王」の兄弟版である。今の日本の老人問題を浮き彫りにするものがあって、この着眼点は鋭い。北海道の増毛という、かつてニシン漁でにぎわった漁村から本州の仙台まで、各地の親族をたずね、彼らとの気まずい再会を経るうちに、忠男はこれまで避けてきた過去と向き合わざるを得なくなる。そんな祖父の葛藤を間近に見ていた春にも、ある感情が芽生えていく。テーマは「過ちはつぐなえないものか?」というもの仲代の演技に批判が強く、両氏には見えないというものが多かったが、それをいっちゃおしまいよ、というところがあり、がんばっているというべきではあるまいか。「増毛」 という、かつてニシン村に行ったことがあるせいか、親近感がわいてきて感情移入しすぎたかもしれないが…。ともあれ、見終わって、なかなかの充実感ではあった。
2010.07.22
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久しぶりに、芝居を観に行った。築地の東本願寺ブディストホールの「紅弁天部隊 上海へ行く」(作・演出:瀬川昌治)。 ポスター太平洋戦争の末期、昭和20年の夏の浅草。3月と5月の2度にわたる空襲で丸焼けになった東京・浅草。大衆演劇の女剣劇の一座を率いる花村豊子は、小屋が焼け落ち、楽屋で呆然としていた。そんな豊子のもとに、ひとつの知らせがきた。 海外にいる兵隊の慰問に、演芸隊を組織して上海に派遣するというのだ。もう一度舞台を踏むことができる!豊子は一座の再建に奔走する。兵隊の慰問だから、女だけの一座でなければ意味が無い。だが、みんな戦災で芝居どころではない。そんなところに怪しい男が現れる。松竹少女歌劇団の座員を紹介するというのだ。だが、現れた女たちは…。 暗い時代に灯りをともす。女の強さと、華やかさと、芸への心。忘れてはならない「日本の夏」の出来事が、女たちの凛々しい姿の中に蘇る。。花村豊子率いる「紅弁天部隊」は、波乱万丈の旅に出る――。 主演は、岡安久美子。彼女の芝居を観るのは初めてだったが、なかなか達者だった。ただ、ちょっと日本的ではないマスクなので、大衆演劇の座長というのには、ちょっと異和感があった。浅香光代のようなものを求めるのは、無いものねだりではあるのだが…。 収穫は、さくら役の佐藤葵。両親を亡くし、ヘンてこな大阪弁の浅草っ子を演じているのだが、彼女の存在に助けられている。8月15日に20歳の誕生日を迎える、というのがドラマのヘソになっている。このあたりの作劇術は、いかにも瀬川さんらしくてなかなかだ。 作・演出の瀬川昌治は、当年84歳。映画監督として喜劇の腕前を存分に振るってきた人で、近年にわかにクローズアップされ、よく作品の上映もされている。ぼくも、3本助監督をやったが、松竹には珍しいスラプスティック名喜劇が、助監督をしていても楽しい現場であった。 演出補として井坂聡はサポートしているが、これからの日本映画界をしょってたつ映画監督である。瀬川さんと同じ東大野球部出身で、その関係で映画界に入ったというユニークな経歴の持ち主である。師にならって、軽快な演出で知られている。ともあれ、久しぶりに生の芝居を堪能した。
2010.07.20
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ちょっとうれしいニュース。岡山のoniビジョンではじまった<みんなでつくるふるさドラマ>の特別変として1月に放送された「ふるさとは温かだった!」が、6月24日に催された「第36回テーブルテレビ大賞」番組コンクールで、「審査員特別賞」を受賞した。 ケーブルテレビでの自主制作では、hドキュメンタリーばかりなのに、oniビジョンが県民参加のドラマを創ったというユニークさが注目され賞を受けたのだと思うが、企画賞ではなかったというのが、うれしい。作品としてもレベルが高かったと評価されたのだ。 その模様は、oniビジョンのニュースでみられる。URLは、次の通り。 http://www.oninet.ne.jp/oni/2010/06/625.html また、7月4日午後8時から再放送されるので、このURLで見られるかもしれない。楽しみだ。他の受賞作品は、次のURLで。 http://www.catv-jcta.jp/bangumi/index2.html
2010.06.25
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6月のシネマくらぶは、「天使にラブソングを…」。洋画でどうかな、と思ったのだが、DVDに日本語吹き替えがあったので、やることにした。なかなかうまい吹き替えだった。DVDは、これがいい。 クラブの歌手が殺人事件を目撃したばっかりに、ヤクザに追いかけられるハメに。そこで隠れたのがなんと、修道院。ここなら絶対にみつからない…はずだったのだが、そんなことでおとなしくしている女ではない。 聖歌隊に入れられたから、さあたいへん。おとなしい賛美歌ではつまらないと、新しい賛美歌を歌うことになった。修道女たちも大賛成。それが評判を呼んで、ついには法王までもが聴きにくることに…。なんといってもウーピー・ゴールドバーグがいい。とても達者な女優さんだ。何度見ても楽しい映画だ。
2010.06.13
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今週の「東洋経済」ブックレビューは、夏樹静子の「裁判百年史物語」を取り上げた。 ベテランの推理作家だが、最近はあまり派手な新作が無いのでどうしているのかと思っていたが、これは実に面白い労作である。これだけのことをやっていたのだから、新作小説が少なくてもやむをえないだろう。 「裁判」が法に基づいて行われるようになったのは、明治22年(1889)帝国憲法が制定され、翌23年裁判所構成法が公布されてからである。以来百二十年。数々の事件が起こったが、その中でも裁判として意義深く、また後の時代にも影響を及ぼしたとされる十二の大事件が取り上げられている。 ニコライ皇太子その最初が「大津事件」である。明治24年、ロシアの皇太子ニコライが滋賀県大津で襲われた、トンでもない事件である。犯人は、こともあろうに行列の警備をしていた巡査の津田三蔵であった。当時のロシアは超大国だったので、政府はパニックに陥った。犯人を如何に処すべきか。皇族に対する罪ならば死刑だが、外国の皇太子は「皇族」か否か大論争になった。ことを穏便に済ませたい政府は死刑にしたい。だがそれに敢然と立ちはだかったのが、時の大審院長児島惟謙である。児島は行政の露骨な干渉をはねのけ司法権独立のために奔走した。その攻防は近代司法確立のための苦闘である。ここに取り上げられている事件のいくつかは、映画にもなった。「帝銀事件・死刑囚」(64・熊井啓)、「松川事件」(61・山本薩夫)、「八海事件・真昼の暗黒」(54・今井正)、連続射殺魔永山則夫を描いた「裸の十九歳」(70・新藤兼人)等、映画史上でも忘れられない作品となっている。ぼくも、「大津事件」を映画にしないかと誘われたことがあるが、難しい題材で、実現しなかった。 津田三蔵「松川事件」や「八海事件」など、名作となったのは、驚いたことに、冤罪事件である。きっと、それだけ、人間ドラマが深いからだろう。しかし、最近の「足利事件」や「サリン事件」等、未だに冤罪が後を絶たないのはなぜか。裁判員制度が始まっただけに、司法関係者は本書を読んで、しっかり反省してもらいたいものだ。
2010.05.25
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久しぶりに「平成つつじ公園」を通りかかったら、つつじが恐ろしいほど満開だった。おとといの神代植物公園とはまるで違う。練馬区は神代よりはずっと内陸部で熊谷についで暑い地域のせいだろうか。 つつじ公園では、毎年10月の第3日曜日に「練馬まつり・ふれあい広場」として大いにりようしているのだが、つつじに季節に行ったのは初めてだ。 まさにつつじ公園に恥じない、というどころか咲き誇るつつじの狂乱ぶりに、ただただ感嘆したのだった。
2010.05.07
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