夏井いつきさんインタビュー【前編】
心に刻まれた「みんなで生きる」という言葉
エッセイ集『瓢簞から人生』が話題の俳人、夏井いつきさん(65才)。その素顔に迫るロングインタビュー。【前後編の前編】
* * *
俳句は、〈人生の杖〉になる。
そして人と人は、言葉が繋ぐ──。
初代俳都松山大使で、現在放送中のMBS『プレバト!!』の劇的添削でも大人気の俳人、夏井いつきさんの女性セブン連載エッセイ『瓢簞から人生』が本になった。こぶりで端正な紙の本の質感といい、洒脱な装画といい、
「初めて手にしたけど、いい本になったね。自分の話を書くなんて照れ臭いし、えらい迷惑だと思ったけど、やっぱり書いてよかったよね」と夏井さん。
〈「いつか」「そのうち」「勿論」と先延ばしにしてきた編集者キッタカさんとの約束。「人生の中で、どんな人に出会い、どう影響されてきたのか。そういうのを書いて欲しいんです」〉とあとがきにもあるように、本書では著者がこの65年間でどんな人や言葉と出会い、何がどう転がって今があるのか、〈かなり真剣に書いた〉〈書かざるを得なかった〉という全45話を所収。「人」を切り口に半生を振り返る中には、句会ライブを始めとする種蒔き運動の詳細や、テレビにラジオに執筆にと忙しい日常の裏話も綴られ、全く飽きさせないが、とりわけ心惹かれるのが愛媛県内海村(現・愛南町)で過ごした幼少期や、家族をめぐる光景だ。
〈私は父の秘蔵っ子だった〉と自認する彼女には、実は「季語を手がかりに記憶を再現する特殊能力」があるらしく、私たちはその父や母や妹がいて、恩師や仲間たちがいる風景を、まるで映画を観るように読めるのである。
「その能力に私が薄々気づいたのは『絶滅寸前季語辞典』(2001年)という、もういつなくなってもおかしくない季語の本を書き始めた時でした。
絶滅寸前ってことはつまり、自分が子供の頃に見聞きしたようなことを思い出して書くんだけど、夏の季語に砂糖水っていうのがあるんですよ。
それこそ水に砂糖を入れただけの代物なんだけど、砂糖水は今でも歳時記に載っていて、私はそれを見つけた瞬間、昔、妹の子守婆だった人の家を訪ねた時の記憶がありありと、映像で再生される感覚があったんですね。
お婆さんが井戸水を汲んでくれて、そこにちょこっと砂糖を入れて、かき混ぜてくれた時の、あの砂糖が溶けてモヤモヤ~とする感じ? あの映像がカーッて、脳内に蘇るわけです。
そうか、季語は記憶を引っ張り出すフックなんだと、その時は思ったけど、妹は憶えてないというし、この物事を写真みたいに記憶する力は、私のささやかな能力かもしれないなって」
〈まさに瓢簞から駒の人生〉とある。
熟年再婚同士の夫・ケンコーさんの定年退職後、遠距離週末婚にピリオドを打ち、松山に2人だけの会社を興したのも、〈明るい老後計画〉のため。ところが出演し始めていた『プレバト‼』で、着物姿の〈なっちゃん先生〉はみるみる人気者に。今ではケンコーさんが社長兼マネージャー、長男夫婦が、学校対象の句会ライブ担当と副社長を務め、家族総出で俳句の普及に関わるようになって、9年目に突入した。
句会ライブにしても、発端は教師を辞め、黒田杏子門下の俳人として活動していた1992年当時の愛媛新聞文化部長、〈タカギさんからの宿題〉だった。
正岡子規を生んだ松山の俳句事情や、句会がいかに合理的なシステムかを熱く語る著者に、彼は〈新しい時代の句会ってないんですか。もっと大人数で、もっとダイナミックに楽しめるような方法が〉と言い、その棘のように刺さった宿題への答えが、元国語教師の彼女が〈全校生徒四百人への授業〉として考案した句会ライブだった。
「今に見とけ、やったるわって。そこはもう、意地ですよね。根っこがファイティングにできてるもんで(笑)」
大事な原点がもう1つある。それは母校・宇和島東高校を、アジア各国で伝染病治療に尽力する岩村昇博士が講演に訪れた時のこと。中でも〈サンガイ ジウナコ ラギ〉〈ネパール語で「みんなで生きるために」〉という言葉に感激した彼女は、下校するなり、その興奮を父に語った。〈父はいつものように、静かに聞いてくれ、そして言った。「そうか、岩村はそういう仕事を成し遂げとったのか」〉〈「岩村は、宇中の同級生やった」と〉。
「宇中は旧制・宇和島中学のことで、それ以来、 博士のことは父が52歳の時に癌で亡くなるまで、私たちの間で折々に話題に上るようになります」
元々はエンジニア志望で、予科練に入隊後、まもなく終戦。戦後は家業の特定郵便局を継いだ父は、夏井さんに〈郵便局を継ぐ必要はない。何になるかが大事なのではなく、社会のためにどう生きるかが大事なんだ〉と言い、〈教員は立派な仕事や。子どもらに、サンガイ ジウナコ ラギの心を教えてやって欲しい〉と、あの時の言葉を娘が教師の夢として醸成させたことまで的確に理解してくれた。
「私自身、博士の講演を聴く前から、みんなが幸せな社会って何だろうと悶々と考えていたから、『みんなで生きる』という言葉がカシャッと嵌った感じがある。父にしても元々似たような思いがあったから、あの言葉が強く心に刻まれたんだと思うんですね。
でも、そういうもんじゃないかな? ○○に触発されて○○しましたとか、言葉と心の関係ってそう単純じゃないし、元々漠然とあった形にならない思いに、言葉が寄り添い、着地する。だから忘れられない言葉として心に刻まれる。いうなれば私が俳句の種蒔きと称してやっている活動も全部、『みんなで生きる』ためですから」
例えば〈おしゃべり俳句〉。例年なら1年の大半を種蒔きの旅に過ごす彼女は、コロナ禍で活動が制限された’20年4月、YouTube上に『夏井いつき俳句チャンネル』を開設。なかでも人気なのが、子供のふとしたお喋りの中に詩を見出し、周りの大人が俳句の形に整える「おしゃべり俳句」だ。
以下、少しだが、ご紹介しよう。
〈とうさんを寝かせてきたよ窓に月 /ひかる五歳〉
〈えっママは大人だったの梅ひらく /ななせ四歳〉
「いいでしょう? このシリーズは、子供の話をもっとちゃんと聞こうよ、しかもその目的が俳句だなんて素敵じゃない?ってことで始めた、実は大マジメな社会活動なのです。
もちろん子供は単に思ったことを喋ってるだけ。でも語彙が少ない上に文法が未熟だから、その欠落が彼らの言葉を偶然、詩にしているんです。
その偶然、詩になっていることに、気づける親をまずは褒め、褒められた親が自分や子供を褒めて、おまけにYouTubeで作品まで褒められるなんて、みんながハッピーでしょ。というと、子供がいない人はどう思うかなあとも思ったんだけど、駐車場を警備中、行きずりの子供から聞かれた質問に、春の季語、龍天に登るを取り合わせた〈龍天に登るトイレはどこですか〉の作者とかね。ああ、こういう人がいるなら、自信を持ってやろうと。
あるいは悪口や負の感情を俳句に昇華させる〈悪態俳句〉も社会運動の一環で、それが誰の誰に対する悪態か、設定がぼやけるのも俳句のイイところなんです。文章だと具体的な状況がわかっちゃうけど、俳句はその17音に描かれた断片から読む人が想像するしかない。だから詩として純度が高く、いい感情も悪い感情も安心して詠めるんだけど、俳句を詠む人って自分の中にあんまりズカズカ、入られたくないの。逆に自分の感情をペロペロ舐めたいタイプは、短歌の方が合っている(笑)。
例えば父が死んだ時のことも俳句の形では私なりに消化してきたんですけどね。それを今回は改めて事実として書かされた気もして、正直、ハメられたなあと、ちょっと思った(笑)」
それこそ第35話「実家と墓と御位牌と」以降、 実家の解体をきっかけに蘇るビビッドな記憶の数々が続く。
(後編に続く)
取材・構成/橋本紀子 撮影/藤岡雅樹
※女性セブン2022年8月18・25日号
桃太郎うどんのお取寄せ♪ 2023.11.12
うさちゃんパワーで🐰 王将戦、羽生が勝ち… 2023.02.10
速報!羽生9段勝利!シリーズ1勝1敗タイに… 2023.01.22
PR
Keyword Search
Calendar
Category