「日本の歴史がいつから始まるか」という問題を考えるために 前回 は、その元となる文字史料が増えていく様子を表にして整理した。 その結果、日本に文字が普及したのは七世紀末であると結論付けた。しかし、日本書紀などには日本に文字が導入されて記録が残されるようにようになったのはもっと古い時代ではないかと窺わせる記事が多く存在する。今回はそれらの記事を数例挙げて検討しよう。
中国との交渉
魏志倭人伝から知られるように、三世紀後半の倭人は魏晋と親密な関係を築いていた。当然、その外交の舞台では漢字が使用されただろう。 また五世紀の 倭の五王 の記事からも分かるように、倭の王は中国に度々遣使している。そのときの国書は漢字で書かれていただろう。それに対する返答も漢字で書かれていたのだから当然読める人材が常時いたはずである。
朝鮮半島との交渉
漢の時代に楽浪四郡が置かれ四世紀初めまで中国の支配が及んでいた朝鮮半島には漢人も多くいたし文字を操る者が多くいたことは間違いない。366年から668年までの間に 倭(日本)が政治・軍事・外交面で朝鮮半島と関わった年次は81回にも及ぶ そうである。朝鮮半島との外交の場で文字を使う機会は当然あっただろう。朝鮮半島からの渡来人や、半島に滞在して文字を習得した倭人が倭国で文字を教え伝えなかったのか?
五経博士
遣隋使五経博士 日本書紀 』の継体七年(513)、継体十年(516)、欽明十五年(554)には百済が五経博士を一人づつ交替で貢上していたと取れる記述がある。
博士から五経を学ぶ者は漢字に習熟した者か、文字も同時に学ぶかどちらかであったろう。
600年から6回の遣隋使派遣の記事が『 隋書 』と『日本書紀』にある(書紀には600年と610年の記録は無い)。607年の遣使では有名な「日出處天子致書日沒處天子無恙」(日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや)で始まる国書に煬帝が怒ったという話が伝わる。この時には仏法習得のため沙門(しゃもん)数十人も同行している。これ以前の六世紀に仏教は伝来したとされるが、仏の教え(経文)も漢字で書かれているので、僧は漢字が読めなければならない。
漢字と密接な文化伝来の記事
推古十年(602)百済僧の観勒が暦法・天文地理などの書を伝える。
推古十八年(610)高句麗の僧、曇徴が紙・墨・彩色の製法を伝える。
以上のように、魏志倭人伝の時代(三世紀半ば)以来、倭国(日本)での漢字の使用を予想させる記事は枚挙に暇が無い。 国書を作成し、読みこなす人材が遣使が行われた期間にいたことは疑い得ない。しかし、現存する資料に依る限り倭国における漢字使用の開始は七世紀末となってしまう。この記録と資料の示すところの差についてさらに 次回
竹沼(藤岡エリア)古墳前期土器編年 2020.02.11
鏑川上中流域古墳前期土器編年(暫定版)… 2019.10.26
鞘戸原Ⅰ・鞘戸原Ⅱ(中高瀬観音山エリア)… 2019.08.11
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