ぼくのプロとしてのキャリアはコカコーラCM "I feel Coke"がスタートであるのは御存知のとおりですが、実は当時NOVAというCM製作会社とマッキャンエリクソン(当時はマッキャンエリクソン博報堂)という代理店がチームとなって製作していました。 そこの人たちには、ぼくの音楽人生の基礎となる、人間として、プロとしての素晴らしさを教えていただいたわけですが、実はそのお一人は、かつて二作目のプロジェクト(ぼくが作曲した方のヴァージョンです)のオンエアーを待たずして三十九歳の若さで亡くなりました。 (SLTの2nd albumでは、「陽だまりの下で」という作品で彼への想いを歌っています) 今日は、そのBさんが亡くなって21年目にして彼の人望が垣間見れる実にたくさんの方々が集まった偲ぶ会でした。 映像がたくさん残っていて、みなさん涙ぐみながらBさんを偲んだ、でも落語研究会にいただけあって、とっても明るいお仲間が集まった楽しい会になりました。
彼や井上大輔さん、そして当時のスタッフはいつも「竹善の好きなように、感じたままに歌っていいんだよ。曲も感じるまま作っていいからね。あとはこっちの仕事」と、とても懐広くやらせていただいて、そのスタンスは今でも、ぼくの音楽に対しての基本、理想、絶対守るべきスジになっています。 (のちにWind of changeをドラマのために書いた時、久世光彦さんもまったく同じ台詞を言ってくださいました) そして、今日ひさびさにお会いした当時のスタッフは今も、まったく同じ空気と温度感でいらっしゃいました。