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新しい工場に消火器点検業者が入り込み、当方の確認ミスも加わり、大きなトラブルに発展してしまいました。詳細な経過報告は、明日のブログに述べさせてもらいます。今日は会社向けの事の顛末書作成に時間を費やし、このページに紹介する時間がなくなりました。世の中、虎視眈々と相手のスキを突いて金儲けを企んでいる悪者がおります。そういう事実を皆さんから知ってもらいたいのですが、明日に延ばさせていただきます。
2007年01月31日
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毎月30日を「味噌の日」ということを知っていましたか?今日は「○○の日」というのがたくさんあるので、よほど気に入った日でないと覚えきれない。確か「味噌」は健康によいと言われているが、そこにダイエットにも効果があると言ったら「あるある大事典」の後遺症が冷めやらぬ今、あまり触れたくない事柄でもあろうか。なぜ三十が味噌と関係あるのか、そのいわれを知ると思わず笑ってしまう。30代の女性をイメージすると・・・・三十路の女・・・脂がのって一番魅力が増してる女性・・・いえいえ、だからと言ってそれ以外の女性が魅力ないという意味ではありませんので誤解なきように(油汗)その「三十路」をみそじ、「三十一文字」をみそひともじというところから『みそ=味噌』とひっかけて30日を味噌の日と決めたという、業者の涙ぐましい努力と知恵がにじみ出ているのであります。「ちょっと手前味噌になりますが・・・]と手をもみながら自分に関係あることを自慢しながら使うのが「手前味噌」なぜ手前味噌かというかというと、昔はそれぞれの家(つまり手前)で味噌を作ってその味を競い合い自慢したのだろう。これが手前味噌と自慢を結びついた所以らしい。別には自画自賛とも言葉もある。少しも周りは認めていないのに、さかんに自分達がやっていることを自分達で褒めて自慢するのは、とても鼻について同意出来ない事がある。あまりこういうのを強引にいい張る人達とは付き合いたくない。あまり変な事を言って「ミソをつけて」も悪いので、今日はこの辺でオシマイとしましょう。
2007年01月30日
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通常国会が開会され、それぞれ党首の演説が始まった。でも、毎度のことながら国会内は騒々しい。ヤジが飛び交い、本当に真剣に聞いているのだろうかと疑問に思うことがある。何も今更で、今国会に限ったことではないのだが・・・・それに比べると、アメリカ大統領の演説は紳士的だ。内容がどうであれ、みんな静かに聞いている。だから聞き易い。演説終了後に立ち上がって拍手する人もいれば、拍手どころかさっさと議場を後にする議員もいる。それが演説に対する意思表示のようだ。日本の国会演説は、発言する言葉の節々の後にすぐ反応の声が上がる。その方が活気があっていいという人もいよう。でも、テレビを見ている限り、品格のない光景に映る場合が多いのだが、これは私だけの感想かな?とくに今回は夏の参議院選挙が控えているだけに、ここで失敗したら選挙戦に響くとばかリ各党とも必死だ。安倍総理はオクターブを一段あげて早口で話すのに対し、民主党の小沢党首は淡々としており、活気があまり感じられないようにも見える。各局テレビ番組によく出る議員さんも、ある程度限られた人のようだ。これで顔が売れる人もいるのだろうが、これが党を代表する議員かと疑いたくなるような説得性に欠ける議員も見受けられる。私たちは冷静にこういうシーンを見て、これから国の方向を決める人を見極めていかなければならない。残念ながら凄いと思えるひとは少ないのが正直私の感想だ。もっと力あるリーダーの出現が待たれる。
2007年01月29日
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「またまた口は災いの素」を証明するかのような発言で、自らの立場を窮地に陥らせた閣僚がいる。女性を「産む機械、装置」に例えて発言をした柳沢伯夫厚生労働相だ。報道によれば「女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっている」などと発言。直後に「機械なんて言ってごめんなさい」などと取り繕ったというが、それはもう後の祭り。それでなくとも最近は、女性に対する屈辱的な発言はタブーとされているのに、こんな不用意な発言したのでは、自らの立場を危うくするのは目に見えている。「女性にしかできない崇高な儀式が出産だ。このおかげで人類はこうやって長い歴史を築いて来れた。これからもそれは必要だ。是非限られた女性の出産適齢期の方に、その崇高な使命感を発揮していただきたい」と言えばよかったのに。国会が開会したばかりなのに、冒頭から荒れるタネを蒔いたようである。
2007年01月28日
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お酒にかかわる句をいくつか作ってみました。私なりに考えた酒飲みの心理です。他に類似句はあるかもしれませんが、これはあくまでも、今、私が考えたオリジナル句です。口実は いくつもあるよ 飲むときは少しなら 百薬の長と 口ずさみ今晩も 薬か毒か 試し飲みホドホドが いいのはわかる でも止まず飲み過ぎて 百薬の長も 害となりもう止めた 断酒の誓い すぐ忘れ心当たりのある句ばかりでしょう(笑)
2007年01月27日
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私も今年5月で65歳になる。今の仕事も3月でまる5年となる。60歳で前の会社を定年退職して、今の会社に再就職したのだった。この歳で再就職してほかのひとから羨まれるくらいの年収をいただき感謝しつつ勤めてきた。でもそろそろ潮時ということで、次の人にバトンタッチして引退したいと社長に申し入れてきた。もう1年も前の話だ。でも新しい会社を建設という大事な計画が発表になり、それが安定するまで居て指揮をとってほしいと言われこれまで延ばしてきた。その大きな使命も、昨年末に無事完了してこれ以上引き延ばす理由はなくなった。社長もその辺のことを理解してくれ、私の後任探しに奔走してくれた。私の前いた会社にも声をかけてくれた。でも誰でも良いというものでもない。工場の最高責任者に適した人が残念ながら見当たらなかった。止む終えずハローワークに求人募集をした。条件は60~61歳で、必要な経験の欄に、部長職以上として部下の管理監督経験者に限る。職種は「工場長代理」とした。私が退職した後は社長が工場長を兼任するので、その工場長(社長兼任)不在時は代理として補佐する。というものだ。さっそく3人の応募があった。面接して決まった人はさっそく2月1日から出勤してもらい、私の仕事を3月15日の退職までに引き継ぐことになる。あと2か月もない状況になった。今日は私はお休みし、妻も仕事が休みなので揃って社会保険事務所に厚生年金がいくらくらいもらえるか確認に行ってきた。覚悟はしていたが、やはり額は少ない。私が昔在職していたころ先輩の退職する人に聞いていたのは月23~25万円くらいもらえるという記憶がある。でもいま私は48年~49年近く納めて必要期間は十分満たしているのだが、もらえるのは月20万円を切るくらいに制度が減額に変わってしまっている。さいわいほかに個人年金制度に50歳ころから準備して入っていたのがあるので、なんとか人並みの生活は維持出来るようではあるが・・・。どうか若いひとは、いまから公的年金以外に個人年金の準備もしておいた方がいいことをアドバイスしておきます。この先、まだまだ低くなるのは目に見えていますからね。これでは若い人が年金の魅力を感ずるはずがないのがよく理解出来る。まったく年金の将来計画を真剣に考えていなかったツケがこういうところに現れているのだ。あれほど年金問題の改善が話題になったのに、現在の政府はわれわれを満足させるような手だてを打ってきていない。こういうところにも、いまの既成政党に愛想をつかし無党派層が増えてもおかしくない背景がある。この先どうなるのか、みんなで見守る必要がある。おやおや、ちょっと話の道がそれてしまったようですね。今日はこれで終わります。
2007年01月26日
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25日の読売新聞『人生案内』欄にこんな相談が載った。質問「20代主婦。1歳半の子どもがいます。夫にはお金や女性トラブルはなく普通の生活です。親子3人で仲良く外出もしています。しかし、出産後、性生活が数回しかありません。一体なぜだかわかりません。最近はささいなことで夫と口論することもあり、夜もお互いさっさと寝てしまう毎日です。夫と知り合う前、上司と半年ほど不倫をしていました。お互い割り切った付き合いでしたが、このままではいけないと思い、別れました。今も時々メールをしていますが、会ってはいません。でも、夜寂しくて一人で泣きながら、前の不倫相手に会いたいと思うようになりました。夫は私のことをどう思っているのかわかりません。聞いてもあいまいな返事で、余計つらくなります。夫に満たされないため、他人を求めてしまうのがいけないのはわかっています。でもこのままでは心が壊れてしまいそうです。(東京・W子)」回答 海原 純子(心療内科医)「セックスには快楽と生殖という二つの目的があることはご存知の通りですが、私はそのほかにコミュニケーションとしてのセックスがあると思っています。多くのカップルが結婚数年後セックスレスに陥るのは快楽と生殖が一段落し、次のステップ、つまりコミュニケーションとしてのセックスに成長していけないからなのでは。それは全人格的な、心を含めての触れ合いですから、単なる扇情的刺激では成立しません。今あなたが抱える寂しさは肉体的な接触がないことではなく、心を含めた触れ合いがないためで、その寂しさを不倫で紛らしても解決しません。夫があなたのことをどう思っているのか、ささいなことで口論になるのはなぜか。男性は自分の気持ちを表現するのが苦手な人が多いもの。あなたの思いをきちんと表現し、彼の気持ちを聞く。ありのままのお互いを知ることが次の段階の触れ合いに二人を成長させてくれるはずです。」質問と回答を読んで、みなさんはどんなことを思いましたか?私がこの年代(20代)のころは、まだまだ精力旺盛だった(赤面)のか、妻の出産後、セックス解禁が待ち遠いしくてならなかったものです。後何日したら出来ると指折り数えて・・・(笑)ところがこの夫婦は違う。それぞれの考え、環境、体力や精神的な状態の違いがあるので、自分の思うことが正しいなんて思ってはいないけど、こどもが出来て、そのこどもを話題の潤滑油にして夫婦愛はさらに深まることを私は実感したものです。そうすればさらにコミュニケーションも増し、夫婦の営みにも幅と奥行きが出て来る。さらにセックスが楽しいものに変わっていく。もしかしたら、それを阻害している原因に、夫が妻の結婚前の不倫を知ってしまったのではないか。夫婦間であっても守らねばならないルールがある。お互いのパソコンや携帯メールは盗み見しない。手紙も勝手に封は切らない。そういう最低必要なルール違反で知ってしまったことは、簡単に口に出せない。言ったらルール違反がバレる。でも妻の知ってはいけない過去の秘密を知ってしまった。男はそんな心境になったら、あそこは立たなくなるかもしれない。さいわい、私は妻のそういうことは知らないし、そんな秘密はないと思っている。せいぜい、キス程度のお付き合い男性がいたことくらいは知っているが、それが結婚生活に影響を及ぼすことではない。むしろ、それくらい妻を確保したいという敵が多かったなかで、私を選んでくれたことへの感謝と、そんな過去を自分に対して燃える起爆剤にしてきたかもしれない。たしかに夫婦間のセックスに不満が出て来ると、お互い他の異性にそのはけ口を求める傾向があることは私もよく知っている。私のメル友さんのなかでも何人かおられ、その相談にのってあげたこともあるし、その不倫の状況をリアルに聞かせていただき、過去のブログで紹介したこともあった。もちろんそのときはそのメル友さんから了解を頂いてのことだった。事前に原稿を見てもらい、手直しするところを指摘してもらいながらのことも。そのメル友さんは、ご主人の衰えでセックスが減り、そのはけ口をネットの出会い系で求め。私が知ってるだけで20人を超える男性と関係を結んでいる。でも、その彼女も最近はそういう気持ちが薄らぎ、数か月に1回というロゥーペースに落ちて来たと言っている。この世ににはいろんな夫婦やカップルがいる。どういう愛に形がベターかは一概に結論付けられないけど、とにかくせっかくこの世に生を受けて生まれたきたのだから、他人に迷惑をかけないで愛をい営み育み合いたいものである。
2007年01月25日
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昭和22年に作られた『星の流れに』という歌謡曲がある。作詞: 清水みのる作曲: 利根一郎唄: 菊地章子♪星の流れに 身をうらなって どこをねぐらの 今日の宿 荒む心で いるのじゃないが 泣けて涙も 涸れはてた こんな女に 誰がした♪何となく哀愁漂い、聴く者の心に突き刺さる曲で、私もカラオケで口ずさんだことがある。ここでは「こんな女に誰がした」とあるのだが、女房に「こんな私に誰がした」なんて恨まれないようにしなくては(笑)今の日本、どんどん変わってきている。いや、変わらない社会なんてあり得ない。ただ、その方向が問題だ。百人が百人、千人が千人みんな納得することはあり得ない。でも、多数の国民が望む方向に進んでもらいたいのだが、果たして実態はどうだろう。破綻した夕張市。それよりももっと危ない体質になっている地方都市がわんさとあるという。ただ、夕張市のように公表されていないだけだとすると、私の住んでいるところも大丈夫かいなと心配になる。それにしても、こうなる前にもう少し防ぐ手だてはなかたのだろうかという疑問点にぶつかる。国家の財政だって火の車。年金の未来像が描けない。いったいこんな日本に誰がした!自分の保身優先だった役人や政治家か?それを盲目的に選び容認してきた国民か?やっぱり、選挙で我々の意思表示をはっきり示すことが、今の民主的国家に住むわれわれの責務と考えるしかなさそうだ。再び間違った方向に進まないためにも。
2007年01月24日
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仏教信者の死んだ後の戒名に、男性は「信士(しんじ)」女性は「信女(しんにょ)」と付けられる場合が多い。19年前に死んだ私の父の戒名も、「○○信士」となっている。もっともこの戒名も、お金次第でもっと偉そうな位の呼び名が用意されているというから、あの世にイクにも金次第なんて皮肉な言葉も聞かれる御時世だ。それでは「赤い信女」といったらどういう人のことか?それは未亡人を意味する。夫に先立たれた妻は、墓石に刻んだ夫の戒名の隣に、まだ死んでもいない自分の戒名を刻みつけ、それを赤い塗料で塗り染めるという風習があったからだという。つまり、未亡人の戒名を赤く塗るのは、嫁ぎ先の家が浮気防止のおまじないでおこなったことらしいが、今ではバカバカしい風習に思えてしょうがない。もっとも江戸の川柳に「石塔の 赤い信女を そそのかし」とある。好き者の男が魅力ある未亡人に迫ることはよくあったらしい。また、まだ若くてして夫を失い性力を持て余すような女性も、ついつい甘い男性の誘惑に負けて身を任すケースがあったとしても別に不思議なことではない。時代は変わった。それぞれ長年連れ添った相手に先立たれたら、次に連れ添う相手を求めたとしてもそれを阻止することは無理だ。まだまだ生きる力が十分あるならば、積極的に異性を求めるのは熟年としてあたり前だという機運が徐々に芽生えて来ている。「私が先に逝ったら、別のいい人見つけても許すよ」なんて私たち夫婦も冗談を言い合ったことがある。その割にはなかなか逝きそうもないなどと、恨めしく思っていないことをここに断言します(笑)
2007年01月23日
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昨日おこなわれた選挙結果が大きな話題になっている。それもそのはず。ついこの前までは、立候補は冗談ではないのか?本当にそんな大それたことを考えているなんて、何とバカな男だろう。ところが、そのまさかが本気になってしまったのだから驚きだ。とにかく「そのまんま東」さんが、圧倒的な差で宮崎県知事に当選したのだから。だんだん彼のこの選挙に賭けた情熱、真摯な振る舞い、誠実そうな言動に、認識が変わってきてしまった。いままで軽く見ていたお笑いタレントとはひと味違うような気がする。まだ彼の真の人間性について詳しくは知らないが、少なくともお遊び感覚でないことは当選後の振る舞いや言動をテレビで見ていてよくわかった。贈収賄事件で保守王国だった宮崎県民が怒りをこういう形で意思表示したのは納得出来る。すなわち政党政治への不信が高まった表れであろう。言い換えれば支持政党無しの有権者を多く作り出してしまったのだ。これには自民も民主も慌てている。夏の参議院選挙が、この流れを汲んだら、大波乱もおおいにあり得るのだから。とにかく、最近の政党は国民をナメテいると言っても過言ではない。本当に国民が望んでいることとかけ離れた感覚でいる議員が多過ぎる。口では都合のいいことを格好よく話しているが、いまいち信頼出来ない面がある。この政党離れの傾向を食い止め、自分達の考えにどう取り込めるかがこれからの選挙の勝敗の分かれ目になるのだろう。春の地方統一選挙、夏の参議院選挙で、これからの日本が進べき道が決まってくるような気がする。私たちも真剣に考えて行動する時が、間もなく来るのだ。
2007年01月22日
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2週間前に放送された「あるある大事典」での納豆ダイエットブームは、お粗末きわまりない結果になってしまったようだ。急遽今晩の放送は中止になり、ことの真相を述べるお詫びの放送があるとか。例えば、番組で実験を行った8名の被験者について、放送では「中性脂肪値が高くてお悩みだった2人は、完全な正常値に!」とコメントし数字をスーパーに流していたが、実際はコレステロール値、中性脂肪値、血糖値についての測定は行ってなかったという。 あるあるミニ実験として、納豆を朝2パックまとめて食べた場合と、朝晩1パックずつに分けて食べた場合の比較実験であるが、血中イソフラボンの測定は行っておらず、比較結果は架空のものだったという。私は小さい子供の頃から納豆を食べて来た。大根おろしとか、ネギと一緒に和えてご飯にかけて食べるのが大好きだった。これは今でも続いており、毎朝パック1個がわが家の定番メニューであった。それがある日突然スーパーから夕方には消えてしまうくらい買いあさる人達が現れたようだ。そのためこれまで定期的に食べて来た人間の食卓に乗らなくなったのだから異常というほかない.これまでもテレビの影響は計り知れないものがあり、その都度、関係ない者までが迷惑を蒙ることが多々あった。赤ワイン、ココア、寒天・・・・数え上げたらキリがない。あげくの果てに、白インゲンで中毒者があちらこちらに出現という騒動まであったことは記憶に残っている。心ある人からは「どうして日本人ってこうも主体性がないのだろう」と呆れてしまう言葉が聞かれる。確かに○○に効果があるという食べ物は数多くある。大体のものは必ず○○によいと言われているはずだ。食物は毒でなかったら、それなりにみんな栄養となるのは今に始まったことでない。それを特別これだけが○○に良いなんていうから、それを受ける人が軽率な行動をとる。でもそれだけたくさん食べたからといって食べた量に比例して効果がある訳がない。いろいろな食べ物をバランスよく摂ってこそ効き目があるというもの。私たちは先人から受け継いで来た長い歴史のある食文化を、きちんと受け止めようではないか。あまり突拍子もない効果抜群の発表には、もう少し慎重に構えても遅くはあるまい。その上で本当に効果があると認められた物は、きちんと受け入れていけばいいのだから。
2007年01月21日
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フランスの小咄にこんなのがある。道でお金を拾った農夫3人、一番うまい嘘ををついた者がそのお金を自分のものにするという取り決めをした。そこへ通りかかって一部始終を聞いた牧師が3人を諌めて言った。「拾った金を自分のものにするなんてもってのほか。ましてや嘘つきの競争など、神を冒涜することです。私は嘘をいったことがありません」。すると農夫3人が口をそろえて言った。「負けた!この金は牧師さんのものだ」そういえばだいぶ昔、ある総理大臣が「わたしはうそは申しません」と言って有名になったものだ。嘘をつかない人などいないはずだ。きっとIKEDA総理は、閻魔様に舌を抜かれたかも・・・・・。私も普段から平気でうそをついている。年末に元旦なんて差し出し日を偽って年賀状を投函している。「皆様のご多幸をお祈りします」なんて書くけど、本当にその人のことお祈りしたのか????嘘と分かっていても「嫌いよ」より「好きよ」といわれた方が嬉しい。嘘も方便というから、相手に迷惑のかけない程度の嘘は、世渡りの潤滑油的存在かもしれない。「私はこのブログを読んで下さる方には、最大の敬意を抱いております。」この言葉に偽りはまったくございません。ふふふ。こんな歯の浮くような嘘、ミエミエよ。実際会ったこともなく、詳しいこともわからないひとに、よくそんなことが言えるわね。いえいえ、私は決して嘘など言ってるつもりはないのです。あとはそれを信じてもらえるかどうかだけです。嘘を見破るのも難しい?
2007年01月20日
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私は、あまり深く細かく干渉されるのが好きでない。いや、大概の人が皆同じだろうと思う。夫婦の間でも、この関係は必要だと思っている。若い頃は、「あなたの全てが知りたい。もっともっとあなたのことを知りたい」と口にすることもあった。それはある意味で、愛情表現の一つであったかもしれない。しかし、だんだん歳を重ね、長い付き合いのなかでは、その関係が微妙に変わってくるものだ。一番自分自身をさらけ出せるのはセックスのときで、そこでお互い十分相手のことを認識出来る。その他の日常生活では、もちろん自由に思っていることを話し合うけれど、相手を束縛するような言動は慎むようにしている。また変な勘ぐりもたないようにすることも必要だと思っている。それを変な方に気を回すと、相手を疑っているように思われたり不信感を植え付けたりしかねないからだ。世の中には、あまりお互い不干渉過ぎて、連れ合いが浮気をしているのさえ気がつかないでいた。そして気がついた時はもう修復で出来ないところまできていたなんていう例もないことはない。でも、それが、お互い信頼で築かれている間柄なら、やっぱり少し距離と自由を認め合ってこその夫婦と思う。私がこうやって時には大胆なことをブログに書いても、妻に干渉されることはない。勝手に覗き込むことはないので、のびのびとパソコンの前に座ることが出来る。私も妻が仕事に行って、それなりの好きなことをすることを何のためらいもなく自由にさせている。ときには仲のよい友達と夜遊び(変なお遊びでないことを知っているので)も認めている。そういう刺激だってときには必要だからと思っているからだ。夫婦の間では、その辺をわきまえたある程度の距離をおいての相互干渉が、良い関係を長く保つ秘訣だと思っている。
2007年01月19日
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昨日のNHKテレビ「ためしてガッテン」では、薬への認識を改める必要を説く大胆な内容であった。頭痛薬が頭痛の元だったという例も持ち出していた。いわゆる、何でも薬に頼れば良いというものでないことが明白になったような気がする。テレビのCMで流される薬の宣伝は大きな効果をもたらすようだ。総合感冒薬のCMで、女優さんが「なんか熱・ノド・セキが…」みたいなこと言って、その総合感冒薬を飲んだらすっかり元気になってニッコリ…。でも、総合感冒薬なるモノは“風邪を治すモノ”ではないという。しかも生きる死ぬの副作用だって起こりうる。でも、世間の人はあのCM見りゃ「風邪に罹ったらあの薬を飲めば治る」って思ってしまう。実際、風邪の患者さんに“風邪は薬で治すものと思いますか?”と問うと、50%以上の人が「そう思っている」という答えがかえってくるという。風邪薬の箱と説明書をよ~く見てみると、CMを用いて国民に植えつけた総合感冒薬の認識に反した事実が、ちゃんと書かれている。 “感染に起因する症状を緩和させるもの”と。それも隠れるくらいの小さな字で! また、CMの最後に、ハイビジョンテレビでないと読めないくらいの小さな字で、画面のすみっこに同じことが表示さる。それもたった0.5秒ほどで!。本音は読んでほしくないないけど、問題が起きたときの逃げ口用で止む終えず掲げているのではないかと勘ぐりたくなる。タバコの箱にはデカデカと「喫煙は、健康を損なう危険があります…」って書いてある。それならクスリの箱にも「これは病気を完全に治せるものではありません。単に症状を緩和させるだけのものです」さらに「副作用の危険も伴います」ってデカデカと書くべきではあるまいか。あと漢方薬というのも、あまり期待し過ぎも危険だという。日本で売られている漢方薬の多くの調合は、中国3000年の歴史を変化させたものらしく、これを和漢方というらしい。また、漢方薬はじっくり効いて副作用も少ないとの認識があるが、慢性肝炎の漢方薬である小柴胡湯[しょうさいことう]の服用では、死亡事例が結構あったから要注意だ。漢方薬は“安全な薬”というふれこみで、長く服用することでじっくり効くとされている。しかし、長く服用することはそれだけ薬を長期にわたり体内に入れていることになり、それなりのリスクをかかえることになる。漢方だからといって副作用がないという保証はない。やはり長期に薬を慢性的にのむことは避けた方が安全のようだ。結論から言えば、全く安全な薬など存在しないし、多かれ少なかれ副作用は存在する。軽い鼻風邪程度で「抗生物質出しますね、あと胃薬も」って言う医者がいるのも現実。私たちは“薬への認識”をきちんともち、健康は自分で築くという気構えが必要のようである。
2007年01月18日
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最近こんな言葉は影をひそめている。別な言葉で「身ふたつになる」ともいう。原始的な生物は、単細胞生物と呼ばれる。それはたった1個の細胞で出来ており、その細胞が分裂して子孫を増やしていく。極めて単純な仕組みである。それに比べ人間を含む動物は、多細胞生物と呼ばれる。始めに卵子と精子が結合し受精卵となる。つまり、たった一つの細胞である。しかし、この細胞がどんどん分裂を繰り返しひとりの人間になる。あなたも私もそうしてこの世に誕生したのだ。だから、「身二つになる」とは、女性が妊娠して子供を産むことを意味している。妊婦は、お腹に自分とは違う人間を一人作り上げていることになる。双子ならひとりで二人となる。とにかく、この身が二つにも三つにも(それ以上もある)なるのだ。何と神秘的なことだろう。あっ、大事なことを忘れていた。それには精子を有する男性の協力無しでは無理だということを。そうなると、身身たる二人の合作なのだから、最低二人以上は産んでもらいたい。なかにはいろいろな理由で子供の産めない人もおられるのだから、産める環境の人は3人以上頑張ってもらいたいものだ。そのためには国でもう少し産んでも生活し易い社会にしてもらわないとダメだ。政治にその辺を期待したいのだが、いまいち効果の程が見えて来ない。少子化の歯止めをしっかり構築してもらいたいものだ。そうしないと今の年金制度は崩壊してしまう。日本沈没にならないためにも。
2007年01月17日
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ペコちゃんが 泣いてる不二家 何処へ行くまたもや古くから親しまれて来たものが消える寸前のピンチに陥っている。実態を知ってしまったら、とても買って口に入れる気が起こらない。それでは食品としては失格だ。雪印と同じ運命をたどるのだろうか。失敗を他山の石として捉えることの出来なかった哀れな末路を、今更ながら見せつけられた感じだ。
2007年01月16日
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鏡に向って我が身を眺めると、つくづく髪が一段と白くなったな~と感ずる。ほとんど白一辺で、黒い部分はほとんどなくなりつつある。「オレは白髪の老人になるんだな~」と思ってしまう。「白髪になる人はハゲにならない」という説もあるようだ。いちおう俗説だとはいうけれど、周りのたくさんの人を見ると、あながちウソではなさそうである。だいたい40歳を過ぎると、多かれ少なかれ誰でも白髪が生えてくるものだという。私はもう高校生のころから数本の白髪が確認されているから、もともと白髪系の遺伝子が組み込まれているのだと思っている。でも、私のムスコ達にはそういう現象は出ていないようなので、その辺は女房の方の遺伝子の影響が強いのかなと思ったりする。加齢とともにメラノサイト(メラニン色素を形成する細胞)の働きが低下して、髪に黒さをほどこすメラニンが作られ難くなるため、白髪が目立つようになるのだという。3年くらい前に『花王』が15~69歳の女性を対象に調査をおこなった結果が公表されている。それを見ると、白髪のある人の割合は、35歳を過ぎると50%以上。50代ではなんと90%にまで達していたという。ということは、熟女と言われる年代の方々は、ほとんど白髪を有していることになる。でもそんなに目立たないのは、部分染めで白髪を隠せるからに他ならない。決して白髪防止の健康法が発見された訳でないのである。白髪をヘア・カラーで隠すことはカジュアルな美容の一環という地位を確立しているのだろう。この辺からも、美容院の必要性がさらに増してきた要因にもなるのだろうか。よく白髪を抜くと他の毛も白髪になるという通説がある。でも、髪は1本1本メラニンのあんばいが違うので、そういう原因で増えるということはなさそうだ。そもそも毛穴一つ一つの状態はみな違う。白髪が抜けた後の毛穴から生えてくるのはほとんど同じ白髪だという。白髪を抜いたからといって、その後から黒い毛が新たに生えてくるということは期待出来ない。だから、白髪を抜きまくるとか、抜いて隠すなどという無駄なことは止めた方がいいと言うのだが、黒髪にぽつんと1~2本白髪があったら、誰でもやっぱり抜きたくなるものだ。歳を少しでも若く見せたい心理がそこに潜んでいるからだろう。髪も人格を表す大きなポイントかもしれない。美しい髪型で、レベルアップを図るのも悪くないかもしれない。土台が悪くない場合だけど(笑)
2007年01月15日
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いろいろな疑問があっても、何故か?わからないものも多い。これを見た人で,知ってる方は答えを教えて下さい。(1)セックスが伴わない関係を「清らかな関係」という。ではあれってそんなに不潔なこと?(2)ラブホテルの「ご休憩」。実際休憩で利用する人もなかにはいるかもしれないけれど、大半はエッチするために入るのであって、さらに疲れるのがオチ。それでも休憩とはこれいかに?いっそうにこと「泊まりなしエッチのみ」とか「御ハッスル」「夢の営み」なんて書いたらどう?(3)車のスピードメーターはなぜ200キロまであったりするの?そんなに出して走れないはずなのに。それとも違反を承知の上で?
2007年01月14日
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千客万来とは、たくさんの客が入れかわりたちかわり次から次へ大勢やってきることを指す。商売人にとってはこれほど有り難いことはない。また、これを目標に励むのが商売でもあろう。心配していたムスコの経営する美容院も、順調に客足をのばしているようで嬉しく思い、また有り難いことだと感謝している。商売というのはなかなか先の見えないものえある。一時はこの調子では店をたたまなければならなくなるのではないかと心配したこともあった。最初の頃は毎月毎月、売り上げより経費の方が上回り、いわゆる赤字経営が半年も続いたのだった。その間、親のこちらの蓄えを崩して援助費用に充てたりした。あれから約5年の月日が経った。借り店舗から自前の金で(借金ではあるが)新店舗をオープンさせることが出来たのが一昨年秋。あれから一年ちょっと経ったが、売り上げは倍以上になっているらしい。親として、子供のやっている経営というのは気が気でない。それだけに、順調だと言う報告を受けて肩の荷がおりる思いである。これからもさらに千客万来の状態が続くことを祈りたい。もうムスコも歳だ。今度は早く結婚して新しい家庭を築いてほしいものだ。1月のムスコの誕生日に思う親の気持ちだ。
2007年01月13日
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「わが家では やせてる順が 風呂の順」少しでもお湯を無駄に溢れさせないチエがある「冷暖房 つければ家族 一部屋に」 昔はみんなこれがあたり前だった。「期限切れ まずは夫に 出してみる」悪チエ。ご主人は試験台になっていることも知らず・・・知らない方がいい。
2007年01月12日
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今年初のお葬式に出席してきた。親戚のおばあちゃん90歳。私の亡き父親の妹に当たる人で病気で倒れ8年間も入院しておられた。だから、喪主(私にとっては従兄弟)さんの挨拶にも、ホッとした様子がうかがえた。喪主さん曰く。昨年末肺炎になり治療しており、昼見舞ったときは何でもなかったのが夕方急変したらしく、病院から連絡を受けてかけつけたらもう息を引きとっておられたという。「そんなに苦しまず亡くなり、幸せな一生だったと思う」と言う言葉もあり、あまり悲壮感は漂わない。90歳は、私の母と同じだ生まれ年だ(大正6年)。わが家の母もいつまでもこのままいくという保証はない。覚悟をしておかなくては・・・・・。
2007年01月11日
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お正月に、ついつい気を許して食べ過ぎて、せっかく維持していた体型がまた元に戻ってしまったという声をよく聞く。またダイエットのやり直しだ。でも、新年は新しい目標を立ててスタート切る人も多い。問題はどこまでその志しを継続出来るかにかかっている。意志をを強固にすることがポイントであるのだが、私たちはついつい安易に逃げてしまいがち。こんなことを繰り返して又一年が過ぎる。今年こそは!・・・・・・この世に「自然の材料を使用し、栄養があり、かつ肥満にならず、加えて頭が良くなる」お菓子があったら売れるだろうな。そんなのは滅多にあるわけがない。いやまったくありません(泣)
2007年01月10日
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実りの秋には稲穂が垂れいる風景が見られたが、いまは静かに春を待ている田んぼ風景
2007年01月09日
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定年だ 今度の上司は 我が女房 (私も今年は今の職を辞すことに。そうするとこれまでの上司だった社長が今度は女房に?) 若い頃 恥ずかしいことが 今平気 (世の中で揉まれると羞恥心も薄れる。あちらのほうだって大胆に。その方が嬉しい?) 半額の シールにキラリ 目が光る (結局買わなくともよかった物まで買っちゃう。客の心理をよく知っていること) いい時期に 子育て終わった ニュース見て (最近の子供がらみのニュースを見てつい思ったり。でもこれでは解決しないんだけどね~)
2007年01月08日
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今年の冬は暖かい日が続いた。しかし、いよいよ冬将軍到来の気圧配置。昼からかなり強い風が吹いて、北海道では被害も出ているようだ。明日は、かなりの雪が降る予報。覚悟して待とうか。さて、こういう寒い日は、寝る前に足を温めるのが一番だ。タイトルの「頭寒足熱」は、頭はのぼせないようにする、足は冷やさないようにする。これが最良の健康法だと言っているのだ。対人関係等で「頭にきた!」と、カーとなって頭に血がのぼったときなど、結果はろくなことがない場合が多い。こういうときには「頭を冷やして出直し」が一番だ。また寒い今の時期は、頭部は冷やし足部は温めるようにしなさいという言葉は、私が一番実感しており太鼓判を押す正論である。足が冷たいとなかなか熟睡出来ない。トイレにも何度も通うことにもなり兼ねない。足が冷えてるということは身体全体も冷えているのだろう。夕方お風呂に入ったとしても、寝る前にもう一度身体を温めるだけの入浴は絶対オススメである。ともすると、朝までその温もりは身体の隅に残っているようである。途中で、思わぬパートナーとの温もり交換だって悪くないし・・・・・。この画像は今日とはうって変わって今の時期に珍しく晴のいい天気を撮った一昨日の風景の1枚である
2007年01月07日
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毎日毎日悲惨な事件が起こっているので、あえてひとつのことに焦点をあててコメントする気はサラサラない。でも、この事件はなぜか私の頭から離れない。それは、東京渋谷の女子短大生が、自宅で切断遺体となって発見された事件である。犯人は次兄の予備校生21歳で、死体損壊容疑で逮捕された。まず正気では考えられない兄弟姉妹という血のつながった間柄で肉体を切断する行為。いくらカッとなったとはいえ、そこまでやるかというと、まずそれは考えられない。これは特異な犯罪だと思いたい。なぜそういう行為まで至ったか、精神鑑定も含めこれから調べが進むであろうが、この悲劇はもう元には戻らない。私は親のいまの心境がいかばかりかとても気になる。報道では、歯科医師の夫妻や長兄は事件後激しい動揺がおさまらない様子で、ほとんど話を聞ける状態ではないとしている。きっと3人の子供を産み育て、将来に夢を託してこれまで一生懸命働いて来たことだろう。子供の頃は兄弟姉妹が無邪気に遊ぶ光景を、目を細めて喜んでいたに違いない。幼いころは「おにいちゃん!」と、亡くなった妹は次兄を頼りにしていたのではなかろうかと想像する。だんだん成長してくるに従い自我意識が目覚める。これは成長過程ではどこの家庭でも起こる現象。少しくらい激しい兄弟喧嘩したって、そのうちすぐ仲直りするのが兄弟のいいところ。みんなそんな過程を経て大人成長してきたものだ。でも、このご家庭はちょっとそこが違っていたようだ。二人の間には3年も口を利かない状態が続いたという。妹の言動により、兄のプライドをズタズタに切り裂かれたのではなかろうか。それなら兄は少しくらいきつく妹を殴ってオシマイにすればいいだけだったのではなかろうか。ところが、それをとても人間業とは思えない方法で、肉体をズタズタに切り裂くなんて・・・きっと悪魔に操られていたのだろうと思っても、それは理由にならない。こんな事件は、「条件さえ整えばどこの家庭でも起こり得るもの」とは言わないでほしい。あくまでも他人事であるのだ・・・・。このご家庭はどうなるのだろう。とてもこのまま歯科医の営業など続けられないのではと心配だ。長兄の心の傷はいかばかりか。犯人の次男も一生この取り返しのつかない傷を負って生きていかなければならない。ああ・・・もうこれ以上考えたくもない。犠牲者に合掌。
2007年01月06日
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親しみを込めてか、ふざけてかわからないけど、ヒョウンなことからあだ名がつけられてしまう。プロ野球の松井が「ゴジラ」と呼ばれたのは、顔が似ていたからだろう。変なあだ名で嫌な思いをするひとも多かろう。私はまだ20代の結婚前、所属する職場で「ノリちゃん」と呼ばれた時期があった。何のことはない。同じ会社の若い女の子で名前が「紀子」という娘がいた。その子は、私を秘かに好きだったらしい。しかし私の意識の範疇から外れている娘で、全然付き合う気持ちなど私にはなかった。でも、その娘は当時の私の上司に「好きだ」と告白したというのだ。ある飲ん席で上司曰く「ノリちゃんがお前が好きだと言っているぞ。おまえはどうなんだ?」以来、職場中にそのことが広まり。私を「ノリちゃん」と呼ぶようになった。迷惑なことであったが、まんざらでもなかった。でも、私の名前と全く関係ないあだ名に、私の職場以外の人には、どういう理由か謎であっただろう。その後、その気のない私を諦めた彼女は、退職して遠い所にお嫁に行って、このあだ名は解消された。妻に知れずに済んだのは幸いだった(笑)ある特集ではこんな珍あだ名が紹介されている。もちろんエッチなものばかりを少々列挙してみよう。「オナニー」→ 名前が「新名」だった。彼はとても恥ずかしがっていた。「でんぽ」→ でかいちんぽの持ち主からでんぽと呼ばれた。当時女の子もみんなでんぽと呼んでいた。 今から思うとその女の子たち、意味が分かっていたのだろうか?「半だち」→ 半田ちあきという名前だった。これもまずいけど、朝田ちあきでなくてよかった?「ちんささ」→ 小学生時代の同級生で笹君と言った。あるとき、ちんちんがぽろっと出てしまいこのあだ名に。「まんささ」→ 上記の笹君が好きだということがバレてしまった彼女に、このあだ名が。関係ないのに可哀相。「むけ」→ 彼は小5であそこが剥けていた。中学も高校もずーと彼はこの名で呼ばれていた。 同じクラスの女の子にどう思われていたか?「ゆるまん」→ 「万木(ゆるぎ)」さんという女の子だった。当時はそんな意味を知らなかったが・・・・
2007年01月05日
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お正月の和服姿の女性に髪にカンザシが光る。これから成人式の際の女性の髪にもきっとカンザシがさされていることだろう。祇園の舞妓さんのカンザシは四季または月によって変えているという。二月なら梅、春なら桜、秋なら紅葉といった具合に。だから金持ちの遊び人が「いや、それは去年の春の写真だよ。ホント!」と誤摩化しても、撮られている舞妓のカンザシを見ればすぐ春だか秋だか分かる。ウソはバレてしまうからご用心。もっとも私など、そんな遊びが出来る身分でないからどうでもいいことだが(苦笑)江戸小話でこういうのがある。ある医者の書生が呉服屋の娘をみそめてラブレターを送った。やがて彼女から返事が届いた。開けてみると銀のカンザシが1本。どう考えても意味が分からない。そこで先生の医者に尋ねてみた。「この頃はきびしい銀どめで、銀の物は身につけてはならないということになっている。この返事は「”いくらさせといわれてもさせぬ”ということでお前の恋はだめだということだ」側で聞いていた奥さんが曰く。「いやいや、歳のいかないうちはやかましく止めても、”人目忍んでさす”この恋はきっと叶います」と言った。さて事実はどうなったのかは分からない。「花嫁のうちはカンザシさして寝る」「だんだん夜の営みであの味がわかってくると運動が激しくなるので、カンザシなどさしていられない。櫛、カンザシは始めから取って寝るようになる」これからも、女性の営みの際のレベルが判断されたというのだが・・・・・?
2007年01月04日
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一年の計は元旦にありと、新年早々気持ちも新たに目標とか決意をした人も多かろう。「酒はほどほどにします」「禁煙します」「大食いを止めてダイエットに励みます」「毎日日記をきちんと付けます」「短気な気持ちを抑えて、怒らないようにします」「エッチなことは極力口にしないようにします」「規則正し生活に勤めます」等々。今日は三日目。さて、年頭に決意したこと今も続いていますか?何事も長続きせず、すぐ止めてしまうことを「三日坊主」とバカにされます。「三日尼」とは言わない。坊主の男に、そういう傾向が強いのかな?そもそも「三日」というのは三日間というのではなくごく短期間という意味が込められている。「三日天下」といえば、明智光秀が織田信長を本能寺で討って、わずかの期間で豊臣秀吉に倒されたことを言う。今の時期とずれている譬えで恐縮であるが、「三日見ぬ間に桜かな」といえば、桜の花が散りやすいところから、世の中の移り変わりが激しいことの譬えに使われる。意志薄弱と言われないよう、すこしは継続出来ることで模範を示したいものです。
2007年01月03日
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今日だけは何も予定のない一日。おふくろはディサービスに行った。親子4人はマイペースで過ごす。妻は天気がよかったら散歩がてらに買い物に出かけるかと言っていたが、雨が降って来てそれも中止。箱根駅伝をテレビで観て過ごした。午後は、庭の草花が野放し状態なのでその整理をやった。寒さに弱い鉢物を家の中に。雪で枝が折れる心配のものは場所の移動。これでいつ寒波や大雪が来ても安心。そんなことをしていたらもう早夕飯。またお酒でいい気分に。でも、普段なら正月2日目はまだ朝からお神酒でアルコールが入るのであるが、今年の昼はノーアルコールで過ごした(感心・感心)明日からもう仕事だ。3日から仕事なんていうのも今年が最後だ。張り切って行こうと誓った。
2007年01月02日
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あけましておめでとうございます。今年はこちらでは珍しく、青空で快晴の新年を迎えました。この晴れやかな気持ちで皆様と一年間お付き合い出来たらいいなと思っています。どうぞ、今年も多いに交流を深められるよう頑張りますのでよろしくお願い申し上げます。当社は元旦でも休めない会社です。私は、昨日の大晦日の日曜日も出勤でした。さすがに今日は休みですが、従業員が元旦から出勤する関係で仕事始めの朝に出社し、年頭の挨拶をしました。ただ、これもこれが最後だろうと、妻に言いながら家を出ました。私は今年65歳を迎えます。そんなことでもうしばらく勤めると、いまの工場最高責任の職を辞すことにしています。そういう意味では、これからの毎日が、「これが最後の・・・・」という感慨深い気持ちで臨むことになります。まあ、これからの人生をじっくり考えてみたいと思っております。おいおいその辺のことも、このブログで綴っていきたいものだと考えております。昼間は、届いた年賀状を拝見し、出していなかった方に急いで追加投函したりして過ごしました。夕方には次男夫婦が年始の挨拶で来場。賑やかな夕食のひとときを過ごしました。久しぶりに昨日から今日にかけてお酒の連続で、肝臓が驚いているようです。明日はちょっと控えめにしなくてはと反省しています。これからの人生は、健康体であってのものだから・・・。
2007年01月01日
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