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丸尾常喜『魯迅―花のための腐草となる』を北京日本人会の図書館から借り出してきていたが、最近以下のような箇所を見つける。なお、この本の最初には馬良春先生指教と書いてある。「1904年4月、魯迅は弘文学院を卒業する。清朝政府の指定する進路は東京帝国大学工学部採鉱冶金科であったが、彼は医学を選んだ。「卒業して帰国したら、私の父の受けたようなまちがった医療から病人の苦痛を救い、戦争のさいは軍医として従軍し、一方、国民の維新に対する信仰を促そう。」「『吶喊』自序」というのが、魯迅の夢であった。彼の医学への熱意は、東京高等師範学校に進学予定の友人までに医学専攻をすすめて志望を変更させたほどである。卒業証書欲しさに留学し、帽子を富士山のようにそびえさせながら、留学生会館でダンスに興じ、上野の花見に繰り出す中国人留学生たちに対する嫌悪から、魯迅は喧騒の東京を離れ、仙台医学専門学校に入ることにした。おそらくこのとき魯迅の内面は、医学習得のためのしばし沈潜をつよく欲していたに違いない。」(63―64頁)魯迅の留学先が東京帝国大学工学部採鉱冶金科に決まっていたというのは、初めて知った。なるほど魯迅が「中国地質略論」を書いているのも納得できる。もし、ここでそのまま東京帝国大学工学部採鉱冶金科に進学していれば、仙台の藤野先生との出会いもなかっただろう。
Oct 20, 2008
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古川隆久『あるエリート官僚の昭和秘史―『武部六蔵日記』をよむ』を読む。満州国の官僚のトップだった人に関する本だが、あまり参考になるようなことが載っていなかった。残念。ちかくのお気に入りの店に出かけるが、そこの女子店員から「何人ですか」と聞かれる。けっこうかわいいかんじの子だったが、私の中国語もまだまだだということだろう。その後、話をしていると17歳だということがわかった。高校にはいっておらず、小学校を卒業してから瀋陽から北京にでてきたのだという。こういう人もたくさんいるのが中国である。
Oct 6, 2008
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