全12件 (12件中 1-12件目)
1
遠藤徹は『プラスチックの文化史』(水声社2000)において以下のように述べている。 「戦後の一時期、特に1950年代を中心としてSF映画の一ジャンルとでもいえるほど流行したのが、核物質によって突然変異をとげた生物の物語だった。日本でも第五福竜丸事件によって蘇らされた被爆体験の記憶を背景として1955年に世界的に有名な怪獣映画の金字塔ともいえる『ゴジラ』第一作が作られている。そこでは海底にひっそり生きながらえていた古代の恐竜ゴジラサウルスが、放射能被爆によってケロイドのようにただれた背びれをもった巨大な怪獣ゴジラと化し、口から放射能の熱線を吐きながら日本の首都東京に上陸するという物語が展開されていた。1960年代になって後発のもう一方の怪獣の雄として登場する『ガメラ』の場合もロリシカというロシアとアメリカを掛け合わせた名前の国の核物質を搭載した戦闘機が南極に墜落し、その熱によって冬眠から覚め、さらには放射能に被爆した古代の巨大な亀がガメラとして復活するという物語だった。その意味では当時、日本でも世界でも怪物や怪獣の出現の理由としてはとにかく原子力、放射能、核爆弾といっておけば誰もが納得するような時代背景があったのである。」(294頁) ここまではこれまでもよく指摘されてきたことである。(なお1955年というのは1954年の間違いであろう) しかしこれに加えて遠藤氏はこう付け加えている。 「それは同時にこのころから人知をこえた力が不可視のレベル、つまりは分子や原子のレベルで生命体に働きかけ、もっとも根源的な遺伝子からその生命体を作り変えてしまうという脅威が意識され始めたのだといえるだろう。その背景にはもうひとつワトソンークリックによってDNAという遺伝物質がぼくたちの身体の設計図になっているという衝撃的な事実がすでに教科書的な知識になっていたという事実も見逃せない。このような意識の土壌が大衆レベルですでに形成されていたがゆえに1980年代以降、急速に発展した遺伝子工学の脅威もさほどの抵抗なくうけいれられたのだろう。いずれにせよもはや目には見えず、理解することもできないナノレベルでの脅威に自分たちがさらされているという意識が20世紀後半の人間にとっての潜在的なトラウマになっていったわけである。」 ゴジラが生まれた1954年には、分子生物学の分野では、ワトソンとクリックが、DNAの二重螺旋構造を解明しつつあった。この偶然は興味深い。そして80年代以降に急速に発展する遺伝子工学を取り上げたのが「ゴジラ対ビオランテ」(1989)であろう。この映画においては、ゴジラ細胞というものが問題となり、はじめて分子レベルのゴジラの身体が問題となる。80年代以降はゴジラの身体もひとつの資源なのである。
Mar 30, 2008
コメント(8)
歩行スピード最速は北京!時速5.3kmで香港人を抜き全国1位に―米メディア(Record China - 03月29日 07:4327日、英国レジオン社の調べによると、中国国内で最も歩行スピードが速いのは北京の人だという。データは地下鉄の構内にビデオカメラを設置し、数時間に渡って計測されたもので、平均時速は5.3kmを記録した。 2008年3月27日、歩行者シミュレーションソフトを発売している英国レジオン社の調べによると、中国で最も歩行スピードが速いのは北京の人だという。環球日報による米メディア報道の転電。 都市部の歩行者は歩行スピードが速いことから、国内では最も発展した都市・香港の歩行者が最速なのではないかと思われたが、同社の研究では、北京の歩行者の歩行速度が時速5.3kmを記録し、香港の4.8kmを大きく上回った。 なお、データは地下鉄の構内にビデオカメラを設置し、数時間に渡って計測されたもの。これは建築物の設計時に参照される貴重な資料として提供される。(翻訳・編集/愛玉) (以上引用) 私は、上海が一番かと思っていたが、北京だったのか。 地下鉄などで駅から駅に移動するときたしかに歩行速度の速さは感じることがある。中国で一番早かったとは知らなかった。
Mar 29, 2008
コメント(0)
おもいがけず、この日記で何回か言及したことのある遠藤誉さんにお会いすることになった。昨日のよるホテルで会食することができた。遠藤誉さんに取材を受けた中国人の友人がさそってくれたために実現した。感謝である。遠藤誉さんは取材した中国人学生たちがかわいくてしたかないというかんじだった。さすがに中国人留学生の世話を長年してきた人だというかんじをもった。とても気さくな方で私もいろいろと話をうかがうことができた。「国共内戦というのは、先述した革命戦争のなかの一つで毛沢東率いる共産党軍と後に台湾に逃れた蒋介石率いる国民党軍との間で行われた内戦だ。この戦争のために私は家族を餓死でなくし、死体の上で野宿することを余儀なくされ、恐怖のあまり記憶喪失となった。7歳のときだった。共産党軍が長春市をすべて鉄条網で包囲し、食糧封鎖をしたからである。そして長春市内にいた国民党軍もまた飢えで息絶えていく市民を見殺しにした。このとき餓死した者の数は、中国政府側発表で15万人、経験者は30万人といっている。それでも私は、あの犠牲は「苦しむ人々を助ける戦い」のために払った犠牲なのでそのために戦った共産党軍は正しかったと自分に言い聞かせて生きてきた。しかしその共産党が作った国は、これまでに何をしてきたのか、そして今何をやっているのか。たしかに中国は豊かになった。やがて日本を超えて世界第二の経済大国にのしあがっていくだろう。私にとってうれしいことではある。だがその陰で中国はさらに「苦しむ人々」を生んでいるのではないか。そのために「自由の国」どころか、厳しく言論と思想を規制し、強権的な実質上の一党独裁専制政治を行っているのではないか共産党幹部が大企業と結びついて特権階級として貧困層を虐めている。こんな社会をつくるためにあの犠牲があったのではない。」これは「中国動漫新人類」のあとがきのなかの遠藤氏の言葉だが、この言葉には遠藤氏だからこそいえる本物の響きがあるとおもいますという感想を伝える。
Mar 28, 2008
コメント(0)
22日、四川省臥龍国家自然保護区中国パンダ保護研究センターと北京動物園は、「環境にやさしい」をテーマとしている北京オリンピックを広げてゆくために、中国の宝でもある同保護区の子パンダを北京動物園でお披露目することとした。 2008年3月22日、四川省臥龍国家自然保護区中国パンダ保護研究センターと北京動物園は、「環境にやさしいオリンピック」をテーマとしている北京オリンピックを広げてゆくために、中国の宝でもある同保護区の子パンダを選び、北京動物園でお披露目することとした。新華網が伝えた。 「臥龍国家自然保護区パンダ、北京オリンピック紀行」と命名されたこのイベント、3月21日に始まり、パンダのネット投票コンテスト、出発、お披露目、帰郷と、11月までの約8ヶ月間行われる。 容姿がよく、適応能力の強い、活発で、かわいい「歓歓(ホワンホワン)」、「福[女尼](フーニー)」、「福娃(フーワー)」など、16匹の子パンダが既に臥龍保護区から選ばれ、その中で6~8匹が北京に行くとのことだ。3月29日結果が発表される。 北京オリンピック公式マスコット5つのうち、晶晶(ジンジン)というマスコットにもなっているパンダ。絶滅に瀕している動物というだけでなく、中国の国宝であり、平和と友情の使者として、世界の人々に愛されている。(翻訳・編集/佳佳)(以上引用) やはりパンダは平和の使者か。しかしパンダも核実験により被爆して 巨大化するとゴジラのような存在になりうるから、ちょっと気をつけたほうがいいよ。 パンダとゴジラが取っ組み合いながら天安門をこわすという日中共同制作映画「パンダ対ゴジラ」のクランクインの知らせはまだ届かない。
Mar 26, 2008
コメント(0)
満鉄中試会準会報がとどいていた。 同級生がなくなったとか、家族がなくなったとかそういうはなしが多い。 そのなかでも特に目を引いたのは、萩原定司氏が102歳でなくなっていたことだ。 「ついに」というかんじをもった。 萩原定司氏は、戦前は、満鉄中央試験所の研究員だったが、戦後は、国際貿易促進協会理事長として日中友好に努力してきた人だ。まあ、よくここまで生きてきたともいえるわけで、ご冥福をお祈りするしかない。 大連化学物理研究所には、萩原氏の写真が掲げてあったことを思い出す。 週末文化市場をぶらついていると知り合いの古本屋のおばさんに声をかけられた。 「このお札はどこの国のものだい?」 なぜそんなことを私に聞いてくるのかはよくわからなかったが とにかくよくみてみるとベトナムのものだった。 ホーチミンと思われる人の肖像が描いてある紙幣であった。 なぜこんな紙幣を持っているのか聞いてみたら、本の間からでてきたのだという。 たぶんベトナムから北京大学に留学してきたベトナム人が本の間にはさんだのではないだろうか。古本屋のおばさんは、ベトナムの紙幣がどれほどの価値があるのか知りたがっていた。
Mar 25, 2008
コメント(0)
昨日は朝からゼミである。そろそろ博士論文の予答弁の時期が近づいているのでみんな忙しい。私は後藤新平の科学思想に関する報告をする。論文化してすぐに送 ることにする。 午後はちょっと睡眠をとった後五道口のある留学生雑誌の勉強会に参加する。主催者からさそわれたため。 医療に関して中国の現状についてけっこうくわしいことがわかって勉強になった。 中国で救急車を呼ぶとやはり料金が発生する。 一kmあたり大体2.5元とか3.5元とかとられるらしい。 また救急車を30分以上待たせると一時間ごとに10元とられるのだという。 なかなか救急車をよぶのも大変である。 その後、夕食を留学生雑誌のスタッフとともにとる。
Mar 23, 2008
コメント(0)
高橋哲哉氏のことを書いていて思い出したことがある。高橋氏が軍事評論家の前田哲男氏を尊敬しているというのは、中国の重慶で講演を聞いたときに知った。前田氏は、重慶の戦略爆撃に関する先駆的な仕事を残している。その前田氏の本が、中国語になって出版されている。これも重慶を扱った本だったが、「戦略爆撃の思想」とはちがう本である。その本には中国語の序文がついているのだが、それは北京大学歴史系のX先生が書かれている。そのX先生に2月はじめごろにばったり会ったときにその本の事を聞いてみた。すると「あの本買いましたか?」と聞かれたので、「まだです」と答えると、「わたしの方から差し上げます」といわれた。しかし実は5月まではX先生は日本に滞在するといっていた。高橋氏と交流しているかもしれない。だから本がもらえるのは五月以降のことであるのだが、はたしてX先生は覚えてくれているだろうか。
Mar 22, 2008
コメント(0)
最近シカゴ大学からハーバード燕京基金で北京大学にきている大学院生の人と話をする機会があった。シカゴ大学教授のノーマ・フィールド氏のことについてはなしをした。 ノーマ・フィールド氏の本をはじめて読んだのは『天皇の逝く国で』(みすず書房1994)ではなかったと思うが、こういうところで名前がでてくるとは思わなかったな。 シカゴ大学の日本人留学生は大体は知っているらしい。 そういえば、Mixiにもコミュニティがあったことを思い出す。 以前、北京で会った哲学者の高橋哲哉氏とも仲がよいらしく、高橋氏が、シカゴ大学で講演というようなことも聞いている。北京とシカゴの意外なつながりである
Mar 21, 2008
コメント(0)
かなり暖かくなってきたが、なぜか風邪をひいてしまった。 朝から本の整理などしていたら、みあたらなくなっていた大石又七著「これだけは伝えておきたいービキニ事件の表と裏ー」がでてくる。 書評しなくてはいけないので、もう一度精読する必要がある本である。 テレビを見ていたら、北京航空航天大学と立命館大学の相互交流のニュースがやっていた。 立命館大学は、北京大学とも相互交流があるとたしか北京大学生が日記に書いていたのを思い出す。 中国人民大学のQさんから返事のメールが来る。
Mar 21, 2008
コメント(0)
ドラえもん アニメ文化大使に外務省は漫画などのポップカルチャーを利用した文化外交の一環として、人気キャラクター「ドラえもん」をアニメ文化大使に起用することを決め、19日に同省で就任式を行った。ドラえもんに就任要請書を手渡した高村正彦外相は、「世界中を飛び回ってほしい。世界の人に日本を理解してほしい。世界の人と日本が仲良くなるようにしたい」と激励した。 (以上引用) 中国の全土の映画館ではじめて同時上映されたのが、ドラえもんだった。 私が希望工程で農村の小学校にいったとき歌った歌もドラえもんのうただった。中国においてはそれほど知名度が高い。 これは民によって作られ、民によって選ばれた文化だった。 アニメや漫画による文化外交というようなことを長期的な視点で考えた政治家はほとんどいなかったし、麻生氏がそれをいいはじめるのもつい最近のことだ。 私もドラえもんをはじめて読んでいた頃このような事態は、予想できなかった。
Mar 19, 2008
コメント(0)
東北大に寄贈された写真。後列左が魯迅。鼻の下に見事なひげが描かれている 中国の近代化に影響を与えた文学者、魯迅(ろじん)(1881~1936)の仙台留学中の写真が、東北大史料館(仙台市青葉区)に寄贈された。18日から公開される。魯迅の下宿先の家族宅に保管されていた一葉で、鼻の下に当時はなかったはずのひげがある。魯迅が有名になる前、下宿の主人が「今ごろひげを生やして偉くなっているだろう」と想像して描いたらしい。日本との交流を物語るワンカットとして注目されそうだ。 魯迅は1904(明治37)年に仙台医学専門学校(現東北大医学部)に入学。仙台市内の宮川家に下宿したが、徐々に文学を志し、2年後に中退した。 写真には魯迅のほか仙台医専の日本人学生4人、中国人留学生1人が写り、裏側には「明治参拾八年影」と記されている。転身を迷っているころ地元の写真館で撮ったらしい。裏にはさらに「大正二年現在」としてそれぞれの氏名と現在の状況が記され、魯迅については本名で「周君 不明」と書かれている。当時の下宿屋の主人、宮川信哉氏の書き込みらしく、ひげもこの時に描かれたらしい。 魯迅にはこの時、ひげはなかったが、帰国直前の1909年に東京で撮った写真にはある。その後、「狂人日記」などで著名になった。史料館の担当者は「下宿の大家には強い印象があり、中退後も気に掛けていたのでしょう。交流をしのぶ貴重な写真」と話している。【藤田祐子】 (以上引用) このニュースには無関心ではいられない。なぜなら魯迅とは縁の深い人間だと思っているからである。東北大史料館には何度かいっているが、なぜいまこういう写真が寄贈されたのだろうか。当時の下宿屋の主人、宮川信哉氏の子孫にあたる人が見つけて寄贈したということだろうか。 魯迅は墓の下で笑っているかもしれない。天国で笑っているのではない。なぜなら魯迅は「私は天国にはいきたくない。聖人君子とは一緒にいたくない。」という主旨のことを語っているからだ。 あえてこのようなことを語る魯迅が私は好きである。このような魯迅の精神を少しでも継承したいと願う。 北京にある魯迅博物館にもこの写真は飾られるかもしれない。
Mar 18, 2008
コメント(0)
中国教育部は外国人の中国留学に関するデータを発表。07年の中国の外国人留学生は過去最多の19万5503人を記録し、国別トップは韓国、日本は第2位だった。新華ネットが伝えた。 07年は188の国と地域から合計19万5503人の外国人が中国に留学、前年比で3万2808人(20.17%)増加した。受け入れ先は、台湾、香港、マカオを除く中国31の省、自治区、直轄市で544の高等教育機関、科学研究所など。中国政府からの奨学金受給留学生は1万151人で、同1667人(19.6%)増加。一方、私費留学生は3万1141人(20.2%)増加し18万5352人となった。 世界の大陸・州別では、アジアからの留学生数がトップで14万1689人、全体の72.47%を占めた。欧州出身者は2万6339人で同13.47%、米大陸は1万9673人で10.06%、アフリカ大陸は5915人で3.30%、アジア・太平洋地域は1778人で1.07%。アフリカ大陸からの留学生は前年比で2178 人(58.28%)増加し、伸び率が最大の地域となった。 国別トップ5は1位から韓国(6万4481人)、日本(1万8640人)、アメリカ(1万4758人)、ベトナム(9702人)、タイ(7306人)となっている。(翻訳・編集/汪葉月) (以上引用) これからもしばらくは中国への留学生は減りそうにない。 主流は中国語を学びにくる人たちである。 研究留学というのはまだ主流ではない。アフリカ大陸からの留学生が増えているのは注目すべきだ。 日本は第二位の留学生数なのだが、第一位の韓国は、突出して多くの留学生を送り込んでいることがわかる。 北京大学の予科なども韓国人留学生だらけだし、留学生優秀賞なども韓国人留学生が席巻している。 また韓国人留学生は日本人留学生に比べるとけっこうまとまりがいいように思う。
Mar 18, 2008
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1

![]()
