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おばあさんはまた仰いました。
「私の信念は、どこいったでしょう…。」
私は黙って聞くほかありませんでした。
「あんなに反対されても、耳を傾けないできたのにね。お母さんはあんたたちの世話にならずに暮らすからって。でもね、あのときの娘の声が耳に残っててね。
もう、私はゼロ、ゼロ。
でもここにいる間に人生の幸福を充分味わいました。娘も、一緒に暮らして良かったっていってもらえるようにするから、って手紙に書いてますもん。でも、あの子は強ーい、気丈で何でもちゃきちゃきってね。
(楽しいのは)3日くらいかな…。もうどうしようもないです。これが運命です。」
全部わかって、そしてすべてを受け入れているご様子でした。
地震の後に、あの祈りの写真を見てくださった方や、現地で出会った方々から贈り物が届いています。
今日は名取市から両手一杯のバラの花束が届きました。
「すごいねー、被災地から逆にお花が届いたよ。」
と、里の方が本堂に活けて下さいました。
その前で読経させていただくと、その花の奥に多くの方の葛藤を見たような気がいたしました。
ある日突然、何もかもがなくなって、絶対と信じていたものがなくなって、全てに無常と気づかされた日。それでも生きていかなければならない、暮らし。どこに矛先を向けていいのやら知らず、それでも、天地を恨もうにも、もう戻ってくることはない現実。
それでも、生きていかなければならない。
そうしておばあさんのように、受け入れていくほかない、人間はそうして、それでも生きてくほかない。本当はずっと前から、ただ、それが人間が生きるということだった…。
哀しくも。
ずっと昔、戦争中のお話を読んでいたときでした。
背中に背負っていた妹が死んでしまって、どうして自分が生き残るのだろう、死んだものに対して自分は、自分だけ幸せになってはいけないんだと、心の奥に傷を残して残りの生涯を生きた人。自分が軍人のときに、その立場上、多くの部下を失うことになって、終戦後、どうしようもなく、出家して日本中を行脚して生きた人。
そんないくつものエピソードに出会いました。日常を笑っていながら、その奥に人には見せない重荷を背負いながらしかし日々の糧を得なければならないくらし。そしてなにかそこに思いを馳せると涙がこぼれそうになるのでした。
しかし、人間だけじゃないと思います。ただ道端で偶然に踏まれて死んで行く虫たち、ただ光りに集まってきたらたまたまぶつかって死んで行く虫たちも。
毎朝読む回向の最後には有縁無縁三界萬霊のためにという一文があるのですが、私はそれが好きで、生きているいないに関わらず、全てのそうしたさまざまな感情ややりきれなさも昇華してほしいと願っています。
本当に美しいバラでした。
おばあさんも喜んでくださって、今日も元気です。