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つまり私は駅長、駅員から本気で犯人扱いされたってわけなんですが、いくら微細な犯罪ったって、ヌレギヌなんですから、ことの大きさは当事者にとっては実は関係ないってことを、私は声を大にして言いたいんであります。だって、やってないんだもん、不当な決め付け、という意味では、同等なわけですよ。だってそうでしょ、結果として間違われた(勝手に相手方が決め付けている)犯罪は、ヌレギヌである以上、当事者にとってはまったくその大小をあずかり知らぬことなんですから。そして、やってないのにやったと決め付けられ、いくらやってないと主張してもわかってもらえないときの、絶望感、あせり、悔しさ、やるせなさって、本当にひどいもんであります。
こちらは何とかわかってもらえないか、と「いや、私はかくかくしかじかの仕事をしていて、いつもこういう切符の買い方をしていて」とか、「私には保育園の息子がいて、とにかく私は迎えがあって急いでいたのです」とか、こういえばわかってもえるかしら、じゃあこういったら・・と色々と手を変え品を変えて言ってるうちに、妙に流暢になっている自分を発見したりして、そうすると、よく言われることですが、自分が嘘をついてるようなパラドックスに陥ってくるのよ。私は品行方正な人間じゃない、と書きましたが、小さな嘘をついたことはいくらでも(苦笑)あるわけで、そういうときのうしろめたさに近い心理状態になってくるわけ。
あげくにですよ、敵は私を最後までシロだ、と認めてくれませんでした。「まあ今回はもうこれくらいにしてあげますよ、もうやらないように」くらいの捨て台詞とともに、私は解放されたんです。
これが私に起きた、冤罪のてんまつです。誰にでも起きるのが冤罪です。周防さんにはこういう例も織り交ぜてもらって、もっと多角的に冤罪を取り上げてもらいたかったなあ。映画が痴漢を擁護してるような雰囲気を醸してることはすごくザンネンです。