星とカワセミ好きのブログ

2018.11.06
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2016年8月28日、福井城に行きました。

朝倉氏が滅亡後、越前一向一揆を平定した柴田勝家が越前北ノ庄を与えられ、この地に北ノ庄城を築城しましたが、賤ヶ岳の戦いに敗れ自害し、城も焼失しました。
その後1600年に徳川家康の次男である結城秀康が68万石で入り、6年の歳月をかけて築城しました。しかし、1669年に天守が焼失し、再築されませんでした。



↑ 福井城。






↑ 福井城の御本城橋。


↑ 福井城 御廊下橋。


↑ 結城秀康公像。


↑ 結城秀康公。 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦いの後、越前68万石の大名となった結城秀康公(徳川家康の次男)は、翌6年に北庄(後の福井)に入り、新しい城の建設と、柴田勝家にはじまる城下町の大改造に着手した。多くの民の力と汗に支えられ、およそ6年の歳月をかけて完成した城下は、都市としての福井の原形をかたちづくり、今日の福井市発展の礎となった。
平成14年4月 (財)歴史のみえるまちづくり協会







福井藩の初代藩主結城秀康は、慶長6年(1601)から約6年をかけて福井城(北庄城)を築城し、本丸には壮大な店主が偉容を誇っていた。残されている天守絵図によれば、外観は4層であるが、最下層の階髙を高くとって2階分の床を張っており、内部が5階になっている。絵図では高さが約28メートルあり、天守台を含めると約37メートルにもなる。今に残る天守台と控天守台には大きな礎石が並んでおり、天守台の北半分に店主が建っていたのであろう。4層5階の壮大な天守も、寛文9年(1669)4月の大火で焼失して以来、再建されることはなかった。


↑ 福井城天守台。 奥は福井県庁と福井県警本部。


↑ 福井城天守台。 昔はここに天守閣があった。


↑ 天守台から見た控天守台。


↑ 1948年6月28日に発生した福井地震(M7.1)で歪んだ控天守閣の石垣。










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最終更新日  2018.11.06 12:46:04
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