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モンゴル語がさっぱりわからない。 この間など単語の語幹と活用部分の間に一つ余分な字(г)が有るのがどうしてもわからず、半日悩んだ。 色々あっちこっち調べていたら、「前の単語の語幹に活用語尾をくっつけるのに両方に入っている同じ母音文字がくっつかないように入れるしきり」なんだとか。 ただの仕切り。お弁当に入っているバランと同じ。 なくても良いじゃん、良くないか。 いろいろ調べているとそう言った疑問を教える指導についての論文が各大学ホームページにたくさんある。指導者用なのであろう。こっちは学習者だけれど、意外にこの手の小論文に疑問の回答が書いてあることがある。 そのうち小論文をいくつか読んでいると楽しくなる。ウサギはどうやら言語習得を目指しているのではなく、習得過程を楽しんでいるということか。良いんだ良いんだ、楽しければ。 今日も10ページほどの何とか大学モンゴル語格語尾の指導に関する研究という小論文を楽しく読んだ。 時々登る標高200mの山。 新しい復路下山ルートを発見。傾斜はきついが、以前の他の山の急降下とは違って転げ落ちるほどきつくはない。時短二分の一。しかし、歩数は稼げないので運動量は足りない。山に登っても歩数は10,000歩行かない。 帰り道目の前をものすごい勢いで何かが走った。ネズミかリスか?
February 26, 2021
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思えば長い旅であった。 ドイツを拠点に1ヶ月以上にわたり、フランス、チェコ、オーストリア、を巡り歩いた旅行の時より長い様な気がした。 ウサギの海外旅行は必ず訪問国で友人達と会ったり、泊まったりする旅ではあるが、今回は初めて会った人達が多かった。 人間関係は結構疲れる。 だけど、当初の目的の、留学生2人の国を理解するということと、2人がどうやってその家族の中で育って来たかということを知る目的は達成された。 終わってみれば、ツアーでは味わえないウサギ流の旅行が出来た事には違いなかった。 今回もまた忘れられない旅になったのであ、った。 空港には旅行中のテムジンと忙しい将軍を抜いたテムジンご両親と、バアスカとご両親が送りに来てくれた。 結局モンゴルの通貨トゥグルグに替えたお金は皆は使えず、また半分はバアスカに円に戻して貰い。残った少額紙幣で空港で皆にお礼のコーヒーとドーナツをご馳走してお茶して別れたのだった。 ウランバートル空港の搭乗口は1箇所のみ。 手荷物検査と出国カウンターは数が有ったがその後の搭乗ゲートはナンバーと行き先が違っても、バス乗り場は一緒だった。韓国便もロシア便も。 心配なので何度も登場ゲートに行っては、日本語で「まだ、早い」と言われてすごすごと待合室に帰るのだった。
August 28, 2019
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もはや何日にどこに泊まったか、わからなくなった。 次の日、昼頃バアスカ家族とレストランで昼ごはんを食べていると、テムジンお母さんが迎えに来た。 ウランバートル、車が多すぎて大変な渋滞でナンバー規制なので、その日の車はお母さんの車ではない。 テムジン居なくて言葉が通じない経験から、お父さんの将軍が日本留学経験のある通訳を手配していた。そこまでするんだ。たかが民間人の我らに。 恐竜博物館、ボグドハーン宮殿美術館へ連れて行って貰う。恐竜博物館では博識そうな女性の館長が説明してくれた。 砂漠にあんなにいた若い韓国人の旅行者が何故か博物館には居ない。欧米人の観光客のみ。やっぱり彼らの興味は「インスタ映え」かな。 その日はテムジンの家に2回目のお泊まり。 会話はiPhone アプリのVoiceTraを使う。 翌日は通訳が再び現れて、もう1人のお父さんの車で郊外に出た。 世界遺産に指定されているマンジュシュリ修道院跡へ。 修道院といっても仏教の寺院を中心に栄えた聖なる地だ。 テムジンお母さんが持って来た牛乳をお祈りしながら空に向かって投げていた。 牛が放牧され、道路を横切り、マーモットもいるというその地には、ブルーベルやエーデルワイスの仲間のウスユキソウが咲いていた。どこかスイスの風景に似ていた。 野原の真ん中で広げていたお土産屋さんから仏教のマニを型取ったキーホルダーを買った。 ウランバートルに帰ると、レストランが予約され、テムジン家族全員とバアスカ家族が待っていた。将軍も。ご隠居を通訳と将軍の方に押しやり、英語の出来るテムジンお姉さんと隣のバアスカと話す。 「お母さん、聞いてるばかりで英語あまり話さないじゃない」自分だって全然話さないバアスカが言う。 疲れてくると会話能力が落ちるなどと言うのでは、まだまだ修行が足りないなあと思う。 その日は最終宿泊日という事で用意してもらったホテルに泊まった。
August 28, 2019
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ウランバートル近郊でキャンプをするという計画で車にテントや鍋、寝袋など積んでバアスカの車で出発した。見ていたらジンギスカンの重い鉄の鍋も積んでいる。あれ日本だけかと思ったらやっぱり発祥はこっちか。 ウランバートル市内を抜け、郊外に現れた小さな町のスーパーで肉やら水やらを買い込む。 観光リゾート地テレルジとの分かれ道をまっすぐ進むと、エルデネ村。 チンギスハーンの巨大な像が有る複合施設。 ここでテムジンのお母さん達と合流するため待っていたら、急に大雨が来て雷が鳴ってきた。 怖い。日本の様に林の中ならいざ知らず、草原やなだらかな丘の間只中、自分のテントより高いものが周りにない状況での雷なんて怖くてやってられない。 「こんなに降ちゃったらキャンプ出来ないね。」「テムジンのお母さんも来ないし、帰ろう」 うんうん、そうしよう。 荷物を朝積んだまま、またウランバートルへと戻ったのだった。 途中の道、物凄い茶色の水が道路を覆い尽くして、水の中で動けなくなっている車が沢山。道路事情が悪いとたったこれだけの雨でこうなるのだ。
August 26, 2019
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モンゴル滞在が長くなって、ウサギの覚えたモンゴル語が枯渇した。覚えた動詞が全く活用できなくなったのである。 夕方、髪切り式の後、テムジンのお母さんが迎えに来てくれて、博物館へ。 今日から通訳のテムジンはいない。見るだけなのでまあ大丈夫。 ショッピング。お母さんの妹だと言う人が現れて日本語で通訳。ちょっと複雑な状況だったのでああ良かった。 お店を出ると、その妹さんが急用で去った。再び通訳なし。 時間は夜の8時を回っていた。 車でザイサントルゴイという丘の上にある日本軍とモンゴル、ソ連軍が戦った戦勝記念碑へ。ウサギの希望で連れて行ってもらう。 iPhone アプリのvoice tra を使って会話。 それもだんだん話題に対応出来なくて無理になって来た。 ジューススタンドで突然、テムジン母さんがスマホを手渡す。 誰かが英語で話している。だれだろう。 オーストラリア留学経験の有るテムジンのお姉さんだった。10分ほど話す。 それから、ザイサンの丘に登ってウランバートルの夜景を見る。流石に国民の半数が住むというウランバートルはキラキラと輝く都会だった。 その状況で使えるウサギのモンゴル語は使い尽くし「良いです」「ありがとう」など使い回しの効く5、6個に落ちた。 お母さんがまたスマホを手渡して来た。今度は誰だろう。 電話の向こうから優しいテムジンの声が聞こえて来た。ザイサントルゴイの歴史を説明してくれている。クラスメートとの旅行中なのに遠方から援護射撃をしてくれているのだ。 ありがとう。 ウサギ、英語の通じないモンゴルでこういうことも想定して、モンゴル旅行前にモンゴル語学習本を3冊勉強して来た。動詞も活用できるはずだった。 しかし、結果は惨敗。 「英語さえできれば外国旅行は大丈夫」は単なる観光旅行の話。(モンゴル、観光地でも英語通じないけど) ホームステイの様な相手を尊重する旅行にはもっともっと勉強してくる必要があったと反省したのだった。 そして、懲りもせずバアスカ家族3人と帰国した今、Facebookで会話しているのである。無謀にも。モンゴル語で。
August 24, 2019
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「お母さん、姪の髪切り式に参加したい?モンゴルの伝統的風習だよ」 ナーダム(年一度のお祭り)やゲル体験(遊牧民の家)は観光コースがあるから体験できる。しかし、個人の家で行われる日本で言えば七五三的行事は、おいそれとは体験できない。 参加しない手はないのである。 その日は髪切り式には良い日。対象者はバアスカの姪のエンカ。 朝から2人のお姉さんが一生懸命料理を作る。ご隠居もチキンを焼いてヨーグルトサラダ作って参加する。 お客様は、40人ほどだという。 メインは羊の半身の蒸し焼き、豪快。 バアスカのお父さんが誓書みたいなものを読み、今日の主賓の人がエンカの髪にハサミを入れる。近親者から段々に鋏を入れる。「美人になりますように」とか「幸せになりますように」とか言って、キスをする。 エンカは小さなポシェットを掛けていて、髪を切った人からそこにお祝いのお金を入れる。 事前に郵便局でバアスカに言われ伝統的な袋を買った。「いくら入れたら良い?」と日本円にして8,000程袋に入れたら、お姉さんがもっと少ないから多すぎるよと言われ減らされた。袋に入れて持っていると。 さてバアスカの番が来て、彼は財布を開いて見ている。覗くと一万円札が一枚だけ入っていた。ちょっと考えてその一万円札をエンカのポシェットに。 「えええー」自分だけ多いじゃない。 この裏切り者。 「だって、5,000円札有ると思ったのに無かった」だって。 そして誰もが祝儀袋じゃなくて現金むき出しで入れている。 客はいっぺんに来なくて、少しずつやって来る。その度にバアスカが甕から馬乳酒を大きな銀のお椀に注いで振る舞う。私達は酸っぱいので一口がやっとだったが皆、全部飲み干すのだった。 お客は入れ替わり立ち代り来たり、帰って行ったり。帰りにはお菓子やジュースのお土産を渡されていた。 そういえば私達2人は伝統的な服のデールを着せられたが、エンカの父方のお婆さん(遊牧民で遥々遠くからやって来た)だけがデールを着ていた。 外国人が伝統服を着る不思議。 そして、全員が帰った後、何が起こるか。 エンカが両親に連れられて美容室へ。エレベーターを降りた。 帰って来たエンカの頭は丸坊主だったのである。 これが髪切り式の終わり。 その後街を歩いていてよく見ると、ツルツル頭の女の子が結構歩いていた。
August 23, 2019
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テムジンの家は新しく開発されたくさんのマンションなどが立ち並ぶ地区に有った。 広々としたリビングダイニングで、テムジンのお姉さんが作った伝統料理を食べて、家族で話をした。 ホーショルもボウズも優しそうな小さいお姉さんが作ってくれたものは皆、ちょっと小ぶりで可愛らしかった。 モンゴルの食事風景は、「頂きます」で始めないのが普通。皆、勝手に食べ始めるのだ。だから、私達はいつもそこで戸惑う。 テムジンが一生懸命通訳してくれた。 そして朝起きると隣の部屋に3人のテムジンのクラスメートが寝ていた。早朝の飛行機で着いたのだという。明け方テムジンが空港まで迎えに行ったのだ。 テムジンはここら我らの旅から離脱してクラスメートとの旅に出る。
August 23, 2019
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ウランバートルに帰った日、バアスカの家に泊めてもらった翌日。 次の日のバアスカの姪の「髪切り式」に私達も何か作ろうとスーパーへ買い出し。 お昼に防大の研究科生だったザヤさんの家を訪問する約束だったので、バアスカに送って貰った。 再会、そしてお昼をご馳走になってバアスカが家族写真を撮って帰って来るまで待っていた。 その日はテムジンの家に泊まることになっていたので、連絡を待っていたが、ゴビ強行軍で、テムジンの車のガソリンメーターが壊れた。修理するというので、迎えが来るまでバアスカとウランバートル散歩。 最大の観光名所、ジンギスカンの像があるスフバートル広場には、民族服を着た結婚式の人たちが何組もいて議事堂の前で写真を撮っていた。日本と同じでその日は結婚には「良い日」なんだそうだ。 ショッピングモールの中で馬頭琴の演奏をしていたのでそれを聞いたり、娘達にハガキを出すために郵便局に行ったり、綺麗なスカーフを売っている店を案内して貰ったりした。 あ、本屋に行って本も買った。読めないモンゴル語の本。 突然、バアスカが、「私の学生時代の女友達呼んでも良い」と言った。「彼女じゃないよ」 知ってる。 デパートの気取ったカフェを覗いたら、彼が「もっとカジュアルなところでも良い?。私達がいつも行くようなところ」 「うんうん、そっちの方が良い」 バアスカにマンゴースムージーを奢って待っていると彼女がやってきた。 「彼女の分は僕が払う」 きちんと主張し、男気のある子なのだ。 ほんの30分ほどの時間だったけれど、モンゴルの東大みたいな大学に通う聡明な彼女とやさしい日本語と、バアスカの通訳で話をした。 観光旅行にはない、普通の若者の日常。 楽しい時間だった。
August 22, 2019
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呑気にモンゴル旅行記書いていたら、バアスカから昨日の午後メッセンジャーが入った。 「これから飛行機に乗ります。」 え、今日帰って来るの。明日じゃなかった? 2分と置かず、テムジンから 「来ましたよ」 どこへ? これからウランバートルの空港出るのかな。夜便かな。追いかけてテムジン 「ここはどこでしょう」と大勢が列を作っている写真を送って来た。 搭乗手続きかな? 「もう着いたんですよ」 どうやら最初のバアスカのメールはタイムポケットに入って、5時間も遅れて送られて来た様だ。メールも一緒に飛行機に乗っちゃって、機内モードのまま、到着と同時に送られて来たみたい。出発メールと到着メールがほぼ同時でウサギの頭は大混乱。 とにかく、その時もう成田だから、人間ドック終えて買い物していたのを急遽帰宅する、といっても普段の生活通りだから、何も慌てることがないけれど。 2人のベットにシーツ用意して、ご飯の支度をした。 少ない夏休みを私達の為に半分も使わせちゃってごめんね。お帰りなさい。
August 20, 2019
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翌朝、8時出発がまた伸びて結局10:30出発。 モンゴルの首都ウランバートルまで650km帰るのである。 かなり走った頃、途中の街のレストランに入った。中は若い韓国人でいっぱい。 それぞれ注文して食べていたら、何か問題が起こったらしい。 我らの帰国便の座席が無いという。そしてまた一日帰国が伸びた。 ええい、もうどうとでもなれ! その後、真っ直ぐ帰るのかと思いきや、途中で道をそれまた砂漠を突っ走る。 かなりの悪路だ。ランドクルーザーの私達はガイドの示す道を、バアスカの乗用車は悪路を避け、遠回りをする為二手に分かれた。 目的地の白い城と呼ばれるグランドキャニオンの様な崖の上で待っていると、遠くから砂煙を上げてバアスカの車がやって来た。 この断崖から遥か下を見るとでこぼことした台地が広がっていた。驚いたことにそんな所でテント張っている人がいた。 それからまたメイン道路に戻る頃にはすっかり日が暮れかけていた。 母親達は皆、息子が夜、車を走らせる事を心配したけれど、ガイドも翌日次の仕事が有って、どうしてもウランバートルに戻らなければならないと言うので、皆必死に走った。 ウランバートルには明け方の2時ごろ着いた。 その日はバアスカの家に泊まった。
August 18, 2019
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その日の夜はダランザドガドの街の公園に繰り出した。 ご隠居と私はバアスカのお母さんに作って貰った民族衣装のデールを着て行った。 公園と言っても遊園地かテーマパークと言ったところ。入場料を取る。 テーマは「恐竜」 恐竜の模型や動く恐竜、メリーゴーランドや観覧車が有った。 テムジンがダーツをやってイチゴのホルダーを取ってウサギにくれた。 砂漠の街の蜃気楼のような夜。 そういえば砂漠を走っている時、蜃気楼を見た。砂漠にあるはずのない街や山。
August 18, 2019
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満点の星空を見上げ、寝た翌朝。 皆、ガイドに時間厳守を言い渡されていたのに。出発の8時に準備出来たのは我らだけ。 昨夜、リーダーだと言っていた将軍は仕事の為6時にはもう運転手と出発したんだという。そのための運転手だったか。 リーダー不在の時のサブリーダーはと言うと、昨夜、いや今朝まで将軍と呑んで酔い潰されたバアスカのお父さんに成る。しかし、なんとバアスカ、ステーションワゴンの後部座席と荷物室をベットにセットしているじゃ無いか。お父さんはそこで寝ながら行くんだとか。 あっという間にこれで副官もいなくなった。 誰がリーダーだ。 テムジンのもう1人のお父さん? 言ってることとやってることが違いすぎやしない? 結局キャンプを出発したのは10時。 ヨリーンアムは昨夜の峡谷と違った谷に入った。駐車場から4kmの片道ハイキングと言われたが、馬も、ラクダも有った。 バアスカは姪を可愛がる優しい子だ。 その前にトイレ。穴を掘った木組みのトイレと形は水洗トイレで有料のトイレとどっちが良いか。 勿論躊躇せず有料の方を選ぶ。 固辞するウサギにテムジンが馬を引くからと馬に乗せられた。話をしながら揺られて歩く。突然テムジンが指切りしようと言う。 なんで! 「これから話すけどそれ聞いても次も馬に乗る?」 「良いよ」 「どうして私が馬に乗らないか。馬は人間乗せて可愛そう。それに帰りも疲れているのに人間乗せなきゃいけないから」 ぐうの音も出ない。しかし、指切りさせられてるから降りられない。 終点は細い崖に通路になって水が流れていた。家族たちみんな頭を水に付けている。それをすると英気がみなぎるんだそうだ。 帰り、馬に揺られるとトイレに行きたくなりそうなので、歩いて帰るとテムジンに告げたら、彼は自分で馬に乗って帰って行った。 あれれ、馬がかわいそうなんじゃ無いんだっけ。 後で文句言ったら、帰りは馬が自分で行きたい方向に行っただけだから、無理に連れて行ったわけではないからかわいそうじゃないんだなどと言う。 ふ〜ん。 モンゴルの子は首都の子でも小さい頃から親の故郷で馬に乗っているから、上手に馬に乗れる。 その後、化石博物館に寄って、ダルンザドガドの街のレストランで昼食。 その日は予定に無かったホテル泊。
August 16, 2019
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砂丘の上で1つの提案がなされた。 それがいつのまにか決定になった。 砂丘に登って眺めている時、モンゴルの両家のお母さん達が私達の旅行が余りにもタイトだから、3日伸ばして、ウランバートルでゆっくり休む時間を作って、ウランバートル市内や近郊に連れて行きたいというのである。 夫の体調も有って、少し伸ばしても良い気がしたので、私達もその提案を受け入れた。 どうせ宿泊先も自由に決定できない立場だし、皆さんに負担を掛けるが、みなさんからのありがたい提案なので素直に受け入れる。 年金生活者には是が非でも帰らなけれならない予定もないし。娘達に2、3の変更連絡を頼むだけだ。 そして、ディナーに皆が食堂棟に集まった時、今後の日程が話し合われた、というよりほぼ命令。大事な遠来の客を危険に晒してはいけない。指揮官は将軍、将軍がいないときはバアスカのお父さん(元大佐)。皆がその指示に従うこと。将軍、今日の行軍に参加していないのに、全て把握している。夫が吐いたことも。 そうか運転手は軍人。ガイドも将軍の息がかかっているのか。 2人の留学生が将軍に言われて日程を作り直す為食堂棟を去る。ガイドは何故か通訳しなくなる。我ら言葉が分からず蚊帳の外。 留学生の書いたスケジュールにダメ出し。却下。やり直し。 ウサギの今までの旅行全てで自分が計画して、自分で手配して来た経験から、人に行動権を委ねるというパニック。 計画表みせて貰ったが、「お母さん分からないよ」というバアスカの言葉 ごもっとも!
August 16, 2019
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砂漠を過ぎるとまた2台の車は砂煙を上げて疾走。 結局最後は先導の車を見失って無駄に走った。 赤い土の台地は砂漠の中に現れた小さなグランドキャニオンのような風景。昔海だったというそこの赤土の崖の連なりからは、恐竜の化石がいっぱい出るんだとか。ちょうど日本とモンゴルの研究チームが恐竜が集団で生活していた巣を発見したというタイムリーなニュースを見たばかり。 それにしても韓国人の観光客の多いこと。そこに限らずモンゴルのあちこちに韓国人旅行客がいた。 砂漠の真ん中のゲルレストランで昼食。 バアスカがいないと思ったら、レストランの主人のゲルに入って、調理した羊の頭の肉をナイフで剥ぎ取って食べていた。 こっちはレストランの主人。レストランと言っても普通の遊牧民のゲル。ゲルの中には簡素な生活道具と調理器具が置いてあった。寝泊まりもここでするのだろう。 夫は警戒して昼食抜き。 食べたらまた走る。 砂漠のオアシスには湧き出る泉の水を求めてヤギの群れがやって来た。 そして走って、ヨーリンアム渓谷 ひっくり返りそうな急坂を登って降りると駐車場。そこから渓谷まで1時間歩いた。 寒いからヤッケを着てと言われた。 歩き始める前のトイレを覗いてみたが、深い穴を掘っただけの木組みのトイレだった。これなら野原の方がまだマシ。落ちる夢を見るといけないのでギブアップ。我慢して歩く。 砂漠なのに寒い理由はこれ。 峡谷の終点には雪渓が残っていた。 きっとここも昔はスイスのように氷河だったのだろう。
August 14, 2019
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昨夜、英語も話すガイドにみんな8時に食事棟で食事をするように念を押されたのに食堂棟に行っても誰も居ない。 まあ、留学生曰く、モンゴルには午前と午後と夜しか時間割区分がないらしいから、誰も時間通りになんか来ないんだろう。 結局10時大幅過ぎにキャンプを出発。 今朝、突然ゲルのドアを開けてモンゴル語で「おはようございます」と言って去ったのはどうやら将軍が手配した運転手らしいと後からわかった。(このぐらいのモンゴル語はわかる) その日は将軍は風邪を引いてゲルで休み。 普通乗用車では行かれないほどの悪路に行くというので運転手が持って来た車とランドクルーザーの2台で出発。 私達の車にはテムジンとご隠居とウサギと彼のお母さんとそのご主人が乗った。 ほとんど道なき道を時には2台並んで、時にはほとんど競争しているんじゃないかと思うほど抜きつ抜かれつ、時々ガイドと運転手の車を見失う。そしてはるか向こうを砂煙を上げて爆走する車を双眼鏡で地平線の彼方に見つけ軌道修正。 隊列組んで走ればいいと思うのに、この後も他の車が見えなくなるぐらい遠くに離れるのである。まるで砂漠のラリーだ。 そういえばお母さんのご主人はモンゴルラリーの入賞者。(テムジンはこっちのお父さんに運転技術を習ったんだそうだ) 左ハンドルだからテムジンが運転している。 モンゴルに着陸少し前の飛行機から眺めて同じ方向に何本も道路の線が付いていた理由がその時わかった。要は砂漠の中、どこをどう走ってもいいのである。だから方角がわかるガイドが必要なのだ。 砂丘にもうすぐ着くという頃、余りの悪路にご隠居が突然ストップをかけて、砂漠に嘔吐した。車酔いの薬を持っていたのに酔ったのだ。 砂丘 この中に私はおりません。 砂丘は砂漠の中をいくつかに分かれて山を作り、遠くの砂丘を巡るフタコブラクダが観光客を乗せて歩いていた。 裸足になって砂丘を登る。 砂丘のてっぺんをバアスカと砂についた小動物の足跡を追い歩いた。 砂漠の砂の上には何種類もの小動物の足跡が交差していた。 狐ぐらいのものもトカゲのようなものも。
August 14, 2019
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ガイドに案内されて砂漠の中でも少し起伏のある地域に有るキャンプに着いた。 時間は午後8時まだ少し明るい。 昼ごはんや夕ご飯が少しずつずれているのでどれが昼ごはんか夕ご飯か分からない。何しろ街に着いたら、それが食事時。 砂漠だというから標高は低いと思ったら、ゲルキャンプのある所は2,000m有るんだそうだ。 私達に割り当てられたのは2人用のゲル。 ゲルの中にはテーブルが1つと小さなベットが2台。 敷地内にロッジ棟とトイレシャワー棟、レストラン棟が有り、宿泊ゲルが25棟程。 夜中に起きて空を眺めると満天の星と天の川が見えた。 何かがキュッキュと鳴いていた。 翌朝目を凝らしてわずかにある草むらを見ると、沢山のネズミより少し大きな小動物がぴょんぴょん動いていた。 ああ、ナキウサギだ。モンゴルではウシネズミというんだとか。 昨夜あっちこっちできゅうきゅういっていたのはこれだったのか。 ゲルの彼方の地平線から昇って来た太陽はシベリア火災が流れて来た霞の中不思議な色をしていた。
August 13, 2019
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ゴビ砂漠の街、ダラルザンガドまでウランバートルから630km。 その街のレストランで留学生の父親(実は将軍)の友人だか部下だかが料理を用意して待っていた。 まずモンゴル流ミルクティ。牛乳ではない。スキムミルクのようなものらしい。 それから料理が運ばれて来た。 いつのまにか女性のガイドが一向に加わっていた。 不思議なことに私達は空港での2人の家族以外の人が来ても紹介されることもなく、挨拶されることもない。これはこの先ずっと続いた。どうやら自己紹介の文化というのは無いらしい。黙って増えて黙って去って行った。 私のモンゴル語は既に底をついた。 2人のモンゴルの息子達が通訳をしてくれた。 将軍はミルクティーを飲まない。 何故だ? それは最後の日のパーティの席でわかった。 彼曰くゴビの水はお腹を壊すんだそうだ。 沸かしてもお腹を壊すんだそうだ。 自分だけ飲まない。将軍意外とずるい。 私は飲んじゃったよ。
August 13, 2019
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草原を走るのに見飽きた頃、中央ゴビから南ゴビ、ゴビ砂漠に突入。草原が心なしか茶色に染まる。 フタコブラクダが道を横切る。 ゴビ砂漠は鉱物資源の宝庫だという。金、銅、石炭、ありとあらゆる資源の鉱山(山が見えないので露天掘りか)が有り、外国の会社と共同で掘っているのだそうだ。外国に横取りされるケースも多いと言う。 それらを運ぶトラックが中国から一直線に走るこの道路をガンガン走る。道路建設の過程で政治家や色々な人がその費用を横領して道路のアスファルトは薄くなり。あちこちに1mも有る穴が空いている。 その穴を避けて反対車線を走ったりしていたのも限界に近づいた頃、車は道から逸脱して砂漠に入った。今度は道なき道を時速90km近くで土煙りを上げながら爆走する。 最初は車大好きテムジンがわざとやっていて、後の車がついていくのだと思っていたが、それはあまりにも多すぎるアスファルトのでこぼこに耐えきれなくなってみんながやっているんだそうだ。 モンゴルではどこでも自由に走り、道を作っていいのだと言う。 休んでいたら大きなトラックが道路から逸脱して好きな所を土煙を上げながら爆走していった。みんな砂埃を浴びないように一斉に逃げた。
August 11, 2019
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朝、留学生の1人と彼の父親がレクサスのランドクルーザーでホテルに迎えに来た。 そのまま走ってウランバートルの郊外のショッピングモールで待機すると、彼の母親と3歳の甥と彼の2番目の父親の車がやって来て、もう1人の留学生の両親と5歳の姪が乗っている車もやって来た。 その3台でいざゴビ砂漠へ。 舗装道路の両側は緑の草原となだらかな丘のつながり。もうすでに遊牧民のゲルや羊の群れ、山羊の群れ、牛の群れ、馬達が緑の草原に散らばっていた。 その風景は延々とつながる。 時々牛や馬や羊達が道を塞いでいる。 道を横切る。 中央ゴビまで300kmトイレが無い。 車はガードレールの無い車道から草原に道を逸れて止まった。トイレ休憩。 男性はちょっと先へ行って。女性はずっと車を離れて僅かな窪地を探して散らばり用を足す。 窪地?いやいや、上半身は隠れない。 ウサギはどんどん先まで車を離れるが、どこまで行っても真っ平ら。どこまで行ってもそこから車も人も見える。 でも我慢出来ない。 必死の覚悟で用を足した。 聞いてはいたがこれは辛い。 みんながパンにソーセージとキュウリの薄切れを乗せたサンドイッチを作ってくれた。 馬乳酒は酸っぱくてまだ慣れない。
August 10, 2019
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ウランバートル空港に迎えに来ていたのは先に帰国していた留学生を含む総勢8人。 留学生の1人は両親が2組いるからそうなる。 まずブータン旅行で到着空港で受けたような絹の布の上に馬乳酒の入った銀の深皿。ブータンのそれは白で首にかけてくれたが、モンゴルのはブルーで馬乳酒の皿を包むように持っていた。 ひと口飲む。酸っぱい。 残したものを他の人が飲む。 用意してもらったホテルにチェックインすると9時。それから外のレストランへ。 伝統的なモンゴル料理を全員で食べた。 3ヶ月前から必死で勉強したモンゴル語。初対面の挨拶はなんとかクリアした。 ここからモンゴル語どう進めるか。 7月29日の夜到着して8月4日の早朝出発する6泊7日のモンゴル旅行。 明日の集合時間を支持されて別れた。 日本のお母さんとお父さんに日本にないものを見せたいと2人が立てた計画の始まりだ。 ホショール。羊の肉を小麦粉で包んだ大きい揚げ餃子のようなもの。 モンゴルの料理を食べることは単なる体験ではなく、今度日本でホームステイに我が家に帰って来た2人に故郷の料理を食べさせる為のリサーチでもある。
August 8, 2019
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いやはや、モンゴルは広大だった。 走っても走っても到着しないゴビ砂漠。モンゴルに夜に着いて空港で伝統的な馬乳酒で出迎えられ、レストランで歓迎会をしてもらった。 翌朝、ホテルに迎えに来てもらい、首都ウランバートルを出発して延々走る事10時間。 ゴビ砂漠の街ダルンザドガドに着いた時は日本で言うところの夕方。 けれど日没には程遠くまだまだ明るかった。 そこから始まるモンゴルの旅。とても語りつくす自信が無いほどの強烈な旅だった。
August 8, 2019
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