おぢさんの覚え書き

おぢさんの覚え書き

2017.10.08
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カテゴリ: 近代
おぢさんは見ていませんでしたが、昨日の党首討論会で共産党の自衛隊違憲の主張が小池氏と安倍氏によって攻撃されていたみたいですね。

安倍首相「侵略受けたらどうなる」 志位委員長「政権奪取後しばらく合憲」 共産党の自衛隊違憲論めぐり (産経新聞)

おぢさんは、残念ながら自衛隊は違憲状態だと思います。とは言っても今すぐ解散とか武装解除とか言うわけではありません。現実との距離は認識しつつも理想を捨ててはいけないと思うわけであります。

夢も希望も無い憲法では困ります。第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」などは高度経済成長後半まで、あるいはリーマンショック時などは違憲状態であったあったわけです。でもそれが理想だよね、そこに向けて何とかしよう、というものであるべきだと考えるわけです。憲法をよくよく読んでみると25条以外にも違憲状態の疑いの強いものが結構あります。なかには最高裁判所に違憲状態と言われてしまったものさえあります。そうすると自衛隊の戦力は一般の法律で暫定的なものと位置付ければ十分なわけです。

安倍氏は志位氏を追及して「自衛隊の諸君は命がけで日本人の命を守る。『自分たちは違憲だと思うが、災害があったら皆さん命をかけて国民の命を守ってください』というのは無責任だ。この状況こそが政治の場に携わる者の責任だ」と述べたそうです。おぢさんは自衛隊員に命を懸けては欲しくないですね。『合憲だから命懸けで頑張ってね』と言う方が少しおかしいのではないかと思います。それよりも気になるのは「命」という言葉を人質に取ったかのような彼の言説、とても危ないのではないかと思います。人の死というものの前に人は口を閉ざさなくを得なくなる。

さてと、80年前に戻るか。
先ず本誌の愛読者にして、東京弁護士会所属の弁護士、伏見万喜雄氏が十月二十四日に、上海の野戦病院にて名誉の戦死されたことです。
東京区裁判所の調停で、相手方として会った他、全然私交はありませんでした《中略》
 ところが、八月の暑い盛りに、黄バスの中で顔を合わせると、ニコニコしながら私に、「雑誌を毎度有難う、仲々面白いね、君を見直したよ」と言って笑われたので、実は私は雑誌が送られていたのか否かも知らなかったので大いにまごついていたところ、二三日してわざわざ振替にて送金され「近きより誌代一ヵ年送ります、益々御発展を祈ります。伏見万喜雄 正木君」というご丁寧な文面まで書き込んであったのです。
p.161 昭和12(1937)年「近きより」『近きより』第1巻第8号<十一・十二月号>
​​
▶私の遠い親戚の向野飛行少佐が、戦没したという記事が、僅か二行ばかり新聞に出ていました。《中略》この父にしてこの子ありと言いたいような、本当に純情生一本な典型的軍人でありましたが、まだ三十になるかならぬうちに、事変の華と散ったのは、涙なくしては考えられません。
p.162 昭和12(1937)年「近きより」『近きより』第1巻第8号<十一・十二月号>
​​
▶甚だ悲しい話ばかりになって、読者にはすみませんが、も一人名誉の戦死をされた方の事を書かずにはいられないのです。
 それは旭硝子株式会社の、大塚進氏です。私はこの方とは一面識もありませんが、理研の岡秀宝氏が、ご自分の実子以上に愛し、そしてまた、実際に感心な方だったということを諸方からききます。苦学生として帝大の工科を秀才で卒業し、三菱系のこの会社に這入って以来も、会社から貰う賞与などは殆んど全部、部下に分ち与えるという男性的な親分気質の人で、見込まれて岡氏愛嬢綾子さんの御女婿となり、近頃稀なる好青年として将来の雄飛を期待されていたのに、十月の末、歩兵中尉として北支に於いて活躍中、敵弾に斃れたのは、名誉この上なきことではありますが、《後略》
p.163 昭和12(1937)年「近きより」『近きより』第1巻第8号<十一・十二月号>

日中戦争は国民に倹約を強いただけでなく。身近にも戦傷者・戦死者が出るようになる。この戦争は何の為の戦争と人々は認識していたのか。戦死者の遺族を除いて、あるいは遺族でさえも、その意味を深く問うことはできなかっただろう。
「名誉の戦死」「華と散った」「名誉この上なきこと」戦死を褒め称えない訳にはいかない。その死に疑問を持つことは許されない。戦死者は正義、戦争も正義。それ以外の結論は出ようがない。
日本軍が杭州湾に上陸する、永らく膠着状態にあった江鎮が陥落する、太原が陥る、白茆口から上陸する、嘉定、太倉、崑山が陥るという風に、次から次へと戦況が進展するので、いい気持になって新聞や雑誌を耽読するうちに、時間がどんどん経ってしまい、《後略》
p.160 昭和12(1937)年「近きより」『近きより』第1巻第8号<十一・十二月号>

大概の日本人が日中戦争について抱く感想はこのようなものだったのではないだろうか。スポーツを応援するような気持ち、勝てば胸がスカッとするような気持ち。日本軍兵士の苦しみや死を想像することはあっても正義のために已むを得ないものだと簡単に片づけてしまった。この中で中国人民の苦しみに思いが及ぶはずはない。
日本の目的が日支親善にありという日本政府の宣言を、外国が誤解するのはまだしも、日本の国内に於いてもまだそれを言葉通りに信じない者があるのは遺憾千万である。
p.170 昭和12(1937)年「近きより」『近きより』第1巻第8号<十一・十二月号>
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親善のために戦争するのは矛盾ではないかと問う者に対しては、「桜の木にたかる毛虫を想像して見よ」と応うるのみ。桜が可愛ければ毛虫は焼かなければならない。
p.170 昭和12(1937)年「近きより」『近きより』第1巻第8号<十一・十二月号>

これらは検閲対策のカムフラージュだろう。正木氏は戦争の目的が日支親善にはない事を見抜いていた。正木氏だけではない。分かっていた人は少なくなかった。
しかし、戦争の目的が何であれ日本が正義であることが前提であり。そこからは中国は悪、戦争に疑問を持つことも悪という結論しか出てこない。日本人にとってはこの図式から抜け出すのは難しかっただろう。正木氏も官僚や軍部に不満を持ちつつも、この図式から抜け出すことはまだできなかった。しかし、若干の疑問が無いわけではなかっただろう。
日軍の大進出によって、窮地に陥ったのは、蒋介石ばかりではあるまい。
日本国民の正義性と実力とを誤解するものは皆その認識不足の報いを得なければならない。
p.142 昭和12(1937)年「近々抄」『近きより』第1巻第8号<十一・十二月号>

当時の人々がバカだったわけでもなければ気が狂っていたわけでもない。彼らは今と同じように普通に日本を愛する日本人だった。ただ疑問を持つのが遅すぎた。治安維持法によって共産主義者は1928年の三・一五事件、29年の四・一六事件で消され、社会主義者も1931年から3年間連続1万人を超える検挙によって4年前には消されていた。
もっとも私は、赤化防止に藉口して、あらゆる社会合理化運動を弾圧し、富める者は永久に富み、貧しき者は、一生貧しくし、少数特権階級のために民衆を犠牲にするような利己的な制度・傾向に対しては、忍ぶべからざる憤りを感ずることに変りはありません。
p.155 昭和12(1937)年「第七回コム・インターン大会決議」『近きより』第1巻第8号<十一・十二月号>

共産主義者が国家社会主義に転じたのち、1933年の滝川事件、1935年の美濃部達吉の天皇機関説問題、1937年の矢内原事件にみるように自由主義的思想が弾圧の標的となる。
自由主義者達が疑問を持った時にはそれを口にすることは既に困難だった。声を上げる者が消えていく中で日本の正義に従うしかなくなっていた。



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Last updated  2017.10.08 22:33:53
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