夏希ヒョウの世界へようこそ

夏希ヒョウの世界へようこそ

2019年10月13日
XML
カテゴリ: 格闘技
『3Rが開始されたとき、タイソンはマウスピースを咥えていなかった。
直後にレフェリーに(マウスピースを)促されたが、今にして思うとあの時点でタイソンは狂気と化していた……』

1997年、6月。砂漠の街、ラスベガス――――。
そこは、日本ではまず想像もできないほどの煌びやかさ、華やかさで彩られている世界有数のギャンブルの地。
タイソンクラスの人気ボクサーがここで試合すると、ラスベガス全体のホテルの宿泊料金が倍以上になるらしい。
(JTBで3泊5日のツアー料金は42万円。食事代は入ってない。
ホテルは、後で聞いたら最下位レベルだった💦) 《第一戦のポスター》

タイソンvsホリフィールド・第一戦で、タイソンは闘争心あふれる表情といい、解説者が言うほど悪い仕上がり・調子ではなかった。
1ラウンド開始直後は、ラッシュをかけてホリィ(ホリフィールド)を倒しにかかった。並みの王者クラスならば、これでKOできただろう。
事実、その前の(WBA王者)セルドン戦では、109秒で二度倒して王座に復帰している。
しかし、序盤で倒せなかったから長引くうちにボロが出てしまったのだ。
ホリィの上手い戦術も功を奏したといえる。
(やはり、それをかわせなかったのはタイソン自身の問題もあるだろうし、セコンドのアドバイスの未熟さもある)
ボロ……それは、トレーナーのルーニーを解雇してから溜まり続けた錆が、遂に吹き出したのである。
   この タイソンの強打を耐えたホリフィールドのタフネスは驚異的❢❢  第6R、ホリィのタイミングのいい左ショートがヒット。

  1990年2月、東京でのダグラス戦以来のダウン。
米国人にとっては初めてのシーンだ❢❢

それでも大激戦の末に逆転KO負けしたタイソンの、悪びれることなく負けを紳士に受け止めるその態度には
同情、賞賛の声もあった。そして、期待されての第二戦……。 チケットは2階席の真ん中で1000ドル。
       
当然カジノに行きました。あやうく試合観戦前に持ち金が0になりかけたけど、最終的には15万円くらい勝ちました。
(それでお土産やパンフレット&Tシャツなどを)

前座は世界タイトルマッチと言えど、会場はガラガラ。

(私の席は2階の中ほどで、1千ドル。リング上の選手は親指程の大きさで、双眼鏡が必要になる。ちなみにリングサイドは100万円で取引されたと、旅行会社の人が成田で言っていた。おそらくはその後に転売されて、とんでもない額に)

次第に活気を帯びて騒がしくなりセミファイナルの前になった頃、会場から「ロッキー」コールが沸き起こった。すると、選手の花道からスタローンが登場した後で、世界のスーパースター達が紹介された。この日はマドンナ、M・J・フォックス、M・ダグラス、T・ウッズなど20名ほど続いた。
ただ単に紹介されるというよりは、リングサイドはさながら彼らの社交場と化した。まるでここが、ボクシングの会場であることを一瞬でも忘れさせてしまうような。
やはりアメリカは、ショーマンシップに長けていると納得させられたが、残念ながらこの光景はWOWOWでは映らない。名前を呼ばれなかった中にも、NBA・ボクシングの有名選手や、各界の大物がズラリと顔を揃えていたらしい。

そして、メインイベントに注目する。皆それぞれが「俺様こそ世界一」の風貌を漂わせながら。(彼らには、必ずドレス姿の淑女が付いている)しかし、あくまで主役はタイソンとホリフィールドなのだ。
この再戦は注目度が高かった。ホリィが3千5百万ドル、タイソンが3千万ドルという報酬にも表れている。(共に最低保障。ペイパー・ビュー(有料放送)の歩合を入れると両者ともに50億ぐらい)
アメリカにおいてボクシングは(1試合において)、あらゆるスポーツ・格闘技の中で最も金を稼げる競技なのだ。(6階級を制覇したデラホーヤは、250億のファイトマネーを稼いだ。(2006年まで)ミドル級のホプキンスに挑戦した試合は惨敗したが、38億円(最低保障)を稼いだ。2007年の5月に行われたメイウエザーとの試合ではPPV(有料放送)の歩合も含めて約52億を稼いだ)

会場のMGM以外のホテルでも、プールサイド、レストランからルームサービス達の会話まで「タイソン」の名前を頻繁に耳にした。
「ホリフィールド」や「MGM」の声も時折聞こえるが、彼らは白人も黒人も男も女も、皆「タイソン」だけはハッキリとズッシリと口にするのが妙に印象的だった。
高級ホテル「シーザース・パレス」の一番高いレストラン(といっても日本に比べたら全然安い)で試合前日食事をしていたら、ウエイトレスが「さっきタイソンとホリフィールドが同時に来た」と、興奮気味に喋っていた。(ツアー同行者が通訳)

だが会場の声援は、「ホリフィールド」のほうが断然大きかった。敬虔なクリスチャンで人格的にも素晴らしい彼自身の人気もあるだろうが、“判官びいき”も手伝っていると思われる。
あの怪物タイソンに前回あれだけ勇猛果敢に立ち向かった。さらに、ダウンを奪った末にTKOで勝利した感動と尊敬の念が、歓声へと導かせているのだ。
そのホリィと好試合をしたマイケル・モーラー(元L・ヘビー、ヘビー級王者)がメインの前に現れたと思ったら、私の二列前に座った。彼は招待されなかったから、こんな席に座っているのだろう。
私はまず、側近の黒人に話して了解を得て(モーラーに)握手を求めたが、彼は上目遣いでニコリともせず強い力で握り返してきた。55k位の握力の私だが、それよりはるかに力強かった。

熱気と興奮、期待の中で試合開始のゴングが鳴った。それまで落ち着き払って堂々と身構えていた白人紳士達が、顔を真っ赤にして興奮し、熱狂し始めた。1Rは意外なほど静かな立ち上がりだったが、ハッキリ言って試合内容はよく分からない。双眼鏡で見ていても、気分の高揚で試合に集中できなかったし、また会場の雰囲気を味わうのが精一杯というか、それが心地良かった。  ボクシング史に残るシーン❢❢


          3R半ば急に会場が騒然となった。
  ホリフィールドの側頭部辺りから血が出ているのが、双眼鏡から見えた。
   地団太を踏んで怒るホリィ、観衆のブーイングの嵐、大混乱の会場。


    食いちぎった後も、ボクシングとはいえない場面が続き……。   コーナーで悶絶のホリィ。
   その後、タイソンは減点2を取られ、試合再開。
     しかし、またしてもタイソンは逆の耳に噛みつき……。
  失格負け❢❢❢

気がついてみたらリング内には人が入り乱れ、試合は終わっていた。それまで緊張感のある好試合で、これからの成り行きを注目していただけに。
「ナゼ!?」
リングアナの説明が叫びとなって響き渡るが、英語なので悔しいけど意味が分からない。
  

 リング上には関係者が入り乱れて試合は終わったにもかかわらず、
         ブチ切れたタイソンは止まらない。


理由が分からないまま試合会場の外に出ると、ごった返す人ごみの中、でかい白人が壁を背にして立っていた。ツアー同行者に聞くと、試合中に客席で乱闘があったが、どうやらその当本人らしい。笑っていたが、顔から血が出ていてジャケットや白いシャツが乱れていた。

初めてのラスベガスでスーパー・ファイトを観戦した私にとって、試合結果よりもあのカルチャーショックに似た会場雰囲気と、様々な民族の熱気を体感できたことに意義があった。その余韻に浸りながら、人波に揉まれてMGMホテルの正面玄関を出ようとする頃、事件は起こった。
「ここからタクシーを拾って(宿舎の)ホテルに帰るとするか」
と疲労を感じていた頃、女性のけたたましい悲鳴と共に、皆がいっせいに走り出した。
「何事だッ!?」
事態を冷静に把握する間もなく、人波にいた私も弾き出されると同時にすぐ後ろから爆音が鳴った。
「ダダダダダダ~ッ!!」
「死ぬッ!」(と直感した)
必死に走りながら、
「弾があたっても仕方ない」と、思った。勢い余って道路で前方に一回転したが、止まることなく走り続けた。
後ろを見る余裕などなかったが、ただ異常な空気だけは肌で感じ取れた。目の前にあった鉄柵をよじ登って下の道路に飛び降りて、やっと胸を撫で下ろしたのだった。
(天井に向かって発砲したのだ。もし、前に向けてだったら当たっていたかもしれない)
その頃にはMGMホテル周辺の道路は混乱していて、数台のパトカーが強引に対向車を後ろへ退(ど)かしながら発砲場所へ向かっていた。

帰国してスポーツ紙などに「試合結果に激怒したファンが銃を乱射」と報じられていたが、事実はマシンガンだったのだ。
「さすがアメリカだ」と、妙に感心させられた。

観戦した翌日、ツアー添乗員から試合結果の原因を聞かされ、また驚かされた。
タイソンの行為は決して許されるべきではない。だがある意味、やはりタイソンは凄いと思った。
“石にかじりついて”ならぬ、相手の耳を食いちぎってでも勝つ!! という感情。それは、この一戦がボクシングの歴史に刻まれ後世に語り継がれていくだろう中で、『史上最強のヘビー級王者』に固執する彼の執念が、あの暴挙となって出てしまったのだと思うからだ。
つまり、同じ相手に二度負けることは許されないのだ。
(しかし、今になって考えてみれば、勝利への執念というよりは、ただの怒りにまかせた愚行ではなかったか?)
いずれにしても、あの野性味こそがタイソンの魅力だ。賛否両論あるだろうが。
(皮肉なことにその野性味が過ぎるゆえに、リング上・私生活共に人間としての常識に欠け、それが選手としての障害になったことは少なからずあったと思う。もし、ケビン・ルーニーと決別せず彼の忠告を素直に聞き入れていたら……)

ああこの先、この地でメーンを張るようなボクサーが日本から生まれるだろうか。世界中が注目したファイトが生み出した熱気・興奮・怒号・感動(?)
それら全てが、帰路に発つ飛行機と共に一瞬の夢で終わった。


(この時点で第3戦は実現すると思っていた。いかにタイソンが問題児であろうが、金のなる木を伐採し黄金カードを水に流すほど、米国ボクシング界にお人好しは揃っていないと思うからだ。しかし、タイソンの度重なる私生活の乱れ・試合中の不祥事などからタイミングを逃がし、遂に無名に惨敗を期して引退した)

それから2007年の10月、44歳のホリフィールドはWBOヘビー級タイトルに挑戦した。僅差の判定負けであった。
さらに2008年、46歳になったホリィは213センチ・145キロの史上最大ヘビー級王者・ニコライ・ワルーエフに挑んだ。2-0の判定であったために再戦の予定もあるらしい。
ライバルのタイソンが37歳ぐらいで野獣から人間になったことを考えれば、ファイティング・スピリットを保ち続けられる彼は本物の戦士だ。
フォアマンは45歳でヘビー級王座に返り咲いた。今後、仮にホリィが王座奪取なんてことが起こったら最年長記録更新とともに5度目の戴冠となり、アリに並ぶ偉大なボクサーとして語り継がれるだろう。
END





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024年05月28日 01時38分19秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: