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節分といえば、豆まきだが。。。テレビを見ていて奇異に感じることがある。。。
豆まきを鬼退治と間違えて行っているのではと?
豆まきは 豆撒き 豆を撒く行為なのだ
鬼退治ではない
「炒り豆に芽が出る頃に またいらしてください」
という意味で、鬼(災い)に対して穏便にお帰り頂く行為・・・
攻撃的に「出ていけ このやろー」とぶつけるものではない
いつからこういう鬼を打ちのめすような行事になったのか・・・
ご家庭で「豆を投げつける」
という間違った解釈で行われているのは、
幼稚園などで 鬼のお面をつけた人に豆を投げつける
という行事が広められたせいではないかと心が痛む
実際、テレビでの神社の豆撒きの映像を見てもらうと
神職の方はほとんどが、上からではなく
下から「ほおる」感じで豆を撒いている
これが正式、 縁起を知っているからだ
我が家では、古い家なので下から投げて豆を撒く
昔も今もだ・・・
「豆を撒く」この考え方は アイヌやネイティブアメリカンの
そして日本古来の森羅万象が神であり魂を持つという
アミニズムの考え方が色濃く残っている
それは 目に見えて今現存するものというだけではない
時や空間越えて 過去や未来や
眼には見えない 未だ人間には感知されていないものにも
敬意を払う姿勢がある
そして、それらすべての魂、心を尊重する
「貴方の存在をを否定するわけではないが、
私たちと貴方たちは合わないので離れていてくださいね」
闘って力で相手を懲らしめるというのではない
自分を守りながらも 相手に気持ちを伝える
ちゃんと言葉を選び、やさしいニュアンスで・・・
すごいよね・・・昔の人の考え方
現代の人間の生きる手本にすらなりそうだ
と、豆まきは深夜に行うのだが・・・
節分といえば。。。
私には忘れられない、今はもう失われた思い出の味がある
ねじり飴 と おたふく飴だ
父の転勤で小豆島で暮らしていた頃
社宅のすぐ近くの八幡様で節分の日だけに売られていた飴だ
砂糖を使わず米粉だけつかった 昔ながらの素朴なもので
おたふく飴は金太郎飴のおたふくバージョン
形も大きさも似ていて 外がピンクの縁どり中は
どこを切ってもおたふくさん で
ねじり飴は 白くて長さ12.3cm幅3cm厚みが1数ミリくらいで
細い赤と緑の香料のはいった線が縦に入っていて
緩くねじった形になってる
本当に ほんのりと優しい甘さで 大好きだった
その日だけ東讃の飴屋さんが持ちこんで販売していて
その神社で、しかも節分の日にしか売られない
他では絶対に手に入らない幻の味!
その味が忘れられない私は、大人になってから数回
節分の日に小豆島までわざわざ出向き、その飴を買っている
1990年ころには、職人さんがなくなったとかで
高度な技が必要な おたふく飴は作れなくなったとのことだったが
小柄なおばあちゃんが神社の軒に店を開き
なんとか ねじり飴だけが売られていた
20年以上ぶりの懐かしの味 買ってすぐに食べてみた
記憶にぴたりと フィットする大好きな味 美味しい💛
嬉しくてその幸せをみんなにも伝えたくて
家族だけでなく友人たちにもお土産に買って帰った
再会できた幸せに 心が温まった
祖母も母も父も「懐かしいな」と一緒に食べて
小豆島のころの思い出を話し合った 幸せなひと時だった
その後 父がなくなってからも
もう一度買いに行って ねじり飴を楽しませてもらった
祖母と母と三人で 懐かしい味を楽しんだ
しかし、その後 2000年ごろに買いに行ったときには
もう、ねじり飴は売られておらず
その なつかしの飴の歴史に終止符が打たれた
すごく残念で、さみしかった
そして、そのねじり飴には味だけでない深い思い出がある
小豆島に住んでいた時代、毎年
祖母がその飴を幼い私たち孫二人に買ってくれていた
兄に ねじり飴をひとふくろ
私に おたふく飴をひとふくろ
どちらも 5本づづ入っている
兄の袋からは お味見と言って一本取って
残りの家族全員4人で分ける
私の袋からは みんなで分けなさいと言って
私に一本残して あとの4本を私以外の家族四人で一本づつ
「ええ?お兄ちゃんはあんなにもらっているのに
私からばかり取るの?」というと
祖母に「女の子が物を欲しげにいやらしいことをいう」と母が叱られ
私はしかたなく我慢・・・
そのあと 母はいつも後でこっそり
自分が受け取ったおたふく飴の半分を私にくれようとした
すごく嬉しいけれど、甘いものが大好きな母の飴がへるので
「ママが食べて」と私が言っても
「**ちゃんが食べてくれるほうが嬉しいから」と差し出してくれた
だから、私は
「なら、半分こ」といってさらに半分にして母と分けて食べた
母が私をきづかってくれることが嬉しくて
そのおたふく飴は 特別美味しく感じた
これは 今も私の大切な思い出
心の奥に きらめく宝物だ
さて、計算問題です(笑)
それぞれ 何本の飴食べたでしょうか?
トータルで計算すると・・・
兄は飴を5本
祖母と父は それぞれ 1.25本
私は 1.5本
母は 1本にしかならない
数の上、物の量では 断然 兄が一番だが
私は計算で計れない、母の愛を多く受け取っている
母の細やかな気づかいや二人で分け合う嬉しさ
そんな 眼には見えない計ることもできないものを
私は母からたくさん受け取っている
プライスレスってやつだ
それは、何よりも大切なこと 心の財産だ
その教えは心に根付いている
母からの最高の贈り物
これが 今の私の幸せの根っこにある
お金や物の量ではなく、心の喜びを贈りあう
それこそが、一番の幸せ
これからも
忘れないように、大切にして生きていきたいと思う
お母さん ありがとう💛
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